2013/02/28 23:17
テーマ:創作 愛の群像 カテゴリ:韓国TV(愛の群像)

創作愛の群像Ⅱ 第二話 彼

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第二話 彼






「失礼します」

誰かがドアを開け、隙間から顔を覗かせた。
シニョンはその瞬間目の前が真っ白になったかと思うと、
意識を失ってしまい、座っていた椅子から滑り落ちるところだった。


僕は目の前で彼女が突然椅子から滑り落ちるのを、
寸でのところで受け止めた。

「大丈夫ですか?」
しかし、腕の中の彼女は既に気を失っていた。

「どうしたの?」 一緒にいたミンスがドアから入って来た。
「誰?この人・・」 目前の光景を不愉快に思ったミンスには、
彼の腕の中の女を気遣うより睨みつける方が先だった。

「わからない・・・部屋に入ったら急に倒れたんだ。
 ミンス・・人を呼んで来て・・」

「う・・うん、わかった・・・」 
ミンスは《仕方ない》というように答えると、部屋を出て行った。

僕は自分の態勢と、腕の中の彼女が少し楽になるように抱き直すと、
顔に掛かった彼女の髪をその耳に掛けてあげた。
改めて彼女の頬が僕の胸に埋まっているのを眺めながら、
何故か僕は自分の頬が優しく緩むのを感じた。
僕は無意識に、白くて柔らかそうなその頬を手の甲で撫でていた。

彼女がふいに身じろいだ時、僕は少しやましい気持ちになり、
彼女の頬を撫でていた手を急いで引っ込めてしまった。

結局まだ彼女が目覚めなかったので、僕は彼女を抱き上げて、
ソファーに降ろし横にしてあげた。
すると突然、彼女の目が大きく見開かれて、逆に僕の方が驚いた。

「帰って来たのね」 彼女は僕を見てそう言った。
そして僕の首に両腕を回し、強く抱きついてきた。

「帰って来たのね・・帰って来てくれたのね・・」
そう言いながら彼女は、僕の首が苦しくなるほどに腕に力を込めた。

彼女は泣いていた。
まるで迷子になった子供が、探していた親を見つけたかのように
体を震わせて泣いていた。

僕はひどく驚いたが、そんな彼女を何故か突き放すことができなかった。
それどころか、彼女を宥めようと、しっかりと抱きしめていた。

その時、ミンスが部屋に戻って来た。
「ジェホ?・・」

ミンスには、彼がまるで彼女を優しく抱擁しているように見えた。
「何してるの?」


僕はミンスの声にハッとして、「彼女」を抱きしめた腕の力を緩めた。

そこにミンスの後ろから学長が入って来た。

「シニョン・・・」

「シニョン?」 ジェホは学長にそう呼ばれた「彼女」の顔を見た。
「シニョン・・って・・・まさか・・・」

「ジェホ、もう来てたのか。あー遅かったか。
 シニョン、驚かせてしまったんだな。
 お前が驚く前にちゃんと紹介しておこうと思ったんだ」
ギルジンはそう言いながら、《しまった》というように自分の額を掌で押さえた。

シニョンはまだ、ギルジンの言葉の意味を理解できないでいた。

「やっぱり・・シニョン伯母さんなの?」 
ところが横にいる「彼」が目を輝かせてそう言った。

「えっ?」

「シニョン伯母さん・・僕です。」
シニョンは、彼の口から出た言葉にまたも驚いた。

「・・・・・・」《伯母さん?・・ジェホ?》

「シニョン・・忘れたか?ジェホだ」 
その意味を教えるようにギルジンが口を開いた。

「ええ・・ジェ・・ホ・・」 それでもまだ、シニョンの理解に及んでいなかった。

「おいおい、まだわからないか?カン・ジェホじゃない・・」
キルジンがそう言いかけると、ジェホが彼の前に手を翳し制すると、
シニョンの前で姿勢を正して言った。

「ご挨拶が遅れました。シニョン伯母さん。ジェホです。
 パク・ジェホ」

「パク・・ジェホ?」

「はい。カン・ジェホの甥です」

口をぽっかりと開けていたシニョンが、やっと僅かながら理解したとばかりに
彼らに向かって小さく笑みを作った。

「あ・・ジェホ。あの・・小さかった・・ジェホ?・・・嘘・・・」
シニョンは目の前に立つその青年が、ジェホの甥、彼の妹の子供だと
理解しようと必死だった。
「そう。あの・・ジェホ・・なのね」

「驚いただろ?」 ギルジンが面白がるように言った。
「こいつ、この二・三年日増しに奴に似て来たんだ。
 正直、この学校に入学してきた時は、お前のように気絶しそうだったよ」

「おじさん・・大げさだな」
ジェホが満面の笑顔で、ギルジンの胸に拳を柔らかくぶつけた。

「おい、おじさん・・か?」

「あ・・いけない・・。学長。でした」

昔、シニョンとのことで一時は激しい憎しみを抱き、ぶつかり合い
そして後に理解し合い、最期は本当の兄弟のように認め合ったふたりが、
時を隔ててシニョンの目の前にいた。

《いいえ・・・違うのね》
シニョンはその事実に内心ショックを受けていた。
《そうよね・・そんなはずがあるはずないのに・・・》

「でも学長、人が悪いな。伯母さんに会わせてくれるなら
 最初から教えてくれれば良かったのに」

「はは・・ちょっとな。ふたりを驚かせたかったんだ」

「先輩・・ホント、ひどいわ」
シニョンは内心の動揺を必死に隠しながら笑った。

「でも、会いたかったんだ・・伯母さんに。ずっと会いたかった」
ジェホが突然、シニョンを見つめて、熱く言った。

「ええ、私も会いたかったわ」 シニョンもやっと冷静になって答えた。

「でも会いに来てくれなかったじゃないか」 ジェホが不満げに言った。

「そうね、ごめんなさい・・・随分とご無沙汰していたわ」

シニョンは12年前、ジェホとつながるすべてのものを断ち切って
この韓国を去った。

「母も会いたがってるよ」

「ええ、ジェヨンは・・元気?」

「はい、元気です」

「あ・・お父様・・ソックssiは?」

父の名前をシニョンが口にすると、一瞬ジェホの目が曇ったのを感じた。

「ええ・・父も元気です」
彼が笑顔に戻ってそう答えたので、気のせいだったのだと思い直した。

「学校が始まったらご挨拶に行こうと思ってたのよ」

「本当に?」

《ええ・・・ただ・・・》
「本当よ」
シニョンは笑って答えたが、本心は少し違っていた。
正直、ジェヨンたち家族のことは、ずっと気にかかっていた。
帰国したら直ぐに会いに行くつもりでもいた。しかし帰国後、
ジェヨンの家族が、ジェホとシニョンの新居だったあの家に
住んでいることを父から聞かされて、足が重くなってしまったのだ。

「じゃあ、今日来てよ」 ジェホは我儘を言う子供のように言った。

「えっ?」

「そうだ、これから・・。いいでしょ?直ぐに母さんに連絡するから」

「あ・・いえ、今日は・・その・・」

「悪いなジェホ、シニョンは今日は俺と約束があるんだ」
シニョンが言いよどんでいると、ギルジンが直ぐに助け舟を出した。

「そうなの?」

「え・・ええ・・そうなの、ごめんなさい。近い内に必ず伺うわ。」

「本当に?約束だよ」
そう言ってジェホが小指を出した。
シニョンが戸惑っていると、彼はシニョンの手を取って、無理に指切りをさせた。

「小さい頃はいつもこうしていたでしょ?伯母さんと。
 伯母さんがアメリカに行ってしまう時も、泣いてた僕にこうしたんだ。
 『泣かないで・・必ず戻ってくるから』って」

シニョンはその日のことを思い出した。
ジェホを失って、周りの人間をことごとく恨んで生きていた私に
ただひとり、いつも笑顔で、私の頭を撫でてくれた子。
『泣かないで・・・シニョンssi』

そうだった。
その頃彼は大人の真似をして、私のことを『シニョンssi』と呼んでいた。

私がアメリカに発つと知って、泣き叫んで私に抱きついた。
『行かないで、シニョンssi、行かないで・・
 シニョンssiは僕が・・伯父さんの代わりに僕が守ってあげるよ、
 だから行かないで!』


「でもずっと帰って来てくれなかった」 そう言ってジェホは私を軽く睨んだ。

「ごめん・・・」

「いいよ・・・こうして戻って来てくれたから」 今度は、優しい眼差しで私を見つめた。
私は彼のその見覚えのある笑顔に、思わず視線を落としてしまった。


「ジェホ」
彼を呼ぶ声に振り向くと、さっき窓の外にジェホといた女の子がいた。

「あ、ミンス・・紹介するよ、僕の伯母さん。イ・シニョンssi」

「あ、初めまして。キム・ミンスです」

「初めまして。ジェホのガールフレンド?」

「いや・・」
「そうです。」
ジェホの言葉を遮るようにして、ミンスはきっぱりと答えた。

「そう、よろしくね」
まだ複雑な心境の私は、無理に笑顔を作って答えた。



ジェホとミンスが部屋を出て行くと、ギルジンが言った。
「まだあの家には行きたくないのか」

私は黙ってうつむいた。

「俺の家に来るか?・・・ジェホに嘘は付きたくないからな」

「ええ・・・そうするわ」

「その前に、校内を案内するよ」

「ええ・・ありがとう」



シニョンは、ギルジンの案内で古きものと新しきものが融合した校舎を
懐かしさを噛み締めながら歩いた。

ジェホと過ごした教室や図書館はそのまま残っていたが、
ギルジンが一緒なので、必要以上に感傷的にならずに済んだ。

シニョンが赴く必要がある教室などを主に案内された後、
「ここが最後だ」
そう言ってギルジンがひとつのドアの取っ手を掴んだ。

「教授たちの集会室。俺が新しく用意させたんだ。」
ギルジンが部屋のドアを引いて、シニョンをエスコートした。
シニョンは部屋に入った瞬間、差し込んだ西日が眩しくて
思わず目を細めた。

その光の中にうっすらと人影が浮かんだ。
背が高く、スラリと足の伸びた男性だった。
彼はコーヒーカップを片手に、無表情に窓の外を見つめていたが
その横顔があまりに美しくて、シニョンは一瞬息を呑んだ。

「やあ、こちらにいらしたんですか?」 
ギルジンがシニョンの後ろから声を上げたので、彼女は驚いて
自分が一瞬目の前の彼に見とれていたことを知った。

すると、彼は冷たい表情をそのままにゆっくりと振り向いた。
その瞬間、シニョンはさっきとは別の意味で息を呑んだ。
振り向いた彼の片方の頬に、決して美しいとは言い難い
大きな傷跡があったからだ。

「先程到着されたと伺って、探していました」 
ギルジンが続けながら、彼に歩み寄った。

「それは失礼しました。学長」 
彼が初めて口を開いて、持っていたコーヒーカップをテーブルに置いた。

「先輩・・」 シニョンは後ろから小さく言った。

「あ、丁度良かった。紹介しよう。
 シニョン・・お前と同時に新任として赴任されたキム・ジュンス先生。
 アメリカからいらした、数学と英語の教授だ。
 キム先生、こちらはイ・シニョン・・心理学の教授です。」

「・・・よろしく」 彼はそう言ってシニョンに手を差し伸べたが、
その表情は決して好意的には見えなかった。

「よろしくお願いします」 
シニョンは怯んではいけないと、背筋を伸ばし、凛とした表情で応じた。
その瞬間彼が俯き加減に「フッ・・」と笑った気がして、
シニョンは自分が馬鹿にされたのだと、むっとして彼を睨んだ。

「何か?」 シニョンは言った。

「いいえ・・何も・・」 
彼はまるでさっきまでの無表情に軌道修正でもしたかのように
彼女を冷たく見つめた。

「何処かで・・・お会いしましたか?」 シニョンが突然そう言った。
一瞬何処かで見かけたような気がしたからだ。

「何処かで?」

「あ、そんなはずないですよね」

「いいえ、お会いしています」 ジュンスが少しだけ笑みを浮かべて言った。

「えっ?本当に?」 
シニョンは自分から確認していながら、その答えに驚いた。

「おまえ達、初対面じゃないのか?」 ギルジンも驚いて言った。

「何処で?・・ですか?」 シニョンはまだ答えが見つからず尚も問うた。

「さあ、何処でしょう」

「えっ?」

「思い出してみてください」

「えっ?」

シニョンはこのジュンスという男がわからなかった。
冷たい顔はそのままに、言っていることは冗談にしか聞こえない。

「あの。私を馬鹿にしてます?」

「いいえ」

「だったら何処で?」

「だから・・・当ててみて」

「あのね」

ジュンスはゆっくりと後ろを向き、シニョンから顔を逸したが、
間違いなく肩は笑っていた。
シニョンは面白くなかったが、『会ったことがある』という彼の言葉に
興味を持たずにはいられなかった。

「いいわ。アメリカからいらしたそうだけど、私も10年ほどNYに・・
 そこでお目にかかったかしら」 

その問いに彼は無言で口角だけを上げた。

「アメリカはどちら?」

「マサチューセッツ」

「学校は?」

「ハーバード」

「うーん・・接点がないわね」 シニョンは唸りながら腕を組んだ。

隣でギルジンがふたりのやり取りを呆れたように眺めていた。

「おい、いつまでやる気だ?」

「だって先輩、この人が・・」

「宿題にしましょう」 彼が真面目な顔で言った。

「宿題?」

「ええ」

シニョンはジュンスを呆れた表情で見つめた。
「真面目におっしゃってるの?」

「ええ」 ジュンスは《無論》というように腕を組み言った。

「いいわ。思い出してみせる」 

「待ってます」



妙なやり取りをしたジュンスを残して、シニョンはギルジンと部屋を後にした。

《可笑しな人・・・》シニョンは心の中でそう呟いた。

でも本当に何処かで会ったことがある?それももしかしたら彼の悪ふざけ?
でも初対面の人間にそんな悪ふざけをするだろうか。
だったら、何処で?

シニョンは首を傾げながら、たった今出て来た部屋の方を振り返って
そのドアの向こうの彼を思い浮かべていた。



 








 


2013/02/27 23:40
テーマ:創作 愛の群像 カテゴリ:韓国TV(愛の群像)

創作愛の群像Ⅱ 第一話 幸せの証明

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愛の群像から18年後の物語
   



第一話 幸せの証明







「ジェホ!ジェホヤ・・」

今朝もまた、その名前を呼ぶ自分の声で目が覚めた。
目尻に冷たく残った涙の跡に、暗い夢の中でまた、
あの人を追ったことを思い出す。

ジェホヤ・・・
あなたが目を覚まさなかったあの朝から、私の横を流れる季節は
悲しいくらい味気なくて、彩りさえも寂しく褪せていた。

ジェホヤ・・・
それでも私は生きている。

《何のために?》時にそう呟いてみる。

《何のために生きている?》

でもその問いには、誰も答えてはくれない。
それはジェホ・・・その答えはあなたしか知らないことだから。

あなただけが私の生きる理由だったから。



「シニョン・・起きてるの?早く降りて来なさい!」 
母の不機嫌そうな声が階下から聞こえた。

「えぇ・・今行くわ」 
私は少しかすれた声を懸命に張って答えると、目の前の鏡に映った自分の
情けない顔の口角を上げ、無理に笑みを造った。

ここに戻ってからというもの、母や父の前では笑顔を見せる、
それが自分の努めのような気がした。
ふたりをもう二度と悲しませないために。

「早く顔を洗って、ご飯食べなさい!今日から登校でしょ?」
母がまだ、声を高くして早口に私を急かしている。
きっと、いつものように慌ただしげに朝食の支度をしながら。

ベッドを降りて部屋を出ると、階下に向かった。
階段を下りる途中で、ふと立ち止まって手摺をそっと撫でてみた。
父がこの家を売って、ジェホと私のために家を用意してくれたことを思い出した。
あの頃はジェホと生きることに精一杯で、父の思いに甘えるしかなかったが
正直、父にそうさせてしまうしか無かったことを、ずっと悔やんでいた。
この家は、身を粉にして働いて得た、父の誇りだったからだ。

ジェホの死後、父の新しい仕事は着実に成功することとなって、
十年前、父はこの家を取り戻してくれた。
それがどんなに嬉しかったか知れない。

結局私は両親に対して負担を掛けるばかりで、何もしてやれなかった。



ダイニングに向かうと、父はとうに食卓についていて、黙々と食事していた。

「お父さん、おはようございます」 
私は父の顔をまだ真っ直ぐに見られない。

「ん・・」
相変わらず無表情な父が、顔も上げずに小さく返事をした。
私はそんな父に構わず席に着いた。

「顔は?」母が言った。

「後でいい」
私はそう言いながら、スプーンを手に取ると、スープの中にご飯を入れた。

「はぁ・・だらしないわね、私はいったいいつまで
 あなたの面倒を見なきゃいけないの?」
母が私の顔を睨みながら、ため息混じりに言った。

「見てくれなくてもいいわよ」 
いつもの母の嫌味に、私も負けじと憎まれ口を叩く。

それでも父は黙々とスプーンを口に運んでいた。

「やっと父さんとふたりだけの生活に慣れてきたというのに、
 今度は50にもなる娘まで面倒みなきゃならないなんて・・」
母のその辛辣な小言はしばらくは続く。

さて、私も元気にそれに応戦しなくてはならない。
48よ」スプーンを口に運びながら答えた。

「同じようなものでしょ!」
母もやっと席に着くと、乱暴にスプーンを取って言った。

「違う。それにみんな若いと言ってくれるのよ、あー、『シニョンさん、
 どう見ても30代にしか見えませんね』って」

「はっ・・呆れた。お世辞というものを知らないの?」

「お世辞かそうじゃないかぐらいはわかるわ」

「そう!それは良かったわね。50・・いえ48?それでももう子供、
 いえいえ、孫だっていたって可笑しくない年じゃないの」

「お母さん・・ひ孫が欲しいの?」

「はっ・・結婚もしてない人が何を言うの?私はお陰様でひ孫どころか、
 きっと死ぬまで、孫だって抱けやしませんよ」

「悪かったわね」

「あれほど、早く結婚しなさいって・・」

「してるわ」

「・・・・・・」

やってしまった。
母がうつむいてしまった。

母が黙ると怖い。今日こそは些細な母娘ゲンカで済ませたかったのに。
案の定、母はメソメソと泣き始めた。

「ごめん・・」
私は大急ぎで母をなだめようと席を立って、母の背中を撫でたが、
既に無駄だった。

「ジェホ・・ジェホヤ・・どうしてあなたは死んじゃったの?
 私とあんなに約束したのに。決してシニョンを置いて逝かないって、
 きつく約束したのに・・。この裏切り者!」

母が手にしていた皿を床に投げつけて、癇癪を起こす。
私がこの家に戻ってからというもの、そんなことが何度あっただろう。

「いいかげんにしろ。」見かねた父が口を開いた。

「ああっーーー!!」母は更に大声で喚きだした。

「シニョン・・もう行け」
父が犬の子を追い払うような仕草で、私を追い立てた。

「お父さん・・・」

「母さんを興奮させるんじゃない。この家にいたかったらな」
父はため息を付きながら強い口調でそう言った。

「・・・・出て行けってこと?」

「どうして戻って来た?こうして母さんを悲しませるためか?」

「そんなことあるわけないでしょ?ふたりが心配になったからよ」
事実だった。
年老いた両親を放って置けなくなって、私はこの地に戻って来た。
あの人との思い出が詰まったこの地に戻って来た。

10年以上も放っておいてか?」
父はそう言って、私を強く睨みつけた。

「・・・ごめんなさい」
私はそれを言われると何も言えなくなる。
ジェホがこの世を去って、生きる術を無くしてしまった私は
彼と過ごした地を捨ててしまった。

それから一度として戻ることをしなかった私は、結局両親さえ
捨ててしまったと同じなのだ。

「シニョン。お前はあの時、約束したよな。
 余命が短いジェホとの結婚を認めて欲しいと、懇願して来た時、
 認めようとしない私に、お前は約束したな。覚えているか?」

「・・・・・・」<覚えているわ>

「お前はこう言ったはずだ。万が一、あいつがお前を置いて
 先に逝ってしまった後は、決して心をあいつに残さないと。
 『だから結婚を許してくれ』と。」

「・・・・・・」

「それがどうだ。結果はどうだ?あいつが死んでもう何年になる?
 今、お前はどうなった?」

「ちゃんと・・生きてるわ」

「ちゃんと?生きてる?・・はっ・・親を馬鹿にするんじゃない。
 お前がいつも、無理して笑っていることを知らないとでも思ってるのか?」

「無理なんて・・・してないわ」

「いつまでなんだ?
 いつまで引きずっていくつもりなんだ?あいつを・・・」

「・・・・・・」

「シニョン、よく聞け。父さんにとっても、母さんにとってもあいつは・・
 ジェホは大事な人間だった。
 わかっているだろ?悲しんだのはお前だけじゃないんだぞ。
 今でも碁を打つたびにあいつを思い出しては涙が出る。
 目の前に、楽しそうに碁を打つあいつの幻覚が見えるんだ。
 母さんだって、食事を作りながらいつも泣いてばかりだった。
 『これをジェホに食べさせたかった』そう言ってな。
 しかしな、残った私たちがいつまでも悲しんでいてどうする?
 あいつはそのためにお前と結婚したのか?そうじゃないだろう?
 あいつが一番、お前の幸せを願っていたはずだ。そうじゃないのか?」

日頃おとなしい父が珍しく興奮して涙ながらに訴えている横で、
母もまた顔を手で覆っていた。

「・・・・・わかってる」
私は涙を見せないと堪え、やっとの思いでそう答えた。

「わかってる?だったら!その証拠を見せてみなさい。 
 私たちに・・・ちゃんと見せなさい。 
 シニョン・・私たちはもう年だ・・・いつまでもお前の幸せは待てない。
 お前の幸せを見届けないで、私たちは死んでも死にきれない。」

「・・・・・・」

「・・・そうじゃないと・・・あの世でジェホに・・・報告ができないじゃないか」
険しかった父の表情が崩れ、声を震わせた。

「父さん・・・」





私は20年ぶりにこの学校に戻って来た。

敢えて私が、ジェホと出会ったこの学校に教授として戻ることを選んだのは、
他でもない、今度こそ彼を忘れる為だ。
アメリカに渡って十余年。結局は彼から逃げていただけだった。

<そう、父さんの言う通りよ>

私は未だに彼の呪縛から逃れられてはいない。
だから韓国への帰国を決めた時、戻る場所はここしかない、そう思った。
そして彼を今度こそ、私の心から葬ってあげようと。
父の言う通り、きっと彼もそれを望んでいる。そう思ったからだ。

校舎は幾度か改築されているものの、概容はあの頃のままだった。
ジェホと出会った教室も、ふたりでお茶を飲んだ教授室も、そのままだ。

心でそう呟きながら、シニョンは指で机を撫でた。

「シニョン」その声が背後から聞こえて、振り向いた。

「先輩」

「来たか」

「先輩・・あ、いえ学長ですね。お元気でしたか?」

「ああ、随分と年を取ったがな」

「そんなこと・・・先輩はまだ若いわ」

「はは、お前こそまだまだ若い。あの頃と少しも変わってないじゃないか。」

「それは言い過ぎよ。いつからお世辞が上手くなったの?」


ソン・ギルジン先輩。
私とジェホを影になり日向になり支えてくれた大切な友人。

「しかし・・何年ぶりだ?」

「12年・・・先輩・・・不義理をして、ごめんなさい」

「ああ、心配していたよ、もの凄くな。
 あいつもずっと・・・お前のこと、気にかけていた」


《どうして助けてくれなかったの!ジェホを返して!》


「・・・・・ごめんなさい」
ギルジンの妻であり、ジェホの主治医でもあったジョンユンを
あの頃、理不尽にも責め立て、その後は避け続けていた。

《ごめんなさい・・・自分の心のコントロールすら、
 できなくなってしまっていたの》

「・・・・今度お宅にお邪魔していい?ジョンユン先輩に会いたい・・・」

「ああ、喜ぶよ」

「怒ってないかな」

「そんな奴じゃないだろ?」

「そうね」

懐かしい先輩の笑顔を久しぶりに見て、不思議と心が和らいだ。
きっと、昔からいつも、私を暖かく見守ってくれていたそのままの
笑顔だったからだろう。

「先輩・・あ・・学長」

「先輩でいいよ」

「クレ・・先輩・・この部屋をわざわざ?」
ここは、壁紙こそ変わっていたが、昔自分が使っていた部屋のままだった。

「ああ、他の部屋の方がいいか?」

「ううん・・・ありがとう」

「授業は明日からだったな」

「ええ」

その時ギルジンの携帯電話が鳴り、彼はその電話に応対すると
シニョンを振り返った。
「ちょっと急用ができたんだ。悪いけど、学校案内は少し待ってくれるか」

「あぁ、案内なんて」

「結構変わってるんだよ、昔と。じゃ、後で」

ギルジンが慌ただしく部屋を出て行く様子に、シニョンは微笑むと
急に静かになった部屋を見渡し、窓辺に向かった。

窓の外に見える景色は昔のままだった。
グランドの土の色も、そびえ立つ木々も、改築された校舎と違って、
ジェホがいたあの時間に今にもタイムスリップしてしまいそうなくらいに
そのままだった。

その時だった。シニョンの瞳が大きく見開いた。

目の前に階段を上ってくる「彼」の姿が見えた。

「えっ?」
シニョンは自分の目を疑った。「ジェホ?」
咄嗟に彼女は窓を開けた。

「彼」が前方に向かって笑顔を向けた。

「ジェホ!」女の声が彼の笑顔の先から聞こえて来た。
「ジェホ、おはよう」

《ジェホ?》

「おはよう」そして「彼」が口を開いて、その声を発した。
それは紛れもない、ジェホの声だった。

《きっと今、私は夢を見ているのだろう。》

しかしその声は、
夢の世界なら、必ず自分に向けられるはずのその声は、
まったく知らない若い女に向けられている。

シニョンは驚きのあまり呆然としながらも、ふたりを目で追っていた。
階段の上で落ち合ったふたりの男女は、軽く抱擁を交わし、
シニョンがよく知っている「彼」のくったくのないあの笑顔は、
自分の知らない女の頬に摺り寄せられた。

あの笑顔は・・・・

あの声は・・・

シニョンは危うく気を失いそうになってしまいそうだった。
震える手で窓を締めると、フラつきながら、やっと椅子に腰を下ろした。

少しして、ドアを叩く音が聞こえた。
「は・・い・・」シニョンは小さく答えた。

「失礼します」《あの声だ》

そして誰かがドアを開け、顔を覗かせた。
まるでスローモーションのように、その顔がドアの隙間から滑り出た。

シニョンは一瞬目の前が真っ白になるのを感じていた。
そしてそのまま、意識を失ってしまった。


私は夢を見ていた。
幾度も繰り返し見たあの日の夢だ。

ジェホが目覚めなかったあの朝、私は彼のそばを離れなかった。
連絡が取れないことを心配した母が部屋を訪れた夜まで
私は彼の傍らで眠っていた。
このままふたりして目覚めなければ、私たちは幸せのままだ。
そうなればいい、そう思っていた。

だから私を起こしてしまった母を恨んだ。

ジェホを私のそばから離した父を恨んだ。

ジェホを灰にしてしまった伯母を恨んだ。

私は涙も流さず、ただ静かにその光景を見ていた。

私の目の前から、ジェホが消えていく風景を・・・

ただ見ていた。







 


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