20話から~落ち着け、私、テサギを見よう
☆先週金曜から、ともかく落ち着かない。何をしているのだろう、どうなっているのだと思う。
よく考えてみれば、いや、考えてみなくてもわかる。
金曜日のイベントチケット先行予約のことなのだ。
何か、すごくたいせつなことを忘れているような気がする。
いやいや、金曜までは何もすることがない、ともかく落ち着け、なんて自分に言い聞かせて今日まで来たけど、今日火曜の夕方になって、すごくすごく重要なことに気がついた。私は土曜朝早く実家に出かけて、帰ってくるのが日曜の夜になるということだった。
つまり、いちばん大事なときに、パソコンの前にすわることができないのである。
そう、よく考えてみれば、明らかだ。
金曜は仕事だから、ネットを使って予約できるのはその日の夜だけということになる。
予約開始間際がどんな状態になるか、誰にでもわかる。何度トライしてみてもつながらないということになるだろう。
電話でも申し込みできるけど、そっちのほうがもっとつながらないに違いない。
というわけで、だいじょうぶか、私?と、今の今になって思った。
ヨンジュンssi来日!などと、ただ舞い上がっているだけの私がいたのだ。
でも、それでも、ともかく落ち着け、私。
そして、テサギを見よう。
土曜の3話もよかったけど、やっぱり心揺さぶられたのは、月曜の20話である。
以下、私が勝手に解釈した、タムドクのせつない心が語る言葉である。
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眠れぬ夜、ほのかな灯りの中に、香水壜ひとつ。
目を閉ざせば、思い出すのは泣きぬれた彼女がきれいに微笑む姿。
「王様の背中はいい匂いがするんです、知ってました?」
何のてらいもなくそんな言葉を口にして、それから、ひとつおじぎをして行ってしまった・・。
ただ、吹きすぎて行くさわやかな風のように。
手にとればぬくもりがかすかに残っているようで・・。
くり返し思い出してみても、もどらないあの時。
考えてみれば、そうだ、母の形見の香水壜、あれを返されたそのときに、彼女の決意に気がつくべきだった。
いや、その前に、背中から抱きつかれたあの時に、いやいや、そうではない、
あんな、いかにも『おんなおんなした』衣装を身につけて現れた時から・・・。
いつも、うっとうしいほど付きまとっていたあいつ。
男の子みたいにくるくるとよく動き、がはがはと大きな口を開けて笑い、男顔負けに酒を飲み、妙ちくりんなヤツだと思った。
でも、仲間、それも意外と頼りになる存在になるまで、さほど時間はかからなかった。
いくつもの危機をふたりして乗り越え、いくつもの楽しい思い出も共有して、・・そうだ、戦いの最中にも楽しいこともあったのだ。
いつもいっしょだったのだから。
ほんとうのことを言うと、あいつがどんな気持ちでいるのか、ちゃんと気がついていた。
私の中に棲み付いている女人がいると知って、それが気に入らないといって、怒ったり悲しそうな顔をしたり。
・・あんなに素直で、まっすぐでわかりやすいヤツはいない、
だから、私はちゃんと気がついていたんだ。
なのに・・・。
自分の心のありかはどこなのか、わかっていると思っていた。
どんなにその人が罪にまみれていても、私は自分の心がさまよい出ていくのを止めることができなかった。
どんなに苦しくても、どうしようもなかったのだ。
そんな私のつらさに気がついて、それをじっと見つめていたあいつ。
そのまっすぐな心に映った『それ』は、たぶん許せないというものだったのだろう。
「どうして、王様は!」
そんな言葉を幾度となくくり返したあいつ。
そのたびに涙ぐんでいたあいつ。
自分が傷つくことよりも、私のつらさをしっかりと受け止めて、私のために泣いていたあいつ。
そんな彼女を、私はちゃんと知っていた。
知っていながら、
「・・それでも、私は忘れられないんだ、だから、あの人のことは言うな。」
などと、そのたびごとに激しい言葉で返したりして・・。
甘えていたのは、私の方だ、たぶん・・。
思い返してみれば、戦に出向く帆船の中で、あの香水壜を手渡して、おまえが持っていろよとあずけたあの夜に、私は気がつくべきだった。
自分の心がどこにあるのか、どんな色をしているのかを。
さわやかな風のように私の前から去って行った彼女。
そう、おまえの言うとおりだ、私は愚か者だ。
愚か者だったよ、スジニ。
あの夜のことを覚えていますか?~17話から
これまで、17話では派手な斬り合いのシーンでの雄々しいタムドクに目を奪われてきました。
でも、あらためてテレビの画面で見ると、このほかにも、もっと見過ごしてはならないシーン、大切なものものがあったような気がします。
今夜ここに書きたかったのは、もうひとつの17話の見どころ、神堂でのキハとのやりとりについてです。
「あの夜のことを覚えていますか?」
「あの夜のことは忘れた。」
この会話に、私は胸をつかれる思いがしました。
そんなこと言われたら、キハ、あなたはつらいよね、自然にテレビ画面に向かって、そんなことを口にしていました。
彼女のお腹には彼の子がいるのですが、今となっては、そのことを彼に告げることもできないのですから。
はっきり言って、私は、大神官と副神官を手にかけた時点で、キハという女性を見限っていました。
どんな理由があろうと、何の罪もない、否、彼女の育ての親とも言うべき大神官らの命を奪うというのは、人間として許されないと単純にそう思ったからです。
でも、あまりにも重いものを背負って生きて行くしかないこの女性に、この17話で、また別の一面を見つけたような気がしたのです。
それは、彼女がお腹の子に託した一筋の夢のようなものです。
これからの展開をほんのちょっとは知っている者としては、それは、夢と呼ぶにはためらわれるような黒い色をしたものかもしれません。
それは多くの人々の血にまみれていて、そして、善なるもの=天を否定することから始まるものなのですが。
それでも、彼女は自分が罪をすべて引き受けることによって、生まれてくる子の未来を切り開こうとしているのだと思います。
そこに、ある意味、聖母の姿に似たものさえ感じられるような気がするのです。
一方、そんなことを言い放ったタムドクに対しては、何て男なの!などと、咄嗟に私は叫んでしまったのですが、これはちょっと早まった判断だったようです。
『まだ、未練があった、でも、これで終わりだ!』と歯を食いしばるように言い切っているところを見ると、もしかしたら、これは自分に向けての言葉だったのかもしれません。
この日を境に、彼女と永遠に決別すると、キハに心を残す自分自身に言い聞かせていたのかも・・。
それが、あの神堂を出るときに、張られた綱を断ち切るという行動になって現れたのだと思います。
そんなタムドクに、チュシンの王というよりはむしろ限りなく人間的なものを感じるのは、多分私だけではないのでしょうね。
天を否定するキハにある種の聖母的なものを、チュシンの王であるタムドクに人間的なものを感じてしまうなんて・・。
これも、バランスを取ろうとする監督の意思、いいえ、「天の配剤」のようなものといったら、言い過ぎでしょうか。
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