海翔ける~高句麗王の恋 草原
月見の宴の翌日から、朝駆けの後長老家の屋敷を訪ねていくのが、
タムトクの日課になった。
初日に、途中でしとめた血のついたままの山鳥を持っていって彼女に悲鳴をあげられてからは、
彼の手土産は、名前も知らないような野に咲く花だったり、谷川で拾ったきれいな小石だったりした。
だが、そんなものを手にうれしそうな顔で長老屋敷へ馬を走らせる高句麗王の姿に、
サトら側近の者たちは困惑していた。
王が女人に熱を上げるのは初めてのことではない。
だが、即位と同時に迎えた正妃を病で亡くしてから三年、そんなことも皆無だった。
だから、寵愛する女人ができたことは、正直言って喜ぶべき事なのかもしれなかった。
なんといっても、王はまだ若いのだ、いつまでも亡くなった正妃に義理立てして、女人を遠ざけているようであっては困る。
だが、時期と相手が問題なのだと誰もが思った。
半年後には、大豪族の娘を新しい正妃として娶ることになっている。
この時期に、いかになんでもそれはまずかろう。
それに、熱を上げている相手は敵国の人質の姫だ。
それがどんな影響を及ぼすことになるか、高句麗王を取り巻く家来たちは気がかりだったのだ。
5日ほど経ったある朝のこと、いつものように馬を駆けさせながら、サトは思い切って王に声をかけた。
「今日も、お立ち寄りになるのですか?」
横に並んで走る王の表情は明るい。
「むろんだ。」
「あえて申し上げますが・・・」
「何も言わなくてよい!」
きっぱりと言う。
そして、ハハハハ・・・という笑い声。
サトばかりでなく、伴走する側近二人が顔を見合わせる。
「そのほうらの言いたい事はわかっている。だから、何も言うな。」
少し作戦を変えることにした。
「いえ、ですから、それほどお気に召したならば、
おそばに置かれたらよろしいかと・・・。
こうして、毎日訪ねていくのは・・・・」
サトの言葉に、高句麗王は手綱を引いた。
黒毛の愛馬が歩みを止める。
「毎朝訪ねていくのが楽しいのだ。
・・・それがまずいとでも、そなたは言うのか?」
すっとした切れ長の目でじっと見つめる。
そんなにムキにならなくても、とサトは思った。
たかが、女のことではないか・・・。
「いえ、ただ、長老の家の者たちも驚いていましたゆえ・・、
王子の頃ならいざ知らず、王のご身分でありながら、などと。」
「ジョフンは喜んでいたぞ。」
「はい、確かに・・・。
ですが、毎朝立ち寄られる王のために、
屋敷内の者たちは、朝餉の用意などにも気を配らねばならず・・・、」
もごもごと続けるサトに、タムトクはふっと笑って言った。
「遠まわしな言い方はやめよ。いつものそなたらしくないな。
・ ・・長老家の者たちが迷惑だからなどというのではない、
ただ、人目につくのがまずいのだ、
ハン家との婚儀のことも考えよ・・・、
つまりそういうことだな?」
いや、実はもうひとつあるが、だいたいはそういうことなのだと、サトは心の中でつぶやいた。
わかっているなら、それを実行してほしいぜ、と。
しかし、王は照れくさそうな笑みを浮かべた。
「・・・サト、わかっていても、どうしようもないこともあるのだ。
かの姫を、力ずくでそばに召すというようなことはしたくない。」
それから急いでつけ加える。
「・・どうやら、私は、かの姫の心がほしいらしい。
たかが、女のことだ、許せ。」
それから、ハハハ・・と大きく笑って言った。
「今日は、かの姫と二人でそこらの草原を歩くとしよう♪
屋敷内にいるから長老家の者たちに迷惑がかかるのだ。
朝餉は城に帰ってからとるゆえ、支度はいらぬと伝えよ。
・・・ああ、人目につくのはやむをえないな。
そのほうら、迷惑ならついてこなくてよいぞ。」
しかしながら、しかしながら・・・、
かの姫は、王に対してよからぬことをたくらんでいるのでは・・・、
サトはそう言いたかったが、この場ではそれは口にできなかった。
せめて、警備をしっかりとするしかないか、
サトはそう心に決めたのだった。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ざわざわと風のわたる一面の草原。
朝の光を浴びて、草の背が光る。
柔らかな春のひざしの中で、
タムトクは、タシラカの手を引く。
横に付き従うのは、黒毛の愛馬。
春のゆったりした空気の中で、
ちょっと眠そうにゆっくりと歩を進めている。
こわくない、
タムトクが彼女に声をかける。
なのに、彼女は・・、
恐る恐る手を差し伸べて、そうっと愛馬の鼻のあたりをなでる。
いかにも緊張した顔で・・・。
今度いっしょに乗ろう、そんな彼の言葉にも曖昧に笑うだけだ。
さらに、数メートル離れたところには、
サトら側近たち3人の姿がある。
後に先にと大きな円を描くように取り囲む。
やがて、ざわざわとした風の音が一瞬止んで、
何か別のいきものの鳴き声がした。
雲雀だ!
どこか空の高いところにいるらしい。
タムトクは遠い空を見上げた。
だが、その青さに溶け込んでいるのか、姿は見えない。
顔を上向けたまま、言う。
「・・・を見た事はあるか?」
「ええ・・」
「私もだ。
今日は、見えないな。」
「・・見えませんわね。」
気がつけば、彼女も同じように並んで空を見上げている。
その無邪気な顔!
妙にきらきらしていて、いそいで言葉を探す。
「寒くはないか?」
「いいえ、いい気持ちだわ。」
白い歯がこぼれる。
タムトクも笑みを返す。
「このあたりは、私の縄張りだったのだ。
まだほんの子供の頃のことだが、
雲雀を追いかけたり、蝶を追いかけたり、トンボを取ったり、
後ろにいる、あのサトもいっしょだった・・・。」
タムトクの指し示す方をふり返りながら、彼女がうなずく。
「私が育った所には、こんな草原はありませんでしたわ。
山がすぐそこまで迫っていて・・。
でも、小さな川が流れていて、そこでオタマジャクシをとったり・・・。
乳母の親戚の男の子が、ずかずかと泥の中に入っていって、取ってくれました。
泥がはねて、その子の顔が真っ黒になったりして・・・」
タシラカはくすくす笑う。
タムトクはまぶしそうに目を細めて言った。
「私なら、オタマジャクシだけではないな、
姫のためなら、ドジョウでも、フナでも・・・・。
だから、いつまでもこの国にいよ。」
まあ・・、それきり、彼女は黙ってしまう。
その見開いた大きな瞳を、タムトクは見つめ返す。
そのまま、二人とも、ただ草原の中にたたずんでいた。
やがて、お決まりのように、風がまた吹き始める。
ざわざわと草原を渡る音。
タシラカの長い黒髪が後ろになびく。
「歩こう。」
うなずいた彼女の手を取り、先にたってずんずん歩く。
吹きすぎる風の音・・・。
後ろをふり返らずに、タムトクは大きな声で言う。
「そなたといっしょにいたい。」
彼女の声が後ろから追いかけてくる。
「どうしてですの?
私はあんなことをしたのに・・?」
風の中で聞く彼女の声・・。
まるで、夢の中の出来事のようで・・・。
「私にもよくわからない。ただ、そなたには嫌われたくない。」
そなたには嫌われたくない・・・、
その言葉が風の中で空に舞う。
まるで、夢の中の出来事のように・・・。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
サトは二人の側近たちと少し離れたところに立っていた。
一応、王の警護をしているわけだが、
二人の楽しそうなやりとりは、ちらほらと耳に入ってくるのだった。
サトよりも少し年下のほうが、近寄ってくると小声で言った。
「いい感じですね~♪」
「ああ・・」
サトは短く答える。
と、もう一人、サトと全く同じ年ごろの男が話に加わる。
「これは、タムトク様、本気だな?」
「そのようだな。」
またもや、ぶっきらぼうに返事をする。
「へえ・・、じゃ、じゃあ、ハン家の姫はどうなるんです?」
「ばかだな。あっちは正妃になるんだ。
こっちの姫はよくても側室だな。
タムトク様だっておわかりだ。
比較にもならないよ。
な、サト、そういうことだよな?」
「へえ、そういうことですか。タムトク様、いいな、うらやましいな。」
「静かにしろ!タムトク様はともかく、俺たちは仕事だ。」
浮かれる年下の同僚を、サトたしなめる口調で言った。
なぜか、自分でも不機嫌になっているのがわかった。
「それにしても、いい感じだよな。」
同僚の言葉が、青空に吸い込まれていく。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
風のわたる草原を、どこまでも二人で歩いていきたかった。
が、タムトクはそろそろ、城に帰らなければならなかった。
「今日は楽しかった。」
われながら、気の利かない言葉だとすぐに後悔する。
言いたいことの半分も言えないものだと・・・。
だが、タシラカは微笑みながら、答えた。
「ええ、また連れてきてくださいね。
今度はお花の咲いているところがいいわ。」
ああ・・、とうなずきながら、タムトクはじっと考えていた。
サトにはあんなことを言ったのに・・・、とタムトクは思った。
今度は、明日ではなく、花の咲いているところでもなく・・・、
その言葉を胸の中でくりかえす。
ほんのわずかな沈黙に、
彼女が、ん?というように、小首をかしげる。
風の中でたたずむタシラカ・・・。
タムトクは彼女の手を取った。
「姫、・・いや、タシラカ、今夜、訪ねていってもよいか?」
風のざわめきが大きくなった。
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