2009/09/21 04:57
テーマ:身体 カテゴリ:その他(その他)

sepsis(゚ロ゚;)エェッ!?


もう、びっくりしました。たまげました。目が点になりました。
敗血症(sepsisi セプシス)って穏やかではありません。ヨンジュンさんに何がおきたんでしょう。
少ない情報からいろいろと考えてしまいました。

敗血症(sepsis)とは血液の細菌感染です。普通に生活している人がなかなかかかる病ではありませんね。どちらかというと合併症に近いものです。

人間の体は細菌を体内に入れないよう様々なバリアー機構をもっています。それが破綻してなんらかの原因で菌が入り込んだんですね。血液の中に菌が入っただけなら「菌血症」といい、その菌に対して体が抵抗をして戦っている状態を「敗血症」といいます。場合によっては細菌が死ぬ時に出る毒素(エンドトキシン)でショックになることがあります。

ヨンジュンさんがなぜに菌に犯されたのか?そこが腑に落ちません。
いきなりsepsisだったのでしょうか?通常は侵入場所でバリア機構による戦いがあるはずです。免疫機能が落ちていたということですが、風邪ではなく体内まで入っちゃったんだから、私から言わせると「そんなに?(゚゚;)」です。免疫は侵入者があったことを侵入口で感知できないほど働いていなかったのでしょうか。そうだとしたら、それ自体が重症な疾患です。免疫機能が低下している、つまり自分の体を自分で守れない病気ということになります。

ヨンジュンさんは仕事が忙しくて免疫機能が落ちていたということでした。食に気をつかい、健康に気をつけている方なんだと思っていました。無理をした?どんな無理をしたんでしょう。
食べていなかったんじゃないか、栄養不足じゃないかって思ってしまいます。睡眠不足くらいではなかなかsepsisにはなりません。それとも何か持病がある?sepsisに陥る前段階の変調はどんなものだったんでしょう。

ちなみに風邪(感冒)は、菌血症前にバリア機構が働いていることです。なんらかの細菌によって局所で戦いがおきると、肺炎とか、歯肉炎とか、膀胱炎とか、腸炎とかという名がつきます。その局所での防戦がおいつかないと体内に菌が侵入してきます。
ただ細菌感染がなくても炎症はおきます。炎症は感染したことではありません。異変に対する生体側の働きのことをいいます。免疫機能が亢進または混乱している人は、異物がなくても戦っちゃうときがあります。


ヨンジュンさんはsepsisですから、血液中に菌が入って炎症がおきたということになります。どこのバリアが破綻したんでしょう。
人間が外界と接する場所を考えると、気管支や肺という呼吸器系、腸粘膜などの消化管、膀胱や腎という尿路系、皮膚、口腔(歯とか)のどこかということになります。もちろん、怪我をして傷があればそこからというのも考えられます。注射などなんらか針を刺す行為があったとしたら、そこからも考えられます。
局所の炎症がなくていきなり菌が血液に入ったとすると、私たちなら点滴のカテーテルとかを疑います。発熱しただけでカテーテルを交換しますもの。でも、ヨンジュンさんは入院していた人じゃないものね~。

呼吸器系は外の空気を吸うので菌が入りやすいです。扁桃腺はバリアの一つです。痰が出るのもそうです。皮膚は常に外と接しています。消毒で皮膚のバリア機構を崩すことがあるので、最近は怪我をしても消毒しないですよね。
体内だと思いがちで、でも体の外なのが消化管です。人間の体はちくわのようなものなんです。口から肛門までの通路は厳密に言うと体外です。腸の中は菌だらけですね~。細菌は栄養素を分解してくれる大事な共存者なんですが、、緊張して腸への血流が少なかったり、菌のバランスが崩れたりするとバリアが破綻し、そこから血液内へ侵入してしまいます。腸バリアってものすごく大事です。絶食はバリアを壊すことにつながりますから要注意!


そろそろ退院するということでした。でも、免疫力の落ちた状態はすぐには復活しませんよ。治療薬を投与したからといって、免疫力はつきません。栄養を充分とって、細胞たちが再生するのを待つしかないのですから・・・。出版記念会見、来日、ドームのイベントと行事が続きます。やめた方がいいんじゃないかな~。免疫力が落ちてsepsisになったけど、sepsisそのものもまた免疫力を使い果たしてしまいます。次の感染を招くおそれがありますよ。


ヨンジュンさんは自己コントロールの優れた人であると思っていました。でも、健康に関してはうまくないですね。無理をする方であるかもしれませんが、それは褒められたことではありません。コントロールできていないということですもの。コントロールというのは自分の思い通りに体を変化させることではありません。自分を知ってバランスをとることです。無理のできる体に鍛えることは大切ですが、鍛えてばかりでは崩れてしまいますよ。


体調を崩したヨンジュンさんに医療従者視点で物申してしまった私でした。
こじれないで回復に向うことを祈っています。


2007/04/23 01:05
テーマ:HN(ソクラテス)について カテゴリ:その他(その他)

茶臼岳

Photo

先日、知人たちと那須の茶臼岳に登山をしました。まだ残雪がありましたが、天気が良くて遠くまで見渡せ、眼下には那須高原が広がり、とにかく爽快でした。ここは車とロープーウェイでかなり高いところまで行けるので、1900mの頂上までは約1時間ほどで登れます。イオウガスの噴出する山で、写真でわかるように草木がなく、ゴツゴツした石や岩ばかりです。急な斜面ですから、登りはじめからかなりゼーゼーしてきます。苦しいです。こんな苦しい思いをして、なぜ登るんでしょうね。

 

今回は私のHNが“ソクラテス”となったわけについて記したいと思います。こんな堅苦しいHNで登録してしまい、本当はちょっと恥ずかしいです。下記の言葉から拾いました。

 満足した豚であるよりは不満をもった人間であるほうが、

 また 満足した愚か者であるよりは不満をもったソクラテスで

 あるほうが、より良い                【J.S.Mill】

これは19世紀イギリスの哲学・経済学者であるJ.S.ミルの有名な言葉です。彼の書物は福沢諭吉など自由民権運動の人々らに大きな影響を及ぼしたそうですが、私は彼のことをきちんと学んだわけではありません。また、彼の著書を読んだわけではありません。たまたま、19世紀のイギリスについて調べ物をしているときに出会い、この言葉を知りました。なので、浅い知識と偏った考え方で理解しているかと思います。

ミルのこの言葉は、ベンサムの『功利主義』である「人間の行為の根本的動機は快楽を求めて苦痛を避けること。快=善=幸福」をやや改変した思想の中で述べられています。ベンサムの主義は幸福と満足を混同して考えられているといわれ、「豚の快楽主義」と非難されたようです。また、社会の中の多くの人々が幸福であること、つまり「最大多数の最大幸福」を目標としたそうですが、利己の快楽を追うことと社会の幸福の繋がりが明確になっていないようです。

 

ミルは快楽は量ではなく質に価値があると言っています。また、人が本当に幸福を感じるのは自分の能力を活かして満足を得たときであるということです。つまり、快楽には高級なものと低級なものがあり、人間の知的活動が生み出した高級な快楽が人間を幸福にするのだ・・・と私は彼の言葉を理解しました。

この考えは人は進歩する存在であるということが前提となります。上記文の“豚”と“人間”、“愚か者”と“ソクラテス”の違いで、それが低級な快楽と高級な快楽に繋がるようです。そして、「個性の自由な発展が人の幸福に必要な要素である」と、人の進歩には自由が必要であると『自由論』に記しています。自由とはわがまま勝手に振舞うことを言うのではありません。他人に迷惑をかけない思考、感情、意見、生活などのことでです。

 人は自分自身に対しては、すなわち自分自身の精神と

 身体に対しては、その主権者である      【J.S.Mill】

幸福はそれ自身を直接目的として得られるものではなく、何らかの理想(例えば他人の幸福、人類の向上、芸術・学問など)を目標として追求したときに副産物として得られるのだそうです。幸福になるということは人間らしく生きていくということなのかなと考えます。しかも、常に“より良い”を目指して自分を進歩させていくこと・・・ウーン (Θ_Θ;)

社会の幸福の増大は個人の幸福の増大によるのだそうです。

 

私が考えられたことは以上のようなことです。ちょうどヨンジュンさんに夢中になり始めた頃にミルの思想との出会いがあり、何か一致するものを感じました。そのため、私はHNを“ソクラテス”にしたのです。哲学者としてのソクラテスについては何も知りません。

一生は有限なものですから、どうせ生きるならより幸福でありたいと思います。幸福はとりあえず欲求を満たすものではなく、能力を最大に活かして何かに取り組んでいくことであるとミルについて斜め読みして学びました。

最近の殺伐した事件を知るたびに、人間の能力ってなんだろうと思います。自らの欲求が満たされないことで他人を傷つけたり、命を奪ったりします。現代社会は生きていくことが難しいのか、人の生きていく力が落ちたのか・・・。そんなことも考えてしまいました。

 

ミルは倫理学を「人間性と人間社会についての科学に対応したアートの一部である」と言い、社会科学方法論として三段論法や帰納法についても書いています。知能指数が180であったという頭脳をもった彼について、私がきちんと理解できるはずもなく、このブログをまとめるにあたって、古い本をひっぱりだしてきました。

 

ところで・・・山に登ることは私にとっては快楽を得る行為のように感じますが、幸福に繋がるかは自分しだいなんでしょうね。

難しくて肩の凝りそうな話題になってしまったので、春の那須で撮影した花たちを最後に掲載します。

 

       ヒメオドリコソウ            キクサキイチゲ

 

 

     コブシ                       つくし

 

また、長いブログになりました。読んでいただいた方、感謝いたします。


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