2007/04/28 22:22
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

初夏の通勤路

Photo

新緑のケヤキ並木の突き当たりは、色鮮やかなツツジの壁です。

これは現在私が通勤の途中で出会うことができる風景です。角を曲がってこの道に入ると、迫り来るようなつつじの壁から目が離せなくなります。私の受けたこの印象をなんとかカメラに収めたいと思い、写してみました。( ̄ヘ ̄)ウーンやや不満です。

自分が普段感じているものがこの写真にはないというか、違うんです。私にはもっとツツジが浮き上がっているように見えるんです。

 

人間の眼っていうのは、自分の見たいものが見えるようになっている・・・というと、それはちょっと哲学チック過ぎます。まあ、現実に今映っている像が必ずしも記憶に残るわけではありませんから、そういう意味では“見ている”ものが“見えた”ものではないと言えるでしょう。つまり、“見えた”は入力された視覚信号の記憶であるということです。

さらに、常に眼球は上下左右に動き、瞳孔は大きくなったり小さくなったりして脳に視覚信号を送っています。ですから、私が記憶している像はある一定期間に入力されたムービー映像から作られた絵であるとも言えるのではないでしょうか。

記憶して思い起こした絵は視覚で映した像と一致しません。記憶は人が生きてきた時間分が混在しているわけですし、様々な感情や視覚以外の情報(音、温寒、匂い、平衡など多くの感覚)によって同じ風景でも違う像として記憶されます。眠っている間の夢が記憶されることもあるだろうから、人が認知している現実は個人的なものなんでしょうね。

 

私がここを通るときに描く絵は、その時の私の頭の中にあるわけで、カメラで表現するのは無理なんだ・・・と結論つけることにしました。それでも、写真は自分の描いた絵を再度思い浮かべる手伝いをしてくれます。絵を浮かべることができるということは、その時に自分が感じたことを再体験することなのかもしれません。また、それはその時の自分を懐古することなのかもしれません。

 

さいたまアリーナのイベント『April Snow~再会~』の中で、私には忘れられないヨンジュンさんの言葉があります。

 「インスはあまり写真を撮るのが好きじゃないみたいです。」

インタビューで最近は写真を撮っているかと聞かれての返事でした。カメラ好きなヨンジュンさんがインスの時は撮りたくなかったということです。この言葉を聴いた時「なぜ?」と私は考えました。インスは自分を懐古したくなかった・・・?あまりに辛い体験をしていたと想像しました。

人は変化するものですから、ある辛い体験で傷ついた心も新しい体験を積み重ねることで変わっていくでしょう。辛かった体験も別の記憶と混ったり、風化したりして、再体験では違うことを感じるかもしれません。それは辛い体験だけでなく、どんな体験も同じです。

 

カメラで自分の見ているものをコピーするように写すことはできません。それは悲しいことですが、自分の眼では見ることのできない絵もカメラは造り出してくれます。それは楽しいことで、自分の記憶に取り込んで私の現実認知に影響を与えていると思います。

 

写真を撮ることが好きな私ですが、ただ好きなだけでいつもカメラ任せにシャッターを押しています。デジタルカメラはファイルに撮影情報が数字として記録されています。今回、上記写真の情報をちょっと自分で考えてみました。より自分の記憶に近い像を撮影する手がかりが得られるかもしれないと思って。

結果、望遠にしたらいいのではないかと考えました。私の使用しているレンズは17~85mmのズームレンズです。上記写真のデータは81mmとなっていました。最高の85mmまで望遠にして撮影したら、遠くのものがもっと引き寄せられて、ケヤキにツツジが接近して見えたかもしれないと思いました。ちょうど1/20に掲載した東京の街の写真のように。どうなのかな。。。o(゚^ ゚)

 

  

道の近くでみつけたクローバーのじゅうたんとタンポポの綿毛です。


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