2008/01/21 05:17
テーマ:太王四神記 カテゴリ:趣味・特技(その他)

子供

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今夜は『太王四神記』の第7話の放送日。ストーリーが進む前に思っていることを記しておきたいと思いました。先を知ると別のことを考えてしまいそうなので・・・。

 

子タムドクが子キハに「一生懸命戦い方を学べばよい王になれるのか?」と話した場面があります。その時キハは「私はただ 王子様にもっと強く俊敏になってほしいです。もし危険な状況に直面してもケガをせず逃げてほしいのです。」と言います(思います)。

キハはタムドクを見守る母のような存在だなあと思いました。タムドクの母は彼が生まれた時に亡くなってしまったのでしょ。彼は母がいなくて寂しくはなかったのでしょうか。父や周囲の人々が彼を慈しんで養育したから大丈夫だったのかな。また、母子関係で築かれる大事な心の成長がとてもうまくいったんだなと、勤勉でがんばりやで素直なタムドクから感じます。

タムドクは5つ年上のキハにはやさしい母性を感じるのではないでしょうか?上記の場面の最後にタムドクは「いつも振り向けば見えるところにいてほしい」ということを言っています。タムドクにとってのアニマがキハなのかなと思います。男らしくなるということは自身の中のアニマを排除して他に求めていくことです。また、大人になった時にそのアニマに似た人を異性として意識していきます。母に似た女性を好きになるということですが、それはユングの普遍的無意識の一つです。運命という言葉がそういうことなのかもしれません。

  

 

人は生涯にわたって心と身体は変化していく存在であり、その変化を発達と言うそうです。発達の節目にはその時期に応じた課題があり、達成させながら自己(self)を統合させていくのだそうです。

タムドクがキハに「一生懸命戦い方を学べば・・・」と言った時期は、様々なことを学んで喜びを得ていく、現在でいう小学生くらいでしょうか。仲間と共に社会にある法則を学んで能力を獲得し、その力によって何かを成し遂げていけるようになります。それは、自らの力でがんばって成功する(承認される)と有能感を得られるということです。もしできなかったりすると劣等感をもつとのこと。つまり、喜びには忍耐や苦痛も伴うことを学ぶ時期のようです。養育者が達成可能で価値観をもてるような課題を与えて評価・承認していくことが大切になるようです。社会における自己価値を大きく決めることになるからです。

キハに「いつもそばにいてほしい」の意味はタムドクにとって失敗しても支えてほしいという意味なのじゃないでしょうか。何をやっても駄目な人間だと自分が思わないように・・・。成長したキハはそういう存在になっていましたね。ホゲの母のことで少し劣等感をもったタムドクをも理解して見守っています。

 

  

 

第6話はタムドク、キハ、ホゲが自分は何者かを少しずつ認識していくところでした。自分の思っている自分と社会の求める自分を一致させていく時期になりました。自分が自分であることを確信することを“アイデンティティ”といいます。つまり、「本当の自分とは何か」「自分は何をやりたいのか」「自分は何になりたいのか」を知るということです。

これは2つの側面から感覚していくということでした。一つは社会性から認める感覚で、他者との関係の中で他者との共通性と自分の独自性を感じることであるとか。もう一つは歴史的感覚で、自分はどのように育ち、現在の自分に繋がっているのかを感じることで、そこから未来はどうなるのかをイメーシできるようになるとか。

 

アイデンティティができると自身の人生の選択が可能になります。何かを決断しなくてはならないとき、しっかりと自分で決定できるようになるということです。しかし、このアイデンティティを確立するということは、実は可能性を捨てることでもあるということでした。子供のころのたくさんの夢を捨てて、一つの道を切り開くというか・・・。切り開くというとカッコイイのですが、実はとても辛い作業です。

『四神記、第6話』でキハはその辛い作業をしていましたね。火天会に属するものとして、朱雀である自分を自分として認め、タムドクとのことを捨てようとしていました。タムドクの母性的存在にあったがため、かなり苦しい選択なんだと思います。

 

じゃあ、タムドクは?ヤン王がチュシンの王として彼の存在を明らかにしようとしている反面、タムドクはキハに「神官をやめろ。自分も太子をやめて宮殿を出る。」と言って行動しようとしています。大まかなストーリーを知っているだけに、これは大人になりたくない、アイデンティティ確立からの逃避であると考えてしまいます。キハを母性とすると、それに守られて生きていきたいということです。このようにアイデンティティ確立を先延ばしにすることを“モラトリアム”というそうです。

第7話ではタムドクが自分の歴史を認識したり、周囲の人々と対立したりするようです。これはタムドク自身の心の葛藤も相当なものであると想像できますね。もまれて大人になるタムドクが楽しみです。

 

アイデンティティ確立は青年期におきるとされていますが、現代社会はその時間が長い、もしくは生涯がモラトリアムである人もいるとか。「自分がわからない」などと言っている私も実はそうだったりして・・・。

アイデンティティがうまく確立できないとどうなるか・・・。自分が何者であるのかわからなくて不安定で、人生の選択が自分でできなくなります。アイドル、宗教、群衆、政治などに過剰に自己を同一化し、反社会的行動に繋がる否定的アイデンティティとなることがあるそうです。現代社会の問題なのかもしれませんねえ。

 

なんとか第7話が放送される前に私の頭の中を記事にすることができました。ε=(・o・*) フゥ

上記の写真は日比谷公園で遊ぶ子供たちです。遊ぶことは仲間とのコミュニケーションであり、社会のルールを学ぶことであり、身体の動かし方を学ぶことであり、何か科学的なものも見つけられるかもしれない機会です。

シーソーに乗っているのは私の妹と母親べったりの甥。

それから渋谷ハチ公前交差点。世の中にはたくさんの人がいて、それぞれの人生を社会の中で歩んでいるよってことで・・・。

 

 


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