夜景の見える部屋
先日から自分探しをはじめた私。どんどん内向的になっているのか、現実の仕事がはかどりません。それでも、今日はがんばってパソコンに向かい集中して作業を行ないました。一区切りつくところまででき、やったー!と安堵したのが21:30でした。ファイルを職場の人に送っておこうとしたら・・・
ナイ!! ◇ミ\(°ロ°\)三三(/°ロ°)/ミ◇ ナイ!!
ファイルが昨日作成したままで保存されているんです。日時が更新されていないから、上書き保存されていなかったということになります。そ、そ、そんなあ。゚゚(>ヘ<)゚ ゚。ビエェーン
私、いつもできるだけ細かく保存しながら作業するんです。こういうことが恐いから。ブログ書くときもそうです。10回くらい保存しながら書いてます。(いつも長いからねえ)
今回の失敗の原因はなんだったんでしょう。もしかしたら別の場所に保存してあるかもしれないと思い、パソコンのドライブを全検索して捜しました。ヒットせず。今はもうあきらめです。
こんな時、このノン・アクティブな自分が嫌ですね。記憶の新しいうちにもう一度作業すればいいのに、やる気ゼロですもん。時間ないのにな。
『太王四神記』のOSTが届いて、今日はずっとかけています。iPodにも入れたので、通勤でも犬の散歩でも聴けます。曲を聴いていると、戦ったり、馬に乗って駆けていたり、苦痛な顔したりのヨンジュンさんが浮かびます。私のこころを随分と刺激してくれるOSTです。
ちょっと気になっているユング心理学。OSTを聴きながら本を読んで現実逃避することに決めました。
12/5の記事でヨンジュンさんにアニムスを感じているかもしれない・・・ということを書きました。どうなんでしょ。
ユングは人のこころを球体と考えて、中心に自己という核があるとみなしました。そのこころの表面の一部の明るい部分が意識で、自我はその領域の中心だそうです。残りの球体の多くの部分が無意識だそうです。その無意識の中には様々な特徴をもった「元型」という原理の象徴みたいなものがあって、私たちの意識に影響を与えているそうです。
元型は人類に普遍的に備わっているもので、あらゆる人が同じようにもっていて、それを意識化していくことが自我確立ということらしいです。自我の確立は元型との闘いでもあるようで、特に独立するときは生育の元型である太母との闘いになるようです。
プラスと認めた価値は賞賛します。マイナスと認めた価値は自分の内に追いやり、他人にそれを見つけると否定し、憎んだり撃したりそうです。そういうのを生むのが「影」という元型なんだそうです。その攻撃する悪いもの(恐ろしいもの)を人間は、昔から鬼とか妖怪とか非現実的な対象に投影してきたようです。
アニマとアニムスという象徴で表現される元型については、先日書きました。社会からの「~らしさ」という価値観に影響を受けて、反対を内に押しやっているということのようです。人間だれしも両方の元型をもっているのですが、無意識へ押しやられてしまうためにもとめていくのでしょうか。また、それぞれの象徴はその人の無意識の世界へのガイドにもなるとか。ヨンジュンさんは果たして私のアニムスの投影でしょうか。
精神の元型というのがあって、本能や欲望を否定する原理だそうです。つまり、現実の世界に対立するもので、自分を高めようとする宗教的な現象の中にみられるものだそうです。堕落を許さない激しい怒りももちあわせますが、その象徴は知恵や意味を与える賢者、指導者、救済者のようです。
どの人もこのような様々な元型を無意識の中にもちあわせていて、それを意識化して人格に統合していくのが望ましいということです。統合するというのは、いろいろな対立する原理をうまく使い分けられるようになることとか。どれかを押しやってしまうと、その元型にこころがのっとられて操られてしまうそうです。
「自己」という核はその人の全体性のシンボルになるといわれ、曼荼羅のようだそうです。ただ明るく光を持つものではなく、内には闇や悪など対立する要素も含んだ調和であるとか。「(´へ`;ウームだんだん理解が難しくなります。
醜いところも、神的なところも持ち合わせているのが人間だっていうことで、それを意識化して、無意識に欺かれないで生きていくことをユングは言っているようです。また、ユングは人類の歴史はこの意識化の歴史と言っています。人が神としてあがめていたものを仏陀が理念という形に意識化したとか、戦争と言う体験もその一つ・・・かな?
ヨンジュンさんがその意識化をうまくしているように思ってしまうのは、私が恋しているからかな。俳優という仕事を通して、自分の内に潜むいろいろな元型を見つけているように思います。
また、『太王四神記』がファンタジーな英雄伝説であるということで、人間の自立、自我の確立、無意識の意識化の過程であるかもしれないな~~というのが私の考えです。まだ2話しか観ていないのにこんなこと言っていいのかしらん。ま、私の個人的考えで、私の自分探しの旅ですから。
メンテ中のブロコリさん、画像貼り付けたら駄目なのかな。
今日の写真は、先日東京へ行った時にホテルの部屋から撮影したものです。パソコン開いて、コーヒー飲んで、夜景見て、ボーっとした・・・というところですね。
少し広角にするとこんな感じです。シックなお部屋でした。 窓の大きいホテルの部屋っていいですね。小さいと私は圧迫感があって恐いんです。エレベーターとかも好きじゃないのですが、私の無意識の世界に何があるのでしょう。 |
ところで、パソコンのデスクトップは昨年の“BYJ Classics”の蓄音機とヨンジュンさんですね。1年経ったから、先日タムドクに変えました。
真ん中の写真は宿泊したホテルのロビー付近です。
影絵
写真が・・・あれ?貼付できるみたいだよ。(12月13日)
師走になると、今年一年を振り返っての行事が多くなります。来週になると忘年会が・・・。お世話になった人たちにお礼をしつつ、来年もよろしくといいつつ、飲んで騒いで語ることでしょう。
私の今年を一言で言うと、両親の老いと病気を感じる年だったでしょう。親に頼りきって生活してきた私。その力が小さく弱くなっているのを実感してしまいました。自分のことが自分でできなくなっていく親を受け入れなくてはいけませんでした。
先日、第49回日本レコード大賞の各曲が決まったそうです。金賞の中から12月30日(今年は大晦日じゃないそうです)に大賞が決定されますね。
私としてはコブクロの『蕾』が好きです。CATVの音楽専門チャンネルでこの歌のMVを見た時、なんとも言えない切ない気持ちになりました。
夕方(だと思う)自転車を一所懸命にこいでいる男の子。次にその自転車の灯りで影絵が映されます。いろんな動物の親子のコミュニケーションです。それを見た男の子は息を切らしてアパートの階段を駆け上がり、家に飛び込んでいきました。きっと、早くお母さんに会いたくなったんだろうなあって思います。ドアをあけた男の子の嬉しそうな顔でMVは終わっています。
↓ここで見れます。
http://www.dailymotion.com/video/x1jpfy_full_music
自分も親の顔を見たくなるビデオです。
レコード大賞の企画賞の中に「ブラバン!甲子園」というのがあり、目に止まりました。私には懐かしい曲のアルバムです。アルプススタンドで汗だくになりながら楽器を吹いたことを思い出します。甲子園の応援では吹いていませんが、このアルバムの中にある♪海のトリトン♪が聴きたいですね。中学生の時、トロンボーンで吹きました。
年末には妹が子供を連れて帰省します。レコード大賞という年末の行事を久々に家族で楽しめればいいなと思いました。
写真がここに掲載できるようになったら私の影絵を載せます。夕日が差し込んで襖をオレンジに照らしていたので、つい影絵を作ってみたくなったんです。片手でカメラを持ち撮影しながらだったので、片手だけの作品。凝ったものができませんでしたが・・・
【12/13追記】
新しい写真の貼り付けができました。影つながりで散歩中の私たちの影を載せてみました。
ツワブキ
ヨンジュンタムドクに恋する自分を考えている時、たまたま大学の講義ノートを目にしました。そしてユング心理学授業のノートに下記を見つけました。
無意識を意識の中に統合する 『自己実現』 “個性化”
最近、自分の演出方法がわからなくて混沌としていた私。(混沌の原因は、ヨンジュンさんに恋していることではなく、日々の自分に不安があってのことです。)ユングのいうアニマ・アニムス・老賢者・グランドマザー・自我・自己とは何か、それぞれの繋がりはどのようになっているのかを知りたくなりました。それを知ると、もやっとした自分がはっきりしてくるような気がして・・・。
ユング心理学について知るうちに、『太王四神記』の1話を観て「あれ?」と思いました。これって神話の英雄伝説だよね。ということは、自分が道標にしようとしているユングの心理学の世界の映像化に近いかも(・・∂) ?
よくこなして理解していないのですが、ユングの心理学と自分、そして『太王四神記』を照らし合わせて考えてみました。
アニマは一般的に男性が描く理想の女性ということですが、人の無意識にある女性的部分ということかな。「性愛」「恋愛」「博愛」「慈愛」と成長していく(させる)ものとか。人との繋がりをもとめるための感情の象徴ということでしょうか。
アニムスは逆に女性が描く理想の男性ということらしいです。理性・合理性・行動力とかいう判断をつけるもののようです。「力」「行為」「言葉」「意味」と段階をふむようです。
それぞれがうまく発達した象徴は「グランドマザー」や「老賢者」というもののようです。グランドマザーは“母なる大地”というすべてを包み込んで育てる母のような力だということです。女性性の究極的な成長でしょうか。ところが、これが過剰になると育てる力が破壊する力になるとか。ん?『太王四神記』のセオ→黒朱雀ってことですかね。
「老賢者」とは英知と指導の象徴で正しい場所に導いてくれる力なのだそうです。男性性の究極的な成長段階です。そう、ファヌンてことですか?
授業ノートなどから、自分が無意識で求めているものを意識化していくことが自分を成長させ、自己実現に向うことと理解しました。混沌とした私は何か変化したいということかもしれないと肯定的に今の自分をとらえました。無意識の中に抑圧されたものを見つめて意識化する、つまり自我にとりいれていくことです。それは、自分の何らかの行動として表現されることで自覚するものかもしれません。今、その内容は浮かびません。
タムドクヨンジュンさんに恋する私はそこに自分のアニムスを感じているのかもしれない・・・。そうも思うのです。『太王四神記』のストーリーに自己のこころの投影ができるのなら、私の悩みや不安が少しずつ解けていくかも~~
なんだかとても抽象的な内容のブログになってしまいました。そんな私、実は先日、1泊2日で師走の東京へ遊びに行きました。出かけたのは丸の内~銀座界隈です。最近注目を集めている場所なので。週末ということもあり、とにかく人が多かった~~( ; ̄) =3
私は自分がわからなくなると、ひとりでどこかへ行きたくなります。ある日急に出かけたくなるものなのですが、社会から与えられた役割りを放棄するわけにいきません。数日先の状況を見据えて、実行日を決定します。
出かけるのにただ「自分探し」ではわからない自分が迷うので、行動目的を決めて出かけます。そんな時に便利なのはショッピングと写真撮影です。今回は「都会の夜景と紅葉を撮影する」ことを目的に出かけました。
東京は紅葉というより“黄葉”でした。紅葉の季節が終わり、黄葉したイチョウがの葉が落ちて冬を感じた景色でした。下記は東京駅を真っ直ぐ皇居方面に歩いたところです。銀杏並木の先に二つの丸ビルにはさまれた東京駅舎が見えます。
上の写真は日比谷公園で見つけたツワブキです。先日、kyomaikoさんのブログでこの季節に咲く花ということで知りました。黄葉の葉の下でさらに黄色の花が夕日に照らされていたため、黄色の空間に入った感覚でした。きれいでした。
夜景は次の機会に載せます。
【12/13修正】
以前掲載した写真を削除し、新しく貼り付けました。同じものですけれどね。
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