2007/11/29 05:37
テーマ:仲間 カテゴリ:趣味・特技(その他)

緊張

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先日、とあるイベントスタッフとして東京ビックサイトに行きました。イベントの参加者は約600名。4つの会場で2日間のプログラムでした。

ビックサイトが前日から使えないということで、開場から受付開始までなんと45分しかありませんでした。前々日の夜中にマニュアルがメールで届いて自分の役割りを知り、朝ミーティングでチームメンバーおよびリーダーと作業内容を確認し、行動開始です。

スタッフは実行委員長の呼びかけで全国から集まってきた人たちです。顔や名前を知っている人ばかりではありません。そしてすべてのスタッフが素人で無償の手作りイベントです。トラブルがあったもののプログラムは時間通り進行し、成功に終わったと言えます。上記の白黒写真は、「これから受付開始!」という一番緊張している受付嬢たちです。

 

実はこのイベントでの私の仕事は、なんとカメラマン!!実行委員長が私の写真好き、カメラ好きを知っていて割り当てました。撮影の被写体は演者、司会者、そしてスタッフです。リーダーなしのチームなしで、ひとり会場内をあちこち歩き回り、ファインダー越しにみんなの働く姿を追っていました。初めての経験でしたが、楽しかったです。

旅行や宴会でスナップ写真を撮ることはありますが、これまで真剣に働いている人の姿を撮ったことはありません。他人を撮影するのにはプライバシーを考えて、許可が必要ですよね。やたらファインダーを向けられません。だから、今回も参加者は原則的に撮影していません。撮ってと言う方(知り合いかな)はお撮りしましたけど。

スタッフに対してはその姿を撮って欲しいという実行委員長からの命令がありましたから、いろんな人にフアインダーを向けました。アングルや表情の瞬間が定まらず、ファインダーを向けたままじっとしている時間もあったと思います。向けられた人は気になってしまったかも?

 

集中している人の顔って素敵ですね。美しいです。また、それがちょっと緩んで笑顔を見せた顔もまたいい。自分も同じように緊張したり、微笑んだりしてしまいました。きっと感情がそのまま素直に顔に出ているんでしょうね。繕っていない表情というか・・・。できるだけ、そういう活き活きとした姿を撮りたいと思っていました。

それにしても何気なくさっと撮影する難しさよε=(・o・*) 風景以上に瞬間が短いって思いました。 また、照明の落ちている中での撮影の難しさよε-(´・`)スローシャッターに泣かされました。

下記はイベントが終了し会場を片付けているスタッフたちです。

  

 

人の表情はその人のその時の感情を映し出すものです。タムドクヨンジュンさんの表現について、AERAの記事を読んで私は震えてしまいました。まだ自分はその彼を充分には見ていないのですが、何かとてつもない大きな人物を想像したからです。“演技する”ということが自分をどのような状態におくことなのか私にはわかりません。けれど、王としての喜怒哀楽を映したヨンジュンさんは実際にそれを感じているのでしょうね。

ますます恋しくてドキドキしてしまう私でした。

左は会場から撮影したお台場の夕日です。この日は昼間曇りがちで、青空の写真が取れませんでした。しかし、日が沈む頃ちょうど雲間から太陽が出てくれました。

右は東側の撮影です。葛西臨海公園の観覧車が見えました。これもガラス越しなので、室内が写らないよう苦労しました。デッキに出て撮影できればよかったのに・・。

今週末、また東京にカメラを持って出かけようと計画中。落ち葉の舞う並木道や、イルミネーションのきれいなビル街、クリスマスモードの店舗を撮影してみたいのです(本当は期限切れ寸前の新幹線回数券があるから)。青空が出てくれると最高なんだけどな~。

 

 


2007/11/27 19:34
テーマ:日常 カテゴリ:趣味・特技(その他)

カフェ

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まったりした気分でCafeでコーヒーを飲むのが好きです。セルフサービス型のチェーン店は何時間もいられるので、本を読んだり、手紙を書いたり、勉強したり、ボーッとしたり・・・。特に平日の昼間はお客さんが少なく、コーヒーの香りに囲まれて、他人がいても自分の世界に入り込んでいます。自宅でない場所で自分の空間をつくるって不思議なものがあります。

家でコーヒーを飲んでもさほど味は変わらないでしょう。しかも、自室では周りに邪魔する人もなく、好きな音楽を聴け、自分の世界そのもののはずです。なのに、他人の目のあるカフェで長い時間をつぶしたくなるのです。なんででしょう・・・。

  

外出するということは化粧、衣装、髪型などなどをきちんとさせます。自宅にいるときのように上下ジャージですっぴんというわけにはいきません。まず、その行為が楽しいでしょう。

その日の天候や自分の気分に合わせて服を選び、鏡に向います。仕事に出かけるのともまた違う自分。誰かに会う約束があるわけではないのですが、なぜか化粧にも力が入ります。街で他人に見られるということがそうさせているのでしょうね。(自意識過剰な女?)

 

カフェのすっきりした雰囲気を楽しんでいると思います。自宅で感じてしまう生活感がなく、わずらわしいことから逃れ、一人でコーヒーを飲みつつ作る自分だけの世界です。以外にもテーブルは大きなものを選んで座ることが多いです。ゆったりと座りたいからかもしれません。

店内に流れる音楽でも良いのですが、他人の話し声はできればさえぎりたいのでiPodをしたままでいます。一人でいらっしゃるお客さんばかりでなく、グループでおしゃべりを楽しんでいる方もいらっしゃいますから・・・。

 

平日の夕方は高校生と思われる人たちで賑わいますね。私の高校時代にはこういうセルフカフェがなかったので、ちょっとうらやましいです。せいぜい喫茶店でしたね。まあ、まだコーヒーがおいしいという歳ではなく、パフェばかり食べていましたが・・・。そういえばサテンのテーブルはゲーム機になっていましたから、何時間も友と夢中になっていましたね。

今はひとりで本などに夢中になっていると1~2時間はあっという間です。多くのカフェが禁煙、またはしっかり喫煙場が分かれているので、タバコ臭さがなく、長居ができちゃうんです。お店の方はそういう人をどう思うのでしょうか。「コーヒー一杯で・・・」と思っているのでしょうか。でも、コーヒーは大抵大きなサイズのものを頼みますよ。

 

様々なチェーン店のカフェがありますが、どのカフェがお気に入りというのはありません。どこでもいい。できたら、紙カップでなくマグカップで出してくれるところが良いのですが。上記の写真はタリースです。

下記は昨年12月のCafe-Bです。このときはパソコンを持っていましたので、ここでブログの記事を書いていました。♪BYJ Classics / Hero♪が流れていて、多くのカゾクの皆さんが集っていました。

そういえば先週ここを訪れたとき、流れていた音楽はスピッツでした。へ~と思いつつ、iPodをはずして聴いてしまいました。誰の趣味の音楽なのかな。

 


2007/11/24 19:00
テーマ:感情と心 カテゴリ:趣味・特技(その他)

紙風船(ちょっと追記)

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ヨンジュンさんの怪我は演技ができるくらいであると公知を読み理解しました。もしかしたら、アクションシーンなど傷を負った部分に影響する演技は代役を立てているのでしょうか。そうだとすると、ヨンジュンさんは身体以上に心は辛いでしょうね。自分の描いた行動ができない悔しさを耐え、作品のために俳優として今どうすべきかを考え、方向修正されて取り組んでいることと思います。

自分を直接語らない彼。タムトクである彼の映像を見て、そんなことを考えてしまいました。

 

これまでもヨンジュンさんの演じたキャラクターに恋してきました。はじめはミニョンさん、そしてドンヒョク、インス、チャヌ・・・。みな違うキャラクターなのに恋してしまうのは元がヨンジュンさんだから?今度のタムトクにもドキドキしちゃっています。

私は『太王四神記』の放送はまだ観ていません。12月3日待ちです。現在はあちこちのHPやサークルで紹介された映像や画像からタムトクの人物像を想像しています(・x・ ).o0○また、ネタバレの記事を読んでストーリーやセリフを理解しています。

そんなことを繰り返していたところ、戦うタムトク、怒りの顔、スジニやキハを見る目、思案する姿などを見た私は心臓がバクバクするようになってきたんです。胸のキュンとする感覚。これはまさしく恋だ!゛ (゜・゜*しかもわりと重症・・・かも・・・。

恋・・・なんですよ。「愛してる」ではなくて「恋している」んです。“恋”と“愛”ってどう違うの?と少女のようなことを考えていると眠れなくなる私です。

 

ジャーン!ここで電子辞書の登場です。複数検索するといろんな辞書で引いたのと同じになるから便利です。

 【恋】

一緒に生活できない人や亡くなった人に強く引かれて、切なく思うこと。また、そのこころ。特に男女間の思慕の情。恋慕。恋愛。(広辞苑)

①{動・形}こう(こふ)。こいしい(こひし)。断ち切れずに心が引かれる。思いわびる。いつまでも慕わしく心が乱れるさま。②{名}こい(こひ)。男女が慕いあって思い乱れる気持ち。(漢字原)

love(和英辞典)

사랑 .  연애(日韓辞典)

 

 【愛】

①親兄弟のいつくしみ合う心。広く、人間や生物への思いやり。②男女間の相手を慕う情。恋。③かわいがること。大切にすること。④好むこと。愛でること。⑤おしむこと・・・など(広辞苑)

①{動}いとおしむ(いとほしむ)。いとしむ。かわいくてせつなくなる。②{動}めでる。好きでたまらなく思う。また、よいと思って、楽しむ。③{動}おしむ(をしむ)。いとおしむ(いとほしむ)。おしくてせつない。もったいないと思う。④{名}かわいがる気持ち。いとしさ。また、キリスト教で、神が人々を救ってくれる恵の心のこと。《類義:惜》(漢字原)

love ,affection,heart,など(和英辞典)

사랑, 애정(日韓辞典)

 

“愛”の方が対象が身近な存在のように感じますね。また、結構覚悟ができている状態とも言えましょうか。“恋”は落ち着かず相手に近づいて行きたい気持ちに思えます。ネット検索すると、恋はドキドキしたときめきで、独りよがりで、時間がいらないものと表現していました。それは愛と比べてどう違うかということなので、愛は現実的で、時間をかけて育て、相手を大切にするものだそうです。

さらに漢字源を詳しく見ると「恋」は「戀」。もつれた糸にけじめをつけようとしても容易に分けられない。それに心が加わり、心が様々に乱れて思い切りがつかないことのようです。ないものをほしがる「慕う」心と類似しているともありました。

 

私のタムトクに対する気持ちはまさしく“恋”です。ヨンジュンさんの演じた非現実な存在に対してもっと知りたい、見たい、近づきたいと思う自分勝手な心の動きですもの。しかもジェットコースターのように陥ってしまったのですから。

じゃあ、ヨンジュンさんに対しては?たぶん”恋”かな。彼の言動に一喜一憂してしまう私。画像を集めたり、カゾクの皆さんと彼の話をしたり、彼の持ち物と類似したものを欲しくなったりします。彼と近い存在になれるわけないのに、近くに感じたい心は乱れ、落ち着きません。でも、それが結構楽しかったりもするんですよね。

恋する相手の中に自分と同じものを探す、または自分が相手と同じでありたいと真似ることは同一化しようとしていることなのかもしれません。それは、相手の中に理想の自分を求めていることなのでしょうか。だから現実的でない方がいいわけです。

 

多くを語らないヨンジュンさんはそんな自分の役割りがわかっているかのようですね。怪我をした時でさえも“俳優ペ・ヨンジュン”として私たちの前に存在するということは、そういうことなんだと思いました。「痛い」「辛い」「苦しい」とかいう部分は自身の口からは表現しないのでしょう。それは私にとっては身近な“愛”の対象からは遠のくことであると考えられました。しょうがないか。

もしかしたら、後から今の辛さを語るかもしれません。でも、その時は困難を乗り越えて成長したヨンジュンさんが語るのだから、私が愛おしいと思ってもそれは過去の彼。やはりいつまでも自分とは近くない憧れの存在でしかないのでしょうね。ずっと切ない私だわ。

 

 

上記写真の紙風船ですが、便箋や封筒の束の中から出てきたものです。昔、季節を感じる便箋やお揃いの封筒を買うのが好きでした。今のようにインターネットや携帯電話のない頃は、よく友達に手紙を書いたものです。でも恋する人に自分の思いを綴ることは容易ではありませんでした。たぶん書いたことはあります。(@⌒ο⌒@)b ウフッ

本当は青空を背景に宙に浮いた紙風船を撮りたかったのですが、風で飛ばされちゃうし、シャッター押せないしで断念。そこで手に持って太陽の光を透かしてみました。

 

追記

コッキーさんのブログを読んで彼の恋を応援したくなりました。彼の彼女を慕うことで乱されつつある心が記事から伝わってきます。いっぱいドキドキしてね。駆け引きをしている時間ってすごい楽しいんだから・・・

 

 


2007/11/20 10:55
テーマ:家族 カテゴリ:趣味・特技(その他)

落葉の奈良公園

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11月も後半、赤・黄・オレンジ色に変化した木々の葉が地面を覆う季節になってきました。来年の春に新しい芽吹きを迎えるための落葉。土になるものもありますが、アスファルトの上のものは箒で掃かれてゴミ・・・かな。

 かきねの かきねの 曲がり角

 焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚きぃ 

環境問題で焚き火禁止になった?調べてみると、廃棄物の野焼きは厳しくなったとのことですが、落ち葉の焚き火くらいは良いようです。といっても、あまり最近はそのような風景には出会いません。

 

落ち葉で焼き芋の記憶はなく、芋といえば石焼でしょうかね。冬になると焼き芋屋さんの車が町内に出没します。焼きたてのホクホクはうまいです。我が家では数年前までストーブの上にアルミホイルにくるんだ芋を置いていました。どうも、母が芋好きのようです。灯油ストーブは年寄りに危ないということで最近は電気ストーブ&エアコンになってしまい、それができなくなりました。

ストーブで焼くものといえば、にんにく!風邪をひくと父が丸ごと焼いてくれました。子供の私にはまずく、食べたくないものでしたけど。今なら風邪じゃなくても食べたいです。お酒のつまみ~~。

 

もっともっと小さな頃、祖父母の部屋にいくと火鉢に炭火がありました。五徳の上のやかんにいつもお湯がわいていたのを覚えています。時々お餅や芋を焼いていたかなあ。祖母の真似をして火箸で炭や灰を動かしたりして・・・。もちろん熱い思いも何回かしました。その時使っていた陶器の火鉢はどこか家の隅っこで眠っています。

七輪に練炭を1日中つけていた冬もあります。おしることか甘酒とかの鍋が載っていました。夜になると火を小さくしてやかんをのせ、朝母が目覚めると窓を大きくして鍋をかけていました。昔の家は隙間風が入る風通しの良い家だったからそれも可能だったのでしょうね。土壁、畳、和紙など呼吸する材料も多かったことも理由でしょうか?機密性の優れた現代の家では気をつけないと一酸化炭素中毒かも・・・。

 

今日の写真は1995年11月20日撮影の奈良公園です。大仏殿の裏手あたりで何かを夢中に食べている鹿にであったので、そっと近づいていきました。もしかして銀杏?

この旅行は母と二人で行きました。まだ血圧も高くなく、足腰も丈夫なころなので、随分私は公園の中を歩かせたと記憶しています(6 ̄  ̄)ポリポリ。池の反対側から下記の風景に出会い、「あの鹿のところまで行くぞ!」と雨の中を急ぎ足で一直線に向ったような気がします。

公園内の他の場所も落葉はさかんで、下記のような場所があちこちにありました。

      

この時の旅は浄瑠璃寺方面や室生寺方面など、奈良の紅葉を堪能しています。一眼レフを持ってはいましたが、露出の意味もわからないころ。構図もいい加減。撮影データをメモるなんてとんでもないことでした。今見るとなんかピンとしません。

左は浄瑠璃寺で撮影した石鉢です。鎌倉時代と書いてあるので古いもののようですが、鉢の由来はわかりません。紅葉で覆われていてきれいだったのでパチリ。

 

どんな写真でも二度と来ない自分の歴史の1コマです。母と写真を見ながらしゃべることがあります。私が記憶していないことも出てきて、旅のことがより鮮明になり、そんな会話は楽しいです。


2007/11/19 09:33
テーマ:自然 カテゴリ:趣味・特技(その他)

草(追記)

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昨日東京に吹いた風は気象庁から『木枯らし1号』と認定されたようです。“木枯らし”とは晩秋から初冬の間に吹く風速8m/s以上の北よりの風のことをいうそうです。地球温暖化問題が叫ばれている近年、このようなニュースは季節がいつもと同じように変化していることを実感させてくれうれしくなります。

木枯しは『凩』とも書くようです。日本で作られた字だそうで、木を揺らす風という意味からきたのでしょうか。うーん、日本人ならではの季節ネタの言葉です。好きだなあ~~

 

こうなると我が家もストーブ登場です。寒さには暖をくれるものがなければ生きていけない・・・

最近購入した『自然力マガジン・WATER』という雑誌は自然と人とのつながりを考えるものです。そこに温暖化する地球を乗り切るサバイバル術という記事がありました。漫画もあってわかりやすく面白い内容です。

記事内容を要約すると、とにかく適応能力をつけるために小さいときから自然に触れることであると理解しました。人間の身体機能の多くは3歳くらいまでに基礎ができます。そういう意味で“三つ子の魂”は大切でしょうね。

 

エアコンという快適環境のもとで成長した人は自らの体温調節能力が発達しません。うまく汗をかくことができず、夏には熱中症になりやすいということでしょうか。この病気、昔はあまり注目されなかったかな。熱射病くらいはあったかもしれません。また、快適環境生活は寒さから体温を保持する力も衰えてしまいます。

アウトドアでの遊びから風・水・火などの力の恐さを体験することができます。それは自分を害するものからの備えを学ぶということです。きれい・汚いや危険・安全が何かは必ずしも目に見えるものではありません。自らの感覚を使って察知していかなくてはなりません。いつでも誰かが守ってくれる・・・では生きていけないのです。自然と触れ合って五感を磨くことがより良く生きることなのでしょう。

 

今年はインフルエンザの大流行の予感?大きな生物は小さな生物に滅ぼされるのではないでしょうか。私のブログ「夕焼け」の中にもちょっと書きましたが、小さな生物、つまり細菌やウイルスといったものは環境に適応してすぐ自らを変化させます。感染症から自分の身体を守るのは予防接種や殺菌剤・・・ではないと思います。やはり免疫力、抵抗力、体力という基本的な力でしょう。

何かに侵害された時の身体の変化はブログ「初冬の欅路」で書いたヨンジュンさんの怪我の変化と大差ありません。どこが侵されたかの違いです。自らの身体を修復する力をどのくらい持っているかが大事ということになります。『WARTER』の記事は“医食同源”を強調しています。薬がなんとかしてくれるのではなく、適応能力の高い身体をつくる暮らしが大切ということでしょう。

 

今日の写真はアパートが壊された空き地に生えていた草です。よく見る草なのですが名前を知りません。よく見るということは、適応能力の高い草と私は思いました。雑草という分類は人間に役に立たないという意味であまりにも人間勝手です。名前を知っている方がいたら教えてください。

下記はがんばっている草木の写真です。

岡山城の石垣

雲仙の溶岩

 

そういえばテレビで、利尻山の頂上付近で風に飛ばされそうになりながら咲いていたひなげしを見ました。根っこ1本で岩に着いているだけですが、子孫も残している草です。ナレーションでは他との生存競争に負け、ここでしか生きられなかったと。でも、ここで生きる力を獲得したとも言えます。

『WATER』のあるコラムに書いてありましたが、二酸化炭素が増えて地球が温暖化するのは植物にとっては好都合なのだそうです。

 

【追記】

MSNニュースのコラムに「溶けゆく日本人“快適の代償”」という特集がありました。自分のメモのつもりでここにそのURLを貼り付けます。

http://sankei.jp.msn.com/column/5241/clm5241-t.htm


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