2009/12/27 16:10
テーマ:感情と心 カテゴリ:趣味・特技(その他)

『涙の理由』

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クリスマスに同年代の方々とお酒を飲みました。おふたりは大学の先生で、学生実習を通じてお話するようになりました。一緒にお酒を飲むくらいにお近づきになれた先生たちは初めてです。それにしてもクリスマスの金曜日に3人とも用事がなかったというのはなんともはや・・・(*゚.゚)ゞポリポリ

3時間ほどおしゃべりしながら、おいしい料理を食べながら、ビールそして赤ワインを飲みました。一人の先生は全くお酒がダメなので、ふたりでワイン2本、つまりひとり1本のんだことになるかな。お酒が入ると気持ちが緩んでたくさんおしゃべりしてしまう私。ついつい職場の愚痴が出てしまいました。おふたりが私の愚痴を聴いてくれたという形です。本当は先生たちの話ももっと聴こうと思って、一所懸命話を振ったのですが、二人とも聴きだすのがうまくて、つい私が乗せられてしゃべっていました。なんだか、お兄ちゃんやお姉ちゃんとしゃべっているように暖かでした。

先生たちと話をしていて気がついたことは、今の私は孤独を感じているのだということです。先生たちも職場の組織で嫌なことがたくさんあるそうです。でも、何かあるとお互いの研究室に駆け込んで「ちょっと!聴いてよ!」と思いを分かちあっているのだとか。同士がいるということのようです。自分だけがそう思うのでないと知ることができ、話すことで感情が整理されて収まるのでしょうか。
「誰かに話せるといいのにね。」と先生たちに言われました。


最近、茂木健一郎氏と重松清氏の対談の本『涙の理由』を読みました。“泣ける”とは何ぞや、“人はなぜ涙を流すのか”ということを小説家と脳科学者が彼らの考えで突き詰めた本です。ちょっと言葉が難しいというか、立ち止まったり戻ったり読み返したりしてイメージを膨らませないと、対談の文脈がわからなくなっていまいそうでした。でも、このところちょっとしたことで涙が出てしまう自分、人が涙を流したいのはなんでだろうという興味があり、一気読みしてしまいました。
実は、この対談のおふたりも1960年代前半生まれで私と同年代なんですね~。まあ!世間を素直に見ていないところは似ていますが、やはり自分よりも知識や経験が豊富な大人に見えます。


“泣く”というのはよほどのことのはずなのに、“泣ける本”とか“泣ける音楽”とかいうのが世間に出ていることを彼らは懸念しています。

茂木氏は「お手軽に泣けるブーム」「優しさの談合」と言っています。笑い(微笑み)が優しさを示すものから攻撃的な嘲笑になって「自分の安全を守る談合」になり、涙が「自分は優しいという談合」になっているのではと言うことです。また「泣けた」は自分の責任であるが「泣ける」は作品の特性を表現しているもので、自分を棚上げにした匿名性があると。
これについては私も街頭インタビューで感じることがあります。「いかがでしたか?」とインタビューされた人が「〇△□で良かったです。」と答える人が多いからです。これって行事や体験の内容を評価している言葉で、自分がどうなのかということを言えてないように思います。“私”という個人が無いということです。

この対談の最初は“やるせない”という感情から入っていました。“やるせない(遣る瀬無い)”というのは受け入れがたい事態にどうすることもできずにどうしようもないさまということができるようです。対談では下記にように言っていました。

『平家物語』でも歌舞伎でも、人が自分では動かしがたいものに合わせようとするときに、矛盾が出てきて泣くんです。個人の力では、どうしようもない部分に合わせて何かをしようとしたときに、無理があるから涙がこぼれる。【茂木氏】

1枚の絵を見て、音楽を聴いてガーンという衝撃のように感動して涙することもあります。それは抽象的なものに向き合った時の涙で、得たいの知れないものにぶつかった感動であると重松氏は言っています。

涙は言葉にできない感情なのかなと思いました。感情の興奮を鎮めようと副交感神経が急に働いて弾けたようになった時に涙が出る・・・と私は思っていますが、そういう身体変化についてはこの本にありません。でも、涙を流す理由は人それぞれで、現実のやるせなさや抽象的で偉大なものにぶつかった時に、過去の体験や記憶などが複雑に絡み合って流すのかなあと考えました。

この本が一番いいたかったのは、涙を安売りするなということだと理解しました。「キレる」と同じように涙を流す回路のリミッターが低くなっている日本人がいるのかもしれません。そういえば、NHKの「Cool Japan」で“涙”を取り上げていたとき、日本人は泣くことが純粋でピュアなものだから隠さないし、すぐに泣きたくなると言っていました。なんでも泣くためのサークルもあるとか。泣きたい日本人がいることは確かです。私も含めて・・・。
   

大学の先生にこの本のことと、私が涙に興味があるのだということを話しました。するとお姉ちゃん先生は「私は泣かないからなのか、涙に興味をもったことはなかった。」と言いました。うへ?
泣きたい人ってなんだろ?「泣く」「涙を流す」ことはわざとすることではないのだが、そういう状況に自分をわざともっていって泣こうとする日本人がいるってことなんだよね。私を含めて。それって、やりきれない何かがいつもひっかかっていて、もう一押しして泣いちゃえってことなのかしら?

自分だけの涙を流すためには真剣に生きていかなければならない。「やるせなさ」や「やりきれなさ」に向き合わないとならない。【茂木氏】
それは、おしめが濡れて赤ちゃんが泣くというような、不快感やどうしてよいかわからない中で涙を流すという「涙のトレーニング」が必要だ。【重松氏】

現代の日本人は「やるせない」「やりきれない」不快感を発達段階であまり感じてないのかもしれません。その結果、「泣く」ことがブームになるような事態に陥っているということでしょうか。よくわかりません。
こんな言葉もありました。

泣くことはよほどのことで、「なぜ泣いたのか」を伝えることは「自分の一番大切なものを人に見せる」こと

自分の大切にしているものが非常事態になるとやるせなくなって涙が出そうになると解釈しました。そういうことかな。なんとなくモヤモヤ感が残っています。もう一度この本を読み返して、深読みしてみないとダメですね。


本日の写真はあまり記事とは関係ないですね。
タイトル下はカフェのお砂糖をドミノのように並べて撮影したものです。
次のがそのカフェで黒磯市のCafe SYOZOの店内です。
夜景は先日京都で撮影した大覚寺です。


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