謝罪会見から見えたもの
今回の謝罪会見の報道をあちこちで読んで、いろいろなことを考えました。
うれしいような悲しいような、複雑な気持ちでした。
その中で、ドラマ完成が遅れている理由として、タムドク王の人物像をとらえきれていないということがあげられていました。あれだけの歴史的な偉業をなしとげた理由は何か、そのことがこの作品に描けていないのだと。
金銀を見ても、キムPDは最初からこの難しい問題に触れていましたね。
答えは出さずに疑問形のままで・・。
ということは、最初からここに注目していたはずですね。
それが、ファンタジーとラブストーリーの融合という点に重点を置いて撮影していった結果(たぶん、CGを使うなど技術的な点でそれがかなり難しい部分だったのでしょう)、曖昧なものとなったままここまできてしまったのでしょう。
そのことに、キムPD自身気がついていたのでしょうが、まあ、それでもいいかと考えて、そのまま進行してしまったのではないでしょうか。
それは、ひとつには、BYJらスターを多数起用していること、CGという特殊技術を駆使していること、豊富な資金をかけた豪華なセットを使用していること、画像の美しさに自信があったこと・・・、など、ある程度満足できるレベルだったのでしょう。
しかしながら、ヨンジュンは満足できなかった・・。
彼は、彼なりにこのタムドクというキャラについて考え、これでいいのかと悩んだのでしょう。
ここからはまったくの私の想像になります。
タムドクが国民的な英雄だということ、それから、ファンタジー、ラブストーリーということからすると、このドラマの中のタムドクとは、誰からも愛される理想的な王子様チックな存在として描かれていたのかもしれない。
正直いうと、私はそれでもいいんですけどね。
でも、ヨンジュンは満足できなかった。
より深い、人間としてのものがない。
民の苦しみを憂い、王位をめぐる争いに巻き込まれ、なおかつ愛する人との三角関係に悩み・・・、それはそれで面白いと思えるようなものになるでしょうけど、いまひとつ、この人物が魅力的に思えない・・・。
たとえばです、私は古代史が好きですので、ついそちらの方面に話が行ってしまうのですけど、聖徳太子という歴史的に有名な人物を考えてみると、教科書の中に出てくるこの人は、十七条憲法を作っただの、遣隋使を派遣しただの、まあ、そういったことをなしとげた聖人君子として出てくるわけです。それを読む限りにおいては、ふうん・・と思っても、それで終わりで面白くもなんともないわけです。
少し前の話になりますが、山岸涼子さんという漫画家の方が『日出る処の天子』という聖徳太子を主人公にした作品を出版したのですけど、これがすごくおもしろかった・・。
読んだ方もいらっしゃるでしょうけど、この中でえがかれている聖徳太子は、単なる聖人君子ではないんですね。生まれながらに他人とは違う超能力を持っているがゆえに、やさしい母とは疎遠になり、友人からも一歩離れたところにいる人物として描かれている。人の上に立つ能力を持ち、その力を十分発揮した仕事を成し遂げ、周囲からも十分それを認められながらも、自分の存在する場所をみつけられない、孤独な人物なのです。
それが、並外れた能力を持つ者の苦悩としてしっかり描けているところが、非常に面白かったのです。
それは極端な例ですけど、つまり、そんなところなのではないでしょうか。
高句麗王タムドクをどう描くか、それがなければこの作品の意味がないと、彼は考えているのだと。それが、ひいては韓流というものを背負う者の使命だと・・。
だからこそ、今の今になって放映を延期しても、そのための恥辱を味わうことになっても、やりましょう、監督!ということになったのではないでしょうか。
本当のところ、ある意味、これはプロとしてあってはならないことだと思います。
プロというのはお金をもらって、その代償として仕事をするのですから、納期が遅れたら、それはお金をもらう仕事とはいえません。その意味では、キムPDも同じです。
しかしながら、この不器用なまでのこだわりを、私はいとおしく思いますし、ここの方々の多くは同じだと思います。まさに身体を張ってする男の仕事です。
ただ、彼自身のコメントの中に、命云々というのもありますので、そのあたり気をつけていただきたいですね。
身体あっての仕事ですもの。
そして、彼の仕事はこのタムドク役が最後だとは思えませんので。
次もあるんでしょう、ヨンジュンssi~?
あら、私、なにげにプレッシャーかけてます?
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