【創作】契丹の王子④
「あ、タムトク様!
ただいま、お方様にお取次ぎをいたしますので・・・」
外からそんな声が聞こえたと思ったら、いきなり客間の扉が開けられて・・・・、つかつかと入っていらしたのはあの方でした。
寝台に横になっていた私は、あわてて起き上がりました。
「ああ、そのままでよい!」
タムトク様はそうおっしゃいましたが、そんなわけにはまいりません。
胸のむかむかした嫌な感じはほとんどおさまっていましたし、何よりも、あの方がひどく心配そうなお顔をされていましたから。
タムトク様はそんな私のところまで近寄ってくると、いかにもさりげないふうに、私の頬に手を伸ばし、長い指でちょんと軽くつついて・・・、
「・・・心の臓が止まるかと思ったぞ!」
「タムトク様・・・」
「まったく・・。
大事な合議の最中に、そなたが倒れたとなどと聞かされたのだぞ!」
「申し訳ありません。
でも、私、倒れてなどいませんわ。」
タムトク様の真剣なお顔がおかしくて、私はつい、クスリと笑ってしまいました。
そばにいた侍女たちも、笑いをこらえているようです。
タムトク様はそれに気がついたのか、ちょっとむっとした感じでおっしゃいました。
「ふん、おかしいか?
私は、死ぬほど心配したのだぞ!」
「ごめんなさい、タムトク様。
どこかで間違えて伝えられたのだと思いますわ。
ご心配かけました。」
「本当にだいじょうぶなのか。
まだ顔色が悪いようではないか!」
はい、私はうなずきましたが、タムトク様は私の言っていることなど半分も信用できないというように、傍らに控えていた薬師の先生の方をふり向いて、どうなのだと詰め寄ります。
このところずっとスヨン様のお部屋に詰めていた薬師の先生は、かすかに笑みを浮かべて、はい・・、と頭を下げました。
と、タムトク様はいぶかしげな顔になって、こちらにお顔を向けました。
「だいたいだな、そなたには、控えの間で待つよう一時も前から言ってあったはずだ。」
今度は別の方向からだわと、私はちょっとあわてました。
「はい、そのように確かに承りました。
でも、私はスヨン様の様子をお伺いしてからと思ったんです。
この三日間お訪ねすることができなかったんですもの。」
「・・・・」
タムトク様は一瞬黙ってしまいました。
この方は、私が『スヨン様』の名前を口にするたびに、いつも困ったようなお顔をなさいます。
でも、このときはすぐに続けておっしゃいました。
「そうは言っても、怪しげな者がそなたに暴言を吐いたと聞いたぞ。
まして、先日から風邪気味だと言っていたではないか。
そんなときに、私の指示を無視するから、このようなことになるのだ!」
「暴言だなどと・・・、
そのような大げさなことではありません。
城で働いている者が話しかけてきただけですわ。」
私は笑いながらそう言いましたが、タムトク様は、ふん、どうだか・・・、とうつむきました。
そのとき、私は気がついてしまったのです、
タムトク様の中に何があるのかを・・・。
その二つの目が悲しい色をしていましたから・・・。
10年以上前の契丹で起こったこと、そこに隠されている母上様のこと、それが原因で15歳の少年が刃を向けたのだということ、そして、もしかしたら少年ゆかりの初老の女性が私に伝えようとしたことも・・・。
タムトク様の内側に何かトゲのような痛いものが刺さっているのだと、私は思いました。
やがて、タムトク様はほっとため息をつくと、おっしゃいました。
「では、ちょっと風邪気味なだけだとでもというのか?」
私は複雑な思いのまま、薬師の先生にうなずくと、そばにいた侍女たちにしばらくの間席を外すよう申しました。
侍女たちが出て行くのを、タムトク様は、ふうむというお顔でごらんになっていましたが、やがて、私と薬師の先生の顔を交互にながめながらおっしゃいました。
「なんだ?
もしかしたら・・・、なのか?」
こわいくらい真剣な顔に、かすかな期待の色!
まあ、さすがにおわかりになったのですね?
その直前にあったいろいろなことをどこかに追いやって、私はにっこりとしてしまいました。
「はい!
その、もしかしたら・・、ですわ。」
タムトク様は切れ長の目をすっと細めて、そうか・・、とつぶやくようにおっしゃいました。
それから、ぐっと何かを飲み込んで、
「タシラカ、
・・・あの時の子だな?」
「・・・・・」
私は何も答えられずに赤くなっていました。
あの方はふっと笑みを浮かべると、そのまま強い力で私を抱き寄せて・・・、
「そなたは最高だ・・・。」
そう、かすれたような声でおっしゃるのを、私は腕の中で夢のように聞いていました。
「最高なのはあなたですわ・・・」
私はそうお返事したのですけど、それはタムトク様にちゃんと聞こえなかったかもしれません。
だって、私は、もう胸がいっぱいでしたから。
やがて、こほんとひとつ咳払いが聞こえて、薬師の先生が重々しい声で言いました。
「ええ~、お二人でお喜びのところを失礼いたします、
とりあえずは、王家の伝統に基づいてことを進めさせていただきますぞ。
タシラカ様、ご懐妊でございます。
今、三月に入ったばかりでしょう。
あと六月もすれば、・・・そう、たぶん今年の冬には、
王子様か姫様がご誕生ということになります。」
それから、薬師の先生は顔中に笑みを浮かべて宣言したのです。
「高句麗王タムトク様、タシラカ様、
まことに、おめでとうございます!」
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