【創作】契丹の王子⑤
ここで、タムトク様がおっしゃった『あの時の子』について、少しお話しておきましょうか。
そのころ、城内には、タムトク様に新しい側室をお薦めしてはどうかという話がありました。
正妃スヨン様は病気がちでしたし、私はといえば、高句麗王都に来てから一年近くが経とうというのに、それまで懐妊の兆しが見られないという状態だったからです。
すでにタムトク様の血を引く王子はチャヌス様とワタルがいましたけど、お子は多いほうがいい、せめてあと数人は・・と周囲が考えるのも無理のないことでした。
戦乱の世にあっては、王の後継候補は何人いても多すぎるということはなかったのです。
タムトク様は、王都にいらっしゃる間、夜はたいてい、私がいただいていた屋敷に帰ってこられましたが、これをよくない傾向だと眉をひそめる人たちもいました。
あの女人は王のご寵愛を受けながら、10年前にお子をひとりあげられただけではないか、それに、何と言っても倭人ではまずい、ここはやはり高句麗貴族の娘をおそばに差し上げなければ・・・、というわけです。
実際に、タムトク様の元には、側室にということで、高句麗貴族の姫君の名前が数人あげられたということでした。
なのに、タムトク様は、『無用だ』のひとことで退けてしまわれたとか・・・。
私はその話を侍女のひとりから聞き、タムトク様に対して申し訳ないのとうれしいのとで胸がいっぱいになりました。
けれども、その話は、それで終わりというわけにはいきませんでした。
それから数日後、私のところに長老家ゆかりの側近の方々が三人訪ねてみえたのです。
長老家といえばジョフン殿とすぐに思いますので、彼女に何かあったのかと私は緊張しましたが、そんなことではありませんでした。
その側近の方々はごくまじめは顔で、これは、と思える貴族の娘を、私から王にお薦めしてはどうか、などと言うのです。
最近の情勢をみると、遅かれ早かれタムトク様は側室を迎えることになると思う、たとえば正妃のご実家ハン家あたりの姫がお側にあがるのを指をくわえて見ているよりは、こちらの息のかかった姫を差し上げるほうがいいのではないか、と。
それは、王家のことだけでなく、私の立場まで考えた提案だったのかもしれません。
でも、私は素直にうなずくことができませんでした。
申し訳ないけど、私はそのようなことはできません、
王のお気持ちがほかの方に移っていったというのならともかく、
私からそのようなことを申し上げるのはいやです、と。
王家の中を取り仕切るご自身の立場もよくお考えを、などと言い置いて、その側近の方々は帰っていきました。
そのことを、居合わせた侍女たちに固く口止めし、私自身、タムトク様にもほかの誰にも申しませんでした。
でも、そういうことはどこからか漏れてしまうものでしょう?
タムトク様は、どこからかお聞きになったようなのです。
いいえ、タムトク様が何か私におっしゃったわけではありません。
ただ、どこがどうのというわけではないのですけど、いっしょにいるとき、いつにもましてやさしくしてくださるとか、そんなことですわ。
うまく説明できませんけど、いっしょに暮らしていれば、ああ、この方はご存知なんだって、自然にわかるものでしょう?
ああ、ひとつだけ、もしかしたらと思うようなことがございました。
ワタルに対する態度がちょっと厳しいものになったことです。
それまでも、タムトク様はワタルと轡を並べて遠駆けしたり、屋敷で剣の手ほどきをしたりすることがございました。
でも、それが少し本格的なものになったのです。
屋敷で夕餉をとっているとき、ワタルに対して、儒学などという難しい学問のことであれこれと質問されたりするようになりました。
また聞くところによりますと、城中にあっても、騎馬や剣術の指南の先生方に、指導方法を問いただされたりしたようです。
もっとも、ワタルは、父上がみてくれるんだよとうれしそうにしていましたが・・。
でも、きっと近いうちに、音を上げることになるのでしょうね。
そうこうしているうちに、北と西の砦に異変があるという知らせが届いて、タムトク様はまたもや出陣していってしまったのでした。
王が戦場に行かれている間は、側室に推挙する姫君がどうのなどという話はひとまず立ち消えになってしまいます。
そう考えますと、王の後継を残さねば・・、などと言い募っている間こそ平和なのだということになります。おかしなことです・・。
ところが、それから二月くらいがたってからのことでした。
戦場からは特に悪い知らせもなく、このまま休戦になるかもしれないとささやかれるようになっていました。
明け方のまだ暗いうちのこと、北の砦にいらしたはずのタムトク様が、突然屋敷に帰ってこられたことがありました。
急に休戦協定が結ばれたので、数人の側近と警護兵10名ばかりをつれて、日に夜をついで駆けてこられたとのことでした。
夜の明けきらない冷たい空気の中で、皆さんといっしょに汗と泥をいつものように洗い流しながら、あの方は白い歯を見せてにっこりされました。
『どうしても、そなたの顔を見たくなったのだ。』
そばにはほかの家来の方々だけではなく、まだ戸惑った顔の、屋敷の侍女たちもいるというのに、そんなことをぬけぬけとおっしゃるのです。
私は、そのまぶしいような笑顔をかわしながら、
『すぐに朝餉をお持ちしますね。』
『朝餉はほかの者たちのだけでよい。
私は、しばらく休みたい。』
『まあ、お休みになるんですの?』
思わず問い返した私に、周囲から側近の方々からくすくす笑う声が聞こえてきて、
私はそれ以上何もいえなくなってしまったのです。
『お方様、俺たちのことはいいですから、
王に気を遣ってやってください。
でないと、あとが大変ですから。』
そう、そのとおりです。
ほんとうに、タムトク様は・・・。
そして、そのあとはご想像の通りでございます・・・。
あの方はたいてい礼儀正しくて誰にでもやさしい方なのですが、時々有無を言わさず・・・、というところがございました。
ほかの方なら、私も、いけませんわ!と強く申し上げたりもするのでしょうけど、この方にはつい許してしまうところがあるのです。
でも、これは私だけではありません。
側近くに仕える方々だけでなく、末端に従う家来の一人にいたるまで、みなさん異口同音に言います、タムトク様だから、まあ、いいか・・と。
そう、その最たる人が、あのサト殿でしょうね。
このときも、タムトク様の留守を守る必要から、陣中に残って代わりに指揮をとるよう言われたとのことでした。
アカネ殿が身重ということでしたから、本当なら、サト殿こそ一番に王都に帰ってきたかったでしょうに。
きっと、すまない、サト・・、なんて言われて、サト殿も承知してしまったのでしょうね。
ほんとうに、タムトク様は・・・。
そんなわがままとも思われかねないところがあるのに、周囲が認めてしまうのは、タムトク様がこれまで多くのたいせつなものを失いながら、王としての任務を果たされていること、・・・軍の先頭に立ち、政務においても常に自分を律して国のために働いていらっしゃるのをみなが知っていたからです。
いいえ、そうではないですわね、そんな理屈だけでは説明しきれないものを、あの方はお持ちでした。
それが、生まれながらの王の証とでもいうものかもしれませんけど・・・。
そう、ひとことでいえば、みんな、タムトク様が大好きだったんですわ。
話が横にそれましたが、『あの時』とは、そのときのことだとタムトク様は思われたのです。私もそう思いました。
ただ、そういうことって、何となくわかっていても口に出したくないことでしょう?
まして、私に同意を求めるなんて・・・。
でも、王家に生まれたタムトク様にとって、いえ、付き従う者たちにとって、これは重要なことでした。
生まれてくるお子がまぎれもなく王家の血筋であること、王にお墨付きを頂いたということになるからです。
私は・・、私は王家の血よりも、タムトク様との間のお子というだけで十分でした。
そばには薬師の先生がいましたから、とても恥ずかしかったですけど、タムトク様が『あの時の子だな』とおっしゃっただけで、私はもう・・・。
「ワタルが聞いたら、喜ぶだろうな!」
「はい、きっと。
・・・あなたも、喜んでくださいますの?」
半分恐る恐るといった感じで、お聞きしてみると、タムトク様は切れ長の目でこちらをちらりとご覧になりました。
「さて・・、どうかな?
そのあたりは明日の夜にでも、
ゆっくりとふたりで確かめようか・・。」
まあ!
で、でも、明日でございますか?
今日はお帰りになれないの?
私が赤くなってそう言おうとしたときでした。
突然、入りますぞ!の大声とともにがらりと扉が開けられて、ジャン将軍が入ってきたのです。
「いや~、聞きましたぞ!
おめでとうございまする!
歩兵訓練を放り出して駆けつけましたぞ!」
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