2007/02/07 17:59
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

松明(さらに追記)

Photo

まだ東大寺の修二会には1ヶ月も早いのですが、JR東海の「うまし うるわし 奈良」のキャンペーンソングでボロディンの「ダッタン人の踊り」をちょうど耳にしたので・・・。私はこの“ダッタン人の踊り”と修二会の“達陀の行法”は言葉や火に関係するところが似ていて、もしかしたらつながってるのかも・・・とひそかに思っていたんですが、ホントはどうなんでしょう。

調べると、歌劇「イーゴリ公」の原作では、実は“ダッタン人”ではなく直訳すると“ポロヴェツ人”となるのだそうです。日本語(中国語)に訳された時に韃靼人になったとのことです。ロシア語のポロヴェツ人はヨーロッパのクマン人とか。“ダッタン(韃靼)人”とはロシア語で“タタール人”のことをいうようです。西ヨーロッパの言語では“タルタル”とか。どちらもテュルク(トルコ)系の遊牧民とあるが、タタール人とポロヴェツ人は別のようです。わかりにくかったのですが、タタールの方はモンゴル系ともあるので、よりアジアに近い印象です。

わっ!韃靼は韃靼そばにつながるけど、タルタルはタルタルソースに繋がるよね。でも韃靼そばとタルタルソースはつながらな~い

~(^^?))(((;^^)?

 

韃靼とは中央アジア(?)方面からの比較的広範囲な遊牧民のことを中国でそう呼んだとも言われます。その中に火を信仰する民族があり、その彼らが中国に伝えた踊りが東大寺の二月堂に伝わったという説もあります。松本清張氏の小説「火の路」を読むと、そんな気にもなってしまいます。でも、修二会の「だったんの行法」は“韃靼”ではなく“達陀”と書きます。これは梵語で“焼く”を意味するそうです。

 

上記の写真は私が34歳のころに撮影したものです(Heroにはなれなかった(*^^*ゞ)。当時は三脚などは持っておらず、必死にカメラを体に固定し、息を殺してシャッターを押しました。何枚か撮ったうちで、手振れしなかった1枚です。松明がたくさん写っているのは、3月14日の最終日で、10本が揃う日であったからです。12日夜(お水取りの前)は籠松明という特別大きな松明ですが、見物客も多くて、とても写真を撮るどころではありませんでした。

この日、私はまだ太陽の沈まない明るい時間に二月堂に着き、登廊横の多くのアマチュアカメラマンが集まっていた場所に、なんとなく仲間入りさせてもらいました。おじさんたちばかりでしたが、中には大阪から来たという私より若い女性もいました。ほとんどの方がひとりで来ており、時間を待つ間いろいろな話をしました。だんだん打ち解けて、「トイレに行きたいから荷物を見ていてください」とかお願いしたりして・・・。何回目かの方たちもあったようで、その方たちはもっとすごい写真を撮っていたのでしょう。私はなんたって、初めての修二会でしたから。

 

2月20日、連行衆というお坊さんが別火入りし、良弁椿を作成するところから修二会は始まるようです。

私はいつも東大寺に行くと、二月堂でこの香袋をお土産に買ってきます。とてもいい香りがするのですよ。

【追記】この時期の奈良公園辺りは梅や馬酔木の花が咲いていて、春いっぱいでした。

 

【さらに追記】

ヨンジュンさんの“Hero”であげられているR・シュトラウスの「英雄の生涯」を聴きたくてCDを購入しました。それはR・シュトラウスの作品だけを集めたCDで、第1曲目が「交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》」でした。解説を読み、“ツァラトゥストラ”という人物はゾロアスターのことであると知りました。R・シュトラウスはニーチェの書『ツァラトゥストラはかく語りき』にインスパイアされて作曲したそうです。ニーチェやシュトラウスが拝火教の祖と言われる彼を通して何を語りたかったのか私にはわかりません。このCDの解説によると、R・シュトラウスの作品の中核は“自然と人間精神”なのだそうです。…c(゚^ ゚ ;)ウーン修二会と繋がる?

余談ですがセルゲイ・ラフマニノフはタタール人を祖先にもつロシア人だということでした。


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