赤ちゃん
『太王四神記』の4話一挙放送をつまみ見しました。妹にちょっと解説したということもあり、1回見ただけではついていけなかったことがより理解できたように思います。
先日よりユングの心理学にある英雄神話と『太王四神記』を比べている私。「人間と象徴―無意識の世界(河合隼雄 監訳)」の中で、世界にある英雄神話の類似点が下記のように述べられています。
・・・英雄の奇蹟的な、しかも知られぬひっそりとした誕生、彼の生涯の初期にみせる超人的な力の証明、そして卓抜さや偉力の急激な上昇、悪との戦いにおける勝利、高慢(hybris)という罪にたいする弱さ、そして、裏切りないしは「英雄的」な犠牲行為によって没落し、彼の死となって終わりをとげる・・・
物語がすべて誕生から死までの全生涯を説明しているとは限らないということです。ただ、神話の本質は個人の自我意識の発達を示唆し、英雄像は人間の人格の発達のそれぞれの段階を反映するということです。
ユング心理学によると(私の勝手な理解)、人は無意識の世界に皆同じ能力(普遍的無意識)があるということになります。それはジェンダー(性差)には関係ないものです。そして、その無意識の中に潜むものを意識化する(認識する)ことが心の成長で、個性化(自己実現)になります。その過程で、価値観や押し込まれた性や仮面をかぶった姿などが生まれてきます。意識化するというのは現実化することで、頭の中で描くだけではないのだと思います。行動に表さなければ自己は自我を認識することができません。
ということで、英雄神話は自我を意識していく過程ですから、私は『太王四神記』を人間のこころの成長ストーリーとして位置づけて観てしまうのです。
余談ですが、ヨンジュンさんが「様々な役を演じることで自分にもそんなところがあったと新しく発見する」と言ったのを何かで知りました。もしかしたら心の成長とはそういうことなのかもしれません。
人間にとっての神とは絶対的なものなのでしょうか。神によって人生が決められていくもの・・・という考えから脱して、人と人との相互関係で成長していくとしたのが、前回のブログ(2008.1.02)に書いた内容なのだと私の勝手な理解です。ユングは“自己”という世界を球体という決まったものとして考えました。ところが、ミードやロジャースなどは常に変形している流動的なものとして考えています。その辺りが神の作った世界と変化する人間の世界の違いかもしれません。『四神記』で言いたかったことは何かはこれからストーリーを観進めてまた考えていきたいと思います。
“英雄”と言う文字を打っていて、「BYJ Classics/Hero」を思い出しました。34歳がキーワードであったことはわかったのですが、なぜ“Hero”だったのかちょっと疑問が沸いてきました。あの時タムドクを演じていたからなんでしょうか?
写真は生まれて間もない姪の写真です。沐浴中。生まれたばかりの人間は一人では生きていくことができません。でも、進歩する可能性をいっぱい秘めた生命です。
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