2008/02/08 20:52
テーマ:太王四神記 カテゴリ:趣味・特技(その他)

梅花

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『太王四神記 第9話』の最後のタムドクの顔、涙が溜まった目を少しずつ上げていったあの表情に思わず私も流涙((/_<。)。。争いの中に身を起きたくない、大好きなキハとふたりで穏やかに暮らす夢を叶えたいとがんばったのに・・・。父を失い、信じていたキハに裏切られ(と誤解?)、自分のために命をかけてくれた人たちを失い、絶望のどん底の放心状態のタムドク。あまりの衝撃に身体は冷たくなり、心は小さく固まってしまったのではないでしょうか。後戻りできない現実をどう受け止めていいのか混乱もしているのでしょう。

誤解されてしまったキハにも涙です。王を助けてタムトクの元に戻りたかったのに、王を殺したことになってしまいました。なんと痛ましい叫びだったでしょうか。タムドクに誤解した情報が伝わったと知ったら、彼女は何を支えに生きていけばよいのでしょう。全身全霊をささげてもいいと思った好きな人から誤解されるなんて、苦しいに違いありません。哀れです。

ふたりともこれ以上の辛い思いはないという状態になってしまいました。でも、起きてしまった過去は変えられないので、“運命”という言葉に換えて受け入れるしかないのですね。

 

苦しい事実を受け入れて乗り越えようとがんばっている後輩が現在います。予測しえなかったことがおきて、クライアント側の方とうまく関係がつくれなくなってしまったのです。彼が何かをしたからというわけではなく、誰が担当をしていてもきっと同じことはおきたと思います。でも、彼は「自分じゃなかったら結果が違ったかも・・・」という気持ちをもったようです。

諸行無常の世の中、“絶対”という結果はないのではないでしょうか。それは言い方を換えると、当たり前ということはなんと難しいことであるかということです。「1+1=2である」というのは机上のことで、みかん1個+1個で2個になるはずが、腐って食べられなくなって1個しかない・・・ということもあるわけです(変な例えですけど)。

予定または予測と反したことはどんな場合でも起こります。それは一所懸命に生きていれば必ず回避できるというものではありません。起きてしまったらその事実は事実として逃げずに受け止めて、未来を変えていくしかないでしょう。

事実に対して「誰が悪い」と決めることは人の進歩になりません。起きてしまったことを認めて未来を考えることが進歩に繋がります。悪い人が決まったからといって、じゃあどうするがなければ何も変わらないし、特に悪いと言われなかった人は変わらなくてもいいになり、そのままってことですから・・・。

 

私の後輩は歯を食いしばってがんばって対処している・・・と思います。誰が悪いのだということは口にせず、不慮の事実を受け止めていこうと自分に言いきかせていました。反省というと、彼に落ち度があったように思えてしまいますが、そうではなくてプロとして自分の仕事を省みていました。そして、今自分がすべきことは何かを考えています。もちろん、ひとりで背負うには荷が重いので、上司や先輩たちに手伝ってもらいながらですけど。また、相手の気持ちも理解しようと懸命です。

不慮の事実は彼が関わったことでおきたのですから、彼の心は随分と乱れました。私としては事実の収拾よりも彼の心の混乱が気になります。きっと時間の経過とともにうまく歪みは整えられていくでしょうね。それだけの強さはあると思います(たぶん)。そうであってほしいという願いもあります。なんて本当は、今回の経験を糧に彼がどのように成長していくのかが楽しみなんです。

 

いつも「最善を尽くす」し、「完璧」を目指して努力するヨンジュンさん。きっと繰り返す反省のもとに今の彼があるのでしょうね。“bestを出して、常にbetterを求めていく”というのが仕事においてのプロということじゃないかなって私は思います。私は怠け者なんでbestは時々しかでないんですけど・・・``r(^^;)ポリポリ

『四神記 9話』でとんでもない現実を認めなくてはならないタムドク。この四面楚歌の状況からチュシンの王としての自覚がだんだん芽生えてくるのかな。

 

余談ですが、生物の進化は突然変異によるものということを聞いたことがあります。つまり、いつもと違う変化をするものがあったから進化したのだということです。DNAの転写エラーってことかな?

 

立春が過ぎ、湿った寒気が山を越えてくるようになりました。「明日は太平洋側でも雪です」と天気予報では言っていました。春ですね。新しい芽吹きの時期です。芽吹きの影にはアポトーシス(apotosis)があるんです。アポトーシスとはギリシャ語で「枯れた葉や花が落ちること」なのだそうです。こんな受験シーズンに使ってはいけない言葉かもしれませんが・・・。人のような多細胞生物を構成する細胞の死に方の一種でもあります。個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされるコントロールされ、プログラムされた細胞の死のことです。

  

これは紫陽花の葉脈です。職場の建物の脇にありました。そろそろ次の芽が出てきそうです。

左は紫陽花の上にそびえている大木。何の木かわかりませんが、実は高いところの枝に新芽が出ているんです。

太陽光いっぱいの青空に向って、今年も精一杯生命を繰り返すぞと叫んでいるようでした。

見上げたらかっこよかったので撮りました。

上の写真は通勤途中の小さな神社の白梅の花です。天気がよくて、花の白が青空に映え、近所に「春だヨン」ってこっそり知らせているようでした。実はアングルがいまひとつで自分ではちょっと気に入らない。もう一度・・・と思ったらここで電池切れという悲しい事実がおき、これ以上の撮影がでくなくなってしまいました・。・゚゚・(≧◯≦)・゚゚・。・

 

 


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