2008/12/21 07:00
テーマ:東京 カテゴリ:趣味・特技(その他)

御茶ノ水駅

Photo


御茶ノ水駅辺りが好きでこの駅に降り立つたびに写真に撮りたいと思っていました。コンデジを持つようになってから何度かホームでシャッターを切ったことがあります。ぜひイチデジでも・・・ということで、今回撮影だけのためにここを訪れました。

ここの風景が好きな理由を言葉にするのはなかなか難しいです。ひとことでいうと「わくわくする切ない懐かしさのある東京の風景だから」ということでしょうか。


御茶ノ水駅のホームから新宿方面を見た景色が一番最初に好きになりました。神田川と平衡して線路もS字に曲がっていて、川と線路を見下ろすように高いビルが迫っています。その隙間を縫う様にオレンジ色や黄色や白色の電車がクネクネと走ってくる姿が面白くて、立ち止まって見続けたことがあります。別に私は“テツコ”ではありませんが・・・。
下↓の写真左がそれ(2005年の春撮影)です。右は御茶ノ水橋からくねった辺りをズームして撮影したものです。周りのビルを排除して撮ると、どこか山奥の風景のように思えてきます。

ひしめき合って立ち並ぶビル、川と土手の草木、そしてその間をせわしなく動く大勢の人々の重なりがなんとも東京っぽいなあと何回見ても思います。感心してしまうというか、おもしろい景色です。


この駅は擁壁と神田川に挟まれた場所にあり、ホーム幅が狭くなっています。さらに東京駅側は総武線が神田川を渡る鉄橋に向って上がるのに対し、中央快速は下っていくためにホームには段差があります。駅周辺は大学病院をはじめとした大きな医療機関があるため、バリアフリーにして欲しいという声がずっとあるようですが、立地条件の難しさゆえに建て替えが難しいそうです。
下↓左で鉄橋を渡っているのが総武線です。ホームにいるのは中央線快速なので、鉄橋の下を通ります。左下(神田川の真横)に少し見えるトンネルは地下鉄丸の内線の線路です。つまり、御茶ノ水駅のすぐ脇で線路は三段構造でクロスしているんですね。往来する電車を聖橋からみるのはテツコや男の子でなくても楽しいです。
右の写真は聖橋の欄干をニコラス聖堂に向けて撮影したものです。


御茶ノ水→聖橋→快速電車・・・ときたら、“湯島聖堂”となり、そう“檸檬”なんです。

  或の日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
  君は陽溜りの中へ盗んだ 檸檬細い手でかざす
                          【檸檬】より by さだまさし

高校生のころこの歌を聴き、その風景を想像しました。当時の私には歌詞内容が難しく、理解できないものでした。聖橋周辺が“青春達の姥捨山”ってどういうこと?でしたもの。ただ、御茶ノ水に行くと“青春”ができるんだと思っていた気がします。行ってみたい!湯島聖堂の階段に腰かけてみる、聖橋から電車に向って檸檬を投げる・・・いや、神田川に向って檸檬を投げるんだと思ったものです。

  喰べかけの檸檬聖橋から放る
  快速電車の赤い色がそれとすれ違う
  
  川面に波紋の広がり数えたあと
  小さな溜息混じりに振り返り
  捨て去る時にはこうしてできるだけ 
  遠くへ投げ上げるものよ

      
http://jp.youtube.com/watch?v=U3lFrw83DVI  
     
(貼り付けできなかったのでこのURLで聴いてください)

この歌のライナーノーツにさださんはこんなことを書いています。

 「人間」が自然の流れに身を任せるのは、絶対に不可能であると思います。それ程我々は「加工」する事に慣れ切っているのですね。
 尤も「考える」事が人間の基本条件であれば、これも自然と言えるのでしょうか。学生街「お茶の水」はこうした最も「考える」時機の人間達が、果てしない数の愛や憎しみを産み、又、壊してきた街の一つと言えましょう。

この駅周辺は大学や予備校の街と呼べる学生の多い場所です。エネルギーあふれる学生たちはいろんな人と出会って、好きになったり喧嘩したりするでしょう。大人になる過程では思うようにならないこともあり、壊したくなってしまうような不安定な感情を体験することもあるでしょう。さださんはそういうことをこの歌に込めたのかな。

『檸檬』といえば梶井基次郎の小説です。あれは京都丸善の本の上に爆弾にみたてたレモンを置く話です。さださんの歌によって東京のレモンは聖橋から放られて爆発するってことになりました。
御茶ノ水駅周辺で見られる風景は人によって加工された街とゆらゆらと流れる神田川があります。何が自然の変化なのかわかりませんが、学生の葛藤と街の変化を重ね合わせた歌にも思えてきました。爆発させたくてもできない変化というか・・・(うまく言葉になりません)



高校生のころはそういう集団街に自分も溶けてみたいという憧れがありました。結局、家から通える学校でなければ進学してはいけないという親の言いつけを守った私は地元から飛び出すことができず、学生街を歩く体験ができませんでした。
社会人となってから通信ですが大学生になりました。その時、時々この界隈で授業や試験があったので、できなかった青春もどきを体験しました。といっても、その雰囲気に浸ったというだけですが。
そうそう、私は湯島聖堂をずっとキリスト教の教会だと思っていました。だって“聖堂”って語にそういうイメージがありませんか?訪れてびっくりでしたよ。孔子さまの教えを伝えるところなんですね。

最近、「高校生が感動した『論語』」(著・佐久 協)という新書本を買いました。まだ読んでいないのですが、その冒頭は下記のようでした。

 孔子にとって人生の価値は「結果」にあるのではなく「過程」にあった。(中略)目的のために手段を選ばないという生き方に孔子は何らの価値も認めていない。孔子のほぼ八十年後輩にあたるソクラテスは、孔子と同様に「人生の目的はただ生きることでなく、善く生きることである」と唱えている。

私のHNは直接ソクラテスを指しているのではありませんが、ちょっとこの言葉が気になります。この本を読み進めて、生きることを考えなおしてみたいと思います。若いときは考えるだけでいい時間がたくさんあったけど、今はそうもいきませんね。ああ~青春がやり直せるなら~です。


今回、御茶ノ水に到着した時間が15時と遅く、すぐに夜になってしまいました。何故かというと、忘年会翌日で早起きできなかったからです。二日酔い(・o+) アチャー・・・。次回は青空の風景を撮影するぞと誓いました。
また、撮影はここを通勤の最寄り駅としている友の協力でできました。大きな私の荷物を持って、何時間も付き合ってくれてありがとう!


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