落葉の奈良公園
11月も後半、赤・黄・オレンジ色に変化した木々の葉が地面を覆う季節になってきました。来年の春に新しい芽吹きを迎えるための落葉。土になるものもありますが、アスファルトの上のものは箒で掃かれてゴミ・・・かな。
かきねの かきねの 曲がり角
焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚きぃ
環境問題で焚き火禁止になった?調べてみると、廃棄物の野焼きは厳しくなったとのことですが、落ち葉の焚き火くらいは良いようです。といっても、あまり最近はそのような風景には出会いません。
落ち葉で焼き芋の記憶はなく、芋といえば石焼でしょうかね。冬になると焼き芋屋さんの車が町内に出没します。焼きたてのホクホクはうまいです。我が家では数年前までストーブの上にアルミホイルにくるんだ芋を置いていました。どうも、母が芋好きのようです。灯油ストーブは年寄りに危ないということで最近は電気ストーブ&エアコンになってしまい、それができなくなりました。
ストーブで焼くものといえば、にんにく!風邪をひくと父が丸ごと焼いてくれました。子供の私にはまずく、食べたくないものでしたけど。今なら風邪じゃなくても食べたいです。お酒のつまみ~~。
もっともっと小さな頃、祖父母の部屋にいくと火鉢に炭火がありました。五徳の上のやかんにいつもお湯がわいていたのを覚えています。時々お餅や芋を焼いていたかなあ。祖母の真似をして火箸で炭や灰を動かしたりして・・・。もちろん熱い思いも何回かしました。その時使っていた陶器の火鉢はどこか家の隅っこで眠っています。
七輪に練炭を1日中つけていた冬もあります。おしることか甘酒とかの鍋が載っていました。夜になると火を小さくしてやかんをのせ、朝母が目覚めると窓を大きくして鍋をかけていました。昔の家は隙間風が入る風通しの良い家だったからそれも可能だったのでしょうね。土壁、畳、和紙など呼吸する材料も多かったことも理由でしょうか?機密性の優れた現代の家では気をつけないと一酸化炭素中毒かも・・・。
今日の写真は1995年11月20日撮影の奈良公園です。大仏殿の裏手あたりで何かを夢中に食べている鹿にであったので、そっと近づいていきました。もしかして銀杏?
この旅行は母と二人で行きました。まだ血圧も高くなく、足腰も丈夫なころなので、随分私は公園の中を歩かせたと記憶しています(6 ̄  ̄)ポリポリ。池の反対側から下記の風景に出会い、「あの鹿のところまで行くぞ!」と雨の中を急ぎ足で一直線に向ったような気がします。
公園内の他の場所も落葉はさかんで、下記のような場所があちこちにありました。
この時の旅は浄瑠璃寺方面や室生寺方面など、奈良の紅葉を堪能しています。一眼レフを持ってはいましたが、露出の意味もわからないころ。構図もいい加減。撮影データをメモるなんてとんでもないことでした。今見るとなんかピンとしません。
左は浄瑠璃寺で撮影した石鉢です。鎌倉時代と書いてあるので古いもののようですが、鉢の由来はわかりません。紅葉で覆われていてきれいだったのでパチリ。
どんな写真でも二度と来ない自分の歴史の1コマです。母と写真を見ながらしゃべることがあります。私が記憶していないことも出てきて、旅のことがより鮮明になり、そんな会話は楽しいです。 |
夕焼け
今日の写真は、犬の散歩・夕方編です。16時30分ころだと思います。立冬が過ぎ、1年のうちで日の入りが最も早い季節となりました。昼間は小春日和で風がないと暖かなのですが、陽が傾くととたんに冷えます。
これまで我が家の犬の散歩は父の役目でした。しかし、夏過ぎに体調を崩し、しばらく入院。退院はしてきたものの、やはり体力はぐっと落ちてしまいました。全く動けないのではないのですが、すぐ疲労してしまうし、無理するとボーッと意識がおかしくなってしまいます。なので、散歩は母と私が行くようになったのです。
通常、朝は出勤前の私が行きます。ところが帰宅を待っていると真っ暗になるので、夕方は母が行きます。その母の散歩に、最近父が同行するようになりました。きっと父はできない自分が嫌なんだと思います。
歳をとり、体力の落ちた父の姿は、亡くなった祖父にどんどん似てきます。特に顔とか姿勢とかが。その血は嫌でも私に繋がっているわけです。
子供のころ、わたしはいつも「おじいちゃんに似ているね~」と多くの大人に言われました。え~!四角くて、小さな目の垂れた顔と同じなのかと思っただけでがっかり。反論したくてもできないくらいの小さな頃です。
父の入院中、医師や看護師に「似てるね」と言われました。確かに、今の私と父はそっくりです。父が祖父に似てきたお陰でかなり近づきました。顔とか性格とかだけでなく、病気とか体質とかいうのも伝わりますね。母と妹は同じ病気をもっています。父は祖母と同じ病気だし、私はじいちゃんと一緒の病気になるのか?
遺伝とは不思議なものですね。DNAの塩基配列のどこの情報が伝えられているのかしらん。時間を遡ると、自分と同じ遺伝情報の人はすごくたくさんいるわけです。もっともっと考えると、人間は皆同配列の部分がほとんどで・・・。さらに猿とも90%くらいは同じだって聞いたことあります。
反面、当たり前だけど、かなり似ているが私と父の遺伝子は違うわけですよ。私の情報は私だけのもの。悲しいことに、実は私、その情報を後世に伝えることを放棄してしまったのです。
話が反れますが、生物の進化の過程で突然変異っていうのがあります。もしかしたらそれが進化なのかもしれないと聴いたことがあります。ウイルスや細菌などの小さな生物は環境適応能力が高い・・・つまり進化のスピードが早いってことでしょう。人間は高度な情報を持っているだけに遅いようです。
太陽が地球を照らして何億年も経つのでしょう。地球に棲む生き物はその間どんどん変化したでしょうね。夕日に照らされたものの長い影を見ていてそんなことを考えた私でした。
夕焼けついでに写真のおまけです。下の夕日は9月下旬、長崎・島原半島で撮影しました。なんと温泉浴場からの撮影(*゚.゚)ゞポリポリ
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