2008/04/24 23:52
テーマ:家族 カテゴリ:趣味・特技(その他)

ハナミズキ

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22日(月)に新茶の初取引があったそうです。夏ですね~。街路樹のハナミズキはもう満開を過ぎそうです。気がつくと日の出は5時近くです。父の代わりに犬の散歩に行き始めたころは6時30分にならないと明るくならなかったのに・・・。明日は晴れの予報です。雨上がりだから、きっと澄んだ大気が景色を美しく見せてくれるだろうなあ。よーし、早起きしてゆっくり散歩にいくぞ!!

左は1週間ほど前のハナミズキです。

 

父の忌明け法要が終わって、私も母も気持ちが楽になってきた気がします。時間というものがすごいのか、自分の心が変化できてえらいのか・・・。まあ、どちらにしても人の心は意識しなくとも勝手に留まらずに変化していくものです。

 

我が家の両親は同じ趣味をもっていたわけではく、どちらかと言えば別々に好きなことをやってる二人に私は見えました。父が仕事をやめて家にいるようになってからもそうです。一緒に出かけるのは、運転しない母が父をアッシーくんに使うときだけだったんじゃないかなあ。よく喧嘩もしてました。でも、母は「親より長い時間一緒にいたんだから・・・」と言います。

父が弱くなってから、母は父を置いて自分だけ出かけてはいけないと思うようになりました。出かけることが好きな母も家にいるようになり、二人でTVを見ている時間が多くなっていたようです。「でもね、お父さんははるみちゃん(都はるみのコンサートのこと)だけは行っていいって言ってくれたよ。」と言ってました。父が亡くなった日から2週間ほどでコンサートに行った母。チケットはもちろん、前に購入してありましたよ。

子供にはわからない夫婦の結びつきってあるんでしょうね。母の父を失った悲しみは私とはきっと違ったものなんだろうなあと思います。説明はできませんけど・・・。最近の母は、父の荷物を整理しながら、尋ねてくる人に父の写真を見せて「おとうさんは・・・」「おとうさんが・・・」とやたらとしゃべっているようです。私は家にいない時間が多いので、また、家にいても母の話を聞いてあげないので(疲れるもん)訪問してきてくれる方たちに感謝です。

 

そんな老夫婦のことを考えながら、「ひとりで生きていく!」と決断した自分は、もしかしたら寂しい老後になるかもしれないと思うようになりました。子を産むことも放棄してしまったし・・・。これまで結婚・妊娠・出産をした友たちを多く見てきて、特にうらやましいと感じたことはありませんでした。今の自分のような生き方の選択もあっていいと思っていましたもの。これが私の選んだ私の道なんだ~って。それを後悔したら、選択した自分を否定してしまうことになるんだって。

いつの頃からか自分の生きてきた道を振り返ることが多くなりました。それって人生の折り返し地点を過ぎたことかもしれませんね。これまでいくつもあった分岐点で違う選択をしていたら、今とは違った人生であったかもしれないと想像することが多くなったのです。私は後悔しているのか?

子宮を摘出する日の朝、そこの看護師長に「ホントに全部取っちゃっていいの?自分の遺伝子を残してみたくない?」と何度も聞かれました。その頃の自分は、貧血を治してやりたいことに全力を尽くせる体をつくることが優先でした。なので、「大丈夫です。」と師長さんにあっさり答えていました。もちろん、やりたいことに進んでいった自分は誇れるって思ってますけど・・・

 

テサギ20話でタムドクが決断を下すことに恐さを感じていることをコ将軍に語っています。決断の後は後戻りできないのですものね。リセットしてもう一度やり直すなんてことはできないわけです。だから後悔のない選択を決断しなくてはならないんです。簡単にくだせることじゃないですよ。私は真剣に生きてきたかしら?

   

選択の責任は本人にあります。だから、決断は恐いものです。選択に自信を持って生きている人はもしかしたらそういないんじゃないかな。そう思うと気負った自分は楽になります。また、周囲にいる人たちの私への反応が私を幸せにしてくれるんでしょうね。

 

 「或いは」「もしも」だなんて あなたは嫌ったけど

 時を遡る切符があれば 欲しくなる時がある

 あそこの別れ道で 選びなおせるならって・・・

 勿論 今の私を 悲しむつもりはない

 確かに自分で選んだ以上 精一杯生きる

 そうでなきゃ あなたにとても とてもはずかしいから

                       【『主人公』 byさだまさし より】

 

 

 


2008/03/09 20:38
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海岸

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チャリをこいで海岸線を走りました。行きはよいよい、帰りは・・・向かい風ビュゥゥゥゥξξ (+_+ /)/ヒェ~~。そこには自転車ロードと書いてあるけど、サイクリングしている人なんか誰もいませんでした。たまに走っている人はいましたが・・・。並行している車道は乗用車が列を成していました。車内から必死な私はどんな風にみえただろう(*゚.゚)ゞ

  

亡くなった父は土木技師をしていました。高度成長期、いわゆるゼネコンと呼ばれる会社の社員として、あちこちの現場を担当しました。しかし私は父の造ったものがどこにあるのか、いや、どんなものを造っているのかさえ知りませでした。父は家では父でしかなく、ほとんど仕事の話をしなかったからです。

今回、父の同僚の方の弔辞で仕事の一部知ることができました。私はぜひ父の残したものを見てみたいと思いました。そのひとつがこの海岸線なのです。

 

高潮災害の復旧工事であったとか。そういえば、嵐の日は現場がどうなっているか心配だと、休日でも夜中でも見に出かけていました。日常的に通ることのある海岸線ですが、どの部分が父の担当だったのか、何をしたのか私は知りません。聞いたけど興味がなくて覚えていないのかも・・・。

下記は中学生の時に自転車で友達と遊びに行った時に撮った写真。砂浜が広がっています。右が今日の撮影。テトラポットがたくさんあります。

 

砂利が侵食して災害がおきるようになったのだそうです。
この海に注ぐ放水路にも父は関わったそうです。今回調べて、放水路とは河川の決壊を防ぐための分水であることを知りました。それが完成してから、豪雨になっても街が守られるようになったとか。当時、父の現場の地名だけはなんとなく聞いていましたが、何をしているのかなんて全く知りませんでした。記憶にあるのは現場から白い猫を拾ってきたということだけです。事務所に居ついてしまった猫だとか。o(=・ェ・=o)父は動物が好きですからね。

下記が放水路です。水路にはカモやサギなどの鳥がいました。また、水路の沿岸に桜の木が並んでいる場所があり、来月はその風景も撮ってみたいなあと思いました。

母と宮崎県日向市の美々津大橋を見てみたいねと話しています。父が若かりし頃造った橋だそうです。夜行列車に乗って宮崎まで単身赴任。1年に一回しか帰って来なかったと母は当時を思い返して言いました。まだ幼かった私や妹と家を守った母も若くてエネルギーがあったんだろうなと思います。

 

父が亡くなるというのは大変なことなんだと実感しました。退職したとはいえ世帯主として社会との繋がりは多く、びっくりするほどの手続きがあります。葬儀にまつわることもわからないのに、それらもチンプンカンプン。電話する、書類を捜す、理解する、必要なものを集める、書き込む、送る、機関に届ける・・・わからないだけに、まあ時間のかかることといったらありゃしません。嫌だ!と投げ出したくなってしまいます。だめです。逃げていられません。私がやるしかないのです。泣いたり、悲しんだりしていたら行動が止まるので、とりあえず自分の感情は封印することにしました。

ストレスで母が一時体調を崩したんです。「喪の仕事」とか「悲嘆過程」とか言われる心の変化を妨げない環境をつくらなくてはとあせりました。感情の赴くままの行動がとれないと、母まで病になってしまいます。母とゆっくり話をしなくちゃと思いました。しかし、慣れないことをやって疲労を感じているところに、母の先へ進まない話は私のイライラを誘いました。母に強い口調で怒ってしまうこともありました。しばらく妹がいてくれてとても助かりました。

 

そんなこんなでしたが、様々な手続きもだいぶ進み、母も日常に近い雰囲気になってきました。日曜日で役所も休みだし、よい天気に誘われてやや遠出をしました。父の建設したものが生活の中で機能しているのを見て、私の知らない父を知ることができました。

もう少し余裕ができたら閉じ込めた自分の感情を出してみようかと思います。o(;△;)o ワーンと泣いてみたいです。できたら気持ち良いかもしれないって思います。いつできるか・・・。家のことと職場の提出期限の過ぎた書類を何とかしたらいいかな。ε-(´・`) フー

 


2008/02/18 23:24
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梅の花と青い空

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自宅で療養している父が突然「自分の命はもう長くない。あと1ヶ月はもたないだろう。」と言いました。先月末に退院してきてから約3週間、徐々に食べることができなくなっていきました。今は渇いた喉を潤す水分を口にすることがやっとです。自宅で少しばかりの点滴を毎日していますが、それだけが生きる綱なのでしょう。

お腹が張って苦しいのに何をしてもその感覚は解消しません。また、動くと息が切れ、足元がふらふらしています。寒気が続き、トイレに行く以外はほとんどベッドの中です。先週末受診した折にいつもと違う点滴をしてもらったようですが、症状は少しも改善せず・・・。そんなこんなでここ数日少し鬱気味の父でした。黙って一点をみつめている時間が多かったと思います。

 

「お腹を切ってしまおうか・・・」はじめはそう言いました。「切って胃を取り出したら苦しいのがなくなるんじゃないか」と。そんなことできるわけないのですけど。そして「自分が死んだ後は・・・」と思いつくことをいろいろと私に伝えていきました。一緒に聴いていた母は「そんなこと言わなくても」と答えていましたが、逃げてもしょうがないことです。「元気なうちに言っておかなくちゃ」という父。私は一つ一つメモを取り、確認していきました。

知らせて欲しい人親戚と友人の名前。

様々な書類と手続き。

お金のこと。

葬儀の方法・・・など。

「また思いついたら言うよ。」

闘病中、何度も意識をなくしたことがある父でしたが、この最期の時間は随分としっかりしています。食べられなくなったことが意識消失を防いでいるのだと思います。まあ、自宅で毎日点滴をしているからかもしれませんけど・・・。

  

次回20日に受診です。「入院て言われちゃうかなあ」と心配していましたが、入院してもすることはありません。主治医もそれを承知で早くに退院をさせてくれたのです。私は意識がなくなるまで、息を引き取るまで自宅でと思っています。なので、「ずっと家にいればいいよ。」と答えました。

でも最期は医師の確認が必要です。「家で亡くなったら事件になっちゃうでしょ。救急車で病院に行けばいいか・・・」と父。なんとかなりますよ。そんなことまで気にしなくてもいいですってば。

  

青い空が広がった日曜日、たくさんの梅の花を撮影しました。もうすぐ父の植えた我が家の枝垂れ梅の花も咲きそうです。父は桜をみるのは無理でしょうが、その梅は見ることができるでしょう。たぶん・・・。そういえば、祖父がなくなったのも、祖母がなくなったのも梅の花の時期でした。

   

  

      


2008/01/24 05:23
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父の病状が悪くなりつつあります。お正月は家で静に過ごすことができました。七草を過ぎたころ、お風呂場で倒れました。たぶん貧血だったのだと思います。検査の結果、腹腔内に出血をしていましたから・・・。肝臓の腫瘍が破裂したんです。

入院です。血管を閉塞させて出血はとりあえず止まりました。でも、肝不全が進み、腹水が増え、お腹はいパンパンです。お臍が伸び切って、皮膚もツルツル。「お腹が張って苦しい」と言ってます。幸い肝性脳症という意識が無くなる状態にはなっていません。いや、むしろ少し意識がボーッとしていたほうが、苦しくなくていいのかもしれませんけど・・・。

 

今回入院した当初は、治療をしてもらってから腹痛がなくなり、すぐに退院できるかなと思っていました。でも、しばらく熱が続き、炎症の数字も高くなってしまいました。せっかく入院したから家で点滴ができるように管を入れてもらおうと、主治医にお願いしていましたが、熱が出たことで延期になってしまったのです。( ̄へ ̄|||) ウーム、手術を考えずに退院にしてもらえばよかったかなあと思うくらい、2週間のうちに父は衰弱しました。

実は食事が全く喉を通らなくなったのです。貧血に加えて黄疸もみられ、顔色は土色になってきました。食べれませんから、肉が落ちて随分と痩せました。トイレまではがんばって歩いていますが、時々ふらついています。転ばなきゃいいなあドキドキします。

 

入院中、父の入浴を何回か手伝っています。一人で入るのは危ないので。こんなことでもなければ父の背中を流すなんてなかったかもなあ・・・なんておもってしまいました。風呂好きの父、知らなかったんですけど、長湯なんですよね。しかも熱い風呂に入る( ̄д ̄) 。これじゃあ、湯上りに倒れるわけですよ。

 

母と早く家に連れて来たいねと夕べ話をしました。病院にいても回復する見込みはありませんから。なんとか今週末はと願います。自分の身体が思うようにならなくて、苦しく辛い父も帰りたいって思っているでしょう。命の終わりを自覚して、不安でいるかもしれません。でも、そういうことは言いませんから・・・。

 

本日の写真は旬の苺です。入院当初、それでも果物系はよく食べていた父。苺、みかん、りんご・・・。夕べは「何も持ってくるな」と言われてしまいました。水分は入るようなので、今日は野菜ジュースでも持っていこうかな。

正月に帰省していて北国に戻ったばかりの妹に、また戻ってきてもらわなくちゃ。

 


2007/12/08 10:39
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影絵

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写真が・・・あれ?貼付できるみたいだよ。(12月13日)

 

師走になると、今年一年を振り返っての行事が多くなります。来週になると忘年会が・・・。お世話になった人たちにお礼をしつつ、来年もよろしくといいつつ、飲んで騒いで語ることでしょう。

私の今年を一言で言うと、両親の老いと病気を感じる年だったでしょう。親に頼りきって生活してきた私。その力が小さく弱くなっているのを実感してしまいました。自分のことが自分でできなくなっていく親を受け入れなくてはいけませんでした。

 

先日、第49回日本レコード大賞の各曲が決まったそうです。金賞の中から12月30日(今年は大晦日じゃないそうです)に大賞が決定されますね。

私としてはコブクロの『蕾』が好きです。CATVの音楽専門チャンネルでこの歌のMVを見た時、なんとも言えない切ない気持ちになりました。

夕方(だと思う)自転車を一所懸命にこいでいる男の子。次にその自転車の灯りで影絵が映されます。いろんな動物の親子のコミュニケーションです。それを見た男の子は息を切らしてアパートの階段を駆け上がり、家に飛び込んでいきました。きっと、早くお母さんに会いたくなったんだろうなあって思います。ドアをあけた男の子の嬉しそうな顔でMVは終わっています。

↓ここで見れます。

http://www.dailymotion.com/video/x1jpfy_full_music

自分も親の顔を見たくなるビデオです。

 

レコード大賞の企画賞の中に「ブラバン!甲子園」というのがあり、目に止まりました。私には懐かしい曲のアルバムです。アルプススタンドで汗だくになりながら楽器を吹いたことを思い出します。甲子園の応援では吹いていませんが、このアルバムの中にある♪海のトリトン♪が聴きたいですね。中学生の時、トロンボーンで吹きました。

 

年末には妹が子供を連れて帰省します。レコード大賞という年末の行事を久々に家族で楽しめればいいなと思いました。

写真がここに掲載できるようになったら私の影絵を載せます。夕日が差し込んで襖をオレンジに照らしていたので、つい影絵を作ってみたくなったんです。片手でカメラを持ち撮影しながらだったので、片手だけの作品。凝ったものができませんでしたが・・・

 

【12/13追記】

新しい写真の貼り付けができました。影つながりで散歩中の私たちの影を載せてみました。

  

 

 

 


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