passion-38.別れと再会の朝
collage & music by tomtommama
story by kurumi
レイモンドはジニョンのアパートの前でタクシーを止めると、
運転手にそのまま待つようにと伝え、彼女を部屋の前まで送った。
「それじゃ・・ひとりで大丈夫かい?」
彼がそう言って優しく頭を撫でると、彼女は満面に微笑んで見せた。
「ええ・・ありがとう・・大丈夫よ、レイ・・
ジェニーももう直ぐ戻ってくるし・・」
「そう・・」
「それじゃ・・明日はアメリカに帰るのね・・・
お別れなのね・・・」 ジニョンは改めて別れを惜しむように言った。
「ああ、お別れだ・・・今回はジョルジュは置いていく・・
あいつもお母さんのそばにいたいだろうし
ソウルホテル関連の仕事は彼に任せるつもりだ
もちろん私も時々顔を見せるよ」
「もう本当に大丈夫なのね」
「力を尽くさせてもらうよ・・君たちのソウルホテルに」
「ありがとう・・レイ」
「だから君は・・」≪安心してフランクの所へ・・≫
そう言い掛けて、レイモンドは止めた。
「・・・・・・」
「あ、いや・・止めておこう・・」
「レイ・・?」
「いいかい?ジニョン・・君は私にとって・・たったひとりの妹・・」
「妹?」
「ああ、少しばかり気が強くて・・泣き虫で・・・
優しいお兄様としてはとうてい放っておけない妹だ・・
それならあいつも文句はあるまい?」
レイモンドはジニョンの頬に軽く指を触れながら、そう言って笑った。
「だから・・・」
「・・・・・・」
「頼りにしてくれていい・・フランクの次に。
何か困ったことがあったら、必ず連絡するんだ」
「ええ・・]
「約束だよ」
「ええ、ありがとう・・レイ・・本当に・・」
ジニョンは、彼の温かい心に胸を熱くして、涙が込み上げていた。
「ありがとうございました。」 そして彼への深い感謝を込めて、
深く頭を下げた。
ソウルホテルを・・・
守って下さって・・・ありがとうございました
ジニョンがレイモンドと別れ、部屋のドアを開けた時、
バックのポケットに刺さっていた携帯電話の着信が光った。
フランクだった。「もしもし?」
ジニョンは今しがた、レイモンドの前で涙を飲み込んだばかりで
発した声が震えていた。
「ジニョン?・・どうかした?」
フランクは瞬時に彼女の声に異変を感じて、動揺したように聞いた。
「ドンヒョクssi・・ううん、何でもないわ」
「今どこ?」
「アパート・・たった今戻ったところよ
レイにここまで送ってもらったわ」
「そう・・迎えに行ったのに・・レストラン・・」
「知ってる・・・」
「それなら、待っててくれれば良かったのに・・」
「ちょっとあなたに悪戯してみたの・・レイと一緒に」
「フッ・・悪戯ね・・」
「驚いた?私たちがいなくて」
「いや・・あの人がやりそうなことだから」
「ふふ・・私が言い出したのよ」
「君が?」
「ええ」
「それは許せないな」
「ふふ」
「楽しかったかい?今日は・・」
「ええ、とても」
「それも、許せそうにない」
「ふふ・・あなたが計画したのよ」
「そうだけど」
ジニョンが笑いながらそう言うと、フランクは拗ねたように答えた。
「ごめんなさい・・」
ジニョンが最初はフランクをからかって面白がっていたものの、
突然神妙な声で彼に謝った。
「どうかした?」
「ううん・・」
フランクがどんな想いをして、ジニョンの決意を待っているのか
レイモンドに言われるまでも無く、彼女自身にもわかっていたからだった。
「これから、そっちへ行くよ」
「駄目。」
「どうして?」
「どうしても・・・今夜は・・ひとりにして」
≪それなのに・・・≫
ジニョンは、まだ答えが出せないでいる自分が歯がゆくてならなかった。
「・・・・・・」
「怒ったの?」
「別に・・」
「怒ってる・・」
≪そうよ・・怒る権利があるわ・・・
あなたは何の迷いもなく、私に全てをくれたのだから・・・≫
「怒ってないよ」
「そう?」
「ああ・・怒ってない・・ただ逢いたいだけだ」
「今日はお昼まで一緒だったわ」
「今は一緒じゃない」
「わがままね」
「我侭?朝も昼も夜も・・そばにいて欲しいだけなのに?」
「ふふ・・それを我侭というのよ」
「そうなの?・・なら、我侭で結構」
「ドンヒョクssiったら・・」
ふたりは電話を通して聞こえてくる互いの明るい声にホッとしていた
「明日・・」
「えっ?」
「明日レイモンドのお見送り、行くの?」
「いや・・そのつもりはないよ」
「そうなの?」
「ああ、彼が嫌がるんだ」
「私も断られたわ」
「はは・・あの人はセンチメンタルだから・・」
「レイが?・・センチ・・?」
「ああ・・君が行ったら、間違いなく泣いてしまうよ・・」
「ふふ、あなたたちって、いつもお互いの悪口ばかり・・・」
「別に悪口じゃないさ」
「そうね・・お互いに愛し合ってるわ」
「愛?・・冗談は止めてくれ・・」
「ふふ・・・ねぇ・・明日私お休みなの・・」
「知ってる」
「行きたいところがあるの」
「行きたい所?」
「ええ・・連れて行ってくれる?」
「いいよ、何処でも・・」
「ありがとう」
「それで?」
「えっ?」
「何処?」
「内緒・・」
「・・・・・・」
「明日教えるわ」
翌日の朝、ジニョンはオフにも係らずフロントの前に立ち
レイモンドのチェックアウトを見守っていた。
手続き中にジニョンに気がついたレイモンドは思わず顔をほころばせた。
「来てくれたの?」
「ええ、空港までのお見送りは却下されたから・・」
ふたりは並んで話しながら、表玄関へと向かった。
「はは・・苦手なんだよ、あれ・・」
「ええ、・・泣かれると困るから、行くの、止めておくわ」
「泣く?」
「フランクがそう言ったの」
「あいつが?・・」
「ええ、レイモンドはセンチメンタルだって・・そう言ってたわ」
「お前には負けるよ・・そう言っておいてくれ」
「ふふ・・言っておく」
ジニョンはフランクとレイモンドの間で、まるで楽しんでいるかのように、
含み笑いをしていた。
「今日はフランクと出かけるんだって?」
「聞いたの?」
「ああ、昨日あの後、逃げたことをあいつがしつこく責めるんでね
君とのデートがどれだけ楽しいものだったか、力説してやった
そうしたら逆襲されたんだ・・明日が楽しみだ、ってね」
「まあ、あなた達って、まるで・・」
「まるで?・・悪がき?」
「ええ」
「はは・・ソニーにもよくそう言われるよ
あなた達の喧嘩はまるで幼い兄弟のそれだとね」
「ふふ・・きっとそうね・・ソニーさん・・お元気?」
「ああ、あいつも元気過ぎて、うるさいくらいだ」
「きっとレイが困らせてるんだと思うわ」
「おや?奴の味方?」
レイモンドとジニョンがエントランス前に待機中の送迎車の横で、
にこやかに話し込んでいると、クラクションが高らかに鳴り響いた。
その無粋なクラクションはレイモンドを待つ車からのものではなく
その向こうでジニョンを待つ、フランクの車からだった。
「あいつ・・」
レイモンドはフランクの方を横目で睨みながら、「じゃあ、また」
そう言って、フランクにこれ見よがしにと、ジニョンを抱擁した。
そして彼女の耳元で静かに囁いた「早く、行っておやり・・」
ジニョンは、車に乗り込むレイモンドに満面の笑顔を返すと、
フランクの待つ車に小走りに近づいて、素早く助手席へと乗り込んだ。
フランクはその直後に車を発進させると、クラクションを軽く二回鳴らした。
ふたりの目の前を走る車の後部座席で、振り向かないまま後ろ手に
レイモンドが手を振った。
それから二台の車は右と左に分かれて進んだ。
「行ってしまった・・・」 ジニョンがポツリと寂しげに呟いた。
「寂しい?」
「そりゃあ・・」
「ふ~ん・・」
「あ・・ドンヒョクssi、今、焼もちやいた?」
「別に?」
「いいえ、焼いてるわ・・焼いてる・・焼いてる」
ジニョンはフランクの前に自分の顔を乗り出し、囃し立てた。
「ジニョン、うるさいよ・・運転中なんだよ」
「ふふ・・可愛い」
ジニョンはそう言いながら、にっこりと微笑み、正面に向き直った。
フランクは、久しぶりに見るジニョンのあどけない笑顔が嬉しかった。
「・・・・・・で・・何処行くの。」
「東海」 ジニョンは正面を向いたまま、即座に短く答えた。
「東海?」
「ええ」
フランクが突然、車道を逸れてブレーキをかけると、ジニョンが
前のめりになった体を起こしながら言った。「どうして止まるの?」
「何のつもり?」 フランクは正面を見据えたまま、冷たい口調でそう言った。
「何のって・・お父様に会いに・・」
「わざわざ行く必要はないよ」 フランクは更に冷たく答えた。
「どうして?・・あれ以来、お父様にお会いして無いでしょ?」
「ジェニーが行ってる」
フランクは最近、東海に小さな家を買った。
休暇の度にジェニーが東海へと父を訪ねていることを聞いて
彼女が心置きなく滞在できるようにと、心を砕いたのだった。
「ジェニーが言ってたわ・・お父様、口には出さなくても
寂しがってらっしゃるって・・
あなたに会えなくて・・
再会してから、あなたと一度もお話が出来なくて・・」
「話すことは何も無いよ」
「いつまでそうしてるの?」
「会いたくない。」
「子供みたい。」
フランクの頑なな態度に向かって、ジニョンは言い捨てるように言った。
その彼女の顔をフランクは鋭く睨み付けた。
「駄目よ・・そんな怖い顔したって、私怖くないもの・・」
そして彼は彼女から顔を背けた。
「お父様・・話を聞いて欲しい、って・・そう言ったんでしょ?」
「・・・・・・」
「あなたが東海に行った時・・
そう叫びながらあなたの車を追いかけて来たって・・
レオssiが言ってたわ」
「・・・・・・」
「ジェニーに会わせるために、ホテルにお呼びした時だって
結局あなたは、ひと言もお父様とお話しなかった」
「必要無いからさ。」
フランクは正面を見据えたまま顔を強ばらせ、彼の中で
怒りが頂点に到達しているのがわかった。
「そんなはずない。」
それでもジニョンは彼の頑なさを一喝するように言った。
「君には関係ないだろ!君に何がわかる!」
フランクは思わず怒鳴ってしまった。
その瞬間、ジニョンがフランクの瞳の中で、悲しげに項垂れた。
「あ・・ごめん・・・・・」
「そうね・・・私には関係がないわ・・・」
「ごめん・・そういう意味で言ったつもりは・・」
「わかってる!でも!このままじゃ・・
このままアメリカに帰ってしまっちゃ・・駄目・・・
絶対に・・駄目。」
そう言いながらフランクを見つめるジニョンの瞳に涙が浮かんで
今にも零れ落ちそうだった。
「卑怯だな・・・」
「・・・・・・」
「そうやって・・」
「そうやって?」 ジニョンの声は涙で震えていた。
「・・・いつもそうやって・・・僕を懐柔するんだ・・君は。」
「・・・何とでも言って。」 ジニョンはフランクを睨み付けた。
フランクはジニョンの睨み付けた眼差しに圧倒され、
遂には降参したように一度足元に視線を落として、小さく笑った。
ジニョンは彼のその様子にほっとして、張り詰めた緊張を解いた。
零れ落ちそうだった彼女の涙が、泣き笑いのせいで
急いで頬を伝い落ち、消えて行った。「忘れるところだったの・・・」
「ん?・・」
「お墓参り」
「・・・・・・」
「今日でしょ?
このところ・・ちょっと精神的に参ってて・・・忘れてしまうところだった」
「・・・・・・」
「やっと・・・あなたと一緒に会えるわね・・お母様に・・」
フランクはジニョンのその言葉に、胸が熱くなる自分を感じて少しうろたえた。
しかし自分を見つめるジニョンの瞳が、素直になれ、と説いていた。
フランクは彼女に向かって静かに微笑むと、彼女の頭を右手で抱き寄せ
その髪にそっと唇を落とした。
ああ・・・・
・・・そうだね・・・
passion-37.レイモンドの愛
collage & music by tomtommama
story by kurumi
「10年前のあの頃・・私は君を愛していた・・いやきっと今でも・・・
そんなに驚かないでくれないか・・・
一度位、本心をさらけ出したとて、罰は当たるまい?」
レイモンドはそう言って笑って見せたが、ジニョンは困惑した表情のまま
ただ彼を見つめていた
「今まで誰にも話したことなど無いが・・・
私は幼い頃、父によって・・母から引き離されて育った
父にしてみればある意味、私と母を想ってしたことだ
それでも長いこと、私は父を恨んでいた
・・・私達親子はある意味他人よりも遠い存在だった・・・
そして・・母は・・・
私の気持ちを無視して自ら命を断ってしまった
母にしてみればまた・・私を想ってしたことだった
今ではそう思う・・
父も母も私を心から愛していた・・しかし・・
彼らのしたことは私の心を閉ざす結果を生んだ・・・」
レイモンドはそこまで話すと、しばらく俯いて黙ってしまった。
そして、また顔を上げジニョンとの視線を合わせた。
「・・・大好きな・・とても大好きな母だった・・・
だからこそ・・母が憎かった・・
どんな理由があるにせよ・・自分を置き去りにした母を恨んだ
そして私はとても長い間
母の存在を自分の中から消し去って生きてきた」
ジニョンはただレイモンドの切ない程の告白に息を呑んでいた。
「君に初めて会った時・・その母を思い出した
かなりの年月、忘れていたと思っていた母が鮮明に生きていた・・
君の存在は・・私の奥深くに眠っていた母への思慕を呼び起こした・・・
きっと君の笑顔が、母の笑顔と重なったのかもしれない
そして君の芯の強さもまた、母に通じていた
・・・だから君を愛したのだと・・・そう思った・・・
あ・・言っておくが・・マザコンだと、笑うんじゃないよ」
レイモンドは深刻になりつつあった自分の話を瞬時に冗談に変えた。
ジニョンは零れ落ちそうになっていた涙を懸命に飲み込むと
困惑していた表情を崩して、彼に向かってクスリと笑った。
「つまらない昔話をしてしまったね・・・しかし・・・
君達には言っておきたい・・・
時として人は人を愛する余り、判断を誤まるものだ
だからと言って、それを責めることはできない・・・そうだろ?」
ふたりは互いに、自然な笑顔を作ろうと懸命になっていた。
そしてレイモンドはまた口を開いた。
「・・・フランクは気付いているよ・・」
「・・・・?」
「私が・・・君を愛していること・・・
口にこそ出さないが、しっかりと私の想いをコントロールしている」
「コントロール?」
「ああ、私が君に暴走しないように・・・ということだな
その為に彼は私の懐に入っていると言っても大げさじゃないはずだ」
レイモンドはそう言って更に笑って見せた。
「レイ・・・」 ジニョンは苦笑いで彼の笑みに答えていた。
「私はね、今まで・・何度、
彼から君を奪ってしまおうと考えたかしれないんだ
君達が離れ離れになっていた間も・・・
今なら、君を私のものにできるかもしれない
そう思ったことも一度や二度じゃない」
「・・・・・・」
「私は自慢じゃないが・・
欲しいものは何としても自分のものにする人間だ
しかし・・君に関して言えば、自分の信念を曲げたことになる」
「・・・・・・」
「何故そんなことができたと思う?」 レイモンドの問い掛けに
ジニョンは微かに微笑むだけで答えなかった。
「 ・・・・・ジニョン・・どうか怒らないで聞いて欲しい
私はこの10年間・・・君のことを人に調べさせていた」
「・・・・・・」 一瞬、ジニョンの瞳の奥に怒りの渦が見えた。
「大義名分を言えば、君が幸せでいてくれているか・・
確かめずにはいられなかった」
「・・・酷いわ・・・」
「知らないままでいるには私は君を愛し過ぎていた・・
だからと言って、許せとは言わない
いつかはこうして君に詫びようと思っていたんだ」
「・・・・・・」
「あいつは・・・フランクは・・・例え現実には君と離れていたとしても・・・
心が君から離れることなど到底有り得なかった
それはわかりきっていたことだ
しかし・・もしかしたら君は違うかもしれない・・・
彼を忘れて、違う道を歩み始めるかもしれない・・そうしたら・・・」
「・・・・・・」
「そう思っていた・・いや、そう願っていたのかもしれない」
レイモンドはまるで自問自答するように呟いて、頷いた。
「・・・・しかし・・ある時
君が彼の母親の墓参りをしていることを知った
月命日に毎月欠かさず・・・そのことを知った時
私は一度だけ、その頃を見計らって来韓したことがある
そしてある日・・・
君は両手一杯に花束を抱えてある丘へと上った
ごめん・・そんな怖い顔しないで・・・一度だけだよ・・・
いつも君を付回していたわけじゃない」
「・・・・・・」
「君は丁寧にそのお墓に花を供え、長いこと手を合わせていた
そして慣れたようにその横に腰掛けると
その丘から見下ろせる海を君は長い間眺めていた
10分・・30分・・一時間・・・
潮風に吹かれながら・・時は流れていくのに・・・
君は少しもそこから動かなかった」
「・・・ずっと?」
「ああ、ずっとそこにいた・・君のすぐ後ろに・・・」
「悪趣味・・・」
「ごめん・・・」
ジニョンは呆れたように薄く笑いながら、横を向いた。
「でもお陰でわかった・・・
君達は離れていてもずっと共に生きていると
君達ふたりの愛は・・・これから先も
誰の、どんな妨げにも、負けはしないだろうと本気で思えた
俗な言葉はあまり好きじゃないが・・
君達は運命の絆で強く結ばれている・・・
不思議と・・心からそう思うことができた
きっと私には・・いや他の誰にも・・それを壊すことはできないとね・・・
その直後だよ・・・私が・・・
ソウルホテルの案件を彼に無理やり持ち込んだのは」
「・・・・・・」
「ジニョン・・・私は心から君の幸せだけを願っていた・・・
しかし今は違うような気がする・・・
思うんだ・・・
私はもしかしたら今では君よりも・・・
あいつの幸せを願っているんじゃないだろうかって・・・」
レイモンドは一度まぶたを伏せて小さく溜息をついた。
「どうしてなんだろうと考えたよ
今まで私にとって君程愛した女はいないのに・・・」
レイモンドは少し困惑した様子のジニョンを無視するように話を続けていた。
「レイ・・・」
「最近ね・・その答えがやっとわかった」
「答え?」
「ああ、それほどに愛したはずの君よりも、
今ではこの私があいつの・・・
フランクの幸せを願っている・・その理由・・」
そう言ってレイモンドはジニョンに向かって満面に微笑んだ。
「それは・・・あいつの幸せが結果として
君の幸せだから・・・
それ以外に君の幸せは無い・・・そういうことだ」
ジニョンは無言のまま、レイモンドを見つめ続けていた。
「わかるだろ?」
レイモンドは彼女に向かって切なく顔を歪め、笑って見せた。
「今度は自分が待つ番なのだと、あいつは言った
10年前のあの日・・君を置いて逃げてしまったあの日から
あいつは暗い闇の中で生きていた・・・
長い・・長い年月だ・・・きっと君もそうだっただろう・・
だから・・もういいだろ?十分に苦しんだ・・・
もうそろそろ暗闇から救い出してくれないか・・あいつを・・」
「レイ・・・」
「そのためなら私は何でもしよう・・・
君たちのためなら・・・」
「・・・・・・」
「君たちのためなら・・・
私もまたどんな罪でも犯すことができる」
レイモンドはかなり深刻に聞こえそうな自分の言葉を、
まるで冗談でも言っているかのような言い方で、ジニョンに微笑んだ。
「レイ、脅かさないで」
「脅してる?・・はは・・そうか・脅しか・・
そりゃあ、いいや・・脅しで君の気持ちにけりがつくなら
いくらでも脅して見せるよ」
レイモンドはそう言いながら、彼女の言葉に嵌ってしまったように笑った。
そして・・・
「愛するということは・・・そういうことだ。」
レイモンドは真顔に変え、ジニョンの目をしっかりと見据えると
そう言い切った。
「レイ・・」
「何だい?」
「ここから逃げ出さない?」 突然ジニョンがそう言った。
「えっ?・・・」
「どんな罪でも犯すんでしょ?」 ジニョンは悪戯っぽくレイモンドを見た。
≪そろそろだ≫ フランクは書類に目を通しながら、腕時計を見た。
そして机の上の書類を全てアタッシュケースに戻すと、
ポールに掛かったスーツの上着を手に取った。
明日はレイモンドもアメリカに帰る。
今回の一件での彼の多大なる尽力には感謝するしかなかったが、
例えフランクが頼まなくとも、レイモンドはジニョンのこととなれば、
黙っていられなかっただろう。
それはレイモンドがジニョンを心から愛しているからに他ならない。
そしてフランクはそのことをよく知っていた。
『いいか、フランク・・私は今まで。
今まで一度もジニョンとデートしたことが無い。
一度もだぞ。』
今朝レイモンドが突然そう言った。
『お前、今回のことで私に感謝していると言うなら
口先だけじゃなく、一度位ジニョンを私に預けたとて、
罰は当たらないと思わないか?』
その時、レイモンドの駄々をこねる子供のような言い様に、
フランクは思わず噴出しそうになった。
『一度だけですよ』
フランクが渋々そう言うと、レイモンドは『良し。』と笑った。
フランクがレストランに着いた時、そこに彼らの姿は無かった。
「レイのやつ・・・」
フランクはしてやられた、と苦虫を潰したような表情を露にした。
そして、レストランの前で待ちぼうけを食っていた運転手に
「もう用はない」と渋い顔で伝えた。
レイモンドとジニョンは、表で待ち構えていた車を避けるように
レストランの裏口から、こっそりと抜け出ていた。
悪戯な子供達が親に内緒で家を抜け出し遊びにでも出かけるように
ふたりして顔を見合わせ笑いながら、2ブロックを駆け抜けた。
「知らないぞ・・ジニョン
あいつの恐ろしい顔が浮かぶようだ」
レイモンドはそう言って走りながら、胸の前で十字を切った。
「ふふ・・レイが先にそうしようって言ったのよ」
「おいおい、私のせいにするのかい?」
「ええ。もちろん!」 ジニョンの笑顔は屈託が無かった。
「ま、いいさ・・知ってたかい?
あいつを怒らせることほど楽しいことは無い・」
「そうなの?」
「ああ、あいつに睨まれるとゾクッとする
それがまたたまらないんだ」
「レイ・・悪趣味ね」
「はは・・趣味は悪くないと思ってたが・・」
「でも、ありがとう・・・
フランクを・・・ずっと見ていてくれて・・・」
「・・・・・・」
「ずっと・・・心配だったの・・・でもレイが・・・
フランクを愛していてくれて・・嬉しかった」
「愛してる?・・・それはちょっと違うんじゃないか?
私が愛してるのは・・はは、何だか変な感じだな」
「変じゃないわ・・あなたはフランクを愛してくれた・・」
「私だけじゃない・・・君の代わりにフランクを守った人間は・・」
「・・・そうね・・でも、ありがとう」
「複雑だな・・」 レイモンドはそう呟いて上目に宙を仰いでみせた。
「さて、これからどうする?
本当にソウルの街に繰り出すかい?」
レイモンドがそう言うと、ジニョンは横に首を振った。
「そうだね・・それじゃあ、家まで送って行こう」
「ありがとう・・レイ・・」
レイモンドはジニョンの本当の気持ちがよくわかっていた。
彼女が、フランクを避けてレストランを出て来てしまったのは
今夜はどうしてもフランクの顔を見ることができなかったからだった。
≪あいつの幸せが結果として君の幸せだから
それ以外に無いからだよ・・・≫
今のジニョンにとって、さっきのレイモンドの言葉は胸に重過ぎた。
今ジニョンは考えなければならなかった
自分自身がどうするべきなのか・・・
ホテルのため?・・・
ドンスクのため?・・・
フランクのため・・・自分のため・・・
今度は自分が待つ番なのだと、あいつは言ったんだ
暗闇から救い出してくれないか・・・あいつを・・・
≪ええ・・・レイ・・・私も・・・≫
・・・私も・・・
・・・そうしたい・・・
passion-36.突然の告白
collage & music by tomtommama
story by kurumi
フランクは彼女にくちづけながら、いつまでもこの時が続くようにと祈った。
ジニョンは彼の狂おしいほどのくちづけに、自分がこのまま彼の中に
溶けて消えてしまえばいいと願った。
しかし、時を刻む音はいやがうえにも現実を運んでくる。
それ故に、ふたりは意図して互いの胸の奥に潜む暗鬼に
触れることを避けた。
ドンヒョクが手配したルームサービスのランチを摂る間さえも
まるで一分の不安すらも感じていないかのように、互いに明るく
振舞うよう努めていた。
フランクはジニョンの気持ちを追い詰めることはするまいと決めていた。
≪しかし・・・≫実の所彼は心の奥の自問と戦っていた。
≪もしもジニョンの答えが・・・≫
フランクは小さく首を横に振って、その先の疑念を否定した。
「どうしたの?」 ジニョンが尋ねた時、玄関のチャイムが鳴った。
フランクは直ぐに訪問者がレイモンドだと思い、ジニョンに目で合図した。
彼女は頷いて席を立ち、寝室へと向かった。
フランクがインターフォンで応えず、直接玄関のドアを開けると
そこにはレイモンドの意気揚々とした姿があった。
「随分早いですね」 出迎えたフランクはレイモンドに言った。
「そうか?」
レイモンドは澄ました様子で、フランクに先立って部屋へと向かい
メインルームのドアを開けた。
「やっぱりね」 そして彼は立ち止まってフランクに振り返った。
彼の視線は目の前のテーブルに広げられた用済みの食器に注がれていた。
フランクは彼の言葉の意味を理解しながらも、そ知らぬ振りをした。
「今ジニョンは着替えています」
レイモンドは大きく溜息をついて、フランクを睨んだ。
「確かジニョンは昼過ぎまで、どうしても外せない仕事があるんだったよな」
彼はひと言ひと言を強調してそう言った。フランクはそれには答えず
澄ました顔で席に戻ると、コーヒーカップを口に運んだ。
そこへ寝室からジニョンが現れた。
その瞬間、不満げだったレイモンドの顔が柔らかく穏やかに変化した。
「やあ・・ジニョン・・綺麗だ・・・とても似合うよ」
淡いブルーシルクのワンピースを身に着けたジニョンを眺めながら、
彼は満足そうに言った。
「Hi・・レイ・・プレゼント・・ありがとうございます」
ジニョンも顔を赤らめながら満面の笑みで答えた。
「ああ、着てくれて嬉しいよ・・君への初めてのプレゼントだね」
そう言いながら、レイモンドはジニョンを愛しげに見つめていた。
「最初で最後にして下さい」 フランクが後ろから冷ややかに横槍を入れた。
「プレゼントまで指図される謂れは無い。」 レイモンドは彼を横目で睨んだ。
「今日は一日付き合ってくれるだろ?」 その睨んだ目を優しく細めて、
レイモンドはジニョンへと移した。
「7時までです」 フランクがすかさず口を挟んだ。
レイモンドはそれには答えず、ジニョンの肩を抱き、玄関へと急いだ。
ジニョンは苦笑しながら、レイモンドに従った。
「7時に迎えに行きますよ」 フランクはふたりの背中に向かって言った。
「何処に?」 レイモンドは意地悪そうな声でその言葉だけを残し
ジニョンとふたりで出て行った。
残されたフランクは不思議と心地良いいらだちを味わいながら、
わざとらしくどかっと椅子に腰を下ろし、呟き微笑んだ。
「何処へでも。」
久しぶりに楽しく笑ったような気がした。
ジニョンはレイモンドを案内し、ソウルの観光スポットを巡っている間
終始笑っていた。
このところ、ドンスクのことや、ホテルのことで心を乱されることが続き
相手が愛するフランクと言えども、心から笑ったことがなかったような
気がしていた。
「アー楽しかった・・」 ジニョンは心からそう言った。
「そうかい?」 レイモンドは彼女のその言葉に目を細めた。
「ええ、とても・・最近こんなに笑ったことなかったわ」
「それは嬉しいね・・フランクにもちゃんと報告しよう」
「レイ。」 ジニョンは悪戯っぽく彼を睨んだ。
「はは・・冗談だよ・・悪い結果が読めることはしない主義だ」
「そう?悪い結果にわざと立ち向かいそう」
「するどい。」
「ふふ・・」
レイモンドとジニョンはフランクが手配してくれたレストランで
少し早めのディナーを楽しんでいた。
「しかし、ディナーを5時半に予約するなんて、あいつ・・
本気で7時に迎えに来るつもりなんだな」
レイモンドはデミタスカップをソーサーに戻しながら、
フランクに対して軽く悪態をついていた。
「ええ、きっと。」 ジニョンもそれを面白がっていた。
「ここから逃げだすというのはどうだい?彼がここへ来た時には、
我々は既に夜のソウルへと消えてるんだ」
レイモンドが腕時計を確認しながらそう言うと、ジニョンは
彼の子供じみた言い様に、声を上げて笑った。
「ふふ、レイったら・・
悪い結果が読めることはしない主義なんでしょ?・・」
「いや、立ち向かう主義。」
「協力してもいいわ。」 ふたりは互いに悪戯っぽい目をして微笑んだ。
「でも・・本当に良かった」 レイモンドはほころぶ程の笑顔から
愛しいものを優しく見つめる微笑に変えてそう言った。
「えっ?」
「やっぱり君はそうやって笑っている方がいい」
「・・・・・・」
「君の悲しそうな顔を見るのは、いつになっても辛いよ」
「レイ・・・」
「フランクもそうなんだ」
「・・・・・・」
「あいつは苦しんでいるよ、ジニョン・・・わかるね」
「・・・ええ・・・」
「君の立場や気持ちもわからないではない、しかし・・
私は、ドンスク社長のことはよく知らない
だから悪いが・・・私はやはり奴のことを考えてしまう」
「レイ・・・」
レイモンドは神妙な顔でそう言った後、にっこりと笑った。
ジニョンはレイモンドの言いたいことがよく理解できたが、
さりとて、返す言葉に迷った。
「しかし、君が答えを出す以外にないわけだから・・
私は・・彼の言うことを信じることにした」
「えっ?」
「私も・・・黙って待つということだ」
そう言って彼は固い意志を示すように腕組をした。
「レイ、私は・・」
「私はね、ジニョン・・」 レイモンドはジニョンの言葉を遮った。
「どういう因果か、君たちの人生に深く係ってしまった
いや、私の人生に君たちを係らせてしまったと言った方が
正しいような気がする・・・その為に君たちは
十年もの間、離れて生きるしかなかったんだからね」
「そんなことは・・」
「いやあるよ・・・私の生涯における最大の後悔だ・・」
「レイ・・・」
「だから・・・見届けたい」
「見届ける?」
「ああ、君たちが共に生きる姿を見届けたい。」
レイモンドは宙を仰いで、そう言うとゆっくりと目を閉じた。
「君たちの未来を・・・見届けたい」
レイモンドは淡々とした口調でその言葉を繰り返した。
そして彼のその言葉はジニョンの心に切なく染み入った。
この10年の月日をレイモンドもまた苦しんで生きていた。
彼の表情がそのことを如実に伝えていたからだ。
ジニョンはしばらくして、少し熱くなった胸を冷ますかのように
小さく溜息を吐いた。
「レイ・・・心配掛けて・・ごめんなさい」
ジニョンはゆっくりと言葉を繋ぎながら、込み上げるものを堪えた。
「心配はしていないよ・・・私は君達を信じてるからね」
彼は優しい笑顔でジニョンを見つめた。
「私・・・」
しかしその言葉は今の彼女にとって、決して心地良くはなかった。
「ん?」
「私・・・どうしたらいいのか、わからないの」
「・・・・・・」
「私にとって、フランクは・・・誰よりも・・何よりも大切な人・・・
それに間違いはないわ・・・でも・・・・・・・」
「確かに・・・」
レイモンドはジニョンの言葉の先が思うように繋がりそうにないことを察して、
その先を引き取るように彼女の言葉を遮った。
「確かに・・比べられないものはあるよ、ジニョン・・
人にはそういうものが確かにある・・・しかし・・・・・」
レイモンドは一旦黙して一呼吸置いた後、言葉を選ぶように先を続けた。
「この世に・・・
愛するものも・・欲しいものもたったひとつだけ・・・
ひとりの女しかいないという男がいる
彼女以外は何ひとついらないという男がいる
その女のためならどんなことでも・・・
きっとどんな罪でも犯すだろう男だ
そう・・・どんな罪でもね・・・
例えその罪ゆえに、欲しいと願う女すら得られない
そんな辛い結果となったとしても・・・
その結果が・・・その女の為ならば、それでいい
そう思う男だ・・・」
「レイ・・」 ジニョンは悲しそうに眉を顰めた。
もちろん、レイモンドが誰のことを言っているのか、
その男が欲するものが何であるのか、ジニョンにはわかっていた。
「何故?」 それでもジニョンはそう聞いた。
「何故?」 レイモンドもまた彼女に問うた。
「その人は・・・どうしてそこまでするの?」
「さあ・・どうしてだろう」
レイモンドはジニョンに問いかけるように小首をかしげた。
「彼女もきっと・・・
彼をとても愛していて・・・ふたりはとても愛し合っていて・・
それなら、きっと・・・彼女は
彼に・・・罪を犯してまで望みを叶えて欲しいとは思わないわ・・・
彼女もまた、彼のことが大切だから・・
とても・・とても・・愛してるから、きっと・・・」
「そうだね・・・きっとそうだろう・・・
でも時に愛するもの同士は・・・
互いを思う余り、互いが望まないことをしてしまうものだよ」
レイモンドは今までの固い表情を柔らかく変えてそう言った。
この時彼は、心の中で自分の父や母のことを思い出していた。
ジニョンは彼のその言葉に悲しげに笑顔を作った。
「しかし私は奴の気持ちが手に取るようにわかる」 レイモンドは続けた。
「ねぇ、ジニョン・・・私はずっと君の幸せを願ってきた・・・
この10年ずっと・・・」
ジニョンは俯きかけていた顔を上げて、レイモンドを見つめた。
「それは・・・私が君を愛しているから・・・」
ジニョンはレイモンドのその言葉に少し驚いたように瞬きをした
「知らなかったわけじゃないだろ?」
レイモンドはそう言って悪戯っぽく笑って見せた。
「あの・・レイ・・」 ジニョンは困惑した表情でレイモンドを見つめた。
「黙って聞きなさい・・・私は今、君に告白しているんだ
きっと最初で最後の告白だ」
レイモンドはそう言って、ジニョンの言葉を遮った。
彼のまなざしは彼女を愛しむように熱かった。
「10年前のあの頃・・私は君を愛していた・・
・・・いやきっと今でも・・・」・・・
passion-35.もう二度と・・・
collage & music by tomtommama
story by kurumi
受話器から届いたレイモンドの呆れたような声がフランクの片眉を上げさせた。
レイモンドはフランクからの連絡が一向にないことに痺れを切らし、
朝早過ぎるのもお構い無にうるさくフランクのリンクを鳴らしたのだった。
フランクはいつもの通り、早朝の走り込みでかいた汗をシャワーで流し
昨夜やりかけていた仕事に取り掛かろうと、デスクに付いた所だった。
「何のことでしょう?」 フランクは受話器の向こうに向かって、
憎らしいほどに醒めた無機質な声を返した。
「ジニョンのことだ。」
「ああ・・」
「彼女はアメリカに連れて行くんだろ?」
「さあ・・」
「さあ?!」
「何をそんなにカリカリなさってるんです?レイ・・」
「私は何のためにここへ来たんだ?」
「あー・・・愛のため?・・でしたか?」
「ふざけるな!フランク・・」
「ふざけてなどいません・・・」
「それなら、何故ジニョンは泣いているんだ?
どうしてあんなに苦しそうな顔をしている?」
「・・・・・・」
「フランク!」 レイモンドがフランクの沈黙を一喝した。
「僕はもう・・・彼女を失うことはできない」 フランクが突然そう言った
受話器を通して聞こえてくるフランクのその声は淡々とした中に
悲哀を滲ませていた。
そしてその言葉はレイモンドに向かって言っているのではなく
フランクが自分自身に言い聞かせているのだと、レイモンドは思った。
レイモンドはしばらくの間、フランクに掛ける言葉を失っていた。
「・・・・それなら・・」
レイモンドは少しして溜息混じりにやっと口を開くことができた。
「待っているんです」 フランクは直ぐにそう答えた。
「待っている?」
「ええ・・・今度は・・・僕が待つ番ですから」
今度は・・・僕が待つ番ですから
フランクは自分の言葉を噛み締めるようにそう言った。
「どういうことだ・・」
「理由?・・ですか?・・・フッ・・説明は難しい・・」
フランクはまるで自嘲しているかのように小さく笑って言った。
「君という男の考えることは・・・よくわからん」 ≪そうじゃない≫
レイモンドにはよくわかっていた。
「フッ・・お互い様でしょう?」 フランクは面白がっているようだった。
「私は単純明快だ・・・愛するものは誰にも譲らない」
「そうでしたか?」 そうじゃないでしょ?、と言うようにフランクは言った。
「例外もある」 そう言って、レイモンドは笑って見せた。
フランクも彼に合わせて小さく笑った後、更に続けた
「しかしレイ・・これだけは言えます
僕には・・・例外など無い。
愛するものも・・欲しいものも・・最初から、そしてきっと最後まで・・
この世にひとつしかありません・・だから・・
そのたったひとつのもの以外・・何ひとつ・・・いらない。」
「だろうな」 レイモンドは心から納得したように言った。
「もう二度と・・・」 フランクはその後の言葉を口にしなかったが
レイモンドにはしっかりと聞こえていた。≪もう二度と、諦めない≫と。
レイモンドはさっきまで抱いていたフランクへの不審が、
自分の中から綺麗に消えていくのを感じていた
「フランク・・・信じてもいいか」 それでもレイモンドは確かめたかった。
「あなたに信じてもらわなければなりませんか?」
「ああ・・何としても。」
「なら・・信じて下さい」
「きゃー!!」
寝室から聞こえた突然の悲鳴に、PCのKEYを叩いていたレオが
驚いて指を宙に浮かせたまま、そのドアに振り返った。
「何だ?今のは・・」 レオはフランクを見て言った。「ジニョンssiか?」
レオは昨夜から隣の部屋にジニョンが眠っていることを知らなかった。
フランクはニヤリと笑ったかと思うと、持っていたペンをテーブルに置いた。
そしてレオに向かって意味有りげに言った。「・・食事でもして来ないか?」
「そんな暇は・・・あー・・OK?、食事休憩としよう
ランチには少し早いがな」
嫌味混じりに言いながら、レオはフランクに向かって肩をすくめた。
「フランク!どうして起こしてくれなかったの!」
レオが部屋を出ようと席を立った時、フランクの寝室のドアが
勢いよく開いて、ガウン姿のジニョンが乱れた髪のまま現れて、
レオと鉢合わせした。
「きゃっ!・・ごめんなさい」
慌てたジニョンはまた寝室へと消え、レオは無言のまま、
フランクに後ろ手に手を振って部屋を出て行った。
フランクが苦笑しながら、寝室のドアを開けると、
ジニョンは鏡の前で、困ったように髪を手で梳いていた。
「おはよう・・やっと目が覚めたね」
ジニョンはフランクの涼しげな笑顔を鏡越しに睨み付け、悪態をついた。
「・・大遅刻。」
「たっぷり眠らせたかったんだ」
「仕事があるのよ。」
「その心配はない」
「今何時だと思ってるの?もう二時間も過ぎてる」
「テジュンssiには了解を得ておいた
今日の君の仕事は僕が決めていいことになってる。」
「えっ?」 ジニョンは驚いた顔でフランクに振り返った。
「だから今日は・・」
「ちょっ・・ちょっと待って・・
あなたがどうして私の仕事に・・それに・・
どうして、テジュンssiに勝手に?・・」
ジニョンはフランクに抗議しようと立ち上がった。
「僕はソウルホテルの理事だからね、
それくらいは権限があるだろ?」
フランクは澄ましてそう言いながら、ドアにもたれて腕を組んだ。
「・・・・・フランク・・・あのね。」 ジニョンはフランクに詰め寄った。
「今から二時間は僕と過ごすこと・・それから・・」
彼は近づいて来た彼女の口を掌で塞ぐと有無を言わさずそう言った。
「う・・ん・・もう!勝手なこと言わないで」
ジニョンはフランクの手を払いのけ、彼から逃れた。
「何処行くの?」
「オフィスに決まってるでしょ?」
そう言いながら、彼女はベッドの脇の椅子に掛けてあった服を手に取った。
その瞬間、ジニョンは自分で服を脱いだ覚えが無いことに気がついた。
「・・・・・・あなたが?」
ジニョンはガウンの下の自分の素肌に視線を走らせた後、
フランクに振り返った。
「窮屈そうだったから・・」 フランクはにっこりと笑顔で言った。
「・・・・・・。」
「それに・・・」 フランクはそう言いながら、ジニョンに近づいて
背後からゆっくりと彼女を抱きしめた。
「君が目を覚ました時、この方が楽かなって・・」
そして彼は、彼女の肩からガウンを少しずらして、その肩に唇をつけた。
すると彼女は素早くそのガウンを肩に戻して、彼をかわした。
「止めて・・フランク、レオさんが・・」
「レオは出かけたよ」
「そうじゃなくて・・だとしても!私は仕事に・・」
「レイモンドが怒ってるんだ」
「えっ?」
「こっちに来てから、ジニョンとゆっくり話もできてないって」
「だって・・」
「レイは明日アメリカに帰ってしまう
その前に少しくらい付き合ってあげてもいいんじゃない?」
「それでわざわざ、テジュンssiに了解を取ったの?」
「そういうこと・・
このホテルにとって、取引先のお偉いさんだからね、レイは・・
市内観光くらい付き合ったって罰は当たらない
そうでしょ?・・テジュンssiも当然のことだと言ってた」
「そうね、確かに・・・そういうことなら・・
わかったわ・・それでレイは?」
「用事を済ませて、一時にはここに迎えに来るよ」
「一時?・・まだ二時間はあるわね・・・じゃあ、ちょっと着替えに家に・・」
「着替えは用意してある」
フランクはそう言って、テーブルの上の高そうなブランドの箱を指差した。
「ドンヒョクssi・・」
「僕じゃないよ・・レイの仕業・・だから文句言わないで」
ジニョンは抗議しようと一度口を開いたものの、フランクの先制に
呆れたように溜息をついて口を閉じるしかなかった。
「お陰で少し時間ができたね」
フランクはそう言って、さっき彼女によって戻されたガウンを
その肩から再度滑らせた。
ジニョンは彼を熱く背中に感じながら、次第に自分の頬が
優しく緩むのを感じていた。
そして彼女は昨夜、自分が彼を困らせていたことを思い出していた。
「ドンヒョクssi・・・昨日は・・その・・ごめんなさい」
「謝るようなこと・・何かあった?」
「あったわ・・いっぱい・・・」
「そうだった?・・忘れた・・」
「・・・・時間をくれる?ドンヒョクssi・・・」
「シー・・時間がもったいない・・」
フランクはジニョンの背中を抱いて、彼女の首筋に唇を這わせながら
彼女に衝撃を与えないよう巧みに互いの体をベッドに滑らせた。
ジニョンは思っていた。
フランクの腕の中にいれば、不思議と何もかも忘れられる。
この腕の中にさえいれば心から安心できて・・・
私のすべてが・・・
・・・フランクだけになるの・・・
passion-34.溢れる涙
collage & music by tomtommama
story by kurumi
「どうしたの?こんな遅くに・・・」
フランクはたった今、レイモンドからの電話でジニョンのことを聞いていた。
そのお陰で、何の前触れも無く部屋に入って来た彼女にも
さほど驚かずに済んだ。
フランクはレイモンドに向かって「また後で掛け直します」と告げると、
ゆっくりと受話器を戻した。
フランクと共に連日、ソウルホテルの一件に追われていたレオも、
ふたりの間の緊迫した空気を察して、急いで目の前の書類をかき集めると
自分の寝室へと消えて行った。
「夜中だよ・・それに・・」
フランクは俯きながら、わざと不機嫌そうな声で言った。
≪本当は逢いたくて仕方なかった≫
「前に・・勝手に入って来て構わないって・・
あなたがそう言ったわ」
「それは構わないけど・・」
「電話掛けても、忙しそうだったから」
「忙しいんだ。」
「私と話す時間も無いほど?」
「今話してる。」
互いが、互いを傷つけようと刺々しさを装っていた。
「避けてたでしょ?・・私を」
「そんなことはないさ」
「うそ」
「・・・・君こそ・・僕を避けてた」
「そうね・・私も避けてた」
「なら、おあいこだ」
「どうして?」
「だから・・おあい・・」
「どうして!」 ジニョンの目がフランクを諌めるように力強く見開いた。
「何が?」
「どうしてあんなことを?」
「あんなことって?」 彼女が言いたいことはとっくにわかっていた。
フランクは観念したように立ち上がり、ジニョンに近づいた。
ジニョンはフランクを睨み付けたまま、彼が近づくのを待っていた。
その時ジニョンの目は涙に潤んでいた。
「あなたって・・大嫌い!」
ジニョンの彼を睨み付ける眼差しが、フランクを僅かに苛立たせた。
「そう。」 彼はその苛立ちを胸の中で秘かに鎮めながら、
ほんの少しだけ彼女から視線を逸らし、また視線を合わせた。
ふたりはしばらくの間沈黙のまま互いに睨み合い、その場を動かなかった。
ジニョンの瞳を潤ませていた涙は次第に大粒の光となり、
そのひとしずくが彼女の頬を伝って落ちる様がフランクを動揺させていた。
「あなたって、いつもそうなのよ・・いつもそう・・・
10年前だって・・・そうだった
あの時、私の前から黙って消えた時も・・
あなたひとりで考えてそうした!
今度だってそうよ・・10年も経って、私の前に突然現れて・・
勝手に私の心を乱した・・・」
「勝手に?・・そうなの?」
「勝手よ!・・勝手だわ・・・そしてまた今も・・・
いつもいつも・・私の気持ちを無視して・・」
フランクをなじりながら、ジニョンは流れる涙を抑えることができなかった。
「無視した覚えは無い」 フランクは彼女の涙から顔を逸らして静かに言った。
「無視してる!」
「無視してない!」
フランクはジニョンの攻撃に、つい怒鳴ってしまった自分を省みて、
声を落とした。「・・・・・わかったよ・・」
「何がわかったの?・・わかってないくせに。」
ジニョンはフランクに向かって容赦が無かった。
「僕が君を無視してる・・それはわかった、それで?」
「話して・・」
「何を?」
「あなたにとって何の関係もないホテルのために・・・
どうしてそこまで?」
「そこまで?・・・」
「聞いたわ・・ジョルジュに・・今回のことで
あなたが自分の全財産を投じたと・・どうしてそんなことを?」
「そんなこと?」
「それだけじゃないわ・・財産だけじゃない・・
あなた、自分が何をしたのか・・わかってるの?
この十年間にアメリカで培ってきたものを・・
簡単に捨ててしまったのよ」
「捨てた?・・・そうかな・・・
それに悪いけど、自分が何をしているかぐらい理解してる」
フランクはそう言って、また彼女から視線を逸らすと小さく笑った。
「レイが教えてくれたわ・・それがどんなことなのか
あなたのビジネスにとって、どれほどのことなのか・・」
『今回のことで彼が受けたダメージはどれくらい?
彼はどんな立場に追い込まれているの?』
『フランクがどんな立場に追い込まれているか?
君に話したところで・・・・・
わかったよ・・・しかし、全ては話せない・・
彼との約束だから・・・』
『約束?・・・10年前もそうだったわね、レイ・・
あなたはそうやって彼との約束を守った
私は蚊帳の外に置かれていたのよね、あの時も・・』
『フッ・・痛いところをつくんだな・・、ジニョン・・・・
謝るよ・・あの時のことは・・素直に謝る・・・
・・・・・・彼はこれから・・・彼のビジネスにおいて、
培ってきた信用全てを無くすことになる』
『えっ?』
『聞きたいんだろ?』
『それは・・具体的にどんなこと?』
『ジニョン・・・・
簡単に言えば、仕事が全て無くなると言うことだ
彼は今までクライアントの如何に係らず、一度請け負った以上、
相手側に寝返るようなことは決してしてこなかった
一匹狼の彼が厳しい世界で生き抜いて来られたのは
その信用の上にあったものだ
それが失墜したということは、クライアントにとって
これほど脅威なことはない
そして彼がそうなったことを喜ぶ奴が間違いなくいる
彼のような男には敵も多いんでね・・・
彼を疎む連中にとっては、絶好のチャンスと言えるだろう」
『絶好のチャンス?』
『彼の息の根を止める。そのチャンス・・』
淡々とそう言ったレイモンドが寂しげに片方の口角を上げた。
「ねぇ・・どうして?・・」 ジニョンは今度は静かにそう聞いた。
「このホテルは、君の夢だっただろ?」 フランクも今度は優しく答えた。
「それだけのため?」
「それだけって・・それ以上の理由が必要?」
そう言ってフランクは小首をかしげ微笑んだ。
まるで自分にはそれ以外の理由など、想像すら出来ないかのように。
「ドンヒョクssi・・・」 ジニョンは彼の名前を口にした後、次の言葉が
溢れ出る涙で詰まってしまって出て来なかった。
「僕がここに来た理由・・・前に君は聞いたね
僕はその答えを出しただけ・・・」
≪そう、最初からその答えを出すことだけが目的だった
君だけがその理由だった≫
「・・・・どうして・・・私に相談してくれなかったの?
言ってくれていたら、こんなこと私は決して望まなかった
こんなこと!して欲しくはなかった!」
ジニョンはまた次第に強い口調でフランクに向かっていた。
「なら、良かったよ・・相談しなくて・・」
フランクはそう言って笑って見せたが、ジニョンは笑わなかった。
「フランク!」 その代わりに厳しい表情のままで彼の名を叫んでいた。
「そんなに怒らないで・・大したことじゃない・・
今日でもう取り調べも終わった・・結果はまだ出てないが
何んとか国外退去だけで済みそうだ」
フランクは彼女の激しさを優しい眼差しで包み込むように言った。
「国外退去?」 ジニョンは大きく目を見開いた。
「そんなに驚かないで・・・僕のしたことからすれば
穏便な措置だ・・・凄くね・・・」
「あなたをそんな目に合わせる位なら・・」
ジニョンは本当に胸が張り裂けそうなほどに苦しかった。
愛する人が自分のために全てを失ってしまった非情な現実に
耐えられそうもない自分を、彼への怒りを露にすることで持ち堪えていた。
「そんなに大層なことじゃない、そう言ったろ?」
それなのにフランクは淡々として目の前で微笑んでいる。
ジニョンはそんな彼が無性に憎らしかった。
「あなた・・昔こう言ったわ・・・
親に捨てられたことは自分の弱みだって・・・
アメリカでひとりで行き抜くには大きな弱みなんだって
だからそれを覆すほどの成功を勝ち取るんだって・・」
「だから?」
「あなたは勝ち取ったのよ・・この10年の月日で
いいえ、アメリカに渡った20年の長い月日で・・
自分ひとりの力で勝ち取った
それなのに・・その全てを捨ててしまって・・
私のため?・・
そんなことして・・私が本当に喜ぶとでも思ったの?」
「結果を喜んではくれないわけ?
君の望み通り、もう誰もホテルには手が出せない
僕がホテルの権利を握った以上、誰の手にも渡さないからだ」
「・・・フランク・・・
ホテルを助けてと言った私が悪いのね
私があなたに・・こんなことをさせてしまったのね・・
私が・・・そうさせたのね
どうしよう・・私・・どうしよう・・こんなことになってしまって・・・
私はいったい、どうしたらいいの?」
ジニョンは次第に俯いて、いつしか独り言のように呟いていた。
「君がどうするか?・・・」
「そうよ・・私は・・・いったい・・・」
「その答えを僕に求めるの?」 フランクは苦悩に顔を歪ませ言った。
「私にとってこのホテルは掛け替えの無いものなの」
ジニョンは込み上げる涙の合間に大きくひとつ深呼吸した後、
そう繋げた。
「知ってるよ・・・」
フランクはジニョンに近づいて、彼女の肩にやっと手を触れた。
「社長は・・・私にとって・・母のような人・・・」
フランクがジニョンの肩を自分に引き寄せようとした瞬間、
彼女はそう言いながら一歩後ずさりした。
「わかってる」 フランクは、自分に納得させるかのように呟いた。
「・・・・・・アメリカには・・・いつ?」
ジニョンはまたひとつ深呼吸をして彼に問うた。
「多分・・一週間後」 フランクがそう答えると
「一週間・・・」 ジニョンは溜息混じりに同じ言葉を繰り返した。
「これ・・」 フランクはポケットから何やら取り出してジニョンに差し出した。
「本当はこの前会った時、渡そうと思っていた」
それはアメリカ行きのチケットだった。
ジニョンはフランクから差し出されたチケットを躊躇いつつも手に取り
しばらくの間それを黙って見つめていた。
「君のだ」
フランクの言葉に、ジニョンは言葉を失ったように、俯いた。
「どうして黙ってるんだい?」
フランクの問い掛けに、ジニョンはまた瞳を潤ませて彼を見上げた。
「わかってる?・・・君のその沈黙が・・・
君が・・僕を避けていた理由・・・そして
僕が君を避けていた理由だ」
フランクは悟ったように、寂しげな笑みを浮かべてそう言った。
そしてジニョンはフランクのその言葉に驚いたように彼を見上げると
「・・・・わからないの・・・」 とやっと口を開いた。
「わからない?」 フランクは小さく首をかしげて見せた。
「わからないの・・・私はいったいどうしたいのか・・・
どうするべきなのか・・・わからないの」
そう言いながら、ジニョンは止め処なくはらはらと涙を零した。
フランクはジニョンのそんな姿をひどく哀れに思った。
ジニョンの心が壊れてしまいそうなほどの痛みが手に取るように
彼に伝わっていた。
「おいで・・・」
フランクは涙にくれていたジニョンの手を取り、寝室へと向かった。
そして、彼女をベッドに座らせ、自分も隣に座ると、彼女の髪を
優しく撫でながら、彼女の頬を伝い続けている涙を自分の指で拭った。
「ジニョン・・・僕がもう、君なしで生きられないこと・・・
知ってるよね」 ジニョンは大きくコクリと頷いた。
そして、まだ止められない涙を自分の腕で急いで拭い取った。
「君もそうだろ?」 彼女はまた大きく頷いた。
「でも君にとって大事なものが・・・
僕だけじゃないことも、わかってる・・・」
フランクのその言葉に、ジニョンは大きく首を横に振った。
それでも、その先の言葉は出て来なかった。
「君にわかるかい?この数日・・・
君に逢えない時間を僕がどんなに嘆いていたのか
僕に逢いに来ない君が腹立たしくて・・・
君に逢いに行けない自分が情けなかった・・・」
フランクはそう言いながら、ジニョンを優しく抱き寄せて、
その髪を優しく唇で撫でた。
フランクは彼女の涙を今度は唇で拭うように、その涙にくちづけた。
そしてまた彼女の頭を自分の肩に引き寄せて、優しく抱きしめた。
「君も・・・そうだったはずだ」 ジニョンは無言で大きく頭を縦に振った。
「だから・・・泣くんじゃない・・・
泣くんじゃない・・・ジニョン・・・」 フランクは彼女の耳にそう囁いた。
それでもジニョンは涙が溢れて仕方なかった。
「頭が・・・痛い・・・」
ジニョンが苦笑いしながらそう言って自分の頭を押さえた。
「泣き過ぎたからだよ」 フランクは彼女の頭を撫でながら笑った。
「泣き過ぎると頭が痛くなるの?」
フランクは微笑みながらまぶたを一度閉じて、無言で“そうだよ”と答えた。
「経験あるの?」
「ああ・・この10年、泣き通しだった」
「嘘ばっかり・・」 ジニョンがそう言ってやっと笑った。
「嘘だとどうしてわかる?」
フランクはジニョンの額に自分の額を付けてそう言った。
「ドンヒョクssi・・・何だか眠くなってきたわ」
「そうだね・・僕もだ・・・今夜はこのままここでおやすみ」
「ここで?・・でも・・・」
「シー・・いいから、黙って・・」
「ドンヒョクssi・・・」
「今夜はもう何も・・考えるのはよそう・・・」
「・・ええ」
「目を閉じて・・」
フランクがそう囁やくとジニョンは言われるままにゆっくりと瞼を閉じた。
そして彼は、彼女の瞼にそっとくちづけた。
「いいかい?ゆっくりとおやすみ・・・それから・・
僕の腕の中から、途中で抜け出すんじゃないよ」
「・・ぅん・・」
「抜け出したら・・許さないからね・・・」
「・・・ぇぇ・・・・・」
フランクはジニョンをそっとベットに横たえると、自分もそのまま横になり
彼女を腕の中に抱いた。
ジニョンは頬に描いた涙の筋もそのままに、フランクの腕の中で
静かに眠り堕ちていった。
そして彼女の静かな寝息を確認すると同時に、
彼もまた深い夢に堕ちた。
僕から抜け出したら・・・
・・・許さないからね・・・
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