タムトクの母⑥完~タシラカ
初めて会ったのは、百済王都攻めのときだった。
降伏するときの恭順の証として、百済王が差し出したものの中に、彼女がいたのだ。
『人質でございまする。』
『なかなか気の強い姫じゃ。
倭との交渉に使えまする。』
家臣たちの言葉に、タムトクは胸に強い痛みを感じた。
王位についてから4年、高句麗は北の強国としての名前をほしいままにしていた。
タムトクは戦場にいることが多く、城を留守にしている間に妃スジニを病で失っていた。
自分にかかわる女人はあまりいい星をもっていないと見える、そんな思いを心の片隅に抱いていたころのことだった。
目の前に引き出された異国の姫は、家臣たちの言葉通りの気丈さを見せた。
『私を利用して、百済や倭ににらみをきかそうとしても無駄というもの。
その時がきたら、自害して果ててご覧に入れます。』
荒くれた武将たちの前で臆することなく言い放った美貌の姫、タシラカ・・・。
思えば、最初に出会ったその瞬間から強く惹かれたのかもしれない。
だが、彼女は敵国の姫、人質だった。
うかつに手を出すことはできなかった。
なによりも、ほかの誰でもない、高句麗王タムトク自身が許すはずもなかった。
それなのに・・、と彼は思う。
批判的なサトの目をかいくぐり、なんだかんだと自分自身に言い訳しながら、
あっという間に、彼女を抱いてしまったのだった。
まったく、どうなっているのだ?!
これは、もしかしたら、私はあの契丹のブタ男と同じか?
私は下劣きわまりない男なのか!
タムトクはその問いを激しく否定したが、自分の中で始まってしまったものの正体を、最初からはっきりとらえていたわけではなかった。
ただひたすら、彼女をそばにおきたかっただけなのだ。
そうだ、やみくもに彼女が抱きたかったわけではない!
だから、抱こうとしたその前に、彼女に了解を求めたではないか!
そう思ってみたが、それもむなしかった。
出陣のときも、戦場にあるときも、彼女の顔が常に胸の中にあったのだから。
そう、彼女がほしかったのだ!
それは確かなのだ!
そうしてタムトクが引き出した答えは、きわめて明瞭だった。
私は、敵国の姫を愛しているのだ・・・。
こうなれば、彼女の心を確かめ、その上で『そばにおく』のにふさわしい処遇を与えればよかった。
頭の固い重臣たちは苦い顔をするだろうが、なに、処遇のことなど、簡単なことだ。
敵国の姫であろうが、なかろうが・・・。
タムトクはさっそく行動に移った。
一番の難敵はサトだと思っていた。
案の定、かつて契丹の城で、タムトクの中の荒れ狂う龍を押しとどめるために体を張ったサトは、冷たく言い放った。
『ですから、最初から申し上げているでしょう。
お気に召したのなら、おそばに召せばよいと・・・。』
相手に強いても、抱いてよいかと事前に了解をとりつけても、王の場合は同じことです、
要するに、妃にさえしなければなんでもいいんです、
そう、サトは言いたいのだ。
そなた、母上のことも、私のことも、よくわかっているくせに!
そう思いながら、タムトクはすべて知りつくしているサトに言った。
『私は王だ。自分にいちばんふさわしいと思う者を妻とする。
敵国の姫であろうがなかろうが、タシラカを妃にするのだ!』
サトは半分あきれ、家臣として心の底から心配しながらも、どうにかこうにか認めてくれた。
『側近としては反対ですが、友人としては心情的に理解できます。
まあ、惚れちまったものはしかたがないってことで・・・。』
それはタシラカを妃にするのにやぶさかではないと、そういうことだな?
そう手っ取り早く出した結論をぶつけると、サトはあわてふためいたが、もう遅かった。
ばかなヤツだ、サト。
側近としても、友人としても、同じことではないか。
サトはサトなのだから・・。
こうして、タムトクは、ともかくもサトを味方に引き込んだのだった。
こうなれば、彼女の気持ちを確かめ、あとは妃にしてしまえばいいと思っていた。
が、彼女はするりと彼の手から抜け出していった。
『妃になどなりたくはありません。
私はこのままでよいのです・・・。』
『ただの男と女としてお会いしたかった・・・。』
最初は、一風変わったところのある娘なのだと思った。
そのうちに、彼女の言っている意味がわかるような気がした。
しかし、高句麗王タムトクがただの男になるとは、非常に難しい問題だった。
そして、戦乱の中、タシラカは倭に帰って行った。
タムトクの子を腹に宿したまま・・・。
。。。。。。。。。。。。。。。
まったく、なんという女人なのだと、タムトクは腕の中で眠るタシラカを見た。
自分が迎えにこなければ、そのままでいいと、そう思っていたのか?
ひとりで息子を育てて、誰にも頼らずに生きていこうとでも・・・?
本当にそんなことを考えていたのか、タシラカ?
そっとつぶやいてみるが、彼女はかすかに身じろぎしただけだ。
そうはいくか!
なにしろ、そなたは、私が妃にすると決めた女人なのだからな、
それに、それに・・・・、ワタルは私の息子なのだからな!
タシラカ、愛しているのだからな!
愛・・・!
ずいぶん遠回りをして、ここまできたのだと思った。
だが、タシラカ、そもそも、そなたはどうなのだと、ふと思う。
そなたは、私を愛しているのか?
それは、裏を返せば、契丹の城で死んだ母への思いにもどることに、彼は気がついていた。
タシラカ、私はそなたに強いたのではないか?
私に抱かれよと、
私を愛せよと・・、そう強いたのではないだろうな?
初めから、そなたも私を愛していたのだろうな?
『虜囚の身ゆえ・・・』
そんな言葉を、彼女は口走ったことがあった。
だが、そんな気持ちで抱かれたのなら!
そう思うと、タムトクはたまらない気持ちになった。
胸の中に生まれた小さなわだかまりは、少しずつ大きくなっていくような気がしていた。
一度ちゃんと彼女に確かめればよいのだ、
そんなことはわかっていたのだが、ちょっと恐ろしいようにも思えるのだ・・。
それは、まったくこの男らしくないジレンマだった。
それに、それにだ、はっきり言って余裕がない。
夜毎彼女をその腕に抱けば、いよいよいとおしいのだ。
せっかくいっしょになれたというのに、そんな時間などないではないか!
しかし・・・、だ。
今夜こそ!
タムトクはそう心に決めた。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「ひとつ、妙なことを聞いてもいいか?」
タムトクは照れくさそうな笑みを浮かべると、たずねた。
「そなた、私といっしょにいてしあわせか?」
「まあ、何をとつぜん・・?」
タシラカは輝くような笑みを見せる。
タムトクは思わず、目をそらす。
「私といっしょにいるのがいやなら、このまま倭に残っていてもよいぞ。」
「いやだなんて・・、そのように思ったことは一度もありません。
そばにいよ、そうおっしゃったのは、タムトク様ではありませんか!」
タシラカの長い髪が鼻をくすぐる。
むき出しの肩がいとおしい。
「そうだな・・・・」
そうひとりごとのようにつぶやいたものの、タムトクは彼女のあごに手を当てると、その瞳の中をのぞきこんだ。
「タシラカ、私はそなたを縛ったことがあったか?
籠の鳥のように、そなたの自由を奪ったか?
そなたに私を愛せと命じたか?」
「・・・ナカツヒコ様のことですの?
高句麗から帰るときに、ナカツヒコ様がタムトク様にそのようなことを言われたとか・・・。
あとで、何度もあの方から言われました。
腹に子がいながら、俺はなんてことを言っちまったんだって・・。」
タシラカがくすくす笑う。
そうだ、そんなこともあったとタムトクは思う。
だが、そんなことではない・・・。
タシラカ、そんなことではないのだ・・・・。
「私は確かめたいのだ。
この腕の中にいるそなたが、本当にしあわせなのかと・・・。」
胸に手をあてる。
やわらかな張りのあるふくらみは、7年前のものと少しも変わっていない。
「私は、しあわせですわ、・・・タムトク様。
あの、・・・ちょっとその手の動き、・・・止めてくださいませ。
お話ができませぬ・・・。
あ・・、タム・・トク・・さま・・。」
やはり、話はなかなか進まなかった・・・。
彼にとって、そして彼女にとっても、非常にたいせつなことに違いないのだが・・・。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
もう一度、最初から言いなおすことにした。
「そなたに言っておかねばならないことがある。
・・・ずっと以前のことだが、私は、北の異民族の王を憎んだことがあった。
それで、残忍なワザで、ヤツを殺害しようとしたのだ・・・。」
「・・・母上様のことなら、お聞きしたことがありますわ。
ずっと以前にジョフン殿から・・・。」
そうか・・、とタムトクは苦く笑う。
「そなた、私のことが恐ろしくはないか?
いや、そんなことよりも、私は、その異民族の下劣な王と同じだと思うか?
そなたは、無理に、私に・・・。」
「タムトク様!
あなたのことが恐ろしいだなんて!
あなたはそんな異民族の王様とは違います!
私は一度も、そんなふうに思ったことはなかったわ。
そんなに、おやさしいのに・・・。
・・・・タムトク様が私の手足を縛ろうとしていたら、
私は今こうしていませんわ。
ふつうの男と女として迎えにきてくださいなんて、わがままも言いませんでしたわ。
私、しあわせですわ、
タムトク様のお子を生んで、
こんなところにまで迎えに来ていただいて、
真剣なお顔で、タシラカ、いっしょに行こうっておっしゃっていただけて・・・。」
タシラカが、あたたかい腕でタムトクの肩を抱く。
すぐ目の前にある大きな瞳がうるんでいる。
「私ね、タムトク様が王様じゃなければって、何度も思いましたわ。
ふつうの男の人だったらなあって・・・。
私、王様じゃなくても、あなたを愛したと思いますわ。
そうだったらどんなによかったかって、何度も思いましたもの。
遠回りしなくても、もっと早くしあわせになれたのにって・・・。
タムトク様が心惹かれるようなお姿の方だから、
王様っていう身分の方だから、
私、好きになったわけじゃありません。
タムトク様だから、愛したんです。
王様でもしかたないか、
タムトク様だから許してやるかって・・。
母上様も、よくわかっていらっしゃると思いますわ。
きっとタムトク様のこと、りっぱな男の方になったなあって、
そう思っていらっしゃるわ。
私にはわかります、
あなたのことを愛していますもの。」
『龍』たるしるしを持って生まれたタムトク、
常ならざる人であるがゆえに、
天は、彼から母を奪い、代わりに、彼女を与えた。
タムトクの母⑤~復讐
☆失礼します。サークルの創作の続きです。
なぜかわかりませんが、あちらにアップしようとしたら、「禁止語句」とやらではねられてしまいました。何度も直したのですが、だめでした。
で、こちらでアップさせていただきます。この続きもこの後に入れます。
どうぞ、よろしくお願いします。
なお、ここまでがつらいお話です。次回のラストは、あま~い部分もでてきますヨン。
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高句麗王の火のような思いが兵たちに乗り移ったのか、契丹の城は十日で落ちた。
父王の仇というだけならば、それほどの激しいものはなかったかもしれない。
だが、少年の日に刻み込まれた母への思いは、何年たってもくっきりとあざやかに消えることはなかった。
家臣の止めるのも聞かず、まだあちこち火の燃えている城内に先頭に立って乗り込んでいった高句麗王は、その人の痕跡を探した。
だが、わかっていた。
どんなに周囲を見渡しても、もはやその人の髪一筋残ってなどいないことを・・・。
タムトクは城の大広間らしき場所に立ちつくした。
珊瑚のかんざしを懐にしのばせたまま・・・。
じゅうたんは切り刻まれ、座卓や椅子は倒れたまま、そこここに、飛び散った血のりや泥だらけの足跡が見える。
思わず、ため息が出る。
そのとき、兵のひとりが思ってもみないことを伝えにきた。
「契丹王をとらえました!」
なに!
どこだ?
どこにいる!
激しい足取りでその後についていく。
そこは、城の中庭だった。
集められた10人ばかりの女たちの間に、後ろ手に縛られ老いさらばえた男の姿がひとつ・・・。
女人の衣装に身を包み、太った体を二つに折らんばかりに縮め、おびえた様子でその場にしゃがみこんでいる。
知らず知らずのうちに、タムトクは叫んでいた。
おのれ!
女たちのかまびすしい悲鳴が、中庭に響き渡る。
その声を聞いて、自分の中に、何か黒いものがむくむくと沸き起こるのを感じた。
すらりと腰の剣を抜く。
制止しようとした側近の腕をなぎはらい、駆け寄ろうとしたサトを突き飛ばす。
異民族の王の二つの目が恐怖に見開かれる。
腰をぬかしたらしく尻を地面につけたまま、こちらを仰ぎ見ている。
それにじっと目をあて、ひとこと、
「そいつに剣を渡してやれ!」
家臣たちの間に動揺が広がる。
その中からひとり、サトがつかつかと歩み寄ると、手に持った剣を、『そいつ』の前に置く。
だが、それは、『そいつ』をおびえさせるに十分なものだった。
置かれた剣など手に取ろうともしないまま、口をだらしなく開けたまま、首を小刻みに振る。
このような男が、母上に!
怒りがいっそう燃え上がる。
「戦え!
私は、高句麗王タムトク!
その方がもてあそんだ女の息子!」
ぎりぎりと歯を食いしばり、
剣をふりかざす。
「立て!
契丹王ならば、立って戦え!」
憤怒の声は限りなく低く、中庭の隅々まで響き渡る。
それは、龍のうなり声とも咆哮とも見紛うようなものだった。
女たちはもちろん、高句麗の男たちも、固唾を呑んで呆然と見る。
相手の口から、情けない悲鳴がもれたが、ためらう気持ちは微塵もなかった。
手に持ったそれを振り下ろすと、それは狙いすましたように相手の右腕に!
あざやかに血が飛び散る!
ぎゃあっという男の叫び声!
逃げ惑う、床の上をはいずりまわる音。
女たちの悲鳴。
ふん、一度で死ねると思うなよ!
今度は左だ!
もう一度、ふりおろす。
ぎゃあっ!
一度でとどめをさす気にはなれなかった。
少しずつ少しずつ、母上が味わった苦しみの、ほんの断片でもいい、
そのブタに味あわせてやるのだ!
家臣たちに新たな動揺が走ったのを、タムトクは心の片隅でとらえていた。
「寄るなよ!」
そちらに冷たい声をかける。
が、今や龍の化身とも見紛う主君と、血を流しながら這いずり回るおいぼれた契丹王に近寄るものはいなかった。
ただ遠巻きにしてながめている。
「そこへ、なおれ!
この卑怯者めが!」
そのとき、呪縛を解き放つような大声が・・・。
「タムトク様!」
声とともに、後ろから羽交い絞めにされる。
それが誰のものか、瞬時にわかった。
「サト!はなせ!
王の命だ!」
が、サトの力は思いのほか強かった。
「タムトク様!
もう、そのへんでよいでしょう。
相手は剣も持つ気力もないような男だ。
そのような下劣な男のために、自ら手をけがすことはありませぬ!
あとは、この私におまかせを!」
「ならぬ!
そなた、王の命にそむくつもりか!」
「どうか、お静まりを!
なにとぞ!」
「サト!はなさねば、そなたとて容赦はせぬ!」
「私のことならいかようにも、ご存分に!」
サトは、なおも強い調子で続ける。
「しかしながら・・、しかしながら、タムトク様!
そのようなお姿、王妃様が、・・・お母上が目にされたら、
なんと思われるでしょうか!」
急に力が抜ける。
ふところにしのばせた珊瑚のかんざしが熱くなったような気がして・・・。
「・・・・・」
「そのような下劣なこと、
王と呼ばれる方のなさることではない、
そう、悲しんでおられます。」
そうだろうか・・・。
タムトクは、手の中にあるものに、ぼんやりと目をやる。
そこに、血のしたたり落ちる剣があるのを・・。
それから、それをぽいとその場に投げ捨てると、
高句麗王タムトクは、足音高くその場を立ち去った。
珊瑚のかんざしを懐にしのばせたまま・・・。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
サトは、床の上に無造作に投げ出された王の剣に目をやった。
大きくひとつ深呼吸する。
そして、血塗られた剣をこの上なく貴重なもののように拾い上げると、瀕死の男を一瞥する。
「あとはまかせたぞ。」
高句麗王の側近第一号は、周囲を取り巻いた同僚たちに軽く言ってのける。
それから、心に深手を負ったままの王のあとを追った。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「どうなのだ?」
声をひそめて、ジャン将軍は言った。
サトも小声で答える。
「おやすみになられました。
かなり強い酒をお持ちしましたゆえ・・。」
ふうむ・・、とジャン将軍はうなる。
「かなりこたえておられるようだな?
ま、無理もないか・・。
ひとつずつ、龍のしるしの扱いを学んでいっていただかねば・・・。」
はあ、とサトはうなずく。
「それに、契丹がわが高句麗の手に転げ込んできたことは大きい。」
「まあ、そうですね。」
「それにだ、もうひとつ得たものがある。
これで、王が敵の女に手を出さなくなるかもしれないってことだ!」
これには、サトが目をむいて、抗議する。
「あの方は、これまでも、女人におかしなふるまいをしたことはありません!」
ちっちっち・・・、と将軍は人差し指を横にふる。
「あま~い。
今まではそうかもしれないが、これからはわからん。
なにしろ、あの男ぶりだ。
たとえば、人質にとった敵国の姫が妙な気持ちを起こして、王に色目でも使ってだな~、
王もその気になって、つい手を出したりしてみろ!
あのご気性だ、先々、面倒なことになるかもしれない。」
「面倒なこと?」
いぶかしげに、サトがジャン将軍を見る。
「そうだよ~。
たとえばだな~、ちょっとした美貌に目がくらんでだな~、
敵との交渉に使わずに、
そばにおきたいとか、
妃のひとりに迎えたいとか・・・」
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