眠いんだからしょうがない
近所の野良猫が
久しぶりの暖かな日ざしに
コンテナの下からはい出てきて
おそるおそる散策をはじめた。
晴れ渡った空に浮かぶ雲をしばらく眺め
あれは何?と空を横切る飛行機を見上げているうちに
すべてが面倒くさく、どうでもよくなってくる。
冬の日ざしが心地よすぎて
野良猫は日だまりに陣取り
日光浴をはじめた。
まぶたは次第に重たくなり、
目の前がぼうっとしてきて、
少しずつ目が閉じてくる。
僕がカメラを向けていても
警戒することもなく、見て見ぬふりして
こくりこくりと居眠りをはじめる。
襲いくる睡魔をおさえられず
猫の体面も忘れ
誰が見ていようがおかまいなしに
ウインクするように目を閉じて
うとうと・・・。
-イ・ヨンハン氏ブログ「雲と鮭、あるいは雨期の旅人宿」、2008/01/22の記事より-
野良猫のニヒルな笑みと顔洗い行動
近所の不良猫。僕に向かってニヒルな笑みを投げかける。
1か月前に初めて見かけ、
3度すれ違った。
2度目に会ったとき、こいつは人を食ったような態度で、
こちらに向かってニヒルな笑みを投げかけた。
「ちょっと待ってよ、まだ顔を洗ってないんだ・・・」と、前足を口にくわえ、つばをつける。
こいつは、僕が10メートルほど離れたところからカメラを構えると
まだ準備ができてないんだと言わんばかりに
前足を口にくわえ、つばをつけて
顔を洗い始めた。
これが話に聞いた、猫の顔洗いだ。
舌を出して前足をなめている。 本格的な猫の顔洗い。
髭も洗って、前足も洗って
これ以上洗うところがなくなると
さあ撮ってよとポーズをとる。
しかし、顔洗いを終えたあとの猫のポーズは平凡すぎて
僕はカメラをしまってしまった。
つばのついた前足で、顔をふき上げる野良猫。
彼に会ったのは10日ほど過ぎてから。
近所のコンテナの前で、彼は暖かな冬の日差しの中で
日光浴をしていた。
あいつまた来たな、といった表情。
僕が再びカメラを向けると
ちょっと慣れたこともあり、少し面倒くさいなといったふうに
しばらくこちらを見つめたあと、背を向けて
こくりこくりと居眠りをはじめた。
これは食べ物をくれという表情?
野良猫にとって冬は過酷。
人間の視線も、ひたすら冷たい。
最近は生ゴミも分別されて捨てられるし
ゴミ袋をあさり食べ物を探し出しても
カチコチに凍っていたり、乾いて固くなったりしている。
野良猫には、冬はあまりにも長い。
(イ・ヨンハン氏ブログ「雲と鮭、あるいは雨期の旅人宿」、2008/01/17の記事より)
プロローグ#2 野良猫休憩所
塀に開いた穴や建物と建物の隙間、古びた家のスレートの屋根、人の手の届かない排水溝、誰かが捨てたベッドのフレームやタンス、住宅街のプレハブ小屋などで猫に出会うことがある。そこは単なる隠れ家(猫のたまり場)である場合もあるし、れっきとした彼らの棲みかである場合もある。しかし僕が見てきた限りでは、コンテナこそが最高の猫ハウスだ。
近所を散歩していてコンテナを見つけたら、その下を見てみてほしい。間違いなく暗闇の中にビームのように光線を放つ猫の目に出会うことができるだろう。ランの子猫たちに再会したのも、家の前のコンテナ空き地だった。猫たちの棲みかは家の裏手に1メートルほど出っぱった壁に囲まれた場所だったが、彼らは1日のほとんどをここで過ごしていた。だから僕は家の前のコンテナ空き地を「野良猫休憩所」と呼んでいた。厳密に言えば、ランと子猫たち一家の専用休憩所とでも言おうか。
冬の厳しい寒さの中でもランの子猫たちはコンテナ空き地で遊んではグルーミング(grooming、毛づくろい)をしたり、おとなしく座って日向ぼっこをしたりしていた。もちろんここは僕が時折猫たちにエサをやる配給所でもあったし、毎日のように食べ物を差し出すクリーニング屋が一目で見渡せる展望台でもあった。何よりもここは危険な状況に陥ったときにすぐに避難することのできる安全な避難所であり隠れがの役割をしてくれる。
猫たちは野良犬たちが攻撃してきたり通りすがりの子供たちがいたずらをしてきたりするとコンテナの下に身を隠す。もともとが町内の自治防犯連絡所の役割をしているコンテナが、野良猫にとってもまたとなく大事な防犯連絡所の役割をしているといったところだ。
ランの子猫たちがここに現れるのはだいたいお昼頃。午前中は日陰になって寒く、12時をまわってやっと少しずつ日が当たり始めるからだ。猫こそが真に太陽を崇拝する種族だ。人間の平均体温が36.5度なのに対し、猫は38.9度にもなる。だから猫は寒くなれば高い体温を維持するために必死に日の当たる暖かな場所を探す。
日が当たり始めると、薄暗かったコンテナのダークグリーンも、明るい緑へと様変わりするのだが、僕はこのように変化したコンテナを「緑のスクリーン」と呼んでいた。緑のスクリーンの前では、彼らはどんなポーズをとっても様になった。ある猫が緑のスクリーンバックにあられもない体の部位をグルーミングしていたとしても、あたかもスクリーンの妖精のように見えたものだ。
5匹の子猫の中でも特にヒボンとチュニャンはここで過ごす時間が絶対的に多かった。ヒボンとチュニャンは誰かが捨てた木材と合板の山をキャットタワー代わりにした。時々それを遊び道具と勘違いしたチュニャンが木の柱に鉄棒のようにぶら下がって何本も滑り落ちていた。ヒボンは木の柱と合板の上でグルーミングをすることもあったし、うとうとしていることもあった。時にはヒボンとチュニャンが木を巡って争奪戦を繰り広げたりもしていたが、だいたい勝つのはヒボンだった。
チュニャンは穏やかな性格で美しく、ヒボンは活発でかわいらしかった。2匹のうちどちらが木を手に入れようが、僕はどちらでもよかった。僕はただその前にじっと座って、勝ったほうにカメラを向け、カシャリ、とシャッターを押せばいいのだから。
ランの子猫たちは僕を近づけてはくれたが、全員の承諾を得たわけではなかった。まだカムニャンとトゥントゥン、チョンバクたちは僕にいつも一定の距離を置いていた。さらに、5匹の母猫であるランは未だに僕が子猫たちに近づくのが気に入らない様子だ。万が一僕が子猫たちに近づきすぎたりすると、ランは必ずハァーッ(猫が危険に出くわした時に相手を威嚇する鳴き声)と警告のサインを出す。
親というものは、子供がどんなに大きくなったところで、子供のことをねんね扱いをするものだ。ランもご多分に漏れず、僕がカメラをひっさげコンテナ空き地に姿を見せさえすれば、コンテナの穴からトラのような目つきで僕を監視したものだ。しかし、僕がカメラではなくエサを持って現れると、態度が180度違った。例え僕が子猫たちから2メートルの距離に近づいたとしても、ランは見て見ぬふりをしてくれた。休憩所であり配給所でもあるコンテナ空き地に陰がさすと、昼間の緑のスクリーンも幕を下ろす。スクリーンの主人公たちも急にどこかへと消えていく。ただ、暗転の中で「ニャオーン」という声だけがかすかに聞こえるばかり。
( 「サヨナラ、猫よ、ありがとう」冒頭より )
プロローグ#1 月の光とソファーと6匹の猫
ある日、猫が僕のところにやってきた。月の光がこうこうと道を照らしていた夜。誰かが捨てた銀褐色のソファーに、1匹の母猫が5匹の子猫たちといっしょに座っていた。よりによって、僕が住んでいる家の前で彼らに出会った。月の光の中で青い目をぱちくりさせ、母猫の胸の中にうもれていた5匹の子猫たち!僕と目があった瞬間、ぶるぶると震えながら「お願いだからいじめないで!」とも言わんばかりだったあの瞳!
それが、知らない人間に出会った怯えからきたものなのか、零下という寒さのためだったのかはわからない。ただ確かなのは、零時をまわった頃合いの寒い冬の夜だったということと、僕の前に6匹の猫が座っていたということ。僕は彼らをもう少し近くで見ようとソファーに一歩近づいた。それが間違いだった。ソファーに座っていた母猫が、ハァーっとこちらを威嚇するようなうなり声をあげ、子猫たちを連れ、暗い路地の向こうへと行ってしまった。
暗がりの中にそそくさと立ち去る子猫たちの足音。路地の向こうには、もう一度こちらを振り返った12個の目が、キラリと光線を放っている!僕と野良猫の縁はこうして始まった。月と、ソファーと、6匹の猫といっしょに。
その日から、僕の頭の中にはソファーもないのに時折6匹の猫たちが座っていたりすることがあった。それまでの僕は、猫に対して何の関心もなかった。好きだ、嫌いだといった感情を持つこともなかった。ただ、猫は僕の関心の外に生きている、僕とは関係のない動物にすぎなかった。ところが、その日の強烈な記憶は、魔法のように僕を猫の世界に導いたのだった。
彼らに次に出会ったのはそれから半月ほど後だった。散歩でもしようと家を出たところ、コンテナが置かれている家の前の空き地で、母猫と5匹の子猫たちが真昼の日差しの中でじゃれあっていた。虎のような三毛の母猫の姿は、半月前に出会ったあの猫に違いない。僕は彼らをもう少し近くで見ようと、そろりそろりとコンテナに近づいた。しかし今回も、猫たちは僕を見るなりコンテナの下に駆け込んだ。
猫について何も知らなかった僕は、一つ大事なことに気づいた。猫にあまり急に近づいてはいけないということ。この事実は大体のところ最後まで有効だった。
次の日から僕は彼らのために、猫が好きそうなありとあらゆるエサをさし出し始めた。たとえば、出汁をとったいりこや、食べ残しの酢豚、身の残っている魚のようなもの。ところが、道端でふらふらしている子猫たちをかわいそうに思ったのか、クリーニング屋も食べ物を差し出すようになった。彼らはコンテナを隠れ家に、おそるおそるクリーニング屋のほうをのぞき込んでいた。
そうしてまた10日ほどが過ぎた。冬にしてはずいぶん暖かな午後だった。彼らは食べ物をくれる僕が恐れるべき存在ではないと判断したのか、それともただ暇でいっしょに時間を過ごす友達が必要だったのか、僕に初めて接近を許した。恐怖心いっぱいに僕を見上げていた目からも、恐れが薄らいでいた。彼らの目はまるで僕にこうささやいているようだった。
「まだ君を信頼することはできないけれども、くれる食べ物はありがたくいただくよ。」
だからどうなのだ。彼らは明らかに「僕」という人間が自分たちに害を与えないという事実だけは確信したようだった。僕はデートのOKをもらったようにうれしくなって、家からカメラを持ってきた。そして彼らの姿を一枚ずつカメラに収めはじめた。出会ってからほぼ1か月経ってやっと、彼らは僕に撮影を許してくれたのだ。
それまで眺めるだけだった彼らに、僕は名前もつけてやった。虎のような歩き方をする三毛の母猫にはラン、5兄弟中一番年上と思われるトゥントゥン、白地にところどころ黒いまだら模様の猫はチョンバギ、末っ子と思われる一番かよわそうな美貌のキジ猫にはチュニャン、典型的な牛模様の猫はカムニャン、性格がもっとも活発そうで人なつっこいキジ猫はヒボンという名前をつけてやった。
名前をつけてみると、一気に猫に近づけたような気がした。一度はスーパーに行って無意識のうちに猫の缶詰めを手に取る自分を発見し、しばらくにんまりしてしまった。僕は野良猫がこんなに猫缶が好きだとは知らなかった。猫缶1つをコンテナの前で空けると、まるで戦争のように争奪戦となる。猫に捧げる缶の数が増えるにつれ、彼らと僕との距離は少しずつ近づいていった。
彼らはいつの間にかカメラにも慣れ、目の前に広角レンズを近づけても気にしなくなった。こうして僕は魔法にかけられたかのように、一歩ずつ野良猫の世界にいざなわれ、その流れに僕は喜んで身をまかせた。
(「サヨナラ、猫たち、ありがとう」冒頭より)
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