2008/11/08 00:37
テーマ:自宅 カテゴリ:趣味・特技(その他)

老犬の最期

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私が栃木の旅から戻った翌日の夜、我が家の老犬は息をひきとりました。食事も水も口にしなくなって一週間、立てなくなって5日目のことでした。亡くなる前の夜は一晩中フィン、フィン、フィン・・・キャン!キャン!・・・と啼き続けていました。どこか苦しいのか、命の終わりを悟って恐いのか何かわからず、私はただただ彼の顔を覗いて体をさすることしかできませんでした。

    

 
彼が我が家にやってきたのは1993年。他の兄弟たちよりも少しだけ母犬の元に長くいたためか、気が小さいと思えるところがありました。
玄関前が彼の定位置。訪問者に向ってよく吠えました。
散歩が何より好きで朝晩せがむように甘え声を出しました。

彼の中の優劣で私はたぶん一番ビリだったと思います。一番は2月に亡くなった父です。夕方、父の車が近所に近づくだけでシッポを振ってキャンキャン喜んでいた時期があります。また、玄関前にいても、家の中の父がいる方向をいつも向いて座っていましたもの。

父が亡くなってから彼は時々遠くを見つめるようになりました。また、犬小屋と物置小屋の間の狭い空間に入り込んで動かないというよくわからない行動も見られました。
食餌量も減って、夏には全く食べない日も何日かありました。
私と母はエサの種類を変えたり、好きな肉や魚などおかずを入れたりして何とか食べてもらおうとしましたが、それまでの半分以下でした。そのためか痩せて骨が目立つ身体になり、散歩距離も短くなっていきました。


秋になって少し食べる量が増えたな、元気になってきたかなと安心していたところでした。
10月29日の朝、少し朝焼けのする空が気持ちよく、私は久しぶりに遠出の散歩を決意。彼もがんばって歩いてくれました。しかし、この日が私と彼の最後の散歩でした。
翌日の朝は母と少しだけ歩いたようですが、足取りが悪かったとか。

その翌日の朝は立っていることがやっとという感じになりました。むしろ、立っていなければいけないと踏ん張っているように見えました。後ろ足がガクガクしているのです。また、今まで小屋の前で排泄をしたことがなかった彼が周りを汚していました。

そんな彼を母に託し私は那須へ。旅の途中、母から立てなくなったとか、吠えているとか、失禁をしてしまったとか弱っていく彼の情報を電話でききました。私は出かけた罪悪感がありましたが、実は最期を見たくないという気持ちもありました。ごめんなさい。
   

那須から戻って目にした彼は目やにで右目が開かず、排泄物が毛に付いて汚れていました。虫がたかると嫌だなと思った私は翌日お風呂の残り湯でシャンプーを実行!弱った身体によかったのかどうかは不明。動けない彼は私にされるがままでしたが、そのときは声を出すこともなくうつろに目を開けていました。
タイトル下の写真はそのシャンプー後に撮影したものです。ドライヤーで乾かし寒いといけないと毛布にくるんでみました。


最期の晩は彼を玄関に置きました。夜勤を終えて帰宅した私は玄関のドアを恐る恐る開けました。左目を半分開いた状態で彼は呼吸を止めていました。しかし、身体はまだ温かでした。

   
この写真↑は最後の散歩の日に撮影した空です。


先日の朝、母が「夜ないている声がきこえたような気がしちゃって・・・」と言っていました。父が亡くなり、母の感情の受け皿になってくれた彼も亡くなり、独りで家にいることになった母が一番寂しいのかもしれません。






2008/11/04 20:35
テーマ:仲間 カテゴリ:趣味・特技(その他)

紅葉

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今年も那須塩原に住む友のところに遊びに行きました。今回は総勢5名での旅です。みなそれぞれの行路で那須入りしました。

私は当日朝、東海道新幹線→東北新幹線を利用。まあ、一番単純なコースです。
長崎の友は前日入りしていました。飛行機で羽田、東京駅から新幹線です。新幹線にほとんど乗ったことのない彼女は、東京駅でどの新幹線に乗ればよいのかわからず、駅員さんにお世話になったとか。
札幌の友は福島空港に降り立ちました。夜勤明けで仮眠をしてのフライトなので夕方到着の便でした。
日立からの友は自家用車で山を越えてやってきました。やはり夜勤明けなので夜到着。布団が足りないであろうと積んできました。


私が那須塩原駅に降り立ったのは10時少し前です。那須と長崎の友が2人で出迎えしてくれました。改札の向こうに手を振る人がいるってなんか、うれしい!
3人で札幌の友を迎えに福島方面へ車を走らせました。

夜まで時間があるので、“大内宿”と“塔のへつり”に寄りました。紅葉シーズンであり、観光バスがどちらもたくさんいました。
「ねぎ蕎麦」というのを初めて食べました。ネギがたくさん入っているかと思ったら、ネギで蕎麦をすくって食べるんですね。びっくり!

私も長崎の友も写真好きですので、行程がなかなか前進しません。また、2人とも目をつける場所が違い、す~っと消えてしまうので、那須の友にあきれられてしまいました。だからといって誰かがいらいらしたり、嫌な思いをしたりしません。みな自立しているというか、時間に縛られず思い思いのことをして楽しむのんびり旅なんですもの。

福島空港では到着ロビーから駆けてきた札幌の友を迎えました。誰かを待つのもやっぱりいいものですね。
ちょっと牧場の匂いがする場所のスーパーに寄り、4人で夕食のお買い物。それぞれが持ち寄ったお土産とスーパーのお惣菜が今夜のご馳走・・・おつまみ・・・です。
日立の友も那須入りし、5人でコタツを囲みワイワイがやがや。ずいぶん夜も更けてきました。翌日は日光で渋滞に巻き込まれぬよう早起きしなくちゃいけないのに。

修学旅行のような気分でしたが、布団に入ったら皆すぐ(∪。∪)。。。zzzZZ

みな朝早くからエネルギー全開ですよ。寝不足とは思えません。
良く考えたら、友たちは30代ですもの、そりゃー元気だわさ。


コンビニおにぎりを車の中でかじりながらまたワイワイがやがや。
いろは坂が「い・ろ・は」で終わりだと思った友。
途中「絶景展望台がある」というのを「絶叫」と聞き間違えて、「そんなマシーンがあるのか?」と聞く友。
「関が原まで行くのか?」と聞く友(それは名古屋の方。ここは戦場ヶ原だから・・・)
笑いが耐えません。やっぱり修学旅行のようです。


そういえば私の高校の修学旅行は会津と日光でした。しかも11月。そのままだ!

今から四半世紀以上前のことですから、新幹線なんぞない時代。
上野から特急に乗ってやってきました。
宿泊は猪苗代のスキー場付近と中禅寺湖畔でした。
磐梯山への登山、五色沼めぐり、鶴ヶ城や白虎隊の墓、竜頭と華厳の滝などが記憶にあります。
夜、キャンプファイヤーをしてみんなで踊った記憶も。クラスに女子は4名しかいませんでしたので、自然と女子が男子を選んだような・・・。
磐梯山では霧が出てしまい、「女子が先に下りろ~!」と言われがんばったのだけど、下についたら男子の方が早く、もう整列していました。そうそう、私たちが登山した翌日に初雪が降ったといいうニュースが入りました。

そういえば、修学旅行ではなく“高原教室”という旅だったようです。東照宮はコースになく、部屋でグループディスカッションをする時間がありました。
ベタな修学旅行ではない旅は今考えると面白かったかもしれません。


東照宮への参拝後、札幌と日立の友は帰路へつきました。なんと強行な旅なんでしょう。札幌の友は宇都宮餃子をスチロール3箱抱えて空港へ向いました。

残った私たちは塩原温泉へ宿泊。こんなオンシーズンなのにその宿の予約は前々日でした。長崎の友が那須入りした日の夜に2人で探してくれたようです。ありがとう!
温泉に浸かり、ビールを飲んで、しゃべって・・・のはずが、運転をしてくれた那須の友と私は夕食後、すぐに意識不明になりました。

翌日も晴れ!河川を散歩し、那須方面へ下りました。反対車線はもう渋滞です。こりゃ那須高原へは行かない方が懸命だと判断し、観光客の行かないキャンプ場やら公園やらを散策。
コテージがあり、次はこういうところに宿泊し、バーベキューして昼から飲んじゃうのもいいね~なんて話しました。
公園に桜が咲いていました。二期咲きなんでしょうか。紅葉背景の桜はなんともはかなげでした。


最後に黒磯駅近くのSHOZO Caffeに寄りました。那須高原にもあるこのカフェ。出発は黒磯だったそうです。http://www.shozo.co.jp/index2.html
店の雰囲気やお兄さんたちの立ち居振る舞いと言葉が心地よく、何時間もいたくなる空間です。コーヒーとケーキを口にいれながら、3人でまたおしゃべり。
帰りに数件の雑貨店もブラブラ周り、ちょっとお買い物。


夕日が沈んだころ、私は友と駅で別れて新幹線に乗りました。長崎の友はその日のフライトが取れず、翌日朝に羽田から帰路についたようです。


今回の写真(上から順に)
 塩原の山(タイトル下)
 大内宿、そこで撮影した紅葉
 塔のへつりの水面に映った紅葉、岩壁に写った私たちの影
 竜頭の滝、中禅寺湖畔
 日光東照宮の建物の装飾(象?)、華厳の滝
 河川のススキ、公園の桜


旅の写真をウェブアルバムにしましたので、どうぞご覧ください
秋旅2008


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