2008/11/30 10:21
テーマ:奈良 カテゴリ:趣味・特技(その他)

奈良のもみぢ

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霜月の下旬に連休があったので、急遽奈良旅行を計画。今年の紅葉はきれいだ!と信じて、奈良公園あたりを散策してみようかと思ったのです。
  

「もみじ」って「紅葉」と書きますが、「こうよう」とも読みます。私は「もみじ」って読むときは、切れ込みのある葉っぱ、秋に真っ赤な色に変化するあの葉っぱのことを指し、「こうよう」って読むときは葉の色が赤く変わることを指すと思っていました。でも、そうではないらしい・・・。あの切れ込みのある葉っぱは「カエデ科カエデ属」・・・つまり、楓なんですね。「もみじ」という植物はないようです。

「紅葉」は秋に起こる落葉樹の葉の色が変わる現象のこと。「もみじ」の語源は、秋口の霜や時雨の冷たさに揉み出されるようにして色づき始めることから「揉み出づ」→「もみづ」→「もみじ」→「紅葉」と転訛したとする説が有力(Wikipedia)なのだそうです。冬支度前の色づいた植物全般のことです。楓だけを「もみじ」というのではないし、「こうよう」も「もみじ」も同じ意味なのですね。

  

前ブログに春日山原始林のもみじを載せました。
この「春日山原始林」は、市街地に近い場所にある原始林として国の特別天然記念物に指定されています。春日大社の神域として千年以上前から狩猟や伐木が禁じられてきたのだそうです。春日山は、日本人の自然観や春日信仰と結びついて聖域として守られ、春日社と一体のものとして文化的景観を形づくってきた(奈良市観光情報センターHpより)・・・とか。東大寺や興福寺などと並んで『古都奈良の文化財』のひとつとして世界遺産でもあります。自然なのですが、人と関わってきた景観として「文化財」なんですって。

遊歩道は歩きやすいように整備されていますが、うっそうとした木々が千年前と繋がっているかもしれないと思ったら、不思議な体験をしそうでした。時々神の使いである鹿たちが私に気がついてガサゴソと葉を蹴って逃げていきます。その距離感は公園の鹿よりも遠いです。途中、「洞のもみじ」という場所がありましたが、紅葉する木を昔の人も観たのかなあと歩みを止めて見上げました。

万葉集には「紅葉」はほとんど出てこないそうです。「黄葉」なのだそうです。紅くなる木がなかったとは思えないのに、なぜ?「紅葉」と書かれるようになったのは平安時代、『古今集』からのようです。それから「黄葉」は「こうよう」と読みますが、万葉集の歌で「黄葉」と書かれているのは「もみち」または「もみぢ」というカナになっています。大陸の文化に大きく影響されていた時代ですから、それと関係するでしょうか。それとも単に奈良人は黄色が気になった?文字と言葉は必ずしも一緒に変化しなのでしょうけど、おもしろいです。


  黄葉(もみちば)を散らす時雨に濡れて来て
              君が黄葉をかざしつるかも
                            【第八巻】久米女王

  秋山をゆめ人懸(か)くな忘れにし
              その黄葉(もみぢば)の思ほゆらくに
                            【第十巻】作者不詳

  秋されば春日の山の黄葉(もみち)見る
              
奈良の都
の荒(あ)るらく惜(を)しも
                            
【第八巻】大原今城


今回の旅は母と一緒に出かけました。足腰の悪い母はあまり歩けませんが、私は歩き回って写真を撮りたいわけです。唯一、自由になれたのが日の出から朝食までの散歩時間でした。私はカメラをかかえてひたすら歩きました。1日目は春日大社から馬酔木の森辺りを、2日目は宿の方に公園とは違った雰囲気が味わえるよと教えてもらった春日山遊歩道を。

「若草山山頂まで3Km」・・・・以外と近いじゃない!そう思った私です。以前、滝坂の道を石仏めぐって歩いたことがあったのですが、そちらはもっと長かったと記憶しています。1時間半しかなかったのですが、山頂から見える風景や原始林の木々を堪能したかったので、歩いちゃえ!って決心。無謀ですね。
帰りは走りました!バタバタと降りてくる私の足音に鹿たちはびっくりしていたかもしれません。ごめんなさい。


左は早朝の春日大社で出会った方です。このような老若男女がたくさんいらっしゃいました。お互い声をかけるということはないのですが、ちょっと親近感を覚えます。
そういえば夕方、二月堂脇の茶屋では一眼レフもった若い女性の旅人がお茶を飲んでいました。

写真を撮りたいと思っているときはひとりで自由気ままがやっぱりいいかな。道草しながら、時々じっと風景を見つめながら歩きたいです。次回はそうしようっと。

ヨンジュンさんは韓国の風景をどのように撮影しているのかなあ。まさかひとり旅ってことはないでしょう。自由に思うがままに撮影できているでしょうかね。


今日はたくさん撮影した写真から紅葉と黄葉を集めてみました。
撮影場所は下記です。
 タイトル下:西大寺
 落ち葉いっぱい:春日山遊歩道
 鹿:奈良公園
 雨に濡れた楓:法隆寺(後ろに中門と仁王が写ってます)
 水面の葉:新薬師寺

ウェブアルバムを作りました↓
 
奈良のもみじ


2008/11/28 20:09
テーマ:奈良 カテゴリ:趣味・特技(その他)

春日山原始林

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紅葉の奈良へ行って来ました。
春日山、神社仏閣の境内、奈良公園・・・
こんなにたくさんもみじがあるなんて知りませんでした。

記事は明日、ゆっくり書きます。
今日は春日山の林道の写真を掲載します。
うっそうとした原始の森に紅く映えるもみじに感激しました。

鹿は若草山山頂で撮影。後ろが春日山かな。


 


2008/11/23 11:36
テーマ:日常 カテゴリ:趣味・特技(その他)

デニムパンツ

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元厚生次官殺傷事件の容疑者が警視庁に出頭したニュースへのあるコメントを新聞で読みました。「今の40代は幼稚な20代に見える」というものです。事件の方法は計画されていたのだが、動機やパフォーマンスからそのようなことが伺えるというものです。確かに・・・。40代の私としてはいろいろと考えさせられます。
↓新聞の記事と同じものがここにありました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081123/crm0811230023000-n1.htm    



今年の流行語のひとつに“アラフォー”があります。これはTVドラマ『Around 40~注文の多いオンナたち~』がきっかけで、アラフォーとは40歳前後の女性のことだそうです。その特徴は「男女雇用機会均等法のもとで仕事をし、キャリアを積んだ世代。結婚と仕事の選択がそれまでの世代より自由に行えるようになり、キャリアウーマン、女性ベンチャー企業家も珍しくなくなる世代」(日本俗語辞書より)とか。バブルの追い風に乗ってバリバリに働いてお金を稼ぎ、稼ぎを自分に投資して磨きをかけて「いい女」を目指した・・・ということでしょうね。「バリキャリ」っていう語があるそうで、私は知りませんでした。
急いで結婚をすることはないと考える人が増え、この世代には結婚の判断を保留して歳を重ねてきた人も多いとか・・・。また、一人旅を楽しんだり、ひとりでレストランを気軽に利用したりと、「おひとりさま」という文化(?)を確立したのもこの世代だそうです。
仕事、趣味、結婚、出産、友達・・・などいろんな選択を自由に選択してきたといろんな記事に書かれています。

(〃^∇^)o_彡☆アハハ・・・。なるほど~ですね。自分のことを言われているようでした。がんばったら自分にご褒美としてお金を使うことが喜びだったりするんですね。
「自分の人生の幸せは自分で決めていくのだ!」という信念、「他人に依存しないで生きるんだ」という強がり、「この生き方が自分らしいんだ」という誇りみたいなものがあるのかもしれません。


1ヶ月ほど前、高校時代の私を知る友と話をする機会がありました。男から見ると(女からみても同じかもしれないが)私は「我が強い」のだそうです。「私はわがままなのか」と聞いたら「わがまま」とは違うとか。自分の意見を強く主張するという意味のようで、わがままはもっとかわいいと言ってました。∑(゚◇゚;) ゲッかわいくない私・・・。

そういえば30代のころも男性に「かわいくない」と言われたことがあります。あーいえばこー言うところがのようでした。
また、20代の後半、もしかしたら結婚するのかな~っていう男性と別れ話が出たとき(私が切り出したね)「生意気になった」と言われたのですが、それも同意味のような気がします。現在の部署に移動し、仕事が面白くなってきたころでした。その彼と別れた直後、私は初めて一人旅をしました。奈良だったんですけど。


  
 

アラフォーと40代はピッタリと一致しませんが、“私”という軸に考えを進めていくと、他に1960年代生まれとか新人類とかいうのが当てはまります。

1960年代生まれの日本女性はまれにみる結婚しない人たちとか。2000年(30代)でも2005年(40代)でもこの世代の未婚率が13%くらいと変わらなかったそうです。つまりこの世代の女性が10人寄れば1~2人は独り者ってことです。まあ、類は友を呼ぶでしょうか、私の回りは独りは多いです。はじめから一人の方、途中からひとりになった方も含めて・・・。数年前に「負け犬」って言葉がありましたが、私たち世代が30代後半の時に出た言葉だから、それも私を修飾しているかな。


新人類ってオタク第一世代というのだそうですよ。大学がマークシートで共通一次試験をした世代が卒業したころの話です。

成熟した成人として、社会を構成する一員の自覚と責任を引き受けることを拒否し、社会そのものが一つのフィクション(物語)であるという立場をとる。現実から逃避してフィクションに埋没してゆくオタクとは対極にあるとみなされた。オタクが仮想現実と現実を峻別して人生の目的として仮想現実世界を選択することに対し、新人類は情報化社会によって現実世界のほうが仮想現実化し、現実社会で生きるとは情報化された現実を情報処理することであると唱え、それをさまざまな哲学的命題を用いて理論づけようとした。(Wikipediaより)

わかるようなわからないような・・・。情報の送り手の決めたメッセージよりも、自分の哲学や思想で語ったとあります。やはり「自分」なんですね。そのために自分を成長させたいというか、エリート志向が強いのかもしれません。私は?
洋服やバックなどのブランドはこだわらなかったけど、バブルのころは和装してディナーショーに行くとか、有名なお菓子を求めてお店を訪ねるとか、高級ホテルに宿泊するとかはありました。また、いろんな趣味に挑戦したり、セミナーに出かけたりと自分投資をしました。


   


最近、自分の生きかたの選択はどうだったんだろうと思うことが多くなりました。それってどこかに後悔があるのかもしれません。あの時に別の選択をしたら違う人生だっただろうと思うのです。
父が亡くなり、年老いた母とふたりになってこの先のことを考える機会が増えたからかもしれません。ひとりでいることがちょっと寂しくなったのかもしれません。


NHKの土曜ドラマ「陽炎の辻~居眠り磐音 江戸双紙~」が好きで見ていました。昨日の最終回、磐音のようなカッコイイ人と一緒に歩めるおこんがちょっとうらやましかったです。両替商で長いこと働いてきたおこんさん。ご主人の奥さんが亡くなってから奥をとりしきってきたのですが、後妻がきたことで自分の役割りが宙ぶらりんになってしまいました。「自分は弱くないのだ!」と強がって気持ちばかりが空回り。そんな彼女を包んでくれた強くて優しい磐音。いいなあ・・・。

「宮廷女官チャングムの誓い」の最終回も見ちゃいました。チャングムが医女として働けるように支えてくれたミン・ジョンホ。いいなあ・・・。
もしかしたら私の中にシンデレラコンプレックスが残っているのかもしれません。いつか王子様が・・・(/||| ̄▽)/ムリムリ・・・いや、来たら飛びついちゃう。


なんだかんだ言っても人生は一度きりでやり直しはききません。だからといって構えてもしょうがないかもしれません。流れに身を任せて、分岐点ではとりあえず考えて決断して、これまでどおりに生きていくしかないのでしょう。


今日のタイトル下の写真は私のデニムたち。20代のころからのものがありますから、私の歴史(?)チャリンコ通勤には欠かせないアイテムです。
デニム専門に入れている引き出しがいっぱいになってしまったので、全部出してみたらこんなにありました。ストレート、スリム、ブーツカット・・・。さすがにバギーやスキニはないね。
駄目にならなくてどれも着られるので捨てられないんです。ただ、サイズがちと・・・。昔のものはウエストまである深い股上です。ボタンがはまらないのがあります。最近のものはローライズなのでウエストのくびれがなくてもはけるのがよい(肉が乗るけど)。とはいうものの、少しがんばって無理すればどれもはけると見込んで、自分への戒めもあって時々古いものも着ています。


記事中の写真は通勤途中の寄り道で撮影したものです。天気の良い朝の公園はやわらかい太陽で照らされてキラキラしています。いつかこんなところを一緒に歩いてくれる人ができたらいいなという気持ちです。

 


2008/11/13 21:41
テーマ:身体 カテゴリ:趣味・特技(その他)

風邪薬

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風邪をひいて仕事を休んでしまいました(>o<;))((;>o<)

昨日の夕方、肩こりと少し寒気がしました。まだ残務が残っていた皆を置き去りにしてそそくさと帰宅。葛根湯とビタミン剤を服用し、夕食を食べて床に就きました。
宵の口にやや汗をかきましたが、とにかくそのまま寝続けました。

早朝に目が覚めました。喉が痛い!(≧д≦)ゝ
どうも開口したまま寝ていたようです。カラカラになった喉は唾液さえも飲み込むのが辛い状態でした。口の中を見ると、喉が真っ赤。戦場です。
さらに頭痛、倦怠感。頸をさわるとちょっとリンパ腺がコリコリとふれます。
やばいなあ~~。
なんとか早期に治さなくてはと本日欠勤しました。


中学1年生の時、似たような症状から肺炎になったことがあるんです。あの時は喉の痛みはもっとひどく、声がでなくなってしまいました。その状態でも登校できたのは若かったからなんでしょうかね。
登校したはよいけど、翌日ダウン。病名は異型肺炎でした。
息ができなくなって死んでしまうかと思うくらい咳が出て、夕方になると熱が出て苦しかった記憶があります。それに毎日注射されるし・・・。


今日は、がんばってご飯を食べ、水分を摂り、ずっと寝ていました。
この調子で受診すると、たぶん抗生物質が処方されるんだろうなあと思い、受診はしませんでした。最先端の西洋医学にどっぷり浸かって仕事をしていますが、薬は毒にもなりえるので必要なければ口にしないのが私流。感冒くらい自力で治さなくては。
とは、いうものの悪化してほしくないので、葛根湯とビタミン剤と整腸剤を服用。結局、薬飲んでるじゃん・・・。

その結果、夕方まで発熱はしませんでしたが喉の痛みと腫れは引かず、倦怠感も少し残っています。
今夜は夜勤もありましたが、後輩が交代してくれるとのこと。申し訳なさいっぱいです、なんとか明日の日勤には出勤できるようにしなくては・・・。


葛根湯でよいのかネットで調べると、どうも喉の痛みがある場合は違うようです。腫れている=熱が表面化しているということのようですね。
葛根湯は風寒で服用とあります。私のように熱が表面化している場合(風熱)には銀翹(ギンギョウ)解毒散とありました。
やばい!早く治らないじゃない!

早速薬局へ。
葛根湯類はたくさんありましたが、なかなか銀翹という文字は見つかりません。じっと棚をみると・・・ありました!1種類だけですが。

   

黒い粒が銀翹解毒丸です。匂いがちょっと紹興酒のようです。
先ほど服用しました。
今夜はもう寝ます。明日すっきりした気持ちで目が覚めますように!


2008/11/09 23:04
テーマ:音楽 カテゴリ:趣味・特技(その他)

島原半島

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映画「まぼろしの邪馬台国」が11月から上映されているそうです。これは盲目の文学者宮崎康平氏の同名著書が原作で、妻の和子さんの二人三脚の物語です。このことで第1回吉川英治文化賞をおふたりが受賞しているとか。
邪馬台国というまぼろしの国にロマンを感じて探究をした彼は、邪馬台国論争を学者達の世界から庶民にきずりおろしたと言われています。目の見えない彼に奥さんは日本書紀や古事記等を読み上げ、彼の杖となって九州を一緒に歩き、彼の考えを口述筆記されたそうです。


私はこの本を読んでいませんし、まだ映画も見ていません。私が“宮崎康平”という名を知ったのはさだまさし氏の♪
邪馬臺♪でした。確か高校生のころだったと思います。

  盲しいた詩人はいつも ザボン口に運びながら
  想い出たどる様に 見えない目を開いて
  静かに海を観てた

  幻の国の事を まるで故郷を語る様に
  道程について 風景について
  優しく僕に話した               
                   
【邪馬臺】』 byさだまさし より 
 

とても不思議な雰囲気のする曲だなという印象でした。宮崎康平という方はどんな人なんだろう、有明海を望む山のある風景はどんなところだろうと想像したものです。

宮崎氏は♪島原の子守唄♪を作った方です。彼に「フォークならその土地を歌わなければダメだ」と言われてさだ氏は♪精霊流し♪を作ったとか。Falk songだけではないと思いますが、素敵な歌に出会うとその場所に行きたくなるものです。
上の写真は昨年長崎へ旅した時、飛行機の中から撮影した島原半島方向です。山は雲仙であると思います。
長崎は地形が複雑です。海が西にも東にも南にもあり、その先に半島がまたあるから、自分がどこにいるのか、どちらの方を向いているのかわからなくなります。特に、昨年は地元の友にお任せ移動だったため地図を見ることもしませんでしたから・・・。

せっかく島原半島、雲仙方面に行くのならこの歌を思い出せばよかったのですが、忘れていました。あの時、私の中で長崎は長崎市街地のイメージしかありませんでした。映画を観て、本を読んで、またここを訪ねたいなあと思っています。

  有明の海に風が吹く
  あの人を追いかけて夢が吹く
  ああ悲しい程に 焦がれ続けた
  幻の人が 今
  きっとあなたを抱きしめている
  不思議な夢を観た 
 
       
さださんは宮崎氏に褒められるような歌を作りたいと思っていると聞きました。彼に日本の風景を題材にした歌がたくさんあるのはそのためでしょうかね。私がもっとも好きなのは宮崎氏も大変褒めたという♪まほろば♪です。ただでさえ奈良好きの私ですが、これを聴くと奈良に行って春日山の上に昇る満月を観たい!という衝動にかられます。


  寝ぐらを捜して鳴く鹿の
  後を追う黒い鳥鐘の声ひとつ
  馬酔の枝に引き結ぶ
  行方知れずの懸想文
      ・・・
  日は昇り 日は沈み振り向けば 
  何もかも移ろい去って
  青丹よし平城山の空に満月
                  
『まほろば』 byさだまさし より

【まほろば~修二会←メドレーで聴けます。


   

夕日は小浜温泉からのものです。だから有明海ではありません。
有明海というと私は混声合唱組曲♪筑後川♪の終曲『河口』のフレーズがすぐ浮かびます。

  筑後平野の百万の生活の幸を
  祈りながら川は下る
  有明の海へ
  筑後川 筑後川
  その終曲(フィナーレ) ああ
         
【筑後川/河口】』 by作詩:丸山 豊 作曲:團 伊玖磨

これは筑後川を歌ったものなので島原半島の有明海を挟んだ東対岸の歌になるのですね。
        
   



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