2007/01/03 00:40
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

ささやきの小径

Photo

JR東海の「うましうるわし奈良」のポスターが気になっています。法隆寺の伽藍と“以和為貴”の文字。

私は30歳前後のころ、奈良に惹かれていました。きっかけは20代に読んだ永井路子氏の『茜さす』という小説でした。持統天皇に興味をもった女子大生が大人になっていくというストーリーです。同時期に里中満智子氏の『天上の虹』が始まり(現在も完結していない)、私を奈良とその時代へと夢中にさせました。

一年に何度も旅をしました。一人で行くことが多かったのですが、古道や山の方面などやや寂しい場所へ行く時は、友や妹と一緒に出かけました。そうするうちに、もっともっといろんなことが知りたくなり、歴史小説、推理小説、紀行など奈良に関する本を次々と読み、会津八一氏の歌集、杉本健吉氏の画集、入江泰吉氏などの写真集等も購入(高価なものは無理です)しました。また、地方情報誌『ならら』をはじめ、ガイドブックやムック本もたくさん集めました。

興味をもった時代は、聖徳太子から平安遷都前までの約200年間で、万葉集のころと重なるでしょうか。

奈良に行くと、資料の少ない歴史をあれこれ想像する楽しさと、目にしたものが1000年以上前から続いているかもしれないというワクワクした気持ちを持つことができます。

司馬遼太郎氏が『街道をゆく』の中で「様変わることが常の世の中にあって・・・」と、変わらないもののことをこのように書いています。

人間が海や山を見たいと思うのは、不動なものに接して安心をえたいからではないか。自然だけでなく、人事においても修二会のような不動の事象が継続していることは、山河と同様、この世には移ろわぬものがあるという安堵感を年ごとにたしかめるに相違ない。

そうなのかもしれません。人についても同じで、時間とともに変化したことは喜びであるはずですが、その中に変わらない部分を発見するとうれしかったりします。奈良の変わらないものは、本の中でしか出会えない歴史上の人物を肌に感じさせてくれます。また、太古のことがそこにいる自分と繋がってるような錯覚にもさせます。

 

以前、「いま、奈良にいます」のポスターが欲しいと思っていました。それが先程JR東海のホームページで見られることがわかり、興奮してこんな長い文章になってしまいました。

写真は何度も足を運んだころ撮ったものです。春日大社の二の鳥居から高畑町の志賀直哉旧邸までの細い道を「ささやきの小径」といいます。うっそうとした森の中を通っています。

観光客の多い場所の鹿たちは人に慣れていますが、森の中の鹿はそうではありません。一瞬目があったお互いでしたが、すぐまた森の奥へ消えて行ってしまいました。


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