2009/10/08 00:59
テーマ:仕事 カテゴリ:趣味・特技(その他)

ホテルの部屋から

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研修のため東京に来ています。数人の職場の人が一緒なのだけど、台風が近づいているからということで、今夜は早くからホテルにこもってます。じゃ、翌日のために早く寝ろよ!ってところですが、研修でちょっと興奮していて眠れず・・・です。
なぜかというと、ある講義に涙が出て止まらなかったからなんです。お堅い研修のはずなんですが、こんなに私の感情に入り込んでくるとは恐れ入りました。
なんとか自分のものにしてブログに記そうと思っていたのですが、なかなか言葉になりません。なので、講義ノートとして残します。


リーダーシップの本質は「非連続性を飛び越える」こと、変革。それは現実の矛盾に挑むことで、見えないものを見て新しい世界を作ること。あり得ないこと、つまり他人には見えない姿に挑戦すること・・・創造。見えないことを価値観や感情などに訴えると人の共感を得ることができる。それは自分の夢を皆の夢へと昇華する中で、自発的な協働を誘発することになる。
 I have a dream(キング牧師の演説)
自分の哲学や夢や理念を自分の力で語っていくと、followr(追従者?)が生まれ増えていき、語ったことがいつか現実になる。

リーダーとはなろうとしてなるものではない。何かに動かされて挑戦すること、つまり人は旅立ち、困難を克服し、そして帰還することがある。その旅を終えたときにリーダーに「なる」。
旅立つために必要なのは知識やスキルではなく、「見えないものを見る」力や勇気、「歩きたい、歩かなければ」という心からの思いと信念である。


すべてはひとりから始まる。リーダーシップは、まず自分をリードすることである。自分を駆り立てるのは誇りや夢や大望や情熱などで、自分を支えるものは、自分の行動についての納得感や自分自身のぶれない基軸である。自分が心から信じていないものには挑戦できない。

しかし、現実は他人や組織、社会のものさしで行動することがほとんどである。そのため、鏡の中の自分と向き合い対話をしなくてはならない。自分の現実を受け入れ、自分の「生」を考え、自分の内なる声に耳を傾けていく。つまり、「それでいいのか?」「誰にもこびない私」「何でがんばるのか」・・・と自分を探すことである。

リーダーシップとは「生き方」の後に残る轍である。そのため、自分が後悔しない生き方、自分として生きる力、生き様が大事である。他人や社会のものさしで行動するのではなく、自分を納得させるぶれないものさしを持つことである。



私たちは日々組織や社会の中で“やらなければならない”という業務に一生懸命取り組んでいる。“やるべき”ことに追われて多忙を極め、活動をすることで他人に認められて充足感やとりあえずの満足感を得ている。それは本当に自分のしたいことと一致しているのか・・・。「頭」と「心」は一致しているのだろうか。
「頭」で理解したことではなく、「心」から支持することにアクションを起こすのが旅をすることである。旅に出るというのは現実との矛盾と対峙して生きていくことで、覚悟を決めて「捨てる」勇気をもつことが重要である。嫌われる勇気も必要である。

矛盾と対峙するタフな心は、giftの自覚(感謝できる力)から生まれる。リーダーは皆に支えられているものである。ひとりではできないものを社会に創り出せるのは他人に支えられているからである。人の毎日のささやかな営み、「当たり前」の中に感謝すべきものがたくさんあり、それが現実と心の矛盾を引き受けられるエネルギーとなっている。「ありがとう」という気持ちががんばれる力を生み出している。


人々は見えないものには追従しない。でも一人で旅はできない。人を率いるのではなく、周囲を巻き込むよう共感を得ることである。その結果、振り返るといつの間にか人がついてくるというのがリーダーに「なる」ということである。


講義ではいろんな方の語りや生き様をビデオで見ました。自分の物語ですね。私はいつになったら自分を語ることができるようになるかなあ~。私の夢って、超えなければならないものって、挑戦するものってなんだろ。どうなりたいって思っているのかなあ。自分を見つめて心の声を聴いてみよう・・・聴こえるかしら。

講師の方(ISL:野田智義 氏)のインタビュー記事がここ↓にありましたので、よかったら読んでみてください。http://www.goodfind.jp/2011/obog/noda1.html

講義の聞き始めからヨンジュンさんのことが頭をよぎりました。ぶれない自分、語ることで現実にしていく夢、生き方に共感している私たちは追従者?『韓国の美をたどる夢』は自分探しですね。

NHKの番組で江戸時代に東大寺大仏殿の修復に貢献した公慶という人のことをやっていました。100年も裸でいた大仏、それが当たり前になっていたから誰も仏殿を再建することに積極的になりませんでした。出家した彼は「修行の身の自分は雨をしのぐ傘があるのに、仕える仏に傘がないなんて・・・」と思いました。そしてその夢を実現すべく語る行脚をしたそうです。
 天下の仏心を集めて一仏となす
大仏殿を創る作業が夢なのではなく、そこに集まる人たちが支えあって生きていくことを彼は夢としたそうです。大仏殿が完成した時に彼はもうこの世の方ではなかったとか。でも、落成供養祭が盛大に行なわれた日、集まってくる人々を救う救護所のようなものや迷子の子供を面倒見る迷子所のようなものが作られ、公慶の夢は次の人たちに受け継がれていったということでした。
彼もまた偉大なリーダーですね。



今日の写真はホテルの部屋で撮影しました。
ライトはパソコンを照らしてくれています。
文中の写真は今回私が持ってきた風呂敷たちです。旅の荷物の中身を風呂敷で包むのが我が家風・・・というか、母がそうしていたのでそうするものだと昔から思っていました。最近はエコバッグとしていろんな持ち方があるので、増えています。
なまずのがおもしろいです。東京タワーの淡水魚水族館にありました。右下のは阿修羅展で購入したものです。ペットボトルを包んでいるのはただのハンカチです。


2009/04/12 13:40
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桜花 咲きかも散ると・・・

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桜花 咲きかも散ると 見るまでに
    誰(たれ)かも此処(ここ)に 見えて散りゆく  

          
 柿本人麻呂歌集  【万葉集 第十二巻・3129】
 
桜の花が咲いたと思うとすぐに散っていくのを見ているようだ。
誰かがここに見えたかと思うと、またすぐにいなくなってしまうのが。


この歌は、旅人がある場所で出会っては別れていくようすを桜の花にたとえているのだそうです。「散りゆく」という言葉には寂しさや悲哀が込められているのでしょう。「ここ」で見た風景ではありますが、人の一生での出会いと別れのはかなさを感じます。
この短い言葉からたくさんのものを想像して、その景色や詠んだ人の思いを自分の心に引き込むことができます。つまり、この言葉の羅列は単なる現実の写しではなく、人の体験した世界の表象であるということがわかります。


 

私は以前から自分の体験を言葉にすることについて興味がありました。特に仕事においては職人を自負する私ですから、技術は目に見える行為のやり方だけでは説明できないと思います。つまり、私の仕事は「客観」という表現だけでは伝えられないのだということです。

今年の1月に私は“ナラティフヴ・アプローチ”という研修を受けにいきました。
“ナラティヴ”というのは「物語・物語る」という意味で、ナレーションやナレーターと同じ「語るnarrate」を語源としています。「語る」行為より「語られた」内容に重点をおいているようです。
「ナラティヴ」は時間の流れを持ち、登場する人や物の空間的な関係を説明します。しかし、連続して起きたことや登場させるものは語り手によって前後したり、省略されたりします。また、語りは語り手が聴き手に向ってする行為で、内容は個人が何をしたかだけでなく何を感じたかも含めたものになります。そして、聴き手はストーリーを自分でイメージしながら登場人物のひとりとして追体験できる特徴をもちます。ちょうど小説のように。
つまり、ナラティヴは語り手の自伝ストーリーであるということだと思います。

昨日の私を言葉にしてみます。下記の2つは同じ出来事ですが、明らかにイメージが違うと思います。

①昨日の朝、私は桜の花を撮影するために出かけました。写真は約500枚撮れました。

②私はお天気に誘われて、早朝からカメラを持って出かけました。気がつくと500枚近い写真を撮影していました。それは、青い空を背景にした桜花が美しく、夢中でシャッターを押し続けたからです。

①はただ事実を羅列しただけですが、②は出来事や登場するものをつなげる筋があります。登場するものに「どのように」「どうして」「なぜ」という意味づけがされているということです。人の体験したことですから、何に感じたのか、何を考えたのかがあった方が、同じ事実の伝達でも理解しやすいわけです。私たちがニュースで痛ましい事件を聞いた時、「なんでそんなことしたのか」「その人はどんな人なのか」ということも知りたくなります。それと同じことだと思います。

  


私は研修を受ける動機と研修後の感想を下記のように書きました。

「目に見える技術や記録として残された看護は、看護師から発信された最終的な結果なのだと思う。人が生きることは感じることであり、看護が看護師という人によってもたらされるものならば、その人が患者に巻き込まれて感じ、考えたことがケアの始まりなのだと思う。参考書には載っていない看護を支える自分の内にあるものを表現できるようになりたいと思っている。」

「私たちは日ごろ、情報、根拠、エビデンス、マニュアル、客観的、成果などという科学が生んだ言葉に囲まれて働いている。科学はデータの普遍性を追究するもので、そこに科学者としての個人は存在しない。現象を細かな分析や全体から統計学的視点で意味づけて、できる限りの絶対性を求めているように思える。しかし、個人におきたことは統計的な数値には当てはまるものばかりではなし、すべてが可視化されるもとも言いがたい。もしかしたら、何パーセントかの確率で絶対からはずれることがあるかもしれない。ナラティヴは一回しかない出来事を個人の経験として意味づけていく過程であると理解した。科学がどうしても捨てなければならない人間個人を表現できる方法であると思った。」


後輩たちに伝えなくてはならないのは、知識や手順ではないように思っています。また、人が成長していくには芯となる哲学というか、各々自分を支える土台がないとせっかく学んでも絵に描いた餅になるようになってしまうのではと思います。
私が伝えられる共通する考え方の一つは科学的方法から導かれたものかもしれません。しかし、人間と人間のつきあいを仕事とする医療の技はそれだけではないと思います。かといって、「こうである」と主張できるものをもっているわけではないので、日常の中で少しずつでも話せるようになれればいいし、伝える手段としてナラティヴという方法を学んでみたかったのです。

  
  


茂木健一郎氏の『クオリア降臨』という本を少しだけ読みました。「クオリアqualia」というのは青い空を“青い”と感じること、豆腐を口にいれた時にツルンやひやっと感じること、風が皮膚に当たった時にくすぐったいように感じること・・・などのようなことらしいです。神経細胞が電気的信号で脳に送る情報が統合されてできた感じというか、体験ということかな(詳しくは茂木氏の「クオリア・マニフェスト」というサイトにあります)。ムズカシイ(゚-゚;)

『クオリア降臨』は芸術に包括されているクオリアについて述べられているのだと思います。その《科学と文学の間に》に下記のような文がありました。

生の体験の一回性の中に、この世界の成り立ちに関する普遍的なるものの感触が忍び込んで来ている。すぐれた科学の成果と、良質の文学の味わいには、何かが共通している。両者が提示する「世界はこうなっている」「人間はこんな存在である」という世界知の由来するところは、実は同じなのではないか。その言葉にならない、一つにつながった感触の山脈を、私たちは「科学」とか「文学」といった、人為的な分水嶺で分けようとする。



私は自分の体験を自分の語彙の中からでしか伝えられないので、普遍性のあるものではないかもしれません。でも、聴き手側に私の語りと共通する部分があったとしたら、とても嬉しいでしょう。通じ合えるものがあるってことだから、「これでいいんだ」という自信にも繋がるし、共通する人が多かったらエネルギーのあるチームになっていくと思います。ちょうど、WBCのサムライJAPANのように。
もちろん、語るのは私だけでなく、後輩や同僚、先輩などなどいろんな人であることが大切だと思います。


オバマ米大統領の就任演説は米国民のみならず、日本の人々をも惹きつけました。全文が翻訳されるほどでした。
彼の演説が理解しやすかったのは、自分の過去やアメリカ(我々)の過去を語って現在につなげたからではないでしょうか。アメリカの国民は共感するものがたくさんあったのだと思います。共通感覚を得た人々はアメリカでおきていることを自分のことであると受け入れて、私もがんばらなくてはという気持ちをおこさせました。そして、そのエネルギーはオバマ大統領に集約していったと思います。言葉を伝える大切さをひしひしと感じましたね。



  

ナラティヴ・セラピーは「言葉が現実をつくる」「言葉が世界をつくる」という考え方が元になっているそうです。言葉がなければ世界を伝えることができないのだから、言葉で世界を表現しているという意味においてはわかりやすいと思います。でも、世界があって言葉があるのではなく、先に言葉があって、その言葉が世界をつくっていく・・・つまり、別の言葉で表現したら世界は変わってくるということなのだそうです。現実が変わるというのではなく、自分の認識が変わるってことかな。

言葉(名前)は見えるもの、見えないものすべてを表せるように、新しいものが出るとかならずどう呼ぶかを後からつけています。しかし、ついた言葉はただの記号としての発音として存在するのではありません。言葉に付随したイメージは限りなくあるでしょう。
例えば“ペ・ヨンジュン”。彼を指し示すわけですが、この言葉を聞いた人の認識はどんなものがあるでしょう。好意的にプラスのイメージをする方ばかりではないし、言い方によっては私たちカゾクを斜めに見たイメージを指すものになるかもしれません。
文章になったらどうでしょう。
 ①ペ・ヨンジュンは車を運転しました。
 ②ペ・ヨンジュンは車で出かけたようです。
 ③ペ・ヨンジュンは車から降りてきました。
3つとも同じ現実を語っているとします。①だと「出かけられてよかったね」と肯定的に考えるでしょう。②だと「どこに行ったの?ホント?」と思うし、③は「誰か会った人がいるんだ!」と少し複雑な気持ちになります。このように言葉の綴りによって現実の認識っていろいろに変化するのです。


私は今自分がここにある意味づけをするために、自己物語りを創造してみようとしまいした。自分が主人公の物語、セルフ・ナラティヴというそうです。・・・が、以外とうまくできないんです。家族構成とか出身とか客観的な情報と言われることは出てきます。昔の出来事も写真を見たりすると情景は断片的に思い出すことができます。しかし、何に感動して、何に刺激されて、何に傷つき、何に喜んだのか。誰と出会い、別れて、何を手に入れて、失ったのか。そういう経験を綴って今の自分との繋げる“意味づけ”ができません。o(´^`)o ウーなんでだろ。

自己を語る意味は自分の存在を確かめることになります。なんとなくそこにある自分では輪郭がぼやけて不確かなものになりかねないのだそうです。自己語りは繰り返すたびに筋書きが変化するかもしれません。現在の自己認識が変わると未来の自分も新しく創造することができます。不安定で不確かな自分になったら、セルフ・ナラティブヴしたらよいのかもしれません。

もし、自己を物語ることがうまくできないのなら、ストーリーを引き出して、筋立てしてくれる良い聴き手を探すことかもしれないって思いました。「どうなったの?」「どうして?」「何があったの?」など、聴き手として物語を追体験しようとする会話が断片的な出来事を埋める質問をしてくれるのではないでしょうか。
よーし!!私もそういう相手を見つけようっとp(・∩・)q


 


ま~た長い記事になってしまいました。1月から考え溜めた私の頭の整理箱的なブログだわ。

写真は青空の下で撮影した桜たちです。多くは散っていましたが、枝垂れ桜がいくつかちょうど満開をむかえていました。青空を背景にすると、桜色が映えます。








2009/04/05 05:37
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射光

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新年度が始まって数日が経ちました。学生の内定取り消し、雇用契約の中途打ち切り、新規採用を控えたり中止したりといった厳しい状況の元でのスタートのところが多いのだと思います。私の職場は相変わらず1年を通して職員募集するようですが・・・。


昔の日本型経営は、従業員を家族ととらえてみんなで会社を支えていくという考え方だったそうです。社会を構成する最小単位は家族であり、企業であるわけです。その小さな社会の中でみんなで人を育て、企業を盛りたてていきました。経営者だけでなく雇用者も「私の会社」という気持ちがもてる組織であったのかもしれません。育った人は終身雇用と言われた制度、つまり従業員によほどのことがない限り定年まで雇用できるという慣行によってずっと企業にとどまりました。勤続年数に応じた賃金や役職という考え方もあったのでしょうね。でも、突拍子もない大金持ちはでず、皆中流意識でした。

90年代になって、グローバル化した社会の中で日本企業は、世界の経済競争についていくために日本型経営からアメリカ型経営になっていきました。それは、競争原理に基づいて能力を客観的に評価した成果主義的な社会です。業績を数値で表わし、何よりも企業の利潤が大切とされてきたようです。作業の標準化および専業化、統一規格、大量生産、コストの低下などがされ、人材も数というもので計算されるようになったように思います。利益の上がった企業やその経営者は儲かるようになり、経済格差がみられるようになってきたそうです。

平成16年に労働派遣法が改正になりました。“厳しい雇用失業情勢、働き方の多様化等に対応するため、労働者派遣事業が労働力需給の迅速、円滑かつ的確な結合を図ることができる”ように改正されたのだそうです。企業が直接雇用しない派遣という形で働く人が増加したということかな。
私はTVのドキュメンタリーなどを見ていたとき、人が物のように扱われているようで怖かったです。確かに派遣社員は大きな責任に繋がる仕事ではないかもしれませんが、人数で計算されてしまうのかと思うと寂しさがありました。また、日本型経営の特徴のひとつに企業ごとによる労働組合がありましたが、派遣は派遣先の組合からははずれてしまうんですよね。


昨今のような不安定な経済状況になると“only one”になることが生き残る手段だと何かにありました。誰でもいいのではなく、私でなければできないことを身につけてアピールすることが雇用される側としてのonly one。お得な感じを受ける買い物、日常生活を切り詰めて時々贅沢するときに選ばれるonly one。
そういえば先日、東京ディズニーリゾートのひとり勝ちという話題をTVで目にしました。この世の中にあって入場者が減らないということです。決して安く遊べるところではないのですが、お金を使ってでも行きたくなる魅力があるのでしょうね。遊園地へ行く回数を減らした分、行くならTDL・・・ということかな。


ここまでの記事を書くにあたり、企業の役割りとか、経営理念とかを調べていて、松下幸之助氏が「会社は社会のもの(社会の公器)」と言ったことを知りました。企業は誰かのものという考え方をするのではなく、誰のためにあるのかという存在を問うていくべきだという考えだとか。企業は社会のために役立つから存在価値があり、利益もあがっていくということのようです。それによって株主や雇用者に還元されるものがうまれて、人の生活が潤うってことですかね。

このところの解雇や派遣村とかいうニュースを聞くにつれ、何かしっくりこないものがありました。世の中の成り立ちがひっくりかえっちゃったようにかんじたからです。企業を守るために人が切られていく・・・。人もディスポーザブルな時代になってしまったのかって思いました。進歩した人間は住みやすい生活のために企業とか会社とか国とかいろんな組織をつくったんじゃないのかなあ。そのずっとずっと前、人類が誕生したころは家族しかなかったはずですから。
大事なのは人がうまく生きていくことのはずなのに、実体しかない企業が守られているような気がしました。もちろん企業がつぶれてしまえば路頭に迷う人々が出てしまうのだからやはりまずいのですけど、何かしっくりきませんでした。

松下幸之助氏の言葉は私のモヤモヤを代弁してくれたようです。彼は「不況もまたよし」と言ったそうですね。1929年の世界恐慌の時、従業員をひとりも解雇することなく乗り切ったとか。人も企業にとって財産なんですよ。人がいなかったら企業はなりたたないんですから。


経営者でもないし、解雇された労働者でもない私がなんでこんなことを考えたのかというと、実は私も学生から社会に出る時に“内定取り消し”をされた人間だったからです。私がその取り消しを聞いたのは1月半ば過ぎだったと思います。まさか就職できないなんて思ってもいませんでしたし、1つしか受けていなかったから、たいへんなことでした。
先日、その当時の自分はどんな思いでいたのか知りたくて、25年も前の日記を開いてみました。(+。+)あちゃ-、全然深刻じゃないですね。あっけらかんとしたもんです。2月くらいもまだ「就職決まらないけど、ど~しよう~」と書いてありましたが、焦っているようすは伺えませんでした。
地元ではないけど、3月になったら二次募集する病院があるからそこを受けてみようかなと思っていたくらいです。もし、そこにも落ちたら就職浪人でしたね。

結局、内定取り消しを通達してきたところと同じ系列で別の病院に就職しました。そこは内定者が就職を断ってきたということです。2つとか3つとか掛け持ちしていた人がいたんでしょうね。なんとなく拾ってもらった私です。よかったのか、悪かったのか・・・。

今回、記事に書きたかった本題は実はこれからです。随分前置きが難しくなってしまいました。
「人は物語に生きる存在である」ということを考えたかったからです。私が今ここにこうしていることが何に繋がっているのかを自分物語で探るというか、意味づけていく作業です。それをして、過去から未来に光を当ててみると何か見えてくるものがあるのだそうです。
長くなったので続きは次の記事にします。


写真は1月に撮影したものです。姪や甥たちと東京見物をしました。
タイトル下の写真は後楽園遊園地ラクーアの前あたりです。下から照らされた光に興味をもった二人はまぶしいのに覗きこんでいました。それが、ちょうど過去から未来へ光を当ててみるということと似ていたので・・・。

真ん中は浅草。人形焼を焼く職人さんの作業をじっと見つめるふたり。食べたいというのではなく、職人さんの技による動きがおもしろかったというか不思議だったんでしょうね。
それから仲見世通りです。飾りが日本の正月っぽいですよね。


下は東京ドームと東京タワーです。


2008/10/27 01:09
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萩落花

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いつも人手が足りない私たちの職場です。看護師はベッド数に見合った人数がいなければなりません。つまり、看護師がいなければベッド数は減らさないといけないんです。医療現場では小児科医とか救急医とか麻酔科医とか産婦人科医とかが不足していると言われていますが、実は看護師も不足しているんです。

看護師の国家資格をもっていながら働いていない人はとても多いようです。多くは子育てとの両立の難しさからやめてしまった方なのかもしれませんが、最近は結婚していなくても、子供がいなくてもやめていきます。
さらに、資格があるのに一度も働かない看護師もいるようです。

先日、大学の教員と立ち話をする機会がありました。その先生によると、看護に興味があって看護学部に入ってくるのではない若者が増えているとか。親に言われてとりあえず入学する方も多いようです。まあ、私だって他に行くところがなくて専門学校を受験したんだから、似たようなものなんですけど・・・。

できるだけ多くの方に働いてもらおうと、労働条件がいろいろになりました。同じ正規雇用でも労働時間が人それぞれだったり、夜勤の回数が違ったりと、その人の生活に合わせて働いてもらうということです。ワークライフバランスとかいうのだそうです。それでも働き手がないのが現状です。



医療現場を題材にしたドラマが増えているように思います。それは社会で医師不足や医療事故などの問題があるからでしょうか。とくに救急とか終末期とかが取り上げられているように思います。

その影響なのだと思いますが、大学生がERやICUを実習場所や就職時の希望部署に選択することが多くなりました。生命に直結するため恐い仕事のはずなのですが、何が学生をひきつけるのでしょう。もしかしたら華やかでかっこいいイメージをドラマが作り出しているのかもしれません。
(゚-゚;)ウーン、それは間違いです。
人が生きていくために必要な毎日の営みをコツコツと手助けし、患者や家族の苦しい感情を受けいれることが主な仕事なので、結構地味だと思います。

  

フジテレビの『風のガーデン』を毎週見ています。主人公“白鳥貞美”は麻酔科医です。一般にはなじみの少ない科ですが、私たちにとってはもっとも身近な医師です。相談したり、手伝っていただいたりと毎日一緒に仕事をしています。表舞台に立つ各診療科の主治医を支えるやはり地味なイメージがあるかもしれませんね。実際は“貞美”のように手術室、救急、ICUと颯爽と仕事をしていてカッコイイ(?)。まあ、あのような容姿だったら(。_・)
そういえば中井貴一さんは終末期患者を演じるために撮影中体重を9Kg落としたのだそうですね。すごいわあ。

このドラマに私が惹かれたのは、登場人物の年齢設定や環境が自分に近いものがあったこと、北海道の花やガーデンの美しさ、素敵な花言葉、音楽を奏でる風景、風に揺れるカーテンなど好きな映像がたくさんあるからです。ドラマ上の季節はまだ春から夏になったところですが、貞美の病状進行と共に秋へと移っていくのでしょうね。

  


ところで、「ワーキングプア」「格差社会」「ネットカフェ難民」とかいう言葉が社会で頻繁に登場するようになりました。企業の人件費削減が派遣という人々を増加させたからなのでしょうか。個人が努力してもそれに見合った収入が得られない社会構造になってしまったとか。その原因のひとつが成果主義であるとどこかで読みました。
以前の日本なら、成果があがらなくても努力に支払われる賃金があり、生活をすることができたようです。ところが現在は働いても働いても生活保護水準以下の収入しか得られない労働者があるということです。それは単に生活の貧富差だけでなく、子供の教育格差にも繋がっているのだそうですね。


何か不思議な気がします。私の周りでは正規雇用をやめていく人が年々増えているのに、社会は正規雇用してもらえない人がたくさんいて問題になっているんですもの。人手不足の現実があるのに雇用がない?


私は時間外の多さや責任の重さ、仕事内容が嫌で今の現場から逃げ出したいと思うことがあります。ここをやめても正規雇用の口はまだまだあるだろうし、少しくらい給料が下がっても自分の労働条件に適うところはあるだろうと甘い考えをもっています。だからといって、今まだ辞める勇気はありませんけど。何かが後押し、または引っ張ってくれれば行動しちゃうかもしれませんねー。

   




私の住むところも秋が深まってきました。今年は通勤途中に見る欅や桜の葉の色づきがとてもいいんです。紅葉は年によって当たり外れがありますが、今年はきっと当たりでしょう。山に行きたいです。なんて、来週那須の友のところに遊びに行ってきます!楽しみだわ~~~。


タイトル下はまた萩の花です。まだ咲いていたんですよ。でも、同じ場所からアングルを右に振るとこの下のような風景です。風が落ち葉を舞わせたのでそれを撮ってみましたが、動いている葉はうまく写りませんでした。

  


2008/09/07 10:01
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実り

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もう1ヶ月も前のことになってしまいます。北京オリンピックに沸いているお盆のころ、私は何人かの懐かしい方たちに会いました。中でも、私の人生に大きな影響を及ぼした方との再会は、昔を振り返りつつこれからの自分を考える機会になったように思います。


「仕事辞めたい・・・」
私はその方にちょっと愚痴をこぼしました。久しぶりに会ったのに愚痴なんて申し訳ないのだが、アルコールが入ると感情が高ぶってくる私です。気持ちが追い詰められていた当時は、そんな自分を冷静に考えることができず、支離滅裂に溜まったものを言葉にしていたと思います。


その頃、通常の業務以外の仕事が多く、連日帰宅が21時を回ってしまう、休日も出勤しなくてはならない、宿題もあっていつもパソコンの前の椅子で眠って朝を迎えてしまう・・・、こんな日々が続いていました。でも、「辞めたい」って思ったのは単にやらなければならないことが多くて忙しいからではないのだと思います。私の能力を超えた業務内容、そして私自身がその業務で満足感や達成感が得られないからではないかと思います。

患者と直接接しながら私は自分を確かめ、成長してきたと思います。もちろん、組織の人々ともまれる中での変化もあったでしょう。知らなかったことを学び、より良い選択のできる達人を目指すことが自分の夢であり、進みたい方向なんだと思っていました。
でも、現在プラスされている業務はわからないことだらけです。新しい機器やネットワークシステムの導入に関する業務です。私の仕事の基本は人間を相手にしたものです。パソコンのシステム用語がわからず、SEたちとの会話はチンプンカンプンヽ(~~~ )ノ 。さらに、システム開発側の意図と食い違うことがあるというか、私の職人風な思考とパソコンの動きがかみ合わないことがあります。直して欲しいことがなかなかうまく伝わりません。いちいち時間がかかります。
システムは業務のための道具です。動かせればいいのではなく、それを使って私たちはプロとしての業務ができることが目標なんです。しかもスタッフみんながより良い仕事ができなくてはなりません。




忙しく苦しい中、北京オリンピックの映像を見て、若者たちのがんばりに感動することが自分を奮い立たせる唯一の方法でした。特に選手が、支えてくれた周りの人々へ感謝を表現している姿に胸が熱くなりました。試合後に大切な人を探すためにキョロキョロさせる目、家族を見つけて飛び込む姿、大きな声で名前を呼ぶ姿、声を詰まらせて感謝の言葉を発する姿・・・などなど。北島康介氏が自分の胸から金メダルをはずして平井コーチにかける映像は今見ても涙が止まらなくなります。
そんな彼らの姿から、結果を出す舞台では見えない長い時間と多くのもの、人、エネルギーを感じました。夢は一夜で成すことはできないし、独りで成せるものでないということを改めて思いました。



私が高ぶった感情を出しながらしゃべっていた席はカウンターでした。厨房では若いスタッフが忙しく働いていました。ホールの接客と洗い物とレジを3人の女性が、料理を2人の男性がしています。5人とも何時間も手を止めることなく動き続けていました。「すごいなあ。」私の愚痴を聞いていた人は彼らの姿に感動したようです。私もおしゃべりをやめてじっと見ていました。
世の中にはニート(NEET)と呼ばれる若者がいます。NEETとはイギリスで生まれた言葉だそうで、Not in Employment, Education or Trainingの略語で「用から離れ、就職意欲もなく、教育も職業訓練も受けていない若者」のことをいうそうです。社会の何が彼らを増加させているのかはわかりませんが、カウンターから見えた彼らの一所懸命な姿は見ていてとても気持ちよいものでした。何か夢に向っているようにも思え、オリンピックの選手たちと重なるものがありました。



私の夢ってあるのだろうか・・・とふと思いました。目の前の業務をこなすことが精一杯で自分のしたいことがわからなくなってしまいました。組織という集団の中では自分のやりたいことだけやっていればいいというのはありません。誰かがしなければならない仕事はたくさんあります。それはわかっているつもりなんだけど・・・。現在、私のしていることは私の成したいことに繋がっているんだと理解しているつもりなんだけど…。不満足。
もしかしたら私は、自分を確かめることができる直接患者と付き合う時間がどんどん減っていることに寂しさを感じているのだろうか。では、時間が多かったら満足を得られるのか?

年齢を重ねるごとに直接業務のための環境づくりをする仕事は多くなっていくでしょう。でも、繋がっていることがわかればがんばれるんだと思います。私ががんばれないのは、周囲(上層部もスタッフも)が新しいものの導入に他人事のようであることなのかもしれません。それを導入しなくてはならないのかという空気がどこか流れているように感じるんです。私が行なっている作業は余分なことなんだろうか。必要性を伝えていくことも私の役割りなんだろうが、そういうことをするのにも疲れて面倒くさいと思うこの頃。ちょっと孤独感・・・。

昇格しなくても、お給料があがらなくてもいいから昔のように小さな喜びを積み上げるような仕事をしたいと思いました。原点に返ってみたいというとかっこよすぎですが、それが今の立場からの逃げととられてもいいと思います。


私の愚痴を聞いた人はこんなことを言いました。
若い人たちがそんな思いをしないで仕事ができるようにするのがこれからの役目なのではないか・・・と。ちゃんと昇格をしてそういう組織をつくらなくてはダメだと。(゚∇゚ ;)エッ!?つまり、夢に向っている若者のサポートをすることが私の仕事?
私は「やだ~~~~!っ」て叫んでしまいましたね。私は夢を達成した感覚がないんだー!自分がしたいんじゃ!

じゃあ、私の夢ってなんだ?どこが到達点なんだ?( ̄ヘ ̄;)ウーンわからない。私はどこに向っていくんだろう。



今日の写真は実りの季節を迎えた稲です。
上の二つは晴れた日に、真ん中の二つ並んでいるのは雨の日に撮影しました。
実るまでにはいろんな困難があるんですよね。


Mr.Childrenの♪GIFT♪の歌詞が大好きです。

   
   降り注ぐ日差しがあって
   だからこそ日陰もあって
   そのすべてが意味をもって
   互いを讃えているのなら
   もうどんな場所にいても
   光を感じれるよ


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