【創作】契丹の王子③
そんなことを言ったものの、私はそのあと、何をしても心重いままでいました。
ただでさえ体調が今ひとつだったのに、あれでよかったのかという思いが何度も心に浮かびました。
そうです、あの契丹の女官だったという人がその後どうなったのか、私は気になって仕方がなかったのです。
それで、すぐに侍女の一人を警護兵たちのところにやって、決して罰を与えたりしないでほしい、王にも内密に・・、と伝えさせようとしたのですが、侍女はタムトク様の側近らしい人と戻ってきたのでした。
「王がお呼びです。
あちらのお部屋でお待ちになるように、とのことです。」
その若い側近の人は一緒に来るように私を促しましたが、私は咄嗟に首を横にふりました。
「いいえ、まだ仕事が残っていますので、あとで参ります。」
素直についてくるとばかり思っていたらしい若い側近は目を丸くしましたが、私はかまわずに、侍女三人と警備のためと主張する警護兵三人をつれて、スヨン様のいらっしゃる東の宮殿に向かうことにしました。
「あの・・・、それでは私が困ります、タシラカ様。
タムトク様がお待ちですので、なにとぞ・・・。」
そんなことを言いながら、その若い側近は困ったような顔でついてきます。
でも、私は知らん顔で、ずんずん歩いていきました。
すぐにでもタムトク様にお会いしたくてたまらなかったのに、その命令には素直に従いたくないような気がしていました。
なぜって・・、それは、タムトク様が、そんなに重大なことを私に話してくださらなかったからですわ。
それにもうひとつ、タムトク様にお会いする前に、どうしても自分の中でけじめをつけておかなければならないことがあったのです。
あんただって、昔人質だったこともあったじゃない・・・、そう、あの人が投げつけた重い言葉の中のひとつ・・・。
確かに、かつて私も、その契丹の王子と同じように、囚われの身でした。
だから、悔しいほど、その契丹の王子の気持ちはよくわかったのです。
多感な年頃の少年は、誰かにたきつけられるままに、衝動的にタムトク様の命を狙ったのでしょう。
いえ、もしかしたら、突然知らないところに連れてこられて、ただ心細かっただけなのかも・・。
そう、私があの日、あの方にかんざしを突きつけたように・・・。
あの時、私は何をしようとしていたのでしょう?
タムトク様の命を奪おうとでも考えていたのでしょうか?
そして、あのとき、タムトク様は私を罰しようとは思わなかったのでしょうか?
ともかく、あの夜、あの方は私を求め、そして、そのまま私は初めて抱かれたのです。
それは・・・?
どんなに考えても、答えは出ませんでした。
私は心も身体も重苦しいままに、東の宮殿にスヨン様を見舞い、正妃様付きの侍女に容態を尋ね、頼まれていた人参を手渡し、必要なものがあったら言ってほしいと伝えたりしました。
スヨン様にお会いできないかと頼んでみたのですが、今はお休みになられてますゆえ・・・、などと、やんわりと断られてしまいました。
お方様になんということを・・・、とこちらの侍女が口々に言うのをなだめながら、そんなことが妙にずしりと応えて、ああ、私は疲れているのだと思いました。
でも、遠くから、ちらりとですが、眠っているチャヌス様のお顔を拝見することができたのです。
「まあ、かわいいわ。
やっぱり、タムトク様に似てらっしゃるのね。」
思わずそんなことを言うと、正妃様付きの侍女も、はい、とうれしそうな顔をしました。
ほんのつかの間ですが、体調の悪さを忘れあたたかいものが身体の内側に満ちていくようで、それと同時に、ねたましさもおぼえて・・・。
私って嫌な女だわ、そう思いながら、気を取り直そうと、中庭に足を運んだのでした。
そこでワタルが剣術の稽古をしていると知っていたからです。
仲間たちといっしょに大きな声を上げて剣をふりあげているワタルの姿を遠く眺めて、チャヌス様も似てらっしゃるけど、ワタルもそっくりだわ、と心の中でつぶやき、すぐに、自分が馬鹿みたいだと恥ずかしくなったりして・・・。
「王に似て、ワタル様は筋がいいと、みなが言っております。」
側にいた若い側近がにっこりとそんなことを言い、私もそうでしょうか、などとうなずきかけました。
そのとき、私は初めて気がついたのです、
あの契丹の王子も、ワタルとそんなに年齢の変わらない15歳の少年だということに。
今、にこにこと汗をかいているけれど、いずれワタルも少年らしい正義感と性急さを身にまとい、いずれ人に刃を向けたりするのだろうかと・・・。
しあわせそうにすやすやと眠っているチャヌス様だって・・・。
突然ひどく息苦しくなって、私はそばの列柱のひとつに手をかけたのでした。
「タシラカ様?」
侍女のひとりが心配そうにかけた声が、ひどく遠くに感じられました。
「お顔の色がよくないですわ!」
「ああ・・、これは・・、いけません。
だから、あちらでお休みを、と申し上げたのに!」
側近の人がそんなふうに言ったときでした。
私は、内側からの突き上げるようなむかつきを感じ、はっとしたのでした。
もしかしたら・・・?
謝罪会見から見えたもの
今回の謝罪会見の報道をあちこちで読んで、いろいろなことを考えました。
うれしいような悲しいような、複雑な気持ちでした。
その中で、ドラマ完成が遅れている理由として、タムドク王の人物像をとらえきれていないということがあげられていました。あれだけの歴史的な偉業をなしとげた理由は何か、そのことがこの作品に描けていないのだと。
金銀を見ても、キムPDは最初からこの難しい問題に触れていましたね。
答えは出さずに疑問形のままで・・。
ということは、最初からここに注目していたはずですね。
それが、ファンタジーとラブストーリーの融合という点に重点を置いて撮影していった結果(たぶん、CGを使うなど技術的な点でそれがかなり難しい部分だったのでしょう)、曖昧なものとなったままここまできてしまったのでしょう。
そのことに、キムPD自身気がついていたのでしょうが、まあ、それでもいいかと考えて、そのまま進行してしまったのではないでしょうか。
それは、ひとつには、BYJらスターを多数起用していること、CGという特殊技術を駆使していること、豊富な資金をかけた豪華なセットを使用していること、画像の美しさに自信があったこと・・・、など、ある程度満足できるレベルだったのでしょう。
しかしながら、ヨンジュンは満足できなかった・・。
彼は、彼なりにこのタムドクというキャラについて考え、これでいいのかと悩んだのでしょう。
ここからはまったくの私の想像になります。
タムドクが国民的な英雄だということ、それから、ファンタジー、ラブストーリーということからすると、このドラマの中のタムドクとは、誰からも愛される理想的な王子様チックな存在として描かれていたのかもしれない。
正直いうと、私はそれでもいいんですけどね。
でも、ヨンジュンは満足できなかった。
より深い、人間としてのものがない。
民の苦しみを憂い、王位をめぐる争いに巻き込まれ、なおかつ愛する人との三角関係に悩み・・・、それはそれで面白いと思えるようなものになるでしょうけど、いまひとつ、この人物が魅力的に思えない・・・。
たとえばです、私は古代史が好きですので、ついそちらの方面に話が行ってしまうのですけど、聖徳太子という歴史的に有名な人物を考えてみると、教科書の中に出てくるこの人は、十七条憲法を作っただの、遣隋使を派遣しただの、まあ、そういったことをなしとげた聖人君子として出てくるわけです。それを読む限りにおいては、ふうん・・と思っても、それで終わりで面白くもなんともないわけです。
少し前の話になりますが、山岸涼子さんという漫画家の方が『日出る処の天子』という聖徳太子を主人公にした作品を出版したのですけど、これがすごくおもしろかった・・。
読んだ方もいらっしゃるでしょうけど、この中でえがかれている聖徳太子は、単なる聖人君子ではないんですね。生まれながらに他人とは違う超能力を持っているがゆえに、やさしい母とは疎遠になり、友人からも一歩離れたところにいる人物として描かれている。人の上に立つ能力を持ち、その力を十分発揮した仕事を成し遂げ、周囲からも十分それを認められながらも、自分の存在する場所をみつけられない、孤独な人物なのです。
それが、並外れた能力を持つ者の苦悩としてしっかり描けているところが、非常に面白かったのです。
それは極端な例ですけど、つまり、そんなところなのではないでしょうか。
高句麗王タムドクをどう描くか、それがなければこの作品の意味がないと、彼は考えているのだと。それが、ひいては韓流というものを背負う者の使命だと・・。
だからこそ、今の今になって放映を延期しても、そのための恥辱を味わうことになっても、やりましょう、監督!ということになったのではないでしょうか。
本当のところ、ある意味、これはプロとしてあってはならないことだと思います。
プロというのはお金をもらって、その代償として仕事をするのですから、納期が遅れたら、それはお金をもらう仕事とはいえません。その意味では、キムPDも同じです。
しかしながら、この不器用なまでのこだわりを、私はいとおしく思いますし、ここの方々の多くは同じだと思います。まさに身体を張ってする男の仕事です。
ただ、彼自身のコメントの中に、命云々というのもありますので、そのあたり気をつけていただきたいですね。
身体あっての仕事ですもの。
そして、彼の仕事はこのタムドク役が最後だとは思えませんので。
次もあるんでしょう、ヨンジュンssi~?
あら、私、なにげにプレッシャーかけてます?
【謝罪会見臨時創作】タシラカの手紙
☆今日の謝罪会見のニュースを読んで、このようなものを書いてしまいました。
これは、私からの彼への手紙です。
もちろん、皆さんも同じ気持ちでしょうね。
タムドクさま、
こちらに帰っていらっしゃるのが少し先になりそうだとお聞きしました。
思わず、涙がこぼれて・・・、
それは、本当ですの?
あんなにお約束しましたのに・・・。
恨み言のひとつふたつ口にしてしまいそうになりました。
でも、あなたをよくご存知だという仕事仲間の方のお話によれば、
『何のために、自分はこれをなそうとしているのか、
たとえ、命がなくなるようなことがあっても、
ことの本質を見失ってはならぬ。』
あなたは、そうおっしゃったとか。
それは、いかにも、何事も真摯に取り組もうとするあなたらしい言葉。
熱っぽくそれを語るあなたのまなざしが、今でも見えるようです。
ちょっと安心いたしましたわ。
遠く離れていても、
私のよく存じ上げている、そのままのあなたでいらっしゃるのだと、
知ることができましたゆえ。
しかたありませんわ、
もう少しだけお待ちすることにいたします。
でも、どうぞ、私があなたのお帰りを心待ちにしているということを、
心の片隅に留め置かれてくださいませ。
そして、お帰りになるときには、
どうぞ、すばらしいおみやげをお持ちになって・・。
いいえ、そんな欲張ったことを申し上げるのはやめましょう。
どうぞ、ご無事でお帰りを。
ただ、それだけが私の願いですもの。
はい、あなたの真摯なお気持ちは、私、重々わかっているつもりです。
でも、どうぞ、『命に賭けても・・』などとおっしゃるのはおやめくださいませ。
たとえ、いいお仕事のためとはいえ、
どうぞ、ご無理などなさいませぬよう・・。
一日も早いお帰りをお待ち申し上げておりますゆえ・・。
【創作】契丹の王子②
☆進行が遅くてごめんなさい。もう少し続けさせてください。
今回は、サークルでアップした『タムトクの母』を読んでいただくと、わかりやすいと思います。
よろしくお願いします。
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その人は、朽葉色の麻の上衣に身をつつみ、白髪混じりの髪をひとつにまとめ、いかにもこざっぱりとした身なりをしていました。
苦労してきたのか、やつれてはいましたけど、若いころはさぞきれいな人だったのだろうと思えるような顔立ちでした。
高句麗の城内では下働きの仕事を手伝っているということでしたが、目立たないようにしているのか、私には見覚えがありませんでした。
その人が悲しい瞳で語るタムトク様と契丹族の話を、私は黙って聞いていました。
返す言葉がみつからず、ただ胸の中が右に左に揺れ動くのを、私はどうすることもできませんでした。
タムトク様とは三日前の朝にお別れしたきりでした。
その前の夜、お城から屋敷にお帰りになったのをいつものようにお迎えしたのに、私は風邪気味なのか身体が熱っぽくて、夕餉をごいっしょしたものの、早々に寝所に下がらせていただくことにしたんです。
いいえ、いっしょにやすむことなどもいたしませんでしたわ、
風邪をうつしてしまっては申し訳ないと思いましたもの・・。
今夜はお許しをなどと申し上げますと、なんともいえない顔をなさいました。
でもすぐに、うなずいて、
『私のことはよい、今夜はゆっくり休め。
明日にでも、城の薬師を差し向けるゆえ。』
などと、おっしゃいました。
私は、ゆっくり休めば治りますと申し上げたのですが、ワタルまでが、ちゃんと診てもらったほうがいいよ、などと心配そうに言いますし、タムトク様はああいう方ですから、遠慮することはないと、もう全然取り合ってくださいませんでした。
え?薬師ですか?結局その翌日は診ていただきませんでしたわ。スヨン様とチャヌス様のことで、お城の薬師は大忙しでしたもの。
でもね、それはそれとして、あとになって考えてみれば、あの時、タムトク様はその契丹の王子のことをお話になりたかったのかもしれません。
その前の日に、その事件が起こったというのですから。
そのとき、ちょっと注意していれば、いつもと様子が違うことに気がついたかもしれないのです。
でも、そのとき私は自分のことだけでせいいっぱいで、それだけの余裕がありませんでした。
情けないことに、全然気がつかなかったのです。
妻として失格ですわね・・・。
でも、タムトク様も、私の体調がよくないからって、そんな重要なことをひとこともおっしゃらないなんて、ずいぶんだと思いませんか?
城に毎日のように出かけているワタルだって、お側付きのご家来たちだって、ちゃんと知っていたはずですし、それに、屋敷の侍女たちだって・・・。
ひどいと思いませんか?
仮にも、私はあの方の妻ですのに・・。
タムトク様は私に心配させまいと思われたのかもしれませんが、全然頼りにされていないような気がして、私はちょっとさびしい気もちになったのです。
でも、それはほんの些細なことでした。
そんなことよりも、タムトク様の命が狙われたということに、私は打ちのめされていました。
もっとも安全であるはずのご自分のお城の中にいながらそんなことになるなんて・・、そう思ったら、もうたまらない気持ちになりました。
だから、契丹の女官だったというその人の言うことはいかにも筋違いで、理不尽なものに思えました。
それは、そうですよね?
それに、もうひとつ重要なことがありました。
それは、よほどのことがない限り、タムトク様が主体となっている政にはいっさい関与しないと、私自身が決めていたこと・・。
これは、私が倭人だからということでなく、側室という立場にいるからというのでもありません。
私は、タムトク様の妻、ただそれだけの存在だと、それだけでいようと・・・。
だから、私はちょっと腹立たしい思いで、その人の筋違いとしか思えない話をさえぎって言いました。
「私は、タムトク様の政に意見を述べる立場にはありません。」
その人は、あっけにとられた顔をしました。
「そんな!」
私はなだめるように言いました。
「王は公正な思慮深い方です。
ゆるぎない意志の力で、適切な判断をなさいます。
私は、あの方を信じています。」
「でも、でも・・・、
お方様は、タムトク様と契丹の因縁をご存知でしょうか?!
タムトク様がどんなにうちの先代の王様を憎んでいたか、
私はよく知っているんですよ!
だって、私はあのとき、
契丹のお城に・・、あの中庭にいましたもの!」
契丹のお城?中庭?
私はその言葉を心の中で反芻していました。
ぞわりとするものを感じながら・・・。
そんな私に気がついたのか、その人はとどめを刺すように続けます。
「私は、今でも夢にみます。
あのお方は、恐ろしい方です。
忘れられません。
高句麗王タムトク様とは、
あんなことを平気でする方なんだって、今でも、私は・・・」
その言葉は、私の中のある部分を激しくえぐりとろうとするかのようでした。
でも、私は、その悲しい瞳の中を見つめました。
それは、違います!
あなたは間違っているわ・・と。
私は、ぞわりとするその不気味なものを振り払うかのように、その人に言い放ちました。
「私は・・、
私は、そのときどんなことがあったのかわかりません。
でも、タムトク様がどんな方なのか、
私はよく知っているつもりです。
それに、どちらにしても、
そういったことは、王がご家来の方々と協議して裁可されることです。
私など、口をさしはさむべき問題ではありません。」
もうこれ以上そんな話など聞く必要はないと、私はその場を立ち去ろうとしました。
「お待ちください!」
その人は悲鳴のような声を上げました。
でも、私はふり返らず、そのまま歩き出しました。
もしかしたら、その人の言っていることが正しくて、私の描いているのは絵空事なのかもしれないと思いました。でも、それでも私はかまわなかったのです。
私は、タムトク様の中の真実をしっかりこの目で見て、愛したのですから、その人の見た不幸な夢のことなど知らなくていい、そう思いました。
「・・・私の言い方が悪かったのなら、謝ります!
どうか、助けてください!
お願いです!」
助けてください、と何度も繰り返すその人を残して、侍女たちを連れて私はかまわず歩き続けました。
やがて、騒ぎを聞きつけたのか、どこからか、応援の警護兵たちがばらばらと集まってきます。
突然、切れ切れに聞こえてくる声が、打って変わったようなものになりました。
「なによ!
あんたなら、わかってくれると思ったのにさ・・。」
「あんただって、昔人質だったこともあったじゃないのさ!
よくもそんなことができるわね!」
向こうに連れて行かれようとしているからなのか、だんだん遠くなっていくその声を、私はまっすぐ前を向いたまま歩きながら、背中で聞いていました。
「自分さえよければいいっていうの?!
きれいな顔して、よくもそんなことができるわね!」
「高句麗の王様は、女なら助けて、男は殺すって言うのかい!」
そんな方ではないわ!
そう言い返しそうになって、私は唇をかみ締めました。
「今はお妃でございって顔してるけどさ、
あんたも人質だった女でしょう!
何とか、言いなさいよ!」
私は足を止めました。
ふり返ると、少し離れたところに、その人が警護兵二人に向こうに引きずられるように連れて行かれるのが見えました。
私はその小さな姿に向かって叫びました。
「私は何も言う立場にないわ。
でも、タムトク様は、私にとってこの上なく大切な方です。
危害を加えようとする者を、私は決して許しません。」
【創作】契丹の王子①
城門のところに立つ警護兵が、直立不動の姿勢になった。
タシラカは軽く会釈すると、城内に足を踏み入れた。
五日ぶりの参内だった。
高句麗に来て、一年以上がたとうとしていた。
タムトクの指示もあって、タシラカは城内の奥向きのことを取り仕切るようになっていたのだった。
正妃スヨンは、出産後もう一年近くたつというのに、体調が思わしくなくて寝たり起きたりの状態が続いていた。
そして、彼女の元には、生まれて数ヶ月の嫡子チャヌスがいた。
その上、城内を束ねるべき侍女頭の中にも適当な人物が見当たらなかった。
ジョフンはすでに引退して長老屋敷に引きこもってしまっていたし、アカネは身重の身体という状況だった。
そんなこともあって、正妃に気兼ねしながらも、タシラカが城内のことを管理するようになっていたのである。
そんな彼女も数日前から何となく身体がだるく、その日は正妃付きの侍女にスヨンの様子をたずねたらすぐに屋敷に帰ろうと思っていたのだった。
ところが、城門近くにある植え込みの陰で、ひとりの初老の女が待ちかまえていた。
二人の警備兵たちの手をかいくぐり、女はタシラカに近寄ると、大きな声で言った。
「お願いでございます。
倭のお方様とお見受けいたします。
お聞き届けいただきたいことがあって、こちらで、お待ちしていました。」
侍女たちが顔色を変えてタシラカを守るように、その女の前に回りこんだ。
警護兵たちが駆けつける。
が、女はそんなものには目もくれずに、言った。
「あやしい者ではございませぬ。
今はこちらのお城の下働きをしていますが、
かつて、契丹王室で女官をしていた者です。」
十分あやしいではないか!
そんな警備兵の制止を物ともしない様子で、女は言った。
「お、お願いでございます、
お方様、私の話をお聞きくださいませ。」
女は警護兵ともみ合いながらも、叫び続ける。
「王子が・・、私どもの王子が、
処刑されてしまいます!
なにとぞ、なにとぞ・・・、
お方様のお力で、
王におとりなしを!」
王子?
タシラカは小首をかしげて、そちらを見た。
警護兵の声が、いっそう大きくなる。
何を無礼な、ずうずうしい!
もうひとりが、女の腕をつかむ。
「あ・・・、お願いです、
どうぞ、話をお聞きください。
王子は・・、悪いヤツにだまされたのです!
・・そんなことができるような方ではありません・・・」
タシラカは手を上げて警護兵を止めた。
「なんのことです?」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
女の語るところによれば、ひと月前のセンピとの戦いのときに、たまたまそこに身を寄せていた元契丹族の王子が、高句麗軍に捕らえられたというのだ。
「さきほども言いましたが、私はかつて、契丹の王宮で女官として仕えていたことがございました。
契丹をごぞんじでしょうか?10年以上も前のこと、まだ即位まもないタムトク様に攻められて、国は跡形もなくみんなちりじりばらばらになって、はるか北方の草原に追いやられた部族でございます。
・・・その10年前の戦のときに、何が起こったか・・・。
お方様はご存知かどうか知りませんが、
こちらのタムトク様は、お母上様のことで当時の契丹王を恨んでおいででした。・・・落城の際には、ひどく残忍な方法で契丹王を処刑されたのです。」
その話は、いつだったか、タムトクから聞いたことがあった。
『そなたに出会うずっと以前のことだが、
私は、北の異民族の王を憎んだことがあった。
それで、残忍なワザで、殺害しようとしたのだ・・・。』
あのとき彼は、ひどくつらそうだった。
そして、そうだ、それは彼の母后に深く関係のあることだった。
捕虜として異国の王に連れさられたタムトクの母、
故国に残した子を思いながら、ついに帰ることもなく亡くなったタムトクの母に・・・。
それは、同じような境遇のタシラカを愛したことへの、タムトクの複雑な思いでもあった。
タシラカは首を横に振った。
「タムトク様は、降伏した捕虜に対して残忍なことをなさるような、
そんな方ではありません。」
だが、そんな彼女の言葉には何も答えないまま、女は弱々しい笑みを浮かべると続けた。
「その王子とは、処刑された契丹王の孫にあたる方です。
たぶん、捕虜として城内で過ごすうちに高句麗とのことを誰かが面白おかしく話してきかせたのでしょう。
祖父の仇とばかりに、執政の間にいたタムトク様に刃を向けたのです。
もちろんすぐに取り押さえられ、タムトク様は何事もなかったのですが・・、
でも、みんな言っています、
王の命を狙うなどと大それたことをしでかしたんだから、これはどうやっても、死刑は免れないだろうって・・・。」
しわの深く刻まれた顔をゆがませて、その女は話し続ける。
「10年前の戦に敗れ王を殺されたとき、私もこちらに連れてこられました。最初のころは、それは、タムトク様を憎みましたけど、でも、それはもう、ずいぶん昔のことです。
私もほかの者も裕福というわけではないですけど、それなりに平和に暮らしています。
今は、王を恨むなんて、そんなことはけっして・・」
「王子は多感な年頃です、
顔も覚えていないような祖父王のカタキを討たねばなどと、
頭に血がのぼってしまったのです。
誰かにそそのかされたのです。
そうに違いありません!
深い考えがあったなんて、とても思えません!」
「まだほんのお小さいころ、私はおそばでお世話をしていたことがありますが、とてもやさしい方でした。
そんな恐ろしいことは、けっして、けっして・・・。
お願いでございます!
どうぞ、お助けくださいませ、
どうか、王におとりなしを!」
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