タムドクVSホゲに見る一考察~9話から
☆劇場で9話を見てきました。
やっぱり大スクリーンでの9話はすごかった!
ヤン王の死、キハの悲痛な叫び、ホゲとタムドクの対決、カクダンの壮絶な最期、玄武の目覚め、そしてタムドクの涙・・と、息つくのも忘れるほど最後まで一気に見てしまいました。
本当に、9話は短い、短すぎる!
特に気になったのが、タムドクとホゲとの対決シーンです。
タムドクは、できればホゲとの戦いを避けたいと思っていたのでしょうが、一方のホゲはどんな気持ちでいたのかと・・。
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なんだ、これは?
どうして、チュシンの王である俺がこんな目にあわなければならんのだ?!
だいたい、こいつは太子とは名ばかりのひ弱なヤツじゃなかったのか?
俺がちょっと本気を出せば震え上がると・・・。
なのに、『やれよ、・・母の仇を討てばいい。』なんて生意気なことをほざくから、お望みどおりにしてやろうと思ったのに・・・。
そうだ、すぐに仕留めてやれると思った。
最初はうまくいった。
ヤツは馬にも乗っていなかったから、俺は難なくあいつを地面に叩きつけることができたのだ。
なのに、二度目の攻撃のときは、あろうことか、ヤツは馬の脚を狙ってきたのだ!
おかげで、俺は馬もろとも横倒しになってしまった。
まったく、蛇のように悪賢いヤツだ!
俺はチュシンの王たるべく育てられてきた。
血のにじむような鍛錬を重ね、高句麗一の勇者といわれてきた。
なのに、二度、三度と討ちあううちに、ヤツもなかなかの腕を持っていることがわかった。
子供のころは誰にも相手にされず、城内でいつもひとりぼっちでいるのを見かねて、この俺が槍の稽古なんかつけてやったこともあるのに・・。
そういえば、父上はいつだったか言われたことがあった。
油断してはならぬ、おとなしそうな顔していながら、抜け目ないヤツなのだと。
まったく、そのとおりだった。
この俺が、あやうく何度かやられそうになったほどなのだ。
一度は槍で横になぎ払われて、上体をそらせてかわさなければならなかったし、また、足を取られて転びかけたときに、上からするどい切っ先で襲われたりもした・・。
もちろん、俺も何度かヤツを追いつめたが、これは簡単にはゆかぬぞと思った。
ぎりぎりと歯を食いしばり、俺はヤツの動きを読もうとした。
が、どこにも隙はなかった。
ヤツも同じ思いだっただろう。
・・そうとも、俺だって簡単にやられるほどヤワじゃない。
が、ヤツは、おい、かかってこいよ、みたいな顔をして、冷たい目でこっちを見据えて・・。
ふん、そんな手に乗るか、こっちは正真正銘のチュシンの星の元に生まれたホゲ様だ、そう思ったが、次の瞬間、ヤツにもそんな話がついてまわっているのだと気がついて、
どっと冷たい汗が流れて・・・。
そんなところに、あの女たちがやってきたのだった。
そして、あの瀕死の女が言ったのだった、王は反逆者たちに追われたあげく、神官の手にかかって逝去されたと。
それから、その神官の名を口にしたのだ、・・・そう、俺の愛する人の名を、だ!
嘘だ!、信じられないというふうに、ヤツは口走っていたようだったが、
俺は、俺は・・・。
なぜ、あんなにたおやかな人が?嘘に決まってる、そう思いながら、一方ではそれが本当であることを俺は知っていた。
あの人の思い人であるヤツに、わざわざ知らせに来たのだから、嘘であるはずはないと・・・。
そして、俺は思ったのだ。
もし王が亡くなったというのが本当なら、父上も俺も反逆者ということになるんじゃないか、
チュシンの王などではなく、悪に手を貸した者となるんじゃないかと・・・。
そのあとのことを思い出すたびに、俺は恐ろしくなる。
目もくらむような光の帯がどこかからぴか~っと襲ってきて、ヤツを包んだと思ったら!
包んだと思ったら!
俺は、天の怒りに触れてしまったのだろうか。
いや、そもそも俺はチュシンの王ではなかったのか。
もしや、もしや、ヤツが・・?
そんなはずはない!
そんなことがあっていいはずはない!
俺のためにあえて悪に手を染めた父上のために、
そして、命を落とした母上のためにも。
24話の後に~戦いすんで(その1)
☆最終話を見て、どうしてこんなに胸が痛むのか、そのわけを考えてみました。
それをこんな感じにまとめてみました。
いつもの『ないしょ話』とは違いますが・・。
【フッケについて】
名もなき兵士の刃の冷たさ。
失われてゆく意識の中で、『ペーハー・・・』と声なき声をあげた。
その目に映ったのは、雄々しく戦うチュシンの王の姿。
もう一度、ペーハー・・、と呼びかけ、何ごとかひとこと、ふたこと・・。
彼が最後に仕え、愛した若い王。
思い描いてきた伝説のチュシンの王そのままに、力強く戦う姿形を目に焼きつけながら、
フッケはゆっくりと目を閉じた。
真っ赤に染まった顔いっぱいに、笑いが浮かんでいた。
【コ将軍について】
タムドクはゆっくりと兜を取った。
視線の先には、倒れている将軍の姿。
駆け寄ってその腕に抱けば、老いた忠臣は何ごとかか細い声で訴えるように・・。
それから、ペーハー・・、と。
幼いころから気がつけば側にいた。
孤独な王子に武芸を仕込み、時には身を挺してかばい、
時には涙ながらに諌め、
陰に日向に若い王をささえつづけた将軍。
長い髪には白いものが入り混じり、
やせた身体は小さく感じられて・・。
やがてそれが冷たくなってゆくのを、その重さを、
タムドクはその腕に感じていた。
なぜだ?!
【宿敵ヨン・ホゲについて】
ゆっくり顔を上げれば、そこに宿敵の騎馬姿があった。
愛する者を斃した男もまた、彼が幼いころには友と呼んだ者。
なぜだ?!
かなしい目で見返せば、
相手ははげしい顔で襲いかかってくる。
ホゲ!
宿敵を槍ごとつかんでひきずりおろせば、
相手はあっけなく地上に落ちた。
立ち上がりこちらを見たその目は、思いのほかおだやかで・・。
そう、思いのほか!
こうするしかないのか!
渾身の力を込めて槍を投げれば、いともたやすく宿敵は倒れた。
まるで、それを待っていたかのように!
こうするしかないのか!
はげしい戦の場。
一瞬のきらめきの中で失われてゆく命の数々。
チュシンの王とは、なんだ?
チュシンの王の統べる世界とは、いったいなんなのだ?!
24話を前に
24話を前に、いつだったか、シャララさんがおっしゃっていたこのドラマの恋の行方を、私なりに考えてみました。
今ごろになって・・、なんていわないでください。
シャララさんにコメントいただいてからずっと考えていたのですけど、全然思い浮かばなかったんです。ごめんなさい。
なお、朝鮮日報に載っていた、『タムトクとホゲは、ファチョン会の寺の門前で最後の戦いをする』という記事を読んだ上で、私はこれを書いています。
①タムドクはスジニに心魅かれながら、キハが自分の子を出産したことと、スジニがキハの妹であることを知り、彼女をあきらめる。
②大長老は、タムドクとキハの子を、母キハの名前を使って誘いだすことに成功する。
③これを知ったタムドクは、兵を率いて、長老の待ち受ける寺に駆けつける。
④タムドクとホゲの戦い。
⑤敗れたホゲは、タムドクの父の死にキハが罪がないことを伝え、息を引き取る。ホゲは、タムの父が亡くなった直後その場を訪れた父ヨン・ガリョから、その証拠を教えられていたのだった。
⑥その間、キハはタムドクとの子を大長老の魔の手から守ろうと戦うが、敗れ、タムドクの腕の中で息を引き取る。
⑦育ててきたタムドクの子の危機に、スジニは黒朱雀に変身し、大長老を倒し、タムドクの子は救われる。
⑧自分の力を制御できなくなったスジニを、タムドクが天弓で射る。
⑨数年後、タムドクは別の女性を妃として迎える。
黒朱雀に変身するのがキハ、スジニのどちらかということで、かなり悩みました。
私の考えたストーリーですと、もつれた三角関係は、二人の女性の死によって終わりとなり、誰もしあわせにはなれないということになります。
私が、タムドクは、スジニ、キハのどちらとも結ばれないとしたのは次の理由からです。
①キハは、さまざまな理由はあるにしても、親代わりだった大神官を殺害するなど、多くの罪を犯している。
②スジニは、キハの妹にあたる。タムドクがキハと結ばれ子までもうけたということから考えると、姉妹の関係にあるスジニと結ばれるというのは、韓国の倫理観念から考えると、望ましくないと考えるのがふつうではないか。タムドクがチュシンの王であるということから考えると、なおさらである。
(この時代、中国から孔子の思想がかなり広まってきていると思われる。これは、コ将軍のような忠臣の存在からもわかる。)
たとえば、キハとスジニが実は本当の姉妹ではなかったということなら、②は崩れてきます。
そして、タムドクがスジニと結ばれるということになるなら、当然、黒朱雀に変身するのはキハということになります。
でも、そうなると、キハがあまりにもかわいそうですね。
ここは、『何度生まれ変わっても結ばれない愛』という、池田理代子先生のコミックのサブタイトルで、しめくくるのがいいような気がします。
さて、明日はいよいよ最終回、どんなストーリーが展開されるのでしょうか?
★すみません。予告編がアップされてるみたいですね。それは見ていないで、これを書きました。ですので、これは、まったくの私の想像の産物です。真剣に読んで損したわ、なんて言わないでくださいね。
クランク・アップですね!~ないしょ話に代えて
今日午後5時20分、クランクアップされたそうですね。
本当に、お疲れさまでした。
この長い長いドラマ撮影の間、私も多くのことを勉強させていただきました。
今や、私の中では、教科書の中だけのものだった『広開土王』は、しっかりヨンジュンssi、あなたの姿と重なりました。
それも、はるか昔のぼんやりとした想像の大王ではなく、色鮮やかな、若く美しい大王として。
クランク・アップの後は、まさに満身創痍というべきお体をゆっくり休め、そして徐々に、高句麗王タムドクから元のひとりの35歳の俳優ぺ・ヨンジュンにもどっていかれるのでしょうね。
ちょっとさびしい気もします。
でも、明日には、あなたの姿と魂の宿るタムドク王を、この日本にお迎えすることになります。
そして、そう遠くない将来、・・・来年の春あたりにでも、堂々たるアジアの誇る俳優としてお元気な姿を見せてくださるのをたのしみにしたいと思います。
すてきな夢をありがとうございました。
【チョロのひとりごと~23話の終わりに】
手間取ったけど、
どうやら、会えたようだな。
ふうん、彼女、髪が長くなって、
それに、ちょっと感じも変わったような・・・。
なんだかずいぶん前に、どこかで出会ったような気がする・・。
いいんだ、わかってる。
俺はチュシンの王を守護する者、
青龍の使い手だ。
俺自身の身と心の処し方くらいは、心得てるよ。
前世から、ずっと守り通してきたことだからな。
21話のないしょ話
☆このドラマの中で描かれる「太王」は、ソフトでやさしい雰囲気でありながら、君主にふさわしい雰囲気がある。その命令は厳然として拒否できない強い力がある。これが、演出者のキム・ジョンハクPDの「やわらかいカリスマ」である。
これは、あるサイトでみつけた韓国マスコミの記事ですが、これってぺ・ヨンジュンその人のことだと、私などはすぐに思ってしまったのですけど・・・。
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ヨン・ガリョ様がお亡くなりになったという知らせが届いて、タムドク様はさびしそうにしていらっしゃいました。
それは、やはり、タムドク様がその政治的手腕を期待して、ヨン・ガリョ様に内政を任せようと考えていらっしゃったからでしょう。その信頼を悪用して、あの方は、三つの神物を息子のホゲ様に渡してしまったんですから。
タムドク様がいかに大きな衝撃を受けたかわかります。
しかも、その裏切りの意味がどんなに大きいか、そのことをはっきりと言葉に表して、ヨン・ガリョ様は自ら命を断ちました。
それって、二重の意味での裏切りだと思いませんか?
ヨン・ガリョ様のお手紙にはこうありました。
『陛下がチュシンの王であると、天はその証拠を明らかにしましたが、私は納得できない気持ちです。
天が陛下を生まれながらのチュシンの王だと定めるのなら、人間が努力を積み重ねるのは何の意味もないことになります。・・・・
この三つの神物を息子ホゲに渡しても、息子はその力を使うことができないでしょう。
が、陛下も自らの力だけで戦い、チュシンの王たることを示さねばならなくなります。・・・
陛下に背いた私は、もう生きてチュシンの王の治める世を見る資格がありません。・・・
私はチュシンの王を待ち望んでいたでなく、チュシンの王を自分の手で創りたかったのではないかと・・・。』
私はこのお手紙を読んで、ヨン・ガリョ様は、タムドク様の真の姿を何もごらんになってこなかったのだと思いました。
それも、小さいころからタムドク様をよくご存知だったはずなのに、ですよ!
ひとりぼっちの弱々しい王子で、とるに足らない存在とでも?
いえいえ、ホゲ様のお母様、ガリョ様の奥方様にあたる方が亡くなられたときのことを思い起こすだけで、タムドク様がけっしてただの王子ではないことに、気がつかれたはずです。
なのに、このようなことになってしまったのは、チュシンの王がどちらであるかなどとは別の意味で、大いなるあやまちをされていたのだとしか思えないのです。
皆様ご存知のとおり、タムドク様は高句麗王家の生まれではございましたが、
その出自に、貴族たちは疑惑の目を向けていました。
父君であるヤン王が生まれたのが、その母君が敵国にとらわれたときだったからです。
つまり、父王もタムドク様も高句麗王家の血を受け継いでいないのではないかと思われていたからでした。
だから、ホゲ様の母上である、タムドク様の叔母にあたる方が、ご自分の息子を王位に、と考えたのもうなずけないことではなかったのです。
まして、ホゲ様も、あのチュシンの星の元に生まれたとされていましたから。
だから、ホゲ様は父母の期待にこたえるために、幼いころから血のにじむような努力をしてきたのですね。
でも、タムドク様もチュシンの星の元に生まれた方。
それも、そんな複雑な事情のある王家の・・。
だから、周囲の目をはばかるように武芸や学問を身につけなければならなかったのです。
父であるヤン王が、息子であるタムドク様の命を守り無事に王位につけるため、目立つことをひどく恐れていたからです。
人並みはずれた力を周囲に解き放つことが許されないタムドク様は、どんな思いで、いとこであるホゲ様の活躍をご覧になっていたことでしょう。
その間、タムドク様は息苦しい城を抜け出して市井の人々と交わることによってさびしさをまぎらわせていらっしゃいました。
思えば、そのことがタムドク様の大きな財産となったのですけど。
父であるガリョ様の用意したエリート教育の上に順調にその力を伸ばしていったホゲ様と、
ひっそりと力を蓄えるだけでなく、民とはなにか、人々を導くとはどういうことかなどについて、知らず知らずに身につけていったタムドク様とは、
あまりにも対照的でした。
そこに、天が与えたなどというものとはまた別の大きな差異ができてしまったのだと、
私は思うのですけど・・・。
神物を手に入れるため何の罪もない民を情け容赦もなく手にかけるホゲ様、
人の命を救うため、手に入れた神物を投げ出すタムドク様・・・。
「チュシンの」などと形容されなくても、王たる者としてどちらがふさわしいか、
誰もがはっきりとわかることでしょうに!
父王が亡くなったあと、どんなに、タムドク様が王位を手に入れるために苦労されたことか、皆様もご存知でしょう。
ガリョ様が仕掛けた罠にはまって、高句麗貴族の息子たちだけでなく、父王その人を殺害したとまで言われ、タムドク様は自らの命を賭けてその潔白を証明してみせなければなりませんでした。
そのことを、一番ご存知なのは、ヨン・ガリョ様でいらっしゃいますのに!
そんなガリョ様の罪を許し、その手腕を頼みに思っていたのに、裏切るなんて、その上、王を裏切った罪を背負ってさっさと自決してしまうなんて、あんまりじゃないですか。
お許しくださいませ、
亡くなられた方のことを、それも、タムドク様の叔父上にあたる方のことを、
あしざまに申し上げたりして・・。
でも、私は悔しいのです。
生きていらっしゃれば、タムドク様の片腕ともなろう方でしたでしょうに。
できれば、今までのいきがかりはさらりと捨てて、
お身内の、しかも政治的手腕のある方として、
タムドク様のお側にいてほしかったと、
私なぞは思うのですけどねえ・・・・。
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