2007/07/26 12:01
テーマ:歳月 カテゴリ:趣味・特技(その他)

ひまわり

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毎年夏が来ると、一つ歳をとる・・・それはなんとも嬉しいような、寂しいような気持ちがするんです。今月中旬に私の誕生日がありました。特別何かがあったわけではなく、日常と同じようにすーっと時間は過ぎていきました。

 

 

 

右は30代のころです。上高地の河童橋ですね。

山を歩き、自然や草花を愛で、写真を撮るのが面白いと思い始めた時期です。

一番体力も時間もお金もあった時期でしょうか。

 

左は随分若い(?)ころの写真ですねえ。

その頃は我が家にピアノはありませんでしたから、撮影場所は自宅ではありません。

母の趣味で小学校に上がるまでずっと刈り上げ頭でした。

 

 

子供の頃は生きているということの意味さえわからないのですから、人生が有限であることなど知る由もありません。自分が大人になるということさえ不思議でした。大きくなったら何になりたいかの夢もない、なんとなくのほほんとした私でした。

青春期は人生に終わりがあることを知ってはいたはずです。しかし、終わりは遠くのものとして自分のことと結び付けてはいませんでした。今の自分がそのまま続くと錯覚をしていたと思います。将来のことを念頭に置きもせず、その時その時が楽しく、充実すればいいという生き方だったと思います。

 

ある時から自分の生きてきた過去を振り返るようになりました。昔を懐かしんでいる行為でもありますが、それは、この先はどのように生きていこうかという考えもおこさせました。もしかしたら、人生の半分の時間が過ぎたのかもしれません。だから、いつしか誕生日がくることは嬉しいから寂しいような気分が強くなりました。

もっと若い頃にやっておけばよかった・・・と思い後悔することがいくつもあります。これから何か新しいことをするには、社会的にも体力的にも必ず問題がたちはだかるからです。

若い後輩(20代)と話をしていた時です。「いつか私と同じくらいいろんなことができるようになるよ」と言ったら、その頃はもう私はいないのだと彼に返され、自分の歳を改めて思い知らされました。|||||(* ̄ロ ̄)||||||||ガーン!私が働いてきた年数は、彼が私の年齢になるよりも長いってことです。後輩ではなく、いつの間にか私は上司と呼ばれる立場にあるってことで・・・

 

先日、部長から進学を勧められました。今の立場ならば、まだ職場を離れることは可能であるということでした。役職が上がってしまうと、それができなくなるでしょうと。学ぶことは楽しいし、できることならば挑戦したいと思います。しかし、多くの問題があります。

まず、仕事は休職になるのでお給料がなくなってしまいます。自分ひとりならまだしも、年金で暮らしている両親の生活、家のローンを考えたとき、貯金だけで数年間やっていけるのかということがまずあります。もちろん、学費だってかかりますし・・・(部長に「眼鏡ばかり買ってないで」と言われた( ̄‥ ̄)=3 フン)

次に、働かないことでなくなってしまう資格があるということです。働いた実績がないと資格の更新ができないのです。進学することはそれ以上のものを手に入れられる可能性があると思ってあきらめるか・・・。また、部長から進学の話と同時に、現在の私と同じ資格をもつスタッフ、つまり後がまをつくってほしいと言われました。組織としてはそう考えるよね。

2~3年間、お金を貯め、資格更新に必要な実績をつみ、後輩を育てる時間を待って進学をするという方法はあります。ところが、年齢的にそれが可能かどうか。自分の能力に不安があるのです。

若い頃と違って物覚えが悪くなっています。新しい知識を頭に入れたり、考えを展開する能力の低下です。これは年齢による体力と、ものぐさでコツコツタイプではないという性格的な問題です。もしかしたら進学したくたって試験に合格しないかもしれないじゃない(∂。∂;行きたいから行けるってわけではないんだもの。

 

悩んでいます。そんな中、Yahoo動画で「初恋」と「大長今」を見ています。いろんな壁を乗り越えながらも学び続け、上を目指しているチャヌやチャングムに励まされます。

それにしても、こんなに自分の年齢が嫌になったのは初めてです。

 

ひまわりの写真は2年前の撮影です。暑い夏といったら、ひまわりですから・・・。まだ梅雨明けしないのかなあ。早くひまわりが似合う季節になって欲しいなと思う夏生まれの私でした。

 

【おまけ】

ブロコリのメンテナンスが終わったようですね。私はブログのカテゴリー「趣味・特技」の「カメラ」にいつも記事を載せています。何故かそのカテゴリーが表示されなくなってしまいましたね。記事を作成するときも、ともすると「カメラ」がなくなってしまいます。どうしてかしらん。

 


2007/07/21 19:58
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

金目鯛

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先日、友たちと伊豆へ遊びに行きました。その友たちとの出会いは6年ほど前、3ヶ月間受けた研修でした。50名ほどの研修生を作業のために6名ずつにグループ分けされたのですが、その時に一緒になった仲間です。

グループでの作業が多い研修で、たくさんのことを語り合いましたから、そりゃ仲良くもなりますわさ。私のグループは特に仲が良かったのだと思います。遠くから何時間もかけて電車で通っている人もいましたが、毎週金曜日になると終電近くまで飲んでいました。職場は違えど、似たようなことで悩んでいる同世代のメンバー。話はつきませんでした。

 

研修中、なんと私は骨折をしてしまったのです。家の階段で1段足を踏み外した・・・ただそれだけのことだったのに・・・情けないo(;△;)o 。幸い手術の必要はなく、ギプス固定でOKだったので、研修は休むことなく出席できました。しかし、松葉杖生活。研修に必要な資料やパソコンを入れた斜め掛けのカバンは重たく、移動は結構大変でした。雨が降ると傘がさせず、さらに苦しいo(´^`)o ウー

そんな状況でも友たちは一緒に飲みに連れて行ってくれましたね。うれしい~。重い荷物を持ってくれ、遅いスピードの私に付き合って歩いてくれました。雨が降った時は合羽を着、ギプスの足にビニール袋を巻いての私。そんな姿にみんなは笑っていましたけど・・・

 

研修が終了してからも1年に1回くらいは会っている仲間。私の骨折ネタはいつでも話題としてでるのですが、いつしかもっと歳をとったら体調を崩す人がでるかもね~と。気が付いたら誰かが薬を持ってくるようになったり、車椅子が必要になったりするかもという話が先日の旅ででました。それはしかたないさ。でもその言葉の裏には、この先何年、何十年(?)たってもこうやって会い続けたいという思いがみんなの中にあるんですよね。

 

今日の写真は、宿に向う途中、買出し(お酒とかつまみとか)で寄った伊東のスーパーで撮影した金目鯛です。旬でないためかあまり大きくはありませんでしたが、こんな風に丸ごと売っているのは初めてだったので・・・

上記は宿泊した宿の敷地で撮影したものです。右の建物が温泉棟になります。

左は帳場です。後ろにはお土産が並んでいます。

番傘とウサギのランプの景色が素敵でした。

次にみんなと会うのはいつかな~。

それまでお互い元気にがんばろうぜーp(・∩・)q

 

 


2007/07/16 11:31
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

元興寺の瓦

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白か黒か、表か裏か、良いか悪いか・・・などと、はっきりと結論(答え)を出さなければならないことってたくさんあると思います。決まらないと先に進めない、グレーとかファジーとかいう曖昧では不安定であるということなのでしょう。判断に困ると、「はっきりさせて欲しい」と結論を他人に委ねることは多くあります。その場合、結論を出した人に責任が及ぶということになります。

社会の中では判断の線をルールとして様々なものさしを使って決定しています。 量、長さ、時間など数字で表現すると決めやすいものですね。例えば制限時速、それより速ければ悪い、超えなければ良い。法律等で決まっているから皆が納得するでしょう。

でも、個人の感覚に依存したものは個々で基準が違うのだから難しいです。

私は両親と住んでいるので、母が食事の支度をしてくれる贅沢なヤツです。仕事を終えて帰ってきた私に、母はいつも「これしかないけどいいでしょ。」と言います。作っていただいているんだから悪いって言ったことはないですよ。この問いは私が「いいよ」と答えることを前提としているのでしょう。なんでいちいち聞くんだろうと思ってしまいます。何も考えずに「いいよ」と言えば終わる会話なのですが、気になります。

「良い」と言ってもらいたいということなのでしょうか。自分に自信がないから?ひとりで判断することって気が重いものなんですね。同意してくれる人がいると心強いというか、自分の責任が一気に軽くなるんですよね。

 

他にも判断が難しい場合があります。それは予測に関することです。「このままでいいのか」または「これをしたほうがいいのか」というのは、今後起こりうる結果に対する判断です。

例えば病気について「これを飲めば治りますか?」と医師に尋ねる人は多いでしょう。その時、医師は専門的な判断でお話をしてくれるのだと思います。「治る」といってもらえない患者は辛いですが、病気を治療すると無くなるという考え方はやめた方がよいと思います。つまり、病気を判断するものさしがあったとして、どこからが黒でどこからが白であるかといえるものではないからです。

 

病気とは何か。私の言葉でいうと、身体のバランスが崩れた状態・・・かな。痛い、だるい、腫れた、熱っぽい、寒い・・・などの症状が出ると自分は病気かなと意識するようになります。そして、医師に「病気です」と診断してもらいます。でも、そのような症状が出るより前に身体の細胞、ミクロの世界ではなんらかの変化が起きているわけです。細胞の変化が大きくなると、本来の身体の機能がうまく働かない状態がおきます。崩れた機能を調整してバランスよくしようとがんばる身体自身の働きが、症状となって現れると理解しています。

うまく言えませんが、病気は自分の身体の状態を表すのであって、取り除くものではありません。(どこかできいたような言葉・・・_(^^;)ゞ)ですから、「病気が治る」ということがどんなことかを考えると、乱れた機能が回復して、身体のバランスが無理しなくても整うということでしょうか。症状を病気ととるならば、それを意識しない状態を治ったということもできますが、ミクロの世界は?

 

細胞は一度変化すると元に戻らないものは多いです。例えば、心筋梗塞になったとします。その時は痛いでしょう。血管が開通して血が流れ、傷んだ細胞が回復してくると症状はなくなります。でも、傷んだときに一部の細胞は死んでしまっています。症状がなくなったとしても、元の心臓と同じではないのです。

薬は、本来ならば口にするものではないのに崩れた身体のバランスを整える手助けするために口にするものです。身体に絶対的に良いものと考えるのは間違いのように思います。本来口にしないものですから、うまく付き合わないと、思わぬ影響がでるものです。副作用というか・・・。

以前も科学は絶対的なものではないということをブログに書きました(2007.2.24)が、医学という科学も同様です。過信してはいけないでしょう。また、老いは医学ではどうしようもないことだと思います。高齢な方が治らないとか急に病状が悪くなるということはままあると思います。病気はその人の身体の状態ですから・・・。

結局、病気が「治る」「治らない」の判断の線引きをどこにするのかは難しいと思います。医師とよく話をしないと、自分の理想とする身体と医師のいう「治る」の状態が違ってしまうことがありますから。何度もいいますが、病気が治るはもとの身体にもどることではありません。

 

「良い悪い」に直接関係ないですが、下記のサイト(毎日新聞の『理系白書』)が面白くて好きです。興味があれば読んでみてください。3月28日の座談会がまとめっぽくてわかりやすいです。

http://www.mainichi-msn.co.jp/science/rikei/

白と黒の話から、とんでもないところに発展してしまいました。今日の写真は白と黒からです。

右は先日訪問した岡山城です。

真っ黒で烏城と呼ばれているのだそうです。

左は姫路城です。

白鷺城と呼ばれる白いお城ですね。

どちらも美しいお城です。

上に掲載した写真は奈良の元興寺極楽坊の屋根です。1400年前、百済の王が派遣した瓦博士が焼いたものだそうです。いろんな色が混ざっていますが、これもまたきれいです。

 


2007/07/01 15:37
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

千島風露

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先日、写真家・星野道夫氏の『Alaska星のような物語』というドキュメンタリーを見ました。 チャンネルをパカパカと変えていてぶつかっただけなので、最終章の終わりの20分ほどだけ。それなのにとても衝撃的な感動があり、胸がいっぱいになりました。繰り返される生命の営みの映像と写真、星野氏の綴った言葉の朗読・・・彼の見たアラスカの自然に吸い込まれてしまったようです。最初から見たかったワンo(;△;)o とりあえず写真集を本屋で立ち見し、文庫本になっているダイジェスト版2冊とエッセイを1冊を購入しました。

 

彼の写真や言葉から自然の偉大さと人とは何かをまた考えさせられました。人間以外の生命はその環境を受容して、ひたむきに生きています。ただ“生きる”ということに一所懸命なのです。世界をどうかしてやろうとか、何かを変えてやろうとかいうのはありません。自然のままの姿ということができます。

 わたしたちはある風景に魅かれ、特別な想いをもち、

 時にはその一生すら賭けてしまう。

 風景とは一つの山であったり、美しい川の流れであったり、

 その土地を吹き抜けていく風の感触かもしれない。

 それをもし自然と呼ぶのならば、

 人間がどれだけ想いを寄せようと、

 相手はただ無表情にそこに存在するだけである。

                      星野道夫 著 『イニュック〔生命〕』より

人間は自然を自分のものにしようと企んでしまうのかもしれません。管理できるものであると思い込んでいるのかもしれません。そんなことあるわけないのに・・・。地球温暖化防止について世界の国々が話し合いを持ちますが、何か寂しいものを感じました。

 

自然の中にあっては人間のつくったルールは意味をもたないと思いました。彼のエッセイの中に、氷海に閉じ込められて動けなくなったクジラを人間が助けたという話がありました。きっと太古からそのようなことは常にあったことで、そのクジラは厳しい環境で暮らすホッキョクグマの生命を多く支えてきたことであろうということです。

ホッキョクグマはあの大きな身体を維持するために、どれだけの食料が必要であるのか・・・。氷の上を歩き回り、穴から顔をだすアザラシを捕って食べます。それが彼らの一番の食料だそうです。ここ最近、北極の氷が少なくなり、彼らは食事がとれなくなっているとか。そういえばMSNビデオで子を連れた母ホッキョクグマが痩せていて、25Kgくらいは体重が少ないのではないかというのをみました。ホッキョクグマは絶滅の危機にあるようです。星野氏がこのことを知ったらどんな言葉を語ったでしょうか。

星野氏の写真にはホッキョクグマだけでなく、アラスカに棲む多くの動物が写っています。動物は生きている時間の多くを食料を手に入れることに費やしています。また、子を産み、育てることにエネルギーを使っています。それらのために同種同士の戦いがあったり、食物連鎖による狩りがあったりしますが、彼の写真はつながっていく生命を表す優しい親子の場面が多いように感じました。本屋で写真集を立ち読みしていた私の顔はニヤニヤと変だったかもしれません。

 

冬を越せたものだけが春を生きていくことができる・・・というのは自然の中では当たり前なんですね。ドキュメンタリー番組の終わりころ、冬から春になるアラスカを背景にこんな言葉が朗読されました。

 きっと同じ春がすべてのものに同じ喜びを与えることはないだろう

 なぜなら、喜びの大きさとはそれぞれが越した冬にかかっているのだから。

 冬をしっかり越さない限り、

 春をしっかり感じることはできないからだ。

 それは幸福と不幸のあり方にどこか似ている。

そうそう、そうだよなあ・・・と私は大きくうなづいてしまいました。人はうまくいかなかったり自分の意と違うことがおきると、「~してくれない」「~して欲しい」と他者を攻めることがあります。人間ひとりで生きていけるわけではないのですが、うまくいかないことを他者が悪いからという考えしかもてないとしたら、それは自己中心的かとも思います。自分に力がないから周りに変化を求めているというか・・・。それとも、そういうしかないほど社会が病んでいるのでしょうか。だとしても人間のせいです。

生きていける能力を教えていくことが育くむということだと理解します。アラスカをはじめ地球に棲む動物は、人間のせいで環境が変わっても自らでなんとか生きようと努力します。それは彼らが自然そのものだからなんだなあと思います。種としての生き方を子に伝え、生命は繰り返されているのですが、それで生きていけなかったら絶滅していくのでしょう。人間は?

 

星野氏は1996年、グリズリーに襲われて亡くなったそうです。旅人として入ったアラスカの自然でしたが、そこで生活するようになり、いつしか自然に溶け込んでしまっていたと思えます。

 

今日の写真は、私の撮影の中で一番北方の場所、10年ほど前に旅した礼文島で撮影した千島風露です。海霧が立ち込めるので、花は細かな水滴で覆われていました。この島は海に面した断崖絶壁に本州でいう高山植物が乱舞しています。

花をできるだけ多くと思ってまとめたら小さくなっちゃって見にくいですね。右クリックで保存して、再度ファイルを開けて見ていただくと、大きく見えます。

礼文は2回訪れたことがあります。夏のほんの短い間に、島民の何倍もの人数の方が上陸します。2回目に訪れたとき、観光用の大型バスが縦横無尽に走れる道路が整備されていてびっくりしました。私は多くの花をまだみることができましたが、いつかここにしかない固有の花がきっとなくなってしまうのだろうなあと恐くなりました。

左は礼文薄雪草といいます。エーデルワイスと同じだとか。まだつぼみでした。

標高50mくらいのところで見られます。この花と海が同時に見える風景があります。

 

下は礼文から見た利尻島です。霧(雲?)の合間に見えた利尻富士は天空の城ラピュタのようでした。

追記】『Alaska星のような物語』のDVDを購入しちゃいました。


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