2008/01/14 19:04
テーマ:日常 カテゴリ:趣味・特技(その他)

自転車

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年末に新しい自転車を購入しました。乗っていた自転車の後ろブレーキがきかなくなった、スポークが数本ポロッと外れた、ライトがうまくつかなくなったというのが主な理由です。まあ、乗っていて危険だったってことです。15年ほど前の自転車ですから、ガタもきますわ。

購入に際してこだわったのは、①タイヤサイズ27インチ、②3段階変速、③荷台付きです。②と③は簡単にクリアできましたが、①が以外と難しかったです。

身長166cmの私。ちょっと大き目のタイヤでもいいのではないかと思っていました。その方がスピードがでます。大型ショッピングセンターで安く売っているものでもよかったのですが、大抵タイヤサイズが26インチです。そこでちゃんと自転車店で購入をしようと決めました・・・が、店がない!15年前に購入した店をはじめ、近所を捜したけれど全然ないんです。こんなに自転車に乗っている人がたくさんいるのに、なんで~~?

結局、職場近くの自転車店で購入。12月25日、真っ赤なサンタクロース(身長180cm以上はあるでっかいお兄ちゃん)が届けてくれました。

 

新車は快適!!スイスイと気持ちよく走行します。どこまででも走りたくなります。実は、職場まで走っても汗をかかないんです。それは冬で気温が低いからなのか、走行が楽でエネルギーがいらないからか・・・。

びっくりしたのはライトです。LED(発光ダイオード)なんですね。発動力はタイヤとの摩擦で得るのではなく、スポークのところにしかけがあるようで点灯させても重くならないじゃないですか!!しかも暗くなると自動的に点灯します。夜も快適!

 

毎日、iPodで好きな音楽を聴きながらルンルン気分で通勤時間を楽しんでいます♪・・・なんですが、昨年末、警察庁の「自転車の安全な通行方法等に関する検討懇談会」で“ヘッドホンで音楽を聴くなど外部の音が聞こえない状態での運転などの禁止”というのが出たようです。本日母が教えてくれれました。2008年の道路交通法改正で決定されてしまうかもしれません。/(-_-)ヽコマッタ

携帯電話の使用や傘を差しての片手運転の禁止、みだりにベルを鳴らさないとかはわかるけど、音楽くらいはいいじゃないか~。自動車だって外の音を聴きながら走らないだろうが( #` ¬´#) ノ私の楽しみを奪わないで頂戴。

 

今日の写真は私の新車ではありません(荷台がないでしょ)。私の自転車購入に付き合ってくれた後輩の自転車です。自転車店を出てから、近くのおいしいパン屋さんで食料を買い、二人でこの道端(川沿い)に座り込んで食べました。その時撮影したものです。小春日和のポカポカ陽気に誘われ、普段話さないようなこともしゃべりました。でもなんかのんびりして楽しかったわ~。川沿いの道は桜並木になっているから、春にも・・・と思うけど、毛虫がでるかも。

 


2008/01/05 23:23
テーマ:太王四神記 カテゴリ:趣味・特技(その他)

赤ちゃん

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『太王四神記』の4話一挙放送をつまみ見しました。妹にちょっと解説したということもあり、1回見ただけではついていけなかったことがより理解できたように思います。

 

先日よりユングの心理学にある英雄神話と『太王四神記』を比べている私。「人間と象徴―無意識の世界(河合隼雄 監訳)」の中で、世界にある英雄神話の類似点が下記のように述べられています。

・・・英雄の奇蹟的な、しかも知られぬひっそりとした誕生、彼の生涯の初期にみせる超人的な力の証明、そして卓抜さや偉力の急激な上昇、悪との戦いにおける勝利、高慢(hybris)という罪にたいする弱さ、そして、裏切りないしは「英雄的」な犠牲行為によって没落し、彼の死となって終わりをとげる・・・

物語がすべて誕生から死までの全生涯を説明しているとは限らないということです。ただ、神話の本質は個人の自我意識の発達を示唆し、英雄像は人間の人格の発達のそれぞれの段階を反映するということです。

ユング心理学によると(私の勝手な理解)、人は無意識の世界に皆同じ能力(普遍的無意識)があるということになります。それはジェンダー(性差)には関係ないものです。そして、その無意識の中に潜むものを意識化する(認識する)ことが心の成長で、個性化(自己実現)になります。その過程で、価値観や押し込まれた性や仮面をかぶった姿などが生まれてきます。意識化するというのは現実化することで、頭の中で描くだけではないのだと思います。行動に表さなければ自己は自我を認識することができません。

ということで、英雄神話は自我を意識していく過程ですから、私は『太王四神記』を人間のこころの成長ストーリーとして位置づけて観てしまうのです。

 

余談ですが、ヨンジュンさんが「様々な役を演じることで自分にもそんなところがあったと新しく発見する」と言ったのを何かで知りました。もしかしたら心の成長とはそういうことなのかもしれません。

 

人間にとっての神とは絶対的なものなのでしょうか。神によって人生が決められていくもの・・・という考えから脱して、人と人との相互関係で成長していくとしたのが、前回のブログ(2008.1.02)に書いた内容なのだと私の勝手な理解です。ユングは“自己”という世界を球体という決まったものとして考えました。ところが、ミードやロジャースなどは常に変形している流動的なものとして考えています。その辺りが神の作った世界と変化する人間の世界の違いかもしれません。『四神記』で言いたかったことは何かはこれからストーリーを観進めてまた考えていきたいと思います。

 

“英雄”と言う文字を打っていて、「BYJ Classics/Hero」を思い出しました。34歳がキーワードであったことはわかったのですが、なぜ“Hero”だったのかちょっと疑問が沸いてきました。あの時タムドクを演じていたからなんでしょうか?

 

写真は生まれて間もない姪の写真です。沐浴中。生まれたばかりの人間は一人では生きていくことができません。でも、進歩する可能性をいっぱい秘めた生命です。


2008/01/02 02:26
テーマ:感情と心 カテゴリ:趣味・特技(その他)

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ユング心理学に興味を持ち、自分探しをして内向的なブログに陥っていった2007年の最後。12月後半はまとまりがつかず久しぶりの更新になりました。

実は年賀状にコメントを書くことで、新しい年への誓いを自ら確認した私でした。このブログを書くこともそうなのですが、本当は言葉に表現すること、他の方に伝えることが混沌とした自分を整理させるんですよね。しかし、その言葉がわからないためユングの本を読み、心理学の世界を覗いたのかもしれません。言葉も“象徴”ですから、イメージを他人と共通認識するための方法ですものね。

以下の文章は“かじり虫”で“いいとこどり”の知識で整理しています。かなり偏った考えだと思いますが、「信じたいものだけを信じる」人間だし、自分のことなのでそれでいいかなと・・・

 

なぜ自分がわからなかったのかということを考えました。すると、社会心理学という分野にあった“自己概念self-consept ”自己評価self-esteem”“重要他者”というものに出会いました。それらを理解しようと資料を読んでいたら、わからない自分が少し整理されました。

 

精神分析学は心の内側を徹底的に分析するという印象で、ユングによると自己は「心の意識と無意識の両方を含む全体性であり、核でもある」ということでした。

社会心理学という分野は、どうも他人との相互関係で自分を考えていくようです。ウィリアム・ジェームスという人は自己を“知る側:主体Ⅰ”と“知られる側:客体me”という考えで整理したようです。つまり、自己が自己を知るという第三者的立場で自分をとらえる方法です。そして、「私とは〇〇だ」と自分で知覚した自己を言葉にすることが“自己概念”ということです。

ジェームズの考えを受けてミードという人がこのようなことを言っています。自己を自覚するのに大切なのは、他者からの反応だと。つまり、コミュニケーションの際などの他者の態度や言葉を参考に自己I は自己meを認識するというのです。他者からの反応には他者の視点(評価)が含まれることになり、場面によって知覚する自己は多種多様になります。中には他者の反応を予測して前もって自己の内で行なわれる内的コミュニケーション(これをすると相手はどうなるかと他者の立場に立って自分を評価すること)もあるそうです。そしてこのように他者との相互関係で流動的に知覚した自己が蓄積され、統合したものが自己概念ということです。

 

ロジャーズという人の自己理論では、認識した自己と実際に経験している自己が一致していないと健康な心理状態を保てないということでした。日常に私たちが体験していることは、自分の主観的な認識をするもので、同じ体験をしても個人によってその認識は異なるということです。また、数々のことを体験していても自己が認識するのはその一部であり、その積み重ねで自己概念がつくられるということです。

すると体験したものをどう評価するかで自己概念は違ってきます。例えば、与えられた仕事をとりあえず予定通りに仕上げることができた自分がいたとします。それを能力のあるできる自分として評価する人と、内容が雑だったからできない自分として評価する人では同じ体験でも自己象が違います。後者は駄目な自分として自己を評価しており、自己概念と認識した自己は不一致状態にあると言えます。

 

自分をどのように評価するかに重要なのが他者からの反応ということが言えます。自分の言動に対して肯定される反応が他者から返ってくる場合と、否定される場合では自分の体験の認識が異なるでしょう。ここで大切になるのが、“重要他者”という人なのだそうです。

重要他者というのは感情や動機、自己概念、判断に大きな影響を及ぼす他人ということです。わかりやすいのは子供にとっての親でしょうか。『太王四神記』で子供時代のタムドクやホゲは父に認めてもらいたいと思って行動をしますが、肯定してもらえず悩んでいました。誰よりも父からよい評価をもらいたいと願いました。父からの否定的な反応はこれまでの自己価値が下がったように感じたでしょうね。

成長過程では重要他者がどんなことに価値を置いているかが大切なんだと思いました。その影響を受けて個人の価値観が決まっていくのではないでしょうか。

好きな人とか尊敬している人とかも重要他者と言えるでしょう。ブティックのお姉さんに「似合ってますね。」と言われるより、大好きな人からそういわれた方が嬉しいに決まっています。「この人に認めてもらいたい」と思っている人からの反応には敏感になります。

また、尊敬する人に褒めてもらえなくても、関心をもってもらえるだけで自己価値があがることもあります。気にかけてもらっているというか、振り向いてもらったというか、それだけで認めてもらえたと思えます。一番辛いのは無関心でしょう。認めてもらいたい人が自分に無関心であったら、自信なんて喪失しますものね。

 

結局、自分が不安定でいたのは自己価値が下がり、自己概念を変化させなければならない体験をしたのではないかと思います。ただ、その原因を突き止めることが大事なのではなく、自分の言動を変化させることが自己一致に繋がるのかな?( ̄ヘ ̄)ウーン、ま、いいや。それで考えを終結させることにしました。

 

 

随分長い時間をかけてここまでたどりつきました。

今日の写真は神戸国際会議場のロビーで撮影した顔です。いろんな色が並んでしました。人にどう見えるかっていうことでこの写真にしてみましたが・・・。

左は高矢禮の扉に反射した私です。扉のつなぎ目で自分が歪んでいます。

上記の左は上の方に見上げた私とその影が、右のは一目瞭然ですかね。

反射するものによって映り方が違うものです。自分の思っている自分と他人から見た自分は違うということで・・・ 

ロジャーズの考えの根本には人間には有機体として自己実現する力が自然に備わっている。有機体としての成長と可能性の実現を行うのは、人間そのものの性質であり、本能である。(Wikipedia)」という考えがあるそうです。人はどんどん変わっていくものであるから、自己概念も変えていかなければなりません。変えないと苦しくなります。

 

12月30日のMBC演技大賞の授賞式でヨンジュンさんが「申し訳ない」や「残念」とかいう言葉を使っていたのがとても気になりました。他人に向けた言葉ですが、自己に対する言葉にも感じました。怪我をしたことがきっかけで不満足感が残ったのでしょうか。きっと葛藤がかなりあったのだなあと想像します。完璧にこなしたい(できる)自分とそれができなかった自分があって悔しかったのかもしれません。

撮影終了からの何週間は治療をしながら、本を読み、いろんな人と会って心の健康をも取り戻そうとしていたのだろうなあと思いました。長い髪のままのヨンジュンさんはまだタムドクなのかな。

 

 


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