2007/06/04 06:17
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

コミュニケーション

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日本版『ホテリアー』のインタビュー記事で田辺誠一さんがヨンジュンさんのことを下記のように語っています。

 身体もそうですが、

 精神的にも余計なものをそぎ落としているというか、

 意識がきちんとしていて、周りに優しくて包容力もあって、

 責任感もある。

 精神的にすごく成熟されていると思いました。

どのようなコミュニケーションをとられたのでしょう。「精神的にも余計なものをそぎ落としている」と「意識がきちんとしている」という部分は普段使わないような言葉です。難しい表現をされました。どういうことなのか・・・

 

私の頭に浮かんだのが『ベルサイユのばら』のオスカルでした。いつも美しい姿で、何か重大な事象がおきても感情の揺れをみせず、自分の役割りを意識してこなし、立ち居振る舞いに隙がない・・・私の中のオスカルのイメージです。つまり、スマートな容姿をし、人間の嫌な部分がなく、自分の意思にしたがって真っ直ぐに生きた人物だと思います。漫画のキャラクターですから素敵で当然。キャラクターとして必要な部分が描かれているのだと思います。

田辺さんの上記の言葉は私のオスカル像にぴったりなんです。ヨンジュンさんが漫画のキャラクター・オスカルのように素敵な人物であるとすると、とても自己コントロールの優れた方ではないかと思います。自分の演出の仕方がうまいというか、他人への影響を考えて言動できる人というか・・・

 

人間の精神は感情と理性に大きくわけられると私は思っています。他人とコミュニケーションをとっていると、相手の言動に対して自分の心に何らかの感情がおこります。多くは自分を肯定、または自分の意と一致している場合は嬉しいに代表される快側の感情がおき、逆の場合は怒りや悲しみという不快側の感情になります。したがってコミュニケーションの場に引き出されている内容は、理性による解釈とそのときの感情を混ぜて人は認知していることになります。そして、自分がどのような表現(態度?)をとるかはまた感情と理性によって決められます。

自己コントロールの優れた人というのはその感情と理性で作られた認知や表現の優れた人と言い換えることができるかもしれません。それは、その場における自分の役割りを理解することであり、自分の意思に従うことでもあり、その場の雰囲気をよくすることであるように思います。つまり、コミュニケーションをとっている相手から自分が不快な感情を受けたとしても、理性によって自分の態度を場に合わせてコントロールできるということです。感情に惑わされずに行動できる人。強いというか、かっこいいというか、それが、田辺さんのいう成熟している精神ではないかと思いました。

 

『ベルばら』を読み返して、オスカルから私が受けたすっきりとしたイメージは、キャラクターとして余分なものが描かれていないからだけではないと思うようになりました。彼女は軍人としての役割りを遂行するにあたり、かなり理性で押さえ込んだ行動をとっています。逆に怒りから嫌味を言ったり、物を壊したり、飲酒したり、喧嘩したり、・・・と、まあ感情的な行動といえることもあります。よく「ちきしょう!」って叫んでます。それは人間として不本意な相手に対しての感情からおきています。どちらにしてもいつも人間としてあるべき姿を追い求め、その葛藤の中から生まれた言動であると私の想像は膨らみます。だからかっこいい。

前記事のコメントでkyomaikoさんとのやりとりをした中にありますが、オスカルには凛としたものがあるのだと思います。アンドレの言葉を借りると

 一見氷のようにひややかなくせに・・・・

 胸の中はまるで炎のように燃えさかっている・・・

 血の気の多い激しさ・・・

また、アンドレが影で支えていたからオスカルは勇気がもてたということができます(というか、そのように描かれている)。

 武官はどんなときも感情で行動するものじゃない

これはアンドレの言葉です。だからこそ、アンドレが亡くなる場面でのオスカルの取り乱しが悲しく苦しく、何度読んでも涙が出てきてしまいます。その場面でオスカルは上記の言葉を思い出すのですが、「人間なんだ!」と崩れてしまいます。

 

私たちの目に映るヨンジュンさんは非の打ち所がないほどの人物です。それは俳優ペ・ヨンジュンとしての凛々しさなのかもしれません。「ヨン様」としての自分を従容と受け止めつつ、自分の意思を貫いているように思います。私は彼が他人を非難する言葉を耳にした記憶がありません。本を読み内省することがあると聞いたことがあります。様々な葛藤の中で、自分はどうするべきかを常に考えているのでしょう。私たちには見えない、感情を飲み込んだ彼の苦悩を思わずにはいられませんが・・・。

 

上記の写真は歩いている途中で出会った風景です。コミュニケーション能力は子供の頃からの人と人との関わりの中で形成されていきます。ぶつかることで自分とは違う人間がいるのだと理解し、多くの人と接することで他人の心を察する人間になれるのでしょう。大学で交流分析を学んだ時、先生はこういうことをおっしゃいました。

 他人と過去は変えられない。

 変えることができるのは自分と未来だけ。

うまくいかない状況を脱するために他人の変化を望むことはままあります。でも、その相手の行動を支配しているのはその人の自我です。別の人が操作して変えることはできません。(そういや、オスカルもそんなようなこと言ってたな)ただその自我に影響を与えることはできるはずです。コミュニケーションの際、なかなかそんなことまで考えることは難しいのかもしれませんが、他人を変えることができるという考えは持つべきではないのかもしれません。

 

 

堀を覗いたら鯉も水面に顔を出して私を見ました。何か話たかった?えさもってないの<( ̄∇ ̄)ゞゴメ~ン♪

 

 


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