2008/05/23 10:23
テーマ:歳月 カテゴリ:趣味・特技(その他)

お酒

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先日、NHKでCHAGE&ASKAのアンプラグコンサートの再放送がありました。『101回めのプロポーズ』の主題歌♪SAY YES♪の大ヒットで超有名な彼らですが、昔はアコースティックギターの弾き語りじゃなかったかな。彼らがヤマハのポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に出場し、その後デビューした時期は私の高校時代です。彼らは当時大学生くらいでした。ちょうど私にとっては年齢がちょっと年上の憧れのお兄さん的な存在でした。また、ポプコンは皆の憧れのステージ。男子生徒の中には学校にギターを持ち込んで歌っていた人もいました。

 

私は高校の卒業式後の春休みに小さなファーストフード店でバイトをしました。ウイークデイの昼間はあまりお客さんもなく、私一人でお店番をしていたことも多かったと記憶しています。当時、お店に有線放送などなく、ラジカセをスピーカーにつなげてラジオ番組やカセットテープで音楽を流したりしていました。当然、ひとりで店にいた時間は自分の好きな音楽を聴くでしょう。そのころにはまってよくかけていたのがチャゲ&飛鳥(昔はこう表記してました)です。

 ♪ひとり咲き♪万里の河♪熱い想い♪マリオネット♪男と女♪ など

放映されたアンプラグコンサートで懐かしい♪男と女♪が流れ、嬉しくなってしまった私です。 

  心の支えは いつの時代も 

  男は女 女は男

  あなたを信じて ささやかな夢 

  積み上げたのは 女の私

http://jp.youtube.com/watch?v=6Gzmcn1dn0Q

20歳前の多感な時期の私にはわかるようなわからないような、でも感情が高まる歌でした。いろんな恋愛を経験してきた現在、歌詞の切なさがより沁みるようになりました。

もっと一緒にいたいのに別れという現実を涙を隠して受け入れる辛さ・・・。このところ私の頭を支配している『四神記』のタムドクとキハまたはスジニみたいでしょ。私にもあったかな・・・。

タムドクとスジニがよくふたりでお酒を飲んでいました。それを見て、自分のことを思い出したりしました

私はどちらかと言えばお酒を飲むのが好きな方です。とりあえずビール!で次にワインが定番のパターンです。多くが居酒屋ですからウーロンハイとかにいく場合もあります。カウンターバーに行くとチョコレートをつまみに果汁の入ったカクテルを飲んだりもします。

30歳前半のころは男の人とお酒飲みながらよく語り合ったもんです。特にひとりの人とは(何人かそういう酒友達っていたんだな)意見の違いからしょっちゅう言い合いのようになっていたと思います。私も決して声の小さな方ではないのですが、その方もでかくて、私たちの会話ははたでみていたら喧嘩に見えたかもしれません。お互いに一歩も譲らないところがありましたからね。アルコール量が多くなると、論理がメチャクチャになってしまい、感情的な自分だけが残って泣きながら相手に訴えていたこともありました。まあ、そういうの嫌いじゃなかったんだと思いますが、男の人とそういうやり取りをしたおかげで今の私があるとも言えます。

自分の考えをとことん聞いてくれる人、どんな形であれ支えてくれる人がいるっていいもんなんですね。今の私は少し寂しいかもしれません(_ _。)・・・シュン

 

しっかし、年齢とともに飲める量が少なくなってきましたね。本日も後輩たちともつ鍋屋に行く予定だけど、一番最初につぶれちゃうかも・・・。実は若いメンバーたちと語り合っている途中で私眠くなっちゃうんです。そうなるともう意見を返すのが面倒で、「そうだね~」と言ってしまうので怒られます。

大勢で飲んでいた場合は2次会はカラオケに行くことが多いです。そういえば、CHAGE&ASKAの歌の中で大合唱しちゃうのがあります。♪YAH!YAH!YAH!♪です。メンバー総立ちになり、リズムに合わせて体を動かし続け、コブシを挙げて(もちろん両手)歌うんです。↓こんな感じです。

http://jp.youtube.com/watch?v=AtLEgAUNfao

O(≧。≦)O ウーン、カッコイイ・・・。イントロのバーン!て音が鳴っただけで興奮する私でした。別に誰かを殴りたいわけじゃないんですけどね。

 

ということで、今日は古いGHAGE&ASKAのCDを聴きながら思い出を書きました。

 


2008/05/23 00:04
テーマ:太王四神記 カテゴリ:趣味・特技(その他)

茜空

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今日も『太王神記』のお話です。あと一つどうしても考えたいことがあったので・・・

タムドクの最後の言葉に注目しています。

 だからもう大丈夫だ

この最後の長いセリフはキハに向って語るように始まっています。途中、チュシンの王として天に答えているようにも思えますが、この「大丈夫だ」はキハに言っていると考えていいんですよね。だとして、何がどう大丈夫なのでしょう。

「だから」は前の言葉をとって「天の力を天に返すから」ということかな。とすると、「天に力をかえすから、もう大丈夫」ということになります。

「天に力を返す」と何が大丈夫になるのでしょう。語りの全文から考えると、人間が天の力に振り回されずに歴史を重ねていくことができるということでしょうか。それは人間が学びながらチュシンの国を作っていくということです。

でも、「大丈夫」がキハ個人に向けての言葉であるのならば、「自分は天を信じるのではなく、人間を信じる。だからタムドクとしてキハのそばにいることができるよ。もう、天と自分を取りあって戦わなくても大丈夫だよ。」という意味にならないだろうか。少なくとも私はそのように解釈したいです。

 

そのあたりを突き詰めたいと思い、6話~17話あたりのタムドクとキハの想いのシーンばかりを拾って、ドラマを観てしまいました。そしたら、もう涙がポロポロでてしまって。。。(*ノ-;*)

撃毬の試合に出場したことで霊廟に謹慎となったのタムドク。抜け出してヨン家に行き、帰って来てヤン王に自分は太子をやめると言うシーンがあります。そして下記のように言います。

 私は愛する人と過ごしたいのです。

宮殿での暮らしをやめてキハと共に過ごしたいということです。また、その後キハも霊廟でヤン王に同じことを話します。ヤン王は二人の同じ想いを理解していても、チュシン国のためにそれはできない、阻止しなければと思っています。

 ふたりで遠くに行って幸せに暮らせといってやりたい

このように言った後にチュモ剣を自分の胸に刺します。これはタムドクとキハの縁を切ろうとしたヤン王の命を張った行動だったんですね。キハに濡れ衣を着せる事でタムドクからキハを離したのです。天のために・・・。王の苦渋の策は見事に成功と言えます。でも、父親としては本当はキハとの幸せを優先したいと思ったでしょうね。

   

タムドクの子を身ごもったと知ったキハ。初めはとてもうれしかったと思います。チュシンの王の子ではなく、人間タムドクの子です。ふたりが結ばれたのは難民村で本心を語った時ですもの。チュシンの王、朱雀の守り主という天の運命に逆らって幸せに暮らそうとしていたふたりにできた子。

でも、天に翻弄された人々によってふたりは引き裂かれ、キハはタムドクに利用されて捨てられたと思ってしまいます。

 私が望んだのはあの人だけ。それが罪なの?

自分の意思で生きていけないキハは自らの命を絶とうとしました。でも、それは天によって止められてしまいます。そう、タムドクが王として自覚しはじめていたため、彼の子は王の子であり、キハは自分の命を絶つこともできませんでした。

 

キハはスジニのように自分の気持ちを素直に表出することができません。運命がそうさせるのでしょうか。それでもキハを信じたいと思っていたタムドクでしたが、誤解の積み重ねから17話でとうとうキハに「思いは消えた。」と言って二人の間を断ち切ってしまいます。辛い・・・。この後のキハの行動は子のために生きようと態度を変えていますが、それは黒朱雀のようでもありますね。大神官を殺したり、ホゲの心を利用したりと、母親としてのなりふり構わない行動のようにみえるからです。

 

タムドクはキハに裏切られたと何年も思って生き、スジニを女性としてみるようになっていきました。ところが最終話でキハが自分の子供を産んでいたと知り、キハのことをまた考えたのではないでしょうか。難民村で結ばれた時の子であることは、容易にわかったはずです。だとすると、彼女の本心がふたりで幸せに暮らしたいということであったのだとタムドクが気がついたということはないでしょうか。キハは大切に子をお腹で育ててきたということになります。それなのにキハを突き放し続けてきたタムドク。自分のためにキハが苦しんできたことを察したのでしょう。

タムドクは昔のふたりの思い、つまり振り向けばそこにいて欲しいと願ったあのころの、天の運命に逆らってでもふたりで幸せになろう」としたあの時の気持ちで生きることができるよとキハに言いたかったのではないでしょうか。また、「今はキハを信じることができるよ、もう悲しい想いをすることがないよ」・・・そんなことも“もう大丈夫”には含まれているように私は思いました。

 

ふたりの気持ちを追っていたら、タムドクが両目から涙を流しながら語ったシーンにようやく私も胸が詰まり。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。。また、キハに「よかったね。」「辛かったね。」「がんばったね」って声をかけたくなりました。

それにしても、ムン・ソリさんのキハはすばらしいです。

今日の写真は天(?)です。

上のは池袋の西武池袋線の改札を出たあたりで撮影した夕焼けです。ビルの間から見えた茜空。闇が左上から迫りつつあります。

次のは近所の川で撮影した朝です。闇に太陽の光が差し込まれつつあります。

左の写真は飛行機からみた富士山です。私の撮影ではなく、長崎の友の撮影です。

天とは空にあるわけではありませんが、このようなきれいな光と闇を見ると、空から天は人間を見ているのかもしれないなあと感じてしまいます。飛行機で空に行ってもまたその上に空がある・・・。天はもっと上?


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