2008/09/13 21:41
テーマ:感情と心 カテゴリ:趣味・特技(その他)

駅コンコース

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自分がうまくコントロールつかないからか、他人とのコミュニケーションが下手なのかわかりませんが、最近は何か言われてイライラすることが多いように思います。ちょっとしたことで怒りを主とした不快な感情が沸き起こってくるのです。

「怒り」は「攻撃行動」を生む情動ということです。その源には、他人を否定したい欲求と自分を否定することを認めるという矛盾が含まれているとか。攻撃の発動は自己を防衛し他人を否定する欲求の実現なのだそうです。自尊心(自己を肯定する気持ち)が傷つけば傷つくほどイライラするそうです。
「怒り」の感情の裏には「〇〇してくれない」という不満のメッセージが隠れているということのようです。それは「悲しみ」の感情とも言い換えられるとか。「悲しみ」には攻撃性はありません。したがって、同じ不快感情でも自己を防衛するために沸くのが「怒り」ということでしょうか。「悲しみ」よりも「怒り」を感じるのは、傷つきたくない自分がそこにあるということなのかもしれません。

「悲しい」気持ちを感じたくなくて、「怒り」という攻撃行動をもった感情に変えているともいえます。つまり、自分を否定することができないから、「怒り」という感情で相手を思い通りにしようとする心が働くとか。その自分の怒りを表現した行動は、「私の不快はあなたのせいだから、あなたは私の欲求を満たすようにするべき」と感じられるコミュニケーションになるでしょう。



聖徳太子の定めたといわれている十七条憲法の十条を思い出しました。


十に曰く、心のいかり(忿)を絶ち、おもてのいかり(瞋)を捨てて、人の違うことを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執るところあり。かれ是とすれば、われ非とす。われかならずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非の理、たれかよく定むべけんや。あいともに賢遇なること、鐶(みみがね)の端(はし)なきごとし。ここをもって、かの人は瞋(いか)るといえども、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に従いて同じく挙(おこな)え。


心の怒りを絶ち、顔色に怒りを出さないようにし、人が自分と違うからといって怒らないようにせよ。人には皆それぞれ心があり、お互いに譲れないところもある。彼がよいと思うことを、自分はよくないと思ったり、自分が良いことだと思っても、彼の方は良くないと思ったりする。自分が聖者で、彼が愚者ということもない。ともに凡人なのである。是非の理は誰も定めることはできない。お互いに賢者でもあり愚者でもあることは、端のない環のようなものだ。ということで、相手が怒ったら、自分が過ちをしているのではないかと反省する。自分一人が正しいと思っても、衆人の意見も尊重し、その行なうところに従うがよい。
(訳:http://www.geocities.jp/myjmhs/Kenpou17.htmlより)


これって仏教の教えなのだそうですね。わかっちゃいても難しいなあって思います。いつもこう思える人間こそが聖者かもしれませんね~。


すぐにイライラしてしまう私は、常に他人の言葉から自己防衛したいほど心に余裕のない愚者・・・かなあ。私には日々何か反省する過ちがたくさんあるってわけだわさ。聖徳太子さんよ、なんか私、これ読んで落込じまったよ。「怒り」でなく悲しいんだからいいのか。(自問自答;;;;(;・・)ゞ)






駅のコンコースの写真は、少し色を調整しました。白黒でもなくカラーでもなく・・・。いろんな人がいろんなことを考えて往来しているのかなあって思いました。

それからイライラする気持ちを和らげるようピンクの花2つ(名前がわからない)と虫取り親子です。


*tenさん、タグってヤツを使って写真のアップができるようになりました。tenさんが作ってくれたのをコピペして使いまわししていますが・・・。見本は削除していただいてもよさそうです。ありがとうございした。


2008/08/03 00:49
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水遊び

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最近、「懐かしい」「懐かしさ」とは何なのか気になっています。そのときの体験を言葉にすると、何がきっかけなのかわからないけど急に沸いてきて、なんとなく心は温かくなり、ホッとするようだけど高まっているような感じでしょうか。また、せつなさや胸が詰まるような場合があったり、一瞬自分の思考が止まったようにもなります。まれに目を閉じてもっと深くに入り込みたくなったりします。

国語辞書で調べました。

《懐かしい》(動詞ナツクの形容詞形)
 
①昔のことが思い出されて、心がひかれる。
 ②久しぶりに見たり会ったりして、昔のことが思い出される状態だ。
 ③過去のことが思い出されて、いつまでも離れたくない。したわしい。
 ④心がひかれて手放したくない。かわいらしい。

過去のことを思い出して“心がひかれる”とか、“離れたくない”とかの気持ちがおきるということのようです。ひかれたり離れたくなかったりするのは過去ではなく目の前の何かで、そうさせる何かが心におきるのでしょう。


「懐かしさ」を他の言葉にすると「郷愁」「懐古」ではないでしょうか。たぶん英語の「nostalgia(ノスタルジア)」ではないかと思います。“ノスタルジア”ならWikipediaにありました。その概要には下記のように説明がありました。

人が現在いるところから、時間的に遡って過去の特定の時期、あるいは空間的に離れた場所を想像し、その特定の時間や空間を対象として、「懐かしい」という感情で価値づけることを言う。

「懐かしい」というのは感情の一つのようです。あるサイトには

 「過ぎ去った時間と言う価値」に対して発生する「心の動き」であり、
 その価値は時間が経過しなければ発生しない
                   【離れたもの人が懐かしくなる心理】

と説明していました。また、ある論文には

 「懐かしさ」とは身体の体験や感覚刺激と密接に結びつきながら
 下意識の中に息づいている過去の心的リアリティである。
【懐かしさの感情体験に及ぼす動作法による快適な心身の体験の効果】

とありました。


考えると面白い感情ですね。現在起きていることに刺激されておきることなんでしょうけど、過去を想像しておこる感情だってことです。詳しくいろいろと調べると、面白いことに実体験の記憶がなくてもおきるそうです。つまり、現在起きていることから過去の現実を思い起こさなくてもいいのです。心的リアリティということですから、漠然とした心の動きの想起でいいようです。そういえば、人それぞれ実体験は全く違うのに誰もが懐かしく思う歌とか風景とかがあります。誰もが持っている共通した何かがそこに動いているということでしょうか。

「喪失感」が共通するものではないかという方がいました。「遠い過去」が起こす欲求の阻止であるから、「怒り」ではなくて「喪失感」になるのではということでした【人はなぜ懐かしいものに涙するのか】。過去の時間に対する欲求は満たされることができません。「喪失=戻れない」ということなんでしょう。

人の記憶なんて時間が経つほどに曖昧になります。最終的には具体的な事実はわからなくなり、漠然とした心だけが残っていくようです。それがユングのいう普遍的無意識ということかなあ。英雄伝説がどこの国でも同じようになっていくのもそんなからくりかもしれません。


感情の未分化なものを情動とすると、最初は快か不快です。「懐かしい」とはどの辺りの感情かはよくわかりませんが、「懐かしさは喜びの誤操作である」とのみ書いてあったサイトがあります。喜び・・・…c(゚^ ゚ ;)ウーン

上記論文【懐かしさの感情体験・・・】に「懐かしさ」の体験の特徴を次のようにあげています。
 身体の内側から広がる暖かさの感覚やリラックスの感覚、
 ゆったりとしたくつろぎの感覚
 自然にこみ上げてくる
 そのままその感覚に浸っていたくなる

また、負の部分が除外されて、都合よくポジティブなイメージを想起させる感情のようです。私の感じた感覚と照らしてあわせてみても、そうだと言えそうです。いらいらした時にはこの懐かしさの感情が出てくるといいかもしれませんねえ。強く起きれば起きるほど後が気持ちよく、私はその感情がおきるのが好きだと言えそうです。だとすると、快感情に含まれるのかな?

     

サザンオールスターズの活動停止宣言があってから、彼らの古い曲をよく耳にするようになりました。彼らのバラード曲は私にとても懐かしさを起こさせます。時に涙を誘います。♪TSUNAMI♪が人気曲であるのは多くの人がそのようになるからでしょうね。

小さな子供のころの体験よりもいろんなことにぶつかったり、好きな人ができたりという時代のころに繋がる刺激の方がせつない懐かしさがあるようです。大きく心を揺らした体験に結びつくのだからそうなんでしょう。
もちろん、そんなはっきりとした理由がなく懐かしいと思うことはいっぱいありますが・・・。



今日の写真は姪たちと海に遊びに行って撮影したものです。写真は記憶を呼び起こすきっかけになるものですから、何年かしたらこれが彼女たちに懐かしさをおこさせるかもしれません。たぶん遠い未来に。私なんかだと1年後には懐かしめますね。自分の遠い過去から積み重った無意識がたくさんありますもの。









2008/07/30 23:17
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三日月

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職場の納涼会で後輩たちとお酒を飲みました。そして、人生を語りました。なんと、3次会のカラオケの後、道路脇のベンチに座り、自販機で購入したペットボトルのお茶を飲みながら・・・。気がつくと朝4時です。先日の合宿もそうでしたが、どうも私の周りには語りたい熱い人間が多いようです。

どんなことを語ったか・・・。酔っていたので、残念ながら具体的にあんまりよく覚えていません。後輩の記憶によると、「
仕事の話から組織、社会、夢、希望、未来へと発展した」ということです。

曖昧な記憶の中で私が覚えているのは、「今自分にできることをするしかない」というのを後輩たちに説いていたようだということです。それを受けてひとりが「夢がない」とか言っていたような・・・。
うまく伝えられなかった気がします。現実を見据えることは夢をみないとかあきらめたというんじゃないんですよ。どこかで聴いた言葉なんだけど、「夢は見るものではなくカナエルもの」なんだと思います。そのために今何ができるか、自分は何をしたらいいかを考えていくんだって言いたかったんです。

描くだけでは何もはじまらないし、変わって欲しいと願ってもダメ。自分の夢は他人がなんとかしてくれるものではないし、他の人にもやっぱり夢はあるでしょう。社会や組織や地球の変化が嫌だって思っていることもあるけど、それでも自分にできることをするしかないと思います。それ以上のことはできない、つまり、とりあえず目の前にあることを乗り越えるしかないかな。
(゚-゚;)ウーン、これって、かなり自分に言い聞かせていることかもしれません。

 


語り合うことって心が深く、得した気分にさせてくれるなって思いました。内容の記憶は曖昧だけど、そういう時間を誰かと持ったということが私に充実感を与えました。また、がんばらなくてはという気持ちにさせてくれました。後輩たちに感謝です。


そういえば、NHKの「きわめる!韓流~ドラマ徹底解剖~」で、韓国の若者はお酒を飲みながら人生を語るって言っていました。魂(ホン)のコーナーでのことでしたが、人生や夢を語ることは、心(マウム)を相手に見せて本当の友達になることだと言っていたように思います。私と語ってくれた彼らがそうなのかどうなのかは知りませんが、ちょっと哲学チックな話題で私にとっては素敵な時間でした。


夢とか現実とか世の中は・・・とか話をしていて、思い出した言葉があります。それはJR東海の「うまし うるわし 奈良」の春日大社編のポスター(←クリック)。

 変わらぬものはない。            
   

 失くせぬものがある。        
       
 
ポスターを見た瞬間、この言葉に釘付けになってしまいました。単純に言い換えると、世界は変わっていくことが当たり前、だからといって大切にしたいものを捨てちゃいけないよってことかな。



今日の写真は三日月です。後輩たちと語り合った後、ふと空を見上げると遠のきかけた闇夜に三日月が見えたんです。ビルの合間の細い月は神秘的でとてもきれいでした。でも、写真は残念ながらそのときのものではありません。西に沈む時間に撮影したものです。


それから、この歌も思い出してしまいました。

 誰もが気付かぬうちに何かを失っている  
  
 フッと気付けばあなたはいない 思い出だけを残して  
  
 せわしい時の中 言葉を失った人形たちのように  
  
 街角に溢れたノラネコのように  
  
 声にならない叫びが聞こえてくる
 
 もしももう一度 あなたに会えるなら  
  
 たった一言伝えたい ありがとう ありがとう  

  
  
                     【ありがとう・・・】 by KOKIA
           

                 KOKIA ♪ありがとう♪(←よかったらここ)


2008/06/29 23:55
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オオバギボウシ

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ヨンジュンさんのインタビューを読み、NHKの特番を見て、彼は本当に今回は大きな山を乗り越えた爽やかな気持ちでいたのだなあと思いました。どこでもおおむね同じような内容が語られていました。それが今の彼の伝えたいことで、彼の心の中を代表する言葉なんでしょうね。

身体はまだ癒えていないようですが、目線が上向きで表情が明るかったという印象です。語られた言葉からも自信や余裕を感じることができ、未来の自分、これからの自分が見えているようでした。『太王四神記』の結末には心残りもあったようですし、怪我で思うように演じられなかった自分にふがいなさもあったでしょう。でも、そういう不満足から生じた辛い心を乗り越えて逞しく成長したヨンジュンさんがたくさんのことを語ったんだなあと思いました。彼が自分の変化を自覚しているところがまたすごいと思います。

 

左は先週のAERAのヨンジュンさん。何故かこのちょっとピンボケかなと思える写真の顔に惹かれました。

胸の中にある思いを少しずつ、テナーボイスの穏やかな口調で話されている・・・そんな映像が浮かぶんです。

それから下の2つ、今週のAAERAのヨンジュンさんです。カメラに向ってポーズを決めていない自然な表情がいいなあ~。




 

ヨンジュンさんの写真はブログに入れない私ですが、これらは本当にお気に入りなので特別に・・・。

 

2006年の「GQ JAPAN」の記事を思い出しました。日常を奪われた憂鬱な孤独感、演技をすることの苦しさ、いくらワインを飲んでも開放されない心、眠れない身体、辛くて涙が出る・・・こんな風に語っていました。“ヨン様”という皆が望む自分と自分が思う自分の差にもがいているようでした。

『四月の雪』のインス役、つまり平凡な日常から急にどん底に落とされた体験がそうさせたのかもしれません。身近な人の生死に関わるというストーリーでしたもの。感情を押さえ込んだ表現をしなければならなかったことも一つの要因だったかもしれません。

 

今回はムン・ソリさんをはじめ、周りの方たちが彼は孤独にみえると心配していました。しかし、彼は「孤独は誰にでもあるもの」と言い、

 周囲にすべてを信じて頼れる友人がいるので

と、孤独であっても寂しくないと言っています。これはタムドクという王を演じたことでの彼の変化なんでしょうね。これまでと違って個人的な痛みだけでなく、民の苦しみや痛みも考えて行動をする役を演じたからと自分でも分析していました。広い眼をもって世の中を考えられるようになったということでしたが、辛さを乗り越える手段をいくつか自分のものにしたのかなと思います。また、少しのことでは動じない強い精神力というか、堂々とした王の風格がそのまま彼に身についたようにも見えます。タムドクと自分の共通点を「責任感」であると語ったことからも、それを感じました。

また、いつも言われる“完璧主義”については、「本当の意味で完璧にはなれない」と言い、自分は俳優として欲張りなので“もっと”と求めてしまうのだということでした。自分の力量を超えた欲からおきた怪我、それによって追い詰められた自分を体験して、このような考えにいたったのでしょう。

 

結婚をしたらどんな家庭にしたいかという質問に、「私が幸せな家庭」と言ったということでした。彼でなければ随分とわがままなヤツだって思ってしまったかもしれません。人生は誰のためでもない自分のものですもの、この回答でいいのかもしれません。人間とはについていつも考えている(たぶん)彼だからこその言葉だなって思いました。

 

ヨンジュンさんについて考えていると、下記のようなことをまた考えてします。

人が本当に幸福を感じるのは、自分の能力を活かして満足を得たときである。また、幸福とはそれ自身を直接目的として得られるものではなく、何らかの理想を追求した時に、副産物として得られる。幸福になるということは人間らしく生きていくことで、しかも常により良いを目指して自分を進歩させていくこと。

これはブログのテーマ“HN(ソクラテス)について”にある2007年4月の記事からの引用です。タムドクを演じて精神的に強く、広い視野をもてるように進化したヨンジュンさんのインタビューから、このことを再認識してしまいました。

ただ・・・、こんなこともいつも考えます。私が知りえるヨンジュンさんは彼のほんの一部なのだということです。本当の彼について、彼全体について、彼の心の内側などは私には見えていません。私の描くヨンジュンさんは私の想像の彼であるということです。

 

多くの注目を浴びて、多くの時間をかけた『太王四神記』。彼は途中で投げ出すような人ではないと思いますが、苦しい撮影を乗り越えたことをこのように表現していました。 

 どう克服するかではなく、

 何が何でも克服しなければいけないものでした。

これを読んだ時、私は谷川岳に登った自分を思い出しました。下の写真、霧の中に見える頂、人がたくさん立っているところが“トマの耳”で、私が登ったところです。

 

  

私は運動を苦手とした、筋肉のない人間です。でも、自然を歩くことは大好きなので、トレッキングはよくします。もちろん、日帰りの簡単なコースばかりです。そんな私が3年前に谷川岳に登っちゃったんです。きつかった・・・。

斜面は急で、鎖を使わなければならない岩場がいくつかありました。なんとか頂上までたどり着いたものの、ビールもワインも口にできませんでした。登ったら自分の脚で今度は降りなければなりません。途中、一緒に行った人から遅れ、だんだん他の登山者もいなくなり、空は暗くなるし、手足は痛くなるし、携帯は繋がらないし・・・。泣きそうでした( p_q)。でも、途中でやめるわけにいかないんですよね。何が何でも自分で下までたどりつかなくてはなりません。がんばりました。

ビジターセンター脇に湧き出ていた水の冷たくおいしいことといったらありませんでした。もう、忘れられません。それと、がんばった自分に自信ももてました。

   

夏の山は多くの花が咲いていました。タイトル下の写真はその1つオオバギボウシです。斜面にを見上げるとたくさん咲いていました。このすぐ上の写真はひたすら歩いた帰り道の尾根です。まだこの写真を撮影していたころはそれでも余裕がありました。


2008/06/02 21:14
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ビルに映った京セラドーム

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ヨンジュンさんに逢いたい気持ちが私の多くのエネルギーを『太王四神記PREMIUM EVENT 2008』に向わせました。前日から興奮気味であまり眠れかったのに、当日の体力に自分で感心してしまいました。グッズ購入をあきらめた私(前ブログ参照)は、12時の開場まで約2時間をただ“立って待つ”という行動にでました。カタログだけは手に入れたいので、いち早く会場内のグッズ売り場に行こうと決めたからです。昼食はここで並びながら食べることにしたのですが、あんまり食べる気になれません。直射日光のあたる場所での待ちは結構きついものがありました。とにかく体を持たせるためには水分と栄養だ!ということで、持っていたソイジョイを1個がんばって口にしました。まあ、1食くらい食べなくたって栄養は貯えていますから大丈夫ですけどね。

待っている間、ヨン友さんや周りの方たちとたくさんおしゃべりをしました。また、携帯でヨンジュンさん情報のメールやブログを見ていました。どんどん気持ちは高まっていきます。ここに集まっている方たちは皆同じなんだろうなあと時々見渡してみたりして・・・。すごい!としか言葉がないのですが、こんなに人々を惹きつけ、集約させ、さらにエネルギーを沸かせるヨンジュンさんて不思議な方です。

 

高まった気持ちでイベントに突入しました。最初のヨンジュンさん登場の顔が忘れられません。タムドクの鎧姿で四神の待つステージにゆっくり歩いてきた姿は王の顔・・・のはずなんですが、たぶんヨンジュンさんはこのようなシチュエーションでなりきることはできないんでしょうね。こらえきれないように目を閉じたと思ったら、口角が上がり、そして噴出すように笑いました。ああ~、ヨンジュンさんだ~って私は一緒になってにやけてしまいました(= ̄∇ ̄=) 。35000人の70000ものカゾクの瞳が集中しているんですもの、そりゃ照れちゃいますよ。

私が涙がこぼれるくらい興奮したのは、オケ演奏で♪運命♪が流れた時です。前日の夜、ちょうど第9話“玄武の目覚め”が地上波で放送されました。玄武の目覚めはタムドクのチュシンの王としての目覚めであり、以後チュシンの王を巡る翻弄された様々な運命が本格化していきます。演奏に合わせてスクリーンにちょうどそのあたりの映像が流れました。特にキハの悲しい運命を私は思って涙が出てきたんです。

 

この“運命”のころが私の気持ちの最高点だったかもしれません。実のところ途中はやや疲労感が襲っていたんです。飾り(ライトや紙ふぶきなど)による豪華さが気持ちを置いていってしまったとでもいいますか・・・。勿論、肉眼で見れる距離に皆さんがいて、彼らのお話は興味深く聞き入っていました。そのことによってもっとヨンジュンさんに近づくかと思ったけれど、なんだか距離を感じていました。さいたまの時とは逆です。なんでかな・・・。

   

一夜明けてヨンジュンさんのインタビューを読ました。前日の彼の様子とそれを重ねていたら胸が熱くなってきました。イベント中のヨンジュンさんの言葉で私が気になっていたのは、怪我をした時の気持ちを語った部分です。1回目の時は体が動かなかった、2回目は皆に申し訳なかった、3回目はあらゆるものを超越して精神的に強くなったと言っていたと思います。この「超越した強い精神」に私はこだわったのです。

負傷するたびに心は谷に突き落とされていたのでしょうね。それは誰だってそうなんだと思います。それが一回ではなかった彼。言葉で「苦しかった」というよりも、どんな状況があったのかを語ったこのインタビューは彼の心の動きを私に想像させました。イベントでの屈託のない彼はこの超越してきた心から出た表情だったのですね。

病院での治療を先延ばしにしていたことは知っていましたが、薬剤をマネージャーが調達して自分で注射をしたという記事には驚かされました。6回刺して成功したということは、6回目で血管に針が入ったということでしょうね。

痛くて眠れないという身体的な苦痛に加え、演技ができない不全感、他人に迷惑をかけている申し訳なさなど様々な苦悩が彼を襲っていたと思います。さらに、応急的な治療ができない環境があり、自己喪失の脅威を感じていたでしょう。心の平衡状態を保つのがなんと大変であったか。その苦しさを想像した私は手足が冷たくなり、胸が詰まってきてしまいました。監督と泣きながら抱き合ったというその意味をようやく理解したように思いました。

そのどん底とも思える状態を乗り越えられた彼。言葉にして語ることができるくらいに回復したのだと思います。オープニングでの恥ずかしそうな彼、投げキスまでしてみせたあの晴れやかな彼、苦悩を淡々と語る彼にようやく近づけた気がしました。イベントの場で私がこのような思いになっていればフィナーレに向けてもっと興奮していたかもしれません。そうなれなかった自分が悔しく、ヨンジュンさんに申し訳なく思いました。

 

新大阪の駅でぶらりと本屋に寄りました。気持ちが揺れている時はその揺れをなんとか治めたくなるものです。谷沢永一氏の『人間通』というものに目がいき、購入しました。文字通り人間について書かれているものなのですが、辛口な表現を使いながら、的確に人の言動をまとめてあると思います。1つの単元が600字あまりなので、新幹線の中で読むにはちょうどよいものです。その中にこんな文章がありました。

人の生き行く道には苦しみ悩み辛さ気落ちが待っている。しかし勇気を奮い起こして難関に体当たりしてゆけば、その遥か先に多少とも喜び嬉しさ楽しみがありうるであろう。人間はどれほど窮地に立たされても障害に立ち向かってゆく気力さえあればとことん不幸ではないのだ。本当に惨めなのは肝心要なその気力を根こそぎ消えうせさせるような状況である。

苦悩が大きければ大きいほど、乗り越えた後の幸せ感は大きいのだと思います。平衡状態が崩れた心の危機的な状態は心の分岐点なのだそうです。何かの手段を用いてバランスをとれるようになると、次は少しの揺れでも揺るがない強固な精神力が出来上がるそうです。撮影後半のヨンジュンさんはきっとそんな状態だったのでしょうね。私にできることはそんなヨンジュンさんをいつも認めていくことなのかもしれません。世に認められることが人間の欲することであるのですから。

 

ところで、マネージャーさんが点滴や注射薬をソウルで調達し、自分でそれを施行したとのことでした。日本では薬事法や医療法などから考えれないことでしょう。確かにインスリンの自己注射や在宅での点滴はあります。しかし、それは指導された人が特定の患者さんだけに施行が認められた行為で、しかも患者を診察しなければ処方箋は出ません。私は韓国の法律をしらないのでなんともいえませんが、ヨンジュンさんの行動がすべての方面から賞賛されるものではないとも思いました。

それから私の超個人的な思いなんですけど・・・・。来てくれる看護師がいなかったとありますが、だったら私を呼んでくれてもいいのに~~(= ̄∇ ̄=) ニィ。点滴でも注射でも罨法でもマッサージでも子守唄でも、ヨンジュンさんが心身の健康の取り戻すためなら付きっ切りでなんでもしますヨン。その道の職人を自負する私ですから♪(* ̄ー ̄)v

今日のタイトル下の写真は隣のビルに映っている京セラドームです。ヨンジュンさんからエネルギーをもらっている私が下の方に写っています。それから、イベント後にヨン友さんたちと韓国料理を食べに行った時の写真です。ビールにワインにマッコリで私は酔ってしまいました~。お昼はほとんど食べていないのと同じでしたから、空腹と疲労にアルコールですから、危ないですね。みなさん、お世話になりました。


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