2009/06/01 23:42
テーマ:奈良 カテゴリ:趣味・特技(その他)

飛鳥大仏

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昨日、NHKのETV特集「日本と朝鮮半島」を観たら、私の古代史好きな気持ちがワサワサと落ち着かなくなりました。といっても、昨日の放送は古墳時代のことなので、私の興味ある飛鳥時代よりやや古かったかな。私としては次回の『仏教伝来』が楽しみでしかたがありません。私が興味をもった時代は聖徳太子から聖武天皇あたり(飛鳥時代から奈良時代、6世紀後半から8世紀前半)までですから・・・。

何度かブログにも記していますが、私がその時代に惹かれたのは里中満智子氏の歴史マンガ『天上の虹』と、永井路子氏の現代小説『茜さす』を読んだことがきっかけでした。当時、まだ20代だった私。初めての一人旅は明日香村でした。甘橿丘付近の民宿に宿泊して明日香村を徒歩や自転車で周りました。当時の明日香村民宿協会からの領収書、宿泊したお宅の地図がアルバムに残っていました。懐かしい!平成3年の4月です。

本日の写真はその当時のものです。ネガプリントをスキャンしました。一眼レフを使用しはじめたころです。まだうまく使えず、結局ただのバカチョンカメラ状態で撮影しています。もったいない!

下の左は蘇我入我の首塚といわれているもので、後ろに見えるのが飛鳥大仏のある飛鳥寺です。アルバムには「大きないいカメラを持った人がレンゲの中に大勢いたので、私も中に入って撮影してみた」と書いてあります。青空のもと、一面のレンゲ畑に古代史を映し出すものがあちこちにあるんですから、そりゃ~シャッター押したくなるでしょ。今のようにデジカメだったら何百枚って撮影しただろうなあ。

タイトル下の写真は飛鳥大仏です。仏教を積極的に取り入れた蘇我氏の氏寺である飛鳥寺にあります。今はあまり大きなお寺ではありませんが、創建された当時は塔のある大きな伽藍だったそうです。まあ、時の権力者の氏寺ですからね。
入鹿は板蓋宮で中大兄皇子に首を切られました(大化の改新)。それがここまで飛んできたということで、ここに塚が作られているとか。のどかな風景の村ですが、結構血なまぐさい歴史があります。




明日香には不思議な石がいくつもあります。歴史を感じながら遺跡をめぐるほかに、不思議な石物をめぐるのも明日香を楽しむ方法です。最も有名なのは石舞台古墳かな。蘇我馬子(入鹿の祖父)の墓と言われています。50トン以上の石が30個ほど積まれて横穴ができていますが、どうやって積み上げたのか謎。クレーンなんてなかったのですから。

上の右の写真は須弥山石のレプリカで、明日香資料館の庭にありました。噴水のような仕組みになっているらしく、水が出ています。庭の池の真ん中に置いてあった?飛鳥人は風流な庭園を楽しんでいたのかしら?

下の左は亀石です。亀と言うよりはカエルですけどね。この石が西を向くと大和は洪水になってしまうという伝説があります。今は南西をずっと向いています。
他にも鬼の雪隠、益田岩船石、二面石、三光石、猿石・・・。1400年も前のものなんでしょうけど、それが資料として展示されているのでなく、ここに生活する人々の中、道端にそのまま置かれているのが不思議感覚を生みます。古代と今が繋がっているって感じるんですもの。

お酒を造るために使われたと言われている“酒船石”という妙な石が飛鳥寺から石舞台古墳に行く途中あたりにあります。松本清張氏の『火の路』というミステリー小説はここから始まっています。明日香の変な石たちを題材にした小説なんですが、なんと大和からペルシャのゾロアスター教まで繋がった壮大なストーリーです。ちょっと難しかった記憶が。もう一度読んでみようかしらん。

若かりし頃、古代を題材にした歴史小説をいろいろ読みました。
黒岩重吾氏の『天翔る日々(大津皇子)』『天の川の太陽(壬申の乱)』『落日の王子(蘇我入鹿)』『聖徳太子 日と影の王子』など。
邦光史郎氏の『飛鳥残影』『幻の法隆寺』『幻の高松塚』など。
永井路子氏の『美貌の女帝(元正天皇)』『裸足の皇女(山辺皇女)』など。
里中満智子氏の『長屋王残照記』『女帝の手記』、池田理代子氏の『聖徳太子』。
トラベルミステリー系(浅見光彦や赤カブ検事とかの)や紀行でこのあたりが出てくるものも読みました。もちろん万葉集やいろんな方の写真集も。
会津八一氏の歌集『自註鹿鳴集』を読んだら、なんと杉本健吉氏の画集も欲しくなってしまい・・・(f^^)エヘヘ・・・関連するものが次々連鎖してしまいました。

学生のころは歴史の授業は好きじゃなかったのに、こんなに夢中になるなんてびっくりです。
今の仕事をやめて発掘のアルバイトしながら奈良に住んでしまおうかと考えたこともあります。なんで古代史って惹かれるんでしょうね。資料が少ないところがロマンなんでしょうか。よく考えると争いの耐えない時代なんですけどねえ。日本書紀や古事記のような文書だけでなく、万葉集という心を伝える文書が残っていることも、その時代の人たちに興味を持たせるのかもしれません。


以前、NHKで『聖徳太子』というドラマがありました。厩戸皇子は本木雅弘さん、蘇我馬子は緒方拳さん、推古天皇は松坂慶子さんが演じました。もっくんの妖しさと不気味な緒方さんの対決は迫力がありました。
架空の百済人・伊真をソル・ギョングさんが演じていました。厩戸に仕えた渡来系の氏族・秦河勝(國村隼さん )と通じていると言う設定でした。
秦氏といえば山背、京都広隆寺が氏寺です。みなさんがヨンジュンさんに似ているとおっしゃる弥勒半伽像があるお寺です。厩戸皇子の長男である山背皇子は秦氏に育てられたという説があります。山背皇子一族は蘇我氏に皆殺しにあっちゃうんですけど・・・。

その後、大化の改新で蘇我氏が討たれ、中大兄皇子の重臣であった中臣鎌足からのちの藤原氏が出てくるんですよね。先日見に行った阿修羅は鎌足の子の不比等の娘・宮子と、文武天皇(持統天皇の孫)の間に生まれた光明子(聖武天皇の妻)が創らせたもの・・・?。


明日香にはもう何年も旅していません。先月、山の辺の道を歩こうと思っていたのですが、新型インフルエンザ騒ぎで関西方面の用事がなくなってしまいました。ざ~んねん( p_q)
次回のETV特集を見たら、きっといてもたってもいられない状態になりそうな私です。また一人旅しちゃおうか。


最後の写真は“坂乃茶屋”です。岡寺に向う坂道の途中にありました。自転車をこいでいくにはちょっときつい坂です。
ここにたどり着いたとき、ちょうど昼食時間でした。自転車で寺まで行くのは無理と判断した私。ヘトヘトだったので、まずはここでお腹を満たして、自転車をここに置かせてもらって行こうと決めたのです。ところが「先におまいりをして来なさい」とおじさんとおばさんに言わました(と、アルバムに記録してありました)。帰って来てからそうめんセット&ゴマ豆腐をいただきました。
店内にはここを訪れた人々の色紙がたくさん飾ってありました。今もこの茶屋はこの昭和の色のままのようですね。



【追記】

「日本と朝鮮半島2000年」の第2回“任那日本府の謎”の放送の終わりがとても印象に残っています。

4~6世紀は古代国家(ヤマト政権)がまだ統治されていたわけではなかった時代。地方豪族も独自に朝鮮半島と交流していた。つまり国対国ではない多元的な交流があった。そして、それは一方的な力関係ではなく、お互いに必要とするものを相互にやり取りした交流だった。

国家というものに縛られた交流ではなく、もっと個人的なやり取りだったということなんでしょうね。日本と朝鮮半島ってそういうご近所さんという関係だったってことでしょうか?


2008/12/01 22:56
テーマ:奈良 カテゴリ:趣味・特技(その他)

新薬師寺

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奈良は自然と歴史を楽しめる場所です。神社仏閣や草木に古の物語を探ることができます。また、都が置かれた1300年前のことだけでなく、後の文人や芸術家たちがロマンをもとめて旅した足跡もあり、歴史に歴史が重なっているところだなと思います。さらに、私は中学の修学旅行、20代からの頻繁な自分の旅(ひとり、家族、友などで10回以上)の個人的歴史を持っています。
そのようないろんな歴史が凝縮されて引き継がれている景色の中に身を置くと、恐れ多くも、聖徳太子や持統天皇や聖武天皇などの歴史上の人物が自分の身近な人の思い出であるかのように錯覚することがあります。


まあ、とにかくせっかくならいろいろ下調べ・・・というか、知識を頭に入れて出かけると、より旅がおもしろくなるのだと思います。
今回は急だったせいと紅葉撮影に夢中になっていたので、予習なしで出かてしまいました。写真を整理しながら今ごろ本を見たり、ネット検索したりしています。


写真のお寺は春日大社から歩いて15分ほどのところにある新薬師寺です。光明皇后が聖武天皇の病気祈願で747年に建立したのだそうです。住宅街の中に静かに佇んでいますが、本当はとても大きな伽藍だったとか。そんな址が最近見つかったそうです。

本尊は薬師如来です。でも12神将の方が有名かな。
本堂でいくつかお守りが売っていたのですが、瑠璃(ラビスラズリ)を使用したものが多くありました。なぜ?

   
薬師如来の本名は“薬師瑠璃光如来”とおっしゃるのだそうです。西方の極楽浄土とは反対の東方瑠璃光浄土に住んでおり、その名の通り人々を病や苦しみから癒す方らしいです。《仏像ネット》というサイトによれば、瑠璃光浄土病院の院長みたいなもんで、医療ボランティアみたいな仕事をする方なのだそうです。
西方が死後の世界を約束しているのに対し、瑠璃光浄土は生きている今の世界を約束しているとかで、ちょっと親しみを覚えます。
なんで瑠璃なのかというと、地面が瑠璃でできており、道は金なんだって派手な世界だわさ。でも、金と瑠璃色の配色って、服飾的にはいい色合いかもしれません。

ところで、本来、薬師如来は月光菩薩と日光菩薩という研修医みたいなヤツを従えているそうですが、ここ新薬師寺には2人はいません。災害でいなくなってしまったようです。しかし、警備員である12神将は昔から変わらず円陣を組んで勤務しています。筋骨隆々な彼らは塑像でできていて、その姿はギリシャの彫刻のようです。そのためなのか知りませんが、お堂に大きなステンドグラスがはめ込まれていました。


“みうらじゅん”と“いとうせいこう”の執筆した本に『見仏記』というのがあります。彼らのブツ(彼らはこう呼んでいる)の見方は宗教とか歴史とかにこだわらず、現代人の、自分なりの感覚であり、とても面白く、以外と旅行者的には役に立つのではないかと思います。
みうらじゅんだと思ったけど、新薬師寺の12神将を観るのに堂内をグルグルと走ってみたとか。そうしたら、12体がメリーゴーランドのように見えたとか。うーん、どうだろう。

   

この香↑を購入しました。

仏像の盗難というのが今でもありますが、ここ新薬師寺にあった香薬仏師というかわいい仏像が昭和18年に盗まれてしまったそうです。未だに出てこないとか。どこか外国に売られてしまったか・・・。

ここの境内は萩が有名です。その花の時期は華やかなのだろうなと思っていたら、葉の黄葉もいけてます。萩の葉も色づくんですね。
前ブログの水面の落ち葉のような池があったり、お抹茶で休憩するところがあったりと、なかなか女性が好みそうな静かなお寺でした。

ちなみに、余談ですが、そのとなりにある奈良市写真美術館が大好きです。故・入江泰吉さんの素敵な写真の展示やや奈良に関する本が読めます。


今日の写真はすべて新薬師寺で撮影したものです。どのお寺もそうですが、堂内撮影禁止なんですよね。だから、つい仏像をみることがおろそかになる私でした。

お寺に行く時に撮影以外で私がすることはご朱印です。拝観料プラスアルファのお金がかかるのですが、集め始めたら止まらなくなりました。みうらじゅんによると、これは仏像のサインなのだとか(本当の意味は違いますよ)。そう思ったらミーハーな私としてはもらわないわけにはいきません。
   


2008/11/30 10:21
テーマ:奈良 カテゴリ:趣味・特技(その他)

奈良のもみぢ

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霜月の下旬に連休があったので、急遽奈良旅行を計画。今年の紅葉はきれいだ!と信じて、奈良公園あたりを散策してみようかと思ったのです。
  

「もみじ」って「紅葉」と書きますが、「こうよう」とも読みます。私は「もみじ」って読むときは、切れ込みのある葉っぱ、秋に真っ赤な色に変化するあの葉っぱのことを指し、「こうよう」って読むときは葉の色が赤く変わることを指すと思っていました。でも、そうではないらしい・・・。あの切れ込みのある葉っぱは「カエデ科カエデ属」・・・つまり、楓なんですね。「もみじ」という植物はないようです。

「紅葉」は秋に起こる落葉樹の葉の色が変わる現象のこと。「もみじ」の語源は、秋口の霜や時雨の冷たさに揉み出されるようにして色づき始めることから「揉み出づ」→「もみづ」→「もみじ」→「紅葉」と転訛したとする説が有力(Wikipedia)なのだそうです。冬支度前の色づいた植物全般のことです。楓だけを「もみじ」というのではないし、「こうよう」も「もみじ」も同じ意味なのですね。

  

前ブログに春日山原始林のもみじを載せました。
この「春日山原始林」は、市街地に近い場所にある原始林として国の特別天然記念物に指定されています。春日大社の神域として千年以上前から狩猟や伐木が禁じられてきたのだそうです。春日山は、日本人の自然観や春日信仰と結びついて聖域として守られ、春日社と一体のものとして文化的景観を形づくってきた(奈良市観光情報センターHpより)・・・とか。東大寺や興福寺などと並んで『古都奈良の文化財』のひとつとして世界遺産でもあります。自然なのですが、人と関わってきた景観として「文化財」なんですって。

遊歩道は歩きやすいように整備されていますが、うっそうとした木々が千年前と繋がっているかもしれないと思ったら、不思議な体験をしそうでした。時々神の使いである鹿たちが私に気がついてガサゴソと葉を蹴って逃げていきます。その距離感は公園の鹿よりも遠いです。途中、「洞のもみじ」という場所がありましたが、紅葉する木を昔の人も観たのかなあと歩みを止めて見上げました。

万葉集には「紅葉」はほとんど出てこないそうです。「黄葉」なのだそうです。紅くなる木がなかったとは思えないのに、なぜ?「紅葉」と書かれるようになったのは平安時代、『古今集』からのようです。それから「黄葉」は「こうよう」と読みますが、万葉集の歌で「黄葉」と書かれているのは「もみち」または「もみぢ」というカナになっています。大陸の文化に大きく影響されていた時代ですから、それと関係するでしょうか。それとも単に奈良人は黄色が気になった?文字と言葉は必ずしも一緒に変化しなのでしょうけど、おもしろいです。


  黄葉(もみちば)を散らす時雨に濡れて来て
              君が黄葉をかざしつるかも
                            【第八巻】久米女王

  秋山をゆめ人懸(か)くな忘れにし
              その黄葉(もみぢば)の思ほゆらくに
                            【第十巻】作者不詳

  秋されば春日の山の黄葉(もみち)見る
              
奈良の都
の荒(あ)るらく惜(を)しも
                            
【第八巻】大原今城


今回の旅は母と一緒に出かけました。足腰の悪い母はあまり歩けませんが、私は歩き回って写真を撮りたいわけです。唯一、自由になれたのが日の出から朝食までの散歩時間でした。私はカメラをかかえてひたすら歩きました。1日目は春日大社から馬酔木の森辺りを、2日目は宿の方に公園とは違った雰囲気が味わえるよと教えてもらった春日山遊歩道を。

「若草山山頂まで3Km」・・・・以外と近いじゃない!そう思った私です。以前、滝坂の道を石仏めぐって歩いたことがあったのですが、そちらはもっと長かったと記憶しています。1時間半しかなかったのですが、山頂から見える風景や原始林の木々を堪能したかったので、歩いちゃえ!って決心。無謀ですね。
帰りは走りました!バタバタと降りてくる私の足音に鹿たちはびっくりしていたかもしれません。ごめんなさい。


左は早朝の春日大社で出会った方です。このような老若男女がたくさんいらっしゃいました。お互い声をかけるということはないのですが、ちょっと親近感を覚えます。
そういえば夕方、二月堂脇の茶屋では一眼レフもった若い女性の旅人がお茶を飲んでいました。

写真を撮りたいと思っているときはひとりで自由気ままがやっぱりいいかな。道草しながら、時々じっと風景を見つめながら歩きたいです。次回はそうしようっと。

ヨンジュンさんは韓国の風景をどのように撮影しているのかなあ。まさかひとり旅ってことはないでしょう。自由に思うがままに撮影できているでしょうかね。


今日はたくさん撮影した写真から紅葉と黄葉を集めてみました。
撮影場所は下記です。
 タイトル下:西大寺
 落ち葉いっぱい:春日山遊歩道
 鹿:奈良公園
 雨に濡れた楓:法隆寺(後ろに中門と仁王が写ってます)
 水面の葉:新薬師寺

ウェブアルバムを作りました↓
 
奈良のもみじ


2008/11/28 20:09
テーマ:奈良 カテゴリ:趣味・特技(その他)

春日山原始林

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紅葉の奈良へ行って来ました。
春日山、神社仏閣の境内、奈良公園・・・
こんなにたくさんもみじがあるなんて知りませんでした。

記事は明日、ゆっくり書きます。
今日は春日山の林道の写真を掲載します。
うっそうとした原始の森に紅く映えるもみじに感激しました。

鹿は若草山山頂で撮影。後ろが春日山かな。


 


2008/05/06 13:10
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拓本

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本日2つ目の記事になってしまいますが、本当はこちらをアップしたいと考えてました。蜂の巣の記事はイレギュラーです。

接写を撮っておもしろいのは何も動植物だけではないだろうと思い、周りを見渡して見つけたのが拓本でした。拓本は元素材の凹凸を利用して墨で影をつくっていくのですが、接写すると和紙の細かい線維がはっきりして面白いかも~って考えたんです。上記は奈良の法華寺にある歌碑の拓本です。拓本自身は歌碑と同じ大きさはあるのですから、約130×35cmの大きさがあります。 

  ふちはらの おおききさきを うつしみに

  あいみるごとく あかきくちびる

歌碑は会津八一氏が法華寺の十一面観音を読んだ有名な歌です。拓本は法華寺を訪れた際に購入しました。掛け軸にでも表装すればいいんですが、そのまま左の封筒に入ったままです。

撮影したのは会津八一氏の雅号“秋艸道人の『道』の部分です。その字にした意図はとくにありません。あえていうならば、“人生の道”の意味をこめてかな_(^^;)ゞ

紙は生成り色で書道の半紙のような、障子紙のような素材です。撮影したら以外と白く、光でキラキラしていますね。なんでだろ。

私が会津八一氏を知ったのは何回目かの奈良訪問の時でした。確か薬師寺だったと思うのですが、『会津八一と奈良』という本を見つけて購入したからでした。写真好きの私ですから、奈良写真美術館で常設している入江泰吉氏の写真に興味がありました。その入江氏の写真が表紙に見えたので手にとったのだと思います。

新潟出身で奈良へ何度も旅した会津氏。彼は旅人として奈良を想う気持ちを全文ひらがなで詠んでいます。私も旅行で奈良を訪れるのですから、きっと共感するものがあったのでしょう。この本(下記左)は歌の解説と写真があり、私のガイドブックのようでした。旅の前後は付箋を入れて特に何度も読んでいました。

これ↑は後に購入した歌集です。

ある時、会津氏の歌の碑が奈良のあちこちにあることを知りました。その歌碑を巡ることを目的とした旅も出かけたことがあります。猿沢の池あたり、東大寺大仏殿近く、秋篠寺など現在奈良に15ほどあると聞きました。“日吉館”という宿の庭にもあるとか。この宿は文人たちの常宿だったそうで、会津氏もその一人でした。看板も会津氏の書だったかな。もう廃業しちゃったようですけど。

この時期にふさわしい歌をひとつ。

はつなつの 

かぜとなりぬると

みほとけは

をゆびのうれに 

ほのしらすらし

                  

右の本は杉本健吉氏の絵画と会津氏の歌と書がまとめられている書画集です。杉本美術館(愛知県知多半島にある)を訪れた時に購入しました。

この↑写真は1998年5月の唐招提寺です。今も変わってないかな~。

杉本氏を知ったのも法華寺で、会津氏の上記歌の書と杉本氏の十一面観音の版画で構成された作品が展示してあったからです。そのレプリカが売ってたので購入してきました。額に入れて壁にかけていたのですが、実は数ヶ月前にピアノの後ろに落ちちゃいました。未だに拾えず困ってます。

 

なんだか奈良へ旅したくなってきました。若草山は新緑でそれこそ若草色をしているんだろうなあ。その草の上を鹿の群れが走り回っているだろうなあ・・・と想像してしまいます。

最後は藤原宮址から出土した瓦の拓本です。ものすごい凹凸があって迫力をかんじるのですが、わかりますか?瓦だと歌碑と違って凹凸が逆だからこうなるのかな。

 

    


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