2010/11/08 21:32
テーマ:passion-果てしなき愛- カテゴリ:韓国TV(ホテリアー)

passion-3.ブルーマルガリータ

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朝食はスクランブルエッグに焼き立てのパンとオレンジジュース・・・
そして、そのトレイの横にソウル観光案内のパンフレットが
数枚添えられていた。

≪どうぞ行ってらっしゃい、そういうことかな?≫
フランクは口元だけで微かに笑って、ジュースのグラスを
そのパンフレットの上にドンッと置いた。
グラスの中の液体が波を打ち、そして緩い直線となった。
フランクはそれをただ静かに見ていた。


「ボス・・ソウルホテルの理事連中の中で、
 こっちの味方に付きそうな奴をリストアップしておいたが
 ひとりやふたり味方につけても意味はないかもしれん
 今のところ、ハン・テジュンが総支配人に正式任命されることは
 確実だが・・・それじゃあ、まずいか?」

「いないに越したことは無い・・・」 

「・・・・・」 レオは少し考えて腕を組んだ。

「安心しろ・・
 総支配人が誰であろうと、僕の相手じゃない」

「確かに」 

「ソウルホテルの債権を探れ・・・今の内に40%を手に入れる
 気づかれるな」

「OK・・ボス」

フランクは、ここに来てハン・テジュンという男の存在が妙に
気になっていた。

ソウルホテルは大掛かりな工事を進行中だった。
その為銀行からの融資も莫大で、資金面ではかなり困窮した状態に
あることは誰の目にも明らかだった。
前社長の少し無謀過ぎる改革に、フランクは少々歯軋りをしていた。
この状態に狙いをつけたハンガン流通、キム会長の思う壺だ。
≪このままでは到底優勢には持っていけない≫
フランクは前社長の色が掛かった人間はホテルからすべて排除する
考えだった。





その日の夜、キム会長が個人的に会食をとフランクだけを誘い出した。
フランクが会長指定の場所に赴くと、彼は既に到着していて、隣に
少々不機嫌そうな面持ちをした若い女を従えてフランクを迎え入れた。


≪彼女は確か・・・≫
フランクはキム会長の隣にいる女性に見覚えがあった。

彼は直ぐに彼女が先日ソウルホテルで会った女だと思い出した。
あの時フランクは階段を下り、ホテルフロントへ向かっていた。
彼女は逆から階段を上って来ていた。

すれ違いざまに彼女とぶつかった時、彼女が何かを落とした。
それは階段を転げ落ち、フランクの足元で止まった。
フランクはそれを拾い上げると、無言で彼女に差し出した。
彼女もただ無言で受け取ると、何故か逃げるように立ち去った。

彼女が落とした物はいわゆる睡眠剤で、彼がそれを彼女に戻した時
彼女にとってそれが、只の不眠症に処方されたものではないことを
彼女自身の目が語っていた。

フランクはその時、遠い昔に舐めていた自分の苦い感情と同じものを
彼女の瞳の奥に見たような気がしていた。

しかし名前も知らぬ彼女を案じたところでどうなるものでもない。
事実フランクはたった今まで彼女のことを忘れていた。

「娘のユンヒです・・・こちらは
 私の仕事を手伝って頂いているフランク・シンさんだ」
会長はふたりを互いに紹介した。

≪彼女が・・・会長の娘だとは・・・≫


「初めまして」 
彼女は確かにあの日のフランクに気づきながらそう挨拶した。
「初めまして・・フランク・シンです」 フランクもまた、彼女に同調した。

そして、三人でありながら、会長一人の声だけが響き渡る
ある意味静かな会食が始まった。


しばらくして、会長の携帯電話が鳴って、彼が席を外した時だった。
それまで初対面の振りをしていたユンヒが突然、フランクを見て
真剣な顔で言った。

「黙っていて下さい」

「何をです?」 フランクは彼女の目を見ないまま、冷たく答えた。

「・・・・・」

「あなたと初対面じゃなかったということ?それとも
 あなたが睡眠薬を持っていたという、つまらない事実?」

「そのどちらも・・」

「ふっ・・ご心配なく・・・
 何処かの金持ちのお嬢さんが何処でどういう形で
 死のうと生きようと・・・僕にはまったくもって興味がない」

「はっ・・・」 
ユンヒはフランクの言い様に、呆れたように彼を睨んだ。

「それとも・・・
 口ではそう言いながら、興味を持って欲しいのかな?
 止めて欲しいとか?
 ああ・・なるほど・・僕が
 父親に告げ口をしてくれるかと期待している?」
フランクはユンヒを見据えて、皮肉を混ぜながら冷たく言った。

「失礼だわ」

「それは失礼。」

「あの!」 
フランクの慇懃無礼極まりない態度にユンヒは無性に腹が立った。

「何?」 フランクは感情の無い笑みを彼女に向けた。

「・・・・!」 「いや~お待たせしました」 会長が席に戻って来て
ユンヒは少し興奮してしまった心を落ち着かせるように
深呼吸をした。

「ふたりで会話が弾んでいたようだね」 
会長はふたりを交互に見やりながらにこやかにそう言った。

「ええ・・とても・・・賢いお嬢様です」 フランクはさらりと世辞を言った。

「・・・・・」

「そうか・・フランク・・いや~そうか・・
 君達はきっと話が合うんじゃないかと思ったんだよ
 ユンヒはどうも内気で、友達が出来ないらしい
 フランク、是非これの相談相手になってやってくれないか」

「ええ・・お嬢様さえ宜しければ・・ところで、会長例の・・」
「ああ、そうだった・・」

ユンヒは目の前でまったく表情を変えることなく、父を交わし
仕事の話に切り替えたフランクを睨みつけていた。

≪あなたなんかに、私の何がわかるというのよ≫

ユンヒはいつも腹を立てていた。

父親に対して、自分に対して・・・

父はいつも仕事・仕事で家族を省みることもなかった。
母は父に愛されることもなく寂しく死んでいった。
幼い頃から今まで、父親の愛情など感じたことすらない。

≪父はこうして、自分のお眼鏡に適った男に出会う度、
 私を引き合わせる・・・
 結局私の結婚すらもお父さんの仕事の延長なのよ
 そして、男はいつも私を見ていない
 見ているのは、私の後ろにいる父のことだけ・・・この人だって同じよ
 私のことなんて興味が無いと言いながら、父の言うことなら聞くんだわ≫

フランクは少々反省していた。ついユンヒに辛く当たった自分が
本当は何に対して苛立っているのか、十分わかっていたからだった。




フランクはホテルに戻ったが、直接サファイアヴィラには戻らず
カサブランカというホテル内のカクテルバーに立ち寄った。

「何をお作りしましょう」

「ブルーマルガリータを」

「かしこまりました」

バーテンに差し出されたグラスの中の青く透き通った液体を
フランクはしばらく呑みもせず見つめていた。

≪綺麗だ・・・≫フランクはそう心で呟いて笑みを浮かべた。

韓国に来て三日目・・・今日は一度もジニョンを見かけていない。
そう思った彼の顔に一変して影が差した。

彼女に逢いたいと思う心が・・・
こんなにも自分をイラつかせている事実が余計に腹立たしかった。
離れていた10年に比べれば、たかが20時間彼女を見なかったくらい
≪何だというんだ≫

フランクは自分のジニョンへの執着を打ち消すかのように、
グラスを口元に運び、その強い液体を体の中に流し入れた。

その時だった
傾けたグラスの向こうにジニョンが見えた。

彼女はホテルの制服姿ではなく、黒髪は肩に下ろされていた。
フランクが韓国へ来て初めて見るジニョンのプライベートの姿だった。

フランクは瞬間胸を弾ませたが、それは直ぐに打ち消された。
ジニョンの少し後ろからひとりの男が一緒に入って来たからだった。
ハン・テジュン・・・写真で見たことがあるだけの男。

ふたりはカウンターではなく二階へと階段を上がっていった。
そしてジニョンはフランクに気が付かないまま彼の視界から消えた。




「話って何?」 ジニョンは椅子に腰掛けながら、テジュンの目を見た。
さっき、家に帰ろうと更衣室を出た所で、テジュンに声を掛けられた。

「話が無いと誘っちゃ駄目なのか」 
テジュンも椅子に腰掛けながら、ジニョンを見た。

「そうじゃないけど、まだ仕事中でしょ?」

「一時間だけ休暇を取った・・・」

「休暇ね・・・」 ジニョンは笑った。

「こうしてたまには呑むのもいいだろう?
 韓国に戻ってお前とまだ一度もゆっくりしてないし・・
 何呑む?」 テジュンがジニョンに訊ねた

「ブルーマルガリータ」 ジニョンは即答した。

「おい・・お前、そんな強いやつ・・大丈夫か?」

「見るだけでいいの・・綺麗だから」

「可笑しなやつだな・・・」


注文したカクテルを馴染みのバーテンダーが運んでくれた。
「ごゆっくり」 「ありがとう」

ジニョンはテーブルに置かれたグラスを黙って見つめた。

彼女は思い出していた。
昔フランクが注文したブルーマルガリータを初めて見た時に
あまりに綺麗な色に感動したことを。


  ≪綺麗だろ?≫ ≪ええ、とても・・・≫

   互いの額が付きそうなほどの
   狭いテーブルに置かれたグラスを挟んで
   私達は向かい合っていた
   私は身を屈めて
   グラスの中の神秘的な色に魅入っていた
   気がつくとその向こうに、フランクの澄んだ瞳が見えた
   同じように身を屈めて微笑む彼の目はグラスを通して
   私だけを見ていた・・・


「どうした?」

「あ・・いえ、何も・・・
 それよりここ・・まだ開業してないんでしょ?」

「ああ、一階だけはホテル宿泊のお客様にだけ開放しているがな」

「私達、ここに座ってていいの?」

「総支配人の特権だ」

「とんだ職権乱用ね」

「まあな・・チェックを兼ねてるんだ」

「チェックね」

「いいから・・飲め」

ジニョンはわかっていた。
昨日の自分の様子を彼が心配しているのだということを。

「何でもないのよ」

「何が?」 テジュンはとぼけたように言った。

「チィ・・・」

「冗談だよ・・・話したくないんだろ?・・・
 話したくなった時に話してくれればいいさ」

「・・・・ん・・そうする」 ジニョンはテジュンに向かって微笑んだ。

ふたりは結局何を話すでもなく、注文した飲み物を一杯ずつ呑んで
カサブランカを後にした。

テジュンが仕事がまだ残っているからと、フロントの方に戻ると
ジニョンは帰路につこうと足を進めた。
しかし彼女は無意識の内に帰る方向とは逆の階段を上っていた。
そして、ゲートの向こうの坂の上に視線を送り、少しだけ佇んだ。




「ブルーマルガリータは美味しかったかい?」
ジニョンはびくっとして、後ろを振り向いた。≪フランク・・・≫

「・・お客様・・」≪どうして?≫

「こんばんは」

「あ・・こんばんは・・・」 
ジニョンは少し戸惑いを覗かせながら笑顔を作った。

「驚かせたかな・・」

「あ、いえ・・お客様とお会いする時はいつも
 振り返っているような気がして」

「ああ・・なるほど」

「でも・・どうして?」

「今そこから出て来た」
彼はカサブランカを指して、笑った。

「ああ」

「声を掛けていいものか迷ってた」

「どうして・・ブルーマルガリータだと?」

「あー・・・勘?」 さっきバーテンが作るカクテルをフランクは見ていた。
二つ作られたカクテルのうち、ひとつがブルーマルガリータと知った時
それはジニョンが注文したのだと思った。

彼女はあれを見るのが好きだった。

    ≪ねぇ、フランク・・ブルーマルガリータ、頼んで?≫

    ≪またかい?もう飽きちゃったよ≫

    ≪ねっ・・お願い≫


「勘?・・・」

「・・・・・・」 フランクは無言のままジニョンを見つめていた。

ジニョンは彼の熱い視線に居心地の悪さを感じて急いで言葉を探した。
「・・・もう大分遅いですが・・」
「デート?」 フランクはジニョンの言葉を遮るように言った。

「えっ?」

「彼と・・」 

「あ・・いえ・・」≪違うわ≫

「違うの?」

「いえ・・」≪でもあなたにはそう言いたくない≫

「そう・・・」 フランクは少し伏目がちに声を落とした。

「・・・・・」 「・・・・・」

互いの沈黙が続く間、ジニョンは胸が閊えて今にも呼吸が
止まりそうなほどだった。
それはさっき飲み干してしまったブルーマルガリータのせい
そう自分自身に言い聞かせた。≪きっとそう・・・≫

「あの・・それじゃあ、失礼します」 
ジニョンは急いでここを立ち去らなければ、と思った。

「そこまで・・」

「えっ?」

「送らせて」 フランクはジニョンの瞳に請うように言った。

「でも・・」

「家まで送らせてとは言わない・・・せめて駅まで」

「でも近いですから・・」

フランクはジニョンをじっと見つめて、無言で圧力を掛けた。

「あ・・・・・はい・・それじゃあ・・」

フランクはジニョンが困惑しながらも承諾したことにほっとして
彼女の気持ちが変わらない内にと、彼女の前を歩き出した。
そして歩き進むうちに少しずつ歩調を合わせて彼女の横に並んだ。

ふたりは終始無言で、ただ虫の鳴く音色だけが響く静かな通りを
互いの靴音だけを聞きながら歩いた。

ホテルの敷地を抜けて、街の灯りの方へと進むにつれ、
歩く速度を弱めたのはきっと、どちらか一方だけではなかった。
しかしそのことには互いに気がついていなかった。



駅は無慈悲な程に近かった。

ふたりは地下の駅へと続く階段の上で立ち止まり、向かい合った。

「着いたね・・・」≪着いてしまった≫
フランクは小さく溜息をつきながら、ジニョンに別れを告げた。
「気をつけて」

「あ・・はい・・」

「・・・・・」 「・・・・・」

「あの・・」 ジニョンが口を開いた。
 
「なに?」

「いいえ・・何でもありません」≪本当に何もなかった≫
何を言いたかったのか、自分でもまったくわからなかった。

「今日は逢えて良かった」 フランクは心の底からそう言った。

「・・・・・・」 ジニョンは少し顔を曇らせて黙った。

「ごめん・・つい・・
 また、そんな風に言わないでって言われそうだね」
フランクは真面目な顔で言った。

「ふふ」 その言葉にジニョンは思わず笑ってしまった。

「初めてだ・・」

「えっ?」

「そんな風に笑ってくれたの・・」

「そうでしたか?」

「ああ・・いつも・・・」

「いつも?」

「怖い顔してる」

「えっ?・・嘘・・」

「・・・嘘・・・ちゃんとホテリアーの顔してるよ・・安心して・・」
フランクは寂しげな笑顔でそう言った。

「良かった」 彼女は胸を撫で下ろすような仕草をした。

「・・・・・・・」 彼は彼女を優しい目で見つめていた。

「もう・・行かないと・・」

「ああ」

「あ・・ありがとうございます・・」

「えっ?」

「その・・・送ってくださって・・」

「ああ・・どういたしまして」 
フランクは一度ゆっくりまぶたを閉じて、彼女をもう一度見つめた。

「それじゃ・・おやすみなさい」

「・・おやすみ・・」

ジニョンは地下鉄の階段を走って下りた。
一番下の段を下り切った時、振り向くと階段の上でフランクが
笑顔で手を振っていた。
彼女は彼に少し強ばった笑顔を作ると直ぐに進行方向に向き直った。
そしてその後は決して彼に振り返らなかった。


「行ってしまった・・・」
フランクは独り言を呟いて、階段の手摺りにもたれかかり
煙草を銜えた。

そしてもう一度、階段の下に視線を下ろした。


  ≪戻って来るわけ・・・


         ・・・ないか・・・≫・・・









2010/11/08 08:32
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passion-2.君のしあわせ

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フランクはジニョンが去った坂道の上に立ち尽くしたまま
しばし動くことができなかった。
目を閉じて、たった今彼女に触れた指を
掌に一本一本確認するように折り入れ握った。
まるで彼女の温もりが消えぬよう大事に仕舞い込むかのように・・・

そして悲しいまでに哀れな自分を慰めるよう、寂しく笑った。

≪わかっている・・・
 君を抱き寄せる資格など僕にはない・・・≫

それでも・・・

≪彼女もまだ終わっていない・・・≫そう言ったレイモンドの言葉を
≪この僕が一番信じたかったのかもしれない・・・≫

しかし・・・≪何て様だ≫
フランクは自分の思い上がりを蔑むように自嘲した。


少ししてフランクが部屋に入ると、メインルームの灯りは既に落とされ、
レオは寝室で眠っているようだった。
彼は自分の寝室に向かいながら、片手で乱暴にネクタイを解き、
いらだち紛れにベッドの上に上着を脱ぎ捨てた。

≪何に腹を立てている?フランク・・
 10年なんだぞ・・・お前は彼女に何をした・・・
 彼女の心がとうにお前に無かったところで
 仕方の無いこと・・・そうだろ?≫

フランクは冷たいシャワーを強く顔に浴びながら、
他でもない自分自身に怒っていた。

「レオ・・総支配人、ハン・テジュンを調べ上げろ・・
 今現在彼のソウルホテルでの立場を知りたい・・朝までにだ」

「フランク・・今何時だと・・」

眠気声のレオの怒りを無視して、フランクは用件だけを伝えると
受話器をガシャリと置いた。





「ジニョン、どうかしたのか」
背後に聞こえた声はテジュンのものだった。
ジニョンはスカートの裾を払うそぶりを見せながら立ち上がった。

「どうもしないわ、ちょっと転んじゃって」
「転んで・・泣いてたのか」
「泣いてなんか・・いな・・」
言い終えない内に、テジュンの顔が直ぐそばまで近づいていて
慌てて彼から顔を逸らし、灯りの無い方へ歩いた。

「・・さっきサファイアのお客様と一緒だったところを見かけたが・・
 お客様と何か問題でも・・」
「な・・何もないわ・・何もあるわけないじゃない・・」
ジニョンは動揺を悟られまいと、小走りにテジュンの先を歩いた。

≪暗くて良かった≫そう思った。≪こんな顔、見られたくない≫


彼は今しがた、彼女が客らしい男と握手を交わしていた姿を見かけた。
結局声も掛けずその場を立ち去っていた自分に少し後ろめたさを
覚えながら言葉を繋げた。「知り合いなのか」

「いいえ・・私が担当するお客様よ・・ご挨拶に伺っていたの」

「こんなに遅くにか」

「・・・あなたこそ・・・こんなに遅くにここで何を?」

「俺は・・ヨンジェとテニスをやってたんだ」

「こんなに遅くに?」
決してそんな格好に見えないのを承知で、視線を上下に移しながら
ジニョンは言った。

テジュンはソウルホテルの息子であるヨンジェがなかなか
思うようにホテルの仕事に身を入れてくれないことに手を焼いていた。

ジニョンにとってヨンジェは弟のような存在だった。
「あの子、父親が死んでから余計に酷くなったわね。
 ジョルジュがホテルを見捨てて出て行ったと思って、
 きっと怒ってるんだわ」

「甘えているだけだ」

「社長、心配なさってるわ・・
 テジュンssi、私からも宜しくお願いします・・
 あの子のこと・・見捨てないでやって?」

「お前こそ・・見捨てるなよ・・俺を・・」

「どういう意味?」

「俺をここに連れ戻したのはお前なんだからな、
 俺が総支配人としてちゃんとやっていけるか、
 見守る義務がお前にはある」

テジュンはそう言うと、ジニョンの横に並んで彼女をチラリと見た。

「何を言ってるの?」

「友達・・そう言ったな、この前」

「・・・・」

「あれは・・・お前がそう言ったんだ・・
 俺は何も言ってない・・
 友達だなんて・ひと言も言ってないぞ・・・
 じゃな、気をつけて帰れ」

「テジュンssi・・・」

「目が赤いぞ・・何があったか知らんが・・・・
 ゆっくり風呂にでも入って寝ろ・・」
そしてテジュンはジニョンを追い越し、歩き去った


≪いつもそうだった≫
ジニョンは彼の後姿を見つめながらそう思った。

≪いつもそう・・・
 彼は私がどんなことで悩んでいるかなんて聞こうとはしない・・・
 それでもいつも“わかってる”というような目で見るの
 まるで心で私の頭を撫でてくれるように・・・≫

「・・わかって無いくせに・・・」 
彼女は彼の背中に向かって呟き笑った。

≪でもね・・・黙って後ろにいてくれる・・・
 それだけでいいことって・・・あるの・・・≫

ハン・テジュン・・三年前、彼とならきっと寄り添える・・
そう思って一度は自分からプロポーズした男。

≪でも結局私を置いて行ってしまった男・・・あの人と同じ・・・
 そうよ・・・私って、どうしてこんなに男運がないのかしら・・・
 でも今度は、私は彼を連れ戻しに行った
 それはこのホテルに彼が必要だからなのか
 この私に・・・彼が必要だからなのか・・・私にもわからない・・・≫




≪眠れなかった≫フランクはバスローブを解いてベッドに入ると、
重ねた枕に背中を預けていた。
そして、さっき別れたばかりのジニョンの表情、仕草、
言葉のひとつひとつを思い返しては目を閉じた。

≪引き寄せれば直ぐにでもこの腕の中に抱けるほど・・・近くにいた・・・
 どうしてそうしなかった?彼女もそれを望んでいたんじゃないのか≫
邪まな想いが更に眠りを妨げた。

結局フランクは眠らないまま朝を向かえ、そのままベッドを降りた。
彼はロードワークに身を置き汗をかくことで、この朝靄と同じように
もやついた心を仕事モードに切り替えた。

自分がここへ来たもうひとつの理由・・・
≪今はまだそのことに集中しなければならない≫

ゴール地点のサファイア玄関前に近づくとそこに、レオの姿があった。
レオに渡されたミネラルウォーターの蓋を開け渇きを潤すと
今度は彼から資料を受け取った。

「ハン・テジュン・・・かなり優秀な人物で、人望も厚い」

「それはソフィアの資料でわかっている・・今の状況は?」

「一部の従業員からの反発はあるが、概ね彼に対しては好意的と言える
 間違いなく、彼が総支配人となるだろう
 彼が遂行しようとしている計画も決して悪くはないプランだ」

「彼に敵対している人物を当たれ。こっちの味方になれる奴が欲しい。」

「了解」





夢を見ていた・・・≪いつもの夢・・・≫
アラームに強制的に起こされて、不機嫌そうに枕を胸に
押し込んだ。

≪彼が私のところに帰って来た夢・・・
  
  でも直ぐに彼の顔が憂いを帯びて・・・
  私に背中を向けると・・・また出て行ってしまう・・・
  いつも、いつも同じ夢・・・

  また見てしまった・・・≫

靄がかかったような頭の中で漠然とそう思って、枕を抱いたまま
ベッドでごろんと転がった。

すると突然彼女は大きな目を見開いて、バネで弾けでもしたかのように
その場に飛び起きると、自分の右手をしみじみと見つめた。

「夢じゃない・・・」

≪夢じゃなかった・・・フランク・・・≫





フランクのことなど忘れたように、ジニョンは朝から慌しく動いていた。
トランシーバー片手に客室とバックヤードを飛び回わり、ホテリアーの
務めを果たす。

ホテルでは様々な事件が起こっていた。それらを迅速に解決をする。
もちろん、お客様の立場を第一に考えながら・・・。
それがホテル支配人としての彼女の務めだった。

時には報われず、涙を飲むこともある。
しかし、お客様の笑顔に出会うためならどんなことにも耐えられる。
そういう精神ですべてのお客様に誠意を尽くしている。
そしてお客様が有意義なひとときをホテルで過ごされ、
笑顔でホテルをチェックアウトされる、その時こそが彼女の至福の時だ。


その時彼女の無線が鳴った。『ソ支配人、応答願います・・』
「はい・・ソ支配人・・」
『サファイアのお客様がお部屋で何度もお呼びです』
ジニョンは自分でもわかるように困った顔をして、「わかったわ」
とだけ答えた。

≪そうよ・・・
  忘れていたわけじゃない≫

彼を想い浮かべるだけで、昨夜の胸の痛みが簡単に蘇る。

≪フランク・・・≫
昨夜この坂を上りながら、ジニョンはフランクに逢うための勇気を
懸命にかき集めていた。

昨日はあんなに上手くいった。
≪今日だって大丈夫、いつだって大丈夫よ・・・
 フランク・・私は10年前のような子供じゃないのよ・・
 私はプロなの・・・ホテリアーのプロ・・・
 あなたがお客様である以上、務めを果たすだけよ≫

フランクの部屋の呼び鈴を鳴らすと、彼の弁護士のレオが現れた。
ジニョンとレオは10年前も不思議と一度の面識も無く、
これが初対面だった。≪この人がレオさん・・・≫

「今参りますのでお待ち下さい」 
そしてレオは思わせぶりな視線を残して自分の寝室へと消えて行った。

ジニョンは何とも言えない居心地の悪さを感じていた。

フランクは彼女の直ぐ後ろにいた。
落ち着かない様子の彼女を彼は、少し面白がるような目で見つめていた。
「んっ、ん!」

ジニョンは背後から聞こえた彼の声に驚いて、また慌てて振り向くと、
今朝の彼は何故か清々しく穏やかな瞳で彼女を見ていた。

「また、遅刻ですね」

彼は満面の笑みを向けたが次の瞬間、慌てたように彼女に駆け寄った。
ジニョンは彼のその行動に一瞬驚き、思わず後ずさりしていた。

「どうしたの?その傷」

「傷?・・あ・・これは・・」

ジニョンはさっき、お客様とのトラブルが元でイ・スンジョンと
取っ組み合いの喧嘩をしてきたばかりだった。
≪あの時に切ったんだわ・・・私ってば・・今日少しいらいらしていた・・・≫

「血が出てる・・」 フランクの指がジニョンの唇に触れようとした瞬間
彼女は拒絶するように彼の手を払いのけた。

「あ・・ごめんなさい・・・でも大丈夫です・・あの・・
 ちょっと取っ組み合い・・・
 あ・・いえ、同僚とちょっと・・言い合いを・・」

ジニョンは自分のその行為が、ホテリアーとしてではなく
フランクを知るソ・ジニョンであったことを悟って、直ぐに自分を省みた。

「取っ組み合い?君が?
 ホテリアーというのは格闘技も強くないといけないの?」

フランクは全く彼を受け付けようとしない彼女の頑なな態度に
ショックを受けるしかなかった自分を悟られないように・・・
また彼女に気を遣わせまいと冗談を言った。

「ええ、場合によっては・・・」 彼女もそれに応えて小さく笑って見せた。

「逞しいね」 

≪確かにジニョンは昔から逞しかった≫
初めてふたりが出逢った翌日から一ヶ月もの間、毎日、
フランクとの再会を果たすべく待ち伏せして、終いにはとうとう
彼を捕まえてしまったこともあった。


≪泥棒!≫

≪泥棒?僕が君の何を盗んだというんだ!≫

≪くちびるを・・・盗んだわ≫


フランクはその時のことを思い出して微かに笑った。
ジニョンはそんなフランクを怪訝な表情で見上げていた。

「あ・・いや・・失礼・・・
 ランチにフランス料理をと思って・・一緒にどうかな・・」

「あ・・申し訳ございません、お客様・・
 部屋で、お客様と個人的な時間は過ごせません・・
 ホテルの規則なんです」

「んー・・ホテルの中では駄目なんですね・・・
 あー・・・それなら・・外ならいいのかな?」 
フランクは彼女の顔を覗き込むように言った。

ジニョンは彼のその仕草に図らずも胸を高揚させてしまい、
それをごまかすように彼から視線をずらすと、腕時計に目をやった。

「もう直ぐお昼休み・・ですね・・・外でなら・・」 
ジニョンは少々困ったような顔をしながらも彼の申し出を受け入れた。

「良かった・・」 フランクはホッとしたように微笑んだ。



ジニョンがフランクを案内したのは、昼食時で混雑し、白い湯気漂う
大衆食堂だった。
フランクは彼女が注文してくれたカルグクスを前に困惑したように
周りを見渡していた。

「食べないんですか?ここのカルグクス・・凄く美味しいんです・・」
ジニョンはそう言いながら、フランクの器に薬味を入れて
てきぱきと混ぜ合わせてあげると、“食べてみて”と言うように
彼の顔を下から覗きこんだ。

フランクはその時の彼女のあどけない表情にホッとしたように笑った。

「可笑しいですか?」 ジニョンは口を尖らせて見せた。

「いや・・相変わらずだなと思って」

ジニョンはフランクの言葉に少し沈黙した後、正面に向き直り
居ずまいを正した。
そして真剣な面持ちに変えて、彼を見ないまま言った。

「・・・・そんな風に・・・言わないで」

そして自分の目の前の料理を黙々と平らげた。
フランクもまた彼女と同じように正面に向き直って言った。
「・・・・ごめん。」

フランクはこの時やっと、ジニョンが自分を見てくれたような気がして
妙に嬉しかった。
例えそれが、彼に対して否定的なことであったとしても
その時の彼女の心はちゃんとフランクに向かっていたからだ。



ふたりはその後、無言のまま食事を済ませ店を出た。

ホテルまでの道を並んで歩きながら、ふたりは互いに、
会話のタイミングを探していた。

「ホテルの仕事は楽しい?」
フランクは余りに当たり障りのない自分の質問に苦笑した。
しかしそれが彼女に聞きたかったことのひとつでもあった。

「ええ・・大変なこともありますけど、
 お客様が喜んで下さる笑顔を見ると、それだけで報われます」

「幸せ・・・なんだね」 そしてこれが一番知りたかった。

「ええ、とても」 ジニョンの言葉は力強かった。

「そう・・・それは良かった」 フランクは本心からそう言った。
彼女が幸せでいてくれたことに心底安堵した。

「あなたも、成功なさったんですね」

「さあ、どうだろう」

「サファイアのお部屋の一日の宿泊料、
 私のお給料と同じなんですよ。
 そこに3ヵ月も滞在なさる程ですもの・・・
 そういうのを成功というんじゃありませんか?」

「そうかな・・・」 

「・・・・でも・・・良かった」

「えっ?」

「ふふ・・あなたもそう言ったから・・まねてみたんです」

そう言って、ジニョンは屈託の無い笑顔をフランクに向けたかと思うと
次の瞬間、ちょっと“しまった”というような顔をした。

「あの・・ジニョン・・」

「お客様・・・」≪まただ・・・≫

ジニョンがフランクとの間に懸命に隔たりを作ろうとする姿勢が
彼を彼女へ向かわせる心にブレーキを掛ける。

「ソウルは初めてですよね・・」

「ええ」

「では市内観光は如何でしょう」

「いいですね」

「では・・パンフレットを明日お届け致します・・・
 ・・・・あ・・お昼・・ご馳走様でした」
 
少々早口に言うと、彼女は転がるように坂を下りて
仕事に戻って行った。





≪幸せです≫ジニョンが言った言葉が耳から離れなかった。

≪良かった・・・≫本当にそう思った。しかし・・・

フランクはジニョンの儀礼的な笑顔を目の当たりにする度に
彼女の“幸せ”の中に自分が存在しない事実を突きつけられているようで
胸が酷く締め付けられた。

≪そうなんだね・・・
 今の僕は君にとってひとりの客でしかない
 それは間違いの無い事実だ・・・しかし・・・≫

フランクは、ベランダに出て冷たい夜風に吹かれていた。
そしてまだ見慣れぬ大人びたジニョンの姿を思い浮かべながら
少し強過ぎたスコッチを揺らし、氷の音を聞いた。


  ≪フランク・・・お前はそれで・・・


           ・・・いいのか・・・≫

  



























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