2010/11/09 20:16
テーマ:passion-果てしなき愛- カテゴリ:韓国TV(ホテリアー)

passion-5.薔薇の決意

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story by kurumi

 



フランクはいつもの朝と同じように、ロードワークで汗を流していた。
こうして風に吹かれていると≪しばし心の騒ぎに休息をくれる≫


フランクは決意していた。
もう一度、彼女を取り戻すことを。

それが彼女が望まないことだとしても、もう自分の心に嘘はつけない。
昨夜自分自身が起こした事実に正直になると決めた。




ジニョンは今朝もまた、アラームが鳴る前に目覚めた。
フランクが目の前に現れてからというもの、いつもそうだった。
でも今朝はいつもとまた違っていた。
昨夜はなかなか寝付けなくて、さっき眠ったばかりだと思ったのに
気がつくと東には既に朝日が昇っていた。

≪離さない≫ 
フランクのあの声が何度も何度も繰り返しジニョンの胸に響いていた。

≪あれはどういうこと?あなたは何のつもりで、あんなことを?≫
ジニョンは、フランクの理解しがたい行動に対して、
困惑と憤りとそしてあろうことか甘い疼きを感じている自分の心に
苛立っていた。




ジニョンがホテルに出勤すると、オフィスに人だかりができていた。

「どうしたの?何かあったの?」
ジニョンが尋ねると、その人だかりが一斉にジニョンに振り返って
彼女は一瞬後ずさりした。

「ジニョン!」 スンジョンがその輪の中から飛び出て来て、
ジニョンの鼻先に自分の鼻先をつけんばかりに近づいた。

「な・・何ですか・・・先輩・・」 ジニョンは更に後ろへ下がるしかなかった。

「あなた、花屋の御曹司とでもお付き合い始めたの?」
スジョンが一大事でも起きたかのように目を見開いて、そう言った。

「えっ?」≪何のこと?≫

「これ」 
彼女が差した指の先に、今までに決して目にしたことがないような、
それは大きな花束がジニョンの机を占領していた。

「まあ・・すごい・・・」 
花束のあまりの美しさと豪華さにジニョンの笑顔が花開いた。

「薔薇の花!」 スンジョンは腕組して言った。

「見ればわかるわ」 ジニョンはさらりと答えた。

「300本だって!」 スンジョンの声が次第に強くなってい
た。

周りの空気を察したジニョンが自分を指差して“私に?”と目で尋ねた。
スンジョンは口を尖らせながら黙って頷いた。

「いったい・・誰が・・こんな」 ジニョンはちょっと困ったように苦笑しながら、
中に差し込まれたカードを抜き取った。

それはフランクからだった。ジニョンは目を閉じて溜息をついた。

「あ・・これね・・お礼にって、お客様が・・」
ジニョンは自分の反応をそばでじっと待っていたスンジョンに
弁解するように言った。

「お客様?何で、お客様がこんなことを?
 これって、行き過ぎじゃない?
 あなた、いったい、お客様に何してあげたのよ!
 あ・・まさか・・・・・・」 スンジョンはよからぬことに想像を巡らせ
ジニョンを疑いの眼差しで見た。

「スンジョン先輩!まさかって・・って、何よ!」 



ジニョンは急いで、フランクの部屋に電話を入れたが、あいにく彼は留守だった。
しかし、行き過ぎた贈り物をこのままにしておくわけにはいかないと、彼女は
ホテルの中にいるという彼を必死に探した。



「ここにいらしたんですね」

フランクはホテル内に常設されているビリヤード場にいた。

「よくわかりましたね、ここが」
フランクはナインボールに興じながら、ジニョンに柔らかい視線を送った。

「お客様がホテルにいらっしゃる間は、どちらにいらしても把握できます
 ・・・ホテリアーですから。」 ジニョンは少し自慢げに言った。

「ほう・・それは感心だ」 
フランクは笈の先にチョークを塗りつけながら言った。

「それで・・あの・・お花・・」 
≪早く本題を・・≫そう思ってジニョンは切り出した。

「ああ、届きましたか?ルームサービス」 

「あんなことをされては困ります、お客様。」

「どうして?昨日のお礼です、そう書いてあったでしょう?
 受け取って下さい、遠慮なさらずに」 
フランクはさらりと答えた。

「オフィスの人間が驚きます」
≪ここで引き下がるわけにはいかない≫ジニョンはフランクを見据えた。

「それじゃあ、今度からご自宅に届けましょう」

「あの!そうではなくて・・・
 私はお客様から、プレゼントを頂く理由がありません
 ・・だから・・」

「だから?」 フランクはジニョンとの会話の間も笈の動きを止めなかった。

「だから・・・あんなことはなさらないで頂きたいんです」

「んー・・・僕はそうしたい。・・・優秀なホテリアーは
 客の望みは聞いてくれるんじゃなかったかな」
フランクがそう言っている間に、彼が放った笈の先は俊敏にボールに当たり、
そのボールがまた別のボールを潔い音ではじかせた。

「でも」
「でも?」

「わからないわ」

ジニョンのその言葉を聞いて、フランクは初めて手を休めて、笈を自分の前に立てた。

「わからない?・・何がわからない?
 あの花が何の花なのか?それとも・・・
 僕が単なる客なのか・・君の男なのか?」

「嫌な言い方。」 ジニョンは彼を睨みつけるように言った。

この時既にジニョンは、ホテリアーとしての仮面を脱ぎ捨て、遠い昔
フランクを知るジニョンとして、その彼を睨みつけていた。
フランクは彼女のそんな変化に気がついて、俯き口元だけで笑った。
≪ジニョンだ・・・≫

「嫌な言い方・・・結構。
 しかし僕は戻りたい・・・君の男に。」

「何言ってるの?ふざけないで!」 

「ふざけてなどいない」

「そんなに面白いの?私をからかって・・
 わかってるわ、あなたは!・・・・」

「あなたは・・・何?」

「あなたは・・・昔自分を好きだった女が
 他の男に心を動かされているのを見て
 気分が悪くなったのよ・・そうよ
 あなた、自分のプライドが許さなかったんだわ」

「君は他の男に心など動いていない」

「どういうこと?」

「僕を愛している」 フランクは彼女を見据えたまま、力強くそう言った。

「はっ・・何言ってるの?・・ふざけないで!」
ジニョンは怒りでカーと熱くなる自分を感じていた。

これ以上ここにいると、自分がとんでもないことを言いそうな気がして、
急いでその場を離れようとした。

「ソ・ジニョン!」
ジニョンはフランクのその声に驚いてぴたりと足を止めた。
フランクは持っていた笈を床に立てたまま、ジニョンを見据えていた。

「どうして韓国へ来たのか・・・そう聞いたね」

「・・・そんなことどうでもいいわ。」

「君に逢いに来た」

「・・・うそつき。」
「うそじゃない・・」

「信じないわ!」

「君も・・・僕を待っていた」

「勝手なこと言わないで!」 ジニョンは彼に激しく言葉を投げつけた。
そして、逃げるようにその部屋を出て行った。


フランクはわかっていた。こんなやり方に彼女が酷く怒ることも。

しかし彼は敢えてそうした。
今、彼女に怒って欲しかったから。
自分に対する怒りを思い切りぶつけて欲しかったから。

だから彼は、強引に彼女に向かって行くと決めたのだった。


≪ジニョン・・・もっと怒れ・・・
 もっと・・・僕にその怒りをぶつけるんだ≫

彼女が心の奥深くに彼に対する怒りを押し込めている以上、
≪彼女を取り戻すことなどできない≫
フランクはそう思っていた。



「何言ってるの!何言ってるの!・・
 ふざけないで!、私はあなたなんか・・・
 あなたなんか!待ってない、愛してない!」
ジニョンは屋上に上がり、漢江に向かって怒鳴り散らした。

しかし、怒鳴った瞬間に虚脱していく自分の体を支えられなくて、
彼女はその場にしゃがみこんでしまった。

≪愛してなんか・・・ない・・あなたなんか・・・

  あなたなんか・・・あなた・・なんか・・・≫





夜勤明けの次の朝、ジニョンは鳴り響く電話の音で眠りを妨げられた。

「はい・・ソ・ジニョン・・・」 電話の主はフランクだった。

ジニョンは慌てて飛び起きて、電話の向こうの声が言うままにベランダから下を覗くと、
携帯電話を耳に当てたフランクが上を見上げて、こちらを伺っていた。

「どうして携帯の電源を切ってるの?」

「あなたが何度も電話してくるからでしょ!」

あの薔薇の事件があってからというもの、フランクはことあるごとにジニョンを追い
挙句にはホテル内のみならず、彼女の携帯にまで電話をよこすようになっていた。

「しかし苦労したよ・・自宅の電話番号調べるの・・」
フランクはジニョンが迷惑だと言っている言葉を全く無視していた。

「・・・・・!」

その直後、玄関のベルが鳴り、デパートの配達人が持ちきれないほどの
届け物を抱えて部屋に入って来た。それがすべて、フランクの仕業だとわかって、
ジニョンは頭を抱えた。


しばらくして、ジニョンが両手いっぱいに箱と袋を抱えて、エントランスを出て来た。

「どうして?」フランクは不満そうに言った。

「あなたこそ・・どうしてこんなことを?」

「今日、君の誕生日だから」

「えっ?・・」
ジニョンは自分の誕生日のことなどすっかり忘れていた。

「今まで君の誕生日、祝ったことがなかったから・・・
 10年分のお祝い・・・」
そう言って、フランクは満面の笑みをジニョンに向けた。

「とにかく・・あなたに祝っていただく義理はないわ・・
 これはお返しします」

「返されても困るよ・・僕が持ってても仕方ないし」

「でも、受け取れないわ・・お店に返してください」
ジニョンは決して引き下がらなかった。

「わかったよ・・・その代わり、食事は一緒に行ってくれる?
 もう・・予約してあるんだ」

「・・・・・・・」 
ジニョンは呆れて怒った顔のまま、それでも溜息混じりに頷いた。




フランクが予約していたのは、最近韓国にできた
“three handredroses”だった。

「覚えてる?」

「ええ・・あ・・だから・・・」

「そう・・300本の薔薇・・」

「・・・・・」

「君がどうしても行きたいって、あの時そう言った・・・
 あの頃僕はちょっとばかり稼いだ全財産を叩いて
 家を買ったばかりで余りお金を持ってなかった。
 だから君にも余りおしゃれをさせて上げられなくて・・・」

「そんなの必要なかったわ」

「あの頃もそう言っていた・・・」

「・・・・・」

「でも今はどんな贅沢もさせてあげられる」

「だから?」

「だから・・・」

「あの時も・・・今も!私はそんなこと
 ひとつも望んでいなかったし・・・望んでいない」

「わかってる」

「わかってないわ・・・
 高い物を贈ればいいってことないの
 私が欲しかったのは・・・」

「欲しかったのは?・・・」
フランクはその先の言葉が聞きたい、というように、彼女の目をみつめた。

「・・・・わ・・私は。・・・
 韓国に戻ってから、自分の望みを叶えるために
 必死になって勉強して、今、小さい頃の夢を叶えたの。」

「君の夢は僕だったはずだ」

「そうじゃなくしたのはあなたでしょ!」 

つい声が大きくなってしまって、ジニョンは周りを気にして、左右を見た。 

「もう一度、君の夢になりたい」 
フランクはジニョンのその怒りに決して怯まなかった。

「無理よ。」 ジニョンは今度は静かに、無表情に言った。

「どうして」

「フランク・・・」 
ジニョンは呆れたような溜息と一緒にその名前を口にした。

「やっと名前を呼んでくれたね」 
それでもフランクはそのことを素直に喜んだ。

「・・・・・・」 彼の輝くような笑顔と対照的に彼女は黙り込んだ。

「待ってたんだ・・・君が僕の名前を呼んでくれるのを」

「いったいどうしたって言うの?急に・・・おかしいわ
 あなた、ホテルに初めて来た時も・・あんなに落ち着いて
 私とだって、ホテルの客と従業員として
 冷静に対応してくれていたじゃない
 だから私も、ホテリアーとして精一杯あなたに・・
 可笑しいわ・・急にこんなこと・・・」

「気持ちを抑えられなくなった・・それじゃ、答えにならない?」

「この前会ったでしょ?彼なの・・・
 私の方からプロポーズした人って・・
 彼も・・受け入れてくれてる・・・私達、婚約してるの」

「君は“違う”と言った」 フランクは冷ややかな表情でそう言った。

「言ってないわ」

「言った。・・・それが君の本心だ」

「わかったように言わないで!」 
小声を意識しながらもジニョンの語調は強かった。

「わかってる。」

「何が?私の何をわかってるの?」

ジニョンの瞳が堪えた涙で潤むのを見て、
フランクは自分も胸を詰まらせているのを実感していた。

「止めましょう・・・こんなところで・・・
 これ以上話しても・・・帰るわ」
ジニョンは席を立ちかけて言った。

「ごめん・・気分を悪くしたなら謝る・・・
 でも帰らないで・・・少しでいい・・・
 君の誕生日に・・・もう少し、ここにいて・・」

ジニョンは動揺を抑えるように胸に手を宛がって、小さく深呼吸をした。

「いいわ・・・でも、もうホテルの外では逢ったりしない。」

ジニョンは、それが自分の本心と、断固とした口調で彼を見た。
 
「・・・外で会うことは望まない・・しばらくの間。」
フランクは、今のこの場に彼女を留めて置くために、そう言った。

「しばらくじゃないわ・・プレゼントももう止めて・・」
 
「わかった・・・ルームサービスももう止めよう・・・
 その代わり・・・」

そう言いながらドンヒョクはジニョンの後ろに回った。

「その代わり・・・これだけは受け取って」
フランクはジニョンの首にネックレスを掛けた。

「困るわ・・こんな高そうなもの」

「やっぱり似合ってる・・・」 そう言いながらフランクは目を細めた。

「高いんでしょ?」

「領収書見せる?」 
そう言ったフランクの笑顔が昔と少しも変わらなくて、ジニョンは
胸を締め付けられるように動揺した。

「・・・いつだって強引・・・」 ジニョンは怒りの表情を崩さなかった。
それでもいつしか自分の声が柔らかくなっているのを、彼女は感じた。

≪いつもそうだった・・・
 喧嘩をして、私がどんなに怒っても、
 いつの間にかフランクのペースに巻き込まれて
 いつの間にか・・私は気持ちを落ち着かせている・・・
 でも・・・昔とは違うのよ、フランク・・・
 もう私は、昔のような子供じゃないの≫

「誕生日・・・おめでとう」 フランクはグラスを差し出した。

彼が差し出したグラスに、ジニョンは自分のグラスをそっと添えて、
泣き笑いのような顔で答えた。「ありがとう・・・」




レストランを後にして、フランクはまたジニョンが固辞するのも聞かず
強引に彼女をアパートまで送った。

「ありがとう・・・君の誕生日を一緒に過ごさせてくれて」

「・・・あ・・ありがとうございます・・それじゃ・・」
ジニョンが車を出ようとすると、フランクは急いで車を降りて
助手席へ回り、ドアを開けて彼女の手を取った。

「部屋の前まで送らせて」 フランクのその言葉に、ジニョンは
返事こそしなかったが、瞳は拒んではいなかった。
フランクは彼女の後を付いて、階段を上り始め、彼女の横に並んだ。

ジニョンは自分が可笑しかった。
フランクと、まるでまた新たな出逢いをしているような錯覚を
覚えている自分を見ていた。


「あ・・ありがとう・・ここなの・・それじゃ」

「こんな時・・・お茶でもって誘わない?」

「フランク!・・調子に乗らないで」

「ごめん」

それでも少し動揺してしまったジニョンがバックから取り出そうとした鍵を
落としてしまい、同時に拾おうとしたふたりの指が触れ合った。

「あ・・」

フランクはジニョンににっこり微笑んで、その鍵を拾うと、
彼女の部屋のドアを自分が開けてあげた。
「さあ・・入って?・・・」 そして、彼女に入るように促がした。

「え・・ええ・・」

部屋に入ろうとしたジニョンが、後ろに聞こえた音に振り返ると
フランクが鍵の束を彼女の目の前で揺らしてからかうように笑っていた。
そして、手を差し出したジニョンの掌にそっとその鍵を落とすと
それまで鍵を握っていたフランクの手が、ジニョンの掌を被って
彼女の手首を掴むと、彼は真剣な面持ちで彼女を見つめながら
ジニョンと共に部屋へと入った。

彼の自分を見つめる眼差しに圧倒されて、彼女はまるで
金縛りにでもあったようだった。


  彼の手が自分の髪に触れる優しさを忘れてはいない

  彼の唇が自分の唇に触れる柔らかさを忘れてはいない

  そうよ・・・いつも恋しくて・・・恋しくて・・・待っていた

  ≪でも・・・≫ 裏切られた悲しみは、もっと忘れてはいない

ジニョンは自分に近づく彼の唇の前で俯き顔を伏せ、拒絶した。

「駄目・・・」

「どうして?」

「できない。」

「僕を許せないから?」

「・・・・・・」

「・・・待ってる・・・」

「・・・・・・」

「おやすみ・・・」


  待っている・・・

  君が僕に心ゆくまで怒りをぶつけてくれるまで・・・

  その怒りが涙となって・・・

  綺麗に洗い流され・・・



      君が・・・僕に戻るまで・・・





 



2010/11/09 10:40
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passion-4.支配

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ジニョンはあの後、電車を二本見送った。
もしかしたら・・・あの階段を下りてあの人が追って来るかもしれない

≪違う・・私はそんなこと考えてはいない・・・≫
彼女は懸命に否定しながら、三本目の電車に駆けこんだ。

≪何を・・・してるの?私ったら・・・馬鹿みたい・・・≫



フランクもまたあの時、階段の上で彼女を待っていた。
彼は無意識の内に銜えた煙草が短くなる経過を
伏せた睫毛の下で追っていた。

そしてもう一度だけ階段の下に視線を送ると今度こそ諦めをつけて
今しがた彼女と歩いて来た道をゆっくりと引き返した。





フランクは部屋に戻ると、さっきジニョンと歩いたたった数分の距離を
何度も思い返しながら、眠りに付いた。
しかしその浅い眠りの中にも彼女は現れた。

  ≪ジニョン!≫

フランクは彼女の名を叫ぶ自分の声で目が覚めた。
そしてそれからもずっと、彼女はフランクを解放してくれなかった。

≪逢いたい・・・≫
一度逢ってしまうと、次に逢うまでがこんなにも遠いものなんだろうか・・・

彼女への想いが膨れ上がって、仕事に要する思考さえも妨げた。


「ボス、エリックから・・」
「レオ・・悪いが、後にしてくれないか」


仕事が何も手に付かなくなっていたフランクはその日のランチを
ルームサービスではなく、ホテル内のレストランで摂っていた。
もちろん少しでもジニョンに出逢う機会を作るためだった。
そして部屋に戻ろうとした時やっとジニョンの姿に辿り着いた。

小さな子供を伴い、エレベーターを待っていた彼女に彼は
呆れるほどの喜びを抑えて、落ち着き払ったように声を掛けた。

「誰かな?」 フランクは彼女が連れた小さな女の子に向かって尋ねた。

「あ・・お客様です」 ジニョンは彼の予期せぬ登場に驚いた顔を隠さず
それでも冷静を取り繕って答えた。

「そう・・・ところで今日は仕事は何時に終わりますか」
「4時に退社です」
「ではその後に観光案内をお願いできますか?」
「あ、いえ・・今日はその後に予定が・・
 総支配人の歓迎会なんです」
「それは何時から?」
「8時です」
「それまでには帰れます・・では、4時10分にロビーで」

フランクは彼女に有無を言わさぬ言葉を置いて
彼女の顔を振り返ることなく立ち去った。

「あのおじさん、お姉さんのこと、好きなのね」
「・・・・どうして?」
「だってわかるもの・・顔にそう書いてある」
「おませね」

ジニョンは溜息をついた。

≪どうしてそんなに勝手なの?
 あなたにはできるだけ逢いたくないのよ・・・≫

フランクの後姿がエントランスから消えるのを、
彼女は恨めしそうに見送った。



ジニョンは更衣室の自分のロッカーの前で着替えもせずに座り込んでいた。
フランクがこのホテルに滞在するようになって、当然お客様としての彼には
ホテリアーとしての最善を尽くすつもりでいたし、しているという自負もあった。

≪でも・・・≫ 彼女はこうして必要以上に、彼と接することで、
自分の心が掻き乱されることに恐怖にも似た憤りを覚えていた。

≪このまま約束をすっぽかしてしまおうかな≫
心でそう思いながらも、ジニョンはいつの間にか着替えを済ませると、
従業員通用口ではなく、フランクの待つロビーへと向かっていた。



≪彼女は来るだろうか≫ 強引なまでの誘いを掛けながらも、
フランクの中にその不安がなかったわけじゃない。 

しかし、そうせずにはいられなかった。

離れていたこの10年もの月日さえ≪僕の中に君が消えることはなかった≫
それを確認するためにここに来たのかもしれない、とフランクは思った。

「お待たせしました」
そう言いながら、ジニョンが小走りにフランクへ向かっていた。
≪この腕の中へ飛び込んで来てくれる≫ フランクのそんな錯覚を
直ぐに打ち消すように、ジニョンは彼の前でぴたりと足を止めた。

「いえ、僕も今来たばかりです・・・行きましょう」
フランクは彼女の先を歩いて、自分の強引な態度に彼女が
顔をしかめていることには気づかない振りをしていた。


ジニョンは、さっきまでの困惑を吹っ切ったように、明るい様子で、
フランクの観光案内に努めた

幾つかの観光スポットを幾分急ぎ足で巡って、最後に訪れたのは
韓国の観光には欠かせない宗廟だった。

アメリカでは見ることができない壮大な歴史がそこにあった。
その佇まいは、フランクの心を簡単に時空を飛び超えさせてくれた
何千年もの時の流れの中で、自分達のこの10年の月日など
ひとつの点ほどもない短さだと思い知ると、こうして思い悩むことが
虚しくもあった。


フランクはジニョンにもらった綿菓子を、手に持て余しながら、
ひとり思い巡らせていた。

「ごめんなさい・・甘いものはお好きじゃなかったですね」
「あ・・いや・・・」

「知り合いにも甘いものが苦手な人がいるんです。
 でも、彼は何故かチョコレートは好きなの。
 しかも高級なチョコでないといけないんですけどね。
 だからバレンタインに贈るのも大変で・・」

「バレンタインか・・・僕はもらったことなかったな」
フランクはポツリとそう言った。

「えっ?」
ジニョンはフランクを不思議そうに見上げたが
彼が自分達のことを言っているのだと直ぐに気がついた。

「ああ・・だって、その日はもう私、韓国に戻っていたから」
ジニョンは簡単にそしてさらりと言ってのけた。
「・・・・そうだった」 フランクも単調に答えた。

「私、凄く好きな人ができて・・・彼に告白したんです
 三年前のバレンタインの日に・・・」

「・・・・・」 フランクは黙って聞いていた。

「それって・・・悪いことじゃないですよね」
ジニョンは急に立ち止まって、彼を睨みつけるようにして言った。

ふたりは向かい合って、しばらく無言で互いの瞳の奥を覗いていた。
少し間があって彼はやっと口を開いた。 「・・・ああ」
フランクは彼女から視線を逸らさず、表情すら変えずに答えた。

「良かった」 ジニョンもまた、抑揚の無い声で言った。

「そろそろ時間ですね・・・お送りします」 
その場に居たたまれなくなっていたのはフランクの方だった。
彼は彼女の自分を突き放すような言葉のひと言ひと言に、
意図も簡単に打ちのめされた。



テジュンの歓迎会の時間が押し迫っていたが
帰り道は渋滞に遭遇し、車は身動きが取れないままだった

「これじゃあ、どうしようもないな・・・
 諦めて食事でもしていきませんか」

「えっ・・・ええ」

ふたりは車を降りると、通り道で見かけたバーガーショップの前に立った。

「いいかな・・ここで・・・」
「ええ・・大好きだから」 ジニョンは満面の笑顔で答えた。

≪知ってるよ・・・だから寄ったんだ≫
ジニョンの屈託のない食べっぷりを見ているだけで、
フランクは心の中で昔の自分達を探し出すことが出来た。
それだけで彼は互いの間に蠢く何かから逃れることが出来た。

「食べないんですか?」
ジニョンは食べ物に手を付けず、自分を見つめ続けるフランクに
怪訝な視線を向けた。

「あ・・ええ、良かったら食べて?」
「私、そんなに食いしん坊じゃないわ」
「そう?」
「大人になったのよ」

「そうだね・・・綺麗になった」 フランクは感慨深げにそう言った。

「ありがとうございます・・・そう言った方が素直かしら」
彼女はそう言って微笑んだ。

フランクはただ無言で微笑を返した。

「・・・・・どうして・・・」 ≪私を置いて行ったの?≫
そう言い掛けてジニョンは言葉を呑んだ。

「えっ?」
「いえ、どうして、韓国へ?」
「・・・・・」

「あ・・ごめんなさい、お仕事だって、言ってらっしゃいましたね」

「違う」

「えっ?」

「そう言ったら?」 フランクはジニョンを切なげに見つめていた。
ジニョンは自分で尋ねておきながら、自分の期待する答えが
そこにあるような錯覚に囚われて、彼の視線から急いで逃れた。

「あ・・雨・・」
「ホントだ」
「そろそろ帰らないと」
「そうだね」

雨脚は激しくなるばかりだった。
フランクは ≪もう少し雨宿りをしていかないか≫と言いたい自分を
強く押し留めていた。
その代わりに、自分のコートを脱いで彼女をその中に包み込んだ。
ジニョンは彼の行動に一瞬驚きを見せたが、小さく笑って、
彼の差し出した布の傘を無下に拒むことはしなかった。

車までの短い距離、彼女の香りがフランクの胸を震えるほどに
ときめかせていた。


「遅くなってしまって・・・申し訳なかったね・・・
 結局・・歓迎会、間に合わなかった」

「大丈夫です・・後で謝りますから」

ジニョンのアパートに着いて、彼女を離さなければならない時間が
徐々に近づくに連れて、フランクは酷く動揺している自分に気が付いた。
しかしその感情を言葉で表すことができないもどかしさがあった。

フランクは諦めたように車を降りて助手席に回り込むと、
さっきと同じようにコートを彼女に差しかけた。
ジニョンもまた、彼のその行動を素直に受け入れた。


ふたりで雨の中を走っていた時、ジニョンが突然足を止めた。
フランクが彼女の視線を追うと、傘を差した男がこちらを凝視して
立っていた。ハン・テジュンだった。

「あ・・・」 ジニョンは思わず声を漏らして、困惑を顔に浮かべた。

「テジュンssi・・・ごめんなさい、歓迎会、間に合わなくて・・
 車が・・渋滞して・・その・・」
ジニョンは自分を弁明するべく一方的に言葉を繋げていた。
テジュンは無言だった。

そしてジニョンは当然のようにフランクのコートから抜け出て、
テジュンの元に足を進めようとした。

その時だった。

フランクはとっさにジニョンの腕を強く掴んだ。
そして彼はその鋭い視線をテジュンに向けていた。

ふたりが掛けていたフランクのコートは既に地面に落ち、
フランクもジニョンもそしてそのコートも雨に酷く打たれていた。

「離して・・」 ジニョンは驚いてフランクを見た。

「離さない」
その時のフランクはジニョンに向かって、たった今まで装っていた
客のベールを脱いでしまっていた。

「どうして・・」 ジニョンの瞳に怒りの色が浮かんだ

「どうして?」 フランクの目も怒っていた。
しかし、何に対して怒っているのか、彼自身にもわからなかった。

ただ怒りが込められたふたりの瞳は絡み合ったまま
しばらく離れなかった。

「離してください」 そこにテジュンが透かさず言葉を挟んだ。

「あなたには関係ない!」
フランクはジニョンの腕を掴んだまま、テジュンを睨みつけた。

「関係ないのはあなたではありませんか?彼女は私の婚約者です」 
テジュンはフランクに向かってきっぱりと言い放った。

「えっ?・・あ・・違う」
ジニョンはテジュンの言葉に驚き、とっさにフランクを見てそれを否定した。
しかし彼女は直ぐに我に帰って、そのフランクへの視線を
また厳しいものに変えた。

「離して!」
フランクはジニョンの激高した声に、やっと自分を正気に戻すと、
強く掴んでいた彼女の腕からゆっくりと自分の手を離した。


テジュンはジニョンをフランクから奪い取るように自分の傘に迎え入れ、
彼女の肩を抱いて、走ってアパートの中へ消えていった。


フランクはその場に立ち尽くしていた。
雨に打たれたまま、そしてたった今、衝動的に起こしてしまった自分の行動の
自分自身への弁明を懸命に探していた。

≪今僕は何をしたんだ?≫




「サファイアの客だな」 アパートの階段を上りながらテジュンが言った。

「ええ」 ジニョンはテジュンの先を小走りに上がりながら答えた。

「どうして」
「観光案内を頼まれたの」
「観光案内?」

「ええ!・・・それより私!あなたといつ婚約したの?」
「お前が俺にプロポーズした時だ」

「はっ・・あの後、何も言わないで私のそばを離れたくせに」

「あの時はそうせざる得なかった」
「そうしなきゃいけなかった?そう!」

「・・・しかし・・俺は戻って来た」
「勝手なのね」

「お前が連れ戻しに来たんだ」
「ホテルの為よ」

「それだけじゃなかっただろ?」
「帰って!」
ジニョンは部屋の鍵を開けると、テジュンを残してドアの中へと消えた。

「おい!ジニョン!」

ジニョンは後ろ手にドアの鍵を閉めて、さっき起こったすべてのことを
急いで自分から遠ざけた ≪みんな・・・勝手なことばかり・・・≫

「オンニ?今テジュンssiの声がしたけど、
 一緒だった?さっき、私送って来てもらったの」

同居しているジェニーが部屋の奥からジニョンに声を掛けた。

「え・・ううん、一緒じゃないわ」

「どうしたの?オンニ・・ずぶ濡れじゃない・・
 オンニ、震えてる」
ジェニーがジニョンの体に触れると、ジニョンはびくりと体を堅くした。

「大丈夫・・雨に濡れちゃって、寒かったの」

「あ・・タオルを・・」
とジェニーはバスルームに向かったがジニョンは彼女を呼び止めた。

「ジェニー・・ありがとう、大丈夫よ、
 このままシャワー浴びるから」


ジニョンはシャワーのコックを回して、熱い水を頭から浴びながら、
左の二の腕をさすっていた。
彼女の白い腕に太い筋状の線が赤く残っていた。
さっきフランクに強く掴まれた時にできた痕だった。

≪離さない≫

この水が体を濡らすよりも深くさっきの彼の声が胸に沁みていた。

≪うそつき・・・離したくせに≫ 涙が込み上げてきた。
しかしジニョンは自分が泣いているとは信じたくなかった。
フランクの為に、泣いたりはしない、泣くはずがない。
≪そうよ・・・これは涙じゃないの≫



≪あいつ・・・≫ テジュンは今上ってきた階段をひとり下りながら、
さっき目の前で起こっていたジニョンとあの客との様子に
ふたりのただならない関係を見ていた。
≪やはり、知り合いだったのか≫

≪私の婚約者だ≫
自分が彼らの前で宣言してしまったことには後悔は無い。
今までジニョンに対して、はっきりとした態度を取れなかったのは、
自分自身の置かれた立場ではジニョンに対して責任が取れるか
不安だったからだ。
今もまだ、総支配人としての立場に就いたものの、これからが
正念場ということは理解している。
だから正直、彼女への告白はもう少し時間を置いてからと考えていた。
しかし、あの男を前にして、テジュンの中に何故かが目覚めた
“急がなければ”と、心が騒いだ。



≪あの男のことは知っていた・・・ソウルホテル総支配人、ハン・テジュン≫
ホテルの経営者も彼らふたりが結婚することを望んでいることも
≪知っている。理性ではわかっていた。
 ジニョンにとってそれが幸せなのかもしれないということも≫
それでもフランクは彼女の姿を追わずにいられなかった。
彼女の、時に見せる変わらぬ仕草に浮かれずにはいられなかった。
そしてあの時、あの男に向かうジニョンの・・・
彼女の手を掴まずにはいられなかった。

≪離さない≫

自分が思わず口にしていた言葉が脳裏から消えてくれなかった。
そして、その時のジニョンの驚きと怒りの目も。
≪いったい・・・どうするつもりだったんだ≫

フランクは思い切り力を込めて彼女の腕を掴んでしまった自分の手を
呆然と見つめながら、自分でもどうしようもないほどの彼女への
思慕を認めざる得なかった。

≪ジニョン・・・ジニョン・・・ジニョン・・・≫
ソウルへ来てからずっと彼女が頭の中を支配して、
開放してくれなかった。

  逢うたびに・・・この想いは膨れ上がる

  逢うたびに・・・また逢いたくなる・・・

  逢うたびに・・・逢うたびに・・・君を・・・

  ・・・離したくない・・・


知らず知らず自分の頬を幾重もの涙が伝って落ちるのを
口に届いた苦い味で確認した。


   ジニョン・・・もう駄目だ・・・

     「もう・・・

       ・・・耐えられない」・・・



























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