2008/06/29 23:55
テーマ:感情と心 カテゴリ:趣味・特技(その他)

オオバギボウシ

Photo

ヨンジュンさんのインタビューを読み、NHKの特番を見て、彼は本当に今回は大きな山を乗り越えた爽やかな気持ちでいたのだなあと思いました。どこでもおおむね同じような内容が語られていました。それが今の彼の伝えたいことで、彼の心の中を代表する言葉なんでしょうね。

身体はまだ癒えていないようですが、目線が上向きで表情が明るかったという印象です。語られた言葉からも自信や余裕を感じることができ、未来の自分、これからの自分が見えているようでした。『太王四神記』の結末には心残りもあったようですし、怪我で思うように演じられなかった自分にふがいなさもあったでしょう。でも、そういう不満足から生じた辛い心を乗り越えて逞しく成長したヨンジュンさんがたくさんのことを語ったんだなあと思いました。彼が自分の変化を自覚しているところがまたすごいと思います。

 

左は先週のAERAのヨンジュンさん。何故かこのちょっとピンボケかなと思える写真の顔に惹かれました。

胸の中にある思いを少しずつ、テナーボイスの穏やかな口調で話されている・・・そんな映像が浮かぶんです。

それから下の2つ、今週のAAERAのヨンジュンさんです。カメラに向ってポーズを決めていない自然な表情がいいなあ~。




 

ヨンジュンさんの写真はブログに入れない私ですが、これらは本当にお気に入りなので特別に・・・。

 

2006年の「GQ JAPAN」の記事を思い出しました。日常を奪われた憂鬱な孤独感、演技をすることの苦しさ、いくらワインを飲んでも開放されない心、眠れない身体、辛くて涙が出る・・・こんな風に語っていました。“ヨン様”という皆が望む自分と自分が思う自分の差にもがいているようでした。

『四月の雪』のインス役、つまり平凡な日常から急にどん底に落とされた体験がそうさせたのかもしれません。身近な人の生死に関わるというストーリーでしたもの。感情を押さえ込んだ表現をしなければならなかったことも一つの要因だったかもしれません。

 

今回はムン・ソリさんをはじめ、周りの方たちが彼は孤独にみえると心配していました。しかし、彼は「孤独は誰にでもあるもの」と言い、

 周囲にすべてを信じて頼れる友人がいるので

と、孤独であっても寂しくないと言っています。これはタムドクという王を演じたことでの彼の変化なんでしょうね。これまでと違って個人的な痛みだけでなく、民の苦しみや痛みも考えて行動をする役を演じたからと自分でも分析していました。広い眼をもって世の中を考えられるようになったということでしたが、辛さを乗り越える手段をいくつか自分のものにしたのかなと思います。また、少しのことでは動じない強い精神力というか、堂々とした王の風格がそのまま彼に身についたようにも見えます。タムドクと自分の共通点を「責任感」であると語ったことからも、それを感じました。

また、いつも言われる“完璧主義”については、「本当の意味で完璧にはなれない」と言い、自分は俳優として欲張りなので“もっと”と求めてしまうのだということでした。自分の力量を超えた欲からおきた怪我、それによって追い詰められた自分を体験して、このような考えにいたったのでしょう。

 

結婚をしたらどんな家庭にしたいかという質問に、「私が幸せな家庭」と言ったということでした。彼でなければ随分とわがままなヤツだって思ってしまったかもしれません。人生は誰のためでもない自分のものですもの、この回答でいいのかもしれません。人間とはについていつも考えている(たぶん)彼だからこその言葉だなって思いました。

 

ヨンジュンさんについて考えていると、下記のようなことをまた考えてします。

人が本当に幸福を感じるのは、自分の能力を活かして満足を得たときである。また、幸福とはそれ自身を直接目的として得られるものではなく、何らかの理想を追求した時に、副産物として得られる。幸福になるということは人間らしく生きていくことで、しかも常により良いを目指して自分を進歩させていくこと。

これはブログのテーマ“HN(ソクラテス)について”にある2007年4月の記事からの引用です。タムドクを演じて精神的に強く、広い視野をもてるように進化したヨンジュンさんのインタビューから、このことを再認識してしまいました。

ただ・・・、こんなこともいつも考えます。私が知りえるヨンジュンさんは彼のほんの一部なのだということです。本当の彼について、彼全体について、彼の心の内側などは私には見えていません。私の描くヨンジュンさんは私の想像の彼であるということです。

 

多くの注目を浴びて、多くの時間をかけた『太王四神記』。彼は途中で投げ出すような人ではないと思いますが、苦しい撮影を乗り越えたことをこのように表現していました。 

 どう克服するかではなく、

 何が何でも克服しなければいけないものでした。

これを読んだ時、私は谷川岳に登った自分を思い出しました。下の写真、霧の中に見える頂、人がたくさん立っているところが“トマの耳”で、私が登ったところです。

 

  

私は運動を苦手とした、筋肉のない人間です。でも、自然を歩くことは大好きなので、トレッキングはよくします。もちろん、日帰りの簡単なコースばかりです。そんな私が3年前に谷川岳に登っちゃったんです。きつかった・・・。

斜面は急で、鎖を使わなければならない岩場がいくつかありました。なんとか頂上までたどり着いたものの、ビールもワインも口にできませんでした。登ったら自分の脚で今度は降りなければなりません。途中、一緒に行った人から遅れ、だんだん他の登山者もいなくなり、空は暗くなるし、手足は痛くなるし、携帯は繋がらないし・・・。泣きそうでした( p_q)。でも、途中でやめるわけにいかないんですよね。何が何でも自分で下までたどりつかなくてはなりません。がんばりました。

ビジターセンター脇に湧き出ていた水の冷たくおいしいことといったらありませんでした。もう、忘れられません。それと、がんばった自分に自信ももてました。

   

夏の山は多くの花が咲いていました。タイトル下の写真はその1つオオバギボウシです。斜面にを見上げるとたくさん咲いていました。このすぐ上の写真はひたすら歩いた帰り道の尾根です。まだこの写真を撮影していたころはそれでも余裕がありました。


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