2008/05/31 22:43
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(その他)

京セラドーム

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明日のイベントの下見ということで京セラドームに足を運んでみました。ドームの周りにカゾクと思われる方々が多くいらっしゃいました。看板の前で写真を撮り、たぶんぐるりとドームを一周されていたのだと思います。ガラス扉向こうには明日の準備をするスタッフの方々がいらっしゃいました。ブロコリのラベンダークマ・マルちゃんのブログにもありましたが階下の車寄せのあたりには人の塊がありました。ヨンジュンさんたち出演者が中でリハーサルをしているということで、出待ちなんでしょうか。

 

私のドーム行きの目的は明日の行動の予定を作るための情報収集です。ホテルからの道順と所要時間、グッズ売り場の状況、自分のゲートの場所、飲食店の状況などの情報を仕入れました。30分もあれば行けるようですが、会場の混雑がどうかですね。入場は多くのゲートからなので並んでもしれていますが、グッズ購入はどうでしょう。ドーム外の売り場が1ヶ所だとしたら、結構混雑するだろうなあ。さいたまの時のことを思い出しました。昼食はドーム周りの階段か南側の公園みたいなところでお弁当がいいかな。

下の写真の右側の幕のところがグッズ売り場と思われます。東口の階段を上がって、さらに3階への右側の階段を上ったところです。3・4ゲートのところかな。他にもあるのでしょうかね。

   

それから明日はイチデジは持ってこれないだろうから、今日ドーム周辺の写真を撮ろうかと思いました。・・・が、なかなかそそられる風景がありませんでしたね。ドームを見上げても。。。o(゜^ ゜)ウーン。ぐるっと一周したのですけど、高い位置ではないので街の見晴らしもよくなく;;;;(;・・)ゞウーン。ようやくであったのが沈む太陽でした。

どんよりと曇っていた空が闇の時間が近づくにつれて雲が去り、ビルの合間に太陽の姿を見ることができたのです。もっと青空が出ているか、雲が茜色にそまればよかったのですが、そんな贅沢は言っていられません。アングルをや露出、角度、測光部などを替えて何枚か撮影。なかなかこれ!っていうのを撮れませんでしたね。いつも自然に助けられているのがよくわかりました。

この左の写真だと人が写っていませんが、左下あたりに看板があり、大勢の方が写真撮影しています。

タイトル下に出した写真は地下鉄ドーム前の駅前で撮りました。だいぶ太陽が沈んで陽光の色が濃くなってきています。それでドームが光っています。

これなら明日も晴れでしょうかね。

もしかしたら夜景のドームがきれいかもしれないから、もう少し待って撮影しようと思いましたが、お腹が空いたので帰ることにしました。大正駅付近には小さな洋食バーとかこじゃれた居酒屋とか、立ち寄ってみたいお店がいくつもありました。ワインかビールが飲みたい・・・というくらい、よく歩いた私です。一人だし、ホテルまでちょっと遠いのでここで飲んだらまずいと思い我慢です。

結局、心斎橋のそごう地下のイートインで翡翠冷麺というのを食べました。おいしかった!今はホテルの部屋でビールの見ながら、吹き替え版テサギを見ながらこれを書いています。

明日はどんなステージがみられるのでしょうか。((o(^∇^)o))わくわくします。興奮して眠れないかも~~~。


2008/05/30 00:39
テーマ:感情と心 カテゴリ:趣味・特技(その他)

彫刻

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NHKの特番「太王四神記スペシャル」のために募集していた“心に残る名台詞”に私が送ったのは次に記す場面です。あまり目立たないんですけど、職人を自負する私には胸が詰まる思いがありました。

兄が17年間命がけで守ってきた神器を自分の手でホゲに差し出してしまった妹パソン。食せず、眠らず、ただ剣の刃を研ぎ続けた鍛冶職人パソン。自分の手を切ってしまおうと思ったが刃のこぼれた剣や斧がたくさんあって・・・とタムドク王に告げた高句麗の民パソン。王様に下記のように言われて張り詰めた糸が急に緩んで涙があふれていました。

 この手はそなたひとりのものではない

 傷つけたら許さない

タムドクは王として民を大切にしましたが、民の持つ知識や技も大事にしたのだと思いました。トップマネージャーとして臣下の能力を見極め、それぞれに適した仕事を配分しています。男女の区別なくです。パソンは他の誰も真似をできない技を持つ鍛冶職のマイスターです。矢や剣だけでなく、タムドクの依頼で高句麗兵士を守る最高の鎧も作り出しました。それを認め、出来上がった物ではなく、それを作り出す技をもった人が必要なのだということを表した王の言葉であったと思います。

不本意な行動をとらざるをえなかった自分を自分で責め、苦しんでいたパソンですから、王に存在を肯定してもらい、さぞ嬉しかったことでしょう。

 

“技(art)”は人が行なう活動です。似たような言葉に“技術(technology)”というものもありますが、これとは別のものでしょう。テクノロジーは近代科学を応用して生まれたいわば“科学技術”と考えられます。それは社会性を持つ反面、人の感情の入る余地のない合理的なものであると考えられます。

アートは人間の経験と知の活動であると思います。科学技術のように法則性が明らかになっていて、誰でも同じように繰り返すことができるものではないでしょう。創造する個人の感情が含まれ、数字では表すことができない揺れをもっているのではないでしょうか。しかも、その幅は無限で、どんな状況にも合わせることができる生きた技です。揺れの振幅量やスピード、方向は技を持つ個人によって違うでしょうから、技の法則を明らかにすることは難しいといえます。だからこそそれを身につけた個人が大切なのです。

人間の感情が表現された技は芸術と言い換えることもできるでしょう。先日、美術館へ行きました。有名な海外の画家の作品が展示されているということでしたので・・・。芸術的な才能とはユングの言葉で言うと、潜在的な心の全体性を意識化したもの、つまり現実化させたものです。自分の自我が認めなければ才能はないと同じだとか。普遍的無意識という共通した部分をもつ人間であるから、現実化された作品を理解する力はどの人間にもあると考えることができるでしょう。でも、私はその画家の絵を見ても何の感情も沸きませんでした~(^^?))(((;^^)?熱心に絵を鑑賞している人、メモを取っている人など作品の見方はいろいろでしたが、私はさ~っと通り過ぎてしまいました。一応、理解する努力のために画家の人となりの解説をがんばって読んでは見たのですけど・・・。

 

人の生活の中に入り込んだ技は多くの人々を幸せにする力があると思います。きっと誰もが簡単に認めることができるのでしょう。“認める”という言動は技を持った人にとっては賞賛になると思います。認めていてもそれを表現してもらえなければ自信が持てなくなります。アートの承認は人そのものの承認ですから。また、承認は生きる糧をも生み出します。

私の職人としての技はどうでしょう。人を幸せにできるものであればいいなと思います。いやいや、そうなれるように自分を磨いていかなくてはいけないのでしょうね。それにしてもタムドク王のような人に仕えたいものです。

 

 

今日の写真は美術館で撮影したものです。感情を動かすことができなかった画家の作品の後、ロダンの彫刻を見ました。ここは楽しかったです。なんでかというと・・・撮影ができたからかもしれません。また、彫刻の間に自分が入り込み、会話をしているような体験もできたからかもしれません。それにしても、悩んだ(考えている?)姿の彫刻が多かったですね。

下の左は美術館のプロムナードに咲いていた石楠花の一種(葉っぱから)です。蕾が金平糖のようでかわいい!右はブルーペリーの実です。人間の芸術作品よりこちらの方が私には向いていると思っちゃいました。私って、絵画や彫刻の才能が引き出されずに成長したんだなあ~~。


2008/05/23 10:23
テーマ:歳月 カテゴリ:趣味・特技(その他)

お酒

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先日、NHKでCHAGE&ASKAのアンプラグコンサートの再放送がありました。『101回めのプロポーズ』の主題歌♪SAY YES♪の大ヒットで超有名な彼らですが、昔はアコースティックギターの弾き語りじゃなかったかな。彼らがヤマハのポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に出場し、その後デビューした時期は私の高校時代です。彼らは当時大学生くらいでした。ちょうど私にとっては年齢がちょっと年上の憧れのお兄さん的な存在でした。また、ポプコンは皆の憧れのステージ。男子生徒の中には学校にギターを持ち込んで歌っていた人もいました。

 

私は高校の卒業式後の春休みに小さなファーストフード店でバイトをしました。ウイークデイの昼間はあまりお客さんもなく、私一人でお店番をしていたことも多かったと記憶しています。当時、お店に有線放送などなく、ラジカセをスピーカーにつなげてラジオ番組やカセットテープで音楽を流したりしていました。当然、ひとりで店にいた時間は自分の好きな音楽を聴くでしょう。そのころにはまってよくかけていたのがチャゲ&飛鳥(昔はこう表記してました)です。

 ♪ひとり咲き♪万里の河♪熱い想い♪マリオネット♪男と女♪ など

放映されたアンプラグコンサートで懐かしい♪男と女♪が流れ、嬉しくなってしまった私です。 

  心の支えは いつの時代も 

  男は女 女は男

  あなたを信じて ささやかな夢 

  積み上げたのは 女の私

http://jp.youtube.com/watch?v=6Gzmcn1dn0Q

20歳前の多感な時期の私にはわかるようなわからないような、でも感情が高まる歌でした。いろんな恋愛を経験してきた現在、歌詞の切なさがより沁みるようになりました。

もっと一緒にいたいのに別れという現実を涙を隠して受け入れる辛さ・・・。このところ私の頭を支配している『四神記』のタムドクとキハまたはスジニみたいでしょ。私にもあったかな・・・。

タムドクとスジニがよくふたりでお酒を飲んでいました。それを見て、自分のことを思い出したりしました

私はどちらかと言えばお酒を飲むのが好きな方です。とりあえずビール!で次にワインが定番のパターンです。多くが居酒屋ですからウーロンハイとかにいく場合もあります。カウンターバーに行くとチョコレートをつまみに果汁の入ったカクテルを飲んだりもします。

30歳前半のころは男の人とお酒飲みながらよく語り合ったもんです。特にひとりの人とは(何人かそういう酒友達っていたんだな)意見の違いからしょっちゅう言い合いのようになっていたと思います。私も決して声の小さな方ではないのですが、その方もでかくて、私たちの会話ははたでみていたら喧嘩に見えたかもしれません。お互いに一歩も譲らないところがありましたからね。アルコール量が多くなると、論理がメチャクチャになってしまい、感情的な自分だけが残って泣きながら相手に訴えていたこともありました。まあ、そういうの嫌いじゃなかったんだと思いますが、男の人とそういうやり取りをしたおかげで今の私があるとも言えます。

自分の考えをとことん聞いてくれる人、どんな形であれ支えてくれる人がいるっていいもんなんですね。今の私は少し寂しいかもしれません(_ _。)・・・シュン

 

しっかし、年齢とともに飲める量が少なくなってきましたね。本日も後輩たちともつ鍋屋に行く予定だけど、一番最初につぶれちゃうかも・・・。実は若いメンバーたちと語り合っている途中で私眠くなっちゃうんです。そうなるともう意見を返すのが面倒で、「そうだね~」と言ってしまうので怒られます。

大勢で飲んでいた場合は2次会はカラオケに行くことが多いです。そういえば、CHAGE&ASKAの歌の中で大合唱しちゃうのがあります。♪YAH!YAH!YAH!♪です。メンバー総立ちになり、リズムに合わせて体を動かし続け、コブシを挙げて(もちろん両手)歌うんです。↓こんな感じです。

http://jp.youtube.com/watch?v=AtLEgAUNfao

O(≧。≦)O ウーン、カッコイイ・・・。イントロのバーン!て音が鳴っただけで興奮する私でした。別に誰かを殴りたいわけじゃないんですけどね。

 

ということで、今日は古いGHAGE&ASKAのCDを聴きながら思い出を書きました。

 


2008/05/23 00:04
テーマ:太王四神記 カテゴリ:趣味・特技(その他)

茜空

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今日も『太王神記』のお話です。あと一つどうしても考えたいことがあったので・・・

タムドクの最後の言葉に注目しています。

 だからもう大丈夫だ

この最後の長いセリフはキハに向って語るように始まっています。途中、チュシンの王として天に答えているようにも思えますが、この「大丈夫だ」はキハに言っていると考えていいんですよね。だとして、何がどう大丈夫なのでしょう。

「だから」は前の言葉をとって「天の力を天に返すから」ということかな。とすると、「天に力をかえすから、もう大丈夫」ということになります。

「天に力を返す」と何が大丈夫になるのでしょう。語りの全文から考えると、人間が天の力に振り回されずに歴史を重ねていくことができるということでしょうか。それは人間が学びながらチュシンの国を作っていくということです。

でも、「大丈夫」がキハ個人に向けての言葉であるのならば、「自分は天を信じるのではなく、人間を信じる。だからタムドクとしてキハのそばにいることができるよ。もう、天と自分を取りあって戦わなくても大丈夫だよ。」という意味にならないだろうか。少なくとも私はそのように解釈したいです。

 

そのあたりを突き詰めたいと思い、6話~17話あたりのタムドクとキハの想いのシーンばかりを拾って、ドラマを観てしまいました。そしたら、もう涙がポロポロでてしまって。。。(*ノ-;*)

撃毬の試合に出場したことで霊廟に謹慎となったのタムドク。抜け出してヨン家に行き、帰って来てヤン王に自分は太子をやめると言うシーンがあります。そして下記のように言います。

 私は愛する人と過ごしたいのです。

宮殿での暮らしをやめてキハと共に過ごしたいということです。また、その後キハも霊廟でヤン王に同じことを話します。ヤン王は二人の同じ想いを理解していても、チュシン国のためにそれはできない、阻止しなければと思っています。

 ふたりで遠くに行って幸せに暮らせといってやりたい

このように言った後にチュモ剣を自分の胸に刺します。これはタムドクとキハの縁を切ろうとしたヤン王の命を張った行動だったんですね。キハに濡れ衣を着せる事でタムドクからキハを離したのです。天のために・・・。王の苦渋の策は見事に成功と言えます。でも、父親としては本当はキハとの幸せを優先したいと思ったでしょうね。

   

タムドクの子を身ごもったと知ったキハ。初めはとてもうれしかったと思います。チュシンの王の子ではなく、人間タムドクの子です。ふたりが結ばれたのは難民村で本心を語った時ですもの。チュシンの王、朱雀の守り主という天の運命に逆らって幸せに暮らそうとしていたふたりにできた子。

でも、天に翻弄された人々によってふたりは引き裂かれ、キハはタムドクに利用されて捨てられたと思ってしまいます。

 私が望んだのはあの人だけ。それが罪なの?

自分の意思で生きていけないキハは自らの命を絶とうとしました。でも、それは天によって止められてしまいます。そう、タムドクが王として自覚しはじめていたため、彼の子は王の子であり、キハは自分の命を絶つこともできませんでした。

 

キハはスジニのように自分の気持ちを素直に表出することができません。運命がそうさせるのでしょうか。それでもキハを信じたいと思っていたタムドクでしたが、誤解の積み重ねから17話でとうとうキハに「思いは消えた。」と言って二人の間を断ち切ってしまいます。辛い・・・。この後のキハの行動は子のために生きようと態度を変えていますが、それは黒朱雀のようでもありますね。大神官を殺したり、ホゲの心を利用したりと、母親としてのなりふり構わない行動のようにみえるからです。

 

タムドクはキハに裏切られたと何年も思って生き、スジニを女性としてみるようになっていきました。ところが最終話でキハが自分の子供を産んでいたと知り、キハのことをまた考えたのではないでしょうか。難民村で結ばれた時の子であることは、容易にわかったはずです。だとすると、彼女の本心がふたりで幸せに暮らしたいということであったのだとタムドクが気がついたということはないでしょうか。キハは大切に子をお腹で育ててきたということになります。それなのにキハを突き放し続けてきたタムドク。自分のためにキハが苦しんできたことを察したのでしょう。

タムドクは昔のふたりの思い、つまり振り向けばそこにいて欲しいと願ったあのころの、天の運命に逆らってでもふたりで幸せになろう」としたあの時の気持ちで生きることができるよとキハに言いたかったのではないでしょうか。また、「今はキハを信じることができるよ、もう悲しい想いをすることがないよ」・・・そんなことも“もう大丈夫”には含まれているように私は思いました。

 

ふたりの気持ちを追っていたら、タムドクが両目から涙を流しながら語ったシーンにようやく私も胸が詰まり。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。。また、キハに「よかったね。」「辛かったね。」「がんばったね」って声をかけたくなりました。

それにしても、ムン・ソリさんのキハはすばらしいです。

今日の写真は天(?)です。

上のは池袋の西武池袋線の改札を出たあたりで撮影した夕焼けです。ビルの間から見えた茜空。闇が左上から迫りつつあります。

次のは近所の川で撮影した朝です。闇に太陽の光が差し込まれつつあります。

左の写真は飛行機からみた富士山です。私の撮影ではなく、長崎の友の撮影です。

天とは空にあるわけではありませんが、このようなきれいな光と闇を見ると、空から天は人間を見ているのかもしれないなあと感じてしまいます。飛行機で空に行ってもまたその上に空がある・・・。天はもっと上?


2008/05/20 23:05
テーマ:太王四神記 カテゴリ:趣味・特技(その他)

紫蘭

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『太王四神記24話』を昨日観ました。とても辛い最終話でした。特に、コムル村が襲われ、飴売りのおじさんが右往左往しながら大声で泣くシーンと、フッケ将軍が勇壮なタムドクを誇らしげに観ながら倒れていくシーンはボロボロと涙がこぼれてしまいました。

でも私、ラストのタムドクの言葉を理解するのが難しかったんです。

  やっとわかった。私のすべきことが・・・

この言葉からタムドクは語りをはじめています。“チュシンの王の意味”がわかったのだということなのですが、なぜこの時にわかったのか。タムドクの心理過程がうまく私の中にイメージできなくて悩んでしまいました。タムドクが両目から涙を流しながらたくさんのことを語ったのに、私はそれについていけなくて・・・(_ _。)・・・シュン。

 

様々な方の見解をブログや公式で見ました。なるほどと想像を膨らませることができました。それをヒントにしながら、録画した24話をもう一度観ました。また、最後のタムドクの語りを一時停止させながら書き取って理解しようとしました。疑問も多いし、かなり私の勝手な解釈ですが、なんとか言葉にしてみます。

 

戦いの前までで、ちょっと気になっていたのは、とにかく地図を眺めているタムドクが多いなということです。兄弟としてまとまりつつあった国々がぶつかりあってきたことを寂しく思っているのかなと考えました。

 

4つの神器と王の血(心臓?)を神檀樹に揃えると天の封印が解けるということでした。「封印が解ける」とはどのようなことが起きるのか理解ができませんでした。しかし、解けるとどうも天の力が人間に授けられるようなニュアンスは感じました。だから、火天会はそれらを集めようと必死になっていたのでしょう。物と血があれば天の力がもらえるのか?天というのはそういうものなのかなあ・・・という疑問がありました。神器よりもその守り主、血よりも王としての能力じゃないのかというのが私の思いです。でもそれじゃファンタジーにならないかしらん。

 

ホゲはなぜあんなにあっさりとタムドクの矢で殺められてしまったのでしょう。ホゲはもっと強いはずです。その後のタムドクの呆然と戦いを眺める表情の意味と繋がる何かがそこにはありそうです。タムドクは戦いを軽蔑しているような顔でした。

いろいろな記事でその解釈のヒントとなることを読みました。二人が戦っている時に、タムドクはホゲからヤン王は自害であったことを告げられたということです。ホゲが天の力を得たいと願うのは、キハがいてこそなんですよね。ところがキハはタムドクと共に死ぬことを選択しています。そう告げられちゃっていますもの。キハを助けるためにホゲはタムドクにわざと討たれた・・・。そうかもしれない!そうだとすると、この時にタムドクは相当な衝撃を受けたでしょう。天の運命ではなく、自分のために生きようとするホゲとキハが私は悲しく、でも愛しく思えます。タムドクもそう思ったかしら?

 

 

キハは4つの神器を神檀樹に並べながらタムドクとの想い出を回想しています。キハが考えていたことはなんだったのか・・・。7話の難民村でのシーンに何かヒントがありそうに思って、録画を見ました。あの時、タムドクから

 お前の本心が知りたい。朱雀は天からの運命。私のせいで苦しむな

とキハは言われます。それに対し、

 書庫で初めて声をかけてくださった時、私の心臓は高鳴りました。

と告げタムドクと一夜を明かします。さらに翌朝の手紙に下記のように残しています。

 あなた様とこの世を生きた後、天罰を受けます。待っていてください。

これ以降すれ違ってしまう二人。というより、タムドクの心が離れていってしまいました。キハはずっとタムドクのことが好きだったし、天の運命でなく、人間として一緒に生きたかったのだと思います。彼女は朱雀としての運命なんかどうでもよかったのでしょう。彼女にとって“天と戦う”とは、朱雀としての自分を亡くし、タムドクをチュシンの王にしないことだったのかもしれません。

 

アジクの血が4つの神器に触れ、チュシンの王が神檀樹に現れたことで天の封印は解けたようですね。火天会の大長老が「取られてたまるか!」という勢いでタムドクに向って飛んできましたが、天弓の光、つまり天の力で一撃されちゃったのですもの。石の塔みたいなやつも光ってましたねえ。

タムドクはチュシンの王として黒朱雀になったキハを殺さなくてはなりません。それはチュシンの国を造り、守るためなんですよね。でも、タムドクはしませんでした。チュシンの王として黒朱雀を討つ行動と、人間タムドクとしてのキハへの想いを天秤にかけて決断したように感じます。

 お前を信じきれなかった。キハすまなかった。

こう言ってタムドクは天弓を折ってしまいました。そして、チュシンの王の果たす役割りは、天の問いに答えることであるとして、下のように言葉を続けています。

人間は誰でも過ちを犯すが、それを悔い改めて知らないことを学ぶものであるということを天に伝えたい。

「自らの力で生きられるのか。それとも天の助けが必要なのか」

私は人を信じる。いつか必ずチュシン国は造られる。私の見果てぬ夢は後世の誰かがかなえてくれる。

この部分がこのドラマの言いたかったことであるというのはよくわかります。この後、タムドクは光の中に入っていきますが、私は死んでいくのではなくて、天に力を返しに行く行動であったのだと思います。「後世の誰かがかなえてくれる」というのは、自分はやめたから他の人ということではありません。人間は学びながら成長していくのだから、その変化でいつかチュシンの国、つまり平和な世の中ができるだろうという意味ですよね。天の力を使って一気に人間の世界を支配・統括すべきことではありません。キハの言葉を借りると、人間の暮らしに天の干渉をさせないということでしょうね。

私がこのように考えたのは、その後の解説があったからです。

高句麗を建国したチュモ王の父は天帝で、母は水の神の娘だった。

高句麗のはじめは天の力が授けたヨチヨチの人間であったということでしょう。歳月によって、人が成長できたかどうかを天は19代のタムドクに問うたということではないでしょうか。これからも人間はがんばれるか、天がないと暮らせないのかということを・・・。それに対してタムドクは、「天に引っ張ってもらう必要はない。後ろで見守っていて欲しい。」と言ったのかもしれません。

    

長くなりました。今の時点で私が考えていることはこのようなことでした。

今日の写真は紫蘭です。花言葉は「あなたを忘れない」「互いに忘れない」なのだそうです。タムドクとキハを思って・・・

それかれ、先日掲載したみかんの花に実がついていたので撮影しました。これからも成長していくみかんを見守りたいと思います。

 


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