2008/05/15 13:39
テーマ:自然 カテゴリ:趣味・特技(その他)

路傍の草花

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今日の写真は今朝の散歩途中に撮影した空き地です。名前なんてわからない雑草たちがたくさん生えていました。朝日にキラキラと輝いてきれいに撮れたかなと思います。

最近撮影した空き地や道端の花をPicasaでWebアルバムにしました。ブログに載せたものがほとんどですが、他のものもあります。スライドショーで大きくみれますので、よかったらご覧ください。

http://picasaweb.google.co.jp/sakanoueojarumaru44/ZePPFL?authkey=qCAfkWUgppI

 

『太王四神記』には屋外、とくに大自然の風景がよく出てきました。陽光と自然の美しい映像が私はとても楽しみでした。駆馬隊の姿もただ勇壮なだけでなく映ったし、超広角の平原はその広さが際立っていました。感情的場面では斜陽や逆光が情を増す効果があったと思います。私が一番印象的だったのは、ホゲとの戦いの時の落ち葉です。クルクル、ハラハラ舞う葉がなんともステキでした。


2008/05/05 13:48
テーマ:自然 カテゴリ:趣味・特技(その他)

クローバー

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空き地に咲く花に注目しながら歩くようになったら、アスファルトやコンクリート隙間や路地裏に咲いている花が気になるようになりました。大抵は名前がわかりませんが。下の2つはあちこちで見かけます

一番目につくのがクローバーとカタバミですね。似たような葉っぱをしていて、子供のころはカタバミで“四つ葉のクローバー”を探したこともあるかもしれません。クローバーの葉はハート型ではないんですね。イラストとかで描かれているクローバーはハート型になっていることが多いようです。その方が幸せを呼ぶ葉にみえるからでしょうかね。

カタバミは黄色とピンクを見かけます。花弁にピンクの花ははっきりとした線が入っていて、輪郭がくっきりしてきれいだと知りました。顔を近づけてじっと観察したからこそわかったことです。

とても小さな黄色のカタバミと思われるものも咲いていました。葉も小さくて緑に赤茶色が混じった色をしていました。

下は今年の私の手帳です。ハート型のクローバーになっています。まさかカタバミを描いているわけじゃないよね。

   

2つは葉の閉じ方(就眠運動というとか)が逆だということでした。カタバミは広げた傘を閉じるように茎側に葉が閉じられ、クローバーは表を見えなくするように上に閉じられていくとか。ヘぇ・・・

地面に這っていたら、もっともっと小さな草花に目がいくようになってしまいました。マクロレンズ機能を使ってミクロの世界を覗いた写真が楽しく思います。新しいIXY910ISクン、結構やるなあ。

そして究極!我が家の玄関前の石(レンガのような)の隙間に生えていた草が右です。小さすぎてピントが合いません。花の直径は2mmくらいでしょうかね。

通常なら邪魔な雑草とホイホイ抜いてしまうものです。埋もれている下の土から芽を伸ばしてきたんですね。イヤー逞しいです。

この花の名もわかりません。葉(?)は絨毯のように広がって生えていました。多肉のようにも見えます。花1輪が約5mmくらいかな。

外の世界を入れない写真にしたら、地球じゃないような不思議な世界に見えます。

それにしてもマクロ撮影の楽しみを知ってしまった私。まだ、IXYのマクロ機能で楽しんでいますが、いつか一眼レフ用のマクロレンズが欲しくなっちゃうかもしれません。そしたら小さな虫とか、肉眼ではよくわからないミクロの世界を体験できるでしょうね。

タンポポの綿毛は細い糸のように見えます。ミクロの美しい世界は自然の作り出した美ですねぇ。


2008/04/27 20:26
テーマ:自然 カテゴリ:趣味・特技(その他)

水滴

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フランスの安楽死問題をニュースで知りました。難しいですね。「国の法として認めて欲しい」「認めることはできない」ということでした。病で辛い方が単に死を選ぶ権利というのとはまた違うんだと思います。自殺ではなくて、安らかに死が迎えられるように何らかの技術を講じることが許されるようにして欲しいということなんですよね。“他人の手が加わる”という意味においては基準を設けなければならないわけですから、立法としては困難になるのでしょう。

私はこれを聞いて、何かモヤモヤしたものを覚えました。この中に「どう死ぬのか」ということの議論を感じたからなのかもしれません。生命はいつか終わりがきます。人間であるのだからその終わり方を議論することがあっても確かにいいと思います。でもその前からの繋がりである「生き方」に視点をおいて考えてもいいんじゃないかなと思いました。つまり、「どのような生き方をするか」なんです。

辛い時間が耐えられないから命を終わりにしたい、その権利が欲しいというのではなく、辛さを緩和し、安楽に生きる方法を考えて議論するってのはダメかなあ。その結果、もしかしたら命が短くなることはあると思います。それは積極的な死なのではなく、自然に添ったものであると考えられないでしょうか。技術は人が生きることを手伝ったわけで、死に加担したのではないわけです。

  

ギリシャの哲学者アリストテレスは存在するものを「自然によって存在するもの(自然物)」と人間の技術によって存在するものとを区別したそうです。万物は四元素(火、空気、水、土)からできていて、自然物とは「それぞれ自分の内に自分の運動と停止の原理を持っている」のだと言いました。つまり、自然のものはその原理によって動いたり止まったり、増減したり、変化したりするということです。その原理は合目的性があると考えられ、自然界を観察をして法則を探すという科学が発達するようになったのです。

人間の意図とした技術によるものはその原理がなく、運動(生成)はそのものの外にあるということです。しかし、技術は自然と独立するものではなく、自然が完成できないものを仕上げて真似るものだとアリストテレスは考えたそうです。

 

原理を探るのに事象の全体を見るのではなく、要素をどんどんミクロに分解して見ることがいつしか科学になっていったと思います。その結果、いろんなことの全体がわからなくなってきているかもしれません。いったい何を知りたくて科学しているのか、このミクロの世界は全体のどこにつながるものなのかがわかりにくいのです。そのことが自分の位置をも確認しにくくしたと言うか・・・。その反省からなのか、最近ホリスティックという言葉が流行ってきています。

holistic”は“holism”の形容詞化ですかね。これはギリシャ語の“holos(ホロス)”が元とか。日本語でいうと“全体論”という意味だそうです。ホリスティックを検索すると、「ホリスティック医療」とか「ホリスティック教育」とかが出てきます。

【全体論】全体は部分の総和としては認識できず、全体それ自身としての原理的考察が必要である。(広辞苑より)

現実に起こっていることを要素を分析して考え、次にバラバラなものを集合させてもそれは最初の現実ではないということです。つまり単純に1+1=2ではないということです。3人寄れば文殊の知恵というのは意味が近いかもしれません。

 

人間の身体についていうと、調子が悪いと自覚したとして、その原因を様々な検査で探ったとします。そして血液検査で貧血があるとか、腎臓に関連するデータが正常値より外れているとか、レントゲンで影があるとかの結果がでたとしましょう。だからといって調子の悪さはどこか1つの臓器が悪くなったからおきている症状ではないということです。身体全体でおきている症状なのです。

人間は実に多くの物質とそれぞれが行なう機能が絡み合って生命体としてひとつなのです。内外とのバランスをとるために複雑なシステムを留まることなく働かせています。システムがバランスよく働いていることが健康で、バランスが崩れたのが病かな。死はシステムが止まってしまったということになるかも。また、生と死はそれぞれが別のものではなく、絶対に切り離せないものだと思います。

 

全体論と要素還元論のどちらかが正しいとか間違っているとかはないと思います。だからこそ、いろんな意見があるのですが、生命の存在を考える時に、“死”に注目して考えるのではなく、生の続きとしての状態で考えてもいいかなというのが私の思ったことでした。人の技術を生命が自然に存在できるように使用できるといいなとも思いました。

上の水滴の写真は左のスズランの葉についていたものです。雨上がりで光っていたそれがきれいだったので、そこに注目!

それにしても相変わらずどのように撮影したらよいのかわからない花です。

余談ですが、アリストテレスの四元素とテサギの四神を結びつけて考えてしまいました。火が朱雀、水が玄武、空気(風)が白虎でどうでしょ。ただ土が青龍でいいのか。木とか森とかの神、つまり大地ということであれば合うのでしょう。でも雲となると違うのかなあと・・・。

古代からある神話は自然の原理を象徴にしたものでしょうから、以外と似ているのかもしれません。


2008/04/21 13:57
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スイートピー(かな)

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雨や曇りの空が続いていましたが、今日は久しぶりの晴天。朝の散歩にカメラを持ち、1時間ほど歩きました。犬も途中道草して止まりますが、今日は私の方が止まる時間が長く、犬はきっと嫌になったでしょうね。

毎日同じ場所を通っても、季節によって雰囲気が違います。春から初夏になろうとしている今、花や緑が街を装飾して華やかです。また、時間と共にどんどん植物は変化しますから、1日として同じ表情の景色がありません。そんな変化を楽しみながら散歩や通勤をするのが私流です。そして、出会った景色を写真に収めるのが私の趣味なんですね~。同じ時は二度と来ないのですから、同じ風景には二度と出会えないと思っていますから・・・。

 

定点撮影とでもいいましょうか。似たような場所で何回も撮影しているんですね。下記の二つの写真、左が4月5日、右が21日の撮影です。桜がすっかり新緑に変りました。ちなみにここは近所にある結婚式場です。

左の写真は秋に撮影したものです。桜の葉は赤く、少し落葉していますかね。撮影時間は同じくらいだと思いますが、日の出が遅いので光のあたり方が違います。

いずれにしても青い空をバックにするととてもきれいにとれます。写したいものがくっきりと写ってくれるます。晴れている日は撮影したくなります。

 

下は通勤途中に撮影したものです。なぜかこの場所は何度も撮影しています。レンズの方向や角度などで若干アングルが違いますが、同じ場所ってわかりますか?この場所の何が私を惹きつけるのかわかりませんが、つい自転車をコ漕ぐ足が止まる時があります。

  

 

 


2007/11/19 09:33
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草(追記)

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昨日東京に吹いた風は気象庁から『木枯らし1号』と認定されたようです。“木枯らし”とは晩秋から初冬の間に吹く風速8m/s以上の北よりの風のことをいうそうです。地球温暖化問題が叫ばれている近年、このようなニュースは季節がいつもと同じように変化していることを実感させてくれうれしくなります。

木枯しは『凩』とも書くようです。日本で作られた字だそうで、木を揺らす風という意味からきたのでしょうか。うーん、日本人ならではの季節ネタの言葉です。好きだなあ~~

 

こうなると我が家もストーブ登場です。寒さには暖をくれるものがなければ生きていけない・・・

最近購入した『自然力マガジン・WATER』という雑誌は自然と人とのつながりを考えるものです。そこに温暖化する地球を乗り切るサバイバル術という記事がありました。漫画もあってわかりやすく面白い内容です。

記事内容を要約すると、とにかく適応能力をつけるために小さいときから自然に触れることであると理解しました。人間の身体機能の多くは3歳くらいまでに基礎ができます。そういう意味で“三つ子の魂”は大切でしょうね。

 

エアコンという快適環境のもとで成長した人は自らの体温調節能力が発達しません。うまく汗をかくことができず、夏には熱中症になりやすいということでしょうか。この病気、昔はあまり注目されなかったかな。熱射病くらいはあったかもしれません。また、快適環境生活は寒さから体温を保持する力も衰えてしまいます。

アウトドアでの遊びから風・水・火などの力の恐さを体験することができます。それは自分を害するものからの備えを学ぶということです。きれい・汚いや危険・安全が何かは必ずしも目に見えるものではありません。自らの感覚を使って察知していかなくてはなりません。いつでも誰かが守ってくれる・・・では生きていけないのです。自然と触れ合って五感を磨くことがより良く生きることなのでしょう。

 

今年はインフルエンザの大流行の予感?大きな生物は小さな生物に滅ぼされるのではないでしょうか。私のブログ「夕焼け」の中にもちょっと書きましたが、小さな生物、つまり細菌やウイルスといったものは環境に適応してすぐ自らを変化させます。感染症から自分の身体を守るのは予防接種や殺菌剤・・・ではないと思います。やはり免疫力、抵抗力、体力という基本的な力でしょう。

何かに侵害された時の身体の変化はブログ「初冬の欅路」で書いたヨンジュンさんの怪我の変化と大差ありません。どこが侵されたかの違いです。自らの身体を修復する力をどのくらい持っているかが大事ということになります。『WARTER』の記事は“医食同源”を強調しています。薬がなんとかしてくれるのではなく、適応能力の高い身体をつくる暮らしが大切ということでしょう。

 

今日の写真はアパートが壊された空き地に生えていた草です。よく見る草なのですが名前を知りません。よく見るということは、適応能力の高い草と私は思いました。雑草という分類は人間に役に立たないという意味であまりにも人間勝手です。名前を知っている方がいたら教えてください。

下記はがんばっている草木の写真です。

岡山城の石垣

雲仙の溶岩

 

そういえばテレビで、利尻山の頂上付近で風に飛ばされそうになりながら咲いていたひなげしを見ました。根っこ1本で岩に着いているだけですが、子孫も残している草です。ナレーションでは他との生存競争に負け、ここでしか生きられなかったと。でも、ここで生きる力を獲得したとも言えます。

『WATER』のあるコラムに書いてありましたが、二酸化炭素が増えて地球が温暖化するのは植物にとっては好都合なのだそうです。

 

【追記】

MSNニュースのコラムに「溶けゆく日本人“快適の代償”」という特集がありました。自分のメモのつもりでここにそのURLを貼り付けます。

http://sankei.jp.msn.com/column/5241/clm5241-t.htm


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