チビチュムチとチビガンダム
ヨンジュンさんについて掲載された雑誌が次々発売され、NHKのスペシャルもあって、ブログに記したいことがいろいろ浮かぶのですが、できない!!持ち帰りの期限切れの仕事があり、ブログの文章を考えてまとめている時間がないんです。
とりあえず、今日はそんな切羽詰った気持ちをこんな写真を撮影することで緩めてみました。チュムチがガンダムに銃を向けられておののいているという設定です。
ガンダムはファーストシリーズが大好き!最終話は涙ものですね。シャアを守って亡くなったララーに「ニュータイプは争うものではないでしょ」と言われたアムロ。要塞が崩れていく時、
みんなが見えるよ・・・
ボクにはまだ帰るところがある・・・
そう言って必死で脱出して、ホワイトベースで待つ友たちの元に戻りました。両親を失ったアムロにとって、ホワイトベースで共に暮らす仲間が家族のようです。
実は知らなかったのですが、私の街はおもちゃが有名なんだそうです。数年前にバンダイホビーセンターというのができてそれを知りました。そういえば田宮模型にラジコン用のレースコースがあるんですね。昔、レースをテレビ中継した番組があったような・・・。先月には40年以上も続いているというホビーショーがあったようです。県外からも多くの人がみえて、随分混雑していたみたいです。
まあ、私はファーストガンダムが好きですが、そういうおもちゃには興味ないもんで。この写真のチビガンダムは父が犬の散歩中にどうも拾ったらしいです。かわいかったので捨てずに置きました。チュムチはヨン友にいただきました~~。こういうぬいぐるみ系は好きなんですよね~。
出演の二人にカメラ目線をしていただきました。撮影現場は自宅机上、パソコン前でした。
足長蜂の巣
なんと我が家のベランダに蜂の巣がありました。軒下ではなく、窓のレール下です。落ちた洗濯ばさみを拾おうとして偶然目にしました。しゃがんだ瞬間、視界に虫の色が見えたのでふと目をやったら、蜂がこちらを向いていたんです。こんなところ覗き込まなければわからないですよ~。
そういえば毎年ベランダで蜂を見かけてはいました。今年もブンブンしているなと思ったのですが、まさかここに巣があるとは・・・。止まっている姿からは想像できないほど、飛行している姿は大きいです。どうも足長蜂のようです。
一匹が一所懸命巣を繕っています。女王蜂なんでしょうか。時々巣を離れるのでその隙に巣をアップで撮影させていただきました。
部屋は15室ほどのちいさなものですね。きれいな六角形をしています。細い素材で編んだような、風通しのよい夏向きなお宅です。ちょうど和紙みたいですね。どのくらいの時間をかけてここまでされたんでしょう。 中には幼虫が何匹かいました。真ん中から造り始めるから、そこが一番早くに生まれた子なんだそうです。幼虫の見えないところは卵があるのかな?この幼虫が大人になったら、もっと蜂がブンブン飛びかうようになるってこと? ∑(゚◇゚;) ゲッ!どうしましょう。駆除すべきなんでしょうか。 |
足長蜂はミツバチよりもおとなしいのだそうです。攻撃しなければ襲わないとか。肉食で小さな虫を食料にしているということです。庭の蟻とかナメクジとかを食べてくれるのかと思うと大事にしたいですね。これからたくさんの虫が出現する季節ですもの。
でも、ベランダにあるというのが困りましたね。洗濯物や布団を干す時、蜂の行動と衝突しないでしょうか。そのために刺されたりしないでしょうか。刺されるとアナフィラキシーショックをおこすことがあるようです。(以前刺されたことがあるかどうかですけど) 巣が今の状態であれば部屋が15なので蜂は最大で15匹ということなのかしら?成虫になった蜂が雌だったら、また卵を産んでドンドン増えて、巣も大きくなるのかしら? |
うまく共存できるだろうか心配です。刺される可能性があるので、まだ巣の中が幼虫のうちに駆除した方がいいのかなあとも思います。私だけでなく母がいますから・・・
駆除は親が巣を離れているうちに取ってしまえばいいのかな?
月あかり
ここ数日、実に眠い・・・( - _ゞ 。パソコンに向かって大好きなヨンジュンさんを見ようとしても、職場の昼休憩中にみんなとしゃべっていても目が閉じてくるんです。女性特有のホルモンサイクルのためなのか、単に脳が休息を要求しているのか・・・。眠いときに眠れるのは、食べたいときに食べるのと同じくらい幸せな気分になれるものです。
睡眠を広辞苑で引くと下記のように書いてありました。
動物のからだの動きが静止し、
外的刺激に対する反応が低下して意識も失われているが、
容易に目覚める状態。
周期的にくり返し起こる。
脳波の変化を伴い、生命維持に不可欠な現象。
睡眠とは不思議な現象です。生きていくためにわざと意識をなくしているってことですね。脳が創り出す積極的な脳の休息なのだそうです。もちろん、呼吸や心臓が止まったら生きていけませんから、眠らない脳もあるわけですけど・・・。
休息するのは大脳です。だから意識はなくなるんですね。脳が発達した動物だけが睡眠という時間が必要なようです。虫は眠らない?動物によっても睡眠の質や時間が違うようで、天敵に襲われやすい草食動物は立ったままの浅く短い眠りで、肉食類はゆっくりした眠りのようです。人間に眼球が動いたり夢をみたりという浅いレム睡眠と、微動だにしないふか~いノンレム睡眠とがありますが、草食動物はレム睡眠だけなのかなと思っちゃいました。それで休まるの?
意識をなくすような休息時間は何のために必要なのでしょう。脳は体のいろいろな働きを監視し、全体としてバランスがとれた活動ができるように全身へ指令を与える臓器です。活動し続けて休まないと、その情報処理能力が悪くなり、エラーがおきてしまうようです。また、無理して働かせると歪んだ活動から病気にもつながるとか。だから、眠れないってことはうまく生きていけないってことになります。よく眠れる私はすごい!
睡眠を途中でやめたり(目覚まし時計でおきるとか)、眠いけど我慢して起きていたりと、覚醒は自分の意志でできます。ところが、今から眠ろう!と思っても眠れないことがあり、意識をなくすのは自分の努力ではコントロールできないものです。不思議です。
広辞苑に周期的におこるとあるように、睡眠と覚醒にはリズムがあります。概日(日内・サーカディアン)リズムといわれるものが体にはあって、眠くなるのはそれに関係しています。海外旅行でそのリズムが崩れた状態を時差ぼけといいます。
人間の体には睡眠と覚醒以外にも概日リズムをもつものがあります。体温やある種のホルモン(代表的なものは成長ホルモン。だから寝る子は育つ!!)です。どうも、それらいろいろなリズムはそれぞれ固有にリズムをもっていて、光、体を動かすこと、食事すること、はたまた時計をみることなどの影響を受けて、うまくかみ合った状態になっているそうです。同調といいます。
睡眠と覚醒のリズムは同調させる光などの影響がないと、25時間のリズムになってしまうそうです。なんで?太古からこの地球の1日は24時間だったんじゃないでしょうか?
「満月が大きくみえる―体内時計が発振する暮らしのリズムー」(著:平澤栄次)というブックレットに、月のリズムが生物の時計に影響しているのではと書かれていました。概月リズムです。潮の満ち引きによる様々な動物の子孫繁栄に関する大きなリズムはよく言われています。それをもっと細かくすると、実は月が地球を一周するのが25時間だとか。うへ?太陽じゃなくて月のリズムなの?( ̄△ ̄;)エッ・・?わからなくなってきた・・・
地球上に棲むものは太陽と月の両者の影響を受けて生活しているということでこれ以上考えることをやめました。
このブックレットのタイトルですが、満月は写真で撮るより人の眼には大きく映って見えるということのようです。確かに・・・。満月の光は半分である上弦または下弦の12倍であるとか。そういえば影ができるほど明るくなります。今日の写真がそれです。昨年の中秋の月で、私のブログ1号の写真の数時間前の写真です。ベランダから撮影しています。ベランダの柵の影が下のほうにできているのがわかりますか?
ところで、現代社会は電気があったり、夜でも活動したり、地球の自転に逆らって移動したり・・・と、リズムを乱す状況がたくさんあります。人間がうまく生育しないのも、ストレスから回避できないのもそのためかなあ。やっぱり人間の脳が創り出した便利な世界は棲みにくいってことだわさ。
チュニック
1990年代、バブルの頃着道楽といわれた私。若かったこともありますが、給料の多くを洋服につぎこんでいました。当時好きだったのはフリフリのワンピースかスカートです。赤、ピンク、オレンジ、ラベンダー、紺、黒、白・・・と様々な地色に、花、チェック、無地、ドット・・・と柄も色々でした。素材もデニム、ポリ、レーヨン、綿など様々で、レース、フリル、ギャザーが必ずといっていいほど付いていました。考えてみると華やかなスタイルでしたねえ。そんな洋服たちは現在箪笥で眠っています(∪。∪)。。。
職場に行くと作業着に着替えますから、通勤はどんな服でもOKなんです。フリフリスタイルの頃はバス通勤でした。学生やサラリーマンのモノトーン色の中、私は結構目だっていたかもしれません。今は自転車なのでパンツスタイルが定番になりつつあります。3段にギャザーの入った丈の長いスカートは車輪に絡み付いてしまって無理ですね。
暑い季節となってきたので、足元は素足にサンダルもしくはミュールです。・・・が、お気に入りは下駄!3年前からジーンスに下駄スタイルが夏の定番になりました。ミュールより脱げなくていいですよ。私の街には履物屋といって草履や下駄専門の店があります。その店のおばちゃんにお勧めされてから気に入っちゃったんです。浴衣にサンダルの若者がいるんだからいいんじゃない?
私の下駄コレクションです。普段履きは左から2つ目と3つ目です。桐が多い中、左から2つ目のは杉の下駄です。
上記写真は最近購入したチュニックです。この“チュニック”ってやつは私のように体形の気になる人に最適ですね。ウエスト~お尻が隠れるんですもの。
ジーンズの股上が浅くなったここ数年。ウエストを締めないため楽なんですが、気をつけないとお腹の肉がジーンズの上に乗ってしまいます(゚◇゚)なのに短いトップでパンツや腰(お尻?)をわざと見せるスタイルが流行っていました。そんなの私にはできないってもの。救世主がこのチュニックですね。
元来かわいい洋服が好きな私ですから、昨年購入したチュニックはすそにフリルがついたり、胸元にリボンがついたりしていました。今年購入したこれはバルンになっています。フリルほど甘くなく、でもすそ広がりで肉のついた腰周りが目立たず、うれしい限りです。ジーンズにもぴったりさ ♪(o=゚▽゚)人(゚▽゚=o)♪ルンルン♪もちろん足元は下駄ですヨン。鼻緒の色をブルーに合わせて・・・。
写真でチュニックの横に写っている生成りの服は20代のころワンピースとして着ていたもの。え~~!っていうほどミニです。若いってすばらしい。今年、これもチュニックとして着ることにしました_(^^;)ゞ
薔薇
また久しぶりな記事になりました。5月の記事が一つでは寂しい私・・・ということで、滑り込みで書きます。
インフルエンザで寝込んでいた時、私の元に『ベルサイユのばら・文庫本全5巻セット』が届きました。少し前からどうしても読みたくて、ネットで大人買いしてしまったのです。身体は楽になったけど眠れずにゴロゴロしていた私。なじみのあるこの漫画を一気に読むには十分な時間がありました。
私が最初に「ベルばら」に出会ったのは中学生の時です。週刊マーガレットの連載時ではなく、コミック本が発売された時でした。10巻全部を購入しましたよ。それから、『ベルサイユのばら・オールイラスト全集』というA4版くらいのメモリアル本も持っていました。しかし、現在はどこを捜してもそれらはありません。大人になっていく途中で漫画だからと捨てられたのか、捨てたのか・・・・
当たり前なんでしょうが、思春期を迎えようとしていたころの私はオスカルやアンドレたちのかっこよさに憧れたのだと思います。たぶん、自分を投影したとしたらロザリーだったのではと思います。フランスという遠い国でおきた歴史事実と、実存しなかった人々が繰り広げるフィクションが混ざったストーリーが、なんともいえない非現実の世界をつくっていたのでしょう。
オスカルが死んだのは33歳(34歳まで数ヶ月)です。現在、その年齢を遥かに超えた私。改めて読み、また巻末にある解説をきっかけに、私はオスカルという人間がどのような人物であったのかを考えました。もちろん、池田理代子氏が作ったキャラクターであるのですが・・・。
オスカルは軍服を着、剣を使い、馬に乗り、大勢の部下を従えた貴族の娘でした。宮廷の軍隊に属していたけれど市民とともに革命に参加したというフランス衛兵隊の隊長がモデルであったそうです。もちろん、その方は男性であったのでしょうけど。
作者や解説者たちは次のようなことを語っています。
自由にものを考えたり行動したりすると不幸になると言われた時代の女性たち、小さくて控えめな女性が男性に見初められて幸せになるという時代、オスカルは異色です。軍人として困難な状況を乗り越え、体を張って上司や部下と向き合い、心身ともに強く大きくなっていきます。ところが、彼女は多くの男性から女性として愛され、また、彼女自身も男性に対して切ない恋をして心を揺らしました。恋に破れて涙する、自分を愛してくれる人の胸に飛び込む・・・そのようなオスカルに読者は自分を重ね、共感したのではないか。
松本侑子氏はこのように書いています。
オスカルは「男らしさ」「女らしさ」という造られたジェンダーの
利点だけを組み合わせている。それが魅力なのだ。
つまり、彼女には男の野蛮さがなく、女性らしい生生しさもない、それぞれの好感的部分だけが強調されているということのようです。それを林真理子氏は「女の美質と男の美質を兼ね備えた」人物であると表現しています。なるほどと思いました。読者であった少女たちが彼女に憧れたのは、単に男性的なかっこよさだけではなく、恋する女性であったからなんでしょう。
オスカルは作者によって作られた人物ですから、人間の嫌な部分が見えないのは当然かもしれません。ドロドロとしたものを持たないすっきりしとした人物像に出来上がっているように感じました。それは、非難する部分のない素敵な人間であったのだと言えるのではないでしょうか。
革命の火種が大きくなっていったころ、オスカルは将軍である父にこんな言葉を言っています。
感謝いたします
このような人生を与えてくださったことを・・・
女性でありながらこれほどにも広い世界を・・・
人間として生きる道を・・・
ぬめぬめとした人間のおろかしさの中でもがきいきることを・・・
女性として育てられたら体験することも知ることもできなかったであろう様々なことが、男のように育てられたことでできた、その喜びを語っているのだと思います。平民が書いた本を優れた書物として読み、階級を超えた人々と語り合い、人間として生きるとはどのようなことであるのかを、革命が進む中でオスカルは考えていきました。その結果が、国王の道具、王宮の飾り人形から脱して自由な市民として行動する、つまり自分の意思にしたがって生きることだったのです。
こう考えると、『ベルサイユのばら』は自我確立の物語なんだと思えます。少女たちはこれを読んで自分の将来を考えたりしたのかしら???そんなはっきりしたことはなかったかもしれないけれど、オスカルみたいな生き方をしたいと思ったかもしれません。池田理代子氏はこの漫画を24歳で描いているからすごいです。
この私のうじゃうじゃした頭の中には続きがあります。日本版『ホテリアー』のホームページに載せられていたインタビューで田辺誠一さんがヨンジュンさんのことを「精神的にも余計なものをそぎ落としているというか・・(中略)・・・・精神的にすごく成熟されていると思いました。」と語っています。これとつながるような気がして・・・。
長くなったので、続きは次の機会にします。
今日の写真はご近所さんの花壇の薔薇です。夕方雨が止んでから撮影したので周りが暗く、フラッシュたいたら夜のようになりました。フラッシュなしはこんな↓です。
それから16年前の写真ですが、こんな花束をもらったことがあるのです。これ何本かなあ。300本は無かったけれど置き場所には困りましたね。
[1] [2] [3] [4] [5] |