mirage-儚い夢-52.覚醒
フランクはジャクソンの前に最終宣告のバインダーを滑らせた。 これで・・・ゲームオーバー・・・ 奴が暗い箱の中で、僕は冷たい闇夜に開放される 今僕は他人の顔したこの街で・・・ただ息をして・・・ 人生なんて・・・いつ終わろうが・・・ 「韓国?レオ・・小遣いでも欲しいのか?」 「ジミーの紹介だ・・邪険にもできまい 「レイモンドが?・・彼が何故?」 「さあ・・ジミーがそう言っていた 「・・・・ホテルの名は?」 「ソウルホテル」 「ソウルホテル・・・」 「ああそう言えば・・昔お前ソウルホテルに・・」 「断れ・・・・行かない」 「そうか・・じゃあ・・そうしよう」 あれから10年 彼がその案件に係ったら最後、標的となった者は命さえも危ぶまれる、 何事にも冷徹で、何者にも非情と言われ、時に非難を受けることもあった。 それでも彼へのオファーは留まるところを知らなかった。 「仕事より夢中になれる女がいればな・・・」 《Excuse me!》 その甲高い声に囚われて思わず視線を向けると、 《このナイフとフォーク 「フッ・・」 「どうした?フランク・・あの女が気になるか?」 「いや・・ずっと昔に彼女が今言った逆の意味でここを 僕は目の前の女の言動に彼女を思い出していた。僕がまだこの世界で駆け出しの頃・・ 「ああ・・ずっと昔だ・・・」 置いてきた・・・僕の心・・・ 「ああちょっとな・・しかし・・・・ レイモンドは少々不満げな口調でフランクを睨んでみせた。 「フッ・・部屋へ・・」 「いや・・ここでいい・・ 「相変わらず、お忙しいんですね」 「君ほどじゃないよ・・・・・ソウルの話・・断ったらしいな」 「まさか・・その為にここへ?」 「ソウルホテルは今度こそ・・人手に渡るぞ」 「関係ありません」 「そうか?気にならないのか」 「何がです?」 「彼女がどうしてるのか」 「なりません」 「そうか・・・ならいい・・じゃ」 レイモンドはあっさりとした調子でフランクに背中を向けると、その場を立ち去ろうと、 「・・・・何だ」 レイモンドはフランクの呼び止める声を待っていたかのように、 「あなた・・何が言いたいんだ」 「何も?・・“ならいい”・・そう言ったはずだが? 「・・・・・」 「ああそう言えば・・ソウルホテルの経営者・・数日前に亡くなったそうだ・・ ハンガン流通は今がのっとりのチャンスと考えている 「それで?」 「彼女が今・・何処で何をしているのか 「・・・・・」 「フッ・・・そんな顔をするな・・・ 「自分の心に聞け」 「心は・・・持ってない」 「心は・・・誰かのところに置いて来た・・か?」 「・・・・・」 「・・・・このチャンスを逃したら・・一生後悔するぞ」 「あなたは?・・後悔しないのか・・・ 「私が行ったところで・・・いや・・そうだな 「10年です」 「だから?」 「長過ぎました」 「遅過ぎてはいない」 「何のために?」 「私のためだ・・」 「あなたのため?」 「ああ・・あの時・・私が君達を巻き込みさえしなければ・・・ 「あれは・・僕の問題だ」 「だとしてもだ・・」 「確かめて来い・・・」 「何を」 「彼女の本当の気持ちを・・・ 「君が終わっていない以上・・彼女も終っていない」 「僕はもう・・・終わっている・・」 「僕が手を出すまでもなくいずれあのホテルは潰れる」 「フッ・・・やはり調べていたのか・・・」 「・・・・・」 「はっきり言おう・・ 「もしも彼女が終わっていたら、それはそれでいい・・ 「断ち切る?・・・」 「わかっているだろ? 「ハッ・・あなたに・・・言われたくは無い」 「ははは・・そうだな」 レイモンドは声高々に笑って見せた。 僕が引き受けると・・ジミーに伝えろ!・・」 「・・・・・これで・・いいですか?」 「それじゃ、失礼するよ・・ 「ハッ・・」 レイモンドの憎まれ口にフランクもまた、呆れたように顔を逸らせた。 「あ・・そうだ・・これを受け取れ!」 レイモンドはフランクに向かって、何かを放り投げた。 「・・・何です?」 それは鍵だった 「これは?」 「どこの鍵だか・・当てて見ろ」 「・・・・・」 「住所を持たない奴を探すのは面倒なんでね」 レイモンドは一度だけ後ろ手に手を振ると、フランクを振り返りもせず レイモンドが訪ねて来た翌日、今度はソフィアがホテルのフランクの部屋をノックした。 「・・・・・どういうこと?」 「あなたの気が変わらない内に」 「よくこれだけの資料を・・手回しがいいんだな 「依頼があったのは一週間ほど前よ」 「ふふ・・」 「フッ・・・」 「さあ・・・先方には昨日の内にこちらの条件を伝えてある 「条件?」 「僕はたかがホテルひとつの為に韓国など行くつもりはないんでね・・ 「そう・・・でも・・行くのね」 「ああ・・ソウルホテルを潰しに」 フランクはソフィアを下から見上げて唇の端を上げた。 「そうね・・・潰してくるといいわ・・・」 ソフィアもまた意味ありげに両方の口角を上げた。 「それから・・・もうひとつ・・・ハン・テジュン・・・」 「ハン・テジュン?」 「ええ・・ソウルホテル総支配人・・・ 「フッ・・誰であろうと僕の相手じゃない」 「・・・確かに・・・買収に関しては・・そうね」 「・・・・・」 「何の話?」 「一般論・・・」 「一般論?・・・くだらない・・」 フランクは体で座った椅子を回して、窓からの外の景色に視線を移した。 「フランク・・・あなたは今この世界で 「今度は何」 「今なら・・・今のあなたなら・・・ 「でも?」 フランクは姿勢はそのままでソフィアを横目で睨むように見上げた。 「ひとつだけ足りないものがあるの」 「足りないもの?」 フランクはそう言いながら、椅子の向きを彼女に向かって直した。 「そう・・・あなたには心が足りない・・・」 「・・・・・」 「あの時・・彼女を守りきれなかった自戒・・・それが 「わかったようなことを言うな・・・」 「・・・・・」 「何だそれ」 「ふふ・・・一般論・・・」 フランクは彼女の久しぶりに見せたその笑顔に向かって、躊躇いがちに薄く笑ってみせた。 まったく・・・どいつもこいつも・・・
「さあ・・・取引をしよう・・・」
目の前で彼の顔が醜く引きつり、鋭い眼光がフランクに向かった。
重く響く鉄の扉の音がこのゲームの終了の合図
いったい・・・どっちが・・・いいんだろう・・・
ただ・・・生きている・・・
ジャクソン・・・
恨むなら・・・憎むなら・・・
僕の息の根を止めに来るといい・・・
未練などさらさら無い・・・
「ボス・・次の仕事だが・・韓国のあるホテルの買収依頼だ・・
依頼人はハンガン流通」
それに・・レイモンドの口利きもある」
この案件は必ずフランクに持って行けと・・・」
レイモンドが僕の仕事に口を挟むことは珍しいことだった
ということは・・・
なるほど・・・
レオの言葉を遮るようにしてそう言った。
レオはそれ以上は何も言わなかった。
今やフランク・シンと言えば、M&Aの世界で知らぬものはいなかった。
その覚悟で首を洗ってただ待つしかないと実しやかに囁かれていた。
彼の標的とさえならなければ、彼ほど心強い味方は他にいない。
彼の実績を前にそのことを誰しもが認めざるえなかったからだ。
「・・・結婚しないのか・・・ボス・・」
アジア系の女がレストランの支配人らしき男に噛み付いていた。
刃が欠けていてステーキが切れないのよ!
パサパサのレタスに熟れ過ぎたトマト・・・》
「韓国の女だな・・大した女だ・・」
一流のレストランなのだと褒めた女がいた・・
このレストランも地に落ちたということだな」
少しばかり儲けた金で、彼女にドレスを誂え、彼女が行きたいとせがんだ
この店へ初めて訪れた。
「ずっと昔・・・か・・・」
・・・ずっと昔に・・・
ホテルに戻るとロビーに珍しい人が立っていた。
レイモンド・パーキンその人だった。
「どうしたんです?珍しいですね・・それより良くここが・・・
偶然?・・ではないようですね・・・僕に御用ですか?」
住所を持たない奴を探すのは容易じゃないな」
飛行機の時間に間に合わないんでね」
足を踏み出した。
フランクはしばし黙って彼の背中を睨みつけていた。
そして・・・
「・・・・・レイ!」
ピタリと足を止めるとゆっくりと振り返った。
それとも・・何か言って欲しいのか」
今はその夫人が、顧問弁護士を後見人に後を継いでいるらしい
1000人もの従業員の行く末もきっと危うくなるだろうな」
君が知らないわけじゃあるまい?」
「・・僕に・・どうしろと?・・」
「だから・・何も言っていない・・・」
もう・・いいんじゃないのか・・そう言ってるんだ」
「何がです?」
あなたこそ・・・気になるなら行けばいい」
・・・そうする手もあったな。そうしてもいいか?」
レイモンドは冗談とも本気とも付かないような表情でフランクの胸の内を
探るように左の口角を上げた。
「・・・・・」
「フッ・・冗談だ・・・」
今まで・・どれほど悔やんだか知れない・・
だから・・・私の後悔を救え。」
「もう終わったことです」
彼女は今そこの総支配人と婚約目前という噂だ・・・
彼らに後を任せたい・・それが前経営者の遺言だったらしい」
「・・・・・」
「だったら・・・
あの時君が救ったソウルホテルだ・・・
今度は君の手で潰して来るといい」
彼女が本当に終わっているのかどうか・・・
君には確かめる義務がある」
「義務?」
しかしもしも終わっていなかったら
彼女が次の人生に踏み出すために・・・
君の手で・・・断ち切ってやればいい」
今も尚、繋がっている何かを感じているだろ?
その何かを互いに断ち切らなければ
ふたりとも次に進めないことも・・・」
「・・・・・」
「いつまで目をつぶっているつもりだ?
・・怖いのか?・・怖いんだな・・臆病者が・・」
「レオ!・・ソウルホテルの一件・・・・
僕はレイモンドを睨みつけたままレオにそう言葉を投げた
僕の挑戦的なその問いかけにレイモンドは何も答えず
僅かに視線を落とした
しかし僕に隠したその口元は満足げに上がっていた
お陰で・・無駄な時間を過ごしてしまった
これでも・・忙しいんだ
私をもう二度と・・煩わせるな・・・」
フランクは目の前に飛んできたそれをとっさに受け取った。
ホテルエントランスの回転ドアをくぐって消えた。
「お久しぶりね・・・」
「どうしたの?こんなところまで、あなたが訪ねて来るなんて」
「ちょっとね」
そして、挨拶もそこそこにフランクの目の前のデスクに数冊のファイルを広げ始めた。
「これがソウルホテルの現状を網羅した資料
そしてこれがハンガン流通の・・これは・・・」
レイモンド?」
「一週間?・・・彼に会ったのは昨日・・
ソウル行きは承諾したばかりだ」
フランクは呆れたように顔を背けて見せた。
「それで・・いつにするの?韓国行き」
向こうの出方次第だな」
まずは・・先方がこちらの条件を飲むことが先決・・」
これからあなたの敵になる人物よ
その資料がこれ・・・なかなか手強い人物だという噂よ」
「知ってる?女は男をいつまでも待てるわけじゃないの
どんなに頑張っても心が折れる時がある・・
そんな時・・もしも近くに愛があったら・・・
それを受け入れてしまうこともある・・・」
実力実績共に他の追随を許さない男になった」
たとえどんなことが起ころうと、きっと
守りたいものを守ることが出来る・・・でも・・」
あなたが心を閉ざしてしまった理由・・・」
「あなたはそれを取り戻さなければならない」
「そしてそれは韓国にある」
ソフィアはフランクの目を真直ぐに見て、自信たっぷりに言い切った。
「なるほど?」
フランクはソフィアの力説に対して少しからかう様におどけた目を返した。
「ふざけても駄目よ・・フランク・・もうわかってるんでしょ?」
「何が?」
「正直になりなさい」
「・・・・・」
「そして心を取り戻したあなたは・・・間違いなく・・・最強の男になる」
ソフィアは明るく微笑んだ。
「ボス!先方からこっちの条件を全て飲むと言ってきたぞ」
「随分早い回答だな」
「どうも何処かからの後押しがあったみたいだな」
「後押し?」
「お前がこの案件に係ることが買収後の取引の条件だと・・・」
レイ・・・あなたの仕業か?
「それで早速だが・・・ソウル行きのチケットも用意したぞ」
「出発日は?」
「明日だ」
・・・勝手なことばかり・・・
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mirage side-Reymond-25
「レイ・・お願いがあります」
「ジニョン・・・」
私がジニョンの病室を訪れると彼女が悲愴な顔つきでそこにいた。
「レイ・・お願いです・・私をここから連れ出して下さい」
「・・・・・」
「お願いです」
「・・・・わかった・・待ってなさい・・」
外にはジニョンの父親が待っていた。
私は上の階に未だ入院しているソニーに電話を掛けた。
「ソニー・・動けるか・・・頼みがある
ジニョンの父上に別れの挨拶をして欲しい・・・」
ソニーは私のその言葉だけで、私が何を求めているかを理解してくれた。
ソニーは期待通りにソ・ヨンスをこの病室の前から連れ出すことに
成功してくれたようだった。
「いいんだね・・」
「はい・・・」
ジニョンの決意を固めたような眼差しが、却って私の胸を突き刺すようだった。
《ジニョンはきっと・・
あなたに助けを求めるでしょう
その時は・・・諦めさせてやって欲しい・・
それで・・父親とソウルに帰るよう
説得してやってください》
一昨日のフランクもまた同じだった。
私の意見など、入り込む余地すら残さないほどに彼の心は閉ざされていた。
どうしても・・・駄目なのか・・・
《その方が彼女の為です》
どうしてそんなことが言える・・・
《愛しているから・・・》
馬鹿なことを言うな・・・
この私に・・・
ジニョンに死の宣告をしろと言うのか、フランク・・・
それが君の・・・私への罰だと・・・
何度君から彼女を奪い去ろう・・そう思ったか知れない
それでも・・・
彼女には君しかいない・・・私はそれを認めたんだ
それでも?・・・それでも行くのか・・・
私は一昨日のフランクの言葉を回想しながら、ジニョンを見つめていた。
ジニョン・・・フランクはもうここへは戻らない
君の元へは戻らない・・・
ジニョンが次第に青ざめて震えるように私を見上げた。
どうしてそんなことが言える?・・・
彼女から・・・あの輝くような笑みが消え去る
その瞬間を・・・
この私が見なければならないのか?
ジニョン・・ごめんよ・・・許しておくれ・・・
フランクのアパートも・・・君達ふたりの別荘も・・・私の手によって処分した。
ジニョン・・・私は今・・・
フランクの決意を知った上で、君を連れて歩いている・・・
君の彼への想いと一緒に歩いている・・・
フランク!フランク!・・フランク・・
ねぇ・・・ジニョン・・・
彼の名前を繰り返し呼ぶ君を私はこの目で追いながら・・・
自分の胸が圧迫されていく恐怖に震えていた。
泣くな・・・ジニョン・・・
君の興奮を抑えようと抱きしめた手が、君の彼への激しい想いに・・
簡単に撥ねのけられた。
わかっているんだ・・・
私では・・・駄目なんだということも・・・
まるで子供のように泣きじゃくるジニョンが哀れでならなかった
ジニョン・・・もうお止め・・・
そんなに泣いたら・・・
涙がなくなってしまうだろ?
そんなに泣いたら・・・
心の中まで渇ききってしまうだろ?
置いて・・いかないで・・・・
・・・フランク!-・・・
君の叫び声が私の心を押し潰すようだ
ジニョン・・・ジニョン・・・ジニョン・・・
私の・・・君を呼ぶこの声は・・・聞こえないか?
私のこの想いは届かないのか?
あぁ・・・愛している・・・
何度・・その言葉を飲み込んだことか・・・
今もまたこうして・・・私は君への想いを
心に封じ込めている
いや・・・そうじゃない・・・きっと
君の・・・彼へのその激しい想いが・・・
私の君への愛を・・・
容赦なく・・・
・・・砕いてしまうんだ・・・
mirage-儚い夢-50.冷たい決意
・・・レイ・・お願いがあります・・・ ジニョンからの電話を受けたレイモンドが彼女の病室を訪れた。 「私もやっと・・君に会えたね」 「レイ・・どうかお願いです・・私をここから連れ出して下さい」 「・・・・・」 「お願いです」 ジニョンはそう言いながら、レイモンドにすがるような目で手を合わせた。 「・・・聞こう」 「僕は今からここを出ます」 「まだ退院許可は下りてないだろう?」 「ええ」 「ジニョンはどうする・・」 「彼女は明後日、韓国に帰国します」 「帰国?どういうことだ」 「父親が連れて帰ります」 「一時的ということか」 「いいえ・・・」 「それで・・どうして君が慌ててここを出なければならない?」 「・・・・・」 「彼女を置いて行く気か?」 「・・・・・」 「何故だ!」 「・・・・言わなければいけませんか?」 「・・・・それで私にどうしろと?」 「ジニョンはきっと・・あなたに助けを求めるでしょう」 「だから?」 「諦めさせてやって欲しい。僕を・・。 「ハッ・・」 レイモンドは呆れたように溜息をついて、フランクを睨み上げた。 「ジニョン・・・ソニーと少し話をしてくる。 「あ・・は・・い」 「ああ・・わかってる・・・急げ」 ジニョンは目の前で起きている只ならぬ状況に次第に青ざめて、震えるように しかし、レイモンドは既にこの結果を知っていた。 しばらくして、ジニョンは慌てたように玄関に向かった。 「ジニョン!何処へ行く!」 「別荘に・・」 「・・・・・」 「別荘に・・行きます」 「行ってどうする?・・そこもきっと・・」
「・・・・・」 レイモンドはそう言いかけたものの、彼女の返す切ない目にそれ以上の言葉が 「わかった・・・行こう・・・」 レイモンドは今はジニョンの気の済むようにしてあげようと思った。 ジニョンはその情景を目の当たりにして、愕然とした。 あまりのショックに目が大きく見開き、その瞳からみるみるうちに涙が溢れ出た。 「フランク・・・悪ふざけは止めて・・フランク・・お願い、出て来て・・・ 待ってて・・って・・ 待ってて・・そう言ったのに! 置いていかないで
「ご心配をお掛けしました・・・」
レイモンドはジニョンを見舞う前に、彼女の父親を部屋の外に連れ出しておいてもらうことを
事前にジョルジュに頼んでいた。
ジョルジュはレイモンドの正体をジニョンの父親には話してはいなかった。
そのため、ジニョンの父親にとってレイモンドは今でもジニョンの学校の教師でしかなく、
レイモンドが彼女を見舞うことに対して、父親が一縷の疑いをも抱くことはなかった。
ジニョンはレイモンドとふたりだけになると、即座にそう言った。
レイモンドは彼女が何故、それを望むのか、十分わかっていた。
「・・・・わかった・・待ってなさい・・」
レイモンドは知っていた。
フランクが今、ジニョンを置いてこの地を去ろうとしていることを。
「一生の頼みがあります」
その時、フランクの目が「聞かないでくれ」と訴えていた。
レイモンドは荒げてしまった声を何とか抑えて、言った。
それで・・父親とソウルに帰るよう、説得してやってください」
そして、それ以上フランクと言葉も交わさず彼に背を向けると、音を荒げて
病室を去って行った。
レイモンドが病室を出た後、ドアの外でふたりの話を聞いていたソフィアが無言のまま、
病室に入ってきた。「・・・・・」
ソフィアはフランクから視線を逸らし、ただ黙々とベッドのシーツを整えていた。
「何?」 冷えた空気に耐え切れず、声を上げたのはフランクの方だった。
「・・・・・」 それでもソフィアはそれを無視するように手だけを動かしていた。
「・・・・何が言いたいの?」 フランクは再度聞いた。
「何も?」
ソフィアはフランクにやっと視線を向けたかと思うと、ただひとことそう言った。
しかし、その瞳は確かにフランクに向かって何かを訴えていた。
「そんな目で見るな。」 フランクはソフィアに向かっていらだつように言った。
「私は何も言ってないわ・・・
あなたが今・・私の目を見て感じていることは・・・
きっと・・あなた自身の心よ・・・あなたが・・そう言ってるの」
「・・・・・」
「それがあの子のためだと?・・・それは大きな間違いだわ」
「・・・・・」
「それでも?」
「・・・・・」
「それでも?!」 ソフィアの声は涙声に変わっていた。
「・・・それでも。」
そんな彼女の問いかけに、まるで自分自身に言い聞かせるように
フランクは彼女の言葉を繰り返した。
「情けない男。」 ソフィアは吐き捨てるようにそう言った。
それでも彼女のフランクを見る目は彼を哀れむように、優しかった。
そして彼女もまたレイモンド同様、それ以上何も言わなかった。
・・言えなかった・・・
あなたのその悲しい瞳が哀れ過ぎて・・
言うべき言葉すら見失ってしまったの・・・
フランク・・・
どうしてあなたはそんなにも不器用なの?・・・
どうしてもっと・・・自分を愛せないの?
神は・・・・
外にはジニョンの父親が待っていた。
レイモンドはジニョンの前でポケットから携帯電話を取り出した。
「ソニー・・動けるか」
しばらくして、部屋の外で、男達の声が聞こえてきた。
そして、部屋のドアが開いて、ヨンスがジニョンに声を掛けた。
ジョルジュが付いていてくれるというから行ってくるよ・・出発の準備をしていなさい」
今日ジニョンはこの病院を退院して、父の意志通り韓国に帰国する。
《フランクが・・・フランクのところへ行かせて》
《ジニョン・・・彼は駄目だ・・・諦めなさい》
《パパ・・どうして?》
《あの男は駄目だ・・・》
《どうして!・・彼のこと少しもわかっていないのに
どうしてそんなことが言えるの?》
《・・・彼は私の気持ちをわかってくれた》
《どういうこと?・・・》
《彼はもうここには来ない》
《嘘よ!そんなこと・・あるはずがない!
迎えに来るって約束したもの・・
フランクは私に嘘はつかない
どうして・・そんな嘘をつくの?パパ・・》
ジニョンはあれから幾度となく父親を説得した。しかし父の意志は固く、揺るがなかった。
レイモンドはジニョンの目を真直ぐに見つめて、彼女の決意を確かめた。
ジョルジュもまた、ジニョンの気持ちを痛いほどわかっていた。
レイモンドがジニョンに手を貸して部屋を出て行くのを何も言わず見送った。
「ジョルジュ・・」
「ごめんなさい・・」
レイモンドとジニョンはまず最初にNYのフランクのアパートに向かった。
しかしそこは昨日のうちに解約されたらしく、中を覗くと天窓の下に置いたベッドも
何台かのパソコンも何もかも消えていた。
ただキッチンのカウンターに彼が好きだったコーヒー豆の袋がポツンとひとつだけ
寂しく取り残されていた。
レイモンドを見上げた。
それでも彼女に諦めろ、と言えずにここまで連れて来たのだった。
つなげなかった。
湖畔に向かう車の中で、ジニョンは爪の先を噛みながら窓の外を見続けていた。
時に彼女は、自分で自分の肩を抱きしめて震えを堪えているかのようだった。
別荘に車が到着すると、ジニョンは車が停止するよりも早く車のドアを開け
ふたりの家に向かって走った。
そしてそのドアを開けると、そこは初めてここを訪れた時のように、全ての調度品が
白い布で覆われていた。
「フランク?・・フランク?・・・」
ジニョンはドアというドアを開けては彼の名前を繰り返し呼んだ。
「フランク!・・フランク!・・フラ・・」
そして・・・とうとう全てのドアを開けてしまった。
冗談なのよね・・フランク・・
そうやってあなた・・いつも意地悪ばかり
私・・あなたの意地悪にはもう慣れっこなんだから・・・
こんなの・・何てこと無いんだから・・・
私を怒らせて・・隠れて笑ってるのよね
ね、そうなんでしょ?
驚かせようとしてるのよね?
そうよね・・フランク・・・
答えて!フランク・・フランク!フランク!ー」
ジニョンは今度は狂わんばかりに泣き叫びながら、家具を被った布を乱暴に剥いで回った。
「・・・・うそつき・・うそつき!・・」
「ジニョン!」
レイモンドは彼女の興奮を抑えようと必死に捕まえて抱きしめた。
しかし・・ジニョンの狂気は、彼の力さえも簡単に振りほどいた。
「うそつき!・・・
迎えに来るって言ったのに
私がいればいい・・いるだけでいい・・そう言ったのに・・
そうよね・・そんなはずない
そんなはずない・・・
あなたが私に嘘なんて付かない
あなたが私をひとりになんてしない
だって・・・あなた・・私がいないと駄目じゃない
私がいないと・・・私がいないと・・・」
ジニョンはまるで呪文のように、自分に言い聞かせるように“そんなはずはない”と
繰り返し呟いていた。
しかしいつまで経っても目の前の風景は変わることがなかった。
「うそだったの?フランク・・・
ここが私達の家じゃないの?
ふたりだけの・・家・・そうじゃなかったの?
ほら・・・
天井・・まだ穴空けてないじゃない
約束したでしょ?
星が見えるようにしてくれるって・・
約束したでしょ!
フランク!・・・フランクー・・フランクー
何処にいるの?
どうして私を置いていくの?
私は・・どうすればいいの?
返事して・・嫌よ・・・フランク・・・
私を置いていかないで・・・
置いて・・いかないで・・・・
嫌よ・・・嫌・・・フランク・・・
・・・フランク!-」・・・
神は・・・
大きな悪戯をなさったのね・・・
・・・フランク・・・
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