passion-13.こいびと
collage & music by tomtommama
story by kurumi
レオが、フランクの指示を無視して取引を独自に進めようとしたのは しかしフランクとしてもレオに本心を隠したのは理由があった。 今ソウルホテルには、キム会長のソウルホテルの持ち株と彼の莫大な資金が ホテルの負債は既に30億を超えていた。 それほどに緊迫した経営状態の中、フランクはたったひとりで それは、長年続いたソウルホテルの名前すらも失う結果を生む。 キム会長が事を急ぐ余り、直々に銀行へ手を回し、ホテルの資金面を とにかく今はそれをも、食い止めなければならない。 「とにかく、まだサインはしない。後一週間、待ってくれ」 フランク達の会議の終了時間が近づいた頃、ジニョンは会議室の手配が しかし会議は既に終了していて、フランクの姿もそこになかった。 ジニョンは仕方なく、持ち場へと戻って行った。 結局その日フランクはホテルの何処にも現れなかった。 気がつくと、仕事の合間に彼を探している自分がいた。 つい先日まで、自分に逢おうと画策するフランクがホテルのそこここに現れ、 ジニョンは自分の心の変化に驚きながらも、フランクを思う度、 とうとうその日終日、フランクに逢うことはできなかった。 ≪後で連絡する≫ ≪あの会議の前に彼はそう言って私に微笑んでいた。 退社時間になって、ジニョンは急いで私服に着替えた。 肩を落としたジニョンは、今度こそ諦めて帰宅の路に着いた。 ≪フランク・・・ 昨日のあなたは・・・本物だった?・・・≫ 翌日、ジニョンの仕事はOFFだった。 ≪じゃあ、デートができるね≫ ≪どうしちゃったの?・・・フランク≫ ジニョンの頭の中は悔しいほどにフランクでいっぱいだった。 今まで抑えていたはずのフランクへの感情が溢れんばかりに押寄せ、 彼女は壁に掛かった時計の針にぼんやりと視線を向けていた 何時間経ってもジニョンは少しも落ち着かなくて、気晴らしにと外へ出た。 結局少しも心を晴らすことができなくて、ジニョンはアパートへと引き返した。 俯き加減に歩いていたジニョンが自宅近くまで来て顔を上げた時、 ジニョンは一瞬心を躍らせたが、直ぐに彼に対して腹が立ってきた。 フランクは向こうから近づいて来る彼女に気がついて満面の笑顔を向けたが 「ジニョン!」 フランクは慌てて彼女の腕を掴んで呼び止めた。 「今、丁度君に電話・・」 フランクが言いかけると、ジニョンは彼を睨んだ。 「えっ?」 「何処へ行ってたの!」 「僕?・・ああ・・アメリカ」 「アメリカ?」 「ああ、急用ができて・・つい一時間ほど前に空港に着いたとこなんだ。 「呆れた。」 ジニョンは本当に呆れたように言った。 「ん?」 「それならそうと連絡してくれたっていいでしょ?」 「ごめん・・忙しくて・・」 「忙しくて?・・」 「ああ・・連絡できる状態になったのが ≪寝れなかったなんて、絶対に言ってやらない!≫ 「一分もなかった?連絡する時間・・」 「えっ?」 「な・・何よ・・」 ジニョンは思わず顎を引いた。 「怒ってたの?ジニョン・・僕がいなかったから?・・ 「何、嬉しそうな顔して・・るの・・よ・・」 「・・・・・」 「フランク!・・離して・・」 「・・・・・」 「フランク?・・」 ずっと無言のまま、彼女を抱きしめて離さないフランクに、いつしかジニョンは 「・・・・嬉しいよ・・ジニョン・・・」 「わかったから・・フランク・・・もう離して・・ 「あ・・そうだね、じゃ行こう・・」 フランクは“そうだ”と言わんばかりに、 ジニョンが言葉を挟む間もなく彼女を助手席に押し込み、 「・・何処へ?」 「デート。・・約束したでしょ?」 「だって、私、こんな格好・・」ジニョンはTシャツにジーパン姿の自分と、 「いいじゃない。」 フランクはにこやかに言った。 「良くない!着替えてくる」 「時間がもったいない」 「デリカシーがないのね、あなたって」 「僕は君がどんな服を着ていようと構わないけど」 「ふん!」 「だって!・・・・・」 口を尖らせていたジニョンが、次第に頬を緩ませ、俯いた。 「もう怒らないで・・・」 彼は更に優しく言った。 ジニョンは尖らせた口を元に戻せないまま、黙ってコクリと頷いた。 「何処に行きたい?」 ジニョンは結局、フランクとのアンバランスな格好を我慢するしかなかった。 ≪昼間の・・・太陽の光に反射してる噴水って・・・・ ≪フフッ≫ ≪何が可笑しい?≫ ≪いいえ・・・フランクが言うと・・・もの凄く綺麗に感じて・・・ ≪でも?・・・≫ ≪綺麗に見えるのはきっと・・・私といて幸せだからよ≫ そして彼は前振りも無くポツリと言った。「そうだな・・・」 「ん?いや・・何でもない」 フランクが含み笑いをして歩き出した。 そしてふたりの幸せな時間は瞬く間に過ぎていった。 「そろそろ、帰らないと・・・明日早番なの・・」 「そう・・だね・・」 アパートに着くと、ふたりは互いに無言でしばらく正面を見据えていた。 ジニョンは自分を納得させたように、一度頷いてドアに手を掛けた。 結局ジニョンは自分で助手席のドアを開けて車を降りた。 「それじゃ、おやすみ」 ジニョンは差し出された彼の手を握った。 「フランク・・・あの・・・手・・」 「何?」 「だから・・手・・離してくれないと、行けないわ・・」 「ああ・・そうだね・・・」 「フランク・・・」 「離れたくないんだって・・僕の手」 「ふふ・・駄目よ」 「僕の手に言って・・僕は離してもいいんだけど」 「フランク・・・」 「ごめん・・・君を離したくないのは、 「えっ?」 「・・・ここも・・」 ジニョンは彼のその仕草に優しく微笑むと、小さく溜息をついて、 「もう少しだけ・・・」 フランクもまた前方に視線を移して微笑んだ。 ふたりは時間というものがこの世に存在しなければいいと思った。 そうすれば離れ離れだった10年の永い時の重さも消えてしまうだろう。 こうしていつまでも感じていたい・・・ 「ジニョン・・・」 フランクはジニョンの方に視線を移した。 「なに?」 ジニョンもまた彼の方を向いた。 「愛してる」 「・・・・・」 「君は?」 「・・・んーどうかな~」 ジニョンがふざけたようにそう言ったので 「もういいわ・・・何も言わなくて・・・本当は・・・ 「その方が君は幸せなんだ、と自分に言い聞かせてた・・でも・・・ 「そうね。」 ジニョンはフランクの言葉に追い討ちを掛けるように言いながら フランクはまたいつものように、胸に手を当て、ジニョンの言葉が 「ふふ・・」 ジニョンは愛らしく笑った。 「やっぱり・・・」 「えっ?」 そして彼は突然車をジニョンのアパートからUターンさせると 「何処へ行くの?」 彼は前方に視線を向けたまま微笑み、小さく呟くようにさっきの言葉を続けた。
フランクが韓国に渡って来た真の理由をレオにまで隠したことが、
レオの心に疑心暗鬼を生じさせることとなっていたのは事実だった。
レオは、フランクがソウルホテル買収工作に二の足を踏んでいると
誤解していた。
彼なりにフランクのことを思ってのことだったのだ。
フランクが画策していることは、ハンガン流通に対しての契約違反を
免れはしないだろう。
その時、レオが事実を知らなければ、自分に加担した容疑も薄くなる。
彼は事のすべては、「フランク・シンの独断であった」という証拠だけを
残しておきたかったのだ。
フランクはただレオを守りたかっただけだった。
必要不可欠である。
そしてホテルの経営権をそのままホテル側が握る契約を結ぶ為には何より
ホテル自体の揺るがない経営力が必要だった。
しかし、今のソウルホテルにはそれがない。
ソウルホテル自体の存続を企てなければならなかった。
しかしキム会長はホテル運営への興味は薄いように思われた。
今のままだと彼はホテルを手に入れたら最後、直ぐにも何処かへの売却を企て、
利益優先を図るだろう。
彼にはどうしても「ソウルホテル」を存続させてもらわなければならない。
立ち行かなくさせたり、ホテルに対して数々の圧力を仕掛けていることも
フランクを苛立たせた。
フランクはレオやエリック達の意見を頭の端で聞きながら
今後の策を思案していた。
会議の席上、フランクの考えは変わらなかった。
レオは渋い顔を見せ、エリックは首をかしげた。
しかし、フランクはそのどちらも見なかった。
遅れたことの詫びを再度伝えようと会議室へと向かった。
ジニョンはそのことに酷くがっかりしている自分が可笑しかった。
体面上、少なからず迷惑にも思っていた。
幸せな気分になっていることに心がくすぐられる思いだった。
就業時間が終わっても彼からの連絡さえなかった。
それなのに・・・≫
もしかしたら従業員通用口で≪彼が待っているかもしれない≫
そう思ったからだった。
でも彼はいなかった。
ジニョンは一度は駅へと向かったものの、突然引き返し
サファイアヴィラに走って向かった。しかし・・・
フランクの部屋の前には車もなく、明かりさえも灯っていなかった。
足取りも重くアパートに辿り着いたジニョンは、何かする気力さえ
失せてしまい、早々にベッドに入った。
そして彼女はベッドの上で寝付かれないまま、彼からの電話を待った。
寝返り打っては、ベッドサイドに置いた携帯電話を指ではじき
長い溜息をついた。
しかしそれは一度も音を立てることはなかった。
昨日フランクはあんなに目を輝かせて喜んでいた。
それなのに・・・
胸を締め付けた。
そしてさっき見た時と余り変わっていない針の形に溜息を漏らし、
今しがたベッドで寝転んでいたはずの自分が、気がつくと
いつの間にか鏡の前の椅子に腰掛けている。
そんな自分にまた溜息をついた。
近くの本屋で雑誌を捲ってみたり、商店街の街路樹をのんびりと歩いてみたり・・・
しかしブティックのウインドウを眺めても、見えるのはそのガラスに映る
覇気のない自分の顔だけだった。
アパートの前で止めた車にもたれかかり、携帯電話を片手に
そのアパートを見上げているフランクの姿が見えた。
ジニョンはそれを無視して、わざと彼の直ぐ横を通り過ぎた。
フランクは彼女の様子に少しだけたじろいで、言葉をよどませた。
「ど・・何処に行ってたの?・・・待ってたんだ」
「それはこっちが聞きたい!」
君に逢いたくて、ここに飛んで来た・・今日は仕事休みだっただろ?」
こっちの夜中だったんだ・・君はもう寝てると思って」
フランクは怒ったジニョンの顔を覗き込みながら、顔を緩ませた。
僕が君に連絡しなかったから?」
フランクに突然抱きしめられたジニョンは、不意をつかれて動転した。
「ちょっ・・フラ・・ンク・・何する・・の」
さっきまで抱えていた怒りを忘れ、顔を少しだけ緩ませながらちょっとだけ
頬を彼の肩に落とした。
ここは・・その・・家の前だし・・人に見られると恥ずかしい・・」
彼女の両の腕を掴んで、一旦顔を見合わせると
自分は急いで運転席に回ると素早くエンジンを掛け、車を走らせた。
ビシッと高級スーツに身を包んだフランクとを見比べて、顔をしかめた。
ジニョンはフランクが一向に自分の言うことを聞いてくれそうに無くて
助手席で腕組をして口を尖らせた。
「そんなに怒らないで・・」 フランクは優しく言った。
いつの間にか、運転席のフランクの右手が、ジニョンの左の手を
しっかりと握っていたからだった。
しかしそれでも、幸せな気分になるのは、やはり
≪フランクのそばにいるからだろう≫と素直に思えた。
少しおしゃれなcaféでお茶を飲み、他愛の無いおしゃべりをして・・・
こうして手を繋ぎ公園を歩いて、恋人らしい時間を共に過ごし心を通わせていると、
10年前ふたりで過ごしたNYでの月日が互いの胸に去来した。
突然フランクが公園の中央に造られた噴水を眺めながら
ジニョンの方を向いて意味有りげに微笑んだ。
まぶしいくらいに・・・綺麗なんだな・・・≫
不思議だなあ、と思って・・・でも・・・≫
フランクの脳裏には10年前のふたりの会話が浮かんでいて、
胸を熱くしていたのだった。
「えっ?」 何の返事だったのかわからなかったジニョンは首をかしげた。
「嫌な感じ!・・」
「悔しかったら思い出してごらん?そしたら・・
僕の言った意味がわかる」 フランクは楽しそうにそう言った。
「えー!意地悪ね・・あなたって、いつもそうなのよ!
だから・・」
フランクの隣で彼と手を繋いだままのジニョンが文句を続ける。
彼はそんな彼女を笑顔で見つめ、その頬に不意をつくように
キスの音を立てた。
「何よ~!」 彼女もまた笑顔を返しながら、彼の背中を叩いた。
ジニョンの「フランク」と呼ぶ声が柔らかく耳に届く幸せを噛み締めながら
フランクは彼女の肩を抱いて、何度も何度も彼女の髪に唇を落とした。
別れ難い互いの気持ちが言葉を失わせて車のエンジン音だけが
耳に響いていた。
いつもなら、直ぐに運転席から車を降りて助手席のドアに回るフランクが
フロントガラスを見つめたまま車を降りようとしなかった。
そして外から車の中のフランクに振り返った。
フランクもやっと笑みを作って、彼女に手を差し伸べた。
「ええ・・おやすみなさい」
「・・・・・」 「・・・・・」
フランクは別れの挨拶をしながらも、彼女を見つめたままその手を
離さなかった。
口ではそう言いながら、彼はそれでも彼女の手を離そうとしなかった。
ジニョンはフランクの言葉を冗談に捉えて、思わず噴出しそうになった。
彼の表情は真剣だった。
僕の手だけじゃなさそうだ・・・」
そう言って、フランクは彼女の手を握っていないもう片方の手で
自分の胸を押さえた。
彼の手を握ったまま助手席に戻った。
そして彼女はフロントガラスの方を見て、そう言った。
「ああ・・・もう少しだけ・・・」
しかし時間という空気がこの世に存在する以上
愛し合う者達は耐えなければならない
そして互いへの想いを胸に溢れさせ、この刹那にさえ押さえ切れず
狂おしいほどに求め合い、見つめ合うしかない
触れていたい・・・
ふたりは互いの心の中で同じようにそう思い、互いの指を絡めていた。
フランクもわざと彼女を睨んだ。
「昔・・あなたによくこう言われたわ」
「そうだった?」
「あの頃は私子供だったから、結構本気で傷ついてた」
「そうなの?ごめん・・」
「あ・・それって本気で謝ってないわ」
「本気だよ」
「だったら言って。」
「何を?」
「噴水が綺麗に見えたのは、私といて幸せだからって・・」
「・・・・・・」
ふたりは互いの顔を見合わせて、声を上げて笑った。
そして互いに呼吸を整えるようにひとつだけ深呼吸をして
ふたりは改めて向き合った。
「ジニョン・・僕は君といて幸せです・・
君がそばにいてくれるから・・何もかもが・・・美しく見える
あー噴水も。」
「ふふ」
「これでいい?」
「ちょっとふざけてる」
「君がそう言えって・・」
フランクがジニョンを笑いながら小さく睨んでいると、
たった今まで笑っていた彼女が真剣な表情に変えていた。
「私も・・愛してます・・あなたを」 彼女は頬を真っ赤に染め告白した。
そんな彼女にフランクは胸を熱くして、目を閉じ俯き微笑んだ。
そしてフランクは少し考え込むようにして俯いたまま、口を開いた。
「本当に・・・ごめんね・・・君を・・・」
わかってたはずなの・・・あなたが私の前から消えた理由も・・・
わかっていたのに・・・」
結局、僕は自分のことしか考えてなかったんだね・・・」
それでもその瞳は優しく輝いていた。
そこに刺さったというジェスチャーをして見せた。
フランクは彼女のくったくない笑顔を見つめながら、言い掛けて黙った。
そのままアクセルを踏んだ。
「やっぱり・・・
・・・一緒にいたい・・・」・・・
passion-12.帰さない
collage & music by tomtommama story by kurumi
・・・フランク・・・ ふたりはしばらくベッドの中で動かなかった。 ジニョンがどうしてもと言うので、ホテルから大分離れたところで
・・・ジニョン・・・
ふたりは抱き合ったまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。
互いの心がやっと寄り添うことができた熱い抱擁に甘く酔いしれ、
互いの温もりに縛られでもしたかのように身動きすらできなかった。
しかしその場所はジニョンにとって都合のいい場所とは言えなかった。
最終電車を目指した幾人かのホテル関係者がふたりのそばを
怪訝な眼差しを置いて、通っていることにハッと気がついて、
ジニョンは酷く慌てた。「あ・・帰らないと・・」
「駄目・・・」 フランクは彼女を抱きしめた腕に力を入れた。
「フランク・・・」
「・・・帰さない」
彼はその腕にまた更に力を込め、自分の強い意思を示した。
「だって・・フランク・・駄目よ」
ジニョンは言葉と裏腹に彼の背中で彼の上着を強く握っていた。
「駄目だ・・・帰さない・・・」
フランクはその力を決して緩めようとはしなかった。
次第にふたりの目には周りの誰の姿も見えなくなっていた。
そうして結局、最終電車の時刻は過ぎ、構内を歩く人も
本当にいなくなった。
「電車・・・もうないね」
「タクシーで帰るわ」
「タクシーもなさそうだ」
「そんなわけがないでしょ?」 ジニョンはくすりと笑った。
「・・なくして見せようか?」
昔よくフランクがジニョンにしていたような悪戯な声色だった。
「どうやって?」
「どんなことをしても・・・
君を僕から連れ去るものはすべてこの世界から抹殺する」
「冗談言わないで」
「はは・・でも気持ちは・・・冗談じゃない。」
フランクは笑いながら更に彼女を抱きしめた。
彼がその腕に力を込め過ぎて、彼女の首がくいと後ろへ
逸れてしまうほどだった。
「痛いわ・・・」
「我慢して・・・僕の・・君への10年分の想いが
こうさせるんだ」
フランクはジニョンの頭を掌で自分の首に押し付けると
その髪にそっと唇を落とした。
≪何度・・・夢を見ただろう
どんなにか、こんな風に苦しいほど強く激しく・・・
この腕が・・・あなたの腕が私を離さないことを・・・≫
「・・・フランク・・・」
ジニョンはその名をこの上なく愛しそうに呼んだ。
≪あなたの心臓の音が・・・恋しかった・・・≫
フランクは彼女の顔が見えるように頭を少しだけ後ろに反らせると、
「ん?」と首をかしげて見せた。
「名前を呼んで?」 ジニョンは彼の心臓に耳を当ててそう言った。
「・・・ジニョン・・・」
「もう一度・・・」
「ジニョン・・・」
「ふふ・・この声よ・・・」
彼の声が彼の心臓から響くように耳に届いて、くすぐったそうに
彼女は笑った。
溢れ出る涙をそのままにジニョンは楽しそうに笑っていた。
「この声を・・・聞きたかったの・・・」
「ジニョン・・・」 フランクもまた彼女の名を愛しげに呼びながら
彼女の涙を自分の胸で拭った。
フランクはジニョンの肩を抱き、ふたりは互いに抱き合うように歩いて
構内を出るとタクシーを拾った。
そして、フランクはジニョンのアパートとは逆に車を走らせ、
ソウル郊外へと向かわせた。
タクシーの中で、ふたりは終始無言だった。
フランクはジニョンの手を離さなかった。
時にその手を自分の唇に運び、昔よくそうしていたように、
彼女の掌に何度もキスをした。
ジニョンは少し躊躇って、それでも自分の心に正直に、
頭を彼の肩にもたれかけ、長く忘れられなかった、遠い夢に泣いた
その肩の心地良い感触に涙目に微笑んだ。
フランクがジニョンを連れて入ったのは、ソウル市内から30分ほどに建つ、
海沿いのリゾートホテルだった。
二人は迷いもなく、手を取り合い、エントランスを入って行った。
部屋に入ると、窓の外に波の音が聞こえた。
ジニョンは窓辺に向かい、今自分がいる場所を心に確認していた。
彼女の視線は外にあったが、決して外を見ていたわけではなく、
意識は背中に感じる彼にあった。
その視線を感じながら、ジニョンは僅かな躊躇いに身を堅くしていた。
「もう・・・待たないよ」
フランクは何も言っていないジニョンの背中にそう言った。
そして戸惑いを隠さない彼女の背中を後ろからそっと抱きしめると、
その腕の力に悲しいほどの愛を込めた。
彼の決意は彼女の躊躇いを優しく払いのけた。
ジニョンは自分に回されたフランクの腕を愛しそうに抱きしめて、
意図的に少し緩くなったその腕の中でゆっくりと彼に振り返った。
彼は彼女の顎を指で持ち上げて、一度彼女との視線を優しく絡めた後
彼女がまぶたを閉じる速度と同じくらいの速度で自分の唇を
彼女の唇に静かに落とした。
優しく甘く・・・次第に熱く激しく・・・
彼は彼女の呼吸と自分の呼吸をひとつにした。
時に切なく音を立て、まるで泣くように互いを吸った。
ふたりは窓辺に立ち尽くしたまま、本当に長い時間、
互いを確認しあうかのような切ないくちづけを交わした。
そうしてフランクの唇が彼女の唇を離れて、彼女の首筋に滑り降りると
やっと解放された彼女の唇から甘い吐息が天井に向かって漏れた。
彼の唇が彼女の首筋を這い、彼の手が彼女の薄いブラウスの上から
彼女のふくらみを狂おしいほどに鷲掴みにした。
ふたりはもう既に我を忘れていた。
他に存在する何もかもが、今はふたりと切り離された遠い所にあった。
フランクはジニョンの体を持ち上げてベッドへと流れるように移動した。
ジニョンは彼の首にしがみついて、彼の肩に顔を埋めていた。
彼はベッドに横たえた彼女の上で、静かに彼女を見下ろすと
彼女の乱れた髪を直しながら、彼女の顔に何度もキスを落とした。
そのくちづけが次第に熱を帯びる頃には、フランクの手は
既にジニョンのブラウスを開いていた。
彼は・・・彼女のすべてが欲しかった。
彼女は・・・彼のすべてが欲しかった。
ふたりは二度と失いたくないものを取り戻すかのように、
互いの温もりから少しの間も離れようとしなかった。
「フランク・・・」 ジニョンが目を閉じ彼の名前を口にした時、
瞳にいっぱい溜めていた涙が彼女の白い頬を伝って零れ落ちた。
彼は彼女への想いをその手と唇と・・・彼のすべてで彼女に伝えた。
これほどに求めるものが・・・
この世に存在するという事実に、彼は改めて向き合っていた。
長く彷徨った夢の世界から、自分を引きずり出したのは
今自分の腕の中で舞う彼女に他ないことを、彼は思い知っていた。
そして彼女もまた、喜びと憂いの中で彼の背中に爪を立てた。
互いに抱き合ったまま、ピクリともしなかった。
声すらも出さなかった。
ただ、互いの喉が規則的に息を呑む音と、重なり合った互いの胸に
響く心臓の音に静かに耳を傾けていた。
ふたりは眠れないままその時を過ごしていた。
まるで、自分達が置いて来てしまった時間を取り戻すかのように・・・
「夢じゃないのね・・・」
「夢じゃない」
「本当に・・・フランクなのね」
「本当に僕だ」
ジニョンは愛おしそうに彼の顔を見つめながら指を這わせ
彼の目や鼻や口を確かめるようにひとつひとつ、丁寧にキスをした。
フランクもまた、彼女の額に彼女のまぶたに、彼女の鼻に・・唇に・・頬に・・
そして柔らかな黒髪に・・・彼女と同じように優しいキスを繰り返した。
ジニョンは彼のくちづけを受けながら、胸に込み上げてくる涙を
無理に飲み込もうとして、激しくむせてしまった。
「ごほっ・・ごほっ・・」
「大丈夫?」
「・・・・う・・苦しい・・・くるしい・・・
胸が壊れちゃう・・・どうしようフランク・・
私の胸・・壊れちゃいそう」
ふざけたように笑いながら言うジニョンの目からは止め処ない涙が
溢れていた。
「あぁ・・ジニョン・・・ごめん・・・ごめんよ・・ごめん・・・」
フランクはそんなジニョンを見ていると、これまでの彼女の辛かった想いに
心が潰れてしまいそうだった。そして彼は・・・
彼女を抱きしめながら、ひたすらに謝り続けた。
静かな夜の帳のその中で・・・
ふたりは互いの存在が消えてしまわないかと恐れながら
互いを確かめるように、何度も何度も抱きあい、愛し合った。
眠ってしまうことが怖かった・・・
目を閉じることが怖かった・・・
瞬きの瞬間をも互いを見つめていたかった。
いつの間にか・・・
フランクはジニョンの胸にくちづけたまま眠っていた。
ジニョンもまた彼の髪に顔を埋めたまま、眠った。
そして夢の中ですら、互いを愛しげに抱きしめていた。
フランクが窓から差し込む朝日にまぶたの隙間を破られ、
ジニョンの胸から顔を上げると、珍しくすっきりしない頭のまま、
ベッドサイドの時計に向かって片目を開けた。
そして彼は驚いて大きく目を見開いた。
「ジニョン!ジニョン!起きて」
「ん・・ん~まだ眠い・・・」
ジニョンは体をフランクから離して逆を向き、起きようとしなかった。
「ジニョン!起きなさい・・遅刻するよ」
「んー・・・・・・・」
ジニョンは目をこすりながら、声のする方を向き、フランクと対面した。
彼女はまず最初に目の前で微笑むフランクの存在に驚き、
次に自分の露な姿に驚いて、彼から目を逸らし、慌ててブランケットを
胸に上げた。
そして次の瞬間ジニョンは
隣で立て肘を突いて優雅に横たわるフランクの顔に恐る恐る視線を戻し、
見る見るうちに顔を真っ赤にしたかと思うとブランケットを頭からかぶった。
「ジニョン・・今更隠れても駄目だよ・・それより、7時過ぎてる」
「えっ?」 ジニョンはフランクの言葉に驚いてブランケットから顔を出した。
フランクは彼女がそこから顔を出した直後、待っていたように、
彼女の唇に自分の唇で大きな音を立てて弾かせた。
その瞬間、またも彼女は顔を赤らめたが、その顔は幸せに満ちていた。
「フランク!そんなことしてる場合じゃ・・
あなた・・大事な会議が・・
私・・会議室取ってない・・」
フランクは彼女の余りの慌てように、逆に余裕の溜息をついて見せた。
「仕方ないよ・・時間は戻せない」
フランクはそう言いながらジニョンの手を引いて
シャワー室へと向かった。
「仕方ないって・・」
ジニョンは彼のなすがままに、頭からシャワーのお湯を掛けられた。
「止めちゃう?行くの・・このままここでふたりで・・
その方が楽しいかも・・」
フランクはそう言いながら、手馴れたようにジニョンの髪に
シャンプーの液を落としてその髪に自分の指を入れた。
「フランク・・・」 ジニョンはまだ彼の成すがままだった。
というより、昔、フランクによくこうされていたことを思い出して
しばし懐かしさに浸っていた。
「冗談だよ・・今から急げば、何んとかなる」
「何んとかって・・」
「何してるの?・・・体は自分で洗って・・」
「あ・・はい・・」
ジニョンはやっと我に帰ってその手を早めた。
シャワー室から出るとフランクは、ジニョンの体をバスローブで包み
今度はドライヤーを持ってジニョンの髪を急いで乾かした。
「はい、後は自分でやりなさい。」
そうしてフランクは自分の身支度に掛かった。
「フランク!・・あなた・・私を子供扱いしてない?
・・もう私は大人・・」 ジニョンは今頃になって、フランクのやり様に
シャワー室のフランクに向かって大声で文句を言った。
「うん・・大人の女だった・・」 フランクの声がガラスの向こうで響いた。
「フランク!」 ジニョンの白い頬が瞬時に赤く染まった。
「いいから、急いで」
シャワー室から出たフランクがバスローブを羽織って、
タオルで髪を乾かしながらそう言った。
ジニョンは少しむくれたような顔のまま、洋服を着ながら呟いた。
「まず、ホテルに電話して・・会議室押さえなきゃ・・」
「いいよ!そんなの!」 フランクがドライヤーの音に負けないように
少し声を張って言った。
「いいって?」
「君が行ってからやってくれればいい」
「だって・・・」
「いいから・・僕のことはすべて君がやって」
「そんなこと・・」
ジニョンはフランクがドライヤーで髪を乾かし、歯磨きを済ませるのと
入れ違いに洗面台に再度向かった。
急がなければならないとわかっていながら、すれ違ったフランクから漂う
甘い石鹸の香りにジニョンは思わず気持ち良さそうに目を閉じた。
「何してるの?」
「あ・・はい」
彼女はまたも急かされて、慌てて歯ブラシに歯磨き粉をつけた。
フランクはジニョンの仕草が余りに可愛くて、思わず手を止め
抱きしめたい衝動を堪えるのに苦労していた。
「ジニョン?」
彼は裸の体に直接シャツを羽織りながら、彼女を呼んだ。
「ん?・・」 ジニョンは歯磨きをしながら彼に振り向いた。
「愛してる」 フランクは満面の笑みを彼女に投げた。
「ば・・か・・」 ジニョンはもごもごと言った。
一緒に乗ったタクシーからフランクがひとりで降りて、違うタクシーを拾い、
別々にホテルに向かった。
ジニョンがやっとホテルに着いて、社員通用口から駆け込むと、
イ・スンジョンと出くわした。
「ジニョン!」
「あ、先輩・・おはようございます」
挨拶をして彼女の横を通り過ぎようとした時、ジニョンの足が突然止まった。
「何ですか?・・私急いでるの・・」
スンジョンがジニョンの腕を引っ張っていたからだった。
「・・・・」 スンジョンはジニョンを疑わしげな目で見ていた。
「な・・何ですか・・」
「あなた・・昨日家に帰らなかったわね」
こういう時のイ・スンジョンの鼻は間違いなく利く。
「えっ?」
「昨日と同じ服・・」 そう言って、ジニョンのシャツの裾を摘んだ。
「な・・何言ってるんですか?見間違いじゃないですか?・・
それより・・急がなきゃ・・会議室・・」
ジニョンは彼女の疑いの眼差しを背中に感じながら、更衣室へと急いだ。
「会議室?」
スンジョンは慌てて走り去るジニョンの背中に首をかしげた。
ジニョンはとにかく更衣室に走った。
「ボス・・どうした・・遅かったじゃないか」
フランクが会議室に向かうと、そこには既にレオと、エリック達スタッフが
彼の到着と、会議室の開場を廊下で待っていた。
後ろからジニョンが走って来る足音が聞こえた。
フランクはその音に思わず俯きながら頬を緩ませた。
「申し訳ございません・・・遅くなりました」
「何やってるんだ・・困るよ・・もう7分も過ぎてるぞ」
レオが訝しげにジニョンに言った。
「申し訳ございません・・・私のミスですので
朝食は特別なものをご用意させて頂きます」
そう詫びながら、ジニョンは会議室の鍵を急いで開けた。
出席者達が順次部屋に入り、最後に入り口を通ったフランクが
ジニョンに口だけ動かしたかのように小声で言いながら微笑んだ。
「何故遅れたの?」
ジニョンは彼を軽く睨んで、他の人に悟られないように、
彼の腕をつねった。
しかしジニョンをからかいながらも、出席者達の方に向いていた
彼の表情は憎らしいほどに
寸分たがわず
・・・フランク・シンの顔だった・・・
passion-11.心に響く声
collage & music by tomtommama story by kurumi 教会を出ようとしたその時、フランクが祭壇に向かって十字を切った。 ≪後ろ姿?≫ ≪うん・・神様を信じてるなって、背中に感じるの≫ ≪ふ~ん・・・改心したからかな≫ ≪改心?≫ ≪そう・・昔は信じてなかった・・神様のこと≫ ≪昔は?≫ ≪ん、ちょっと前までね・・・≫ フランクはジニョンに対していつもストレートな愛情表現した。 そして今、彼女はこうして彼の強引なまでの行動に驚かされながらも ジニョンは素直にそう思っていた。 ソウルホテルが経営難に陥っていることは、もう大分前から ハンガン流通がソウルホテルを買収するべく、裏で取引銀行に手を回し、 会議が終了し、出席した者がそれぞれに困惑を顔に描きながら退席していった。 ジニョンも今は何も考えず、自分のできることをやるしかないと 「ジニョンssi・・お父様から先程、連絡があったのよ」 「父から?」 「三日後には帰国されるそうよ・・今の状況で彼がいてくれると心強いわ・・ 「あ・・はい・・・・」 「・・どうかしたの?ジニョンssi・・・そんな顔しないで・・・大丈夫よ、 「ええ・・もちろんです。」 「それから、お父様もお喜びでしたよ」 「えっ?」 「あなた達のことよ」 「あ・・それは・・」 ジニョンはとっさにそれを否定しようと口を開いた。 「ごめんなさい、私、余りに嬉しくて、ついおしゃべりしちゃって・・ 「あの・・」 「おめでたいことだから、許してね・・ 「・・・・・」 「どうかしたの?・・」 「あの・・実は・・」 「社長、少しお休みになられた方が・・」 「社長、ご気分でも悪いんですか?」 ジニョンは社長の顔を覗きこんだ。 「さっき、貧血を起こされた」 代わりにテジュンが答えた。 「そうなんですか?」 「少し疲れただけなのよ・・ 「とにかくここは、我々に任せて・・今日のところはお休み下さい」 「そうね、そうさせていただくわ・・」 テジュンとジニョンは社長室を出てフロントへと向かった。 「何だ?ホテルのこと以外なら、今は止めてくれ・・ 「大事なことなの」 「今は個人的なことより、ホテルのことに神経を注ぎたい」 「社長、お体の調子が悪いというのは本当なの?」 「言っただろ・・さっき貧血を・・」 「それだけ?・・・」 「・・・・・」 「何か隠してない?・・」 「いや何も?」 ジニョンはテジュンの社長の体を心配する様子が更に気になっていた。 「信じていいのね」 「ああ」 ふたりがフロントへ向かっていると、前方にフランクが現れた。 「あ・・フ・・お客様・・・いかがなさいましたか?」 「ビジネスセンターを使いたいのですが」 「あの・・センターは既に終了してしまって・・」 「保安課に連絡入れて・・ソ支配人、あなたがご案内してください」 そしてテジュンは 「それでは・・・失礼致します・・お客様」 ジニョンはフランクを呆れたような顔をして振り返りながら 「どうも彼には嫌われているようだ」 フランクが面白がっている風に言った。 「そうかしら・・・」 「よく言うわ・・散々・・あ・・駄目ね・・またこんな言い方・・」 「胸に刺さる」 フランクはそう言って自分の胸に手を当てた。 ジニョンはフランクのその仕草に笑いながら言った。 「部屋では、君に逢えない・・・」 「だから、よくここを利用してたのね」 ジニョンは呆れたように笑った。 「その通り。・・・ところで、ソ支配人、忙しそうだね?」 「ええ・・・不本意ながら 「ところで・・・」 フランクは電話機のボタンを押しながら切り出した。 「どうかしたの?・・顔色が悪い・・心配事?」 「ブライアン・・僕だ・・フランクだ・・」 ジニョンはフランクが仕事の電話を掛けている間、黙って待っていた。 「ああ・・知らない・・今聞いた・・わかった・・確認してみるよ・・ 「8を回して部屋番号を・・」 「レオ!エリックのことを何故黙ってた! 『しかし、ボス・・このまま待っていて何の得がある』 「それは俺が決めることだ!」 『ボス・・しかし・・』 「お前はエリックの部下か!俺の部下なのか、どっちだ!・・ 「あ・・ごめん・・つい大声で・・」 「まったく知らなかったわけじゃないから・・ 「はは・・そうか・・また君に叱られそうだね・・気をつけるよ」 「お仕事大変なのね」 「ああ・・・明日、会議室を用意して欲しい・・8時に」 「ええ・・いえ、はい承知いたしました。怒られないように・・ 「ジニョン・・・」 「えっ?」 「さっき、言い掛けただろ?何か悩みでも・・」 「ああ・・いいえ、何でもないわ」 「本当に?」 フランクは少し身を屈めてジニョンの顔を下から覗き込んだ。 「ええ・・」 それから、テジュンと自分のことは自分で解決しなければならない ≪フランク・・・たぶん・・・ ジニョンはまだ自分のフランクへの想いの変化を、自分自身の心に 「仕事はまだ終わりじゃないの?」 「ここへ来なかったら、終わってたけど」 「はは・・そうか・・・じゃあ、外で待っててもいい?」 「・・・・・・」 ジニョンは少しの間言葉を呑んだ。 「駄目?」 フランクはまたジニョンの目を下から覗いた。 「・・・いいわ」 ジニョンは自分の心に決心したように頷き言った。 「本当に?」 「でも・・もう遅いから・・少しだけ・・」 「ああ・・また駅まで送るよ」 フランクは満面を笑みにして喜んだ。 「ええ」 「お待たせ」 ジニョンもまた頬を緩めていた。 「ああ」 ふたりは数日前と同じように並んで歩きながら、互いの心が しばらくの間ふたりとも無言で歩いていたが、先にジニョンが口を開いた。 「私があなたをドンヒョクssiと呼ばずに・・フランクって・・」 「決して・・・あなたが本当のあなたじゃないとか・・ 「・・・・・」 「フランクは・・・私にとって・・フランクは・・・ 「・・・・・」 「初めてあなたと逢った時・・・別れ際に・・・ 「ああ・・もちろん・・覚えてる」 「その後・・あなたが行ってしまってから・・ 「・・・・・」 フランクは歩くのを止めて、ジニョンの背中を見つめた。 「あの日から・・・いつもいつだって・・・ 「ジニョン・・・」 「だから・・・あ~!何だか上手く言えないわ・・私ったら、 「わかるよ・・・言ってること・・・」 フランクは穏やかにそう言った。 「・・・・・」 「ありがとう・・・」 「ありがとう?」 「ああ・・君の中に僕を残してくれていて・・・」 「誰がそんなこと言ったの?」 「その目が言ってる」 「チィ・・わかったように言わないでって・・」 「・・・・・」 「さあ、電車に遅れる・・急いで駅へ行かないと・・」 「ええ」 ふたりは互いに照れたように笑いながら周りを見渡して、 ふたりで歩くにはホテルから駅への道はやはり短か過ぎた。 「それじゃ・・」 「ああ・・また明日・・・」 「ええ・・また明日・・じゃ・・」 ジニョンは何度か振り向き、微笑を送りながら構内に消えた。 フランクはフーと溜息をつき、ポケットから煙草ケースを出すと フランクが走って構内へと向かい、駅の改札の方へと角を曲がった瞬間に、 フランクは余りの驚きと喜びに胸を突かれたように混乱しながら 彼は彼女の名前を声には出さなかった。 ただ自分の胸に響くその名を心で聞いていた ・・・ジニョン・・・
ジニョンは昔から彼のその後姿が好きだった。
≪フランクがお祈りしている後ろ姿、素敵≫
10年前の或る日、そう言ってフランクは私にウインクをした。
≪それはきっとね・・君と出逢ってしまったから・・・
君と出逢ったことは僕にとって奇跡みたいなもんだよ
だから、信じないわけにはいかなくなった
だからね、こうして、神様にお礼の気持ちを伝えてるんだ・・・
君に逢わせてくださってありがとうございますって≫
彼はそう言って十字を切って見せた。いつもそうだった。
ジニョンはそんな時のフランクの笑顔が好きでたまらなかった。
10年の年月はとても長くて苦しかったけれど・・・
ジニョンはいつも彼のその笑顔を心に描いては自分を宥めていた。
その時を乗り越えて、その頃の彼に対する狂おしいほどの感情を
また胸に蘇えらせている。
ジニョンが緊急に呼び出されたのは、ソウルホテルに存亡の危機が
訪れていることをホテルの支配人クラスまでに知らせておきたいという
ドンスク社長の意向によるものだった。
従業員の間でも噂にも上り、ホテルの顧問弁護士を父に持つジニョンが、
他の従業員達から問い質されるということもしばしばあった。
しかしこうして改まった形で、社長直々に通達をするということは、
現在の状況がかなり緊迫した状態にあるのだろうと、経営に疎いジニョンでさえ
察しが付くというものだった。
従業員の給料までも支払えない状況に追い込まれつつあることも、
社長は正直に話したが、“皆さんにご迷惑は決して掛けない”と誠意を示した。
テジュンが、従業員一丸となって、この不測の事態に対処していこうと
彼らの士気を上げた。
副総支配人やその臣下は、決してテジュンに対して協力的とは言えなかったものの
多くの支配人達は彼の元、結束を固めることを誓ってくれた。
自身に言い聞かせながら姿勢を正し、チェックアウトを控えたフロントへ
宿泊客の対応に向かった。
その夜、ジニョンとテジュンは社長室に呼ばれた。
ジニョンssi、お父様が帰国されたら、至急役員会を開く予定です・・・
支配人全員参加して頂きますので宜しくお願いしますね」
心配ないわ・・・皆で協力して乗り切りましょう
このソウルホテルは先代の・・
いいえ、私達の夢ですもの・・安心なさい
決して潰したりしない・・決して他人の手に渡さないわ。」
ジニョンは社長の言葉を聞いて、心に少し灯りを取り戻したようだった。
そう言いながら、社長はにこやかにジニョンとテジュンを交互に見た。
あなた、まだお父様にお話してなかったんですって?
私、てっきりお話されてると思って、お祝い申し上げちゃったわ」
ジニョンssi、テジュンssiとあなたが一緒にいて下されば、安心だわ」
ジニョンの言葉を遮るように、テジュンが言葉を挟んだ。
テジュンssiが大げさなの・・ありがとう、でも大丈夫よ」
テジュンが社長の体を支えてそう言った
「テジュンssi・・・話があるの」
大事な時なんだ・・気持ちを集中したい」
ジニョンはそう言いながらも、別のことが気になってしかった無かった。
この時、ジニョンにはテジュンの声は届いてはいなかった。
先ほど垣間見たドンスクの様子が気になって仕方なかったのだった。
しかしテジュンはそれ以上何も言わなかった。
フランクはジニョンがテジュンと真剣な面持ちで話している姿を見て
胸が痛むのを感じていた。
ジニョンは困ったように、テジュンを見た。
透かさずテジュンがそう言った。
「お客様のご希望に万全を尽くすのがホテリアーの役目だろ?」
とジニョンに小声で呟いた。
それは彼女に、彼が飽くまでも『客』であることを強調しているように思えた。
テジュンは儀礼的な笑みを浮かべて、ドンヒョクに会釈し立ち去った。
ビジネスセンターの鍵を開けた。
「仲がいいんだね」
「気になりますか?」
「ああ・・気になる」
「・・ところでお客様?・・・ここでできることは
お客様のお部屋でもできるようになっているはずですが・・」
フランクは書類に目を通しながら、表情を変えずにそう言った。
フランクは受話器を取った。
我侭なお客様のお相手をしなければいけない時もありますので」
フランクは今度は無言で胸を押さえ目を閉じると、傷ついた、という仕草をした。
「えっ?」
「え・・ええ・・実は・・・」
ジニョンがフランクに話をしようとした瞬間、彼が掛けていた国際電話が
繋がってしまった。
フランクはジニョンに目で“ごめん”と合図をした。
それじゃ・・・この電話を部屋に回すには?」
一旦、受話器を置いたフランクがジニョンに向かって問うた。
ドンヒョクの顔はつい今しがたまでの優しげな表情を何処かへ
置き忘れたかのように強ばり、電話のプッシュボタンを押した。
保留だと言ったはずだ!俺を何だと思ってる!」
それともコミッションでももらったか!
とにかく!明日の朝までに会議の資料を用意しろ!」
フランクは大声を張り上げた勢いのまま受話器を乱暴に置いた。
我に帰ったフランクがジニョンの視線を感じて、トーンを下げた。
でも迫力・・増してるかも」
ジニョンはそう言ってわざとらしく天井を見上げた。
フランクは神妙に言って、ジニョンに笑みを向けた。
ちゃんとご用意いたします、お客様」
ジニョンのわざとらしいかしこまった言い方に彼は苦笑した。「それで・・」
ホテルの事情、社長のこと、敢えてフランクに話すことではないと
ジニョンは思った。
そう思っていた。
またあなたと生きるため・・に?・・・≫
認める勇気を探していた。
フランクがセンターでの仕事を終えようとしている時、書類をまとめながら
ジニョンにそう言った。
ジニョンはそう言って小さく彼を睨んだ。
ジニョンが私服に着替えて通用門に現れるのを、フランクは待っていた。
次第に頬が綻ぶ自分に笑いながら、時折眼鏡の中心を指で押し上げた。
その時よりもかなり近くにあることを、歩く靴音にさえ感じた。
「フランク・・って・・・」 「ん?」
「・・・ああ・・」 フランクはジニョンが何のことを話し始めたのか、
やっとわかって相槌を打った。
ドンヒョクssiじゃないとか・・そういうことじゃないの・・・」
フランクでしかなかったから・・・」
ほら・・ブロックの角をあなたが曲がって消える瞬間に・・・
“フランク”・・・あなたがそう残した・・・覚えてる?」
次の日も次の日も・・また次の日も・・・
私の頭の中はあなたでいっぱいだった・・
フランクでいっぱいだった・・・だから・・」
私にとってあなたは・・・フランクだったの・・・
フランクでしかなかったの・・・」
ジニョンもまた立ち止まり振り返ると、彼を切なげに見つめた。
何言ってるのか・・良くわかんなくなっちゃった」
ジニョンは自分自身がじれったいかのように、自分の髪の毛を
ぐしゃぐしゃにした。
「わかってる・・・」
そこがもう目的地の駅だったことに気がつくと、更に笑った。
ジニョンはまだ照れたようにスカートの裾を握って会釈した。
フランクは残念そうな眼差しを彼女に送りながら手を振った。
煙草を一本抜き取った。
しかし次の瞬間、彼はその煙草を素早く元に戻すと、ジニョンが今しがた
下り去った階段を勢い良く駆け下りた。
突然その足を止めた。
目の前にジニョンがこちらを向いて立っていた。
吐き出すように溜息をひとつついて彼女に駆け寄り、その手首を取ると、
ぐいと引き寄せ自分の胸にきつく抱き止めた。
「・・・フランク・・・」
その瞬間ジニョンが口にした彼の名前はまるで溜息のようだった。
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passion-10.天使の微笑み
collage & music by tomtommama
story by kurumi
あなたを愛しています・・・どうか・・・
愚かだった僕を許して下さい・・僕は・・・
僕はあなたがいないと・・・
生きていけません
だから・・・僕の半身を・・・
・・・迎えに来ました・・・
「・・・離して・・・」
「離したくない・・・」
「・・・・・」
「・・・もう少し・・こうしていて・・・
このままもう少し・・君と・・・」
「・・でも・・・」
「わかってるよ・・・
まだ君に許されていないことも・・・わかってる・・・
でも今だけは・・・こうしていて・・・
こうして・・・僕を抱いていて・・・お願い・・・」
フランクはまるで子供のようにジニョンに請うた。
≪前にも・・・こんなことがあった・・・
彼がこんな風に言う時は
それは彼が・・・彼の心が・・・とても傷ついている時≫
ジニョンは心の中でそう思った。
ジニョンには悲しいことに、そんな彼の心の叫びが聞こえる。
どんなに拒絶しようとしても、彼の心は執拗なまでに彼女を離さない。
そして彼女の心は無意識の内に彼に寄り添ってしまう。
≪こんなにも・・・息が掛かりそうなほど近くに
あなたがいる・・・
これは現実?・・・それともまやかし?
あぁ・・・でもこの匂いは・・・あなた・・・≫
彼女は目を閉じ、まだ消えぬ戸惑いと懸命に戦いながら
それでもいつしか彼の胸に我が身を委ねる心地良さに揺れていた。
あれほどに愛しかった彼の心が今自分の腕の中で泣いている。
彼女の心は知らず知らず彼の涙を優しく拭っていた。
館内を流れる淡いセレナーデが彼女に時を遡らせる勇気を与えるかのように、
優しくそして切なかった。
そんなふたりを引き裂くように、彼女の手の中でまたも無機質な邪魔が入る。
ジニョンは放心した自分を懸命に取り繕い、それに応答する為に自分の呼吸を
数回意識して数えた。
「出ないと・・・」 ジニョンがフランクから体を少し離し、そう言うと、
ドンヒョクは寂しげな笑みを浮かべゆっくりと頷いた。
「は・・はい・・・ソ・ジニョ・・えっ?」
突然言葉を切ったジニョンが慌てて入り口の方に視線を移した。
そこに警戒した様子も無くヴィラに入ろうとしているテジュンが見えた。
「ジニョン・・・ダイヤモンドヴィラの見回りは警備の仕事じゃ・・」
テジュンが言い終わらない内に、フランクは彼の視界に入った。
「あ、失礼しました・・・サファイアの・・・お客様・・ですね」
「シン・ドンヒョクです・・・総支配人ハン・テジュンssi・・・」
彼とは今まで何度か遭遇していながら、こうしてフランクが名乗るのは
初めてのことだった。
フランクはテジュンに、柔らかい口調とは裏腹の攻撃的な視線を向けた。
「申し訳ございません、お客様・・・ここは立ち入り禁止区域です・・・
従業員が手違いを起こしたようですね・・・」
テジュンもまた、ホテルの客に対するそれとは思えない厳しい目を
彼に放っている自分をしっかりと自覚していた。
「いえ、僕がソ支配人に案内を頼んだんです。
ソ・ジニョンssi・・・ご迷惑をお掛けしました・・・
今日は、これで失礼します」
フランクは儀礼的な挨拶の後、ジニョンに対して熱い視線を残して
ふたりの前から去って行った。
ジニョンはその間、自分の動揺した心を落ち着かせていた。
そして落ち着きを取り戻した時、テジュンが恐ろしい程に
険しい視線を自分に向けていることに気が付いた。
「お前!いったい何やってるんだ!」
「お客様がおっしゃった通りよ、案内してたの」
「こんな遅くに、ふたりっきりでか!
誤解を招くことも考えられない馬鹿なのか、お前は!」
「馬鹿?・・そうね、馬鹿だわ・・でも!」
「でも何だ!」
「・・・誤解・・・じゃない・・・きっと・・・」
「どういうことだ」
「彼は・・・私の・・・」
「いや、いい!・・それ以上言うな」
「どうして?気になっていたでしょ?」
「気になってない」
テジュンはジニョンの視線から逃れるように暗闇に顔を向けた。
「ごめんなさい・・テジュンssi・・・
・・・・・私も・・・言わなくていいと思ってた・・・
その必要は無いと思ってた・・・
終わったこと・・・そう思ってたから」
「思ってた?」
「そう・・・でも・・・違ってた・・・
終わってなかったの・・いいえ、とっくにわかってたのかも・・
そうなのよ・・私がただ・・そう思い込もうとしていただけ・・・
それが・・・今・・・わかったの・・・」
「あいつを?」
「愛してる・・・昔も・・・今も・・・」≪さっきフランクに言うべきだった≫
ジニョンは心の中で後悔していた。
「・・・・・!」
「だから・・・」 ジニョンはテジュンに詫びるように彼を見上げた。
「社長が俺とお前との結婚の話を進めたいとおっしゃってる」
テジュンはジニョンの言葉とその眼差しを遮るように言った。「えっ?」
「俺が話した・・・」
「そんな・・だって、あなた・・
そんな話、私と一度もしたこと・・ない・・」
「言っただろ?お前からプロポーズされたあの日から
決めていたと」
「勝手なこと言わないで。逃げたくせに」
「・・・社長は喜んで下さっている・・先代の社長もそれを望まれていた。
お前と俺で、このホテルを盛り立ててくれること
それはお前も知っていただろ?」
「駄目よ」
「何が駄目だ」
「私・・今、言ったでしょ?・・彼を愛してるの・・・」
「それがどうかしたか?」
テジュンの目はジニョンを、ぎっと睨みつけていたが、
その声は怖いほどに冷静だった。
「テジュンssi・・・」
「俺は認めない。」
「テジュンssi!」
「もう帰って寝ろ・・それじゃ」
テジュンはジニョンの言葉を無視して彼女を一度も振り返えることなく、
その場から性急に立ち去った。
≪テジュンssi・・・≫
「さっきは・・・悪かったね・・・彼は・・・怒っていただろうね」
ジニョンはその夜、フランクからの電話を受け取った。
彼女はテジュンのことを浮かべて、思わず声が上ずった。
「え・・ええ・・大丈夫よ・・・」
「本当に?大丈夫?・・・」
「ええ・・本当に大丈夫。」
「ごめん・・・今日は
どうしてもふたりだけになりたかったんだ・・・」
「ええ・・・」 ≪わかってるわ≫
「怒ってる?」
「いいえ・・・」
「僕が言ったこと・・・嘘じゃないことも・・・信じてる?」
「・・・・・」 ジニョンは一瞬だけ、言葉を詰まらせた。
「信じてる?」 フランクは再度確認するように聞いた。
「ええ」
「本当に?」
「ええ・・・信じるわ」
「あー気分のいい言葉を聞けた・・・
これでゆっくり眠ることができる」
「あの・・・でも・・まだ・・」
「わかってるよ・・・急がない・・・
君が本当に僕を受け入れられるようになるまで・・・
待ってる・・・もう強引なこともしない・・・
ゆっくり考えて・・」
「ええ」
「母の墓にお花を・・・ありがとう・・・
さっき言い忘れていた」
「勝手にしたことだもの」
「僕はどんな償いをしたらいいだろう」 フランクはポツリと言った。
「償い?」
「ああ」
「それって・・何だか・・」
「変?・・・」
「ええ・・言っておくけど・・うぬぼれないで欲しいわ・・・
私毎日泣いて暮らしたわけじゃない」
「そうだね」
「・・・・・・」「・・・・・・」
「あの・・・」
「何?・・」
「もう切りましょうか?疲れたでしょ?
今日遠くまでお出掛け・・」
「切らないで・・・」 フランクは追い駆ける様に言った。
「だって・・・」
「あ、いや・・ごめん・・・君の方こそ疲れているよね
そろそろ・・・休まないと・・・」
「ええ・・・」≪本当は・・・≫
「・・・・・・・」
「それじゃ、おやすみなさい・・・」 ≪こう言いたいんじゃない≫
「ジニョン」
「えっ?」
「いや・・・おやすみ・・・」
≪愛してる・・・≫そう言いたかった。
しかし、その言葉は今のふたりにとって、まだ簡単ではなかった。
ふたりの間にはまだ大きな壁が立ちはだかっているようだった。
それでも、互いの心が共にあったその時が愛しくてたまらなかった。
ジニョンは電話を切った後、締まり無く緩む自分の顔に気が付いて
自分で自分の頬に緩くパンチした。
そしてそのままベッドの上に横倒しに倒れ込み、ブランケットを
首まで掛けると体を丸くして、浮かれ過ぎている自分を嗜めるように、
首を大きく振った。≪私ったら・・・≫
そしてジニョンは浮かれ過ぎた心を静めるようにテジュンのことを考えた。
≪彼ときちんと話さなければ・・・≫
ドンヒョクは、今日を境に本当の自分を取り戻したことを自覚していた。
≪彼女さえいれば・・・この世に・・・彼女さえいればいい・・・≫
結局到達するところはそれだった。
≪わかりきっていたことじゃないか≫
しかしその前にやらなければならないことがある
ジニョンの為に・・・ソウルホテルの建て直しを図る為にも
このホテルをハンガン流通の手に渡すべく、事を進めなければならない。
ジニョンの幼い頃からの夢、ソウルホテルを潰してしまわないように・・・。
「レオ・・・起きろ」
ソウルホテルの買収は水面下でフランクの思うように事が運んでいた。
債券取得の駆け引きの駒も、難なくフランクに転がって来た。
≪しかし、ジニョンはきっとこの事実を喜びはしないだろう≫
結果的にホテルを救うこととなることを、彼女がどれくらい理解してくれるか、
フランクにはわからなかった。それでも
いつの日かこれが正しい選択であることを、彼女もきっとわかってくれる。
フランクは真夜中の戦いを優勢に収めた後、朝もやの漢江を
ベランダから眺めながら、昨夜、この腕に抱いていたジニョンの温もりを
思い出していた。
≪やはり、彼女に何もかも打ち明けよう≫
フランクはそう思った。
「レオ・・・その結論、一週間待ってくれ」
フランクはレオの手に握られていた勝利に向かう書類に向けて言った。
「一週間?ウォール街じゃ、一年の長さに等しいぞ」
「わかってる・・・」
「わかってないだろう・・どうしてだ?急に。
お前らしくもない・・これだけ揃った駒をどうして振らない・・・
俺達の勝利は目の前に座って待ってるんだぞ」
「いいから!言う通りにしろ!・・ちょっと出掛けて来る」
レオの尤もな意見に後ろめたさを抱きながら、フランクは彼を睨んだ。
「おい!フランク!」
フランクはレオから逃げるように、車のKEYを手に取り、部屋を出た。
「おはよう」
フランクからの電話でジニョンは目が覚めた。
「あ・・フランク・・・いったいどうしたの?今何時?」
「6時・・・」
「6時?私、今日・・遅番なのよ・・まだ眠い・・・」
≪もう・・強引なことはしないんじゃなかったの?≫
「寝不足かい?いつまでも起きてたんだろう?」
「誰のせいだと・・」≪あなたのことが気になって眠れなかったのよ≫
「えっ?」
「何でもないわ!」
「いいから・・・直ぐに出ておいで」
ジニョンは膨れながら電話を切った後に、「もう!」と口を尖らせた。
しかしその直ぐ後には“仕方ないわね”と口元を緩ませた。
顔だけを大急ぎで洗ってアパートの下へ降りると、フランクは
清々しい顔で待っていた。
「速かったね」
ドンヒョクは微笑みながら、ジニョンの手を取ると、彼女を車に乗せた。
フランクがジニョンを連れて来た場所は、ホテルの近隣に建つ教会だった。
教会には既に数人の信仰者がミサに訪れていた。
「何をするの?」
「シー」 フランクは指を口に立てた。
フランクはジニョンの手を引いて、礼拝堂の中央を前に進むと
あまり人が座っていない場所に彼女を誘導し、座らせた。
「NYの教会、よく行ったわね・・ふたりで・・」
ジニョンはこそこそと彼に耳打ちした。
「ああ・・いっぱい君に懺悔させられに」
「意地悪ばかりしてたからよ・・・」
「そうだったね・・・」
「ふふ」
「君に話さなければならないことがあるんだ」
「今までよりも罪深いこと?ふぁ・・・」 ジニョンは余りに眠くて、
あくびを一生懸命堪えていた。
「そうかもしれない・・・」
「じゃあ、また・・ざん・・げ・・ね・・・」
「そうだね・・・」
「・・・・・・・・」 ジニョンの声が聞こえなくなったかと思うと、
彼女はとっくに彼の肩の上で眠りに落ちていた。
≪・・・・まったく・・・少しも変わらないね・・・ジニョン・・・
君は昔から僕といると、直ぐに眠ってしまう≫
フランクはジニョンが寝心地良いように、頭の位置を直して
彼女のひとときの眠りを妨げないようにした。
≪あの日・・・君と初めて会ったあの日・・・
こうして僕の肩で眠り込んでしまった君に僕は口づけをした。
そして僕は・・・間違いなくあの時君に恋に落ちたんだ・・・≫
フランクはかなり疲れているらしい彼女を起こさないように
それでもどうしても触れたくて、彼女のまぶたにそっと口づけた。
しばらくの静寂の後、突然電話のベルが教会に鳴り響き、
彼女が飛び起きた。「きゃ・・あなたの?・・・」
鳴っている携帯が自分のものだと気が付いたジニョンは、
慌てて応答した。
「はい・・はい・・わかりました・・今行きます」
ジニョンは小声でその電話の主に答えながら、フランクを見た。
「仕事?」
「ええ・・緊急ですって・・・あ・・
あなたの懺悔、聞けなかったわ」
「したけど・・」
「駄目よ・・今度またちゃんと聞かせて」
「ああ・・」≪そうしよう≫
「指きり」
ジニョンとの久しぶりの指きりに、フランクは≪もう若くないんだよ≫と
思いながら、笑って応じた。そして・・・
フランクはジニョンの手を取り、目で合図すると、
彼女も直ぐに理解したように、掌を広げた。
「ジー」「ジー」ふたり同時に掌を合わせて思わず笑った。
「ふふ」
「忘れて無かったね」
「ええ・・・あなたの職業病だもの・・・」
ふたりは10年前に戻ったように、徐々に心を通わせ始めていた。
「そうだわ・・忘れてた」
そう言いながらジニョンがシャツのポケットをまさぐった。
「何?」
「・・プレゼント・・ネックレスのお礼にと思って・・・」
「僕に?・・開けてもいい?」
「ちょっと前に用意してたんだけど、
つい・・渡しそびれちゃって・・・」
フランクが急いで包みを解いている様子をジニョンは嬉しそうに
眺めながら言った。
「万年筆よ・・さっきみたいに、契約した時に使って?
昔はあなたにプレゼントなんて出来なかったし・・
初めてのプレゼント」
「ああ・・嬉しいよ、ジニョン・・」
フランクは包みの中からその万年筆を取り出すとそう言って、
ジニョンをぎゅっと強く抱きしめた。
ジニョンは彼の突然の行為に思わず周りを見渡して、
恥ずかしそうに、“人が見てる”と慌てて彼を嗜めた。
≪そんなこと構うもんか・・・≫
フランクはそれでも彼女の言うことを聞いて、
歓喜の声を低く静かに上げた。
ジニョン・・・
神様が返してくれた・・・僕の・・・
・・・天使・・・
passion-9.半身への涙
collage & music by tomtommama
story by kurumi
「レオ・・・ドンヒを探してくれないか」
「妹か・・・しかし韓国を離れたのが二歳じゃな・・・
だがやってみよう」
「頼む・・・」
あれは僕がまだ11歳の誕生日を迎える少し前のことだった
その頃僕には養子縁組という言葉の意味すらわからなくて
施設の先生が優しく丁寧にしてくれた説明をただ黙って聞いていた
結局その時僕に理解できたことは、この僕が
韓国から離れて・・・
家族から離れて・・・
ひとりきりで知らない遠い国へ行く、そのことだけだった
そのことを知った日から僕は毎日、
施設の門の前で日が暮れるまでいつまでも立っていた
もしかしたら・・・父さんが突然気が変わって
慌てて僕を迎えに来てくれるかもしれない・・・
そう思ったからだ
汗をかきながら走って来る父さんの姿が
僕の目の前に何度も何度も浮かんでは消えた
でも結局・・・父さんは現れなかった
施設はもう直ぐやってくるクリスマスに賑わっていた
空から舞い降りる雪が
園庭の茶色の地面や木々の緑の枝を白くふんわりと飾り
屋内に置かれた僕ほどの高さのツリーは
質素ながらも子供達には煌びやかに見えた
子供達も大人達も楽しそうに笑っていた
そんな中僕は、不思議と冷静で、少しの涙も流すことなく
ひとり心の中で父さんを諦めた
そしてとうとう僕がアメリカに渡る日がやってきた
その当日の朝、
僕は施設の先生に黙ってドンヒに会いに行った
彼女と別れて半年が経っていた
僕にとって、今となっては唯一の家族だったドンヒ・・・
最後に一度だけ、彼女にどうしても会いたくて・・・
僕は早朝の施設の門をよじ登った
彼女はまだ本当に小さくて、僕のことなどとうに忘れていた
僕がドンヒを抱きしめると、彼女が急に泣き出してしまって
あの時僕は本当に慌ててしまった・・・
彼女はきっと何もわからず、ただびっくりして
泣いていたのだろう
でもその時の僕には、彼女が僕と同じ気持ちで・・・
僕と別れることが悲しくて泣いているように思えた
そしてその時僕は彼女を強く抱きしめてこう言った
≪ドンヒいいかい?・・・
いつか必ず父さんが君を迎えに来てくれる
その時まで泣かずに待っておいで・・・いいね、ドンヒ≫
あんなに小さかったあの子を・・・
あんなに泣きじゃくっていたあの子を・・・
子供だった僕はなすすべもなく置き去りにした
どうして僕は・・・探さなかったんだろう
もっと早くに・・・あの子を探さなかったんだろう・・・
ドンヒ・・・君はあれから・・・幸せに暮らしたかい?
今も・・・あの日のように、泣いてないかい?
ごめんよ・・・
君を置いて来てしまった僕を・・
許して・・・ドンヒ・・・
フランクの奥深くに沸き上がった燃え滾る父への怒りが・・・
いつしか自分自身のそれへと変わっていた。
≪韓国へ来て、初めて君を待っていたのはここだった≫
フランクはジニョンを想いながら、スターダストの二階の席を
ひとり陣取っていた。
「どこなの?」
ジニョンの声が下から届いて、フランクはにやりと笑った。
「いないじゃない」
先刻従業員に向かって、睨みを効かせた成果がやって来て
下で自分を探していることに、フランクは言い知れぬ喜びを
感じていた。
そして彼は手摺りにもたれながら微笑み、彼女の姿を追った。
≪ああ・・・やっぱり君は・・・僕の・・・≫
「あ・・・」
フランクにやっと気が付いたジニョンが、困惑の表情の中に
隠した喜びを瞳に偲ばせながら、二階へと上がって来た。
フランクはそれを確認すると、ゆっくりと席に着いた。
「呑みすぎではありませんか?お客様」
そう言ったジニョンの言葉は決して尖ってはいなかった。
「やっと逢えましたね・・・」
フランクは彼女のその声に安堵して、彼女を見上げた。
「えっ?」
「ずっと避けられてたから・・」
「そんなこと・・・」
「あったでしょ?」
彼は彼女を悪戯っぽい目で下から覗き込んで言った。
「・・・・・」 ジニョンは言葉に詰まっていた。
彼に逢う度に切なく揺れてしまう自分の心を持て余して、
彼を避けていた。それは事実だった。
でも・・・本当は・・・
≪逢いたかった・・・凄く・・・逢いたかった・・・≫
「一緒に呑みませんか」
「それはできないこと、おわかりですよね、お客様
それにもうここは終了しました・・・従業員が困ってます」
それでもジニョンはホテリアーとしての務めを果たそうと
懸命に毅然とした態度を取った。
「そう・・・じゃあ、仕方ない・・・外に出ましょう」
そう言って彼は席を立ち上がると、そのまま階段を下りた。
ジニョンは慌てて彼が置き忘れた上着を手に取った。
「ありがとう・・・迷惑掛けたね」
彼は下で待っていた従業員に侘びを入れると外へ出た。
ジニョンも彼の後に続いて、小走りに追いかけた。
「寒くないですか?」
ジニョンは手にした上着を示して彼に言った。
「ああ・・忘れていた・・」
彼は上着を彼女の手から受け取ろうとした。
彼女は少し照れた表情で、その上着を彼が袖を通せるように
その場で広げた。
彼は嬉しさを口元に小さく現して、彼女のその行為を受け入れた。
「・・・ありがとう」
ジニョンは彼の肩に上着を掛けながら、彼の背中を見ていた。
急に何かが胸に込み上げてきて、涙が出そうだった。
≪この背中に素直に頬を寄せられたら・・・≫
そんなことを思ってしまった自分の気持ちを打ち消すかのように
彼女は彼の後ろで首を横に振った。
そして彼の横に並んで、努めて明るく言った。
「酔ってらっしゃいますね・・大丈夫ですか?お客様」
足元がふらついたように見えたフランクの体をジニョンは
軽く支えた。
「ええ、酔っています・・・そうでもしないと
避けられている人を呼び出す勇気が持てなかった」
「また、そんなことを・・」
「はは・・ごめん・・・酔うと愚痴っぽくなる・・・
ちょっと飲み過ぎたかな・・・」
フランクはそう言いながら星空を見上げた。
本当は少しも飲み過ぎてなどいなかった。
「あー・・これじゃ部屋まで戻れそうも無いな・・・
送っていただけますか?ソ支配人」
「ええ・・・お客様」
ジニョンはとてもにこやかに彼に接していた。
「良かった・・」
フランクは久しぶりに見た彼女の穏やかな笑顔に
心からそう言った。
その時ジニョンの持つ無線機が鳴った。
「またか・・・」 フランクはフッっと小さく笑って呟いた。
「はい・・ソ・ジニョン・・あ・・はい・・
今、ダイヤモンドヴィラの見回りに向かっている所です・・
あ、はい・・おやすみなさい」
無線はやはりハン・テジュンからのもののようだった。
ジニョンはテジュンにとっさに嘘をついてしまった。
その後ろめたさに唇を結んだ。
「ダイヤモンドヴィラ?・・」
「ええ、当ホテルでVIPをお泊めする施設です」
「見学はできるの?」
「え・・ええ・・・お客様がお望みなら」
「それじゃあ、案内をお願いしてもいいかな」
「あ・・・は・・い」
ダイヤモンドヴィラ・・・
そこは漢江を見下ろす高台に面し、悠然と構えていた。
夜には美しくライトアップされ、輝きを増していた。
「素敵なところだね」
「はい・・当ホテル自慢の場所です・・・
VIPの宿泊や大きな会議、パーティーなどに使われます」
「なるほど・・僕もここに泊まりたかったな」
フランクは建物を眺めながらそう言った。
「えっ・・・」
「いや、冗談だよ・・・仕事はあそこで十分」
「そうですよ」
「中へは入れるの?」
「えっ?あ・・中は・・」 ジニョンは少し困ったような顔をした。
「また・・規則?」
「ふふ・・どうしてもご覧になりたいですか?」
「うん・・どうしても」 フランクは悪戯っぽい瞳をジニョンに向けた。
ジニョンは「じゃ」とひと言だけ言うと、ポケットから鍵の束を出して、
自分の顔の横でそれを揺らして微笑んで見せた。
そこはドアも含めて一面ガラス張りでできていて、開放感に優れていた。
中に入ると、目の前に大きなシャンデリア・靴の踵が沈みそうなほどの
ふかふかのシックな絨毯が一面の床・階段のステップすべてを覆い尽くし、
その豪華さを誇っていた。
ジニョンがホテル支配人らしく、マニュアル通りに建物について
説明を始めていたが、フランクには支配人としての彼女の声など
届いてはいなかった。
「今日・・・」 フランクが突然口を開いた。
「えっ?」
「今日、海へ行って来ました」
「オモ・・海へ?お仕事で?」
「いや」
「お仕事じゃないなら・・・」
「僕が生まれた場所に・・・」
フランクはジニョンの目をしっかりと見つめて言った。
「・・・・」 ジニョンもまた、彼を見つめていた。
さっきまで支配人然としていた彼女の目が、突然女の目に変わった。
ふたりの間を時間が止まりそうなほどにゆっくりと動いていた。
「花を・・・どうして?」 フランクは唐突に言った。
「・・・・何のこと?」
「10年前の或る日を境に毎月
母の墓に花を手向けてくれる若い娘がいると聞いた」
「それが?」 ジニョンは白を切ろうとしていた。
「どうして?」
しかしジニョンは彼の一歩も引かないという眼差しに押され、
仕方なく観念したかのように口を開いた。
「・・・・・誰からも愛されたことがない・・・
あなたがそう言っていた」
「だから?」
「そんなはずはない・・・そう思ってた
それも・・あなたの間違い・・
・・・そう思った」
「それで?」
「そしていつの日かあなたに・・・
あなたの間違いを突きつけたかった
自分ひとりで勝手に考えて・・
勝手に消えた・・・
あなたの犯した間違いのすべてを・・・
突きつけたかった・・・でも・・・」
「でも?」
「そこには・・・
あなたの小さな歴史があって・・・
あなたがあの町の・・そこにもあそこにも・・・いて・・・
私に笑顔を振り撒いていて・・・
帰ろうとする私の手を引っ張るの・・・
振り切っても振り切っても・・私の手を離さないの・・・」
「・・・・・」
「そしてまたあの町のあなたが私を呼んだわ
その次も・・またその次も・・・
いつまでも私を・・・離してくれなかった・・・」
ジニョンはそこまで話すと瞳に涙をいっぱい溜めていた。
「・・・・・」
「あなたは必ず・・・ここへ来ると思ってた
私の元へ来る・・・そう信じてた・・
そして・・あなたが私の前に現れたら・・・」
「・・・・・」
ジニョンは高揚する感情を抑えようと小さく深呼吸した。
「そうしたら・・・今度は私が捨ててやる・・・そう思ってた・・・
ずっと・・そう思ってた」
「だったら・・・そうして・・・」
「卑怯ね・・・あの日・・・
あなたが私を置いて消えたあの日・・・
気づかなかったとでも思ったの?
あなたがそこにいたこと・・・
気づかなかったとでも思ったの!
・・・また・・私が泣いて・・行かないでって
そう言うと思ってる」
「・・・・・思ってない」
「思ってるわ!」
「思ってない・・・」
ジニョンはもう一度今度は大きく息を吸って、長く吐いた。
そして彼女は小さな声で呟くように言った。
「・・・・・配信シン・ドンヒョク・・・受信ソ・ジニョンssi・・・」
「・・・・・」
「さっきのメールは・・・海からだったのね」
「・・・ああ・・」
「件名・・・僕の半身へ・・・」
「・・・・・」
「内容は・・・・・・」 ジニョンはその後に打たれていた言葉を
二時間ほど前に届いたフランクからのメールに見つけて、
心を震わせていた。
「内容は・・・愛してる・・」 ジニョンの後をフランクが続けた。
「信じないわ」
「信じなくてもいい・・でも伝えたかった」
フランクは一歩だけ彼女に近づいた。
「うそつき・・」 ジニョンは身構えて、彼が近づいた一歩を
後ずさりして距離を保つと、彼を睨み付けた。
「うそじゃない」
「私が・・・どんなに苦しんだか・・知らないくせに!」
「ごめん・・・」
「私がどんなに泣いたか・・知らないくせに・・・」
「ごめん・・・」
「あなたなんか、これっぽっちも・・・
これっぽっちも会いたく無かったんだから!」
「ああ」
「あなたなんか!・・もうとっくに・・愛してない!」
「ああ」
「あなたなんか・・・」
ジニョンは溢れ出る涙を堪えきれなかった。
「君に・・・逢いたくて・・・気が狂いそうだった」
「聞きたくない・・」
「君のいない世界は・・・まるで地獄のようだった」
フランクは次第にジニョンとの距離を縮めていた。
「聞きたくない!」
ジニョンは両耳に手を宛がってその声を遮断しようとした。
「聞け!」
フランクは彼女の手を彼女の耳から強く引き剥がした。
その瞬間、ジニョンは彼を突き放すように彼から離れた。
「お願いだ・・聞いてくれ・・・ジニョン・・」
「・・・・・」
ジニョンは大きな瞳を涙で曇らせたままずっとフランクを
睨みつけていた。
しかしフランクはそれにたじろぎはしなかった。
「ジニョン・・ssi・・・」
「・・・・・」
「あなたを愛しています・・・」
「・・・・・」
「どうか・・・愚かだった僕を許して下さい
僕は・・・僕はあなたがいないと・・・
生きていけません」
「・・・・・」
「だから・・・僕の半身を・・・・」
「・・・・・」
「・・・迎えに来ました・・・」
「・・・・・」
フランクはジニョンを見つめてそう言ったまま、しばらく動かなかった。
彼の目には涙が浮かび、その一筋が頬を伝って落ちた。
彼女もまた動けなかった。震える自分の鼓動を数えながら、
吐くべき息と吸うべき息を間違えないようにすることに必死だった。
フランクは刹那にジニョンの呼吸を救おうと彼女に手を差し伸べた。
ジニョンは遠い日に愛し過ぎたその人をたった今まで睨みつけていた。
それなのにいつの間にかまるで光に吸い込まれるように
彼に近づくと、救いを求め歩み寄っていた。
気が付くと愛しくてたまらなかったその指に自分の指を重ねていた。
そしてフランクはその瞬間に、まだ躊躇いを拭い去れない
彼女の体を強引に引き寄せ抱いた。
そして彼女の混乱した呼吸を救った。
ジニョンの胸はフランクの腕の中でまだ大きなうねりのごとく
高鳴っていた。
「ああ・・フランク・・・い・・いいえ・・・お客様・・・」
ホテリアーとしての自制心と必死に戦っていたジニョンは首を
横に振りその熱い坩堝から懸命に逃れようとした。
しかし、フランクは強い力で彼女を離さなかった。
「ドンヒョク・・・」 フランクがジニョンの耳元で静かに言った。
「えっ?・・・」
「僕の本当の名は・・・ドンヒョク・・・
前にそう教えたこと・・・覚えてる?」
「・・・え・・ええ」
「今日僕が・・・ドンヒョクだった時を歩いて来た」
「・・・・・」
「僕がずっと封印してきた名前だ」
「・・・・・」
「あの時・・・君に・・・
そう呼んで欲しくて・・・告白した」
「ええ・・・」
彼は彼女を更に強く抱きしめて、宙を仰ぎ見るようにして
そう言った。
ジニョンもまたその日のことを思い出していた。
あの日、こうして彼に抱かれながら、彼の悲しい告白を
聞いた日のことを。
「でも君は・・・どうしても“フランク”だったね
僕はやはりドンヒョクには戻れなかったみたいだ・・・」
「あ・・違うわ・・・私・・・」 ≪私がフランクと呼ぶのは・・・≫
「なに?・・・」
「・・・いいえ・・・何でもないわ・・・あの・・・
もう・・・離して・・・ください・・・」
「離したくない・・・」
「・・・・・」
「もう少し・・・こうしていて・・・
今だけ・・・僕を抱いていて・・・
このままもう少し・・君と・・・揺られていたい」
「・・でも・・・」
フランクは彼女が身動きできないほどに強くその体を抱きしめていた。
彼女は躊躇いの言葉を口にしながらも、その心はとうに彼にあった。
そしてとうとう彼女は彼の肩に静かに涙を落とした。
「こうしたかった・・・」
ここへ来てから・・・
君に逢ってから・・・
いいや・・・ここへ来るずっと前から・・・
・・・「・・・こうしたかった・・・」・・・
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