2007/07/21 19:58
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

金目鯛

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先日、友たちと伊豆へ遊びに行きました。その友たちとの出会いは6年ほど前、3ヶ月間受けた研修でした。50名ほどの研修生を作業のために6名ずつにグループ分けされたのですが、その時に一緒になった仲間です。

グループでの作業が多い研修で、たくさんのことを語り合いましたから、そりゃ仲良くもなりますわさ。私のグループは特に仲が良かったのだと思います。遠くから何時間もかけて電車で通っている人もいましたが、毎週金曜日になると終電近くまで飲んでいました。職場は違えど、似たようなことで悩んでいる同世代のメンバー。話はつきませんでした。

 

研修中、なんと私は骨折をしてしまったのです。家の階段で1段足を踏み外した・・・ただそれだけのことだったのに・・・情けないo(;△;)o 。幸い手術の必要はなく、ギプス固定でOKだったので、研修は休むことなく出席できました。しかし、松葉杖生活。研修に必要な資料やパソコンを入れた斜め掛けのカバンは重たく、移動は結構大変でした。雨が降ると傘がさせず、さらに苦しいo(´^`)o ウー

そんな状況でも友たちは一緒に飲みに連れて行ってくれましたね。うれしい~。重い荷物を持ってくれ、遅いスピードの私に付き合って歩いてくれました。雨が降った時は合羽を着、ギプスの足にビニール袋を巻いての私。そんな姿にみんなは笑っていましたけど・・・

 

研修が終了してからも1年に1回くらいは会っている仲間。私の骨折ネタはいつでも話題としてでるのですが、いつしかもっと歳をとったら体調を崩す人がでるかもね~と。気が付いたら誰かが薬を持ってくるようになったり、車椅子が必要になったりするかもという話が先日の旅ででました。それはしかたないさ。でもその言葉の裏には、この先何年、何十年(?)たってもこうやって会い続けたいという思いがみんなの中にあるんですよね。

 

今日の写真は、宿に向う途中、買出し(お酒とかつまみとか)で寄った伊東のスーパーで撮影した金目鯛です。旬でないためかあまり大きくはありませんでしたが、こんな風に丸ごと売っているのは初めてだったので・・・

上記は宿泊した宿の敷地で撮影したものです。右の建物が温泉棟になります。

左は帳場です。後ろにはお土産が並んでいます。

番傘とウサギのランプの景色が素敵でした。

次にみんなと会うのはいつかな~。

それまでお互い元気にがんばろうぜーp(・∩・)q

 

 


2007/07/16 11:31
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

元興寺の瓦

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白か黒か、表か裏か、良いか悪いか・・・などと、はっきりと結論(答え)を出さなければならないことってたくさんあると思います。決まらないと先に進めない、グレーとかファジーとかいう曖昧では不安定であるということなのでしょう。判断に困ると、「はっきりさせて欲しい」と結論を他人に委ねることは多くあります。その場合、結論を出した人に責任が及ぶということになります。

社会の中では判断の線をルールとして様々なものさしを使って決定しています。 量、長さ、時間など数字で表現すると決めやすいものですね。例えば制限時速、それより速ければ悪い、超えなければ良い。法律等で決まっているから皆が納得するでしょう。

でも、個人の感覚に依存したものは個々で基準が違うのだから難しいです。

私は両親と住んでいるので、母が食事の支度をしてくれる贅沢なヤツです。仕事を終えて帰ってきた私に、母はいつも「これしかないけどいいでしょ。」と言います。作っていただいているんだから悪いって言ったことはないですよ。この問いは私が「いいよ」と答えることを前提としているのでしょう。なんでいちいち聞くんだろうと思ってしまいます。何も考えずに「いいよ」と言えば終わる会話なのですが、気になります。

「良い」と言ってもらいたいということなのでしょうか。自分に自信がないから?ひとりで判断することって気が重いものなんですね。同意してくれる人がいると心強いというか、自分の責任が一気に軽くなるんですよね。

 

他にも判断が難しい場合があります。それは予測に関することです。「このままでいいのか」または「これをしたほうがいいのか」というのは、今後起こりうる結果に対する判断です。

例えば病気について「これを飲めば治りますか?」と医師に尋ねる人は多いでしょう。その時、医師は専門的な判断でお話をしてくれるのだと思います。「治る」といってもらえない患者は辛いですが、病気を治療すると無くなるという考え方はやめた方がよいと思います。つまり、病気を判断するものさしがあったとして、どこからが黒でどこからが白であるかといえるものではないからです。

 

病気とは何か。私の言葉でいうと、身体のバランスが崩れた状態・・・かな。痛い、だるい、腫れた、熱っぽい、寒い・・・などの症状が出ると自分は病気かなと意識するようになります。そして、医師に「病気です」と診断してもらいます。でも、そのような症状が出るより前に身体の細胞、ミクロの世界ではなんらかの変化が起きているわけです。細胞の変化が大きくなると、本来の身体の機能がうまく働かない状態がおきます。崩れた機能を調整してバランスよくしようとがんばる身体自身の働きが、症状となって現れると理解しています。

うまく言えませんが、病気は自分の身体の状態を表すのであって、取り除くものではありません。(どこかできいたような言葉・・・_(^^;)ゞ)ですから、「病気が治る」ということがどんなことかを考えると、乱れた機能が回復して、身体のバランスが無理しなくても整うということでしょうか。症状を病気ととるならば、それを意識しない状態を治ったということもできますが、ミクロの世界は?

 

細胞は一度変化すると元に戻らないものは多いです。例えば、心筋梗塞になったとします。その時は痛いでしょう。血管が開通して血が流れ、傷んだ細胞が回復してくると症状はなくなります。でも、傷んだときに一部の細胞は死んでしまっています。症状がなくなったとしても、元の心臓と同じではないのです。

薬は、本来ならば口にするものではないのに崩れた身体のバランスを整える手助けするために口にするものです。身体に絶対的に良いものと考えるのは間違いのように思います。本来口にしないものですから、うまく付き合わないと、思わぬ影響がでるものです。副作用というか・・・。

以前も科学は絶対的なものではないということをブログに書きました(2007.2.24)が、医学という科学も同様です。過信してはいけないでしょう。また、老いは医学ではどうしようもないことだと思います。高齢な方が治らないとか急に病状が悪くなるということはままあると思います。病気はその人の身体の状態ですから・・・。

結局、病気が「治る」「治らない」の判断の線引きをどこにするのかは難しいと思います。医師とよく話をしないと、自分の理想とする身体と医師のいう「治る」の状態が違ってしまうことがありますから。何度もいいますが、病気が治るはもとの身体にもどることではありません。

 

「良い悪い」に直接関係ないですが、下記のサイト(毎日新聞の『理系白書』)が面白くて好きです。興味があれば読んでみてください。3月28日の座談会がまとめっぽくてわかりやすいです。

http://www.mainichi-msn.co.jp/science/rikei/

白と黒の話から、とんでもないところに発展してしまいました。今日の写真は白と黒からです。

右は先日訪問した岡山城です。

真っ黒で烏城と呼ばれているのだそうです。

左は姫路城です。

白鷺城と呼ばれる白いお城ですね。

どちらも美しいお城です。

上に掲載した写真は奈良の元興寺極楽坊の屋根です。1400年前、百済の王が派遣した瓦博士が焼いたものだそうです。いろんな色が混ざっていますが、これもまたきれいです。

 


2007/07/01 15:37
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

千島風露

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先日、写真家・星野道夫氏の『Alaska星のような物語』というドキュメンタリーを見ました。 チャンネルをパカパカと変えていてぶつかっただけなので、最終章の終わりの20分ほどだけ。それなのにとても衝撃的な感動があり、胸がいっぱいになりました。繰り返される生命の営みの映像と写真、星野氏の綴った言葉の朗読・・・彼の見たアラスカの自然に吸い込まれてしまったようです。最初から見たかったワンo(;△;)o とりあえず写真集を本屋で立ち見し、文庫本になっているダイジェスト版2冊とエッセイを1冊を購入しました。

 

彼の写真や言葉から自然の偉大さと人とは何かをまた考えさせられました。人間以外の生命はその環境を受容して、ひたむきに生きています。ただ“生きる”ということに一所懸命なのです。世界をどうかしてやろうとか、何かを変えてやろうとかいうのはありません。自然のままの姿ということができます。

 わたしたちはある風景に魅かれ、特別な想いをもち、

 時にはその一生すら賭けてしまう。

 風景とは一つの山であったり、美しい川の流れであったり、

 その土地を吹き抜けていく風の感触かもしれない。

 それをもし自然と呼ぶのならば、

 人間がどれだけ想いを寄せようと、

 相手はただ無表情にそこに存在するだけである。

                      星野道夫 著 『イニュック〔生命〕』より

人間は自然を自分のものにしようと企んでしまうのかもしれません。管理できるものであると思い込んでいるのかもしれません。そんなことあるわけないのに・・・。地球温暖化防止について世界の国々が話し合いを持ちますが、何か寂しいものを感じました。

 

自然の中にあっては人間のつくったルールは意味をもたないと思いました。彼のエッセイの中に、氷海に閉じ込められて動けなくなったクジラを人間が助けたという話がありました。きっと太古からそのようなことは常にあったことで、そのクジラは厳しい環境で暮らすホッキョクグマの生命を多く支えてきたことであろうということです。

ホッキョクグマはあの大きな身体を維持するために、どれだけの食料が必要であるのか・・・。氷の上を歩き回り、穴から顔をだすアザラシを捕って食べます。それが彼らの一番の食料だそうです。ここ最近、北極の氷が少なくなり、彼らは食事がとれなくなっているとか。そういえばMSNビデオで子を連れた母ホッキョクグマが痩せていて、25Kgくらいは体重が少ないのではないかというのをみました。ホッキョクグマは絶滅の危機にあるようです。星野氏がこのことを知ったらどんな言葉を語ったでしょうか。

星野氏の写真にはホッキョクグマだけでなく、アラスカに棲む多くの動物が写っています。動物は生きている時間の多くを食料を手に入れることに費やしています。また、子を産み、育てることにエネルギーを使っています。それらのために同種同士の戦いがあったり、食物連鎖による狩りがあったりしますが、彼の写真はつながっていく生命を表す優しい親子の場面が多いように感じました。本屋で写真集を立ち読みしていた私の顔はニヤニヤと変だったかもしれません。

 

冬を越せたものだけが春を生きていくことができる・・・というのは自然の中では当たり前なんですね。ドキュメンタリー番組の終わりころ、冬から春になるアラスカを背景にこんな言葉が朗読されました。

 きっと同じ春がすべてのものに同じ喜びを与えることはないだろう

 なぜなら、喜びの大きさとはそれぞれが越した冬にかかっているのだから。

 冬をしっかり越さない限り、

 春をしっかり感じることはできないからだ。

 それは幸福と不幸のあり方にどこか似ている。

そうそう、そうだよなあ・・・と私は大きくうなづいてしまいました。人はうまくいかなかったり自分の意と違うことがおきると、「~してくれない」「~して欲しい」と他者を攻めることがあります。人間ひとりで生きていけるわけではないのですが、うまくいかないことを他者が悪いからという考えしかもてないとしたら、それは自己中心的かとも思います。自分に力がないから周りに変化を求めているというか・・・。それとも、そういうしかないほど社会が病んでいるのでしょうか。だとしても人間のせいです。

生きていける能力を教えていくことが育くむということだと理解します。アラスカをはじめ地球に棲む動物は、人間のせいで環境が変わっても自らでなんとか生きようと努力します。それは彼らが自然そのものだからなんだなあと思います。種としての生き方を子に伝え、生命は繰り返されているのですが、それで生きていけなかったら絶滅していくのでしょう。人間は?

 

星野氏は1996年、グリズリーに襲われて亡くなったそうです。旅人として入ったアラスカの自然でしたが、そこで生活するようになり、いつしか自然に溶け込んでしまっていたと思えます。

 

今日の写真は、私の撮影の中で一番北方の場所、10年ほど前に旅した礼文島で撮影した千島風露です。海霧が立ち込めるので、花は細かな水滴で覆われていました。この島は海に面した断崖絶壁に本州でいう高山植物が乱舞しています。

花をできるだけ多くと思ってまとめたら小さくなっちゃって見にくいですね。右クリックで保存して、再度ファイルを開けて見ていただくと、大きく見えます。

礼文は2回訪れたことがあります。夏のほんの短い間に、島民の何倍もの人数の方が上陸します。2回目に訪れたとき、観光用の大型バスが縦横無尽に走れる道路が整備されていてびっくりしました。私は多くの花をまだみることができましたが、いつかここにしかない固有の花がきっとなくなってしまうのだろうなあと恐くなりました。

左は礼文薄雪草といいます。エーデルワイスと同じだとか。まだつぼみでした。

標高50mくらいのところで見られます。この花と海が同時に見える風景があります。

 

下は礼文から見た利尻島です。霧(雲?)の合間に見えた利尻富士は天空の城ラピュタのようでした。

追記】『Alaska星のような物語』のDVDを購入しちゃいました。


2007/06/27 22:39
テーマ:自宅 カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

月あかり

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ここ数日、実に眠い・・・( - _ゞ 。パソコンに向かって大好きなヨンジュンさんを見ようとしても、職場の昼休憩中にみんなとしゃべっていても目が閉じてくるんです。女性特有のホルモンサイクルのためなのか、単に脳が休息を要求しているのか・・・。眠いときに眠れるのは、食べたいときに食べるのと同じくらい幸せな気分になれるものです。

 

睡眠を広辞苑で引くと下記のように書いてありました。

 動物のからだの動きが静止し、

 外的刺激に対する反応が低下して意識も失われているが、

 容易に目覚める状態。

 周期的にくり返し起こる。

 脳波の変化を伴い、生命維持に不可欠な現象。

睡眠とは不思議な現象です。生きていくためにわざと意識をなくしているってことですね。脳が創り出す積極的な脳の休息なのだそうです。もちろん、呼吸や心臓が止まったら生きていけませんから、眠らない脳もあるわけですけど・・・。

休息するのは大脳です。だから意識はなくなるんですね。脳が発達した動物だけが睡眠という時間が必要なようです。虫は眠らない?動物によっても睡眠の質や時間が違うようで、天敵に襲われやすい草食動物は立ったままの浅く短い眠りで、肉食類はゆっくりした眠りのようです。人間に眼球が動いたり夢をみたりという浅いレム睡眠と、微動だにしないふか~いノンレム睡眠とがありますが、草食動物はレム睡眠だけなのかなと思っちゃいました。それで休まるの?

 

意識をなくすような休息時間は何のために必要なのでしょう。脳は体のいろいろな働きを監視し、全体としてバランスがとれた活動ができるように全身へ指令を与える臓器です。活動し続けて休まないと、その情報処理能力が悪くなり、エラーがおきてしまうようです。また、無理して働かせると歪んだ活動から病気にもつながるとか。だから、眠れないってことはうまく生きていけないってことになります。よく眠れる私はすごい!

 

睡眠を途中でやめたり(目覚まし時計でおきるとか)、眠いけど我慢して起きていたりと、覚醒は自分の意志でできます。ところが、今から眠ろう!と思っても眠れないことがあり、意識をなくすのは自分の努力ではコントロールできないものです。不思議です。

広辞苑に周期的におこるとあるように、睡眠と覚醒にはリズムがあります。概日(日内・サーカディアン)リズムといわれるものが体にはあって、眠くなるのはそれに関係しています。海外旅行でそのリズムが崩れた状態を時差ぼけといいます。

人間の体には睡眠と覚醒以外にも概日リズムをもつものがあります。体温やある種のホルモン(代表的なものは成長ホルモン。だから寝る子は育つ!!)です。どうも、それらいろいろなリズムはそれぞれ固有にリズムをもっていて、光、体を動かすこと、食事すること、はたまた時計をみることなどの影響を受けて、うまくかみ合った状態になっているそうです。同調といいます。

睡眠と覚醒のリズムは同調させる光などの影響がないと、25時間のリズムになってしまうそうです。なんで?太古からこの地球の1日は24時間だったんじゃないでしょうか?

「満月が大きくみえる―体内時計が発振する暮らしのリズムー」(著:平澤栄次)というブックレットに、月のリズムが生物の時計に影響しているのではと書かれていました。概月リズムです。潮の満ち引きによる様々な動物の子孫繁栄に関する大きなリズムはよく言われています。それをもっと細かくすると、実は月が地球を一周するのが25時間だとか。うへ?太陽じゃなくて月のリズムなの?( ̄△ ̄;)エッ・・?わからなくなってきた・・・

地球上に棲むものは太陽と月の両者の影響を受けて生活しているということでこれ以上考えることをやめました。

 

このブックレットのタイトルですが、満月は写真で撮るより人の眼には大きく映って見えるということのようです。確かに・・・。満月の光は半分である上弦または下弦の12倍であるとか。そういえば影ができるほど明るくなります。今日の写真がそれです。昨年の中秋の月で、私のブログ1号の写真の数時間前の写真です。ベランダから撮影しています。ベランダの柵の影が下のほうにできているのがわかりますか?

 

ところで、現代社会は電気があったり、夜でも活動したり、地球の自転に逆らって移動したり・・・と、リズムを乱す状況がたくさんあります。人間がうまく生育しないのも、ストレスから回避できないのもそのためかなあ。やっぱり人間の脳が創り出した便利な世界は棲みにくいってことだわさ。

 

 

 

 


2007/06/23 13:30
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(カメラ)

ちゃんこ

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通販で流行している「ビリーブートキャンプ」のビリー氏が来日しているとか。知りあいにもDVDを見ながら実行している人が何人かいるようです。ダイエット商品というのはいつも売れるモンですねえ。

私は昨年11月ころから数年前の洋服が入らない!!不経済だ!!!!を建前理由にダイエットをしました。醜い体を何とかしたかったのがホント。やはりちまたで流行している「豆乳クッキー」です。6ヶ月ほどで約6㎏の減量ができましたv(o ̄∇ ̄o) ヤリィ♪・・・なのですが、ようは増えた体重を落としただけのことです。1.5㎏のペットボトル4本分も重くなっていたなんて・・・。おかげで10年前のGパンをはくことができ、ルンルン気分で夏を過ごせる・・・って思っていたのですが∑(゚◇゚;) ゲッ

体脂肪はさほど減っていなかったんですよ。こりゃー筋肉も落ちたってことかいな。体を動かすことをしなくてはいけませんねえ。そういえば二の腕とかタルタルしてるし、お腹周りはブヨブヨ☆=>=>=>(+_+。)

年齢とともに基礎代謝は減っていきます。筋肉は使わないと痩せてきます。減っていく基礎代謝をくいとめ、タルタルした肉を引き締めるにはやはり体を動かすことでしょうね。かといって、ブートキャンプのように時間をとってすることは私には向きません。きっと続かないと思うんです。

 

世の中、様々な機械が登場して便利になりました。なんでもボタン一つピッてすればできてしまいますもの。欲しいものを手にいれるのも簡単になりました。家まで配達してくれるし、自分で作らなくても完成した製品が手に入ります。移動に自分の足を使わなくてもいいし、物をもって歩くこともない。重力に逆らう行動をとる必要もほとんどない(階段よりエレベーター)。そんな便利が人間を退化させているんでしょうね。

体を使わなくては生活ができなかった昔、特別に運動の時間を設けなくても筋肉ができました。ダイエットが必要な人ってきっとそんなに多くなかったのかもしれません。現代社会は子供でさえメタボになる時代です。遅刻しそうになったり、雨が降ったりすると車で送り迎え。結構当たり前なんでしょうか。外で体を動かして遊ぶより家でゲームをしたり習い事したりする時間が長いように思えます。

加えて飽食の時代です。おいしいものがたくさんあり、しかも簡単に手に入ります。好きなものばかりを食べるおかげで、偏ったバランスで必要以上のエネルギーを取ってしまうのでしょう。決して昔の人々が食品成分を計算して摂取していたわけではありません。季節のものを適度に食べ、おやつはお菓子でなく芋や野菜だったことがよかったんじゃないでしょうか。

 

私の妹は大学で栄養学を学んだ、食べ物に関しては小うるさい管理栄養士という人間です。今は専業主婦ですから食品成分を計算している姿は見ませんが、以前はよくわからない数字を並べた仕事をしていました。その彼女に言わせると、私は子供のころからデブだったので脂肪細胞が多いのだとか・・・(|||_|||)ガビーン。また、成長過程で運動をほとんどしてこなかったので筋肉が少ない。だから毎日の生活に必要なエネルギー以上を摂取するとすぐ脂肪が膨化して体が丸くなっていくんでしょう。

豆乳クッキーで減らした体重を維持しつつ、日常の生活行動の中で筋肉をつける手段をさがそうっと。

 

今日の写真はちゃんこ鍋です。昨日職場の宴会で「Chanko Dining 若」に行きました。たくさんのうま味が出ていて、とてもおいしかったです。この鍋はチゲですが、お勧めは塩味です。その他、宴会用の料理を食したのですが、どれもおいしく、バランスもよかったのではないかと思います。ビールやワインもたくさん飲んだので、かなり昨夜はカロリーオーバーですが・・・

 

 

 

 


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