2007/06/14 20:38
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『バカの壁』で知られている養老孟司氏。昨夜、氏のこどもの頃の番組がありました。虫が好きだったとか・・・。

 

私の持っている氏の本は『唯脳論』です。その“はじめに”にこんなことが書かれています。

 都会とは、ようするに脳の産物である。

 あらゆる人工物は、脳機能の表出、つまり脳の産物に他ならない。

 (略)

 われわれの遠い祖先は、自然の洞窟に住んでいた。

 まさしく「自然の中」に住んでいたわけだが、現代人は脳の中に住む。

この本は専門用語が多いし、よくわからない脳の機能を言葉にしているからややこしいです。脳の機能とは、意識、言語、心、芸術、知ること、考えること・・・つまり、ヒトが人であるということのようです。解剖学と生理学と哲学が混ざったような本でした。

ヒトは脳を通して世界をみているということなのかな。唯識論、認識論、現象学(???)と同じように事実をどうやって認識するのかっていうことを書いているのかな・・・と思っていました。でも、そうでもないらしい。世界を脳の産物とするものではなく、意識的活動が脳の産物と言っています。自分が認識している世界(事象)は確かに自分が造りだしているものだけど、自分と離れたところにも世界は存在します。単純に考えて、人間の行なっていることは脳の行なっていることであるということのようです。難しい・・・

 脳は世界の産物であり、哲学は脳の産物である。

 脳は哲学よりもひろく、世界は脳より広い。

 

難しいし人に説明できるほど読み込むことができていないのですが、なんだか面白く読んでいました。この唯脳論的に上の写真のことを考えてみると、蝶が人間の脳の世界に入り込んで動けなくなっている・・・かなあ。

夏になってきたと感じた暑い日、コンクリートの道路の上に蝶を見つけました。近寄ってカメラを向けても動きません。羽がピンとしているので生きているのでしょうが、全く動きませんでした。生命ギリギリのところにいるのかしらと思えました。人間の脳が造り出した世界は住みにくかろうに・・・

 

今“脳ブーム”なんですってね。茂木健一郎氏がTVで脳のことを話していました。脳の中には共感回路というのがあって、他人の経験を見たり聴いたりして自分のものとして感情を起こす回路があるのだとか。どういうことかというと、TVを見たり、本を読んだりしているとき、今自分におきているわけではないのに一緒に涙したり、恐くなったりするということだそうです。あは!

感情は意識的な活動ではないけど、これも脳の活動。人間の脳っておもしろいなあ・・・と思っていて、思い出したことがあります。NHKスペシャルの「驚異の小宇宙:人体」です。人体のことをCGでドキュメンタリーたっちにしていて、なんとも感動する番組でした。1989年放送。おもしろくて夢中で見ていたことを覚えています。

そこで使われていた音楽にも引き込まれ、私はCDを購入。久石譲さんの音楽でした。この音楽を聴くと身体のミクロの世界で繰り広げられているドラマを思い出し、愛おしくて涙が出てきます。人間ひとりの中にこんなに多くの細胞たちが日夜一所懸命がんばっているのだなあ・・・と。

その第2シリーズで『脳と心』を放送していました。脳を考えていたらそれを見たくなっちゃったのですが、DVDって出ていないんですね。初回シリーズはあるのに・・・。本になっているのは知ってるのですが、せっかくのCGですからぜひ動画で見たいですね。

この第2シリーズの音楽も久石氏です。残念ながらこのCDは持っていません。

 

 

 


2007/06/07 04:56
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水田

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田植えの終わった田、稲の緑が爽やかでした。蛙の姿はみれませんでしたが、どこかでゲッゲッとで鳴いています。そろそろ梅雨ですものね。

私の子供の時はこんな田んぼを覗くとおたまじゃくしがピョロピョロと泳いでいたものです。ザリガニやタニシや他にもたくさん生き物がいて、何が面白かったのか知りませんが、捕まえてバケツにいれていましたね。

夜は明かりのない真っ暗な田んぼにホワーン、ホワーンと舞うホタルを捕りました。虫かごに入れて家に持ち帰り、家の中でそれを再現・・・。でも朝になるとみんな死んでいました(x_x;)ホタルさんゴメンナサイ

田に水を引く水路の水は地下水をポンプで汲み上げていたと思います。冷たい水がド~ッと噴出している場所付近は、この時期から夏にかけて私たちの遊び場でした。プールよりもおもしろかったです。

 

いつしかホタルの舞は近所では見られなくなりました。ザリガニやタニシも。蛙の声は聞こえるけどおたまじゃくしは田んぼに見えません。それは田んぼにあぜ道がなくコンクリートで区切られてしまったことが1つの原因なのだそうです。あぜ道があることで植物やプランクトンが生息でき、それを食べる生物もまた生きていけます。そんな生態系が人の手によって壊されたということでしょうか。

昔は田んぼのあるところは広くず~っと田んぼでした。今は住宅と住宅の間に点在しています。お米を作るためだけのものでしかない空間。でもいつかここもなくなってしまうのかなあと思いつつ、田んぼを眺めていました。

歩いていたら白鷺に会いました。こんなコンクリートの水路の中で何をしていたのでしょうか。水をのんでいた?食料となる虫がいたかどうか・・・。近づいたら飛ん行ってしまいました。      

    

私は見たことがありませんが、学名を“Nipponia nippon(ニッポニアニッポン)”という鳥・・・朱鷺。夕焼けの空をさらに朱色に染めたであろう朱鷺の群れが緑の田んぼの上を飛ぶ風景はきれいだったんだろうなあと想像します。


2007/06/04 06:17
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コミュニケーション

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日本版『ホテリアー』のインタビュー記事で田辺誠一さんがヨンジュンさんのことを下記のように語っています。

 身体もそうですが、

 精神的にも余計なものをそぎ落としているというか、

 意識がきちんとしていて、周りに優しくて包容力もあって、

 責任感もある。

 精神的にすごく成熟されていると思いました。

どのようなコミュニケーションをとられたのでしょう。「精神的にも余計なものをそぎ落としている」と「意識がきちんとしている」という部分は普段使わないような言葉です。難しい表現をされました。どういうことなのか・・・

 

私の頭に浮かんだのが『ベルサイユのばら』のオスカルでした。いつも美しい姿で、何か重大な事象がおきても感情の揺れをみせず、自分の役割りを意識してこなし、立ち居振る舞いに隙がない・・・私の中のオスカルのイメージです。つまり、スマートな容姿をし、人間の嫌な部分がなく、自分の意思にしたがって真っ直ぐに生きた人物だと思います。漫画のキャラクターですから素敵で当然。キャラクターとして必要な部分が描かれているのだと思います。

田辺さんの上記の言葉は私のオスカル像にぴったりなんです。ヨンジュンさんが漫画のキャラクター・オスカルのように素敵な人物であるとすると、とても自己コントロールの優れた方ではないかと思います。自分の演出の仕方がうまいというか、他人への影響を考えて言動できる人というか・・・

 

人間の精神は感情と理性に大きくわけられると私は思っています。他人とコミュニケーションをとっていると、相手の言動に対して自分の心に何らかの感情がおこります。多くは自分を肯定、または自分の意と一致している場合は嬉しいに代表される快側の感情がおき、逆の場合は怒りや悲しみという不快側の感情になります。したがってコミュニケーションの場に引き出されている内容は、理性による解釈とそのときの感情を混ぜて人は認知していることになります。そして、自分がどのような表現(態度?)をとるかはまた感情と理性によって決められます。

自己コントロールの優れた人というのはその感情と理性で作られた認知や表現の優れた人と言い換えることができるかもしれません。それは、その場における自分の役割りを理解することであり、自分の意思に従うことでもあり、その場の雰囲気をよくすることであるように思います。つまり、コミュニケーションをとっている相手から自分が不快な感情を受けたとしても、理性によって自分の態度を場に合わせてコントロールできるということです。感情に惑わされずに行動できる人。強いというか、かっこいいというか、それが、田辺さんのいう成熟している精神ではないかと思いました。

 

『ベルばら』を読み返して、オスカルから私が受けたすっきりとしたイメージは、キャラクターとして余分なものが描かれていないからだけではないと思うようになりました。彼女は軍人としての役割りを遂行するにあたり、かなり理性で押さえ込んだ行動をとっています。逆に怒りから嫌味を言ったり、物を壊したり、飲酒したり、喧嘩したり、・・・と、まあ感情的な行動といえることもあります。よく「ちきしょう!」って叫んでます。それは人間として不本意な相手に対しての感情からおきています。どちらにしてもいつも人間としてあるべき姿を追い求め、その葛藤の中から生まれた言動であると私の想像は膨らみます。だからかっこいい。

前記事のコメントでkyomaikoさんとのやりとりをした中にありますが、オスカルには凛としたものがあるのだと思います。アンドレの言葉を借りると

 一見氷のようにひややかなくせに・・・・

 胸の中はまるで炎のように燃えさかっている・・・

 血の気の多い激しさ・・・

また、アンドレが影で支えていたからオスカルは勇気がもてたということができます(というか、そのように描かれている)。

 武官はどんなときも感情で行動するものじゃない

これはアンドレの言葉です。だからこそ、アンドレが亡くなる場面でのオスカルの取り乱しが悲しく苦しく、何度読んでも涙が出てきてしまいます。その場面でオスカルは上記の言葉を思い出すのですが、「人間なんだ!」と崩れてしまいます。

 

私たちの目に映るヨンジュンさんは非の打ち所がないほどの人物です。それは俳優ペ・ヨンジュンとしての凛々しさなのかもしれません。「ヨン様」としての自分を従容と受け止めつつ、自分の意思を貫いているように思います。私は彼が他人を非難する言葉を耳にした記憶がありません。本を読み内省することがあると聞いたことがあります。様々な葛藤の中で、自分はどうするべきかを常に考えているのでしょう。私たちには見えない、感情を飲み込んだ彼の苦悩を思わずにはいられませんが・・・。

 

上記の写真は歩いている途中で出会った風景です。コミュニケーション能力は子供の頃からの人と人との関わりの中で形成されていきます。ぶつかることで自分とは違う人間がいるのだと理解し、多くの人と接することで他人の心を察する人間になれるのでしょう。大学で交流分析を学んだ時、先生はこういうことをおっしゃいました。

 他人と過去は変えられない。

 変えることができるのは自分と未来だけ。

うまくいかない状況を脱するために他人の変化を望むことはままあります。でも、その相手の行動を支配しているのはその人の自我です。別の人が操作して変えることはできません。(そういや、オスカルもそんなようなこと言ってたな)ただその自我に影響を与えることはできるはずです。コミュニケーションの際、なかなかそんなことまで考えることは難しいのかもしれませんが、他人を変えることができるという考えは持つべきではないのかもしれません。

 

 

堀を覗いたら鯉も水面に顔を出して私を見ました。何か話たかった?えさもってないの<( ̄∇ ̄)ゞゴメ~ン♪

 

 


2007/04/28 22:22
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初夏の通勤路

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新緑のケヤキ並木の突き当たりは、色鮮やかなツツジの壁です。

これは現在私が通勤の途中で出会うことができる風景です。角を曲がってこの道に入ると、迫り来るようなつつじの壁から目が離せなくなります。私の受けたこの印象をなんとかカメラに収めたいと思い、写してみました。( ̄ヘ ̄)ウーンやや不満です。

自分が普段感じているものがこの写真にはないというか、違うんです。私にはもっとツツジが浮き上がっているように見えるんです。

 

人間の眼っていうのは、自分の見たいものが見えるようになっている・・・というと、それはちょっと哲学チック過ぎます。まあ、現実に今映っている像が必ずしも記憶に残るわけではありませんから、そういう意味では“見ている”ものが“見えた”ものではないと言えるでしょう。つまり、“見えた”は入力された視覚信号の記憶であるということです。

さらに、常に眼球は上下左右に動き、瞳孔は大きくなったり小さくなったりして脳に視覚信号を送っています。ですから、私が記憶している像はある一定期間に入力されたムービー映像から作られた絵であるとも言えるのではないでしょうか。

記憶して思い起こした絵は視覚で映した像と一致しません。記憶は人が生きてきた時間分が混在しているわけですし、様々な感情や視覚以外の情報(音、温寒、匂い、平衡など多くの感覚)によって同じ風景でも違う像として記憶されます。眠っている間の夢が記憶されることもあるだろうから、人が認知している現実は個人的なものなんでしょうね。

 

私がここを通るときに描く絵は、その時の私の頭の中にあるわけで、カメラで表現するのは無理なんだ・・・と結論つけることにしました。それでも、写真は自分の描いた絵を再度思い浮かべる手伝いをしてくれます。絵を浮かべることができるということは、その時に自分が感じたことを再体験することなのかもしれません。また、それはその時の自分を懐古することなのかもしれません。

 

さいたまアリーナのイベント『April Snow~再会~』の中で、私には忘れられないヨンジュンさんの言葉があります。

 「インスはあまり写真を撮るのが好きじゃないみたいです。」

インタビューで最近は写真を撮っているかと聞かれての返事でした。カメラ好きなヨンジュンさんがインスの時は撮りたくなかったということです。この言葉を聴いた時「なぜ?」と私は考えました。インスは自分を懐古したくなかった・・・?あまりに辛い体験をしていたと想像しました。

人は変化するものですから、ある辛い体験で傷ついた心も新しい体験を積み重ねることで変わっていくでしょう。辛かった体験も別の記憶と混ったり、風化したりして、再体験では違うことを感じるかもしれません。それは辛い体験だけでなく、どんな体験も同じです。

 

カメラで自分の見ているものをコピーするように写すことはできません。それは悲しいことですが、自分の眼では見ることのできない絵もカメラは造り出してくれます。それは楽しいことで、自分の記憶に取り込んで私の現実認知に影響を与えていると思います。

 

写真を撮ることが好きな私ですが、ただ好きなだけでいつもカメラ任せにシャッターを押しています。デジタルカメラはファイルに撮影情報が数字として記録されています。今回、上記写真の情報をちょっと自分で考えてみました。より自分の記憶に近い像を撮影する手がかりが得られるかもしれないと思って。

結果、望遠にしたらいいのではないかと考えました。私の使用しているレンズは17~85mmのズームレンズです。上記写真のデータは81mmとなっていました。最高の85mmまで望遠にして撮影したら、遠くのものがもっと引き寄せられて、ケヤキにツツジが接近して見えたかもしれないと思いました。ちょうど1/20に掲載した東京の街の写真のように。どうなのかな。。。o(゚^ ゚)

 

  

道の近くでみつけたクローバーのじゅうたんとタンポポの綿毛です。


2007/04/25 00:32
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眼鏡

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私が眼鏡をかけるようになったのは小学校6年生の時からです。それまでは1.5まで見えたのに、急に近視になりました。両親とも近視のため遺伝なのかなって思っています。黒板の字が見えないからしょうがないなって思いましたが、妹なんか小学校2年生からかけることになり、嫌がっていましたね。かっこよくないんですもの。

小学生のころの眼鏡はピンクのセルフレーム、中学に上がってからは銀縁、高校卒業してピンク~金色っぽいフレーム・・・と見えなくなるたびに買い換えてきました。高校生以降はコンタクトも使用。目が悪いっていうのはお金がかかるし、不便だなあと思いました。

朝起きたらとにかく/(* o */)≡(\* o *)\ メガネメガネ・・・。眼鏡がいらないのは眠るときくらいです。

温泉など大浴場は見えないと危険なので、知らない場所では眼鏡をしたまま入ります。湯気で曇ってしまいますが・・・。コンタクトにすればいいんですけど。

スポーツしている時の眼鏡は汗で鼻からずれたり、ぶつかったときは痛いし、熱気で曇ったりします。

和服やドレッシーな服装の時、眼鏡だけがなんだか浮いてしまってピンときませんでした。

 

でも最近は眼鏡が楽しいですね。ヨンジュンさんに出会ったこともありますが、ファッションにあわせていろいろ取り替えることができ、とにかくおもしろいです。この歳になると近視はほとんど進まないので、いくつ購入しても何年もかけられます。老眼としての変化が気になるところですが、まだそのための眼鏡は必要ないようです。

 

上記写真は『眼鏡市場』です。眼鏡がザ~って並んで照明が当たっている風景がとてもきれいでした。いろいろな台を撮影させてもらったのですが、このセルフレームの台がカラフルで一番華やかでした。ついでに番傘も写っちゃったしね。

眼鏡ってどんどん安くなりますね。今いちばんのお気に入りの眼鏡はフレームがブランドものだったということもありますが、レンズ代が別で、さらにレンズの素材、圧縮、非球面、色つけ・・・としていったらどんどん高くなってしまいました。同じ店(市場になる前)で購入したのですが、今回購入したものが3本買えちゃうくらいの値段だったと記憶しています。

眼鏡がファッションとして成り立つのはこういう風に手軽に手に入るようになったからなんでしょうね。。しかも、短時間で出来上がります。また、カラフルさはガリ勉のイメージも壊しました。

 

お店ではちょうど新しいヨンジュンさんのCMのメイキング映像が流れていました。金色の屏風の前で真っ黒な衣装にやや赤めの眼鏡をかけたヨンジュンさん、それから、障子に白い衣装のヨンジュンさんです。これから様々なバージョンのCMを見ることができるのでしょうね。ワクワク♪o(^o^o)(o^o^)oワクワク♪です。

映像を見ながら店員さんとお話をしました。生島ヒロシさんの後任にヨンジュンさんが決まったことは社員も直前まで知らなかったとか、彼女としてはジャニーズ系の方がよかったとか、番傘編のメイキングでヨンジュンさんに眼鏡を渡している方は・・・とかetc.ウィークデイの日中でしたので、お客さんもほとんどなく、店員さんとの会話で楽しい時間を過ごしてしまいました。

黒と朱

金屏風編は黒の衣装に赤っぽい眼鏡。

同じ和のイメージですね。

眼鏡には関係ないですが、利き目っていうのがあるんですね。視力がいい方っていうのではなく、よく働いている側の目といったらいいのでしょうか。私はたぶん左です。カメラのファインダーを覗くのが左だからです。右でも覗けないことはないのですが、違和感があります。ヨンジュンさんは逆ですね。

 

 

 


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