2011/01/15 02:33
テーマ:passion-果てしなき愛- カテゴリ:韓国TV(ホテリアー)

passion-29.心の涙

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「ドンヒョク・・・」 ジニョンはフランクをそう呼んだ。

しかしそのことを当のジニョンも気が付いてはいなかった。

ただ・・・

今、彼女の目の前に寂しく佇むこの人は・・・

21年前別れた父と妹を前にして、彼らを・・・いや
自分自身を受け入れることの難しさに足掻き苦しむこの人は・・・

間違いなく“シン・ドンヒョク”その人だった。

「ドンヒョク・・・泣かないで・・・」

フランクは泣いてなどいなかった。

しかし、彼自身、説明のできない感情が息苦しく胸を突き上げ
それを持て余したまま、立つのがやっとであるかのように
ただそこに立ち尽くしていた。

少しして、ジニョンの温もりに呼び戻されたかのように我に帰った彼は
目を閉じたまま背中から回された彼女の手にそっと手を重ねた。

前にもこんなことがあった、とフランクは思った。

  まだジニョンと出逢って間もない頃・・・

  あの時もそうだった

  涙など流していない僕の頬を撫でながら

  ジニョンは言った・・・

  ・・・泣かないで・・・

  僕はその時、彼女のその行為に衝撃を受けた

  自分の心を簡単に見透かされたことに・・・

  そして彼女のその温かさに

  本当に泣いてしまいそうな自分に驚いたんだ・・・


「ジニョン・・・僕は今・・・泣いているの?」
フランクは目を閉じたまま上を仰いで静かに口を開いた。

ジニョンは彼のその言葉に、ただ黙って彼に回した腕に力を込めた。

「ごめん・・・」 
しばらくしてフランクはジニョンの手を自分の体から少し緩めると
彼女にゆっくりと振り返って言った。
「ごめん・・・せっかく君達が用意してくれた席を・・
 台無しにしてしまったね」

「・・・・・」 ジニョンはただ黙って彼を見上げていた。

「どうしようもないな・・僕は・・」

「・・・ドンヒョク・・・」

「フランクじゃないのかい?・・今の僕は・・」 
フランクは愉快そうに笑いながらそう言った。

「あ・・・」 ジニョンは彼に言われて、自分が彼をそう呼んでいることに
初めて気がついた。

「フッ・・何だか、変な気分だ」

「そうね・・・でも・・・今のあなたはフランクじゃない
 シン・ドンヒョク・・そうでしょ?」

「ああ・・・そうだ・・・そうだね・・・きっとそうだ」 
ジニョンはそう答えた彼が戸惑いながらも自分自身の存在を
素直に認めたようで何故か嬉しかった。

「ごめんなさい・・」

「何が?」

「あなたにとって、ドンヒョクという名前は・・・
 あなたという存在そのものだったのに・・・私・・」

「ジニョン・・・謝る必要なんて無い
 そんなに大層なことじゃないだろ?」
フランクは少し困ったように、ジニョンの頭を撫でた。

「・・・・・・」 ≪そんなことないわ・・・≫
ジニョンはフランクに掛けるべき言葉を探せないまま、
彼の胸に顔を埋め、その背中に腕を回すと優しく彼を抱きしめた。

「君にとって僕は・・僕であればいいんだ」

「・・・・・・」 ≪そうじゃない・・・あなたは・・・
シン・ドンヒョクに戻りたかったのよ・・・そうよね・・・≫

「あの子に・・ジェニーに悪いこと・・したな・・・」

「ええ・・」

「でも・・・」 フランクはゆっくりと視線を落とした。

「戻りたくない・・・そうなのね・・今は・・・」 
ジニョンは彼の言葉の続きを代わりに言った。

「ああ・・いいだろうか?」

「残念がると思うわ・・ジェニーも・・お父様も・・でも・・」

「・・・・少し・・頭を冷やしたい・・・」

「・・・ひとりで?」 ≪今は私も・・いない方がいいのね≫

「ん・・・ごめん・・・」

「わかったわ・・」 ジニョンはそう言って、また彼の胸に頬を添えた。
「いい?ドンヒョクssi・・・これだけは言わせて・・」

「ん?・・」

「・・・あなたは・・ひとりじゃないのよ」

「ん・・・わかってる・・・」

「なら、いいわ・・・わかっているならいい
 ・・・ひとりにしてあげる」
ジニョンはそう言いながら、彼を抱きしめた腕に更に強く力を込めた。

「ん・・」 
そしてフランクもまたジニョンを包み込むように優しく抱きしめると
彼女の髪に唇を落とした。







「彼はどうした?」 
ジニョンがテジュンの元に出向くと、彼は開口一番にそう言った。

ジニョンは「大丈夫・・」とただ小さく笑みを返した。
「でも今はひとりでいたいんだって・・・」

「ふ~ん・・」

「彼・・・家族という存在に困惑しているの・・・
 たったひとりで生きることに慣れ過ぎてしまっていて・・
 突然目の前に現れた血の繋がった人間と
 どう接していいのかわからないのよ」

「それはジェニーだって同じだろ?」

「そうね・・・同じよね・・でも違うのよ・・・
 彼は親に捨てられたことで深く傷ついて生きてきた
 10歳の時よ・・遠いアメリカに連れて行かれて・・
 言葉もわからない大人達の中に放り込まれたんだわ
 私・・そんなこと想像しただけで震えてしまう
 でもジェニーには父親に捨てられた記憶が無いわ 
 それって・・大きな違いじゃない?・・」

「寂しい男は女心をくすぐる・・か・・」 

「ちゃかさないで」

「あいつのこと・・わかってるんだな」

「いいえ・・わかっていないわ・・」

「・・・・」

「わかっていたら・・・
 何をしてあげればいいのかわかっていたら・・
 こんなに苦しくないもの・・」 
ジニョンが声を詰まらせながらそう言うと、彼女の頬を涙が伝った。

「フッ・・」

「何が可笑しいのよ」 ジニョンはテジュンを涙目で睨み付けた。

「・・・わかってるから・・苦しいんだ」

「・・・・・」

「あいつが羨ましいよ・・あ~あ、
 俺も養子にでも行くんだったな」 テジュンはそう言いながら
両腕を頭の後ろに回して背伸びをした。

「酷いわ・・そんなこと言うの」 

「・・・そうだな・・悪かった・・」

「悪いと思ったなら・・・いいわ」 

「はっ・・」

「思ってないのね」

「思ってるよ」

テジュンとジニョンはふたりで顔を見合わせて笑った。

「彼、言ってたのよ」

「何を?」

「あなたが羨ましいって」

「何で?今やホテルはあいつの思うままだし・・
 お前だって、あいつの・・」 テジュンは言い掛けて止めた。

「ジェニーがあなたのことを自慢げに話すから」

「ああ・・」

「焼もちやいてるの・・彼・・」

「いい気味だ。」

「酷いわ」

「それくらい・・思ったっていいだろ?俺だって・・
 いや、何でもない・・」
テジュンは自分がジニョンへの想いをどれほど制御しているのか
彼女には到底わからないのだろうと、諦めたように溜息をついた。

「・・・それよりジェニーは?」 ジニョンは確かにわかっていなかった。
彼女の心の中は今、フランクへの想いではちきれそうで、
テジュンの心を慮る余裕などなかった。

「ああ・・大丈夫だ・・
 あの後、料理長がフルコースを振舞って
 今は奴が予約を入れたスゥィートで親子で寛いでいる・・
 兄貴のことは気にしていたがな・・」

「そうでしょうね・・後でジェニーには私から話しておくわ」

「ああ・・そうしてやってくれ・・それよりこの前
 ジョルジュから連絡があった」

「ジョルジュ?」

「奴の雇い主が、韓国に事業展開をするらしい
 その手助けをして欲しいと頼まれた
 それが成功したら、ホテルに資金を出してくれると・・」

≪レイ・・・≫ 「そうなの?」

「俺が何の手助けができるのかわからんが
 話を聞いてみようと思う」

「そう・・・ジョルジュ、戻ってくるって?」

「いいや・・そのつもりはないようだ
 今の仕事に生きがいを見出した、そう言っていた」

「そう・・」

「ジニョン・・」

「ん?」

「いや・・何でもない・・・」 ≪もう俺達に望みは無いか≫

「言い掛けて止めるなんて・・失礼・・」
ジニョンはそう言い掛けて、テジュンの熱いまなざしにやっと気が付いた。
「私・・・」

「わかってるさ・・・俺だって、お前のことはよくわかってる
 あいつに負けないくらいにな」

「テジュンssi・・・ごめんなさい」

「それじゃ・・これからジョルジュとまた国際電話だ」

「そう・・頑張って」

「ああ」 テジュンはジニョンに背中を向けたまま手を振り立ち去った。






フランクがサファイアを出て、車で坂を下りかかった時、
坂を上がってくるジェニーの姿が見えた。
フランクは慌てて、レオに停車を命じた。

「ドンヒ!」

ジェニーはフランクの声に驚いて振り返った。

「・・・・僕のところへ?」

「あ・・ええ・・あの・・昨日は・・
 ホテルに部屋を用意してくれて・・・ありがとう・・ございます」

「・・・他人じゃないんだから・・そんなふうに
 言わないでくれないか?」

「お父さん・・お兄さんに会わないで帰って・・
 申し訳ないって・・これ・・お父さんのお土産・・」
ジェニーはそう言いながら、手に持った袋をフランクに渡した。

「ああ・・昨日は・・悪かったね・・」

「ジニョンオンニが・・
 急に仕事が入ったって・・」

「あ・・ああ・・本当にごめん」
フランクが項垂れて謝ると、ジェニーは大きく頭を横に振った。

「・・父さんには家を買おう・・・
 そうしたら君はいつだって父さんに会いに行ける
 それから君は、僕の仕事が終わったら
 一緒にアメリカに帰るんだ
 これからは、今まで出来なかったことを沢山やるといい
 遊びも・・勉強も・・」

「やりたいことなんて・・・ありません・・・
 ただここで料理の勉強をしたかった・・・」
ジェニーはそう言うと表情を曇らせ、俯いた。

「・・・・・」

「この前・・ソ弁護士に呼ばれました」

「あ・・・」

「私・・・リストラされるんですね」

「いや・・それは・・」

「いいの・・・
 もともと厨房には無理を言って入れてもらってたんだし
 経験も浅いし・・それに・・
 私が残るわけにはいかないのもわかる・・だから、私はいいの」

「そんなにここにいたいの?
 君はもう、何ひとつ苦労することなんてないんだよ」

「苦労だなんて・・思ったことないわ
 ここの人達は優しくて・・・居心地が良かった
 本当の家族みたいで・・・」

「僕と一緒にアメリカに帰るのがそんなに嫌かい?」

「あ・・いいえ・・・でも・・・」

「でも?」

「でも・・・私・・テジュンssiに恩返しがしたい
 オッパ・・・オッパにホテルを奪うほどの力があるなら・・
 救うこともできるでしょ?」

「・・・・・」

「このホテルを助けてくれない?ね、オッパ・・お願い・・」

「・・・・・」

「だめ?・・」 ジェニーは切なげにフランクを見上げていた。

「ボス!時間が無いぞ!」 レオが車のウィンドー越しに声を張った。

「ジェニー・・・ごめん・・今は何も言えない
 ごめんよ・・仕事があるんだ、急がないと・・
 また今度、ゆっくり話そう・・ね。」

フランクはドンヒの肩に手を掛けながら心の中で思っていた。
≪この子の為にも・・・失敗は許されない・・・≫







フランクとレオがキム会長とのランチミーティングの席に到着すると
キム会長は既に席に就いていた。

「お待たせして申し訳ございませんでした」

「いや・・今到着したところだ」

「では早速、今までの経緯と・・次回の株主総会についてですが」

フランクが着席するなり、ブリーフケースから書類のファイルを抜き出し
それを開いた時、キム会長は言葉を挟んだ。

「株主総会で、現社長の退任を提議する」

「・・・・・」

「現在のホテルの状況では、彼女の持ち株を処分しなければ
 立ち行かないよう、既に手は打ってある」

「そうですか」

「それから・・これを・・フランク・・」 
キム会長は、持っていた資料をフランクに差し出した。

「これは?」

「その手はずが済んだら・・・」

「・・・・・」 

「ホテルを欲しいという企業が現れたんだ」

そう言いながら、キム会長は資料を顎をしゃくって指した。
フランクは差し出された資料を無言で捲っていた。

「どういうことですか?・・・
 ホテルを手に入れるのが目的だったのでは?」

「そのチェーンに株を譲ると決めた」

「・・・・・」

「先方は君が携わるなら、もう少し高値をつけてもいいと
 言っている・・早速その仕事に掛かってくれ」

「アメリカの企業ですね?」

「ああ」

「そうなると・・・
 ソウルホテルの名前は・・消えてしまう」
フランクはそう言葉にしながらも、胸の内の動揺を悟られまいと、
努めて平静を装った。
 
「名前なんぞ、どうでもいい・・ 」

「ソウルホテルの伝統も・・何もかも・・」 フランクは呟くように言った。

「私は利益さえあれば文句は無い」
キム会長は冷ややかにフランクを見やり、そう言った。

フランクは会長のその目を見据えたまま、少しの沈黙の後
口を開いた。


「お前か・・・

   
     ・・・レオ・・・」・・・










   






  



 



2011/01/11 09:44
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passion-28.証

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翌朝ジョギングから戻ると、部屋の前にジェニーが立っていた。
彼女の目が、ジニョンから事情を聞いてそこに来たことを物語っていた。

「・・・・・朝ごはんは・・・食べた?」

「ええ・・朝ごはんはちゃんと食べないと、
 仕事にならないからって、テジュンssiが・・・」

「これから仕事?いつもこんなに早いの?」
フランクはジェニーの口から出たハン・テジュンの名前を一度は無視した。

「厨房で認めてもらえるまで、みんなより30分早く出て
 30分遅く帰りなさいって・・テジュンssiが・・・」

「テジュンssiが・・・そんなことを?」
フランクは妹ドンヒにとって、ハン・テジュンという男が
いかに重い存在であるのか認めざる得なかった。

「ええ、テジュンssiは私に色んなことを教えてくれます」

「そう・・・」

「私昔・・・とても人に言えない生活してたんです」

「苦労したんだね」

「忘れました・・・でもテジュンssiがいつも親身になってくれたから・・・
 生きてこられたんだと思います・・」

「・・・・」

「・・・慰めてくれたり・・叱ってくれたり・・
 命がけで助けてくれたこともありました・・」

「そう・・・」 フランクは視線を下げて静かに呟いた。

「今・・こうして大好きな料理の仕事をさせてもらえるのも
 みんな・・テジュンssiのお陰です」

「料理が好きなの?」

「ええ」

「・・・・・・」

「あ・・でも・・・本当のお兄さんが・・・成功してくれていて・・
 良かったです・・・本当に・・・」

「・・・・・・」

「・・・・いい人だったら・・・もっと良かったけど・・・」

フランクは俯きがちにそう言ったジェニーの言葉を聞いて、
寂しそうに苦笑した。

「あの・・もう行かないと・・仕事の時間なので・・」 
ジエニーがそう言いながら立ち上がろうとした時、フランクは言った。
「・・・・両親のことを知りたいかい?」 

「生きているんですか?」 
生まれて初めて対面した肉親を前に居心地の悪さから、できるだけ早く
その場を立ち去ろうと構えていた彼女が目を輝かせ、再度腰を下ろした。

「ああ・・父親は・・・。
 母親は君を生んで一年後に亡くなったけど」

「もう誰も生きていないのかと・・」

「君が会いたいなら・・・」
「会いたい!」 フランクの問いかけにジェニーは即座に答えた。

フランクはジェニーの悲痛なほどの眼差しに、心を乱されていた。
もう二度と会わないと、あの日自分が突き放してきた父親に、
会いたいと望む妹が今目の前にいる。

≪僕達を捨てていった人なんだよ
 それでも・・・そんなに会いたいの?≫

「会わせて下さい」

「ああ・・わかった・・」 ≪君がそんなに望むなら≫ 
フランクはまたも寂しげに視線を落とし、溜息をついた。

 




「いよいよ明日ね・・お父様・・来て下さること承諾下さって・・
 本当に良かった・・」 ジニョンは本当に嬉しそうにそう言った。

「ん・・」 しかしフランクは気乗りしない思いを露に俯いた。

フランクはレオに頼んで東海まで父親を迎えに行ってもらったものの
フランクの要請を一度は父が≪自分にはその資格が無い≫と、
頑なに拒んだと聞いた。
フランクは正直、“それならそれでもいい”と思った。
彼自身は父という存在をとうに棄てていたからだ。

しかし結果的に父はレオに説き伏せられ、明日彼に連れられ
やってくることになった。

「嬉しくないの?」

「どうしてあの子はあんなにも、あの人に会いたがるんだろう」

「どうしてって?」

「あの人があの子にどんな仕打ちをしたのか・・
 恨んで当然なのに・・」 フランクは不服そうに眉を顰めた。


「ジェニーね・・・二歳の時アメリカに渡ってからずっと・・
 養子先で幸せに暮らしていたらしいわ
 七歳の時まで、自分がその家の本当の子供だって
 信じて疑わなかったらしいの・・・
 学校に通うようになって、友達に言われるまで・・」

ジニョンは今日はこの話をフランクにしようと、サファイアを訪れていた。

「パパとママと肌の色が違うねって・・」

今まで自分の生い立ちについて多くを語ろうとしなかったジェニーが、
ジニョンに自ら語り始めたのはきっと、彼女を通して兄フランクに
伝えたかったのだとジニョンは察していた。

「・・・・」

「養父母達は、本当のことを話す機会を作ろうとしていたらしいわ
 きっと実の親のことも話して聞かせる用意があったんだと思う
 でも、ジェニーがそのことに触れないようにしていたって・・
 その頃は本当の両親に会いたい、なんて思わなかった・・
 今の幸せを失いたくない、ただそう思ってたって・・」

「・・・・」

「あなたがあの子をどうして捜さなかったのか・・後悔してること・・
 伝えたの私・・・そしたらあの子、こう言ったわ・・
 “私は自分のルーツを知る機会を・・自分から捨てたんだ”って・・」

「・・・幸せに暮らしていたんだね」 
フランクはホッと安堵したかのように溜息をついた。

「ええ・・十三の年までは・・」

「十三?」

「その年に養父母が交通事故でふたりとも亡くなって・・・
 車の衝突事故だったらしいわ」

「・・・・・!」

「あの子も一緒だったらしいの・・その事故の時・・
 三人とも後部座席にいて・・
 ご両親があの子を両側から抱きしめて守って下さった
 それであの子は辛うじて助かったの・・・」

「・・・・・」
  
「養父母には親御さんもご兄弟もいらしたけど
 縁もゆかりも無いジェニーを引き取ろうという人は
 ひとりもいなかった・・・
 それで結局あの子は家族が通っていた教会の牧師さんの元に・・」

「・・・・・」

「そこで親に捨てられた多くの子供達と遭遇して
 自分がそういう子供達と同じだったって・・改めてわかって・・・
 やりきれない思いだったって・・
 血の繋がらない育ての親は命がけで自分を守ってくれた・・
 でも・・本当の親は自分を捨てたんだって・・・
 その頃かららしいわ・・あの子が荒れ始めたのは・・」

「・・・・・」 フランクはジニョンから顔を背けたまま
彼女の話を無言で聞きながら、溢れ出る涙を堪えることができなかった。
「フラン・・ク?」
 
彼の胸に言いようのない悔しさが込み上げて仕方なかった。
「どうして・・・その時・・」

「・・・・」

「どうしてその時に・・・
 僕が・・あの子と・・出会わなかったんだろう」

「フランク・・・」

「捜すべきだったんだ・・・僕は捜すべきだった
 その頃の僕なら・・できたはずなのに・・
 あの子を捜すことも・・守ることも・・できたはずなのに・・
 僕はそうしなかった・・・」

「自分を責めないで・・お願い・・フランク・・」

フランクは依然としてジニョンから顔を背けたままだった。
頬を止め処なく伝う涙を彼女に見られたくはなかった。

「それなのに・・・」 フランクは苦しい呼吸を懸命に整えながら続けた。

「えっ?・・」

「それなのに・・どうしてあの子は・・・あんな親に会いたがる?
 恨んだはずだろ?・・恨んで当然なんだ
 本当の親は・・あの人は・・あの子を守らなかったんだから・・」

「・・・・・・・・あの子・・ここに来る前にもね・・
 死ぬ程危ない目に遭ってるの
 テジュンssiが命懸けで助けたのよ・・」

「・・・・」 

「そこから彼女を逃げ出させるためにテジュンssiも
 住んでいた場所を離れたの・・
 その時、彼女が彼に言ったそうよ・・
 “本当の家族に会いたい”って・・
 “韓国に連れて行って欲しい”って・・
 何でもするから・・今度困らせるようなことをしたら
 今度こそ放り出してくれていいからって、頼んだの・・
 きっと・・死ぬような思いをして・・・
 潜在していた家族への思いが蘇ったんじゃないかしら・・
 私は・・・そう思うわ・・」

「・・・・・」 
フランクは変わらず、ジニョンの話しを顔を逸らしたまま聞いていた。

「それに遅いことなんてない・・・
 あなた達はこうして出会ったんだもの・・
 ねぇ、フランク・・思わない?・・・・」
ジニョンはフランクが自分の方を向くのを待った。

フランクはひとつだけ深呼吸をするとやっと、ジニョンに視線を戻した。

「私は思うの・・・今だからこそ
 あなた達を神様が会わせて下さったって・・
 今のあなただからこそ
 あの子の想いをわかってあげられるんじゃない?

 それに・・こんな偶然・・あるわけないじゃない・・
 だってほら・・私とジェニーが今一緒に暮らしてるのよ
 あなたにとって妹なら・・私にとってもそうでしょ?
 あの子・・私のこと“オンニ”って慕ってくれてるのよ
 そうよ・・これって運命なのよ・・
 だから・・遅いことないの・・それに・・
 あの子は本当に肉親に会いたがってたの
 あなたは今・・あの子の一番の望みを叶えてあげている
 そうでしょ?」

「・・・ジニョン・・・」 
ジニョンが身振り手振りを交えて、懸命に彼を慰めている姿に
フランクは思わず噴出して笑った。

「何が・・可笑しいのよ」 ジニョンは口を尖らせてフランクを見上げた。

「ハハ・・・ごめん・・・
 だって君の顔があまりに真剣だから・・」
フランクは少し大げさにお腹を抱える仕草で笑って見せた。

「フランク!・・笑い過ぎ・・」 

しかし彼女にはわかっていた。

フランクは今、妹ジェニーを思って張り裂けそうな程の後悔に
懸命に耐えているのだと。








翌朝、サファイアの前で待つフランクの前に、ジニョンに連れられた
ジェニーが照れくさそうに現れた。

フランクは遠い日に妹の身に起きていた悲しい出来事を思いながら
彼女を愛おしそうに見つめた。
白いブラウスに、同じく白い長めのスカートをはいた妹を
まるで労わるように。

 ≪あの子ね・・足に傷があるの・・事故の時の・・・
   右足の膝下に・・残ってるの
   だからいつも長いパンツしかはかないの
   でも明日は・・おしゃれさせるわ・・・≫

そしてフランクは誓っていた。

≪もうこれからは決して・・・
  お前を不幸にはしない・・・≫



ジェニーはほんの数日前に兄となった男を前に、心が複雑に
揺れ動いていた。

自分にとって、心の兄はテジュン以外になかった。
今更、彼以外に本当に心を許せる兄などできるはずはない。
ジェニーはそう思っていた。

そのテジュンがこう言った。

≪あいつがどんな奴だろうとお前と血の繋がった兄貴なんだ・・・
  会いたくてたまらなかった本当の家族に会えたんだ・・
  お前は素直に喜べ・・≫

彼のその言葉に、ジェニーは黙って頷いた。

テジュンの言うことに間違いなどあるはずがなかったから・・・。

でも・・・その兄は・・・
≪大切なホテルの敵・・テジュンssiの敵≫

そして・・・
≪ジニョンオンニを・・テジュンssiから奪った人≫

しかし目の前で自分を温かな眼差しで見つめるフランクに
ジェニーは心を囚われていた。

それでも・・・ ≪私の・・・オッパ・・・≫



「行きましょう」 
ジニョンが目の前のまだぎこちない兄妹を温かい眼差しでいざなった。

「ああ」 フランクは昔よく繋いでいた小さかった手を思いながら
ジェニーに手を差し伸べた。
ジェニーは戸惑いながらも、差し出されたその手に包まれた。
それは彼女にとって、初めての肉親の手だった。

≪大きな手・・≫ 

彼女は自分の胸が何かに圧迫される恐怖に震えながら
それでも何故か心地良い温もりをその手から感じ取っていた。




ダイアモンドヴィラの一室が、テジュンの心遣いによって、
ジェニーと父との再会の場所となっていた。

レオに連れられソウルホテルへと案内されて来たその父は
馴染めないテーブルの前で落ち着かない様子だった。
フランクとジェニーがジニョンに案内されて中へ入ると、
父はすぐさま椅子から立ち上がった。

テジュンやジニョン達は長い時を経て巡り合った家族の為に
静かに席を外した。


対面を果たした三人は、互いから少しだけ視線を逸らしていた。
家族と呼ぶには、余りに長い年月をそれぞれに過ごし過ぎていて
その緊張を破るのに少しの勇気が必要だった。

「お父さんだ・・・挨拶を・・・」 
フランクはジェニーに向かって静かにそう言った。

  ≪君を捨てた男だよ、ドンヒ・・
    さあ、好きなだけなじるといい
    君にはその権利がある≫

するとジェニーは緊張の面持ちのまま前に進み出て、初めて見る父に
ホテルの仲間達に教わった韓国式の正式な挨拶を捧げた。
父は自分が捨ててしまった娘の、心を込めた挨拶を目の当たりにすると、
込み上げるものに堪えきれなくなったのか、思わず彼女に駆け寄り
ひざまずく彼女を泣きながら立たせると自分の犯した罪を詫びた。

「会いたかった・・・死ぬほど会いたかった」
ジェニーは父の腕の中で子供のように泣きじゃくっていた。

  ≪何を言うんだ、ドンヒ・・
   そんなこと言うんじゃない!≫


そして彼女は止めることのできない嗚咽の中で
「生きていてくれてありがとう」と父に繰り返した。


  生きていてくれてありがとう

彼女のその言葉の重みを、フランクは心の奥で噛み締め、目を閉じた。

その言葉を口にする妹が恨めしかった。

いいや本当は羨ましかったのかもしれない。
しかし・・・

  ≪僕は・・・言えない≫

涙ながらに抱きあう父と妹の姿は、フランクにとって余りに衝撃だった。


 僕は21年もの間、この父を恨んで・・
 憎んで・・そして捨てた

 しかし僕にとってのたったひとりの存在の証は・・・
 ドンヒは・・・あの人をあんなにも求めている


フランクは居たたまれなかった。

気が付くと、ふたりから目を背け、きびすを返しドアを開けていた。

ドアの外にはジニョンがいた。
しかしフランクは、心配そうに彼を伺う彼女からさえも目を逸らし
逃げるようにその場から立ち去った。




ジニョンがフランクの後を追いかけると、彼は漢江に向かって
静かに佇んでいた。

彼女は少しの間黙って、彼のその広い背中を見つめていた。
彼がまるで景色の中に溶けてしまいそうなほど、儚く見えた。

彼女は堪えきれず駆け寄ると、彼の背中を後ろからそっと抱きしめた。

「ドン・・ヒョクssi・・・」 

ジニョンはフランクをそう呼んだ。

「ドンヒョク・・・お願い・・・


      ・・・泣かないで・・・」・・・










 




 
















2011/01/09 22:13
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passion-27.絆

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「ジェニー?」


≪ジニョンさんと一緒に住んでいるジェニーです≫

  ・・・あの子が・・・


「何てことだ・・・」

「どうした?ボス・・」

「ジェニー・・・ドンヒ・・・」 フランクは不思議な巡り合せに驚きながら
胸を突き上げてくる熱いものを秘かに堪えていた。

「この子も・・・リストに?」 
フランクは次に用意していたリストラ対象者リストを指してそう言った。

「ああ・・次のリストには上がっている」
レオが手に持った書類を指ではじいて答えた。

「・・・・・」

「フランク・・これは既にソウルホテル側にも渡してあるものだ
 今更この中から、たったひとりを外すわけには・・
 それがお前の妹とあっちゃ、尚更だな・・」

「わかってる」

「しかし・・・どうする・・」

「期限はいつだった?」

「ひと月後だ・・・そろそろ各人にホテル顧問弁護士から
 告知されることになってる」

フランクは前回の急襲的なリストラのやり方に対して、
ソウルホテル側から強い抗議を受けていた。
そしてジニョンの父ソ・ヨンスから、今後のリストラは飽くまでも
正攻法で決着をつけることを進言され、フランクも承諾した。

もともと前回は、ホテル側に大きなショックを与えることが目的であり、
その目的が達せられた今となっては、フランクにとっても
ホテルへのそれ以上の攻撃は無意味でもあった。

結果、ヨンスの要求通り今後のリストラは彼によって個人への事前告知、
そして必要に応じて各人のその後の求職相談にも乗ることを
条件とし、進めることとなった。

それにしても皮肉なことだ。
フランクがホテル経営監査人としての立場で動いているとはいえ、
今や、フランク・シンという男はホテルに勤める人間にとって
脅威とされている男である。

そしてその男フランクが突きつける銃の先には妹ドンヒがいた。





その日の昼下がり、フランクはバックヤードのドアをそっと押した。
そのドアの向こう側では、裏で働く人々が行き交い、忙しく動いていた。
まるで表舞台とは別の時間が早回しに存在しているようだった。

そこを何かを捜し求めながらゆっくりと進む場違いな男とすれ違う度に、
人々は怪訝な表情を露にしていた。


「ジェニー!何やってるんだ!
 早くじゃがいもとたまねぎ持って来い!」

厨房の奥から聞こえてきた怒号に、フランクは胸が騒いだ。

「はい!」

快活な声と共に厨房から飛び出して来たひとりの女の子と、
フランクは出会いがしらにぶつかった。

「きゃっ・・ごめんなさい!」
「失礼・・」

彼女はぶつかった男が、ホテルの、そしてテジュンの敵であることに
瞬時に表情を強ばらせ、彼を睨み付けながらその横を通り過ぎた。

彼は、彼女が食料庫に入り、そこから玉ねぎの箱を抱えて出て来る行動を
胸が潰れるような思いでずっと目で追っていた。

その時転びそうになった彼女を、思わず助けしようと彼の腕が伸びたが
冷たく彼女に撥ねつけられた。

彼女の持つ箱から転げ落ちた玉ねぎを彼が拾い上げ彼女に差し出すと
彼女はそれを彼の手から乱暴に奪い取った。

「ここはお偉い方がいらっしゃるところではありませんよ!
 たとえ理事であっても、ここへの出入りは料理長の許可を得て
 白衣を着なければ入れないんです
 それともまたリストラする人間を探してるんですか?」

彼女は彼に対して、敵意をむき出しに突っかかってきた。

「あ・・いや・・」 
情けないことにこの時彼は、彼女への言葉が何ひとつ浮かばなかった。
何かに突かれたかのように、胸が痛く、苦しかった。

「何もご用が無いなら、邪魔しないで下さい!」
ドンヒはそう言い捨てて、プイと顔を背けた。

フランクにとって、ドンヒに突き放されたことはショックではなかった。

ただ微かに記憶に残る母の面影を彼女の中に見つけて、
胸が震えるほど熱く、動揺する自分に衝撃を受けていた。


  この韓国を出てアメリカに渡ったあの日・・・
  僕はまだ11歳の誕生日を迎えていなかった

  その半年前から養護施設に預けられていたドンヒは
  既に僕の存在も忘れかけていた

  あの別れの朝、最後にひと目だけどうしても会いたくて
  あの子がいる施設にひとりで行った

  目の前に現れた小さくてあどけないドンヒに
  僕は思わず彼女の手に頬ずりをして泣いた
  そして僕は次第に愛しさが込み上げて、
  思わず彼女を強く抱きしめてしまった
  ドンヒは突然の僕の行為にびっくりしたみたいに
  まるで火がついたように泣き叫んだ

  母さんはとっくに死んで・・・父さんは僕を捨てた
  そしてたったひとり僕に残されたはずのあの子は
  既に僕の存在すらも忘れかけていた
 
  あの時の僕の思いは今も覚えている
  あの子のあどけない顔を覗きながら僕はこう思っていた

  ≪この子が僕を忘れてしまったら・・・
   僕という存在はいったいどこにあったんだろう
   どこへ消えてしまうんだろう・・≫と・・・

  そして今、ジェニー・アダムスとして生きるこの子には
  現実に僕の存在など、心の隅にすらない・・・

  あの時あの子を抱きしめて泣いてしまったのは・・・
  その恐怖に震えていたのかもしれない・・・

  それともただ・・・
  あの子の温もりを失いたくなかっただけなのかもしれない

  あの時僕らはとても長いこと・・・声を上げて泣いていた
  例えあの子と僕の涙の理由は違っていても
  あの時は確かに僕達ふたりは繋がっていたんだ・・・

  でも・・・僕にはその後の記憶がない
  その後どうやってドンヒの手を離したのか・・・
  その記憶がまったく無い・・・

  時が過ぎ・・・故郷が恋しくて涙する度に思い出していたのは
  その時のドンヒの大きな泣き声とあの子の甘い匂いだった

  ≪あの頃僕が大人だったなら・・・≫何度思ったか知れなかった
  ≪そうしたら決して君の手を離しはしなかったのに・・≫

 

 



「こうしてここから眺める景色は実に爽快だね」
フランクは漢江を挟んだ向かい側の高台から流れる光の糸を
愛しそうに眺めながら言った。

「ええ」 ジニョンもまた彼と同じ景色に視線を向け、頬を緩めた。
三十分ほど前、フランクからの電話を受け、彼女は彼の為に
ダイアモンドヴィラのエントランス前に椅子をふたつ並べ待っていた。

「どうぞ・・・掛けて」 
ジニョンは目の前の椅子を示して、フランクに言った。

「ああ・・ありがとう・・・でもいいの?ここでこうして
 僕と過ごしても・・・」 フランクは首をかしげるようにして微笑んだ。

「私・・・今は勤務中じゃないの」 ジニョンは悪戯っぽい笑顔で答えた。

「そう・・」 彼は彼女に穏やかな視線を送ると、椅子に腰を下ろし、
目の前の美しい景色にまた視線を移した。
そして清々しく深呼吸するように胸を逸らした。

ジニョンもまた椅子に腰を下ろすと、彼の横顔を愛しげに見つめた。

「どうして・・・話してくれなかったの?妹さんがいたなんて・・・」

十年前、フランクはジニョンに自分の生い立ちを語っていた。
しかしその時、彼の口から妹の存在は語られなかった。

「んー・・・どうしてだろう・・・
 心の何処かで・・僕の中に彼女を置き去りにしたという
 罪悪感があったのかもしれない」
フランクはゆっくりと語り始めたが、その瞳には寂しさが漂っていた。

「あなたが置き去りにしたんじゃないわ」
ジニョンはすかさずそう言った。

「思い出したところでどうする?そう思っていた・・・
 忘れようとしたんだ・・・韓国での全てを・・・
 あの子の存在をも・・・」

「・・・・」

「それなのに・・・
 あの子を見てると、喉に何かが閊えたみたいに苦しかった
 あの子の苦労や不幸な出来事全てが
 自分の責任のような気に・・・」
フランクは込み上げる涙を堪えるかのように、宙を仰いだ。

「あなたのせいじゃない」 ジニョンは努めて静かにそう言った。
本当は叫びたかった。
≪苦しまないで≫ そう言って彼を抱きしめたかった。
でも今は、彼はきっとそうして欲しくはないのだと思った。

「そんなに真剣に慰めないで・・ジニョン・・・」
そう言ったフランクに、ジニョンは泣き顔のような笑顔を向けた。

≪そうなのね・・・今は・・・
  こうしてあなたを見つめていればいいのね・・・フランク≫

「ああ・・・」 フランクはジニョンの心の声にそう答えた。

ジニョンは一瞬少し驚いた顔をして、直ぐに満面の笑顔を彼に送った。


「でも・・・あなたの妹さんが・・・ジェニーだったなんて・・・」

「さっき、厨房に行ってみたんだ」

「そう」

「でも睨まれた」 フランクは寂しげに苦笑した。

「ふふ・・あなたは今、ホテルの敵だから」

「その前にも彼女には会ったことがある」

「そうなの?・・いつ?」

「二週間くらい前・・君のアパートの前で・・・
 その時も彼女にきつく睨まれた」 フランクはまた苦笑した。

「・・・・・」

「ジニョンオンニにはテジュンさんという恋人がいますって
 あなたはジニョンさんを心配しないでって・・」

「あ・・ジェニー・・テジュン信者だから」

「信者?」

「ええ・・テジュンssiの言うことには間違いはないと
 思ってるの・・あの子・・」

「信用があるんだね・・彼・・」

「アメリカで彼女が十代の頃から彼が世話をしていたのよ」

「アメリカで?」

「彼女を面倒見ていた牧師さんが亡くなって、
 テジュンssiが後を引き受けたらしいわ」

「そう・・・そうだったのか・・・」 

「彼が彼女をここへ連れて来たの」

「・・・・・・」

「・・・・フランク?」 
ジニョンは遠くに視線を置いたまま沈黙したフランクに問いかけた。

「同じアメリカに住んでいたのに・・・どうして出会ったのが・・・
 僕じゃなくて、彼だったんだろう・・・」

視線はそのままにポツリとそう言ったフランクに、ジニョンは
掛ける言葉を見つけられなくて、しばらく彼の横顔を見つめていた。
「・・・・・」

「あ・・ごめん・・・」

「ううん・・・」

「・・・彼に感謝しないといけないね」

「・・・そうね」

「彼女・・・」

「えっ?」

「僕に会いたくないかもしれない」

「そんなことないわ・・あの子が韓国に来た理由は 
 もしかしたら、本当の家族に会えるかもって・・
 そう思っていたのよ
 きっと本当のことがわかったら喜ぶ・・」

「僕は・・・本当の家族だろうか・・・」

「弱気なのね・・・あなたらしくないわ」≪いいえ、あなたらしい・・・≫
「彼女に・・・ジェニーには私から言って欲しい?」

「ああ・・そうしてくれると助かる」

「しょうがないわね、本当に・・・弱虫なんだから・・」
そう言ったジニョンの目はとても優しかった。

「ああ・・弱虫なんだ・・・
 君がいないと・・・何も出来ない」 そう言ってフランクは
寂しさを残したままの熱いまなざしでジニョンを見つめた。

「冷酷なハンターはまた何処かへ消えたの?」

「ふっ・・・それを言われると胸が痛い」

「でも・・・」

「ん?・・・」

「弱虫で・・いいわ・・・」 ジニョンは悪戯っぽい眼差しでそう言った。
「私の前では・・・弱虫でいい」

フランクは「フッ・・」と小さく笑いながらジニョンから顔を逸らせると、
直ぐに彼女に視線を戻して、優しく睨んだ。

そしてふたりはしばらく言葉を交わすことなく、ただそこに佇んだ。

彼女は彼の心を癒すように優しくその眼差しを見つめ続け・・・

彼は彼女に、もろく崩れてしまいそうな心を素直に委ねていた。





ジニョンはフランクと別れた後、ジェニーを探して厨房に向かった。

「ジェニーは?」

「たった今あがったよ」 料理長が大きな声を張り上げた。

「そう、ありがとう!」 ジニョンはすぐさまきびすを返した。

「おい!・・・何なんだ?いったい・・忙しい奴だな・・」 
料理長の声がジニョンの背中を追いかけたが彼女は既に走って消えていた。

今度は更衣室へと向かった。「ジェニー知らない?」

「ジェニーなら、たった今・・」とスタッフに出口を指差され、
ジニョンは従業員通用口へとまたも走った。

家に帰れば彼女に会えるのはわかっている。

でも・・・急いで伝えたかった。一刻も早く知らせてあげたかった。

≪ジェニーの為・・いいえ、フランクの為に・・・≫

ジニョンが呼吸を小刻みに乱しながら通用口を走って出ると、
スロープの先にジェニーの影をやっと見つけた。

「ジェニー!待って!」 

ジェニーはジニョンの大きな声に驚き振り向いた。

「オンニ・・・どうしたの?」

ジニョンは更に走ると、やっとのこと、ジェニーを捕まえることができた。
しかし彼女は走り過ぎた為に、呼吸を整えるのに少々時間が掛かった。
その間、ジニョンはジェニーの腕をしっかりと掴んで離さなかった。
ジェニーはそんなジニョンを不思議そうに見つめていた。

「オンニ・・・いったい・・どうしたの?」

「ハァハァ・・待って・・ハァハァ・・ちょっと苦しい・・
 あなたの・・・」

「ん?」

「あなたの・・お兄さんが・・・みつかった」

「・・・・・・!」






翌朝フランクがジョギングから部屋に戻ると、ジェニーが
部屋の前に立っていた。

彼女の目が、ジニョンから事情を聞いてそこに来たことを
素直に物語っていた。

フランクは軽く息を整えながら、彼女へ掛けるべき言葉を探した。


   ・・・「・・・・・朝ごはんは?」・・・




















2011/01/07 23:01
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「今夜は泊まって行ってくれる?」 
フランクはジニョンの唇に唇を軽く重ねたままそう言った。

「・・ここに?」 ジニョンは驚いて、少し身を引くと目を丸くした。

「そう・・・ずっと僕と一緒にいて・・・」
フランクはすがるような目でジニョンを見つめた。

「フランク?」 
ジニョンは困った顔をして首をかしげ、俯いた。

「ね・・・」 フランクは彼女を下から覗き込んだ。

「それは・・・できないわ」

「どうして?」

「どうしてって・・・」

「人の目が怖いかい?」

「・・・・あなたこそ・・・」

「ん?・・」

「あなたこそ・・・何がそんなに怖いの?」 
ジニョンはそう言いながら、フランクの頬を細い指でそっと撫でた。

「僕が?・・」

「ええ・・・」

「どうして・・・そう思うの?」
フランクは頬に触れた彼女の手を取って、自分の唇に持って行くと
その手に優しくくちづけた。

「何だか・・・そう見える・・」

「フッ・・・そうかもしれない・・・僕は・・
 きっと怖がっている・・・
 君が僕のそばにいなかった長い年月は
 僕にとってひどいものだった・・・
 もうあんな世界に戻るのは嫌だ・・・」

「戻らないわ」

「本当に?」

「ええ・・私も・・二度と嫌よ・・
 あなたがいない世界なんて・・いや・・」

「そうだね・・・戻らない・・・決して・・
 でも僕は臆病者になってしまったのかもしれない
 こうして君を・・・自分の手元に置いておかないと
 不安でしょうがないんだから・・・」

「不安?」

「ああ・・すごく・・・」

「さっきまでの強引なあなたは何処へ行ったの?」

「さあ・・・どこかへ消えてしまったようだ」

「ふふ・・あなたが臆病者だなんて、誰が信じるかしら」

「ね・・いいでしょ?」
フランクはジニョンの耳の厚く柔らかい部分を甘く噛みながら囁き続けた。

「ねぇフランク・・・私も・・・あなたとずっと一緒にいたい・・・
 でも・・今は・・・」

「・・・・・」 
彼は無言のまま、唇を彼女の喉に這わせながら真直ぐ下りていった。

「フラン・・ク・・・」 
彼女が嗜めるように呼んだ彼の名は、溜息に混じって聞こえた。

「・・・ジニョ・・ン・・」 彼は彼女から少しの間も唇を離さなかった。

「はっ・・・フ・・ラ・・・」「お願い・・今夜は・・ここにいて・・・」 
「・・ン・・ク・・・・」

「ね・・いて・・」

「・・・だ・・め・・」 ジニョンの抵抗は甘い吐息に消えた。

「許さないと・・言ったら?・・・」


   フランク・・・あなたは・・・

   非情で冷酷な人だと恐れられている

   でも本当は・・・そうじゃないわ・・・

   私は知っている・・・

   強さと・・・弱さを・・・

   いつも背中合わせに抱いている

   私の・・・フランク・・・

   こうしてあなたの心を撫でていると・・・

   私はいつも・・・

   寂しい瞳をしたあなたに出会ってしまう

   そんなあなたを見るたびに

   私の方がずっとあなたを離したくなくなるの・・・

   私の方がずっと・・・あなたと一緒にいたくなるの・・・

   でも今はだめよ・・・それは・・・

   あなたも・・・わかってるでしょ?


    

ジニョンはまだ薄暗い明け方近くにフランクのベッドを下りた。
まさか明るくなってから、この部屋を出るわけにはいかない。
彼女は、急いで身支度を済ませ、まだ眠っていたフランクの頬に
そっとくちづけると部屋を出た。

≪ずっとそばにいて・・・≫

フランクはジニョンを抱きながら、何度も繰り返していた。
そのフランクの声がジニョンの脳裏からいつまでも消えなかった。
ジニョンはそんなフランクがあまりに愛しくて、何度も何度も
サファイアを振り返りながら、坂を下りた。


フランクはジニョンがこの部屋を出て行く音を確認すると、
閉じていた目を静かに開けた。

「・・・うらぎりもの・・・」 そしてそう呟いてフッと笑みを浮かべた。

フランクはわかっていた。
≪これ以上、自分の思いを無理強いしたら、
 ホテルとの板ばさみに彼女はひどく苦しむことになる≫


   信じてくれる・・・

   今はそれだけで・・・良かったはずなのに・・・

   君を手にしてしまったら・・・

   もっともっと・・・欲しくなってしまう・・・

   本当に僕の元にあるのかが不安で・・・

   また君がいつかこの手から零れ落ちそうな気がして・・・

   片時も離れていたくない・・・

   そうだよ・・・

   君の言うとおりだ・・・

   僕は怖くて・・・仕方がない・・・

   君を抱いていないと・・・

   何もかもが怖くて仕方がない・・・






フランクの改革は結果的にはソウルホテルを救うことになる。
ジニョンはそう信じると決めた。

しかしフランクが何を考えているのか、何をしようとしているのか・・・
ジニョンにはまだ本当のところをわかってはいなかった。

テジュンがこの状況を乗り切ろうと懸命になっていることにも
現実にリストラなどの処遇により厳しい境遇にある仲間達のことも
考える度にひどく苦しかった。

「君は黙って見ていなさい」 フランクはジニョンにそう言った。
「心配しないで」 彼女の杞憂を慮ってフランクは更にそう言った。

ジニョンはフランクの声に黙って頷いた。
彼の言葉、全てを信じると誓いながら。



   
「ジニョン・・」

「パパ・・」

フロントにいたジニョンにヨンスが笑顔を向けながら近づいてきた。

「まだ仕事は終わらないのかな?」

「いいえ・・今終わるところよ」

「少し話を・・・いいかい?」

「え・・ええ」

父もまた、リストラの対象となった人々のために、再就職の斡旋など
自分の出来うることに懸命に挑んでいた。
ジニョンはフランクと敵対する立場にある父に対しても、
申し訳ない思いでいっぱいだった。



ジニョンは父を屋上へと誘った。

「ここが話に聞いていたお前の憩いの場所かい?」

「ええ・・一度パパにも見せてあげようと思ってたの」

「このホテルとの付き合いは長いが、ここは初めてだな」

「ふふ、本当はここ立ち入り禁止よ
 だから他の人はめったに上ってこないわ・・
 私の場所なのよ」 ジニョンはヨンスに満面の笑顔を向けた。

「元気そうだね、ジニョン・・」 
ヨンスは彼女のその笑顔に向けて、嬉しそうに言った。

「ええ・・何んとか」  

「何んとか?」 ヨンスはジニョンの顔を下から覗きこんだ。

「な~に?・・・ふふ・・そうね、と・て・も・・」

「そうだろ?何だか、吹っ切れたような顔をしている」
ヨンスはそう言いながら、深呼吸するように空を仰いだ。

「ええ・・そうかも」 ジニョンも同じように深呼吸をして空を仰いだ。

「・・・フランクは元気か?」 
ヨンスは漢江に視線を移して、正面を見据えたまま切り出した。

「えっ?」

「私がこんな質問をするのは以外かい?」

「・・・・あ・・いいえ・・・」
当然、自分とフランクのことは父の耳にも入っているだろうと思っていた。
しかしジニョンはまだ父に話すことはできないと思っていた。

「彼を信じてるんだね」 ヨンスの言い方はとても穏やかで
決してジニョンを非難しているのではないことがよくわかった。

「・・・・ええ」 ジニョンは素直にそう答えた。

「そうか」

「ごめんなさい」

「どうして謝るんだ?」

「どうしてって・・」

「謝るんじゃない。ジニョン・・・それは彼に対して失礼だろ?」

「・・・・・」

「ジニョン・・・もうお前は一人前の大人だ
 あの頃・・・お前はまだ子供で・・・
 私はただ・・神から授かったお前に
 どうしても幸せな人生を送って欲しくて・・・
 彼から引き離してしまった・・・
 お前の幸せは彼の元には無いと信じて疑わなかったんだ
 それが、結果的に神に逆らうことになるとは・・・
 思いもしなかったよ・・・」 
ヨンスは今までの自分の後悔を懺悔するかのように切々と話した。

「・・・・・」

「許しておくれ、ジニョン」 ヨンスはそう言って、ジニョンの頭を撫でた。

「パ・・パ・・」

「私がお前達ふたりの時間を奪ったことに変わりはないが
 お前達は自分達の力で・・・自分達の意思で
 お前達の時間を手繰り寄せたんだね」 
ヨンスはしみじみとそう言った。

「許してくれるの?」

「“彼は必ず私を迎えに来る”・・・
 NYから戻ったお前は来る日も来る日もそう言い続けた・・
 覚えているかい?」

「ええ・・」

「その頃、そんなお前を見るのが私は辛かった
 自分が犯してしまった罪を認めることが怖かったんだ・・・
 だから苦しんでいたお前に目を瞑ってしまっていた」

「いいえ・・パパだけのせいじゃないわ・・・
 私ね・・・フランクをすごく愛してる・・・
 怖いくらいに・・愛してる
 彼がここへ来て・・それがよくわかったの・・・
 だから今すごく後悔してるの・・・私はどうして・・
 待つことしかしなかったんだろうって・・」

「ジニョン・・・」

「だから・・・パパのせいじゃないわ・・・
 私のせい・・・そして・・彼のせい・・
 私達ふたりのせいなの・・・
 そのせいで私達・・今でも苦しんでるの・・・」

「・・・・・」

「でも安心して?パパ・・もう大丈夫だから・・私達・・・」 
そう言ってジニョンはヨンスに微笑んだ。

「そうか・・・大丈夫か・・・」 ヨンスもまたジニョンに微笑を返した。

「彼を・・信じてくれる?」

「彼がしていることは、今までのソウルホテルの有り方を
 根底から覆すようなものだ
 果たしてそれが吉と出るのか・・・今はわからない」

「・・・・・」

「しかし・・・私は信じたい・・・」

「・・・・・」 
ジニョンはヨンスの言葉を聞きながら胸を詰まらせていた。

「彼がここに現れた時・・彼が何をしにここへ来たのか
 直ぐにわかったよ・・・きっと・・
 彼を待っていたのは・・お前だけじゃなかったんだ」

「パパ・・・」

「ジニョン・・・」

「え?」 ジニョンは零れそうになる涙を指で拭いながら父を見上げた。

「もう少し後でいい・・・
 彼に・・・伝えてくれないか・・・」

「・・・・・」

「今度は君と酒を飲みたいと・・・」 ヨンスはそう言って笑顔を向けた。

「ええ・・伝えるわ・・パパ・・・もう少し・・後で・・」
そう言いながらジニョンはヨンスの腕にしっかりとしがみついた。





それから二日後のことだった。

「ボス・・・見つかったぞ」

「ん?」

たった今しがたサファイアに届けられた書類は、
フランクの妹ドンヒの消息を知らせるものだった。

「何処に?」 フランクは緊張した面持ちでレオを見た。

「ソウルだ」

「ソウル?」

「連絡先がある」

レオのその言葉に、フランクは瞬間的に受話器を持ち上げ、
レオに向かって顎をしゃくった。

その連絡先にあった番号は驚いたことにソウルホテルの厨房だった。
フランクは思わず、用件も告げずその受話器を置いた。

「レオ・・ソウルホテル従業員名簿を・・
 厨房で働く人員にアメリカ名は?」

「ひとりだけいる・・・ジェニファー・S・アダムス・・」

「ジェニファー・・・ジェニー?」



≪ジニョンオンニのことは心配しないで!≫

≪ジニョンさんと一緒に住んでいるジェニーと言います≫



      ・・・あの子が・・・ドンヒ?・・・
























2011/01/06 12:07
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  例えそうでなかったとしたら・・・

  奪い取るしかない・・・

攻撃的にも思えたフランクの言葉がジニョンには不思議と優しく心に響いていた。

フランクの唇が彼女の唇を噛みながら彼女を愛しむように音を立てた。

互いの唇から漏れる甘い吐息がひとつになると、まるで心までもが交じり合い、
抱きあう錯覚を覚えた。

きっととっくにふたりの心は重りあっていた

きっととっくに・・・ふたりは信じあっていた

互いの瞳の奥にその事実を見出すだけで

重ねた唇の熱がふたりの心を繋ぐだけで・・・

ふたりのすべてが救われるようだった

そしてふたりは心の中で互いに向かって叫んでいた。

  あなたを・・・誰よりも・・・

    何よりも・・・

  愛している・・・と・・・


「僕を・・・信じるね」

「ええ・・・」

「僕がここへ何をしに来たのか・・・誰の為に来たのか・・・」

「わかってるわ」

「君の立場が今以上に悪くなるかもしれない・・・
 今以上に辛い思いをするかもしれない・・・でも・・・
 ほんの少しの間だ・・・だから・・・耐えられるね」

「ええ・・・大丈夫」

フランクはジニョンの頭を優しく撫でて、声には出さず≪いい子だ≫と口を動かし微笑んだ。
ジニョンは彼が昔よくしてくれたその仕草に、口を尖らせてみせて「もう子供じゃないのよ」と笑った。



フランクとジニョンはふたり並んでカサブランカを後にした。
ジニョンはもう、仲間達にもフランクとの関係を隠そうとはしなかった。
案の定ふたりを追う仲間達の目は決して温かいものではなかった。
≪私は大丈夫≫
ジニョンはフランクを見上げて、瞳の奥でそう語りかけた。
フランクは彼女の肩を強く抱き寄せて、それに答えた。



ソウルホテルの夜は、神々しいほどに輝いていた。

ジニョンはダイヤモンドヴィラの眩しいばかりのライティングに視線を送りながら、
その裏側に思いを馳せて心を曇らせた。

「それじゃ・・・今日はもう遅いから帰るわ」
ジニョンがフランクに向かってそう言った瞬間、フランクは彼女の手首をグイと掴んだ。

「な・・フランク・・何?」

彼はジニョンの手を掴んだまま、サファイアの方角を目指して無言で坂を上がって行った。

「フランク!」 
ジニョンは大またで歩くフランクについて行くために小走りにならざる得なかった。
その間、彼は彼女の手を決して離さず、自分の斜め後ろで文句を並べ立てる彼女の顔を
覗くこともなく、真直ぐ前だけを見て突き進むように歩いた。

そしてフランクは、サファイアの自分の部屋の前に着くなり、大きく息をひとつ吐いた。
ジニョンは胸を押さえ、苦しそうに小刻みに呼吸を繰り返しながら彼への不満を繋げようとした。
「フ・・フラン・・ク・・もう・・」 
しかしフランクは彼女のその声など聞こえないかのように、構わずそのまま部屋のドアを開けた。

部屋に入りメインルームのドアを開けると寛ぐレオの姿がそこにあった。
「ボス・・遅かったな・・・あ・・」 レオは振り向いた瞬間、フランクの横で困惑を絵にかいたような
ジニョンの姿を見て、言葉を詰まらせた。

「レオ・・お前、今夜は何処かに用があるんだったよな」
フランクはレオに向かって表情も変えず突然そう言った。

「用?・・いやそんなものは・・・」 
レオがそう言いかけた時もフランクの顔は無表情だったが、レオはフランクの意図を
瞬間に汲み取った。
「あ、ああ・・そうだった・・・
 俺は今夜は用があって・・そうだ・・帰らないんだった」
そしてレオはたった今思い出したというように、そう言いながら、自分の部屋へと急いだ。

「ボ~ス・・俺は明日の昼頃。帰ってくるんだったよな」
ほんの少しして部屋から上着を持って出て来たレオがそう言って、
彼のそばをわざとらしく横切った。

「・・・・・」 
フランクは変わらず無表情のまま、彼のその言葉にも返事をせず、
彼が部屋を出るのを待った。

「何のつもり?」 ジニョンは怪訝そうにフランクの顔を覗いた。

「こっちへ来て」
フランクはその間ずっと離していなかったジニョンの手をしっかり握り直して
彼女を自分の寝室へと導いた。

「駄目よ」 ジニョンは思わず彼の手から逃れようと腕を引いた。

「どうして?」 しかしフランクは決してその手を離さなかった。

「だって・・だめ・・」 ジニョンはそう言って下を向いた。

「ジニョン・・僕を見なさい。」 フランクの拒絶を許さないような
強い言葉にジニョンは困惑を抱いたまま顔を上げた。「・・・・・」

「ホテルでお客様との個人的な時間は過ごせません・・
 そう言いたいの?」

「・・・・・」

「なら聞く。・・今君は職務中?」

「違・・う・・けど・・・」

「ここの従業員は個人的にここへ宿泊することはないの?」

「・・・あ・・るけど・・」

「だったら・・君は今一個人・・そして僕の恋人だ。」

「そう・・だけど・・」

「君は僕を信じると言った・・」

「でも・・それとこれとは違う。」 有無を言わせないように畳み掛けるフランクの言い様に、
ジニョンは何んとか応戦しようと顎を上げた。

「何が違う?」

「無茶言わないで」

「何が無茶?この僕が。・・君を抱きたいと思うことが?」

「フランク・・」

「僕は・・君が欲しい。」 
フランクはジニョンの目を真直ぐに見つめて自分の想いを率直に告げた。

「でも・・・ここではいや」 ジニョンは彼のその目を頑なに拒んだ。

「ここでなきゃ駄目だ。」 彼は引かなかった。

「どうして?」 彼女も引かなかった。

「どうしても。」 
フランクは彼女の迷いを払拭するかのように突然彼女をきつく抱きしめた。

「・・・フ・・ランク・・」

彼は彼女の耳元で、「ここでなきゃ駄目だ・・・」と繰り返し囁いた。
そしていつの間にか薄紅色に変わった彼女の柔らかい耳を唇で噛んで
誘うようにくちづけを繰り返した。

強引な言葉とは裏腹に、フランクのその行為は繊細で優しかった。

「・・・だめ・・よ・・・だ・・め・・・」 ジニョンはまだ足掻いていた。
しかし、いつの間にか甘い吐息と化した彼女の声からは拒絶の色は消えていた。

 ジニョン・・・

 君は今までも・・・これからも・・・ソウルホテルを離すことはできない

 それなら・・・僕は・・・

 そのホテルごと君を愛するしか・・・ないだろ?

 君は僕のすることを信じると決めたんだ

 だったら・・・

 その覚悟を・・・見せて・・・

 

 




テジュンは「21世紀ヴィジョン」への出資者を手当たり次第に探した。

ソウルホテルの主要株主はもちろんのこと、面識のある有識者、
韓国内外大企業の経営者、思い当たる所にはなりふり構わず願い出た。
しかし、その結果は散々なものだった。

ヨンスの言うように、今ソウルホテルは多大な負債を抱えている。
≪そんな状況下で、いったい誰がお金を出すだろう≫
テジュンの胸の奥に、諦めの雫が滴り落ちかけていた。
そんな時、一本の電話を受け取った。

「ヒョン・・・元気ですか?」

「ジョルジュ?」 
それはソウルホテル長男イ・ジョルジュからのものだった。

「ええ・・お久しぶりです」

「お前!・・」
ジョルジュがソウルを再び離れて7年が経過しようとしていた。
その間彼は一度も韓国の地を踏んではいなかった。

「ヒョン、ご無沙汰して申し訳ありませんでした・・」

テジュンがソウルホテルで働くようになった頃、彼はまだ高校生だった。
その頃からホテルのふたりの息子達はテジュンを兄と慕っていた。

「まったくだ。」 テジュンは突き放したようにそう言った。
しかし彼のその言葉には温かさが滲み出ていた。

「父の葬儀の時は大事な仕事で拘束されていて・・・
 申し訳なく思っています」

「ああ、わかってるよ・・聞いている・・しかし、社長が寂しがってらっしゃるぞ。
 ホテルも今大変だしな」

「ええ、でもホテルにはあなたがいる」

「俺は・・・」 

「ん?」

「俺は・・・何の役にも立たんさ」 テジュンは少し寂しそうに言った。

「そんなことはない・・・ソウルホテルはあなたじゃないと駄目だよ・・
 父さんがいつもそう言っていた」

「俺じゃなきゃ駄目なことなんて、あるのか?」
テジュンは珍しく弱気になっていた。

「何言ってるの?ヒョン・・・
 あなたがいつも父さんや母さんを助けてくれていたんでしょ?
 あなたが・・・ジニョンを励ましてくれてたんでしょ?
 あなたがヨンジェを立ち直らせてくれた
 僕は・・・あなたに沢山の恩を感じてるんだ」

「恩?・・そんなもの感じる必要はない・・
 それよりジョルジュ・・帰って来ないのか」

「いや、そこはもう僕の場所じゃない
 ホテルはあなたが・・・そしてホテルをいつの日か・・
 その時が来たらヨンジェに・・・」

「お前・・・やっぱりその為に?」

「えっ?・・」

「ヨンジェの為に・・・」

「そんなことはないよ・・・
 僕はジニョンに振られて逃げ出しただけ・・・」

「そうか?」

「でも、ホテルのことは・・・ホテルはやはり実の息子が継ぐべきだ。
 ヨンジェが継ぐべき・・・・そう思ってる」

ジョルジュはその昔、子供に恵まれなかったチェ社長夫妻が、養子縁組をした子供で
その5年後に生まれたヨンジェはその事実を知らされていなかった。
その為に、ヨンジェはジョルジュがホテルを捨てて行ったと思い込み、彼に対して
複雑な思いを募らせていた。

「ジョルジュ・・・」

「それはそうとジニョンは・・・元気?」

「ああ・・元気だ」 ≪色々あるがな≫

「そう・・・ヒョン・・・ごめんね」 
≪きっとフランク・シンの存在はあなたを苦しめているんだろうね≫
ジョルジュは心の中でそう呟いた。

「ん?・・何をお前が謝るんだ?」

「いや・・・何でもない」
≪ごめん・・・でもジニョンには・・彼だけなんだ・・・
  フランク・シン・・・彼だけなんだ・・・≫
ジョルジュはジニョンの幸せを望んでいた。そして彼女の幸せには、フランクが必要なのだと
信じていた。

「ところで急に何だ?・・もしかして社長の・・」≪病気のことを?≫

「母さんがどうかしたの?」

「あ・・いや・・」
社長から病気のことはジョルジュに伝えるな、と口止めされたことを
思わず言い掛けてしまいテジュンは慌てて口を噤んだ。

「今日僕が電話したのはビジネスなんです」
この時、ジョルジュは母親の病気のことはまったく知らなかった。

「ビジネス?」

「ええ・・今僕がお世話になっている方が・・」

「・・・お前、今何処に?」

「今僕はNYパーキンコーポレーションにいます」

「パーキン・・?」

「ええ・・・それでね、ヒョン、実は頼みがあります」







「あなたって・・・」
ベッドにうつ伏せたまま、ジニョンはフランクの顔を見ることなく
シーツの中に潜ったようにモゴモゴと口を開いた。

「何?」 フランクは彼女のその背中に唇を落として聞いた。

「あなたって・・・きらい。」

「そう・・・」

「本当よ!・・あなたって・・本当に嫌い!」
ジニョンは勢い良くフランクに振り返って睨んだ。

「でも・・・そうは言ってなかった、さっき・・」

「その勝ち誇った顔・・もっと嫌い!」

「この顔は・・生まれつきだ」 フランクは満面の笑みを彼女に向けた。

ジニョンの顔は頬を膨らませて彼を睨んだままだった。
フランクは微笑みながら彼女の大きく膨れた頬を自分の唇で押して潰すと
彼女の背中にもう一度腕を回した。 「ごめん・・・」

「・・・・・・!」 
ジニョンは彼の唇で潰されたその頬が次第に緩むのを感じていた。

「もっと謝らなきゃ駄目?」
フランクが彼女から少しだけ離れて、彼女の顔を覗きこむように言った。
彼女は彼のその顔を見て、思わず吹き出したように笑うと、彼の背中に腕を回し、優しく撫でた。
そして安心しきったような笑みを浮かべながら彼の胸に頬を埋めた。


 ジニョン・・・いいかい?

 これから僕達はふたりで歩くんだ

 ふたりで・・・信じた途を・・・

 そうしたらきっと

 明るい光へと辿り着くことができる


 さっきふたりで眺めたあの眩いホテルの輝きを

 本物の輝きにするために・・・

 君があの輝きを心から愛しめるように・・・

 心から誇れるように・・・


 そして僕は・・・僕の手に残るのは君だけでいい・・・

 君がそばにいてくれる・・・

 それだけでいい


 本当だよ・・・

 たとえ・・・多くの何かを失おうとも・・・

 僕は何ひとつ悔いは無い・・・


 それが僕のただひとつの途だから・・・

 君が・・・僕の・・・



    ・・・途だから・・・












 




 



 

  


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