2007/11/20 10:55
テーマ:家族 カテゴリ:趣味・特技(その他)

落葉の奈良公園

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11月も後半、赤・黄・オレンジ色に変化した木々の葉が地面を覆う季節になってきました。来年の春に新しい芽吹きを迎えるための落葉。土になるものもありますが、アスファルトの上のものは箒で掃かれてゴミ・・・かな。

 かきねの かきねの 曲がり角

 焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚きぃ 

環境問題で焚き火禁止になった?調べてみると、廃棄物の野焼きは厳しくなったとのことですが、落ち葉の焚き火くらいは良いようです。といっても、あまり最近はそのような風景には出会いません。

 

落ち葉で焼き芋の記憶はなく、芋といえば石焼でしょうかね。冬になると焼き芋屋さんの車が町内に出没します。焼きたてのホクホクはうまいです。我が家では数年前までストーブの上にアルミホイルにくるんだ芋を置いていました。どうも、母が芋好きのようです。灯油ストーブは年寄りに危ないということで最近は電気ストーブ&エアコンになってしまい、それができなくなりました。

ストーブで焼くものといえば、にんにく!風邪をひくと父が丸ごと焼いてくれました。子供の私にはまずく、食べたくないものでしたけど。今なら風邪じゃなくても食べたいです。お酒のつまみ~~。

 

もっともっと小さな頃、祖父母の部屋にいくと火鉢に炭火がありました。五徳の上のやかんにいつもお湯がわいていたのを覚えています。時々お餅や芋を焼いていたかなあ。祖母の真似をして火箸で炭や灰を動かしたりして・・・。もちろん熱い思いも何回かしました。その時使っていた陶器の火鉢はどこか家の隅っこで眠っています。

七輪に練炭を1日中つけていた冬もあります。おしることか甘酒とかの鍋が載っていました。夜になると火を小さくしてやかんをのせ、朝母が目覚めると窓を大きくして鍋をかけていました。昔の家は隙間風が入る風通しの良い家だったからそれも可能だったのでしょうね。土壁、畳、和紙など呼吸する材料も多かったことも理由でしょうか?機密性の優れた現代の家では気をつけないと一酸化炭素中毒かも・・・。

 

今日の写真は1995年11月20日撮影の奈良公園です。大仏殿の裏手あたりで何かを夢中に食べている鹿にであったので、そっと近づいていきました。もしかして銀杏?

この旅行は母と二人で行きました。まだ血圧も高くなく、足腰も丈夫なころなので、随分私は公園の中を歩かせたと記憶しています(6 ̄  ̄)ポリポリ。池の反対側から下記の風景に出会い、「あの鹿のところまで行くぞ!」と雨の中を急ぎ足で一直線に向ったような気がします。

公園内の他の場所も落葉はさかんで、下記のような場所があちこちにありました。

      

この時の旅は浄瑠璃寺方面や室生寺方面など、奈良の紅葉を堪能しています。一眼レフを持ってはいましたが、露出の意味もわからないころ。構図もいい加減。撮影データをメモるなんてとんでもないことでした。今見るとなんかピンとしません。

左は浄瑠璃寺で撮影した石鉢です。鎌倉時代と書いてあるので古いもののようですが、鉢の由来はわかりません。紅葉で覆われていてきれいだったのでパチリ。

 

どんな写真でも二度と来ない自分の歴史の1コマです。母と写真を見ながらしゃべることがあります。私が記憶していないことも出てきて、旅のことがより鮮明になり、そんな会話は楽しいです。


2007/11/19 09:33
テーマ:自然 カテゴリ:趣味・特技(その他)

草(追記)

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昨日東京に吹いた風は気象庁から『木枯らし1号』と認定されたようです。“木枯らし”とは晩秋から初冬の間に吹く風速8m/s以上の北よりの風のことをいうそうです。地球温暖化問題が叫ばれている近年、このようなニュースは季節がいつもと同じように変化していることを実感させてくれうれしくなります。

木枯しは『凩』とも書くようです。日本で作られた字だそうで、木を揺らす風という意味からきたのでしょうか。うーん、日本人ならではの季節ネタの言葉です。好きだなあ~~

 

こうなると我が家もストーブ登場です。寒さには暖をくれるものがなければ生きていけない・・・

最近購入した『自然力マガジン・WATER』という雑誌は自然と人とのつながりを考えるものです。そこに温暖化する地球を乗り切るサバイバル術という記事がありました。漫画もあってわかりやすく面白い内容です。

記事内容を要約すると、とにかく適応能力をつけるために小さいときから自然に触れることであると理解しました。人間の身体機能の多くは3歳くらいまでに基礎ができます。そういう意味で“三つ子の魂”は大切でしょうね。

 

エアコンという快適環境のもとで成長した人は自らの体温調節能力が発達しません。うまく汗をかくことができず、夏には熱中症になりやすいということでしょうか。この病気、昔はあまり注目されなかったかな。熱射病くらいはあったかもしれません。また、快適環境生活は寒さから体温を保持する力も衰えてしまいます。

アウトドアでの遊びから風・水・火などの力の恐さを体験することができます。それは自分を害するものからの備えを学ぶということです。きれい・汚いや危険・安全が何かは必ずしも目に見えるものではありません。自らの感覚を使って察知していかなくてはなりません。いつでも誰かが守ってくれる・・・では生きていけないのです。自然と触れ合って五感を磨くことがより良く生きることなのでしょう。

 

今年はインフルエンザの大流行の予感?大きな生物は小さな生物に滅ぼされるのではないでしょうか。私のブログ「夕焼け」の中にもちょっと書きましたが、小さな生物、つまり細菌やウイルスといったものは環境に適応してすぐ自らを変化させます。感染症から自分の身体を守るのは予防接種や殺菌剤・・・ではないと思います。やはり免疫力、抵抗力、体力という基本的な力でしょう。

何かに侵害された時の身体の変化はブログ「初冬の欅路」で書いたヨンジュンさんの怪我の変化と大差ありません。どこが侵されたかの違いです。自らの身体を修復する力をどのくらい持っているかが大事ということになります。『WARTER』の記事は“医食同源”を強調しています。薬がなんとかしてくれるのではなく、適応能力の高い身体をつくる暮らしが大切ということでしょう。

 

今日の写真はアパートが壊された空き地に生えていた草です。よく見る草なのですが名前を知りません。よく見るということは、適応能力の高い草と私は思いました。雑草という分類は人間に役に立たないという意味であまりにも人間勝手です。名前を知っている方がいたら教えてください。

下記はがんばっている草木の写真です。

岡山城の石垣

雲仙の溶岩

 

そういえばテレビで、利尻山の頂上付近で風に飛ばされそうになりながら咲いていたひなげしを見ました。根っこ1本で岩に着いているだけですが、子孫も残している草です。ナレーションでは他との生存競争に負け、ここでしか生きられなかったと。でも、ここで生きる力を獲得したとも言えます。

『WATER』のあるコラムに書いてありましたが、二酸化炭素が増えて地球が温暖化するのは植物にとっては好都合なのだそうです。

 

【追記】

MSNニュースのコラムに「溶けゆく日本人“快適の代償”」という特集がありました。自分のメモのつもりでここにそのURLを貼り付けます。

http://sankei.jp.msn.com/column/5241/clm5241-t.htm


2007/11/16 07:17
テーマ:身体 カテゴリ:趣味・特技(その他)

初冬の欅路

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週末、東京で用事あったため本日上京し、Cafe-Bでまったりとしていました。ヨンジュンさんの頚椎の椎間板ヘルニア・靭帯損傷の報道があったことを知らずに・・・。・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。初冬らしい写真が撮れ、ちょっと考えていることがあったのでそのことをブログに書こうと思ったけど、話題変更です。

ブロコリニュースをもとに自分なりにヨンジュンさんの損傷を推測してみました。そんなことをしたからといって、ヨンジュンさんの怪我が治るわけではないのですけど。

 

今月初旬の事故とのことで、それから数日は経過しているのでしょう。時間が経ってから首が動かなくなるほどの痛みになっていったということですが、それは損傷の経過として通常の経過だと思います。

組織の損傷(病気でも怪我でも手術の傷でも)があったら、そこを修復しようとして身体は様々な機能が働きます。体中にその障害を伝えるメッセンジャーが出てきて、必要な物質が産生され、血液の中を巡り、局所に集中してきます。局所は必要な物質を細胞に届けようとして血管が拡張して血液がたくさん集まり、さらに血管の壁に隙間が出来ます。蛋白質や水分に含まれた修復物質が血管の外に出て、傷ついた細胞の修理がはじまるのです。それを炎症といいます。

怪我をした場所が腫れたり、ジンジンと脈打って熱くなるのはそのためです。痛みがでるのは、その場所に危険があることを自身で認識するためだと私は思います。もし、痛くなかったらヒトは危険をよけたり、身体が蝕まれるのを知ることが出来ず、生きることができないでしょう。痛みを起こす物質はそこを修復する物質でもあります。

 

ヨンジュンさんの頚部が数日してから回らないほど痛くなったのは、炎症がおきて腫れたためと考えます。炎症は創部の修復過程で必要なことです。炎症がおきなければ傷は修復できないのですから。でも炎症している部分の組織はやわらかく、新たな外力に弱くなっています。したがって、その時期は局所の安静が大切です。安静にしないと、小さな力でさらなる損傷を招いたり、治癒が遅れたり、新たな傷害の引き金ともなります。

炎症が終息してくると、組織は機能障害・・・つまり硬くなったり引きつれたりします。その時期になったらリハビリでがんばるしかありません。

 

ヨンジュンさんは痛みを鎮痛剤でごまかして演技を続けるという選択をとりました。様々な条件を吟味して出された結果なのだと思います。自分の人生の主役は自分で、演出者も自分だと思います。自分の納得する生き方をすることは、うまくいかないことを他人のせいにすることより素晴らしいと言えるでしょう。

ただ、起きてしまったことは消すことができないし、身体の変化も待ってはくれません。後からできないことがたくさんあるのも事実です。

 

上の写真は2007年4月28日『初夏の通勤路』で撮影した場所と同一です。たぶん保母さんが子供をベビーカーに乗せて公園に行こうとしているのだと思います。少し葉の落ちた木々の隙間から漏れた陽の光がやさしく、暖かく感じます。

昨年の11月中旬、友人と一緒に「四月の雪・完全版」とレスリー・キー氏の写真展を見に行きました。上記はその時に撮影した表参道です。ここもケヤキの街路樹でした。そういえば渋谷の道玄坂も・・・

 

ヨンジュンさん、痛むでしょう?身体が思うようにいかないと心が辛くなることがあります。直接何もできませんが、できるだけヨンジュンさんの選んだ気持ちに共感していこうと思っています。

 

 

 


2007/11/11 20:31
テーマ:家族 カテゴリ:趣味・特技(その他)

夕焼け

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今日の写真は、犬の散歩・夕方編です。16時30分ころだと思います。立冬が過ぎ、1年のうちで日の入りが最も早い季節となりました。昼間は小春日和で風がないと暖かなのですが、陽が傾くととたんに冷えます。

 

これまで我が家の犬の散歩は父の役目でした。しかし、夏過ぎに体調を崩し、しばらく入院。退院はしてきたものの、やはり体力はぐっと落ちてしまいました。全く動けないのではないのですが、すぐ疲労してしまうし、無理するとボーッと意識がおかしくなってしまいます。なので、散歩は母と私が行くようになったのです。

通常、朝は出勤前の私が行きます。ところが帰宅を待っていると真っ暗になるので、夕方は母が行きます。その母の散歩に、最近父が同行するようになりました。きっと父はできない自分が嫌なんだと思います。

 

歳をとり、体力の落ちた父の姿は、亡くなった祖父にどんどん似てきます。特に顔とか姿勢とかが。その血は嫌でも私に繋がっているわけです。

子供のころ、わたしはいつも「おじいちゃんに似ているね~」と多くの大人に言われました。え~!四角くて、小さな目の垂れた顔と同じなのかと思っただけでがっかり。反論したくてもできないくらいの小さな頃です。

父の入院中、医師や看護師に「似てるね」と言われました。確かに、今の私と父はそっくりです。父が祖父に似てきたお陰でかなり近づきました。顔とか性格とかだけでなく、病気とか体質とかいうのも伝わりますね。母と妹は同じ病気をもっています。父は祖母と同じ病気だし、私はじいちゃんと一緒の病気になるのか?

 

遺伝とは不思議なものですね。DNAの塩基配列のどこの情報が伝えられているのかしらん。時間を遡ると、自分と同じ遺伝情報の人はすごくたくさんいるわけです。もっともっと考えると、人間は皆同配列の部分がほとんどで・・・。さらに猿とも90%くらいは同じだって聞いたことあります。

反面、当たり前だけど、かなり似ているが私と父の遺伝子は違うわけですよ。私の情報は私だけのもの。悲しいことに、実は私、その情報を後世に伝えることを放棄してしまったのです。

 

話が反れますが、生物の進化の過程で突然変異っていうのがあります。もしかしたらそれが進化なのかもしれないと聴いたことがあります。ウイルスや細菌などの小さな生物は環境適応能力が高い・・・つまり進化のスピードが早いってことでしょう。人間は高度な情報を持っているだけに遅いようです。

 

太陽が地球を照らして何億年も経つのでしょう。地球に棲む生き物はその間どんどん変化したでしょうね。夕日に照らされたものの長い影を見ていてそんなことを考えた私でした。

 

夕焼けついでに写真のおまけです。下の夕日は9月下旬、長崎・島原半島で撮影しました。なんと温泉浴場からの撮影(*゚.゚)ゞポリポリ

 

 


2007/11/10 11:07
テーマ:感情と心 カテゴリ:趣味・特技(その他)

朝焼け

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自分では結構感情コントロールのよい方だと思っていました。・・・というか、あまり「怒る」ということがない自分だったように思います。ドラマ『初恋』でヨンジュンさん演じるチャヌを見ていた時、怒りの多いキャラクターだなあと思っていました。自分はどちらかというと、負の感情では「悲しみ」の方が強く出るタイプかなと。

ところが最近、私も怒りを覚えることが多くなったように思います。他人の言動にヽ(`⌒´メ)ノカチン!とくることが増えたのです。でもチャヌのように怒りのエネルギーを喧嘩とか壁を殴るとかいう行動にはもっていきません。なんとか自分の中でけりをつけ、繕ろうとします。もしかしたら、態度や顔に出てるかもしれないと感じることはあります。

 

「怒り」と「悲しみ」はどちらも動物にとって「不快な情動」といわれるものに含まれます。その違いはなんだろうと考えました。

生まれたとき人間はかなり未熟な状態のようです。感情(emotion)も成長の過程で育まれていきます。新生児は「興奮する・しない」という機能しかもっていないようです。周りの環境からの様々な感覚を受けて3ヶ月ごろ「快・不快」ができるそうです。不快だと泣く、快だと笑うという表現ができてきます。

不快から「恐れ」「嫌悪」「怒り」が、快から「愛情」「喜び」と分かれていくことが発達のようです。感情豊かな人になるには、感覚という機能を通していろんな体験をすることであると理解しました。それがなければ未熟な感情だったり、偏った感情しかもてなかったりするかもしれません。

 

『感情を知る―感情学入門』(福田正治 著)に感情を“生存維持機能”と“種族維持機能”の2つに分けて書いてあるところがありました。

【生存維持機能】一人称であり、自己中心におこる。 他人の存在は関係なく、環境との相互作用や身体から湧き上がる。身体を守り、行動を強化するため。「喜び」「恐れ」「嫌悪」。

【種族維持機能】二人称、三人称であり、他人がいなければ起こらない。他人との相互作用としておこる。集団を作り、その中で生きて子孫を残すため。「愛情/受容」「怒り」。

「悲しみ」はどこにあるかというと、種族維持の「愛情」の中にあり、喪失体験から発生するようです。

 

ここまで考えてなるほど~!と思いました。集団を守るろうとする「怒り」が威嚇や攻撃といった行動をおこします。ちょっと男性的かな。私は失っても守ろうとしないタイプだったってことでしょうか。

守るものは人それぞれだと思います。ただ単に自分自身という場合と、自分の属する集団の場合では、「怒り」の種類が違ってきます。前者だと他人が共感することは難しいこともあるでしょう。後者はリーダー的素質があるともいえます。

そんな「怒り」の行動をぶつけられる対象になったら恐怖を覚えるでしょう。でも、自分がその人側にいたら攻撃行動がかっこよく思えたりします・・・(¬¬)ホント?????だってチャヌかっこいい!

 

先日、ヨンジュンカゾクが撃沈したタムトク王の怒りの表情。私もドキドキしてしまいました。私も守られたい・・・(*^^*)怪我した指が私の気持ちをさらに高揚させる~~~ (/´θ`)/ アーレー

「怒り」は自律神経の交感神経が優位になった状態です。だから、瞳孔が大きくなり、血管が収縮して手足が冷たくなり、掌に汗をかき、皮膚の毛が逆立ちます。私が見たのは静止画でしたが、ヨンジュンさんのあの表情から沸々した怒りの勢いが伝わってきました。きっと血糖上昇、心悸亢進もあったことでしょう・・・考えすぎ(x_x;)

 

今日の写真は朝焼けです。何かが始まる、何かが起こりそうな予感がする真っ赤な空でした。

早朝、犬の散歩中に撮影しました。どんどん日の出が遅くなっている今、出勤前の散歩がその時間です。でもこれが気持ちよい!空がきれいできれいで・・・。いつの間にかカメラをポケットに入れて出かけるようになりました。休日は時間があるので、今度は一眼レフでも持って歩こうかしら?

一眼レフを首からぶら下げて、犬の排泄処理グッズを片手に、iPodで音楽を聴きながら、犬を連れて歩いている姿を見つけたら声かけてください。 

 橋の上から見た朝日

  川を覗き込んでる老犬


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