2008/03/09 20:38
テーマ:家族 カテゴリ:趣味・特技(その他)

海岸

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チャリをこいで海岸線を走りました。行きはよいよい、帰りは・・・向かい風ビュゥゥゥゥξξ (+_+ /)/ヒェ~~。そこには自転車ロードと書いてあるけど、サイクリングしている人なんか誰もいませんでした。たまに走っている人はいましたが・・・。並行している車道は乗用車が列を成していました。車内から必死な私はどんな風にみえただろう(*゚.゚)ゞ

  

亡くなった父は土木技師をしていました。高度成長期、いわゆるゼネコンと呼ばれる会社の社員として、あちこちの現場を担当しました。しかし私は父の造ったものがどこにあるのか、いや、どんなものを造っているのかさえ知りませでした。父は家では父でしかなく、ほとんど仕事の話をしなかったからです。

今回、父の同僚の方の弔辞で仕事の一部知ることができました。私はぜひ父の残したものを見てみたいと思いました。そのひとつがこの海岸線なのです。

 

高潮災害の復旧工事であったとか。そういえば、嵐の日は現場がどうなっているか心配だと、休日でも夜中でも見に出かけていました。日常的に通ることのある海岸線ですが、どの部分が父の担当だったのか、何をしたのか私は知りません。聞いたけど興味がなくて覚えていないのかも・・・。

下記は中学生の時に自転車で友達と遊びに行った時に撮った写真。砂浜が広がっています。右が今日の撮影。テトラポットがたくさんあります。

 

砂利が侵食して災害がおきるようになったのだそうです。
この海に注ぐ放水路にも父は関わったそうです。今回調べて、放水路とは河川の決壊を防ぐための分水であることを知りました。それが完成してから、豪雨になっても街が守られるようになったとか。当時、父の現場の地名だけはなんとなく聞いていましたが、何をしているのかなんて全く知りませんでした。記憶にあるのは現場から白い猫を拾ってきたということだけです。事務所に居ついてしまった猫だとか。o(=・ェ・=o)父は動物が好きですからね。

下記が放水路です。水路にはカモやサギなどの鳥がいました。また、水路の沿岸に桜の木が並んでいる場所があり、来月はその風景も撮ってみたいなあと思いました。

母と宮崎県日向市の美々津大橋を見てみたいねと話しています。父が若かりし頃造った橋だそうです。夜行列車に乗って宮崎まで単身赴任。1年に一回しか帰って来なかったと母は当時を思い返して言いました。まだ幼かった私や妹と家を守った母も若くてエネルギーがあったんだろうなと思います。

 

父が亡くなるというのは大変なことなんだと実感しました。退職したとはいえ世帯主として社会との繋がりは多く、びっくりするほどの手続きがあります。葬儀にまつわることもわからないのに、それらもチンプンカンプン。電話する、書類を捜す、理解する、必要なものを集める、書き込む、送る、機関に届ける・・・わからないだけに、まあ時間のかかることといったらありゃしません。嫌だ!と投げ出したくなってしまいます。だめです。逃げていられません。私がやるしかないのです。泣いたり、悲しんだりしていたら行動が止まるので、とりあえず自分の感情は封印することにしました。

ストレスで母が一時体調を崩したんです。「喪の仕事」とか「悲嘆過程」とか言われる心の変化を妨げない環境をつくらなくてはとあせりました。感情の赴くままの行動がとれないと、母まで病になってしまいます。母とゆっくり話をしなくちゃと思いました。しかし、慣れないことをやって疲労を感じているところに、母の先へ進まない話は私のイライラを誘いました。母に強い口調で怒ってしまうこともありました。しばらく妹がいてくれてとても助かりました。

 

そんなこんなでしたが、様々な手続きもだいぶ進み、母も日常に近い雰囲気になってきました。日曜日で役所も休みだし、よい天気に誘われてやや遠出をしました。父の建設したものが生活の中で機能しているのを見て、私の知らない父を知ることができました。

もう少し余裕ができたら閉じ込めた自分の感情を出してみようかと思います。o(;△;)o ワーンと泣いてみたいです。できたら気持ち良いかもしれないって思います。いつできるか・・・。家のことと職場の提出期限の過ぎた書類を何とかしたらいいかな。ε-(´・`) フー

 


2008/02/18 23:24
テーマ:家族 カテゴリ:趣味・特技(その他)

梅の花と青い空

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自宅で療養している父が突然「自分の命はもう長くない。あと1ヶ月はもたないだろう。」と言いました。先月末に退院してきてから約3週間、徐々に食べることができなくなっていきました。今は渇いた喉を潤す水分を口にすることがやっとです。自宅で少しばかりの点滴を毎日していますが、それだけが生きる綱なのでしょう。

お腹が張って苦しいのに何をしてもその感覚は解消しません。また、動くと息が切れ、足元がふらふらしています。寒気が続き、トイレに行く以外はほとんどベッドの中です。先週末受診した折にいつもと違う点滴をしてもらったようですが、症状は少しも改善せず・・・。そんなこんなでここ数日少し鬱気味の父でした。黙って一点をみつめている時間が多かったと思います。

 

「お腹を切ってしまおうか・・・」はじめはそう言いました。「切って胃を取り出したら苦しいのがなくなるんじゃないか」と。そんなことできるわけないのですけど。そして「自分が死んだ後は・・・」と思いつくことをいろいろと私に伝えていきました。一緒に聴いていた母は「そんなこと言わなくても」と答えていましたが、逃げてもしょうがないことです。「元気なうちに言っておかなくちゃ」という父。私は一つ一つメモを取り、確認していきました。

知らせて欲しい人親戚と友人の名前。

様々な書類と手続き。

お金のこと。

葬儀の方法・・・など。

「また思いついたら言うよ。」

闘病中、何度も意識をなくしたことがある父でしたが、この最期の時間は随分としっかりしています。食べられなくなったことが意識消失を防いでいるのだと思います。まあ、自宅で毎日点滴をしているからかもしれませんけど・・・。

  

次回20日に受診です。「入院て言われちゃうかなあ」と心配していましたが、入院してもすることはありません。主治医もそれを承知で早くに退院をさせてくれたのです。私は意識がなくなるまで、息を引き取るまで自宅でと思っています。なので、「ずっと家にいればいいよ。」と答えました。

でも最期は医師の確認が必要です。「家で亡くなったら事件になっちゃうでしょ。救急車で病院に行けばいいか・・・」と父。なんとかなりますよ。そんなことまで気にしなくてもいいですってば。

  

青い空が広がった日曜日、たくさんの梅の花を撮影しました。もうすぐ父の植えた我が家の枝垂れ梅の花も咲きそうです。父は桜をみるのは無理でしょうが、その梅は見ることができるでしょう。たぶん・・・。そういえば、祖父がなくなったのも、祖母がなくなったのも梅の花の時期でした。

   

  

      


2008/02/17 10:00
テーマ:身体 カテゴリ:趣味・特技(その他)

都会

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今日の東京はマラソンで賑やかなんでしょうね。私も昨日まで東京・新宿にいました。都庁前でマラソンの練習をしている方をみかけました。今年は天気がよくてなによりです。

 

今回、出かけた先で寄生虫の研究で有名な藤田紘一郎氏の講演を聴く機会がありました。講演の題は「免疫力をつける生活―きれい社会の落とし穴」です。サナダムシのキヨミちゃんを飼っている(腸内に)という先生のお話はとても面白く、本を読んでみたいと思いました。

日本にアトピー性皮膚炎・花粉症・気管支喘息などのアレルギー疾患や、O-157大腸菌などの弱毒菌による感染症が多いのは、日本人が回虫や細菌と共生しなくなったからであるというのが話の大筋です。他の国でこんなことはないというのです。確かに、亜熱帯地域である東南アジアへ旅行に行った日本人は、すぐお腹を壊してしまうというのを聞いたことがあります。

 

近代医学、つまり西洋医学は悪いものを取り除くという考え方に基づいて疾患の治療をしていきます。そのため、とにかく疾病の元になった菌を殺せ!排除しろ!という考えで、抗生物質がどんどん開発されました。また、細菌やウイルスがいるから感染症になるんだということで、清潔を保つという名目で消毒や石鹸による洗浄を繰り返したり、“抗菌”というグッズが出回っているのが現在の日本です。

人間の体には何種類もの細菌がいます。特に腸内細菌は免疫に関する物質を私たちが獲得するのに必要です。これは生物の進化の過程で環境に適応するために人間が身につけた能力なんです。

ところが生まれてから細菌にさらされる機会が少なくなった日本人はその能力が身につかずに成長していきます。そのおかげでアトピーや弱毒菌による感染症に罹患してしまうということです。40年前にはアトピーや花粉症はなかったといいます。まだまだ日本の子供が自然の中で遊んでいた時代です。泥水や虫の浮いた水場で遊ぶことが多く、抗菌砂場とかはなかったと思います。

o-157の発生した場所は学校給食という「清潔」を追求する場所でした。同じ給食を食べた子供でも重症になった子供もいれば、全く症状のでなかった子供もいるとか。先生によると神経質な母親からいつも「清潔」を強いられていた神経質な子供が発症しやすかったと言います。大腸菌をはじめとした多くの腸内細菌を持っていた子供は感染できないのです。他の菌が強くてo-157は生きていけないからなんです。そして、その弱毒菌を運んだのは無菌栽培のカイワレ大根と言われました。

 

アレルギーは抗原抗体反応という人の免疫の力の病気です。これは外界のものを異物だと認識して排除する力なんです。藤田先生の講演によると、寄生虫の排泄物に人の抗体の鍵穴にくっついてしまう物質があるとか。つまり、花粉などの抗原がきても反応しないということです。それは異物を排除する力がなくなるってことになる??違います。人にいる寄生虫たちは人が死んでしまうと自分も生きていけなくなりますから、人を守るようにバランスをとって生きているとか。なるほど・・・。人のことを宿主(しゅくしゅ)といいます。

トリインフルエンザとかエイズとか人が宿主でない微生物は人が死んでも構わないんです。これらは太古から他の生物を宿主として生き続けてきた生物なのです。人が弱くなったというか、人の細菌が弱くなったので人にも入り込むようになったというわけです。大腸菌とかとは違います。

 

排除するを治療としてきた西洋医学の不得意なところはバランスの問題だそうです。アレルギーや癌といった生体内のバランスの崩れからおきる病気はうまく治せないということのようです。“自然治癒力”という日本人が昔からもっていた東洋的な考え方、自然を排除するのでなく付き合っていくことが大事なのだと改めて理解しました。

 

上の写真は昨日新宿で撮影したものです。シャッタスピードは0.3秒、ISO800ですが、さすが手振れ補正!歩いている途中、手に持って撮影したのですが、まあまあの写りです。 

下記は都庁の展望台から撮影しました。都会はネオンでいっぱいです。

 

盛岡と徳島に住む友達が言ってました。東京は広いっていうかどこまでも平地で、しかもずっと建物があるんだねえ・・・と。本当にそうです。

そういえば、日本の家屋は庭の自然をそのまま室内までつなげた景色をつくるけど、西洋は内と外をはっきり区別するのだそうです。ここにも考え方の違いがあるのですね。 

下はホテルにあったつるし雛です。子供の成長を願っておこなうひな祭りはもうすぐです。段飾りもいいけど、こういうのも庶民的で親の子を思う気持ちや自然を敬う心があっていいなって思いました。

   


2008/02/13 00:47
テーマ:太王四神記 カテゴリ:趣味・特技(その他)

夜明け

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『太王四神記 第10話』はタムドクと引き裂かれてしまった悲しいキハが印象的でした。「私じゃない!」って叫べなかったキハ。火天会に阻まれるのはしょうがないとして、せめて言い訳をさせてあげたかったと思います。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。かわいそうだぁぁぁ。。。

タムドクの父が自殺したことや、タムドクがキハとああまでして別れなければならなかったのはなぜ?。ヤン王が「タムドクがチュシンの王になることを何人をも阻んではいけない」と言っていました。二人はタムドクが王になるために犠牲になったということなのでしょうか。確かに、タムドクは自覚しようと心が動き始めています。

 

久々にユング心理学の本を開き、テサギの登場人物を本に出てくる象徴や心の構造に当てはめて整理してみました。

心の全体がチュシンの国です。中心である自己が何かはまだわかりません。心の表面化したものである自我がタムドクとして考えるとわかりやすいように思いました。本の中にこんな文章があります。

自我は本来それ自身の任意の欲求に際限なくしたがうようにはできていず、全体の心―全体性―の現実化につとめるようにできているとさえ思われる。心の全体の組織に灯をともし、それを意識化し現実化させることに役立つのは自我なのである。

              【河合隼雄 監訳:人間と象徴 下 より】

これは“個性化の過程”という章の最初の方に書かれてます。人間がどのように心を成長させながら生きていくのかを概略というか抽象した言葉なんだと思います。普遍的無意識という誰もが持っている心の奥底にあるものを意識化して表現していくのが自我。様々な葛藤をくりかえしながら「その人」という全体をつくっていくということです。だから、“自我”がタムドクで、“その人の心全体”がチュシンの国になります。

 

本は下記のような文章が続きます。

個性化の過程は、生来の全体性の胚種と、運命による外的な作用との妥協以上のものである。主観的な体験によって、われわれは何らかの超人的な力が、創造的な方法で積極的に介入しているという感じを受ける。

ときとして、秘められた計画にしたがって、無意識が自分を導いていると感じられる。それはあたかも何者かが自分を見ているかのようである。それを私は見ることができないが、それは私を見ている。―たぶん、夢によって私にたいする意見を告げる心のなかの“偉大なる人”なのであろう。

人間は自分の発展に意識的に参加できるということを前提に心は、元来が持っている質に自分ではどうすることものできない力(運命)が影響して変化します。さらにそれ以上の力が加わって成長をするのだと私は解釈しました。

この文章に出てくる“何らかの超人的な力”がテサギでは天の力ということにならないだろうか。

さらに続けると・・・

しかし、この心の中核の創造的で積極的な面は、自我がすべての意図的な、あるいは、願望による目標を捨てて、より深く、より基本的な存在の形態にいたろうとつきとめるときにおいてのみ作用するのである。自我は何らかの計画や目標をももたず、成長への内的な要請に注意深く耳を傾け、身をゆだねることができなければならない。

これからのタムドクを表しているように思えます。自らの欲求を捨て、自らに与えられた存在の意味に身をゆだねようとしていきます。それが自覚であり、自覚することによって天の力が作用していくということではないでしょうか。

 

キハはアニマではないかと以前書きました。タムドクとキハがあんな引き裂かれ方をされなければならなかったのはなんでか考えてみます男性にとってのアニマは母親的存在であり、運命の女性でもあります。本には下記のように述べられています。

男性の心のすべての女性的心理傾向が人格化しされたもので、それは漠然とした感じやムード、予見的な勘、非合理的なものへの感受性、個人に対する愛の能力、自然物への感情、無意識との関係などである。

どうも、このアニマに大きく影響されて支配されると「人生の困難さに立ち向かえなくなる」「男性をセンチメンタリストにしてしまう」ということのようです。確かに、キハはタムドクを保護して困難から遠ざけようとしました。それは自我が成長しないことを意味するのかもしれません。ですから、どうしても離れなければならなかったのでしょう。自我が目覚めるためです。タムドクのため・・・ではなく、ヤン王が言ったようにチュシンの国のためなのかもしれません。

 

アニムスは誰でしょう。支配的に「~すべき」と善悪の判断をはっきりと決めていくのがアニムス。ヨン・ガリョ率いる部族会議かなあとも思いますが、わかりません。

影はホゲ?その資質は自我も持っているが、嫌って否定したいものになるのですが・・・。スジニは何?アニマの一部でキハとは別の部分かしら?火天会と長老は何?・・・

ドラマが進んでいくと考えが変わるかもしれません。来週以降も楽しみですが、登場人物に感情移入すると辛いわあ。

 

今日の写真は、タムドクが目覚めていくということで朝陽に照らされた富士山です。いつものように散歩中に撮影しました。陽がまだ当たらない街に点々としている車のテールランプの赤色が気に入っています。

下記の長い写真は4枚分を合成したものです。ホントは360度ぐるりと撮影しましたが、掲載しても見難いのでやめました。

新しいIXYの変なモード、ワンポイントカラーで撮影したのが下記です。朝焼けの色をポイントにしました。白黒写真でもなく、カラー写真でもなくという色になりました。薄紅色した空と富士は恥ずかしそうに頬を染めているみたいです。同じ場所から同じ構図で撮影しても雰囲気が違ってくるものです。

  

 


2008/02/08 20:52
テーマ:太王四神記 カテゴリ:趣味・特技(その他)

梅花

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『太王四神記 第9話』の最後のタムドクの顔、涙が溜まった目を少しずつ上げていったあの表情に思わず私も流涙((/_<。)。。争いの中に身を起きたくない、大好きなキハとふたりで穏やかに暮らす夢を叶えたいとがんばったのに・・・。父を失い、信じていたキハに裏切られ(と誤解?)、自分のために命をかけてくれた人たちを失い、絶望のどん底の放心状態のタムドク。あまりの衝撃に身体は冷たくなり、心は小さく固まってしまったのではないでしょうか。後戻りできない現実をどう受け止めていいのか混乱もしているのでしょう。

誤解されてしまったキハにも涙です。王を助けてタムトクの元に戻りたかったのに、王を殺したことになってしまいました。なんと痛ましい叫びだったでしょうか。タムドクに誤解した情報が伝わったと知ったら、彼女は何を支えに生きていけばよいのでしょう。全身全霊をささげてもいいと思った好きな人から誤解されるなんて、苦しいに違いありません。哀れです。

ふたりともこれ以上の辛い思いはないという状態になってしまいました。でも、起きてしまった過去は変えられないので、“運命”という言葉に換えて受け入れるしかないのですね。

 

苦しい事実を受け入れて乗り越えようとがんばっている後輩が現在います。予測しえなかったことがおきて、クライアント側の方とうまく関係がつくれなくなってしまったのです。彼が何かをしたからというわけではなく、誰が担当をしていてもきっと同じことはおきたと思います。でも、彼は「自分じゃなかったら結果が違ったかも・・・」という気持ちをもったようです。

諸行無常の世の中、“絶対”という結果はないのではないでしょうか。それは言い方を換えると、当たり前ということはなんと難しいことであるかということです。「1+1=2である」というのは机上のことで、みかん1個+1個で2個になるはずが、腐って食べられなくなって1個しかない・・・ということもあるわけです(変な例えですけど)。

予定または予測と反したことはどんな場合でも起こります。それは一所懸命に生きていれば必ず回避できるというものではありません。起きてしまったらその事実は事実として逃げずに受け止めて、未来を変えていくしかないでしょう。

事実に対して「誰が悪い」と決めることは人の進歩になりません。起きてしまったことを認めて未来を考えることが進歩に繋がります。悪い人が決まったからといって、じゃあどうするがなければ何も変わらないし、特に悪いと言われなかった人は変わらなくてもいいになり、そのままってことですから・・・。

 

私の後輩は歯を食いしばってがんばって対処している・・・と思います。誰が悪いのだということは口にせず、不慮の事実を受け止めていこうと自分に言いきかせていました。反省というと、彼に落ち度があったように思えてしまいますが、そうではなくてプロとして自分の仕事を省みていました。そして、今自分がすべきことは何かを考えています。もちろん、ひとりで背負うには荷が重いので、上司や先輩たちに手伝ってもらいながらですけど。また、相手の気持ちも理解しようと懸命です。

不慮の事実は彼が関わったことでおきたのですから、彼の心は随分と乱れました。私としては事実の収拾よりも彼の心の混乱が気になります。きっと時間の経過とともにうまく歪みは整えられていくでしょうね。それだけの強さはあると思います(たぶん)。そうであってほしいという願いもあります。なんて本当は、今回の経験を糧に彼がどのように成長していくのかが楽しみなんです。

 

いつも「最善を尽くす」し、「完璧」を目指して努力するヨンジュンさん。きっと繰り返す反省のもとに今の彼があるのでしょうね。“bestを出して、常にbetterを求めていく”というのが仕事においてのプロということじゃないかなって私は思います。私は怠け者なんでbestは時々しかでないんですけど・・・``r(^^;)ポリポリ

『四神記 9話』でとんでもない現実を認めなくてはならないタムドク。この四面楚歌の状況からチュシンの王としての自覚がだんだん芽生えてくるのかな。

 

余談ですが、生物の進化は突然変異によるものということを聞いたことがあります。つまり、いつもと違う変化をするものがあったから進化したのだということです。DNAの転写エラーってことかな?

 

立春が過ぎ、湿った寒気が山を越えてくるようになりました。「明日は太平洋側でも雪です」と天気予報では言っていました。春ですね。新しい芽吹きの時期です。芽吹きの影にはアポトーシス(apotosis)があるんです。アポトーシスとはギリシャ語で「枯れた葉や花が落ちること」なのだそうです。こんな受験シーズンに使ってはいけない言葉かもしれませんが・・・。人のような多細胞生物を構成する細胞の死に方の一種でもあります。個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされるコントロールされ、プログラムされた細胞の死のことです。

  

これは紫陽花の葉脈です。職場の建物の脇にありました。そろそろ次の芽が出てきそうです。

左は紫陽花の上にそびえている大木。何の木かわかりませんが、実は高いところの枝に新芽が出ているんです。

太陽光いっぱいの青空に向って、今年も精一杯生命を繰り返すぞと叫んでいるようでした。

見上げたらかっこよかったので撮りました。

上の写真は通勤途中の小さな神社の白梅の花です。天気がよくて、花の白が青空に映え、近所に「春だヨン」ってこっそり知らせているようでした。実はアングルがいまひとつで自分ではちょっと気に入らない。もう一度・・・と思ったらここで電池切れという悲しい事実がおき、これ以上の撮影がでくなくなってしまいました・。・゚゚・(≧◯≦)・゚゚・。・

 

 


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