2008/05/12 13:28
テーマ:太王四神記 カテゴリ:趣味・特技(その他)

マンネングサ

Photo

今夜『太王四神記23話』が放送される前に記しておきたいと考えていたことがあります。でも、うまく考えがまとまらなくて、とうとう直前になってしまいました。もやもやしているけれど、自分の記録として書き記しておきます。

 

キハとホゲの会話が前回のヨン・ガリョの手紙と同じで、ドラマの主題となるものが要約されていると思いました。下記のような会話でした。

《キハ》

天はタムドクが試練を乗り越えられるのかを見守っているのだ。自分たちはその試練に使われる道具に過ぎない。これ以上天が人に干渉することは許せないので、天と戦う。

《ホゲ》

天が不在の地は地獄になるかもしれない。人間は限りなく残酷であり、信じることができない。

《キハ》

地獄でもいい。人間は自分の運命を自分で切り開けるのだ。

単純に語彙通りに受け取ると、キハは「天の力を借りずに人間として自ら生きていきたい」と思っているのだと思います。どういう生き方がそうなのかはわかりません。特に“天と戦う”とは何をすることでしょうね。タムドクと戦うことではないですよね。

“天”とはなんでしょう。【広辞苑】によると「人間の認識能力を超えていて、答えることができない超越的なもの。」ということだそうです。“神”と同義のようですが、なんとなく“天”は空間というか場所的なイメージがあって、“神”は意図的なエネルギー(力)というイメージを私は持っています。キリスト教でいうと“神”は「人間の外(天上)にある。」ということですから・・・。人間の外にあって、人間が認識できないもの」が“天”や“神”だということになりましょうか。

人間は自分が体験した不思議なこと、つまり人間の論理では理解できないことを天(神)の業として受け止めてきたのだと思います。天(神)が世界を創造したということが元になっているのでしょう。天(神)は正義・愛・善というものであるとイメージして敬ってきた反面、天(神)は恐ろしく理不尽でもあると認めてきたということだと思います。

 

近代科学の発展でわからないことがたくさん説明できるようになって、魔法のように思われたことが見える形になりました。その結果、神話や迷信として語られてきた世界を合理化し、追放しました。神話とはユングによると内的体験をシンボル化して表現し、それによってその体験を明確にし、また再現しようとするものだそうです。物語にはにんげんがどこから来て、どこに行くのかという存在意味が掲示されているということです。【林道義 著「人と思想:ユング」より】

不思議な体験を合理化してきたことで、人間は非合理的な自分の無意識の内容、つまり内的体験に直接立ち向かわなくてはならなくなったとも言っています。世の中すべて科学で説明できることばかりではありません。わからないことは多く、そのわからないことが現代人に不安を与えるからです。

 

最近、こんな研究結果を読みました。全く動いてはいけないと言われた人に①「いつまで」ということを提示して時計を見せた場合と②提示しなかった場合の心拍数の変化です。もちろん、先が見えて予定がわかる人の方が心拍数の変化がなかったというのは想像つきます。つまり、いらいらしないってことでしょうね。実は③体の向きは好きなように変えてもいいという場合もあったのですが、動けても「いつまで」の予定がないとやはり気持ちは穏やかではいられないようです。

見えない、先がわからないことは人間にとってとても大きな不安です。タムドクがホゲと戦う前に「先が見えなくても決断しなくてはならないのが王だ」と語っていたと思うのですが、それも試練なんでしょうかね。

  

まとまりつかないのですけど、自分が何者でどのようになっていくのかがわかる、または何らかの形で示してもらえることが安心につながるのだということがわかりました。そのよりどころが天(神)の啓示なんでしょう。でも、人間は自分で選択して運命を決定できる力を持っています。受身で生きていくのではなく、自分の生に積極的になりましょうということかな。

人間は古代の木や植物、動物を何かの象徴としていることがあるのですが、ユングはそれを「超越の象徴」といい、人間の努力を表現していると言っています。本には“心的生命の発展や成長”とも書かれていましたテサギでいうところの『四神』なのではないかと私は思いました。それぞれタムドクの精神がともなう時、つまりタムドクが何かを乗り越えて成長した時に四神は目覚めていますから・・・。

普遍的無意識に住む象徴的住人には、ヘビとかトカゲといった大地の深みから現れて地下の国のメッセージを意識の領域に伝達するものもあるそうです。大地と天との間の仲介役とも書いてありますが、無意識の世界とは天のような善と大地深くの悪と両方が含まれているということのようです。矛盾する2つはどちらかを選択するのではなく、繋がっているものでそれらの要素を和解させることが自我の役割りになると、私はユングの言葉を理解しました。

大地の深くのエネルギーって火天会のことかな。その2つに翻弄されているのがキハのように思います。このドラマの中でキハはとても人間らしいかもしれません。タムドクは人間キャラクターとして出来すぎに思いました。

 

さてと、今夜の23話が楽しみです。

 

写真は最近撮影した花たちです。記事内容とは離れてしまいました。

マンネングサは一面で絨毯のようできれいでした。蓮の咲いている沼はたぶん個人のお宅です。撮影してすみません。


2008/05/06 13:10
テーマ:奈良 カテゴリ:趣味・特技(その他)

拓本

Photo

本日2つ目の記事になってしまいますが、本当はこちらをアップしたいと考えてました。蜂の巣の記事はイレギュラーです。

接写を撮っておもしろいのは何も動植物だけではないだろうと思い、周りを見渡して見つけたのが拓本でした。拓本は元素材の凹凸を利用して墨で影をつくっていくのですが、接写すると和紙の細かい線維がはっきりして面白いかも~って考えたんです。上記は奈良の法華寺にある歌碑の拓本です。拓本自身は歌碑と同じ大きさはあるのですから、約130×35cmの大きさがあります。 

  ふちはらの おおききさきを うつしみに

  あいみるごとく あかきくちびる

歌碑は会津八一氏が法華寺の十一面観音を読んだ有名な歌です。拓本は法華寺を訪れた際に購入しました。掛け軸にでも表装すればいいんですが、そのまま左の封筒に入ったままです。

撮影したのは会津八一氏の雅号“秋艸道人の『道』の部分です。その字にした意図はとくにありません。あえていうならば、“人生の道”の意味をこめてかな_(^^;)ゞ

紙は生成り色で書道の半紙のような、障子紙のような素材です。撮影したら以外と白く、光でキラキラしていますね。なんでだろ。

私が会津八一氏を知ったのは何回目かの奈良訪問の時でした。確か薬師寺だったと思うのですが、『会津八一と奈良』という本を見つけて購入したからでした。写真好きの私ですから、奈良写真美術館で常設している入江泰吉氏の写真に興味がありました。その入江氏の写真が表紙に見えたので手にとったのだと思います。

新潟出身で奈良へ何度も旅した会津氏。彼は旅人として奈良を想う気持ちを全文ひらがなで詠んでいます。私も旅行で奈良を訪れるのですから、きっと共感するものがあったのでしょう。この本(下記左)は歌の解説と写真があり、私のガイドブックのようでした。旅の前後は付箋を入れて特に何度も読んでいました。

これ↑は後に購入した歌集です。

ある時、会津氏の歌の碑が奈良のあちこちにあることを知りました。その歌碑を巡ることを目的とした旅も出かけたことがあります。猿沢の池あたり、東大寺大仏殿近く、秋篠寺など現在奈良に15ほどあると聞きました。“日吉館”という宿の庭にもあるとか。この宿は文人たちの常宿だったそうで、会津氏もその一人でした。看板も会津氏の書だったかな。もう廃業しちゃったようですけど。

この時期にふさわしい歌をひとつ。

はつなつの 

かぜとなりぬると

みほとけは

をゆびのうれに 

ほのしらすらし

                  

右の本は杉本健吉氏の絵画と会津氏の歌と書がまとめられている書画集です。杉本美術館(愛知県知多半島にある)を訪れた時に購入しました。

この↑写真は1998年5月の唐招提寺です。今も変わってないかな~。

杉本氏を知ったのも法華寺で、会津氏の上記歌の書と杉本氏の十一面観音の版画で構成された作品が展示してあったからです。そのレプリカが売ってたので購入してきました。額に入れて壁にかけていたのですが、実は数ヶ月前にピアノの後ろに落ちちゃいました。未だに拾えず困ってます。

 

なんだか奈良へ旅したくなってきました。若草山は新緑でそれこそ若草色をしているんだろうなあ。その草の上を鹿の群れが走り回っているだろうなあ・・・と想像してしまいます。

最後は藤原宮址から出土した瓦の拓本です。ものすごい凹凸があって迫力をかんじるのですが、わかりますか?瓦だと歌碑と違って凹凸が逆だからこうなるのかな。

 

    


2008/05/06 10:14
テーマ:自宅 カテゴリ:趣味・特技(その他)

足長蜂の巣

Photo

なんと我が家のベランダに蜂の巣がありました。軒下ではなく、窓のレール下です。落ちた洗濯ばさみを拾おうとして偶然目にしました。しゃがんだ瞬間、視界に虫の色が見えたのでふと目をやったら、蜂がこちらを向いていたんです。こんなところ覗き込まなければわからないですよ~。

そういえば毎年ベランダで蜂を見かけてはいました。今年もブンブンしているなと思ったのですが、まさかここに巣があるとは・・・。止まっている姿からは想像できないほど、飛行している姿は大きいです。どうも足長蜂のようです。

 

一匹が一所懸命巣を繕っています。女王蜂なんでしょうか。時々巣を離れるのでその隙に巣をアップで撮影させていただきました。

部屋は15室ほどのちいさなものですね。きれいな六角形をしています。細い素材で編んだような、風通しのよい夏向きなお宅です。ちょうど和紙みたいですね。どのくらいの時間をかけてここまでされたんでしょう。

中には幼虫が何匹かいました。真ん中から造り始めるから、そこが一番早くに生まれた子なんだそうです。幼虫の見えないところは卵があるのかな?この幼虫が大人になったら、もっと蜂がブンブン飛びかうようになるってこと?

∑(゚◇゚;) ゲッ!どうしましょう。駆除すべきなんでしょうか。

足長蜂はミツバチよりもおとなしいのだそうです。攻撃しなければ襲わないとか。肉食で小さな虫を食料にしているということです。庭の蟻とかナメクジとかを食べてくれるのかと思うと大事にしたいですね。これからたくさんの虫が出現する季節ですもの。

でも、ベランダにあるというのが困りましたね。洗濯物や布団を干す時、蜂の行動と衝突しないでしょうか。そのために刺されたりしないでしょうか。刺されるとアナフィラキシーショックをおこすことがあるようです。(以前刺されたことがあるかどうかですけど)

巣が今の状態であれば部屋が15なので蜂は最大で15匹ということなのかしら?成虫になった蜂が雌だったら、また卵を産んでドンドン増えて、巣も大きくなるのかしら?

        

うまく共存できるだろうか心配です。刺される可能性があるので、まだ巣の中が幼虫のうちに駆除した方がいいのかなあとも思います。私だけでなく母がいますから・・・

駆除は親が巣を離れているうちに取ってしまえばいいのかな?


2008/05/05 13:48
テーマ:自然 カテゴリ:趣味・特技(その他)

クローバー

Photo

空き地に咲く花に注目しながら歩くようになったら、アスファルトやコンクリート隙間や路地裏に咲いている花が気になるようになりました。大抵は名前がわかりませんが。下の2つはあちこちで見かけます

一番目につくのがクローバーとカタバミですね。似たような葉っぱをしていて、子供のころはカタバミで“四つ葉のクローバー”を探したこともあるかもしれません。クローバーの葉はハート型ではないんですね。イラストとかで描かれているクローバーはハート型になっていることが多いようです。その方が幸せを呼ぶ葉にみえるからでしょうかね。

カタバミは黄色とピンクを見かけます。花弁にピンクの花ははっきりとした線が入っていて、輪郭がくっきりしてきれいだと知りました。顔を近づけてじっと観察したからこそわかったことです。

とても小さな黄色のカタバミと思われるものも咲いていました。葉も小さくて緑に赤茶色が混じった色をしていました。

下は今年の私の手帳です。ハート型のクローバーになっています。まさかカタバミを描いているわけじゃないよね。

   

2つは葉の閉じ方(就眠運動というとか)が逆だということでした。カタバミは広げた傘を閉じるように茎側に葉が閉じられ、クローバーは表を見えなくするように上に閉じられていくとか。ヘぇ・・・

地面に這っていたら、もっともっと小さな草花に目がいくようになってしまいました。マクロレンズ機能を使ってミクロの世界を覗いた写真が楽しく思います。新しいIXY910ISクン、結構やるなあ。

そして究極!我が家の玄関前の石(レンガのような)の隙間に生えていた草が右です。小さすぎてピントが合いません。花の直径は2mmくらいでしょうかね。

通常なら邪魔な雑草とホイホイ抜いてしまうものです。埋もれている下の土から芽を伸ばしてきたんですね。イヤー逞しいです。

この花の名もわかりません。葉(?)は絨毯のように広がって生えていました。多肉のようにも見えます。花1輪が約5mmくらいかな。

外の世界を入れない写真にしたら、地球じゃないような不思議な世界に見えます。

それにしてもマクロ撮影の楽しみを知ってしまった私。まだ、IXYのマクロ機能で楽しんでいますが、いつか一眼レフ用のマクロレンズが欲しくなっちゃうかもしれません。そしたら小さな虫とか、肉眼ではよくわからないミクロの世界を体験できるでしょうね。

タンポポの綿毛は細い糸のように見えます。ミクロの美しい世界は自然の作り出した美ですねぇ。


2008/05/04 02:55
テーマ:日常 カテゴリ:趣味・特技(その他)

空き地の花

Photo

連休の初日、夏のような暑さでした。雨上がり日は紫外線が強いと聞きましたが、つい空を見上げたくなる青空でした。強い日差しとポコポコと浮かんでいる雲から「夏だぞ!」って言われた気がしました。

あまりにまぶしいので、夕方の犬の散歩はサングラス着用で出かけました。ジーンズに下駄、サングラスに軍手、カメラにレジ袋・・・犬がいなけりゃ怪しい人に見えますかね(;¬д¬)

   

近所には空き地といわれる場所がところどころあります。区画整理の途中だったり、建物ができる前だったりといつかはなくなってしまうのでしょうけど。

夏になるにしたがい、そんな空き地に次々と草花が出現しています。名前のわからないものが多いけれど、花たちはどれもかわいいです。また、この場所にこの花はどうやってやってきたのだろうと考えてしまいました。

考えられるのは①もともとここの土に種や根があった。②風に乗って種が運ばれた。③鳥が運んだ。④人間が運んだ。・・・でしょうか。子供のころにはあまり見かけなかったものが咲いているようにも思います。子供の時には花に興味ないから覚えていないのかもしれませんけど。

 

左のはアサガオのようにも見えますが、今の時期?って思ってしまいました。花の形もですが、蔓とか葉っぱとかも似ています。人間が好しとした時期に種が蒔かれたのではないので、気温に添って自然に育ったのでしょうか。ここのところの暑かったから花が咲いたのしら?ここはもともとアパートのあったところだったので、昔誰かが植えたものかなと想像。小学生のころ、そのアパートには同級生があちこちに住んでいて、よく遊んだものです。

右のケシの花はこの空き地だけでなく、道路脇のあちこちに見られます。しかもこのオレンジ色のものばかりです。鳥とかの糞に入っていたのかしら?

上記に出したピンク色の花はなんというんでしょう。小さくてかわいい花で群集で咲いています。犬がチッって排泄しちゃってごめんなさい。

 

空き地といえば、子供のころは遊び場でしたね。ドラえもん o((=゚ェ゚=))oに出てくるような土管のある場所がやはりあり、その上をピョンピョンと飛び跳ねて渡る遊びをしていたような記憶があります。危ないからダメとか言われたことなかったですね。空き地に柵もなかったですもの。

今の空き地は「入るな」というところが多いです。こーんな広い場所、まだ工事をしていなかったら子供に貸してあげたらいいのにって思います。

 

痛ましいニュースを聞きました。子供(中学生かな)が白鳥と黒鳥を棒で撲って殺したというものです。しかも1羽ではなく7羽です。動機は「面白いから」とか。抵抗できない鳥たちが襲われている光景を頭に浮かべると、胸が苦しくなってしまいます。命で遊ばないで欲しいです。バーチャル世界で動くものとは違うんですよ。生きているんですよ。

公園の白鳥や黒鳥ですから、きっと空を飛べないように羽が切られていたのでしょうね。卵の残った巣の映像が映ったので、温めていて動かなかったのかもしれません。この卵を温めて孵す親はもういないってことかな。涙が出てきます。

法的な罪は単に動物愛護法の違反ということですが、彼らの心は法では治らないでしょう。

    

これはタンポポと同じなんでしょうかね

 

 


<前 [1] ... [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] ... [29]

TODAY 314
TOTAL 506800
カレンダー

2024年10月

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
ブロコリblog