2008/04/30 13:18
テーマ:太王四神記 カテゴリ:趣味・特技(その他)

イカゲソ焼き

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『太王四神記21話』の冒頭、ヨン・ガリョがタムドク宛に自分の気持ちを語っています。その内容はこのドラマが表現したいテーマの1つなのかなと思っています。

天がタムドクをチュシンの王だと示しているということをヨン・ガリョ自身は認めいてます。しかし、その天の示しに自分は納得できないと言い、下記のように語ります。

 天がすべてを決めるのならば

 我々人間が努力したり苦労したりするのは

 何のためでしょう。

 天がチュシンの王をすでに決めたとしていたら

 その証拠と基準は何だったのでしょう。

私は2008.1.27のブログにも「運命は決められているものではない」という内容のことを書きました。このヨン・ガリョの語りは自分の考えていることを後押ししてくれているようで、ちょっぴり嬉しくなりました。運命とは決まっていることではなく、努力や苦労で変わるということです。

 

ヨン・ガリョの言葉、「天の基準」を考えてみました。2008.4.27のブログで「自然に存在するもの」はそれ自身で変化する能力を持っており、その変化がどのようになっているのかの法則をさぐるのが科学であるということを書きました。

西洋的な考えで人間は、「神から地の世界を支配することを托された」ということらしいです。それは「自然を支配する立場に立つことを許された」という意味で、人間の権利とも言い換えられるようです(村上陽一郎 著『科学史からキリスト教をみる』より)。人間が自然の法則を知る能力を持ち合わせていることが理由になるようです。自然とは神が創ったものだから、「自然の法則」は「神の定めた法則」ということのようです。支配をするからにはその法則を知らなくてはならない、知るための方法が科学ということかな。

私は全く信仰がないのでこのあたりの考え方の理解が曖昧です。

ただ人間は欲望を持ち、それを充足したいといつも思って生きています。その欲望は単に“生命を維持する”という生物学的なものだけでなく、承認されたい、便利になりたいなど高度なものもあり、限界がありません。人間は科学を技術というものに変え、より自分たちの欲求が満たされるように自然を変化させる力をも持つようになりました。技術は使用する人の意図が含まれているので、自然に不具合であったり、人間間でも異なる意図のために衝突を起こしたりするようになったのだと思います。

 

ヨン・ガリリョの言葉の中に含まれる「天が決めた」ということと自然の法則とが同義ではないかと私は考えました。だとすると、「人は努力したり苦労したりしたことで変化できるもの」ということが決めてたことです。それは自分に課せられた課題を克服しながら成長していく能力のことなのだと思います。

ヨン・ガリョは「チュシンの王をつくろうとしていた」といい、それが過ちであったと悟ったのだと思います。どんな人間になるのかは他人が操作できるものではなく、自分自身にかかってきます。また、ガリョは「自分の力で王になれ」とホゲに言ってやりたいと言いました。タムドクには王になる能力があるのだと認めた上でのことだったと思います。

決して争うことを良しとせず、民のためにどうするべきかを考えて行動すること、1つの国のことだけでなく世界を広く理解した上で足元を考えることができる・・・こんなことが天の定めた基準ではないでしょうか。

 

テサギの話題なのにイカゲソ焼きの写真で、なんと似合わないことでしょう。実は後輩ともんじゃ焼き(左)を食べにいったんです。おいしかった~~。

その時後輩は「動きのある写真を撮れ」と難しいことを言いました。静止画に動きを感じるとはどういうことかというのをちょっと考えたんです。

人が何かを認識する際には過去と現在と未来をつなげていると思います。つまり、ある一点の前後を想像できるということです。写真はある時間の一点で止まっています。しかし、その瞬間の前後が想像できれば動きのある写真といえるのではないでしょうか。

イカゲソ焼きに動きはあるか・・・。湯気が画面をやわらかくしているため動きを感じられると勝手に思っています。もんじゃ焼きの写真はコテがあるけどなんだか止まっているようで、動きが感じません。焼けて膨らんだところがパンと割れているところが撮れたらよかったのにと思いました。

一番動きを感じる写真は、シャッタースピードを遅くして、撮影に時間をかけ、その結果が画像に表現できていることかな。

 

生物が時間を感覚するのは天が決めた法則。さらに次を予測をしながら行動を決定できる能力は天の定めたチュシン王の基準。。。ということでいかが?


2008/04/27 20:26
テーマ:自然 カテゴリ:趣味・特技(その他)

水滴

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フランスの安楽死問題をニュースで知りました。難しいですね。「国の法として認めて欲しい」「認めることはできない」ということでした。病で辛い方が単に死を選ぶ権利というのとはまた違うんだと思います。自殺ではなくて、安らかに死が迎えられるように何らかの技術を講じることが許されるようにして欲しいということなんですよね。“他人の手が加わる”という意味においては基準を設けなければならないわけですから、立法としては困難になるのでしょう。

私はこれを聞いて、何かモヤモヤしたものを覚えました。この中に「どう死ぬのか」ということの議論を感じたからなのかもしれません。生命はいつか終わりがきます。人間であるのだからその終わり方を議論することがあっても確かにいいと思います。でもその前からの繋がりである「生き方」に視点をおいて考えてもいいんじゃないかなと思いました。つまり、「どのような生き方をするか」なんです。

辛い時間が耐えられないから命を終わりにしたい、その権利が欲しいというのではなく、辛さを緩和し、安楽に生きる方法を考えて議論するってのはダメかなあ。その結果、もしかしたら命が短くなることはあると思います。それは積極的な死なのではなく、自然に添ったものであると考えられないでしょうか。技術は人が生きることを手伝ったわけで、死に加担したのではないわけです。

  

ギリシャの哲学者アリストテレスは存在するものを「自然によって存在するもの(自然物)」と人間の技術によって存在するものとを区別したそうです。万物は四元素(火、空気、水、土)からできていて、自然物とは「それぞれ自分の内に自分の運動と停止の原理を持っている」のだと言いました。つまり、自然のものはその原理によって動いたり止まったり、増減したり、変化したりするということです。その原理は合目的性があると考えられ、自然界を観察をして法則を探すという科学が発達するようになったのです。

人間の意図とした技術によるものはその原理がなく、運動(生成)はそのものの外にあるということです。しかし、技術は自然と独立するものではなく、自然が完成できないものを仕上げて真似るものだとアリストテレスは考えたそうです。

 

原理を探るのに事象の全体を見るのではなく、要素をどんどんミクロに分解して見ることがいつしか科学になっていったと思います。その結果、いろんなことの全体がわからなくなってきているかもしれません。いったい何を知りたくて科学しているのか、このミクロの世界は全体のどこにつながるものなのかがわかりにくいのです。そのことが自分の位置をも確認しにくくしたと言うか・・・。その反省からなのか、最近ホリスティックという言葉が流行ってきています。

holistic”は“holism”の形容詞化ですかね。これはギリシャ語の“holos(ホロス)”が元とか。日本語でいうと“全体論”という意味だそうです。ホリスティックを検索すると、「ホリスティック医療」とか「ホリスティック教育」とかが出てきます。

【全体論】全体は部分の総和としては認識できず、全体それ自身としての原理的考察が必要である。(広辞苑より)

現実に起こっていることを要素を分析して考え、次にバラバラなものを集合させてもそれは最初の現実ではないということです。つまり単純に1+1=2ではないということです。3人寄れば文殊の知恵というのは意味が近いかもしれません。

 

人間の身体についていうと、調子が悪いと自覚したとして、その原因を様々な検査で探ったとします。そして血液検査で貧血があるとか、腎臓に関連するデータが正常値より外れているとか、レントゲンで影があるとかの結果がでたとしましょう。だからといって調子の悪さはどこか1つの臓器が悪くなったからおきている症状ではないということです。身体全体でおきている症状なのです。

人間は実に多くの物質とそれぞれが行なう機能が絡み合って生命体としてひとつなのです。内外とのバランスをとるために複雑なシステムを留まることなく働かせています。システムがバランスよく働いていることが健康で、バランスが崩れたのが病かな。死はシステムが止まってしまったということになるかも。また、生と死はそれぞれが別のものではなく、絶対に切り離せないものだと思います。

 

全体論と要素還元論のどちらかが正しいとか間違っているとかはないと思います。だからこそ、いろんな意見があるのですが、生命の存在を考える時に、“死”に注目して考えるのではなく、生の続きとしての状態で考えてもいいかなというのが私の思ったことでした。人の技術を生命が自然に存在できるように使用できるといいなとも思いました。

上の水滴の写真は左のスズランの葉についていたものです。雨上がりで光っていたそれがきれいだったので、そこに注目!

それにしても相変わらずどのように撮影したらよいのかわからない花です。

余談ですが、アリストテレスの四元素とテサギの四神を結びつけて考えてしまいました。火が朱雀、水が玄武、空気(風)が白虎でどうでしょ。ただ土が青龍でいいのか。木とか森とかの神、つまり大地ということであれば合うのでしょう。でも雲となると違うのかなあと・・・。

古代からある神話は自然の原理を象徴にしたものでしょうから、以外と似ているのかもしれません。


2008/04/26 19:34
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(その他)

桜散る道

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今年はたくさんの桜を撮影しました。“初”さくらは3月6日でした。その後、少しずつ開花する桜を追い、花見をし、葉桜を見上げ・・・と季節は過ぎていきました。ところが昨日、また桜の花に出会うことができたのです。“初めて”のさくらからもう2ヶ月近くになります。

ソメイヨシノはワサワサと葉が茂る木になっていましたが、その横でいろんな八重系の桜がフワフワと咲いていました。葉の緑とピンクの花の重なりがとても華麗で美しい景色でした。散りつつある種類もありましたが、びっくりしたのは花が丸ごと地面に落ちていたことです。この下の写真です。

これまで八重桜は葉っぱと一緒に出るので、ゴチャゴチャしていて可憐さがないと敬遠していた私。いやいや、とてもステキでした。なんでもそうですが、一面からだけ見てはいけませんね。

 

撮影は16時ころです。やや薄い木漏れ日に散った花弁がキラキラと光って、なんとも言えない風景でした。実は、風に吹かれてハラハラと舞い落ちているのですが、写真ではうまく写りませんでした。この美しい風景の中を歩いていたのは、長年連れ添ったご夫婦と思われる方たち。舞う桜の道を見上げながら、お互いの足取りを気にしながら歩く姿は、この道にとても似合っていました。

 

今年撮影した桜の写真を本日やこれまで掲載した分も含め、下記に集めました。よかったら覗いてください。スライドショーにして見ていただくと大きく見えます。

http://picasaweb.google.co.jp/sakanoueojarumaru44/zkVmwK?authkey=-8Ot2b1P6I4

 

 

ところで、本日高矢禮を訪れた友からメールが来ました。私の写真が展示されていた・・・と。(  ゚ ▽ ゚ ;)!!!!!携帯で証拠写真も送っていただきました。う、う、う、うれしいです。感激です。テーマこじつけの写真を選んでいただいて、スタッフの皆様ありがとうございます。

【追記】そういえば、『BYJ Family Book』に載せていただいた写真も桜が舞い散った道の写真でした。

【さらに追記】私が応募して高矢禮に展示された写真はテーマ“太王四神記”のある日の記事の写真です。


2008/04/24 23:52
テーマ:家族 カテゴリ:趣味・特技(その他)

ハナミズキ

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22日(月)に新茶の初取引があったそうです。夏ですね~。街路樹のハナミズキはもう満開を過ぎそうです。気がつくと日の出は5時近くです。父の代わりに犬の散歩に行き始めたころは6時30分にならないと明るくならなかったのに・・・。明日は晴れの予報です。雨上がりだから、きっと澄んだ大気が景色を美しく見せてくれるだろうなあ。よーし、早起きしてゆっくり散歩にいくぞ!!

左は1週間ほど前のハナミズキです。

 

父の忌明け法要が終わって、私も母も気持ちが楽になってきた気がします。時間というものがすごいのか、自分の心が変化できてえらいのか・・・。まあ、どちらにしても人の心は意識しなくとも勝手に留まらずに変化していくものです。

 

我が家の両親は同じ趣味をもっていたわけではく、どちらかと言えば別々に好きなことをやってる二人に私は見えました。父が仕事をやめて家にいるようになってからもそうです。一緒に出かけるのは、運転しない母が父をアッシーくんに使うときだけだったんじゃないかなあ。よく喧嘩もしてました。でも、母は「親より長い時間一緒にいたんだから・・・」と言います。

父が弱くなってから、母は父を置いて自分だけ出かけてはいけないと思うようになりました。出かけることが好きな母も家にいるようになり、二人でTVを見ている時間が多くなっていたようです。「でもね、お父さんははるみちゃん(都はるみのコンサートのこと)だけは行っていいって言ってくれたよ。」と言ってました。父が亡くなった日から2週間ほどでコンサートに行った母。チケットはもちろん、前に購入してありましたよ。

子供にはわからない夫婦の結びつきってあるんでしょうね。母の父を失った悲しみは私とはきっと違ったものなんだろうなあと思います。説明はできませんけど・・・。最近の母は、父の荷物を整理しながら、尋ねてくる人に父の写真を見せて「おとうさんは・・・」「おとうさんが・・・」とやたらとしゃべっているようです。私は家にいない時間が多いので、また、家にいても母の話を聞いてあげないので(疲れるもん)訪問してきてくれる方たちに感謝です。

 

そんな老夫婦のことを考えながら、「ひとりで生きていく!」と決断した自分は、もしかしたら寂しい老後になるかもしれないと思うようになりました。子を産むことも放棄してしまったし・・・。これまで結婚・妊娠・出産をした友たちを多く見てきて、特にうらやましいと感じたことはありませんでした。今の自分のような生き方の選択もあっていいと思っていましたもの。これが私の選んだ私の道なんだ~って。それを後悔したら、選択した自分を否定してしまうことになるんだって。

いつの頃からか自分の生きてきた道を振り返ることが多くなりました。それって人生の折り返し地点を過ぎたことかもしれませんね。これまでいくつもあった分岐点で違う選択をしていたら、今とは違った人生であったかもしれないと想像することが多くなったのです。私は後悔しているのか?

子宮を摘出する日の朝、そこの看護師長に「ホントに全部取っちゃっていいの?自分の遺伝子を残してみたくない?」と何度も聞かれました。その頃の自分は、貧血を治してやりたいことに全力を尽くせる体をつくることが優先でした。なので、「大丈夫です。」と師長さんにあっさり答えていました。もちろん、やりたいことに進んでいった自分は誇れるって思ってますけど・・・

 

テサギ20話でタムドクが決断を下すことに恐さを感じていることをコ将軍に語っています。決断の後は後戻りできないのですものね。リセットしてもう一度やり直すなんてことはできないわけです。だから後悔のない選択を決断しなくてはならないんです。簡単にくだせることじゃないですよ。私は真剣に生きてきたかしら?

   

選択の責任は本人にあります。だから、決断は恐いものです。選択に自信を持って生きている人はもしかしたらそういないんじゃないかな。そう思うと気負った自分は楽になります。また、周囲にいる人たちの私への反応が私を幸せにしてくれるんでしょうね。

 

 「或いは」「もしも」だなんて あなたは嫌ったけど

 時を遡る切符があれば 欲しくなる時がある

 あそこの別れ道で 選びなおせるならって・・・

 勿論 今の私を 悲しむつもりはない

 確かに自分で選んだ以上 精一杯生きる

 そうでなきゃ あなたにとても とてもはずかしいから

                       【『主人公』 byさだまさし より】

 

 

 


2008/04/21 17:44
テーマ:歳月 カテゴリ:趣味・特技(その他)

スイ-トピー(かな)

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雨や曇りの空が続いていましたが、今日は久しぶりの晴天。朝の散歩にカメラを持ち、1時間ほど歩きました。犬も途中道草して止まりますが、今日は私の方が止まる時間が長く、犬はきっと嫌になったでしょうね。

毎日同じ場所を通っても、季節によって雰囲気が違います。春から初夏になろうとしている今、花や緑が街を装飾して華やかです。しかし、植物の変化は早く、翌日には違った表情を見せます。また、天気や時間帯によっても全く雰囲気の違う景色になります。そんな変化を楽しみながら散歩や通勤をするのが私流です。そして、出会った景色を写真に収めるのが私の趣味なんですね~。時は戻らないのですから、同じ風景には二度と出会えないと思っています。一期一会は何も人との出会いに限ったことではないと思います。

 

下記の写真は通勤途中に自転車を止めて撮影したものです。この場所の風景は私の撮影心を刺激するのです。

  

時と共に変化するのはいわゆる生命体だけではありません。社会や街、システムだって変化します。留まるものはこの世の中にない・・・諸行無常です。

 

下の写真は近所にある結婚式場です。1つめは4月5日、次が今日の撮影です。桜がすっかり新緑になっていました。3つめは秋に撮影したものです。桜葉は紅く、やや落葉しているのかな。4月10日のタンポポはこの桜の木の下で撮影したものです。

撮影時間は3つとも朝6時頃です。同じ青空ですが、秋は日の出が遅いため光が斜めからで、陰が多くなっています。

夕方の散歩ではここはあまり通りません。着飾った方々が建物の向かい側の駐車場にいることがあり、所構わず排泄しながら歩く犬を連れて通るのはどうかと思って・・・。

実はここ、私が子供のころは木工製品をつくる工場でした。横を通って通学していましたが、いつもプーンと木の香りがしていたのを覚えています。いつの間にかこのような華やかな建物に変化していてびっくりしました。

 

 

ところで高矢禮の4月のイベント、BYJとの「初」をテーマにした写真に私も応募してみました。・・・といっても、ヨンジュンさんんの写真を撮ったことはありませんし、訪韓したこともない私。たくさん写真はあるのですが、テーマに即したものを見つけるのは大変でした。こじつけて選択した写真ですが、なんと5枚も送ってしまいました。(6 ̄  ̄)ポリポリ・・・。

展示される20枚に選ばれたかどうか、お店に行くことができないので確認できません。でも展示されなくたっていいんです。「御応募頂いた写真はすべてBYJにお送りいたしますので、返却できません。」と書かれていたから・・・。ヨンジュンさんが手にとって見てくれるのなら、これ以上の幸せはありません。私の「初」プレゼントですぅぅぅぅぅぅぅぅ。写真の裏には消しゴムで造った名前の印を押しておきました。

 

さて、今日上にあげた写真に写っているのはスイ-トピーでしょうか?豆ができそうな蔓を持った植物でした。ソメイヨシノと思われる桜は葉になり、八重が咲いていました(奥の方に見えます)。それとほぼ同じ位置からで4月初旬に撮影したのが下記です。

ここは幼稚園です。園内には遊具に混じって多くの木や花があり、とても美しくて素敵な幼稚園だと思っています。最近、木造の新しい園舎ができたようです。

 


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