『太王四神記』予告編を見て
☆おひさしぶりです。
「予告編」、ごらんになりましたか?
圧倒的な存在感で、ぐいぐいと迫ってくるものがありましたね。
はっきり言って、これは予想をはるかに上回った大王の登場という感じです。
だから、私はあっさりと兜を脱ぐことにしました。
そして、一年もタムトクの創作を勝手に書いてきた者として、ヨンジュンさん、あなたに言いたいのです。
ごめん、私の想像力のはるか上を行ってましたって・・。
★写真、入れ替えました。これ、今日公開された新しい予告編のタムドクです。
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いななく馬。
手綱を引き絞り、遠くを見はるかす伝説の王。
背後にひるがえる赤い旗。
神前に舞う、悲しいさだめの神女。
天に昇りゆく龍。
火の粉を飛び散らせる朱雀のはばたき。
暗躍する暗黒の者たち。
まがまがしい影を帯びた貴公子。
雄たけびを上げる武士(もののふ)たち。
『ひとつの映画を作っているようなもの。』
『ヨンサマは大王そのものだった。』
『見事なCG。』
『これまでのドラマとまったく違う。』
これまで言われてきたように。
いえ、それ以上に!
どんな言葉をもってしても、
なお足りないほどに!
これまであれこれと描いてきたもの、
それを、いともたやすく凌駕して、
あなたは、今、圧倒的な力を身につけて、
私の目の前にいる。
。。。。。。。。。。。
あなたはどんなタムドク王を見たいですか?
ひれ伏す民の前に君臨する威風堂々たる姿?
騎馬兵たちを率いて戦陣を駆け抜ける雄々しい姿?
それとも、かなわぬ想いに人知れず苦悩する姿?
さわやかな笑顔で草原を駆け抜ける若者らしい姿?
もう、やめよう、高句麗王タムドクについてあれこれと語るのは。
ただ、そのお方の登場を静かに待つことにしよう。
『太王四神記』韓国放映確定!
ついさっき、公式のニュースに、
韓国での放映が決まったと発表されました。
やっとここまで来ました。
日本での放送も、もうまもなく発表されるでしょう。
もうじき、
タムドク様、あなたにお会いできます。
私が頭の中で描いた、
それ以上のお姿を、
それ以上の夢を、
お待ちしています。
地味なひとりごと~撮影延期記者会見と韓流
韓国ドラマの輸出がかなり減っているという。
それを、嫌韓とか反韓のようなことが理由のひとつだとする空気があるけど、それはちょっと違うだろうと、私はいいたい。
そこに感動を与えるものがあれば、誰もがきちんと評価するだろう。
からっぽなままでは、誰もついていかない。
たとえ、ヨンジュンであっても、それは免れないだろう。
姿を見られればいいと考えるファンも多いだろうが、
(もちろん、私自身もそれを否定はしないけど、)
本当はちゃんと作品の中で輝いている彼が見たい。
そんなこと、当たり前だろう。
当たり前のことが当たり前だと思われなくなって、
ただ、目先のことばかりにとらわれてしまうから、
だから、韓流の衰退などといわれることになるのではないか。
常に王の道を歩むこと、
道を見失ったら基本に立ち返ること、
それは意外にシンプルだ。
本質を知っていること、
頑固なまでに、『それ』にこだわること。
目がくらんではいけない。
本流から逸脱してはならない。
そうならないために、ものすごく自分自身を律していかないとならないのだろうが、
それができる人がひとりいることを、私は知っている。
『ホテリアー』を抱きしめて
☆六本木の「ホテリアー」最終回に行ってきました。遅まきながら、私なりの感想です。
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いきなり冒頭から現れるのは、大写しになったサングラス姿のドンヒョク、端整な横顔。
迷いも吹っ切れ、確かな目標に照準を定めた男の、力強い足取り。
朝のきらめく光の中、新しい始まりに走る男の、すずやかなまなざし。
シャンデリアきらめく下で口にしたプロポーズの言葉よりも、
幸い薄い幼い日々の思い出、そして、迷子の子供のような言葉とせつないまなざしが、
私は好きだった。
ドンヒョクssi、ちゃんとジニョンにしあわせにしてもらいなさいね。
カサブランカの夜、静かにグラスを傾ける二人の男。
語るのはポーカーのこと?
いいえ、実は、ひとりの女に対する決着の言葉。
先に立っていった方が勝ったのか、負けたのか、
経験不足な私には、わからなかったけれど・・・。
桜の木の下でたたずむふたり。
浮かび上がるシルエットが大スクリーンの画面いっぱいに広がる。
手に持った飛行機のチケットをドンヒョクに返そうとするジニョン、
それを受け取らないまま、ただ彼女を抱きしめるドンヒョク。
表情、言葉は?、いいえ、そんなものは何もいらないわ。
ふたりがどんな会話をし、どんな思いでいるのか、手にとるようにわかるから。
ただただ、息をのむように美しいシーン、そして、
かなしくも、美しい恋人たち。
ホテルを守るため、必死で生きてきた女の静かな最期。
今まで見過ごしていた死の演技の見事さ。
ぞっとするほど素敵でした・・・、そんな言葉で、ヨンジュンを評価した感性ゆたかな女優さん、
さすがです・・・。
ソウルを発つ日、彼女をぎりぎりまで待ち続けた彼。
そこに秘められた思いは、過去の、そして現在のメールの言葉になって、彼の指先からあふれ出る。
『・・海に来ています。父に会いました。・・今日顔を見た瞬間、それは恋しさだったのだとわかりました。・・・・』
『今日、教会ですべてを告白するつもりでいました。僕がなぜソウルホテルにやってきたのか、何をしようとしているのか・・・』
『ごめんなさい、傷つけてしまったね・・・』
『ジニョンさんが望むなら、今あるものすべてを捨ててもいい、だから、僕から離れていかないで・・。』
『疲れ果てた僕をはじめから温かく包んでくれたあなたを、僕は失いことはできません。・・・』
『僕はどこにいようと、心の一番奥にソ・ジニョンという名前を抱いて生きてゆきます。・・・』
『僕たちの愛が試されるときがきました。・・・あなたが僕のもとへ来る日があると約束してください。・・・』
いつもながらの、いいえ、いつも以上に胸にせまるせつない言葉たち。
それらは、確実に彼女のもとへ届いたはず。
なのに、ジニョン、あなたは間に合わなかった・・。
男気と友情とやさしさ・・、それから、自らの強い意思によって、彼は彼女のもとへ帰ってくる。
チェックインする彼、迎える涙の彼女。
これほどの男を、これほどまでに不幸にも幸せにもするジニョンという不思議なキーワード。
ラストシーンは、もちろん、ホテルロビーでの力強い抱擁。
それにしても、ドンヒョク、
あなたは、なんとしあわせそうな顔をしていることか!
見逃せないのがホテリアー終了後の映像。
『ぺ・ヨンジュンと家族のための・・・』で始まる『BYJ FAMILY BOOK』のCM。
髪を伸ばし始めたころの彼の顔がスクリーンいっぱいに登場して語りかける。
『僕はしあわせです・・・』。
いつもの低い声よりもほんの少し高いトーン。
ドンヒョクからチュンサン、インス、そしてタムドク、
確実に歩いてきたあなた・・・。
ああ、ヨンジュンssi、本当に今、あなたはしあわせなんでしょうか?
謝罪会見から見えたもの
今回の謝罪会見の報道をあちこちで読んで、いろいろなことを考えました。
うれしいような悲しいような、複雑な気持ちでした。
その中で、ドラマ完成が遅れている理由として、タムドク王の人物像をとらえきれていないということがあげられていました。あれだけの歴史的な偉業をなしとげた理由は何か、そのことがこの作品に描けていないのだと。
金銀を見ても、キムPDは最初からこの難しい問題に触れていましたね。
答えは出さずに疑問形のままで・・。
ということは、最初からここに注目していたはずですね。
それが、ファンタジーとラブストーリーの融合という点に重点を置いて撮影していった結果(たぶん、CGを使うなど技術的な点でそれがかなり難しい部分だったのでしょう)、曖昧なものとなったままここまできてしまったのでしょう。
そのことに、キムPD自身気がついていたのでしょうが、まあ、それでもいいかと考えて、そのまま進行してしまったのではないでしょうか。
それは、ひとつには、BYJらスターを多数起用していること、CGという特殊技術を駆使していること、豊富な資金をかけた豪華なセットを使用していること、画像の美しさに自信があったこと・・・、など、ある程度満足できるレベルだったのでしょう。
しかしながら、ヨンジュンは満足できなかった・・。
彼は、彼なりにこのタムドクというキャラについて考え、これでいいのかと悩んだのでしょう。
ここからはまったくの私の想像になります。
タムドクが国民的な英雄だということ、それから、ファンタジー、ラブストーリーということからすると、このドラマの中のタムドクとは、誰からも愛される理想的な王子様チックな存在として描かれていたのかもしれない。
正直いうと、私はそれでもいいんですけどね。
でも、ヨンジュンは満足できなかった。
より深い、人間としてのものがない。
民の苦しみを憂い、王位をめぐる争いに巻き込まれ、なおかつ愛する人との三角関係に悩み・・・、それはそれで面白いと思えるようなものになるでしょうけど、いまひとつ、この人物が魅力的に思えない・・・。
たとえばです、私は古代史が好きですので、ついそちらの方面に話が行ってしまうのですけど、聖徳太子という歴史的に有名な人物を考えてみると、教科書の中に出てくるこの人は、十七条憲法を作っただの、遣隋使を派遣しただの、まあ、そういったことをなしとげた聖人君子として出てくるわけです。それを読む限りにおいては、ふうん・・と思っても、それで終わりで面白くもなんともないわけです。
少し前の話になりますが、山岸涼子さんという漫画家の方が『日出る処の天子』という聖徳太子を主人公にした作品を出版したのですけど、これがすごくおもしろかった・・。
読んだ方もいらっしゃるでしょうけど、この中でえがかれている聖徳太子は、単なる聖人君子ではないんですね。生まれながらに他人とは違う超能力を持っているがゆえに、やさしい母とは疎遠になり、友人からも一歩離れたところにいる人物として描かれている。人の上に立つ能力を持ち、その力を十分発揮した仕事を成し遂げ、周囲からも十分それを認められながらも、自分の存在する場所をみつけられない、孤独な人物なのです。
それが、並外れた能力を持つ者の苦悩としてしっかり描けているところが、非常に面白かったのです。
それは極端な例ですけど、つまり、そんなところなのではないでしょうか。
高句麗王タムドクをどう描くか、それがなければこの作品の意味がないと、彼は考えているのだと。それが、ひいては韓流というものを背負う者の使命だと・・。
だからこそ、今の今になって放映を延期しても、そのための恥辱を味わうことになっても、やりましょう、監督!ということになったのではないでしょうか。
本当のところ、ある意味、これはプロとしてあってはならないことだと思います。
プロというのはお金をもらって、その代償として仕事をするのですから、納期が遅れたら、それはお金をもらう仕事とはいえません。その意味では、キムPDも同じです。
しかしながら、この不器用なまでのこだわりを、私はいとおしく思いますし、ここの方々の多くは同じだと思います。まさに身体を張ってする男の仕事です。
ただ、彼自身のコメントの中に、命云々というのもありますので、そのあたり気をつけていただきたいですね。
身体あっての仕事ですもの。
そして、彼の仕事はこのタムドク役が最後だとは思えませんので。
次もあるんでしょう、ヨンジュンssi~?
あら、私、なにげにプレッシャーかけてます?
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