2011/10/22 20:11
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(その他)

立山登山

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2年以上もブログを休んでしまいました。特別何かがあったというわけではなく、ただ何となく作成するエネルギーがでなかった・・・ということなのかな。私の日常は毎日同じことの繰り返しのようでした。だけど諸行無常です。

地球に生息するものはその環境に適応して生きています。環境が変わったら個体も変わらないと生は続かないわけです。高山で咲いている花は低地では育ちません。北極に棲むシロクマは氷がなくなると食糧が手にはいらなくなってしまいます。生きていくことは大まかに自分の置かれた環境で栄養を摂って成長し、子孫を繋いでいくことなんだとろうなと思います。

地球が誕生して約46億年、人類が誕生して約700万年だそうですが、他の生物と違って人間はちょっと特殊な存在のようです。環境に挑んで生きているというか、生きやすいように環境を変化させています。寒さ暑さに対して着衣やエアコンで温度調節して快適さを保つ、食糧を生産備蓄して飢えないようにする、便利な道具を作って単位時間の中で多くのことができるようにする・・・など他の生物が成しえないことをしています。人の欲求がそういう生き方を創っていったのでしょうね。


地球という星の生命軸で考えると地震は小さな変化なのかもしれません。でも、あの時そこに生きていた命にとっては何もかもが奪われた大きな災いでした。寿命50~70年の人間が知恵を出し合って歴史的に繋いでに作り上げた環境が、地球の振動で一瞬にして崩壊しました。さらに人間がより良く生きるためにと地球に挑んで構築したエネルギー産生システムの破壊から新たな脅威も発生しました。


諸行無常

崩壊した空間はそこにある生命によってどんどん変化していくことになるのでしょう。そのコツコツとした積み重ねはどんな環境を作り出すのか・・・。科学の恩恵にどっぷり染まって生きている私が言うのはおかしいけれど、地球のシステムを無理やりに変えるような環境でない方が生きやすいかもしれないと思ったりしています。他の生物のようにもっとスローで詰め込み過ぎない生き方に人間は変わっていかないだろうか。

震災をきっかけに日本人としてどのような環境で命の営みをすることが良いのかをこれまで以上に考えるようになりました。






10月の連休に立山に行きました。紅葉が見られるかなと思っていたのですが、室堂平についたら雪が降っていました(+o+) やばい!
宿の人に「明日は天気が良いから溶けるでしょう。明後日に登れるかも」と言われ、一日待って初めての雄山3003m登頂!一眼レフを抱えてザレ石と岩の道を登るのは苦しかったけど、ものすごい達成感がありました。

何百枚もの中から選んでwebアルバムを作りましたので、よかったらスライドショーで見てください。


↓画像クリック↓
立山2011年


2009/12/27 16:10
テーマ:感情と心 カテゴリ:趣味・特技(その他)

『涙の理由』

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クリスマスに同年代の方々とお酒を飲みました。おふたりは大学の先生で、学生実習を通じてお話するようになりました。一緒にお酒を飲むくらいにお近づきになれた先生たちは初めてです。それにしてもクリスマスの金曜日に3人とも用事がなかったというのはなんともはや・・・(*゚.゚)ゞポリポリ

3時間ほどおしゃべりしながら、おいしい料理を食べながら、ビールそして赤ワインを飲みました。一人の先生は全くお酒がダメなので、ふたりでワイン2本、つまりひとり1本のんだことになるかな。お酒が入ると気持ちが緩んでたくさんおしゃべりしてしまう私。ついつい職場の愚痴が出てしまいました。おふたりが私の愚痴を聴いてくれたという形です。本当は先生たちの話ももっと聴こうと思って、一所懸命話を振ったのですが、二人とも聴きだすのがうまくて、つい私が乗せられてしゃべっていました。なんだか、お兄ちゃんやお姉ちゃんとしゃべっているように暖かでした。

先生たちと話をしていて気がついたことは、今の私は孤独を感じているのだということです。先生たちも職場の組織で嫌なことがたくさんあるそうです。でも、何かあるとお互いの研究室に駆け込んで「ちょっと!聴いてよ!」と思いを分かちあっているのだとか。同士がいるということのようです。自分だけがそう思うのでないと知ることができ、話すことで感情が整理されて収まるのでしょうか。
「誰かに話せるといいのにね。」と先生たちに言われました。


最近、茂木健一郎氏と重松清氏の対談の本『涙の理由』を読みました。“泣ける”とは何ぞや、“人はなぜ涙を流すのか”ということを小説家と脳科学者が彼らの考えで突き詰めた本です。ちょっと言葉が難しいというか、立ち止まったり戻ったり読み返したりしてイメージを膨らませないと、対談の文脈がわからなくなっていまいそうでした。でも、このところちょっとしたことで涙が出てしまう自分、人が涙を流したいのはなんでだろうという興味があり、一気読みしてしまいました。
実は、この対談のおふたりも1960年代前半生まれで私と同年代なんですね~。まあ!世間を素直に見ていないところは似ていますが、やはり自分よりも知識や経験が豊富な大人に見えます。


“泣く”というのはよほどのことのはずなのに、“泣ける本”とか“泣ける音楽”とかいうのが世間に出ていることを彼らは懸念しています。

茂木氏は「お手軽に泣けるブーム」「優しさの談合」と言っています。笑い(微笑み)が優しさを示すものから攻撃的な嘲笑になって「自分の安全を守る談合」になり、涙が「自分は優しいという談合」になっているのではと言うことです。また「泣けた」は自分の責任であるが「泣ける」は作品の特性を表現しているもので、自分を棚上げにした匿名性があると。
これについては私も街頭インタビューで感じることがあります。「いかがでしたか?」とインタビューされた人が「〇△□で良かったです。」と答える人が多いからです。これって行事や体験の内容を評価している言葉で、自分がどうなのかということを言えてないように思います。“私”という個人が無いということです。

この対談の最初は“やるせない”という感情から入っていました。“やるせない(遣る瀬無い)”というのは受け入れがたい事態にどうすることもできずにどうしようもないさまということができるようです。対談では下記にように言っていました。

『平家物語』でも歌舞伎でも、人が自分では動かしがたいものに合わせようとするときに、矛盾が出てきて泣くんです。個人の力では、どうしようもない部分に合わせて何かをしようとしたときに、無理があるから涙がこぼれる。【茂木氏】

1枚の絵を見て、音楽を聴いてガーンという衝撃のように感動して涙することもあります。それは抽象的なものに向き合った時の涙で、得たいの知れないものにぶつかった感動であると重松氏は言っています。

涙は言葉にできない感情なのかなと思いました。感情の興奮を鎮めようと副交感神経が急に働いて弾けたようになった時に涙が出る・・・と私は思っていますが、そういう身体変化についてはこの本にありません。でも、涙を流す理由は人それぞれで、現実のやるせなさや抽象的で偉大なものにぶつかった時に、過去の体験や記憶などが複雑に絡み合って流すのかなあと考えました。

この本が一番いいたかったのは、涙を安売りするなということだと理解しました。「キレる」と同じように涙を流す回路のリミッターが低くなっている日本人がいるのかもしれません。そういえば、NHKの「Cool Japan」で“涙”を取り上げていたとき、日本人は泣くことが純粋でピュアなものだから隠さないし、すぐに泣きたくなると言っていました。なんでも泣くためのサークルもあるとか。泣きたい日本人がいることは確かです。私も含めて・・・。
   

大学の先生にこの本のことと、私が涙に興味があるのだということを話しました。するとお姉ちゃん先生は「私は泣かないからなのか、涙に興味をもったことはなかった。」と言いました。うへ?
泣きたい人ってなんだろ?「泣く」「涙を流す」ことはわざとすることではないのだが、そういう状況に自分をわざともっていって泣こうとする日本人がいるってことなんだよね。私を含めて。それって、やりきれない何かがいつもひっかかっていて、もう一押しして泣いちゃえってことなのかしら?

自分だけの涙を流すためには真剣に生きていかなければならない。「やるせなさ」や「やりきれなさ」に向き合わないとならない。【茂木氏】
それは、おしめが濡れて赤ちゃんが泣くというような、不快感やどうしてよいかわからない中で涙を流すという「涙のトレーニング」が必要だ。【重松氏】

現代の日本人は「やるせない」「やりきれない」不快感を発達段階であまり感じてないのかもしれません。その結果、「泣く」ことがブームになるような事態に陥っているということでしょうか。よくわかりません。
こんな言葉もありました。

泣くことはよほどのことで、「なぜ泣いたのか」を伝えることは「自分の一番大切なものを人に見せる」こと

自分の大切にしているものが非常事態になるとやるせなくなって涙が出そうになると解釈しました。そういうことかな。なんとなくモヤモヤ感が残っています。もう一度この本を読み返して、深読みしてみないとダメですね。


本日の写真はあまり記事とは関係ないですね。
タイトル下はカフェのお砂糖をドミノのように並べて撮影したものです。
次のがそのカフェで黒磯市のCafe SYOZOの店内です。
夜景は先日京都で撮影した大覚寺です。


2009/12/13 14:40
テーマ:感情と心 カテゴリ:趣味・特技(その他)

地下道

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恐い夢ほどよく覚えているものです。しかも、10年くらい前から同じような夢を何度も見ます。ここで言う夢は眠っている間に知覚するもののことです。覚醒している時に描く“願望”とか“希望”ではありません。


私がみるいや~な夢は「追われる」「殺されそうになる」「逃げる」「隠れる」・・・といったものです。私を追ってくるものは未知な人(誰なのかわかりません)で、どうも銃かナイフをもっているようです。その人に見つかると自分は殺されてしまうらしいので、とにかく見つからないように隠れつつ逃げます。細い路地や狭い部屋や何かの陰に隠れたり、道を走ったりしています。しかも、私はいつも戦争に巻き込まれた状況にいるようです。敵に襲われるってことかなあ。

夢のメカニズムははっきりしていないのだそうですが、その人の記憶が大脳で作り出す現象であるということだけは明確です。分子生物学者・福岡伸一先生の本に、記憶はどこかに蓄積されているものではなく、脳の細胞をめぐる刺激の伝達経路の一致性ではというようなことを読みました。何度も同じ夢をみるということは、その経路を何度も刺激が通るってことなんでしょうかね。


夢分析、夢診断、夢占いというものは、夢に意味があるという考え方からきています。wikipediaには下のように説明がありました。本当のところどうなんでしょう。

寝ながら見る夢では、その人の普段は抑圧
されて意識していない願望などが如実に現れるケースも多いとされる。ただ、それらは誇張されていることも多く、結果的に現実としては不可解な現象で表現されることが多い。

夢分析は自己分析のひとつとしての考え方です。深層心理を夢の中に探し、本当の自分を見つけ出すということかな。フロイトは性的な抑圧と結び付けた判断が多いようです。彼の研究した当時と現代社会の状況が合わないので、無理があるとも言われています。
夢占いは将来と結びつけて、願望とかこれからおきる危機とかを表しているってことなんですね。未来を予言しちゃうってことかい?


一般的な夢診断から私の夢を考えると、何か現実に体験している問題(ストレス?)から逃げたい、解き放たれたい、自由になりたいと思っているということなんでしょうか。
他に、一生懸命電話をかけるのに番号を間違えて通じないとか、自分の家を見上げて「ここは昔私が住んでいたところなんだ」と悲しくなるとか、大声を出して呼んでいるのに相手には聴こえないとか・・・。なんだか苦しくなってくる夢が多いです。30代のころは金縛りも結構ありましたが、最近はすぐ目が覚めるためかそういうことがありません。


恐いといえば、私は暗闇とか狭い閉鎖空間が苦手です。だから、エレベーターはあまり好きではありません。ホテルとかもできれば窓の大きな部屋を選択します。観光とかでも地底に行くようなことはできれば避けたいというか・・・。出てこられなくなってしまいそうな恐さを感じます。
いつだか甲斐の善光寺で胎内巡りをしたのですが、私、足が止まって前の人についていけなくなり、さらに恐怖を味わいました。もう絶対に行かない!見えない恐さ、圧迫される恐さの両方が重なったんですね~。


恐いとは少し違いますが、苦手な人ってあります。コミュニケーションをとろうとすると“恐い”と似た緊張感が沸いてくるんです。私の言葉の端を取り上げて、何か攻めてくるような雰囲気を感じるんです。そんな時私、無口になります。言ってもうまく伝わらないというか、本当の自分を知られたくないというか、言わないほうが自分を守れるような気がするんです。


私の心を襲うものたちの正体ってなんだろうと思いました。小さい時の何かがトラウマになっているんでしょうか。それは克服すべきものなのか、それが私なんだってあきらめて生きていくか・・・。ただ、恐い思いをした時は「誰か助けて!」っていつも思っています。

  

 

 


タイトル下の写真は名古屋の地下です。なんか不思議な世界でした。

新幹線のホームからの夕日がきれいでした。その右は八ヶ岳登山の時にであった道です。昔、トロッコでも通っていたんでしょうか。人の生きる道は新幹線のように整然とはいかないだろうなと思って・・・

次の左は浜松の方にある鍾乳洞の中、右は八ヶ岳を登山する後輩です。1本道より、彷徨いながらも抑圧されない道の方がいいですねえ。

最後は先日大覚寺で撮影したライトアップされた紅葉のトンネルです。灯りの灯された広い道っていいなあ。


2009/12/10 06:17
テーマ: カテゴリ:趣味・特技(その他)

紅葉

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12月初旬、長崎の友が京都の友のところへ遊びに行こう!というので、出かけました。忘年会翌日だから、何時に着けるかわからないよ~っと言っていた私ですが、早起きしちゃいました。三脚、レリーズ、換えのバッテリー、パソコン・・・と使いそうなものをとりあえずキャリーバックに詰め、昼には京都駅に着いていました。

どこに行きたいかと聴かれて、「人の少ないところ」と答えた私。友が紅葉見ごろのところを探して、いろいろプランニングしてくれました。長崎の友は2日前から来ていて、京都中を周っていたようです。w(゚ー゚;)wワオッ!!

連れられるままにまず行った先は下賀茂神社。神社よりも糺の森の美しいこと。雨上がりだったため、少し濡れた木々がキラキラしていました。どこの鎮守の森もそうなんでしょうが、人の手が加わることによって維持されているんですね。糺の森は原始林ではなく原生林なのだとwikipediaに書いてありました。このあたりが山背国(山城、山代)といわれていた昔から人が植林したり、伐採したりしながら守られてきたんですね。

12月5日、7日開催のCOP15に合わせ、地方銀行64行による「日本の森を守る京都サミット」が開かれたそうで、下賀茂神社でイロハモミジの植樹を行なったというニュースを知りました。“里山”と同じように、人の関与が自然を維持する、人と自然が共存するという方法を“鎮守の森”に見たような気がしました。
森は人の出入りが自由で、お買い物や通勤で自転車に乗って通る人や、タモを持った子供の集団に出会うことができました。もちろん、私たちのような観光客が一番大勢いましたが・・・。



京都はカエデがとても多いと思いました。路線バスにのりながら、外を眺めていると、街路樹には銀杏もありましたが、神社仏閣の庭にある色づいたカエデが目に飛び込んできます。もう12月なので、かなりの葉が散って絨毯のようでした。葉の去った木の枝から陽光が差し込んだ風景が印象的でした。
夜はライトアップした大覚寺を訪問しました。ライトアップは見せたいものだけが浮かび上がり、どんな方向から写真を撮ってもかっこよく見えます。

見せることを考えた風景なんだろうなと思いました。さすが観光の都市です。古いもの、自然のもの、新しいものを混ぜて、訪れる人を楽しませてくれます。




ライトアップを見た後、仕事の終わった別の友ふたりと合流し、小さな焼き鳥屋でビール飲みながらワイワイガヤガヤ。10席ほどしかないそのお店のメニューをすべて食べつくしたんじゃなかろうかというほど食べました。忘年会明けの私は途中から眠くなって、友の肩にもたれて(∪。∪)。。。zzzZZ

私たちがお邪魔した京都の友はなんと2日前に引越しをしたばかりでした。まだ部屋にはダンボールが・・・。とりあえず私たちの眠る場所だけは確保しなければと片付けてくれたようです。申し訳ない!

【以下少し加筆】
友のマンションは隣の大津市の「大津京」という駅の近くでした。大津京・・・といえば、白村江の戦いに敗れた中大兄皇子が即位して(天智天皇)都を置いた場所。以後、大友皇子(弘文天皇)⇒壬申の乱⇒天武天皇と繋がる激動眠る場所ね。私にとっては奈良についで興味津々な場所になります。今度は三井寺や瀬田の唐橋とかに行ってみたいです。
また泊めてね~






タイトル下の写真は真如寺で撮影したものです。
次の縦2枚は糺の森撮影、
3つ目の横2枚左:糺の森、右:大覚寺のライトアップモミジ
最後の紅葉の絨毯は真如寺です。


2009/11/21 22:34
テーマ:音楽 カテゴリ:趣味・特技(その他)

ピアニカ(画像変更)

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今日、NHK-FMで旭川からの公開ラジオ放送をやっていました。その番組の中でいくつかの学校の校歌が流れました。また、会場の人に「校歌が歌えるか」と聞いていました。かなりローカルな話題でしたが、結構面白かったです。

私は自分の通った小、中、高校の校歌の中では、小学校のものが一番好きで今でも歌えます。(中学、高校の校歌は覚えていません。)流れるようなメロディーに文学的な詩でした。当時、意味はわからなかったというか、考えずにただ暗記して歌っていたと思います。

  安倍の川瀬の 水すみて
  実りゆたけき 千町田(ちまちだ)の
  こがねの波に 照りはゆる
  わが学舎(まなびや)に 光あり

  登呂の遺跡に 日の本の
  国のあけぼの しのびつつ
  新しき世の 人のため
  学びの道に いそしまん

昭和26年に作られたそうです。そのころの学校は周囲を稲穂に囲まれた中にあったんだとこの歌から想像できます。田んぼの中の道を通って子供たちは登校したんだろうな~。私の子供のころもまだありました。学校帰りにはあぜ道を通って、オタマジャクシやザリガニやタニシを捕まえたり、レンゲを摘んだりしました。夏は田に引き込む水を汲み上げるポンプから出てくる冷たい井戸水で遊んだり、冬は稲株だけになった田んぼで凧揚げをしたりしました。


メロディーを歌いつつ、楽譜におこしてみました。先生の弾くピアノのアルペジオがきれいで、いつか自分も弾けるようになりたいって思っていました。



おや?始まりはソドレミ・・・だわ。
NHK-BSの番組に「どれみふぁワンダーランド」というのがあります。とっても楽しい番組で、録画保存して観ているほど大好きです。
番組の最後に「ソドレミアワー」というコーナーがあり、“ソドレミ”で始まる音楽を毎回紹介しています。これまでに『千の風になって』『赤とんぼ』『モルダウ』『TSUNAMI』『五木の子守唄』『シクラメンのかほり』『『ラバーズコンチェルト』などなどたくさんの有名曲が紹介されました。“名曲はソドレミで始まる”とか?
私の小学校の校歌も名曲なんだ~~ってちょっぴり嬉しくなりました。

11月21日の放送で“音の色”について出演者たちが雑談していました。音にはイメージされる色があるということですが、私の学校のメロディーは和色大辞典から選んで“若菜色”って思います。柔らかくて懐かしくて自然の木々を感じさせる色・・・かな。

http://www.nhk.or.jp/doremi/【どれみふぁワンダーランド】
http://www.colordic.org/w/【和色大辞典】

 





はじめタイトル下に出した写真が以前に使用されたものでしたので、変更しました。私が小学生の頃にしようしていたピアニカたちです。もちろんまだ音は出ます。そういえば、中学と高校の音楽の教科書も残っています。残念ながら小学生の時のものはありませんでした。

コスモスは稲刈りの終わった田んぼに咲いていたのですが、撮影場所は私の通った小学校からは離れた所です。


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